実は、自営業者はある程度経理を選択する自由がある。例えば除雪機を買ったとしよう。それを1年で償却することもできれば、 10年で償却することもできる。要するにどちらを選択するかは自営業者の判断に任されるのである。本来ならば10年で償却するのであるが、 1年で償却すると言う特例があるからなのだ。そこでどちらを選択するかは、その年の売り上げ等を見据えて、どちらが得かを考えつつ、決められるのである。つまり自営業者にとっては、税務署に申告するために経理をやりながら、改めて経営戦略を再認識するのである。儲けすぎたなーと思えば、 1年で償却するし、赤字だなと思えば10年で償却するという選択を選ぶ。
そんなわけで、経理に忙しい上に、今年は雪が多い。毎日のように雪かきをしなければならない。当然のことながら、そーゆー力仕事は男の仕事である。当然のことながら私が行うのである。雪かきといっても、 800坪もしなければいけない。半端な量では無い。毎日汗水を垂らしながら、少しずつ雪かきをする。すると窓から私のそんな姿を見ている息子がいる。息子は、あと10日もすれば1歳11ヶ月になる。
長い前置きとなってしまったが、 1歳11ヶ月ともなると、それまでと全く違うパターンを息子は見せてくれる。私が雪かきから戻ってくると、玄関まで出迎えてくれて、私の手をぎゅっと握って、私をコタツのところまで連れていってくれる。こんな事はそれ以前には絶対にありえなかった。
母親が寝転がってテレビを見ていると、頭をなぜなぜして、かわいいと言うようにもなった。こんなことも以前は絶対になかった。また、愛犬コロも、なぜなぜして、カワイイと言うようになった。本当にかわいいの意味がわかっているのかどうかはわからない。単に親の真似をしてるだけの可能性も高いのだが、それ以前はそのような行動をしたことがなかったので、明らかに今までと違っている。
今では、愛犬コロの散歩に一緒についてくる。ついてくるだけでなく、愛犬コロの紐(リード)まで自分で持つようになった。もちろん、愛犬コロも息子に対して気遣いをしながら歩いているので、相手の協力があってできる技ではある。
ここまで成長してくると、非常に感慨深い。どの親御さんも、自分の子供には癒される事だろうが、その癒され方には二通りの癒され方があることに気がついた。まず、その可愛さに癒されるという癒され方。それは、うちの息子に限って言えば1歳9ヶ月までの姿であった。
ところが、1歳10ヶ月を過ぎると、別の部分に癒されるようになった。雪かきから戻ってきたときに、大喜びで玄関まで走って迎えに来て、私の手をぎゅっと握ってコタツまで連れていく姿に癒されるようになるのである。それは可愛さに癒されるのではなく、小さな子供の心遣いに癒されるのである。
姿形ではなく、行為に癒されるのである。
それはひょっとしたら、ただ単に遊んでもらいたいという煩悩を表しただけなのかもしれない。その辺は注意が必要なのだが、それだけでないような気がする。少しずつであるが、赤ちゃんなりに相手を思いやることも、理解しつつあるのかもしれない。しかしそれは、少しずつ赤ちゃんを卒業して行くことでもあるので、それはそれでちょっと寂しい気もする。
面白いのは、うちの嫁さんも少しずつ成長しているところである。赤ちゃんが生まれた頃は、うちの嫁さんはマニュアルの塊であった。定時になると、ぐっすり寝ていても馬鹿のひとつ覚えのように、たたき起こしてミルクを飲ませていた。私が何度、寝かせておけといっても、絶対に言う事は聞かなかった。必ずマニュアルを守るのである。
しかし、妹や弟の多い家族で育った人ならわかると思うが、昔から赤ちゃんが寝ていたら絶対に起こさないのである。寝たいだけ寝かせるというのが、常識であることは誰もが知っていることなのだ。赤ちゃんは寝ることによって、育つということが嫁さんには理解できていなかった。何故理解できていないかというと、子育ての本に書いてないからである。要するにマニュアルに書いてない事は、妹弟のいなかった嫁さんにとっては存在しないことなのだ。
だから私が何度言い聞かせても、規則正しい生活を覚えさせるという変な理屈を持って起こしていた。おかげで息子の成長は止まってしまった。眠らなければ成長ホルモンが出ないので当たり前と言えば当たり前である。
おまけに、子育て母に書いてある食事の量を正確に計って、栄養なんかを秤に計って、無理矢理食べさしていた。当然のことながら、同じようなメニューが続き、息子は泣きわめくようになる。で、私が横から大人の食事を食べさせておとなしくさせるのだが、その都度不満そうな顔をしていた。嫁さんが、いちにち留守にするときなどは、わざと食事を減らしたりした。もちろん息子の調子は良くなる。翌日から食欲も戻ってくる。嫌がっていたメニューも食べるようになる。
最初の頃は、こんなことの繰り返しをしていたのだが、そんな嫁さんも最近はようやく柔軟になってきた。子育ての肩の力が抜けたのだろう。もしくは読んでいたマニュアルのことを全部忘れてしまったかのどちらかだろう。
こう考えてみると、子育てというものは、
いかに肩の力を抜くことが重要であるかが分かる。
気負いすぎると、かえって失敗するのだ。
そういう意味で、うちは子供が産まれる前に、子犬を飼ってみて大正解であった。ある意味、子犬は赤ちゃんよりも客観的に観察しなければいけない部分があるので、冷静に判断できるようになる。子犬の子育てだって、気負いすぎると失敗するからだ。これは私が、過去に子犬を2回ほど育てたことがあったからこそわかっていたことである。そして、弟が2人たからわかっていたことでもある。
そういう意味では、生まれた時の環境というものは、非常に重要であるのかもしれない。ちなみに私は、子供の頃、犬の他に、うさぎ、鳩、猫、インコ、鶏、金魚などの魚類などを飼っていたことがあった。そのために、いろんな動物を通して比較してみて犬の子育てが、人間の子育てに非常に近いことが、体験として知っていた。この辺も大きかったのかもしれない。
ちなみに、私は小学校6年生頃に、動物博士になっていた。図書館にある動物図鑑の写真の名前を全て暗記できるようになっていた。たぶん1,000種類の動物の名前を知っていたと思う。友人と動物の名前当て勝負を何度もしていた。
そうなのだ、友人の中にも動物博士はいたののだ。
似たような子供たちが、他にもいっぱいたのである。
それは時代や環境によるものかどうかは知らない。
だからディズニー映画の動物のドキュメンタリーなどを見ると、テロップに動物の名前が出る前に、その動物の名前を言い当てるのが得意であった。そのために動物のドキュメンタリー映画を見るのが大好きだった。その当時、 1番好きな映画は野生のエルザであった。原作の本も小学生の頃に何冊も読んでいる。だからライオンのオスが子供ライオンを殺す残酷さも知っていて、学校の先生の「仲間を殺し合うのは人間だけ」という説教に反論したりする生意気な小学生であった。いまでいうオタクのはしりでもあったろう。それは学校の勉強とは全く関係のない無駄な知識ではあったが、今思えば、あれが良かったと思っている。
つづく。
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