2015年03月18日

元伊豆臼井YH・修善寺YHペアレントの高梨和夫さんがお亡くなりになってしまった

 いつだったか、嫁さんがダウンジャケットを水で洗った事をこのブログに書いた。一般的に言ってダウンジャケットを水で洗う事はしない。水洗いができないのがダウンなのだ。昔なら、嫁さんがダウンを水で洗うのを止めたものだが、この年になると、水で洗ったらどうなるかという好奇心が強くなってしまい、黙って見ていた。その結果が分かったのでここに報告する。結論から言うと、見た目は全く問題ないように見える。もちろん、本来の防寒性能が落ちているかどうかはわからない。ただ見た目で言うならば、水洗い前と水洗い後では全く変化が見られない。後は防寒性能を確認したかったのだが、残念なことに北軽井沢は、だんだん暖かくなっている。なので本当のところはどうかわからない。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、昨日今日と嫁さんと息子が実家の館林に里帰りしていたので、久々に愛犬コロを連れて10キロ近く散歩をした。そして帰ってからメールを確認していたら、日本ユースホステル協会から訃報の連絡が入っていた。

 元伊豆臼井YH・修善寺YHペアレントの高梨和夫さんが、平成27年3月8日(日)午後12時17分、入院先の伊豆長岡の病院にて誤嚥性肺炎外傷性小腸損傷のため逝去された(享年84)とのことであった。葬儀、告別式は近親者のみにて執り行われたとの事。後日関係者による“偲ぶ会”が開催される予定であるらしい。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

 高梨さんは、伝説的なペアレントである。ユースホステルのペアレントというのは、癖のある人が多い。見方も多ければ敵も多いというタイプの人が多い。そういう中で、高梨さんの悪口を言う人を聞いたことがない。誰からも慕われる人格者である。かといって、極端に親切だとか優しいということではなく、飄々として空気のような存在である。言葉を静かに語り、癖を感じさせない老子のような人であった。

 実は私は、この高梨さんに2回しか会ってない。 1回目は修善寺ユースホステルで開かれたペアレント教室で、一緒にホスティングの実習を行っている。その時は、伝説的なペアレントであった事を知らなかったために、誰だろうこのおじさんはと、思っていた。その頃の高梨さんは、日本ユースホステル協会を退職され、修善寺ユースホステルの近所で、鍼灸師として第二の人生を送っていた。たまたま、修善寺ユースのペアレント教室に遊びにきていた時に、私と出会っていたのだ。ただ、私はその人がどんな人物かわからなかったので、ろくに会話を交わしていない。けれど、高梨さんの印象だけは、いつまでも心に残っていた。

 その10年後、私は日本ユースホステル協会を設立した横山祐吉氏を調べていた。調べていくうちに、高梨和夫と言う人間に合わなければならなくなった。高梨さんは、横山祐吉氏をよく知っているのである。私は、 2泊3日の予定で伊豆の修善寺に向かった。そして高梨さんにお会いした。お会いした時に、修善寺ユースのペアレント教室で1度会ったことがあることを思い出した。

 私は高梨さんが、自費出版していた高梨さんの詩集を持っていた。『死んでたまるか、生きろ』という詩集であった。その本のあとがきには、壮絶な彼の人生が書かれてある。それにサインをしてた高梨さんの姿が懐かしい。無口な高梨さんは、横山祐吉氏のことをいろいろ話してくれた。ぽつりぽつりと、断片的なことではあったが、なんでも知っていた。高梨さんと横山さんは大変仲が良かったようだ。横山さんは、時々高梨さんのところにやってきては、鍼灸の治療をお願いしていたようなのである。だから色々なことを高梨さんは知る立場にあったのである。

 その高梨さんがお亡くなりになったと聞いて、私は愕然としてしまった。また1つ日本ユースホステル史を調べる手がかりを失ってしまったのだ。もう時間との競争である。歴史の証言者たちは次々となくなりつつある。時よ止まれと叫びたい。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:37| Comment(5) | TrackBack(0) | 日本ユースホステル運動の源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする