2015年03月29日

NHK大河ドラマと私

 来年のNHKの大河ドラマが、真田丸に決まっている。
 真田一族の本拠地である嬬恋村民としては、良いドラマが出来る事を祈ってやまない。
 実は私は、 NHKの大河ドラマは全部を見てない。

 私の両親は大河ドラマファンだった。だから、子供の頃から一緒に大河ドラマを見ていた。そんな両親に、どの大河ドラマが1番面白かったか?と聞いてみたことがある。すると第一作の『花の生涯 1963年(昭和38年)』という答えが返ってきた。昭和38年の作品であるから、私は2歳の頃の大河ドラマである。当然のことながら私は覚えてない。しかし、ある機会があって、偶然、そのドラマの1部を見ることがあった。それは井伊直弼大老が暗殺されるシーンだったので、最終回ではなかったかと思うのだが、これが見事な作品だった。テレビドラマというより映画であった。



 冬のさなか、井伊直弼大老が桜田門を入っていく。
 そこに水戸浪士たちが斬りかかっていくのだが、
 警護たちの刀が、風呂敷の中にしまわれていて、
 その紐を解くのに手間取り、次々と切られていく。
 雪が降るくらいだから寒い。寒いためにますます紐が解けない。
 警護たちは次々とやられていく。
 次第に水戸浪士たちは、井伊直弼の駕籠を徐々に取り囲んでいく。
 その和がだんだん小さくなっていく。
 息を飲むようなカットの連続であった。

 最近の大河ドラマは、顔のアップばかりなのだが、この作品では、フルショットはもちろんのこと、かなり遠くから全体を撮影している。作り方がテレビ的ではなく、かなり映画的であった。こんなドラマが面白くない訳がない。しかし残念なことに、私はリアルタイムで見てない。


◆源義経 1966年(昭和41年)

 私が初めて見たNHK大河ドラマは第4作『源義経』である。初回放送当時、私は4歳だった。という事は、 4歳の子供に大河ドラマが理解できるということである。ただし、絵本で義経の物語は何度も読んでいたので、見る前からあらすじや登場人物のキャラクターは知っていた。それで記憶に残っているのかもしれない。これがもし、義経でなかったら記憶に残っていたかどうか… 。

 それはともかく、私はこの作品で涙を流していたのを覚えている。それは武蔵坊弁慶が、全身に弓矢を受けて立ちながら死んでいるシーンだった。あのシーンは今でもまぶたの脳裏に刻まれている。ちなみにこの作品は、再放送を祖母と一緒に見ている。祖母は今で言う文盲であったが、義経のことはよく知っていて、義経の絵本を私に見せながら義経を語っていた。文字は読めないはずなのだが、あたかも文字を読むように絵本を解説していた。その解説は、かなり歴史に詳しかったと思う。だから文字を読めないことと、教養の有無はあまり関係ないと思う。



 この後

三姉妹 1967年(昭和42年)
竜馬がゆく 1968年(昭和43年)

 と大河ドラマは続くのだが、あまり記憶がない。特に『竜馬がゆく』の記憶がないことがショックである。なぜならば、私は司馬遼太郎ファンであるからだ。しかし、小学校に入る前の子供にとって坂本龍馬は、全く関心が持てない存在なのかもしれない。子供にとってわかりやすいのは、金太郎とか義経なのだろう。


◆天と地と 1969年(昭和44年)

 天と地と。この作品の初回放送当時、私は小学校1年生だった。で、夢中になって『天と地と』を見た記憶がある。内容も、映像として頭の中から蘇ってくる。まずその理由の1つが、この大河ドラマは合戦シーンがやたらと多かったことが原因だと思う。小学1年生位だと、合戦シーンに興奮する。ウルトラマンと怪獣を見てるような気分で見ていたと思う。しかも、ヘリコプターで合戦の空撮をしていたので、それにも興奮していた。

 しかしそれ以外にも、興奮してみる理由があった。私は新潟県の出身である。当然のことながら、新潟県が舞台となった大河ドラマは、歴史ファンであるなしにかかわらず、全員が熱心に見ていたのだ。現に、友達と土曜日昼間の再放送まで見ていたし、大人たちの会話の中にも熱心に語られていたことを耳にしている。



その後、

樅ノ木は残った 1970年(昭和45年)
春の坂道 1971年(昭和46年)
新・平家物語 1972年(昭和47年)

と、 NHK大河ドラマは続くけれど、すべて覚えている。小学生ながら、どれも面白かったと記憶している。新・平家物語は原作も読んだ。といっても、子供向けの原作である。当時は大河ドラマが決まると、子供向けの原作本が出版されたのである。それが学校の図書館に並んだ。今では考えられないことだが.当時の子供たちにとってはとても幸運なことだったのかもしれない。


◆国盗り物語 1973年(昭和48年)

 ご存知司馬遼太郎の代表作である。と同時にNHK大河ドラマのベストスリーに入るぐらいの名作かもしれない。特に林光の音楽が素晴らしい。彼は、この後もNHKの番組で、素晴らしい音楽を次々と作曲して行くのだが、どれもこれも名作ぞろいである。特に少年ドラマシリーズの星野牧場の音楽は、彼の最高傑作と言ってもいいくらいだ。



 それはともかく、この作品は、『国盗り物語』だけでなく『新史太閤記』『功名が辻』『尻啖え孫市』『梟の城』をミックスさせている。つまり主人公が5人、いや8人いる。最初の主人公は斎藤道三であった。ところが斎藤道三は途中で死んでしまう。そして次に、信長、明智光秀、秀吉、山内一豊、雑賀孫市、葛籠重蔵などが主人公になっていく。つまり群像ドラマである。ちなみに初回放送の時は、私は小学校5年生だった。なので、もう司馬遼太郎の本が読める年頃だったので、夢中になって原作を読んだ記憶がある。もちろん、その前に学研の漫画の日本史を読んで予習をしている。学研の漫画の日本史は、難しい漢字にルビがふってあったので、それを読むことによって、事前知識を得るのだ。そして司馬遼太郎の原作を読むことができた。


◆勝海舟 1974年(昭和49年)

 好き嫌いは別にして、最高の大河ドラマと言ったら『勝海舟』だろう。
 初回放送の時、私は小学6年生だった。
 このシナリオを書いた人は倉本聡である。
 倉本聡は、この作品以前にNHKで『赤ひげ』のシナリオを書いている。
 その『赤ひげ』も最高に面白かった。黒澤映画の赤ひげよりよかった。
 倉本聡の最高傑作に近い出来栄えのような気がする。

 それはともかく勝海舟は、間違いなく倉本聡の最高傑作だった。視聴率も高かった。いちどシナリオ読んでみるとわかるのだが、背筋が震えるほどの傑作。例えば勝海舟を暗殺しにくる男がいる。その男は、決して勝海舟に反論もしないし、殺気もみせない。とても慇懃で、礼儀正しく、勝海舟の言動をいちいち深くうなずいている。それに対して勝海舟は、どんどんどんどん冷や汗を流す。礼儀正しくうなずいている暗殺者に対して、喉をカラカラにして冷や汗を流す。暗殺者は、少しも乱暴な素振りを見せずに、ただかしこまっているのだが、その場の空気はどんどん凍っていく。このように視聴者をぐいぐいと惹きつけていく。

 音楽も素晴らしい。
 なにしろ冨田勲なのだ。
 YouTubeでみてほしい。
 すごいレベルの音楽である。



 ちなみに倉本聡は、 NHKのスタッフ勅使河原平八(セカンドの助監督)と仲が悪くなり、彼ら組合員の一派から糾弾され、あふれる涙を抑えながら、1人北に向かった。気がついたら北海道にいた。敗北という言葉どうり、敗れて北へ向かった。倉本聡は言う。

『当時NHKでは組合問題が渦を巻いていた。上田哲氏を中心とするNHK労組の力は暴力的に強く、あらゆる制作の場で、「創造」よりもサラリーマン労働者としての権利主張が異常なまでに幅を利かせていた。』

『例えば長崎ロケ。東京ロケ隊は同じNHKの九州総局(福岡)、長崎支局の各労組に、労働分配でのお伺いを立てねばならなかった。結果、こういう決定がなされた。東京から行ったチーフカメラマン、九州総局のカメラマン、長崎支局のカメラマンの均等独自に仕事をせねばならない。で。坂本龍馬がオランダ坂をかけ下りるシーンの撮影に、まず東京が撮る。次に福岡が横から撮る。最後に長崎が下から撮る。坂本龍馬役の藤岡弘は、三回意味なく同じアクションを強いられ、それを同時に三台のカメラが撮るならいざ知らず、独立別個に撮影するのだから、見ていた僕には訳がわからなかった』

 演出家(セカンド)の勅使河原平八は組合員。彼は、管理職が外部の作家にあげつらい組合員をないがしろにした、と組合に訴え出てしまった。そのためにチーフディレクターに呼び出され、そういった事情を説明されて、(勅使河原平八に)折れて欲しいと泣きつかれたらしい。チーフディレクターは涙を流していた。その後、仲間がてのひらを返したように倉本聰を吊るし上げ、それまでの脚本家としての態度、人間性を攻撃した。

『やっと解放され、NHKを出たとき、ふいに涙が胸底から突き上げた。この顔を家人には見られたくなかった。サングラスで目をかくしタクシーに乗って羽田と告げた。北海道へそのまま飛んだ。昭和四十九年、六月十七日のことである』

 NHKを相手に前代未聞の事件を起こした。もうこの業界では生きていけないだろうと、そのまま札幌で毎日飲んだくれながら2ヶ月は航空便で原稿を送りつづけ、肝臓を壊し、それを理由に正式にNHK降板。前払いだった原稿料はきれいさっぱりNHKに叩き返し、貯金が七万円しかなくなった。飲み屋のつけは数十万円、貯金は七万円。本気でトラックの運転手になろうと免許取得に着手したという。

 しかし、天は彼の才能を放置しなかった。勝海舟のシナリオは、やはり凄かったのだ。ちなみに収録後、主演の松方弘樹が「NHKの権威主義、官僚的体質」を批判する発言をした。松方弘樹の目にもNHKの体質は異常に見えたらしい。

 ちなみに裏番組は、われら青春であった。だから、私の同級生で、勝海舟を見たものは1人もいなかったと言って良い。学校に登校すると、中村雅俊の『われら青春』の話でもちきりだった。大河ドラマを見るような小学6年生や中学1年生など存在しなかったと思う。それほど中村雅俊の『われら青春』は、ものすごいブームになっていたのだ。おそらく勝海舟の大河ドラマより視聴率をはるかに高かったろう。もちろん中村雅俊のテーマ曲『ふれあい』や『青春貴族』の大ヒットしていた。同級生たちは、ギターで盛んに歌っていた。全国のユースホステルでもその状況は変わらなかったと思う。私が大河ドラマの勝海舟を見ていると言うと、変なものを見るような目で見られたものである。


◆花神 1977年(昭和52)

 実は、私が1番好きだった大河ドラマは『花神』である。当時、中学3年生だったけれど、背筋が震えるほど面白かった。理由は、司馬遼太郎の原作に忠実だったからである。テレビのシナリオと司馬遼太郎の原作が全くイコールだった。特にナレーション。ナレーションが司馬遼太郎の語り口そのままなのだ。司馬遼太郎の声を聞くようにドラマをうっとり見ることができました。司馬遼太郎の余談が、あちこちにナレーションで流れたら、ファンにはたまらない。

 音楽は、林光。
 YouTubeで聞けるのでちょっと聞いてみてほしい。
 日本の夜明けを象徴するような素晴らしい音楽である。
 やはり彼は天才である。



 この花神も、数年前に作られた国盗り物語と同じように『世に棲む日日』『峠』を同時進行させている。なぜ3つのストーリーを同時進行させて、群像劇にしたかというと、テレビドラマに司馬遼太郎のような俯瞰した視点を持たせるためらしい。つまり司馬遼太郎の小説の『余談』に相当するものを、別の人物の物語によって映像として見せるということらしい。確かに、吉田松陰、高杉晋作、河井継之助、大村益次郎と言う背景の違う者同士の物語を同時進行させる群像劇によって、物語に深みが増していた。おまけにシナリオが原作と全く一緒というのもファン泣かせであった。司馬遼太郎の余談の部分までもナレーションで全て語られていた。この辺も司馬遼太郎ファンたちを痺れさせた。

 ちなみに裏番組は、勝野洋の『俺たちの朝』であった。これも大ヒットした青春ドラマである。おそらくNHKの花神よりも視聴率が高かったのではないだろうか? 主題歌の「俺たちの朝」も大ヒットしていた。なにしろ作詞が谷川俊太郎で、作曲が小室等、編曲がトランザムのチト河内、 歌が松崎しげるである。ヒットしない訳がない。若者向けの雑誌は、こぞって「俺たちの朝」の特集を組んでいた。そのために私は、同級生の話題から孤立した。孤立したついでに、司馬遼太郎全集を全て読破してしまった。

 司馬遼太郎を読んだことのある人はわかると思うが、彼の小説を読むと非常に元気が出る。ページをめくるごとに膝がガクガクと震え、自分の興奮を抑えるのに必死になる。特に高校生ぐらいで司馬遼太郎にハマると、もう勉強なんかに手がつかない。今で言うネットサーフィンみたいなことをしてしまうのだ。しかも最悪なことに、私の実家には、ブリタニカの百科事典があった。今で言うインターネットみたいなものがあったのである。そこからどんどん歴史を調べるようになってしまったから歴史オタクになってしまった。いったん歴史オタクになってしまうと、もうNHKの大河ドラマを真面目に見る事はなくなってしまった。また歴史を調べているうちに、司馬遼太郎の小説もかなりフィクションが多いことに気がついた。しかし、もともと小説なのだからフィクションが多いのは仕方ないと言えば仕方ない。

 その後、NHKは司馬遼太郎の『とぶが如く』を大河ドラマにするのだが、正直言って面白くなかった。『国盗り物語』や『花神』の時のようなワクワク感がなかった。原作と微妙に違う雰囲気だったので、興味が持てなかったのだろう。それは、『坂の上の雲』にしても同じだったような気がする。これも歴史オタクになってしまったためかもしれない。あまり歴史を知らなければ、それなりに面白かったのだろうと思う。

つづく。

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posted by マネージャー at 23:24| Comment(2) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする