2015年05月30日

病院の選択 その2

病院の選択 その2

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 今から30年前の昭和時代に、私が東京の池袋に住んでいた時の話である。どんな病気だったか今となっては思い出せないが、おそらく結膜炎かなにかにかかっていたと思う。眼科に行こうと思ったけれど、電話帳で調べてみたら当時池袋には眼科が2軒あった。A眼科(仮名)と、池袋眼科(実名)である。どちらの眼科がいいのか、正直言って分からなかったので、大家さんに聞いてみたら、絶対A眼科がいいと言う。池袋眼科はヤブ医者だというのである。他にも何人かに聞いてみたら全員が全員、A眼科の方が良いと言っていた。みんな口を揃えて池袋眼科の先生はヤブ医者だという。

 しかし、A眼科よりも池袋眼科の方が、何か偉そうな感じがする。池袋駅の前にあって、池袋眼科と言う名前なのだ。よさげな名前ではないか。これがもし仮に渋谷駅の前に渋谷眼科なる病院があったら、何となく入りたくなるのではないだろうか? 新宿駅の前に新宿眼科があったら、他にいくつかの眼科があったとしても、なんとなく新宿眼科に入ってしまうのではないだろうか? 私は、池袋眼科と言う名前に惹かれて、人の忠告を聞かずに、そこを尋ねてみたのである。

 しかし行ってみたら驚いた。
 そこはメガネ屋だった。
 メガネ屋の奥のほうに、繁盛してなさそうな池袋眼科があった。
 しかも、患者が誰1人いるような感じがないのである。
 なんとなく嫌な予感がした。

 私はすぐその池袋眼科に入らずに引き返してしまい、皆がお勧めするA眼科に行ってみた。すると、そこには大勢の患者がぎっしりと並んでいた。
 なんとなく安心した。
 看護婦さんも大勢いた。
 池袋眼科には看護婦さんらしきものはなかったのである。
 やはり、みんなが推薦するこの眼科がよかったんだと。
 そして先生に言われるままに毎日A眼科に通った。

 通院するごとに目を洗って、ベタベタするものの中に入れられた。そういえば小さい頃に、結膜炎か何かになったときに、こんな治療したなぁと懐かしく思った。もちろん目薬ももらっている。それを1日三回めに刺していた。しかしである。毎日A眼科に通ったにもかかわらず、私の目はなかなか治らなかった。1ヶ月もかかっても治らなかった。

 それどころか、少しづつ気になることが起きた。なぜか視力検査をさせられた。こんなことが治療に必要なんだろうか?と思ったが、そういうもんなのか?と無理矢理納得した。他にも色々な検査をさせられたのだが、その都度、治療費はかさんでいった。なぜ眼科ごときで、こんな費用がかかるんだろうかと、思ったのだが、素人の自分にはよくわからない。お医者さんに任せるしかないのだ。そして1ヶ月以上かかってしまったが、治る様子は一向に見られなかった。

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 ある日のことである。私の前に治療していた老婆が、先生に、

「おかげさんで、少しずつ治りかかっているような気がします。とお礼を言っていた」

 そしたら、先生は、憮然とした顔で、そんなわけはありません。白内障は前よりも悪化しています。と、機械的に答えていた。その答え方が、女医さんであるにもかかわらず非常に機械的だったので、何か嫌気がさしてきた。そして病院を変えることにした。地元民がヤブ医者だからやめておきなさいと言われた、池袋眼科に行ってみた。

 やはり池袋眼科には患者がいなかった。
 看護婦さんも1人もいない。
 私はなんとなくそわそわしながら、先生に事情を説明した。
 先生は、

「ちょっと薬を見せてもらえませんか?」

 と言ってきた。その薬を見せると、

「最近流行の抗生物質ですね」
「なぜわかるんですか?」
「薬の容器でわかるんですよ。おそらく体質に合わなかったんでしょう。抗生物質ではない◆◆という別の薬を出しますので、いちにち3回刺してください」

 治療はこれだけだった。たったの3分もかかってない。A眼科ではもっといろんなことをしてくれたのだが、非常にそっけない印象である。やはり藪だったのか?と不信感がでてきたのだが、翌日も、池袋眼科に行った。A眼科では毎日通うように言われていたので、池袋眼科でも当然のことながら毎日通うんだと思いこんでいたからである。しかし、行ってみると先生は怪訝な顔をした。

「何かあったんですか?」
「え、毎日通うのではないのですか?」
「いや、昨日差し上げた薬を差すだけでいいんです」
「前の眼科では、毎日通うように言われて、何かの液体で目を洗ったり、何かベタベタするものを目に差し込んだり、いろんな検査をしたりしたんですけれど・・・・」
「ああ」

 池袋眼科の先生は笑っていた。そして、目を洗ってくれて、何かベタベタするものを目に差し込んでくれたが、その上で、

「こういうのは気休めなんですよ。あまり意味はありません。3日たっても昨日差し上げた薬に効き目が現れなかったら、もう一回来てください」

 そして、1枚の紙切れを差し出した。

「前に渡し忘れたかなぁ。これは私のプロフィールです」

 その紙切れをよく読むと、数年前まで虎の門病院の院長をしていたと書いてあった。そして私の目の病は、3日後に完治していた。A眼科で1ヶ月半通っても治らなかったにもかかわらず、たったの3日で治ってしまっていたのである。

 この体験は衝撃だった。

 池袋眼科に患者さんがいなかったのは、ヤブだったからではなく、患者が毎日通院しなくてもよかったからだ。また3日で治ってしまうからである。どうりで患者さんがいなかったわけだ。治りが早かったら患者はいない。そのうえ余計な治療をしないから混むこともない。また、メガネ屋の奥に密かにあったというのも、看護婦さんがいなかったのも、地元民には、なんとなくヤブ医者に見えたのかもしれない。しかし、私にとっては、池袋眼科の先生は名医なる。なにしろ3日で治してくれたのである。

 それにしても、A眼科の先生は、どうして1ヶ月以上も同じような治療を続けたのであろうか? ちなみにインターネットで検索してみたら、池袋眼科はもうなくなっていた。A眼科は、まだ健在のようである。私は苦笑せざるをえない。


つづく。

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2015年05月28日

病院の選択 その1

 いつもの年ならゴールデンウィークの後は、全くお客さんが来なくなるのだが、今年はどうも様子が違っている。お客さんが途絶えないのだ。どうも変だなぁと思っていたら、どうやら下界(標高の低いところ)は暑いらしい。北軽井沢に入ると、朝方などは、まだストーブを使っていたりするので、その辺の感覚がよくわからなかった。なので、先日、息子と軽井沢に行ったら暑かった。北軽井沢と軽井沢ではこうも違うのかと驚いてしまった。どうりで、夏の予約がどんどん入ってくるわけである。

 まぁそんな話はどうでもいい。息子を軽井沢に連れて行ったのは訳がある。浅間園で息子が転んで爪が割れてしまったからである。本当なら総合病院に連れて行くべきなんだろうが、私は軽井沢の長倉クリニックに連れて行っている。ここはかなりオシャレな病院だ。もう病院というカフェである。いや、その辺のカフェよりよほどすごい。待合室などは、コーヒーやお茶も飲めるし無料である。絵本もあれば、各種の本もある。内部は無垢の木で内装が作られており、椅子もテーブルも、木をベースにした豪華なものである。

 と書くと、自由診療に誤解されそうだが、そういう訳では無い。普通の小児科の病院だ。もちろん内科もやっている。しかも予約制である。だから待たされる事はほぼない。その上、往診や訪問診療も行っている。訪問診療に関しては、 24時間体制で対応しているらしい。だから、予約制なのだろう。もちろん大手総合病院との連携も行っているので、万が一の時は、紹介状を書いてくれるらしい。

 ところで、この病院の先生は、ちょっと変わっている。
 なるべく薬や消毒液を使わない先生なのだ。
 バンドエイドさえ、渋い顔をする。
 ノリが、赤ちゃんの皮膚に対してかぶれやすい成分があるからだそうだ。
 1番かぶれないテープは、ホームセンターなどに売っているビニールテープであると言っていた。

 この先生の面白いところは、薬を使わないところなのだが、親に対処方法を教えて、なるべく通院させないようにする治療を行っている事である。以前、インフルエンザで息子を連れて行った時は、原因を特定するための検査だけ行って、薬は出さなかった。対処方法だけ教えてくれて言われた通りの対処方法行ったら翌日には熱が下がっていた。恐ろしいドクターだと感心した。

 今回もやはり、薬を出さずに対処方法だけ教えてくれた。ただ違っていることは、傷口をデジカメで何枚も写真を撮っていたことである。それをパソコンにアップロードして、カルテに掲載していた。その画面を私たちに見せるわけだが、そのモニターがやたらとでかい。40インチぐらいあるのではないかと思うぐらいデカイのである。しかも3画面もある。当然のことながら、過去の病気のデーターとか身長体重などすべて私が見ることができた。そうそう、通院することに身長体重も計測している。こういう小児科の病院もなかなか無いのではないだろうか?

 実は、軽井沢には小児科の病院が多い。これは全国的には珍しいことかもしれない。面白いことに、それぞれの病院がすべて特色がある。だからお母さんやお父さんのなかには、それぞれひいきする病院が違ってきている。私は長倉クリニック派であるが、別の小児科病院を推薦するお父さんお母さんも多い。子供たちが遊べるプレイルームのある小児科病院もあるらしい。いちどその病院にも息子を連れて行ってみたい気がするのだが、長倉クリニックも捨てがたい。なにせ、うちの息子は滅多に病気をしないのである。というか、今まで2回しか病院に通ったことがない。インフルエンザと爪が割れたときしかないのだ。だから、なかなか病院に行く機会がなくて、別の病院を試すチャンスが訪れない。

 そこで、思い出すのが、東京の池袋に住んでいた時の病院の話だ。これについては、後日話したい。これから浅間高原シャクナゲ園に行って、受付のボランティア作業を行わなければならないから。帰ってきてから続きを書くとする。

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2015年05月26日

小学校教育の今と昔

 いつだったか、うちの宿に小さな子供さんから手紙が届いた。小学校3年生になったばかりの女の子の手紙だった。なのに、大人の書く文よりも、わかりやすく素晴らしいものだった。私が小学校3年生の頃を考えたら、とてもではないが、このような文章は書けなかったと思う。季節の挨拶から入って、きちんと起承転結になってたのである。そして、何よりも手紙の中に愛情があふれていた。こういう手紙は、教養ある大人にも書くことができるものではないと思った。

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 それから1年後、東京都中野区の小学校教育研究会国語科研究部が発行する冊子が、お父さんから送られてきた。女の子の手紙が、小学校の補助テキストに掲載されたのである。どうやら、今の小学校では、手紙を書くと言う授業があったらしい。その授業の一環で、うちの宿に、手紙が送られてきたらしいのだ。そして、家に送られてきた手紙の出来栄えが良かったため、テキストに掲載されたらしい。

 これは、かなり良い教育システムでは無いだろうか?

 手紙を送るという作業は、子供たちの文章能力を鍛えるだけでは無い。子供たちに楽しかった思い出をもう一度記憶の奥から引きずり出して、日常の嫌なことや忘れたい事をリセットしてくれると思う。また、いろいろなものに対する感謝の気持ちを人に伝える訓練にもなると思う。他にも色々な副次的な効果があると思う。自分の体験を文字にするということは、論理的な思考を鍛える意味でも非常に重要なことである。会話能力も磨かれると思う。体験を文章にするという作業は、かなり高度な知的作業なのである。

 話は変わるが、お父さんからもらった文集を読んでみた。そして驚いた。うちの宿に手紙を書いてくれた女の子に限らず、掲載されている文章の大半が、大人顔負けのものばかりだったからである。昔の子供たちは、こんなに文章がうまくなかったと思う。もっとへたくそだったと思うし、どこかで聞いたことあるようなレトリックばかりを使っていたような気がする。つまり教科書を手本に字面を変えただけの文章が多かった気がする。今の子供たちの方が、文章レベルは上な気がする。 

 しかしよく考えてみたら、昔はインターネットのようなものはなかった。とはいうものの、小学校3年生が日常的にメールを打っているわけでは無い。その点においては、昔も今も変わりはないと思う。しかし、今の子供たちの方が文章が上手に見えて仕方ないのはなぜだろう? 上手なものばかりが文集に掲載されているからだろうか?

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 話は変わるが、今の学校教育になくて、昔の学校教育に合ったものに、話し方教室というものがある。みんなの前で、演説や落語や歌を歌うなどの人前で話をする授業である。これが、最近の小中学校では行われてないらしい。

 また、私よりだいぶ年上の人たちの学校教育で存在したのが、生活綴方教室(ありのままの実際を文章にすること)であった。これは、私の世代にはもう存在しなくなっていた。私よりはるか年上の世代で流行した教育だったようである。

 そういえば、私の子供の頃は、夏休みの研究発表というものもあった。しかし、実際に研究発表している子供たちは、それほど多くはなく、いつも常連組が発表していた。たいていは、親が教師であるケースが多かった。教師である親が息子や娘の指導していたことが多かったのだ。そもそも、小学校1年生や2年生位で、大人の科学者のように研究発表を自発的にするわけがない。大抵は、大人達の指導が入るのである。しかし、最初のきっかけはそうであっても、徐々に、科学好きになっていくケースは出てくる。そして、子供のくせに本物の学者のようになってしまうこともある。私の友人にそういう奴がいた。

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 同級生のK君が、そーゆー人間の代表だった。彼のお父さんは、私が通っていた小学校の先生で、K君は、お父さんと同じ小学校に通っていたことになる。まぁそんな事はどうでもいいとして、彼は何度も研究を行い、夏休みが終わると研究発表という物をやっていた。最初は、またやってるなぁと思って見ていた。もちろん背後に先生であるお父さんがついているのは承知の上である。私の母親も、小学校の教師だったので、だいたい事情は分かっている。こういう研究発表は、背後に大人(それも教職の親)が必ず存在するのである。

 ところが、何年か経つうちに、彼の科学好きは本物になっていった。彼の研究発表も、だんだん玄人じみてきていた。それは子供心によくわかった。そのうち発表さえしなくなり、研究だけを続けていた。ある日彼は、黒いガラスで太陽を覗いていた。夏休みはもう終わっていたのに、しきりにノートに記録していた。

 何をやってるんだい?

 と尋ねたら、太陽の黒点を観察していると答えた。そして、大学ノートの記録を見せてくれた。私はこの頃、航空機のエンジンと構造に熱中していた頃なので、お互いに、科学談義に花が咲いた。昭和30年代に生まれた子供たちには、そういう科学好きのところがあったのかもしれない。

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 当時は、学研の科学と学習をみんな取っていた。学校が、それらの雑誌を積極的に子供たちに進めていたのである。そのために学研の科学を購読している男子が多く、みんな、 その付録で遊んでいたのである。今の子供達よりも、科学好きな男の子が多かったのかもしれない。

 話がそれた。

 私とK君は、その後、お互い同じ高校に進学したが、ほとんど話をすることがなくなってしまった。何を思ったのかK君は、高校の演劇部に入ってしまった。もう科学は、やめてしまったのかと私は思いこんで、少し距離をとってしまったのだ。しかし、あとから聞いた話によると、演劇部に入った後でも、毎日のように太陽の黒点を観察していたらしい。そして彼の頭は、日に日に薄くなっていった。

 1年後、彼は短い命を閉じてしまった。
 癌だった。

 この病気は、今でこそ治る病気になってきている。数年前に甥っ子(10歳くらい)が遊びに来たとき、甥に髪の毛が無かった。食事の時間になってもそして客室から出てこなかった。放射線治療をしていた。今は、ふさふさしている。健康体そのものである。が、今から35年以上前は、医学は今より劣っていたようだ。良い治療が無かった。

 冬の寒い時期に、「さむいなあ」コタツに入りながら眠るようにK君は亡くなったらしい。その日の彼も黒点を観察していたのだろうか? あれから35年経つが、今私が日本の演劇史を調べなおしていることを考えてみると、何か運命のようなものを感じてしまう。 35年前の私は、そんなものには全く興味がなかったからだ。ところが今の私は、演劇史の調査をしつつも、毎日のように御客様を星空観察に連れていっているのだから。

 


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2015年05月25日

軽井沢・北軽井沢のニホンリスに危機がおとずれている

 今日、住宅エコポイントを目当てに二重窓の工事が完了した。これで全客室が二重窓になった。これは大きい。というのも北軽井沢は、1年間のうち8ヶ月間もストーブを使う地域だからだ。だから省エネのための設備投資が跳ね返りやすい。

 その逆に、あまり効果が無いのが太陽光発電である。雪が降る地域だから発電効果が良いわけが無い。なのに70ヘクタールの森(村有地)を伐採して太陽光発電を作られるところだった。本当に危ういところだったが、良識ある村民の皆さんによって何とか阻止できた。ここは嬬恋村民が誇って良いところだ。

 逆に阻止できなかったのが軽井沢町である。あの自然保護に熱心な軽井沢町民が、南軽井沢の10ヘクタールの森を伐採し太陽光発電所を作ることを阻止できなかった。この件に関しては、軽井沢新聞社も色々と誌面で問いかけてきたが、ダメだった。無念である。今後は、こういう悲劇がおきないようにしたい。

 ところで軽井沢と北軽井沢に特定外来種のタイワンリスが侵入した可能性があるという。タイワンリスは適応能力も高く、繁殖力旺盛なために早いペースで増えているらしい。今では日本で最も生息数が多い。そして「ニホンリス」は、絶滅危惧種(LC)に指定されてしまった。鎌倉では、『餌付けをしないように』と呼びかけていて、他の地域でも農作物の被害など問題になっている。

 今のところ、うちの庭に来るリスは、ニホンリスの方が多いのだが、今後はわからない。そこで軽井沢・北軽井沢のニホンリスを守っていくために、ご自宅にくるリスが本当にニホンリスなのかどうか確認して、もしタイワンリスであれば、町役場に通報をしていただきたい。詳しくは、下記サイトを


http://jpmuseum.com/ploc/pr/nakano/taiwan/index.html

◆タイワンリスの特徴
・お腹が白くない。
・耳が丸くて小さい

他にも特徴があるが、耳を見るのがいちばん良い。
ニホンリスの耳は、すこし尖っている。
また、お腹が白い。
タイワンリスは、耳が丸くて小さい。
お腹も白くない。

といっても、わかりにくいかもしれないので、北軽井沢ブルーベリーYGHの庭に来たニホンリスの写真を貼っておきます。腹が白くて、耳が尖っています。目のまわりも白いです。

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タイワンリスは、耳が尖っていません。丸いです。
お腹も白くありません。
目のまわりも白くありません。

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つづく。

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2015年05月24日

アレルギー除去食を作るのは、本当に難しい

 何故か今週末は、子連れファミリーで満室となってしまった。下は5ヶ月から、上は10歳くらいまでで、1歳児・2歳児・3歳児・4歳児・5歳児・年長さんと、全ての学年が揃っていた。これだけ揃っていて、驚くほど館内が静かだったわけは、親御さんの教育が良かったのもあるだろうけれど、ほとんど女の子だったのもあるかもしれない。うちの息子は、10歳の女の子に静かに遊んで貰っていた。こういうお姉ちゃんがいたら良かったと思うくらいだ。英語圏の御家族もいた。国際色があったのであるが、子供に国境は無い。楽しく遊んでいたようだ。

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 ただ、お父さんがシーフードアレルギーだった。鰹だし、昆布だしでもダメだという。まあ、なんとかなるだろうと思ったら、これが以外に難しかった。まず、ほとんどのドレッシングに魚のエキスが入っていた。各種ソースにも魚介のエキスが入っている。炊き込み御飯などの得意のレシピも封印された。しかし、子供たちの大好きな卵料理は作りたいので、出汁巻きの代わりに、スペイン風オムレツに挑戦したのだが、ふだん使ってないオリーブオイルを使ったり、出汁の代わりにコンソメを使うと、いつもと卵の焼き具合が変わってくるので面食らった。

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 それにしても、日常使う食材に、これほどシーフードエキスが入っているとは思わなかった。うちは洋食を作っているようで、基本的な味のベースが和食だったことに気がついた。というか、御客さんの好みを研究しているうちに、そうなってしまった。コンソメースープにしても、醤油を1滴たらすだけで、日本人好みの味に変わる。しかしこれは正統派なものではない。

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 まあ、そんなことはどうでもいい。料理から出汁を含むシーフードをのぞくことが、いかに難しいか?ということである。逆に言うと、のぞいたものが洋食になるのだ。ドイツやフランスで大衆的な料理を食べると、なにか物足りなかったのは、そこだったのだ。彼らの料理には出汁が入って無く、塩が味付けのメインなのである。だから、うまみの少ない洋食に日本人は違和感を感じるのだろう。逆に言うと、うまみにアレルギーをおこす西欧人も多いのかもしれない。いずれにしても今回は勉強になった。アレルギー除去食を作るのは、本当に難しいものである。

つづく。

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2015年05月22日

登山道と道路の清掃活動2

登山道と道路の清掃活動2

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 軽井沢と北軽井沢において、道路の清掃活動で活躍しているのが草軽交通バスである。草軽交通バスとは、軽井沢から草津までの路線バスを運営しているバス会社なのだが、この会社が一番活躍しているかもしれない。というのも、道路のゴミが一番酷い状態の時が、ゴールデンウィーク直前なのだが、その時期は、自治体も観光協会も道路清掃まで手が回らないからだ。しかたなく私などの有志が、ゴミを拾っているが、とてもじゃないけれど間に合わない。そんなときに活躍するのが草軽交通バスなのだ。感謝しても感謝しきれないが、バス会社の方でも、目を覆いたくなる道路ゴミの状態に我慢がならなかったのだろう。

 それにしても4月の道路は、どうしてゴミだらけなんだろうか? 夏は、そういうことが無いのに、雪が溶けた4月の道路ゴミの多さには、毎年あきれかえってしまう。雪がゴミを隠してしまうので、車からポイ捨てする人が多いのだろうか? それとも、冬に訪れる人のマナーが悪いのだろうか? それとも冬は、有志で清掃する人がいないためにゴミがたまってしまうのだろうか? いずれにしても道路ゴミの大半は冬にたまって4月の雪解けシーズンにピークになることは確かなのだ。これは、なんとかならないだろうか?

 それから道路にトラックが停められるスペースがあると、そこにゴミが集中して落ちているケースもあった。毎回同じ人が捨てていると思われる。国道146号の万山望の谷間に不法投棄してあったゴミも大量に観光協会の清掃で見つかっている。当然のことながら警察に調べてもらって、犯人も特定され小諸から来て捨てられたことも分かっている。それにしても遠く小諸から捨てに来る人の気が知れない。ガソリン代を考えたら、正規にゴミ処理した方が安いからだ。

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 まだ道路のゴミはいい。自治体・観光協会・各企業が一生懸命に清掃してきれいにするからだ。問題は登山道である。と言っても、登山者のマナーは、素晴らしいので一般的な登山道にゴミが落ちていることは、まずない。まれに木の枝にビニールひもなんかが絡まっているが、あれは野鳥が巣作りのために集めた物なので、人間の仕業では無い。問題は、入山禁止にされた旧登山道である。具体的に言うと、峰の茶屋から浅間山までのルートと、石尊山から浅間山までのルートである。ここには、ありえないゴミがある。

 コーラの瓶とかが大量にある。

 言っておくが登山者がコーラの瓶を持って山に登るわけがない。シェイクされて爆発するし、そもそも、そんな重いガラス瓶を持って行くわけがない。逆である。登山者は、そういう不可思議なゴミを持って降りてくるのが普通である。ゴミがあったらひろう。それが登山者なのだ。しかし、その登山者を閉め出して廃道になった登山道に考えられないゴミが多いのだ。これは、どういうことなのだろうか?


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 話しは変わるが、私が清掃登山をするきっかけについて話しておきたい。

 今から数年前、私は毎日、浅間隠山に登っていた。毎日のように高崎に用事あったので、そのついでに登っていたのである。多い時には、朝に登って高崎に行き、そして北軽井沢に帰る途中にまた登って夕日を眺めた。それを不審に思った老人がいて、『熊が出る』と私に注意してくれたのだ。

 老人は、毎年、浅間隠山の登山道を2週間もかけて整備する人だった。彼が居なかったら浅間隠山の登山道は確実に藪になっていたし、入り口付近は台風などで道が破壊され、一般人には通行できなかった。それをチェーンソーなどで切り開いて、土砂を切り崩して踏み固め、岩で石垣を作ったりして登り安くし、危険箇所には岩で階段を作ったりした。全てボランティアだった。

 で、2週間ちかく、多くの登山者たちを見送るわけだ。自然と生の登山情報が入ってくる。熊が出たら『おじさん、今、◆◆で熊が出ましたよ』と知らせてくる。熊が出る場所と時間を正確に知ることになる。夕方の17時以降の浅間隠山の◆◆地点が危険であることがわかってしまう。だから17時から登りはじめた私に注意してきたのである。もちろん私も17時以降の浅間隠山の◆◆地点が危険であることが、かなり昔から知っていた。だから私は、自分の正体を老人にあかして、仲良くなってしまった。

 聞けば老人は、榛名山の登山道の大半と、赤城山の登山道も無報酬で整備していた。山の麓には、こういう人たちが大勢いて、その人たちに護られて立派な登山道ができているのである。それを知ったとき、自分も何かやらねばと思い、自分が出来る範囲のことをはじめたのである。で、登山道の清掃をはじめてみると、大勢の人たちが自主的に行っていることもわかってきた。面白い人たちが大勢いたのである。これについては、また後日、語りたい。

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つづく。

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2015年05月21日

登山道と道路の清掃活動

 ここのところ、いい天気が続いている。そのせいか新緑も一段と美しくなってきた。それを確かめるために、朝5時ぐらいに起きて浅間山の9号目まで登ってみた。登ってみて驚いたのだが、残雪はほぼ無いと言っても良い。やはり今年は暖かい。

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 ところで、私はこの時期に、北軽井沢付近の山の登山道の清掃行っている。うちのお客さんの多くは、ハイキングや登山を趣味としている人たちである。そういう人たちをスタッフの土井くんが自然ガイドをしながら案内をしている。つまり、この付近の山のお世話になっているわけだ。だから恩返しに10年くらい前から登山道の整備をしているのである。

 これはかなり孤独な作業なのだが、実際に登山道の整備をしていると、整備しているのは私1人でないことがわかった。いろいろな山岳会や、志のある多くの人たちが整備しているのである。例えば浅間隠山は、私が知っているだけで3人ぐらいの人がいる。そのうちの1人は、山岳会に属してるわけでもないのに、 10数年も1人だけで笹を刈っていた。

 もちろん1日で終わるわけがない。毎年10日から2週間以上の日数をかけて、整備をしていた。そこが終わると、次に赤城山に行って登山道を整備するのだそうだ。終わるといっても、彼が整備するのは7号目くらいまでである。そこから先は、私が整備していた。

 ただし、最近はさぼり気味である。子供が生まれたからだ。それでも一昨年は、 1年間に20日くらい登山道を整備していたのだが、去年は4日ぐらいにまで減ってしまった。それも小浅間山しか整備しなくなってしまった。子育てが忙しくて、登山道の整備ボランティアまで手が回らないのである。あと、自分の息子が行ける山を優先するようになったということもある。真ダニの関係で藪のある山に赤ちゃんは連れて行けないからだ。

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 しかし今年は観光協会が、もっと積極的にバックアップしてくれることになった。人数を集めてくれるらしいのだ。もちろん全く集まらないかもしれない。だとしても私1人で出発するので何の問題もない。今までもそうしていたのだから。ただ今までと違うところは、ある程度の予算の裏付けがついたところだ。自腹だった草刈り機のガソリン代とか、ゴミ袋代などが支給される可能性が出てきた。本当なら、とてもありがたいことである。なので浅間高原シャクナゲ祭りが終わったら早速、動きたいと思っている。

 話は変わるが、宿屋をやって驚いた事は、道路清掃を主にやっているのが、観光関係者であるということだ。観光で外からやってきた人たちが、ゴミを道路に投げ捨てる。その後始末をするのは観光協会なのである。観光協会と言うと、何やら大きな団体のように思えるかもしれないが、その実態はペンションやレストランのオーナーたちの50軒ぐらいの父ちゃんたちである。彼らが集まって道路清掃をやるのだ。

 もちろん私も出かける。しかし、出席率はそれほど高くは無い。だから役場の職員とか、消防団とかも出てきて清掃を行う。そして、道路をきれいにするのだが、ここで問題が出てくる。そういう団体が清掃する区域は、群馬県内部に限られてしまうのだ。

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 つまり、中軽井沢から群馬県と長野県の県境までは掃除が出来ないのだ。
 そのために、その区間にゴミがとても多いのである。
 群馬県よりも長野県側の方が圧倒的にゴミが多いのはそういう理由である。

 しかし、その区間にゴミを落とす観光客の人たちは、長野県を通過して群馬県にやってくるお客さんなのだ。軽井沢の観光協会としてみたら、群馬県が掃除すべきだろうという話になってしまう。もちろん私たちもそう思っているのだが、群馬県側の自治体が関わっている清掃事業だと長野県まで手が出せない状態なのだ。

 ただ、観光関係者としては、そんな事は言ってられない。いくら長野県側であっても、北軽井沢に来る玄関口が、ゴミだらけでは恥ずかしい。とてもじゃないが見て見ぬふりはできない。なので、登山道の整備にかこつけて、せめて小浅間山周辺の道路清掃だけでも、目立つようなゴミを片付けてしまおうと思っている。

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 また、浅間牧場や六里ヶ原休憩所に放置されているゴミも気になる。ゴミといってもたいしたものはないのだが、タバコの吸い殻が気になる。あそこは、小さなお子さんを芝生で遊ばせる人たちが多い。もし乳幼児が誤ってタバコの吸い殻を口に入れたら大変なことになる。なのでタバコの吸殻を無造作に捨てる人を見ると、無性に腹が立ってくる。

 別に注意はしないけれど、昨日は、若い観光客がぽいと捨てられた吸殻をすぐに拾った。嫌そうな顔をされてしまったが、タバコの吸い殻は他のゴミと違って毒性が高いことをわかってもらいたい。野生動物が食べないとも限らないのだ。釧路湿原では、原因不明で死んでしまったツルの胃袋からタバコの吸い殻がでてきた事例もある。これだけは本当にやめてもらいたい。 


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2015年05月19日

ひらがな積み木で遊ぶ2歳児の謎

早いもので、あと1週間で息子が2歳2ヶ月になる。宿屋をやっていて良かったなぁと思う事は、息子と同じ位の2歳位のお子さんを連れたご家族が泊まりに来ることである。私は、宿屋のオーナーとして、そういうご家族を、いろいろ観察することができる。それが非常にありがたい。

 息子が2歳0ヶ月になったときに、ひらがなを覚えさせる実験をした事は前に述べた。ひらがな積み木を使った。ひらがな積み木とは、表にリンゴの絵が描いてあり、その裏に「り」という文字が書いてある積み木である。まず、りんごの絵を見せて、「りんご」と言わせる。これを50音全部言わせる。1週間ぐらいで、すべてマスターする。その後に「り」の字を見せて「りんごのり」と教えるのだ。りんごを連想させて、「り」の字を記憶させる。これを毎日朝に30分、夕方に30分ぐらい遊びながらやれば、1週間ぐらいで、ひらがなをマスターするのである。

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 この方法を使えば、カタカナや数字も2週間くらいでマスターすると思われる。つまり、 2歳児ならば2か月もあれば、ひらがな、カタカナ、数字をすべて覚えられると言うことだ。ただし、忘れるのも早い。実は、これらの言葉を早く覚えさせても、あまり意味は無いらしい。

 2歳で覚えても、 3歳で覚えても、 4歳で覚えても、その後の成長に大した影響を受けないらしい。というのも、幼児は 3歳になる以前の記憶をすべて忘れてしまう傾向にあるからだ。まだ前頭葉が完全に発達してないからだと言われている。

 なので、ひらがなを覚えさせることをやめてしまった。

 何年か前に読んだ脳科学の本では、 2歳でひらがなを覚えさせても、 4歳になってからひらがなを覚えさせても、その後の学力に変化がないことが書いてあったからだ。だから、ゆっくり文字を覚えさせることにしたのである。

 あまりにも早く勉強さすことの害毒を
 私は自分の体験から知っている。
 勉強は、ゆっくりでいいのである。
 今はひたすら野山で遊んでもらった方が良い。

 そう考えていた。

 言葉よりも、もっと大切なものがあるからだ。
 それは心と体の健康である。
 そう思って、文字の勉強やめさせてしまった。

 ところがである。
 皮肉なもので、そうは問屋がおろさなかった。

 息子が朝起きると、どどどどと、ひらがな積み木のところに走っていくのである。そして、それを手に取って私のところにやってくるのだ。そして、私にひらがな積み木を差し出すのである。私が勉強やめさそうとしても、息子の方でそれを許さないのだ。

 しかし息子が「勉強好き」という事は絶対にありえない。
 私の遺伝子を受け継いでいる限りは、ありえない。
 それは保証できる。
 ではなぜか?
 考えられることとして、
「息子は、親子で共同作業(ゲーム)をしたがっている」
 と、言う見方をした方が自然である。
 でないと、あれほど喜んで、ひらがな積み木を持ってくる理由がわからない。

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 そもそも 2歳になる以前に、ひらがな積み木を渡したとしても、勉強する気配はなかったと思う。それを使って 1人遊びをした可能性が高い。積み木を放り投げたり、破壊したりする行動をとった可能性が高いのだ。現に、絵本を与えても破り捨てることが多かった。

 ところが、 2歳になると同時に、 1人遊びではなく、親とゲームをする方を選ぶようになってきた。ひらがなを覚えるための絵本を与えても、親に渡して、ゲームをするように要求してくる。ひらがな積み木も、一人で放り投げる遊びよりも、親との共同作業をしたがる。親が積み木を使ってクイズする方を喜ぶ。

 もちろん、親と一緒に積み木を組み立てるのも大好きなのだが、ひらがなを当てるゲームの方を、より喜ぶようになってきた。積み木による親子の共同作業よりも、積み木による親子のコミュニケーションの方を好むようになってきたのだ。

 長い話をしてしまったが、ここから本題に入りたい。
 何を隠そう私は宿屋をやっている。

 なので息子のおもちゃの1部をロビーに置いておいた。もちろんひらがな積み木も置いてある。当然のことながら、それを使って親子で遊ぶお客さんたちも多い。 2歳児のお父さんお母さんに多いようだ。他にもおもちゃはあるのだが、どういうわけかお父さんお母さんは、ひらがな積み木を選ぶのである。まず、このことに驚いた。

 私が見たところ、旅先で勉強させたくて、ひらがな積み木を選んでいるのではなさそうだ。本能的に、 2歳児のお子さんが、それを喜ぶ事を知っているような感じなのである。よくよく聞いてみると、お父さんお母さんたちも、幼児の頃にひらがな積み木で遊んだ記憶があるらしい。その潜在意識が蘇って、 2歳児のお子さんと一緒にゲームをするようなのだ。

 もちろんひらがな積み木で遊ぶ2歳児のお子さんには、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいたりもする。そのお兄ちゃんお姉ちゃんたちは、傍目で見ていてもコミニケーション能力が高いのである。もちろん、私が接した親子のお客さんの数は少ないので、統計のサンプルとしては不十分かもしれないが、 2歳児のお子さんと親子でひらがな積み木で遊ぶ家のお兄ちゃんお姉ちゃんは、挨拶もよくできるし、空気を読む能力が高いように思う。そして礼儀正しいのだ。

 それを考えると、2歳児が親と一緒に、ひらがな積み木でひらがなを覚えるように遊ぶ行為は、ひらがなを覚えることよりも、親子でゲームすることに重要な意味があるのではないだろうか? 親とゲームをすることによって、コミニケーション能力を高めていく。そこが重要なのかもしれない。文字を覚えるのは、その副産物であって、本当に大切なことは、親とコミュニケーションの練習をすることなのかもしれない。

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 そう考えると、どうしても子犬の成長段階のことを思い出してしまう。生後2ヶ月の子犬も、飼い主とゲームをするか否かによって、その後の成長に大きく変化が出てしまうからである。現に、私は愛犬コロを生後2ヶ月から、庭先にはなして盛んにゲームを行った。おかげで、ろくに躾もしてないのにアイコンタクトで、ある程度のコミニケーションを取れるようになった。

 うちの犬は、どのドッグランに行っても、いちばんよく走るし放置すれば1時間でも2時間でも走っているのだが、帰るそぶりを見せると、素直に一緒に帰ってくれる。まぁ犬種の違いもあるのだろうが、同じ犬種でも飼い主の言うことを聞かない犬もいるので、やはり子犬の頃に、一緒になってゲームをしたのが大きかったと思うのだ。

 まあ、それはどうでもいいとして、2歳児にとって、このうえなく楽しいこと。そして必要なことは、親子でゲームすることかもしれない。その親子によるゲームによって、人格が形成される可能性が高いのではないだろうか? それが、たまたま「ひらがな」の暗記に繋がっているのかもしれない。

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 そういう意味では、小さい頃から絵本の読み聞かせをすることは、大切なのかも知れない。子供は、必ずしも読書好きにならないかもしれないが、絵本の読み聞かせをすることによって、コミュニケーション能力が高まる可能性がある。その後の子供の人生を変えるかもしれないのだ。

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posted by マネージャー at 23:48| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

二人の牢名主さん

 70歳前後の人がバイクに乗ってやってきた。そして昨日一昨日と、うちの宿に泊まっていったのだが、聞くと、これから2ヶ月間にわたって全国を旅するのだそうだ。とはいうものの、独身の男性というわけではなく、毎晩奥さんに長い電話をかけていたからかなりの愛妻家の様に思える。 40代のお子さんもおられるようだ。そこで何気なく見ると、テント装備をバイクにくくりつけてあった。青春しているなぁと感心してしまった。

 最近、こういう人が多くなってきた。 70歳位のライダーさん、またはドライバーさんで、全国を旅する人たちが、何気に多くなってきた。彼らに共通するところは、元気なところだ。顔色が実にいい。そして若々しい。だからつい、同世代くらいの感覚で話をしてしまうのだが、実際は20歳ぐらい年上なのだ。それを全く感じさせないところがすごい。痴ほう症とか、老人特有の病に無縁な存在に見えてしまう。

 無計画に旅をしているところもすごい。うちの宿にも当日の3時頃に予約を入れてきている。若い人たちよりも元気かもしれない。もちろん夜のお茶会にも出てくる。一緒に酒を飲んで語り合うわけだが、翌朝は、早起きして準備をしているから感心する。ちなみに私は、朝5時に起きて、愛犬コロを小浅間山に散歩に連れて行くのが日課である。自慢じゃないが、かなりの早起きだ。その私が、感心するのだから、お客さんも相当な早起きである。

 こういうお客さんたちを見ていると、今から30年前のことを思い出してしまう。実は、 30年くらい前のユースホステルは、こういうお客さんばっかりだったのだ。特に北海道などでは、若者たちが朝の夜4時ぐらいに起きて日の出を見ていた。北海道の日の出は早いのだ。もちろん、みんな計画など建てていない。無計画にあちこちを旅していた。

 と言うより、当時はインターネットがなかったので、宿がインターネットの代わりをしていた。だから、計画は宿にチェックインしてから立てたのである。宿には牢名主のような人たちがいた。牢名主といっても、怖い人たちではなく、その土地のことをよく知らない人たちに、旅のアドバイスをしてくれる人たちである。今で言うインターネットみたいなものだ。

 もちろん複数の牢名主がいる。鉄道に詳しい者や、写真の撮影スポットに詳しい者や、レストランに詳しい者や、美しい風景に詳しい者など、それぞれに得意分野があって、分野ごとに牢名主たちがいた。そして、電話帳ほどの分厚い鉄道時刻表で列車の乗り換えをアドバイスしてくれたり、登山道のコースタイムやクマ情報をアドバイスしてくれる人たちがいたのだ。と言うと「オタク」な人たちのように聞こえるかもしれないが、そんなレベルではなかった。インターネットそのものだったのだ。

 ここで私の昔の体験を話してみたい。
 35年くらい前に出会った牢名主(インターネット)の話である。

 当時、私が、まだ20歳位の頃の話である。小さな漁村にあるユースホステルに泊まっていたときのことだ。どういうわけか、私は、その宿に何連泊もしている牢名主に気に入られてしまった。そして、「一緒についてくるか? 」と言ってきたのである。

 他のお客さんたちは、偶然に泊まり合わせた、一人旅のお客さん同士でグループを作ってどこかに出ていった。車を持っている人が、そうでないとい人を誘って遊びに行くのだ。もちろん女の子をのせたいのが世の常である。だから車に乗れる人数の関係で、私は1人だけポツンと取り残されてしまった。そのために牢名主さんに目を付けられてしまったのかもしれない。私に「一緒についてくるか? 」と言ってきたのである。

 今から思えば、恐ろしいことなのだが、
 どんな人かもわからない牢名主さんに
 私は一緒に出かけていってしまった。
 
 ちなみに牢名主さんは、車を持っていなかった。だから歩いて、どこかに行くのかなぁと思っていたら、驚いたことに近くの漁師の家に入っていって、何やら挨拶をした後に、漁師の家から軽トラを借りてしまった。そして、その軽トラで私と一緒に観光旅行を始めてしまったのだ。

 そして昼の12時くらいになると、先程の漁師の家にまた戻った。
 すると昼ご飯ができていた。

 といっても農家のおじさんが、ご馳走してくれたわけではなくて、当時の金額で1000円で豪勢な料理を作ってくれていたのである。つまり、 2人分の昼飯代に2,000円払うことによって、昼飯と軽トラのレンタルをしたのである。私はたったの1,000円で、あちこち見学してまわれた上に、食べ切れないほどの魚料理を味わったわけである。

 牢名主さんは、そこの漁師の家主さんと、かなり仲が良いように見えた。時々 、その家にアルバイトに行っているとも聞いた。といっても漁師のアルバイトではなく、田植えとか稲刈りのアルバイトである。

「お前もするか?」

と言われた。私が愛想笑いをしながら曖昧な返事をしていると、どういうわけか2人して稲刈りのアルバイトをすることで決まってしまい、午後から稲刈りが始まってしまった。それはもう重労働だったが、途中で海に沈む夕日がとてもきれいだった。おまけに1,000円分の昼飯代と軽トラレンタル代が、それでチャラになった上に、いろいろな魚介類をお土産にもらった。

 魚介類をもらっても、旅の途中であるから、持って帰るわけにはいかない。仕方がないので宿泊していたユースホステルに寄付した。それで終わるかと思ったら、ユースホステルの厨房の中から、別の牢名主が現れてきた。その牢名主は、「じゃあ一緒に刺身を作ろうか」と、有無を言わさずに私を厨房に引きずり込んだのである。その牢名主は、魚料理に関するスペシャリスト(板前)であった。私はそこで、またもや貴重な体験をすることになる。 30年前のユースホステルには、このような不思議な人たちが少なからずいた。あれはとても不思議な空間だったと思う。

 ちなみに、 ひととおりの魚料理を作り終えた頃に、他のお客さんたちが帰ってきた。自家用車に一人旅をしていた女の子達を乗せて遊びに行ってたグループの人たちが帰ってきたのだ。どういうわけか、その人たちに魚料理を、私が振舞うことになってしまっていた。

 しかもさっきまで一緒に作っていた牢名主さんは消えてしまっていた。
 一緒に農作業をした牢名主さんも行方をくらましていた。

 そして、その夜は、私が主役のような感じで、みんなからちやほやされたのだが、消えてしまった牢名主さんたちが、気になって気が気ではなかった。なんとなく居心地が悪くなって、私はふらりと、外に出て星を見上げた。すると、
「魚うまかったか? 」
と声がした。振り返るとユースホステルの屋根の上に、 2人の牢名主さんたちが寝そべって夜空を見上げていた。あの人たちは、いったい何者だったのだろうか? 残念なことに、私は彼らの名前をどうしても思い出せない。もし、まだ生きていれば、昨日泊まったバイクで2ヶ月旅する人の年齢くらいだろうか?


つづく。

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2015年05月17日

浅間高原シャクナゲ園の開花情報

今年は花が早い。とてつもなく早い。浅間高原シャクナゲ園の花は、今週がピークを迎えそうだ。こんなに早く咲くのは、開園以来初めてでは無いだろうか? もしシャクナゲ園に興味のある方がおられたら、今週中に来た方が良いと思う。といっても次の土曜日は、もはやピークを迎えた後だろうと思う。ただし、北軽井沢ブルーベリーにお泊まりのお客さんに限っては、別の場所ではあるが、シャクナゲの自生地をこっそり教えることができる。また、シャクナゲ園には、シャクナゲの苗が売っている。小さなものなら1,000円くらいで買えるので、それを手に入れるのが目的であれば、 行く価値があると思う。普通ならば 1,000円でシャクナゲの苗を買うことなんかできないのだから。

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つづく。

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2015年05月15日

四阿山の山麓ハイキング(的岩と花童子宮)

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四阿山の山麓をハイキングしました。
非常に貴重な柱状節理の的岩と花童子宮跡を巡るルートです。

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このルートは行政的には嬬恋村にあるのですが、必然的に嬬恋村が登山道を整備するのが本筋です。ところが、嬬恋村が整備をするたびに、旧真田町の人たちが、感謝のお礼を言ってくることが多かったと聞いています。四阿山は、旧真田町の人たちにとっては、非常に大切な山だったようです。元々嬬恋村は、真田一族が大半を占める村でした。その真田1族は修験道と関わり深い1族であったようです。立川文庫の真田10勇士を読めばわかりますが、 10勇士全員が、修験道と関わりを持つ地域の生まれです。その代表的な存在が猿飛佐助であり、猿飛佐助の本拠地が鳥居峠と言われています。それが史実であるかどうかは別にして、鳥居峠が、真田1族にとって非常に重要な場所であった事は確かなようです。

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これが的岩です。古来日本人は、このような巨石に神が宿ると信じられていました。そしてこの巨石から霊力を引き出して、自分の力として利用したと言われています。それが本当かどうかは別としても、当時の人間はそれを信じて全国の山伏たちが四阿山に登りました。当然のことながら、途中の花童子宮という神社を通過します。そこには猿飛佐助のようなものが常駐していますから、全国から情報がそこに集まります。つまり四阿山は、 真田1族にとってのCIAの本部のような存在であったかもしれません。

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これが花童子宮という神社の跡地です。今から15年前に、ここに訪れた時は、もう少しマシでした。神社の礎石や石垣がきちんと残っていました。しかし現在は、廃墟を通り越して、石垣の後さえ残っていません。非常に残念ではあります。このような文化財は本気で守ろうとしないと、たかだか15年で痕跡さえも失ってしまうということに驚かざるをえません。

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 関係ないですが、真田10勇士を読むと、ついニヤニヤしてしまいます。嬬恋村から真田町のあたりの地名が、大量に出てくるからです。地元民でないと分からないような話もたくさん出てきます。しかし、私が子供の頃、さっぱり分かりませんでした。新潟県の出身だからです。あの話は、嬬恋村や真田町の人間でないとわからない話がたくさん出てくるから厄介です。いつかそれについて、お話ししたいと思います。

つづく。

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posted by マネージャー at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月13日

もうすぐ浅間高原シャクナゲ園のシャクナゲ祭りが始まる

もうすぐ浅間高原シャクナゲ園のシャクナゲ祭りが始まる。明日の朝から、私は準備に駆り出される。ちなみに今年のシャクナゲは、まぁまぁの出来具合である。現在のところは3分咲。いつもの年寄りも開花が早い。なので今週末が見頃だと思う。その次の週になると、ちょっと遅いかもしれない。ましてや6月からになってでは、もう花が咲いてない可能性も高い。

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もし浅間高原シャクナゲ園に来るのであれば、早い方が良いと思う。料金は300円だが、北軽井沢ブルーベリーにお泊まりのお客さんには、無料券を差し上げている。なので1円もかからない。

また、電車バスなどで来られるお客様に関しては、シャクナゲ祭りの間は、うちの方で送迎をしている。遠慮なく申し出てほしい。

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つづく。

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posted by マネージャー at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月12日

岩櫃山ハイキング報告

岩櫃山ハイキング報告

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今回のメンバー。

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岩櫃山は標高802.6m。ぐんま百名山の一つで吾妻八景を代表する景勝地として知られています。南面は約200メートルの絶壁。奇岩、怪石からなる切り立った山容は、妙義山そっくりですが、妙義山ほど難易度は高くありません。山頂からの眺望はすばらしく、眼下には東吾妻町や中之条町の市街地、眼前には上州の山々が広がり、晴れた日には遠く富士山も望めます。新緑と紅葉のシーズンには多くのハイカーでにぎわいます。ここには、岩櫃城があり、西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山で天然の要害となっています。

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つづく。

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posted by マネージャー at 23:12| Comment(8) | TrackBack(0) | 東吾妻町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月11日

鼻曲山ハイキング報告です。

鼻曲山ハイキング報告です。

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参加メンバーです。今回は7人プラス、スタッフの土井君の計8人。愛娘のアキナちゃんは、お留守番です。ところでゴールデンウィークともなると関西より西からの参加が多いですね。

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美味しそうな道を歩きます。

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途中は、ツリーハウス天国

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キツツキの跡

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カモシカたちの跡

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コガラの出迎え。ホオジロなんかもいました。

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頂上です。

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さて下山。

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お疲れ様でした。

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つづく。

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posted by マネージャー at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 北軽−鼻曲山・満天山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月10日

平仮名を覚え、愛犬に嫉妬しだした2歳1ヶ月の息子

 息子も2歳1カ月となった。相変わらず日常会話はできない。同じ2歳1ヶ月の女の子は、「たけるくん今日は」と挨拶ができるし、「たけるくんかわいい」と目から目線でものを言うこともできる。しかし、うちの息子は、相変わらず奇声を発している。いろいろなお母さんに聞いてみると、男の子はたいていこんなものってあるらしい。しかし、女の子となると、早い人になると 1歳位から会話をするようになる。もちろん、うちの息子も、ジャンプとか、バイバイとか、いちごとか、りんごとか、いろいろな単語を言う事は出来る。しかし、他人と会話ができるレベルでは無い。

けれど、同じ2歳1ヶ月の女の子は会話ができるのだ。どうして男の子と女の子では、このような差が出るのであろうか? 先日、三つ子ちゃんを育てたお母さんが泊まりに来た。 3卵性なので、男の子が2人、女の子が1人の三つ子ちゃんだ。聞いてみたら、やはり女の子の方が成長が早かったらしい。こちらでも女の子の方が成長が早かったらしい。

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 ところで、 2歳1ヶ月になった息子に対して、ちょっとした実験をしてみた。ひらがなを教えてみたのだ。結論から言うと、約2週間ぐらいで8割のひらがなを理解するようになった。なぜ8割かというと、ひらがなの中に好きなものと嫌いなものがあるからだ。

 たとえば、りんごの「り」の文字は大好きである。もちろんりんごが大好物だからだ。しかし、ラクダの「ら」は、覚えてもすぐ忘れてしまう。それもそうだろう。彼はラクダなど見たことがない。想像もつかないものに対して興味を持てないのは当たり前である。しかし、みかんが大好きであるから「み」の文字は、すぐに覚えて忘れない。そのために8割は覚えることができるのだが、あとの2割は覚えても、いつの間にか脳の中から消えてしまうらしい。

 さて、どうやって2週間で、ひらがなの8割を覚えさせたかと言うと、種を明かせば「なーんだ」と言うことになる。みなさんも受験勉強でやったことがあると思うが、連想記憶術で英単語を覚える。その方法を、そのまま応用すれば、どんなお子さんも2週間ぐらいで、ひらがなを覚えてしまうと思う。嘘だと思うかもしれないが、 2歳児のお子さんを持つ親御さんは、ぜひやってみていただきたい。ろくに言葉を話せない、うちの息子ができるのである。女の子ならあっという間に覚えてしまうと思う。

 ただし道具が必要である。ひらがな積み木を用意する必要がある。ひらがな積み木とは、表にリンゴの絵が描いてあり、その裏に「り」という文字が書いてある積み木である。まず、りんごの絵を見せて、「りんご」と言わせる。これを50音全部言わせる。 1週間ぐらいで、すべてマスターする。その後に「り」の字を見せて「りんごのり」と教えるのだ。りんごを連想させて、「り」の字を記憶させる。これを毎日朝に30分、夕方に30分ぐらい遊びながらやれば、1週間ぐらいで、ひらがなをマスターするのである。この方法を使えば、カタカナや数字も2週間くらいでマスターすると思われる。つまり、 2歳時ならば2か月もあれば、ひらがな、カタカナ、数字をすべて覚えられると言うことだ。

 ただし、これらの言葉を早く覚えさせても、あまり意味は無いらしい。 2歳で覚えても、 3歳で覚えても、 4歳で覚えても、その後の成長に大した影響を受けないらしい。というのも、幼児は 3歳になる以前の記憶をすべて忘れてしまう傾向にあるからだ。まだ前頭葉が完全に発達してないからだと言われている。まぁこの辺は、子供によって個人差があるのでなんとも言えないだろうが、うちの息子には、もっとゆっくりと言葉を教えることにすることに決めた。

 言葉よりも、もっと大切なものがあるからだ。
 それは優しさである。

 先日、 2歳7ヶ月のお子さんを連れてきたお客さんが泊まったのだが、その2歳7ヶ月のお子さんは、とても優しい子供さんだった。うちの息子よりも、ずっと優しさに溢れていた。人に気遣うのである。お菓子をもらっても、自分だけが食べようとせずに、大人達に配ろうとする。

 こういうところは私の息子には無い。

 いったいなぜだろうと考えてみたのだが、そのお子さんには、妹さんがいた。2歳7ヶ月で、妹さんを思いやれるようになるものだろうか? この辺は非常に疑問なのだが、現実問題として、周りを見ながら人を気遣う2歳7ヶ月のお子さんがいるのである。やはり妹さんが生まれた影響があったのだろうか?

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 お父さんに聞いてみたら、妹さんが生まれてから明らかに変化があったらしい。やたらとダッコを求めるようになり、親に甘えるようになったらしい。お父さんは、そのように言っていたが、本当にそれだけだろうか?と思っている。

 その子が心優しいのは、お父さんやお母さんが、生まれたばかりの小さな妹さんを気遣うのを観察することによって、人を気遣うことを子供ながらに体で覚えたのではないかと思えてならない。子供は何でも真似をするからだ。小さな妹さんを気遣うお父さんお母さんを見ていたら、本人も知らず知らずに、人に気遣う人間になったのではないかと思わざるを得ない。

 これについては私にも心当たりがある。

 息子が2歳になった頃を境に、息子に大きな変化が起きていた。それは愛犬コロと一緒に山中の無人の林道を散歩しているときだった。愛犬コロを自由に走らせて、そして「おいで」と呼びつける。愛犬コロは、しっぽを振りながら私のところに走ってくるのである。そして走ってきて私の前でお座りをすると、よしよしと頭を撫でてあげたりした。そんな時、昔だったら息子は大喜びで、愛犬コロを迎え入れていた。

 ところが、 2歳を超える頃から様子が違ってきていた。愛犬コロが私のところに走ってくると、息子がブロックするのである。愛犬コロに嫉妬するようになったのだ。息子は、ペットの犬をなぜなぜすると、不機嫌になる。まぁこれは、十分に分想定していたことなのだが、まさか2歳という早さで、愛犬に嫉妬されるとは思ってもいなかった。

 問題はここからである。

 うちの息子は、お客さんの息子さんほど優しくないのは、私が愛犬コロに対して、あまり気遣いがないからなのかもしれない。もし私が気遣いを持って、愛犬に対応していたら、それを見て学習するだろうから、息子はもっと優しい気持ちになっていたと思う。これは私の日頃の行いが招いた天罰だったのかもしれない。しかし、犬に気遣うのと、赤ちゃんに気遣うのでは、大違いであるから、やはり環境の違いは大きいかもしれない。

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つづく。


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2015年05月09日

久しぶりに火山体験プログラム 昼寝に最適な穴場紹介

久しぶりに火山体験プログラムを行いました。
参加者は、3つ子ちゃんの御両親(お子さんは学校で今回は不参加)と
二歳児ののぞみ君と、その御両親。
あと、うちの息子(2歳1ヶ月)も参加です。

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まず最初に六里ヶ原で火砕流と植生、そして高山植物の解説。
みんなで記念撮影しようと思いましたが、
二歳児が、言うことを聞いてくれるわけがない。

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次に溶岩樹形の解説ですが、解説中に2歳児が芝生で大喜び。
まるで活火山のようでした。

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その後は、東大地震研究所と小浅間山を見学。
そして、移動。
さて質問です。
下の写真を見てください。
ここはどこでしょう?

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一面の芝生で、眼下に鬼押し出し。
子供たちも芝生で転げ回り大喜びですが、
実は、旧火山博物館廃墟跡地です。

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ここはザ・穴場です。
すばらしい眺めに、何時間いても飽きません。
もちろん昼寝に最適な場所になっています。


つづく。

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2015年05月08日

昨日は、御客様6人と、巻き寿司講習会をやりました

昨日は、御客様6人と、巻き寿司講習会をやりました。
千葉県からやってきた
3つ子ちゃんのお母さん(本物の巻き寿司の先生です)から教わりました。
3つ子ちゃんは、いま学校なので
今回は来ていません。

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知らなかったんですが、海苔巻きは千葉の郷土料理なんですね。千葉県では、アンパンマンとかクレヨンしんちゃんとか、いろんな巻き寿司があるようです。ちなみ、こういう巻き寿司は、魚を使わないので、ちいさなお子さんにも食べられますね。詳しいレシピは、あとで嫁さんがブログに公開すると思います。

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つづく。

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2015年05月06日

やっとゴールデンウィークが終わった

 やっとゴールデンウィークが終わった。今日から数日間は、御客様の人数も一挙に4〜5人に減って楽になる。今年は色々と忙しいゴールデンウィークであったが、面白い御客様がいっぱいいて楽しかった。

 前にも書いたが自転車で渋峠に行きパノラマライン全ルートを走った自転車サムライをはじめとして、高齢にもかかわらず8時間かけて夫婦で軽井沢駅から歩いてきた人もいた。あの御夫婦は、その後、うちの宿の自転車で北軽井沢を走った後に草津温泉に向かったが、もし、草津温泉に歩いて行かれたのだろうか? 逆に草津温泉から歩いてきた人もいた。7時間かかったそうである。

 かと思うと、登山三昧の御客様もいた。中には、300名山を制覇した強者もいたが、まだ雪の積もっている浅間山に登ったサムライも何人かいたようである。皆さんカモシカに出会ったようだ。残雪残る四阿山に登った人もいたようだ。

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 それから、うちの息子と遊んでくれたお子さんもたくさんいた。御両親は、最初はユースホステルのスタイルに戸惑っておられたかもしれないが、お子さん達は、すぐに順応し、御家族の壁を積極的にとりのぞいいていった。そして沢山の親友を作っていた。

 凄いなと思ったのは、10歳のスーパー歴女の女の子である。マイナーな武将の名前を知っているのは当たり前として、その幼名までマスターしているのには舌をまいた。お父さんも博識なのだが、娘さんの歴女知識にはかなわないらしい。これから、どんな大人になるのか?ちょっと興味がある。

 1歳にして言葉を話す女の子もいた。やはり女の子は成長が早いようだ。そういえば、ニュージーランドから来た女性の方がいたが、双子の兄がいたけれど、双子にもかかわらず兄が言葉を話すのは、妹より6ヶ月遅かったと言っていた。彼女は幼稚園で英語を教えているのだが、英語の理解も女の子の方が早いとのこと。

 あと面白かったことは、ゴールデンウィーク中に、うちの息子が大きく成長したことである。御客様のお子さんと遊んでもらうことにより、大人に近づいていった。例えば、自分のオモチャを、同じ年齢の女の子に譲ったり、泣いている子の頭をナデナデしてあげたりした。息子なりに、小さなお子さんに気遣うようになっていた。こう言うことは、親が教える事はできない。きっと御客様のお子さん達の善行を目撃し、自分なりに真似てみたのかもしれない。というのもゴールデンウィーク前と、ゴールデンウィーク後では、別人のようになったからである。

 やはり、子供には、よき友達が必要だ。
 そのためには、一期一会の出会いが良い。

 一瞬の出会いなら、お互いに良い人でいられる。長期に一緒なら我が儘もでようが、一期一会なら、その人の善だけを見れる。つまり人の良いところだけを吸収できる可能性が高いのだ。人は、良い思い出の数が多いほど、善人になれるものである。だから旅する事で、人の人格は磨かれるのだ。

つづく。

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posted by マネージャー at 21:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 業界裏話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月05日

本物の女子会

本物の女子会

うちの宿の庭で、連休中、何度も女子会が開催された。
女子会といっても、本物の女子会である。
平均年齢10歳前後の、可愛らしい女の子達が、
庭の花壇の前で、楽しそうにお喋りしていたのだ。
だから本物の女子の集まりである。

といっても、彼女たちは数時間前まで、お互いの存在を知らなかった他人である。
それが、たまたま泊まり会わせたご家族の娘さんたちが、
似たような年齢だったために、
いつの間にか仲良くなって、
女子会を開いていたのだ。

今年は、ゴールデンウィーク中に
チューリップと水仙が満開になっていたので、
それらの花たちの前で、
可愛らしい女の子たちが
仲良くしているのをみていると、
ほんとうに微笑ましかった。
それが本当に絵になるのだ。

そして、互いに住所も知らずに
「さよなら」と去って行くのだ。
これこそ一期一会。
一瞬の出会いに思い出をつくり
そして、それを旅先に置いていく。
これがこそが旅の醍醐味である。

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つづく。

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posted by マネージャー at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月04日

自転車に乗ったサムライ

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 今年の連休は、カレンダーが良かったためか? 天気が良かったためなのか? 4月末から、ほぼ満室記録が続いた。こういう状態だと私たちは死にそうになるのだが、そうでもなかった。原因ははっきりしている。夕食の摂取率が半分以下におちていたからである。夕食をつくるのが重労働であるために、宿屋としては楽なので非常にありがたい展開なのだが、夕食をとらない御客様は、リピートもしないので、痛し痒しというところだ。

 前置きは、このくらいにして本題に入る。

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 ゴールデンウィークの中盤のことである。5月1日の夕方17時頃に飛び込みの御客様がやってきた。その日は、ほぼ満室であったが、奇跡的に1ベットだけ空いていた。大急ぎでベットメイクして受け入れた。夕食も希望されたが、それも間に合った。この日は、6人しか夕食を食べる人がいなかったので、余裕があったので、なんとかなったのだ。

 で、飛び込みの御客様であるが、驚くことに荷物を持っていなかった。財布と携帯ぐらいしか持っていなかった。チャリダーであった。身体にピッタリひっつくような自転車用のウエアで来ていた。その御客様は、チェックインしたあとに自転車でコンビニに生活のために必要な物を買い物に行った。言っておくが、うちの宿は、自慢じゃないがアメニティは完備している。空荷できても泊まれる宿なのだ。にもかかわらずコンビニ行ってしまわけた。本当に何も持っていなかったのだ。

 もちろん食事の後の星空温泉ツアーにも参加した。その時に、おそるおそる聞いてみた。

「どんな旅をしてるんですか?」
「自転車です」
「東京からですか?」
「長野原草津口まで電車を使ってやってきました。それから自転車で草津に行き、志賀高原の渋峠に行ってきました」
「渋峠?!」

 私は、若い頃に自転車で全国を回ったことがあるし、大型台風の中、ママチャリで東海道五十三次を3日で走ったこともある。だから大抵のことには驚かない。その私が渋峠と聞いて驚いた。

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええ? 渋峠? まだ雪でしょう?」
「雪の壁を見たくて、ふらりと旅に出たんです」
「壁はありましたか?」
「ありました」
「・・・・」
「で、日帰りで帰えろうかと思ったのですが、天気が良かったので、パノラマライン北ルートを回って、鳥井峠から、パノラマライン南ルートを回ったんです」
「はあああああああああああああああああああああああああああ?」
「で、力尽きたときに、北軽井沢ブルーベリーYGHの看板を見つけました」
「・・・・」

 どうりで何も宿泊セットを持ってなかったわけである。彼は、日帰りのつもりで、渋峠まで登って、パノラマライン全ルートを走って、軽井沢駅に向かうつもりだったのだ。しかし力尽きたらしい。たまたま北軽井沢ブルーベリーYGHが空いていたけれど、もし満室だったらどうしたのだろうか? 恐ろしい。

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 こんな事を、インターネットに書いていて申し訳ないのだが、もし私が、ネットで以上の書き込みを見ても信じないかもしれない。ありえない苦行だからだ。2ちゃんねるならネタ扱いされるだろう。けれど、事実は小説より奇なり。事実は2ちゃんねるより奇なり。世の中には科学で割り切れない事がたくさんある。いかも彼は、かなり無口で私が聞き出さなければ、何も語らなかった可能性が高いのだ。

 私は久々にサムライを見た気がした。
 彼を自転車サムライと呼びたい。

 で、思ったのだが、今後、こういうサムライが現れたら、記念品を差し上げようかと考えている。金は高いので、純銀のバッチとか、鉄人湯飲みとか、超人手形とか、何か良いアイデアはないだろうか?

つづく。

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posted by マネージャー at 19:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 業界裏話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月03日

昭和は、遠くになりにけり

 私が宿をオープンさせた2000年、ファミリーの御客様は少なかった。ひとり旅の御客さんの9割は学生さんだった。当然のことながらファミリーの方が年齢は高い。ひとり旅の御客さんの7割は、学生さんなのだからひとり旅の御客さんよりファミリーの方が高齢なのは当然のことなのである。

 そして今年は2015年。あれから15年たったわけだが、御客様の層はガラリと変わった。まず一人旅の御客さんが減ってファミリーが増えた。昔、学生さんだったリピーターの皆さんの多くは結婚し、家族になったわけだから当然と言えば当然であるが、うちに息子が生まれて、このブログに育児日記を書き始めてから、息子と同じ年齢の御客さんが激増した。

 ここまではいい。

 問題は、そのファミリーの御客様の中に、平成生まれのお父さん、平成生まれのお母さんが増えたことである。当然のことながら当宿の御客様の年齢層がガクッと下がった。そして一人旅の御客様の方が高齢という逆転現象がおきたのだ。昭和生まれの一人旅。平成生まれのファミリーの御客様。うちのオープン当初を考えると信じられない逆転現象である。

 しかし、よくよく考えてみれば、今年は平成27年なのである。
 ファミリーの主役が平成生まれが中心になってもおかしくないのだ。
 いや、もう既に移行しつつあるのかもしれない。
 時代は大きく変わりつつある。
 昭和は、ますます遠くになってきている。

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つづく。

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posted by マネージャー at 14:39| Comment(9) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月02日

保育士の才能 親の才能

 今年のゴールデンウィークは御客さんが多い。実は、このゴールデンウィーク中にロシア人というニックネームのヘルパー(ボランティア)さんが来ているのだが、彼は恐るべき才能を発揮している。2歳1ヶ月になったばかりの息子と3分もかからずに親友になってしまっているのだ。

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 そもそも幼児というやつは、大人と子供を峻別する。はっきり区別して、それぞれ別の対応をするのだが、大人に対しては見えないバリヤーを張る。ところがロシア人(ニックネーム)に対してはバリヤーを張らない。すんなり友人になってしまい、仲良く遊んでいるのだ。

 良い悪いは別にして、ロシア人には、殺気やオーラがない。性格(キャラクター)的に無臭なのだ。それが幼児に受けたのだろうか? 遠くから見てても二人は、数年来の親友に見える。しかし、片方は40歳前後、片方は2歳1ヶ月なのだ。どういう事なのだろうか?
 
「彼には保育士の才能がある」
 
 そう確信した。いや、父親の才能があるというべきか? 現に息子の奴は、心を許しているし、仲良く静かに遊んでいる。惜しいなあと思った。これほどの男に息子がいなのが惜しい。しかし、よく考えてみたら彼は2歳児の父親として優れているけれど、これが15歳だったらどうだろうかと考えてみたら、とてもじゃないけれど想像がつかない。
 
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 逆に考えると、2歳児の父親として、うまくなくても、
 15歳の父親としての才能がある人もいるかもしれない。
 つまりだ、父親としての全盛期は、
 人によって全て違うのかもしれないのだ。
 ある人は、息子が30歳の時に最良の父親になる場合もあるだろうし、
 ある人は、息子が10歳の時に最良の父親になる場合もあるだろう。
 ある人は、息子が45歳の時に最良の父親になる場合もあるだろう。

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 もちろん、これは母親にも言えるかもしれない。
 そう考えると、今、子育がうまくいってなくても
 悲観することはないかもしれない。
 人は、それぞれ全盛期が違っているかもしれないのだ。

 あと、これは息子・娘側にも言えることなのかもしれない。
 自分の父母の輝きが最高になるのは、
 ひょっとして、これからなのかもしれないのだ。
 未来は未知に満ちている。
 
つづく。

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posted by マネージャー at 23:21| Comment(4) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月01日

業務連絡です 5月4日・5月5日にキャンセル出ました

直前キャンセル出ました。
まだ宿泊の御予定のない方は、ご検討ください。

5月4日男性1名相部屋
5月5日男性1名相部屋



つづく。

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posted by マネージャー at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする