2015年06月30日

Cafe Gourmand (カフェ グルマン)

Cafe Gourmand (カフェ グルマン)

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軽井沢追分にある「千ヶ滝湯川用水温水路」を散策してきました。まるで運河ですが、非常に気持ちの良い場所です。そこに、隠れ家のようなカフェがありました。Cafe Gourmand (カフェ グルマン)です。

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このカフェは、元サラリーマンのオーナーが三年かけて建築したドームハウスで、千ヶ滝湯川用水温水路がよく見えます。もちろん浅間山もよく見えます。ロケーションは最高です。

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ドームハウスの中はこんな感じです。
かなり手作りな感じが出ていました。

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もちろんコーヒーなどの飲み物を頼んでもいいのですが、
ここの名物は、クレープとガレットなので、それを注文してみました。

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これはカブのスープに、ガレットとハーブのサラダ。
息子が、このスープをいたく気に入ったようで、ほとんど全部飲まれてしまった。

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これはサーモンのガレット。
サーモンを折りたたんで焼いています。

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これはキャラメルとアイスのクレープ。
ガレットもクレープも薄く硬めに焼いてありました。

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http://www.facebook.com/CafeGourmand2012



長野県北佐久郡御代田町御代田4108-1902
TEL 0267-31-6554

しなの鉄道御代田駅より徒歩20分
御代田駅から徒歩30分

営業時間 11:00〜18:00
不定休
駐車場12台


つづく。

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2015年06月29日

軽井沢町の運河を散策?(千ヶ滝湯川用水温水路)

軽井沢町追分にある「千ヶ滝湯川用水温水路」を散策してきました。

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まるで運河です。

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延長934メートル、幅20メートル、水深20センチメートル、勾配2000分の1の水路です。この水路は、日当たりの良い場所に傾斜が小さく、できるだけ水路幅を広くするとともにで水深を浅くした構造により、太陽光によって水温を上げようというものです。この温水路により水源で13.2度だった水が、1.5度上昇し、その他の水路での上昇も含め、水田の水温は18.2度となり、冷害を受けない水稲栽培が可能となりました。その結果、軽井沢町、御代田町、小諸市及び佐久市の約500ヘクタールの農地を潤すことになりました。

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この後、水路のほとりにある隠れ家的なカフェで食事をしましたが、詳しくは後日報告。

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つづく。

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2015年06月28日

大坂から北陸新幹線で軽井沢に来ると安いらしい・・・・

 最近やたらと、大阪方面から来るお客さんが多いかと思ったら、原因は北陸新幹線であった。なぜ北陸新幹線が開通すると大阪からのお客さんが多くなるかと言うと、そこに鉄道のマジックが存在したのである。

 私は鉄道オタクではないので、その方面の知識は無いのであるが、特急券と新幹線のチケットをあわせて買うと割引がされるらしい。つまり大阪から金沢まで特急のチケットを取り、金沢から軽井沢まで新幹線のチケットを取ると割引が適用されるのである。東京経由で新幹線で来るよりはるかに安いらしい。おまけに、線路の距離が600キロを超えると遠距離割引が適用されるらしくて、大阪からちょっと遠いぐらいの駅から軽井沢までのチケットを買うと、またさらに割引率が良くなるらしい。どうりで大阪方面からのお客さんが多いと思った次第である。そして、それらのお客さんの多くは鉄道趣味にしている人たちであった。

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 鉄道といえば、トワイライトエクスプレスがなくなって久しいが、今度は北斗星がなくなると聞いた。非常に残念である。私は鉄道の趣味はないが、昔の鉄道の旅行というものは、それは情緒深いものであった。

 昔は、冷凍みかん、プラスチックのお茶、そして駅弁。それらが、旅を盛り上げてくれたものだ。上野から夜行列車に乗って、北海道に行くと、県ごとに風景や乗り降りする人たちの服装が変わってくる。それがまた旅の情緒を盛り上げる。

 12月の末ごろになると、たくさんのお土産を持った出稼ぎのお父さんたちが、ウイスキーの小瓶を片手に、ちくわの燻製なんかをほおばっている姿が見られた。 30代ぐらいの女性が編み物をしながら座席に座っている風景も美しかった。息子さんの手袋だろうか?小さな指先を一生懸命編んでる姿は、見ているだけで心が和んだものである。そしてたまに、毛糸玉がコロコロと転がり、それを拾ってあげることもしばしばあった。

 昔は鉄道移動は時間がかかった。

 夜行列車は死ぬほど退屈だから、編み物をしたり、酒をちびちび飲むしかなかったのだ。暇をもてあまして見知らぬ人と会話を楽しんだりもしたし、菓子や果物を交換したりした。今のようにノートパソコンやスマートフォンがあるわけでは無い。ウォークマンだって、それほど普及していた訳では無い。長い移動時間の間に、みんないろんなことをしていたのだが、その風景にそれぞれの人生が見えて、地域の風俗が見え隠れして、情緒があったのである。

 鉄道だって油断がならなかった。冬の夜行列車は、暖房が効きすぎて暑くて列車内では薄着をしなければいけなかった。逆に夏の夜行列車は冷房が効きすぎて、ガタガタ震えるくらいのことなど日常茶飯事であった。今と違って不便な列車ではあったが、それだけに心にしみる出来事も多かった。

 農家のおじさんに、おいしいおにぎりをたくさんご馳走になったこともあった。ユースホステルのハンドブックを読んでいたら、見知らぬ旅人に声をかけられたこともあった。それも女性からであった。今では考えられないことだが、ユースホステルのハンドブックを持っているだけで、仲間意識が生まれていた。 知らない人に声をかけることが、非常識ではなかった。それも列車の中で多かった。街中や観光地で声をかけるのは難しくとも、列車の中だと気軽に声をかけられる雰囲気があったのだ。昔の列車にはそういう魔力のようなものがあったような気がする。

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つづく。

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2015年06月27日

ガーデンカフェ フォーリア(軽井沢レイクガーデン)

ガーデンカフェ フォーリア

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1万坪のバラ園を眺める緑の中の小さなカフェですが、売店もあるので、中に入って眺めるだけなら無料です。目印は石造りの概観。軽井沢レイクガーデンに、2011年6月に誕生したばかり。6月中旬からハイシーズンを迎えるバラは450種。800種を超える草花がつくりだす、中庭も良い感じです。

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バラの花びらのジャムがはいったソフトは400円。

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パンケーキは、950円から1400円。

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営業時間 : 10:00〜16:30(ラストオーダー 16:00)
火曜定休/冬季休業
6月下旬〜7月上旬は定休日なく営業。

無料駐車場。
テラス席ではペットも可能。
TEL:0267-48-3133
http://www.cafefoglia.com/

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つづく。

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posted by マネージャー at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 南軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月26日

今年は、バラが豊作らしいと聞いて軽井沢レイクガーデンに行ってきました!

今年は、バラが豊作らしいと聞いて軽井沢レイクガーデンに行ってきました!

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軽井沢グリーンプラザの支配人から「剪定が間に合わないくらいに凄い」と聞いていたんですが、そのとおりだったんで驚きましたね。こういう年もあるんですね。花というものは、当たり外れが大きいので驚いています。今年は、10年に一度の大当たりではないでしょうか?

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上の写真をみてください。
バラの花びらが舞い散っています。
つまり剪定と、花びらの処理が間に合ってない。
だから15人くらいの美人職人さんたちが、つねに動き回っている。

(ちなみに私はチキンなのでFM軽井沢 77.5MHさんみたいな美女職人さんの写真を撮る勇気はないので、下記サイトを参照してください)

https://www.facebook.com/karuizawa775/photos/pcb.760087177433828/760085607433985/?type=1&theater

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このあと、バラの花びらジャムのソフトを食べたんですが美味しかった。
続きは、後日アップします。


つづく。

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posted by マネージャー at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 南軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月25日

松浦武四郎と知床日誌と佐渡日誌

 昨日は、松浦武四郎がテレビの番組で紹介されていた。
 私が知る限り、史上初ではなかったかと思う。
 これほどの人が、今まで紹介されてなかったというのは信じがたいことである。

 松浦武四郎のテレビ番組の中身についての是非はともかくとして、松浦武四郎と私は、少なからず縁がある。あれは今から20年以上も前のことである。下手したら25年以上前のことかもしれない。私は、知床山脈を縦走しようとして、または知床半島を歩いて1周しようとして、いろいろ調べていた。

 ところが、良い資料がないのである。縦走記録として有名なのは、本田勝一の北海道探検記に縦走記録があったか、これはほとんど役に立たなかった。そもそも彼らは失敗している。他にもいろいろ資料を国会図書館で漁ってみたが、ろくなものがなかった。唯一、知床の自然と言う大型の冊子が非常に良く出来ていたが、これでさえ、実際現地に行ってみると色々違っていた。後は知床博物館や、知床自然センターなど、いろいろなところに、資料を求めてみたけれど、不正確なものも多く、なかには明らかに間違いである情報を掴まされてしまった。もうすぐ21世紀になろうとしているのに、これほどまでに知床の情報がないのは不思議としか言いようがなかった。

 そんな中で発見したのが、松浦武四郎である。松浦武四郎とは、幕末の志士であり、海防家であり、北海道の探検家でもあり、北海道の名づけ親でもあるのだが、彼の書いた知床日誌が、非常に詳しいのである。しかも不思議なことに、昭和や平成時代の資料よりも詳しかったのだ。そして驚くべきことに、ほぼ正確であったのである。それは記述だけではなく、絵図においても正確無比であった。恐ろしいほどの記憶力とデッサン力である。

 例えば知床岬に到着した時に、水がなくて困っていたのだが、そういえば松浦武四郎の知床日誌に、あのあたりに水があると書いてあったなあと、出かけてみたら本当にあったので驚いた。地元民から、いろいろ間違った情報を教えられていただけに、松浦武四郎の情報力のすごさに舌を巻いた。

 ただし、 2カ所だけ事実と違うところがあった。 1つは、地震か何かで既に崩れてしまっている場所である。これは仕方がない。もう一つは、幕末の頃には、ちょっと海にも入れば、つぶ貝がザクザク取れると書いてあったが、実際は何も取れないのである。しかし、これは松浦氏武四郎の責任ではなかったように思う。

 知床半島には漁師たちの番屋がたくさんあるのだが、いろいろなところにベタベタするものが流れていた。まるでゴキブリホイホイのように、その液体は海に流れていて、うっかり踏んでしまえば、ゴキブリのように地べたに張り付いてしまうのだが、何の物質かと思いきや、漁師網に塗りつける薬剤であった。それを網に塗りつければ、網に魚介類が付着しないようになる化学薬品であった。いわゆる環境ホルモンというやつである。環境ホルモンによって、貝類が壊滅している可能性が高い。そのせいで松浦武四郎の頃と、海の中の生態が違ってきているようなのだ。つまり、松浦武四郎の記録は、ほとんど正確無比だったということである。彼の業績は、もっと評価されても良いであろう。

 関係ないが、その後、松浦武四郎の佐渡日誌を読んでみた。私は佐渡島で生まれているので、佐渡島のことなら大抵詳しい。なので、松浦武四郎が、佐渡島のことをどのように記録しているか、興味があったのである。そして読んでみて驚いた。佐渡島歴史のを定説をひっくり返すような事実が色々と書いてあるからである。

 江戸時代において佐渡島は、内地に対して鎖国状態であったと言われている。金山経営のために、幕府が佐渡の産物をよそに流さないようにした為だと言われている。これが一般的な歴史の定説である。ところが、松浦武四郎の佐渡日誌によれば、あちこちの漁村に回船問屋がたくさんあって、旅籠もたくさんあるのである。平成時代には、人間が居なくなった漁村にも、松浦武四郎の時代には大いに栄えていて、回船問屋や旅籠が複数あったのである。もし内地に対して鎖国状態であったと言われているのなら、矛盾もいいところである。

 しかし、佐渡島の郷土史においては、松浦武四郎の記録との矛盾を研究している郷土史家たちが存在しているとは思えない。彼らは、あくまでも幕府の公式的な記録を重視しているのである。少なくとも私が調べる限りにおいては、聞いたことがない。私なら、あの正確無比な記録を書く松浦武四郎を重視しないという手はない。これから佐渡島の歴史を研究しようとする人がいるなら、その辺をつついてみると面白いものが発見できるであろう。若い研究者の諸君は、相川奉行所の公式記録よりもそちらの方が調べがいがあって面白いと思う。思わぬ発見をすること間違いないであろう。

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 もちろん佐渡日誌に限らない。彼は日本全国を旅行しているし、記録も残しているので、新しい発見が全国各地からなされるかもしれない。幕府や各藩の公式記録だけを追っていると、思わぬ落とし穴があるかもしれないのである。


つづく。

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posted by マネージャー at 07:53| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月24日

今日で登山道整備を終えた

 今日は、桟敷山、小桟敷山、角間山のルートにテープを貼ってきた。浅間高原観光協会の仲間の協力も得て3つの山の登山道をたった1日で整備できたわけだが、これには訳がある。本当は3日間かける予定だったのだが、その必要がなくなったのだ。鹿沢観光協会の人たちが、すでに整備をしていたのである。これはありがたかった。おかげでこちらは、テープを貼るだけでよかった。

浅間高原観光協会の仲間2人には、小桟敷山にテープを貼ってもらった。私は単独で桟敷山、角間山のルートにテープを貼った。その方が速度が早いからだ。草刈りをせずにテープを貼るだけなら自分1人だったらコースタイムの半分以下で登れるのである。これでやっと登山道の整備が終わった。

幸い、今日はお客さんが3人しかいなかった。しかも食事を作らなくてよかったので午後から息子の散歩に付き合った。浅間牧場をちょっとだけ歩いただけではあったが、息子は大喜びをしていた。この喜ぶ顔を見ると、もう今年の登山道整備はおしまいでいいと思ってしまった。

 もちろん、息子だけでは無い。ここ1週間は、お客さんにも寂しい思いをさせてしまったかもしれない。こちらが忙しすぎて台湾からやってきた2人のお客さんに、十分なもてなしができなかったのが心残りでもある。それから、忙しすぎて震災のお礼を言い忘れてしまったのも気がついて後悔してしまった。思わず山の中で「俺の馬鹿野郎」と怒鳴っていたが、鹿沢の人に聞かれてしまって恥ずかしい思いをしてしまった。今後はもう少し自分の宿のことを大切にしようかと思っている。

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つづく。

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2015年06月23日

なんとか鷹繋山の登山道整備が終わった

今日の午前中に、なんとか鷹繋山の登山道整備が終わった。
連日の登山道整備と雨で、
息子をずっと放置していたので。
今日は、久々に軽井沢の公園に息子を連れて行った。

久しぶりの公園に、息子の身体の動きが鈍かった。
1週間も家の中に閉じこもっていたためか、
運動不足だったようだ。

しかも御客様も絶えなかったために、
小さな6畳部屋から出られなかったのだ。
今日も、雨なのに5人の御客様がおられるので、
息子はずっとスタッフルームに引きこもっている。

御客様が、子供好きならいいのだが、
そうでない御客様も多いし、
ファミリー層以外の御客様には、息子を出しにくい。
中には非日常を楽しみにされている御客様も多いからだ。

だから運動不足になってしまった。
今週で登山道整備は、終わるので、
来週から息子を連れて一緒に山に登ろうかと考えている。

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つづく。

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2015年06月22日

今日は鷹繋山の登山道を整備した

 今日は鷹繋山の登山道を整備した。
 3年ぶりだった。
 子供が産まれてから、ずっと放置したままだった。
 この山は薮が深いために、赤ちゃんを連れて登ることができない。
 おまけに、北軽井沢ブルーベリーのツアーで行くこともほとんどない。

 危機なので、子供が産まれてからというもの登山道の整備を3年間やらなかったのだ。だから3年ぶりに訪れてみて驚いてしまった。もはや道では無い。廃道といっても間違いでは無い。薮が深くて道が見えない。本当なら、私のようなボランティアが整備する前に、長野原町が整備すべきなのだろうが、完全に見捨てられていた。そのために、ひどい薮になっていたのだ。

 1日で終わるかと思った登山道整備も、今日いちにちかかっても半分ぐらいしか終わらなかった。今回はきちんと整備するが、このままだと、もうここは廃道にするしかないのかもしれない。残念ながら、仕方ないことなのかもしれない。そもそもこの山には人が入らないのだ。人が入っていれば、もうちょっとましな登山道になっている。しかし人が入らないために、どんどん寂れていく。そして薮が深くなっていくのである。けれど、昭文社の登山地図には、きちんとルートは紹介されていてコースタイムも書かれている。そういうルートが、どんどん減っていくのは悲しいばかりである。

 昔は、 篭ノ登山から地蔵峠までのルートがあった。登山客が利用しなくなったので、今では廃道である。蛇骨岳から車坂峠までの裏コースの廃道となってしまった。鹿沢温泉から憩いの村経由で登る桟敷山へのルートも廃道となっている。角間峠から角間温泉にルートも廃道となってしまった。非常に残念である。これ以上の廃道を避けたいのだが、そのためには私の体がいくつもいる。歯がゆい思いを募らせてしまうが、どうにもならない。

 こうなったのも、ボランティアで登山道を整備してくれた人たちが、高齢化したためである。金にもならないことを、無償で行ってきた山を愛する人たちが、高齢のために動けなくなったからなのだ。高齢化社会は、こんな山奥にまでひしひしと迫ってきている。

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つづく。

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2015年06月20日

女子は恐ろしい

 女子は恐ろしい。
 これは結婚してからわかった。

 その昔、私が高校生だった頃に統一劇場という劇団が、新潟県にやってきたことがある。それを学校全体で見ることになった。題名は結婚と言う題名で脚本はフーテンの寅さんの山田洋次だった。山田洋次の脚本だから、非常にワンパターンなドラマである。

 校長先生の娘と、マグロ漁船の船員が、結婚しようとするのだが、校長先生はそれを許さない。もちろん校長先生の親族一同も許さない。マグロ漁船の船乗りなんかに娘をやれないと言うのである。しかし、2人は家族の反対親戚の反対も押し切って結婚しようとする。それを家族や親戚が嫌がらせをしたり嫌味を言ったりするのだ。結局校長先生は、自分の間違いを認めて 2人の結婚を祝福することになる。家族や親戚の人たちも、さっきまで言ってた嫌味を忘れて、みんなで祝福してしまう。そーゆーハッピーエンドな、典型的なよくあるホームドラマであった。

 さて、この典型的なホームドラマのような芝居を高校時代に私は見ることを強要されたのだが、芝居を見ている途中に、すごいことが起きてしまった。意地悪な親戚が、主人公やヒロインをいじめるたびに、客席の高校生たちが、
「ひっこめババア」
「ふざけんなよ」
と、怒鳴るのである。完全に感情移入していた。

 もちろん芝居も脚本もうまくできていたのだが、傑作というほどでもない。よくあるホームドラマなのだ。しかし、男たちはそのホームドラマに感情移入して、つい怒鳴ってしまったのだ。この話を思い出して嫁さんにしたときに、嫁さんは全く逆のことを言い出した。

 嫁さんは女子校に通っていた。やはり演劇を学校で見に行ったらしい。そしてクライマックスのところで、それこそお涙頂戴のクライマックスのところで、全校生徒たちがゲラゲラ笑ってしまったらしい。芝居が甘かったのか下手だったのかは知らないが、私が体験した男子高校生たちの態度とあまりにも違うので驚いてしまった。

 他にそんなようなネタはないのかと聞いてみたら、出るわ出るわたくさん出てきた。

 嫁さんが子供の頃に、走行中の自動車にタッチするのが流行ったらしい。考えるだけでも恐ろしいことなのだが、走行中の自動車にタッチして遊んでいたらしい。そういうことを館林の女の子はやっていたらしい。そして、彼女が通っていた女子校では、通学路で自動車を無理矢理停止させてヒッチハイクして学校に登校するのが流行っていたらしい。恐ろしいことをするものである。

 もちろん校長先生にバレて全面禁止になってしまった。
 その理由がまた凄い。
 たまたまヒッチハイクした車が校長先生の車だったのである。

 他にも恐ろしい話はいっぱいあるが、このブログを若い男性が読んでいないとも限らないので、若い人の夢を壊すのは申し訳ないのでこのぐらいでやめておく。
 
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つづく。

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2015年06月19日

村上山の登山道を整備したら

最近、スノーシューツアーで道を間違える御客様が多くなってきているので、村上山の登山道を整備しにいきました。夏山では問題なくても冬山では危険な箇所があるからです。実際、冬に道を間違えて山をぐるぐるまわった人が居たので、冬山用の目印の設置と、倒木の排除を行いました。残念ながら笹刈りまでは手が回らなかった。本当は、この美しいレンゲツツジの草原の笹刈りを行いたかったのだが・・・・。

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残念なのは村上山の湿原が閉鎖されてしまったことです。
なんとかならないのか?
村上山をこゆなく愛する者としては、とても残念。
皆さんも村上やまを訪れてみてください。
レンゲツツジは、今がピークです。

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2015年06月18日

一昨日、鼻曲山の登山道を整備していたら

 一昨日、鼻曲山の登山道を整備していた。メンバーは2人である。国境平から登る登山道は、木が何本も倒れて登山道を遮断しており、途中から笹の籔がひどくなっていて、登山者が登りにくくなっていたからだ。ところが、作業の途中に電話がじゃんじゃん入ってきていた。運悪く作業メンバーの1人が、観光協会の携帯電話を持っていた。その観光協会に、いろいろなマスコミから電話がかかってきたのである。用件は浅間山の噴火の事である。もちろん噴火したことなど知る訳がない。

 私たちは鼻曲山の登山道にたわけだが、全く知らなかった。しかし電話はじゃんじゃんかかってくる。そのために、 1人が全く仕事ができない状態になってしまった。 2人でいちにちの作業を行う予定だったのだが、 1人しか作業ができないために、全く仕事にならない。おまけに電話をかけてきたマスコミ関係者は、いろいろと誘導質問をしてくるが、そもそも噴火したことさえ知らないのだから、答えられないのにしつこい。巧に回答を誘導してくるが、答えようがないので役場に電話をしてくれと言うしかないのである。

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 ここで思い出すのが2004年の噴火の時のことだ。あの時はマスコミたちにさんざんやられてしまった。高感度カメラで撮影された画像を何度もテレビに流された。火口そばの所をzoom upされて撮影されたものを流した。しかも、流される事に色を着色されて、次第に激しい噴火のように映像を改ざんされていった。

 これに何度か抗議した結果、高感度カメラで撮影してますというテロップが入るようになったが、あの映像のおかげで、全国の友人や親戚から浅間山近辺の住民たちは全滅したのではないかと思われてしまった。

 しかしそんなことはないのである。浅間山の火口周辺4 kmに民家も道路もないのだ。そこが御岳山や白根山と違うところだ。登山道の入口でさえ4キロ以上離れている。一般的に言って4キロ以上離れていれば、安全なのだ。そして4キロ以内に民家や道路はないのである。現在浅間山はレベル2である。火口周辺の規制があるだけだ。入山規制はされていない。そういう状態なのである。しかし、その日は何軒もキャンセルが入ってしまった。マスコミがあれだけ騒いだら、そういう人も出てくるだろう。残念だが仕方がない。

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 しつこいようだが私の過去の書き込みをここに紹介しておく。
 これを読んでくれれば、浅間山麓のことがよくわかると思う。

 http://kaze3.seesaa.net/article/406229611.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 御嶽山の噴火によって半径4キロ以内は入山禁止となった。ここがポイントなのだ。半径から4キロ離れていれば、火山はたいして怖くないのである。あれだけ噴火しても半径4キロの外なら安全なのだ。なので、吾妻山や浅間山などもレベル3になると半径4キロの立ち入りは禁止になる。

 ところがである。どこもかしこも半径4キロというふうにはいかないのだ。具体的に言うと桜島。桜島の半径4キロ以内に何があるのか? 桜島がスッポリはいっちゃうのだ。鹿児島市は、ぎりぎりセーフ。で、今の桜島の噴火警戒レベル3なのである。ここに半径4キロを適用したらパニックになるだろう。もちろん、そんなことできるわけがない。だいいち鹿児島の人間は、桜島の噴火と共生してきた歴史がある。余計なお世話だろう。口永良部島や阿蘇山だとさらにパニックになる。一回地図を開いてみてほしい。

 じゃあ浅間山は?

 幸いにも半径4キロ以内に民家は無い。生活道路も、ほとんどない。だからレベル3になっても何もかわらないのである。住民も観光客も何の心配も無い。しかし、そうはいかなかった。2004年の噴火では、ストロンボリ式噴火にもかかわらず風評被害で観光客はバタッとこなくなった。だから風評被害は怖いけれど、火山は怖くない。噴火しても4キロ以内に民家は無い。5キロ以内にもほとんどない。あっても別荘が多少ある程度である。

 草津白根山はどうだろう?

 もう絶望である。もし草津白根山がレベル3になったら、御愁傷様というしかない。半径4キロの中には、万座どころか草津温泉の中心街もスッポリ入っている。だから、この夏は、草津町民は生きた心地がしなかっただろう。もちろん志賀高原もそうであるが、風向きを考えたら東側にある草津町民の心臓はバクバクものであったと思う。さいわい、草津白根山は首の皮1枚でレベル2にふみとどまったが、レベル3に近いレベル2だったと思う。さいわい9月になってから火山性地震がパッタリとまった。まだ油断はできないが、このままいけば、レベル1の安全水準になる日も遠くないだろう。

 さて、ここで気が付いた人もいると思う。レベル3になっても大して影響の無い地域と、そうではない地域があることに。

 では、御嶽山はどうなのだろうか?

 半径4キロ以内に、山小屋はもちろんのこと、ロープウエイやら温泉やらスキー場やらキャンプ場やら旅館ペンション民宿など、いろんなものがワンサカある。つまり御嶽山が噴火すると自動的に被害がおきやすい地域なのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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 長い前置きはここまでとして、本題に入る。実は今回の噴火は、浅間高原の自然にとって悪いことでは無いのだ。少々の火山灰が浅間高原に降り注いだことによって、高山植物が元気になるからである。そして元気になって花が豊作になるからである。 pH値が酸性の火山灰が広く降り注ぐことによって、つつじ科の植物が元気になる。そしてれんげツツジや、シャクナゲが美しい花を咲かせてくれる可能性が高くなった。来年の浅間高原は花が豊作になる可能性が高い。特に浅間園や火山博物館や鬼押し出し園の花が美しくなる可能性が高い。

 あと飲料水にとっても悪い話ではありません。嬬恋村の水道は、地下水だが、過去にpH値が酸性の火山灰が広く降り注いた事によって、無菌状態の水源となっている。ほぼ塩素が必要ない状態で蛇口から出てきている。これだって浅間の恵みだと思う。

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 また、浅間山特有の植生も少しではあるが元気になる可能性もある。詳しい事は書けないが、浅間山には固有の植物があるみたいなのだ。残念ながら、植物学者があまりに熱心に調べてくれないために、地元の素人の山岳関係者が少しずつ調査をしている。そして固有種の可能性のある植物が、少しずつ発見されている。そーゆー希少動植物が元気になる可能性がある。そこまで大げさな話では無いにしても、時々噴火してくれれば、カラマツやゴヨウマツが枯れてくれて、代わりにつつじ科の高山植物が繁栄してくれれば、浅間山本来の植生が戻ってくれるからである。そうなれば、また美しい浅間高原が戻ってくれるかもしれない。しかし、そのようなことになるには、毎日のように小規模の噴火が必要になってくる。なのでマスコミさえ騒がなければ、こういう噴火は大歓迎なのだ。

 浅間山はレベル2である。
 火口周辺しか立ち入り規制は無い。
 なので私も毎日、愛犬コロを連れて登っている。
 昨日も、素晴らしい展望を独り占めできて楽しむことができた。

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つづく。

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2015年06月16日

根子岳の高山植物

根子岳の高山植物

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1.アズマギク(東菊)

 キク科ムカシヨモギ属の多年草。牧場に多く、管平牧場・浅間牧場によく見られる。

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2.ウラジロキンバイ

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3.レンゲツツジ

 湯の丸山・菅平高原・赤城山にウジャウジャある。北軽井沢ブルーベリーYGHの周辺にもいっぱい。樹を伐採すると、次々とはえてくる。浅間山の麓に雑草のごとくはえている。もちろん八間山にもたくさんある。

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4.ミツバオウレン(三葉黄蓮)

高山植物にしては珍しくキンポウゲ科である。そしてオウレン属。同じキンポウゲ科には、トリカブト・オダマキ・シラネアオイなどがある。常緑の多年草で浅間高原にも多く、シャクナゲ園北部に大量に見られる。小さな花だが、特徴があるので一度見たら忘れられない。もちろん日本特産。オウレンは、多数のひげ根が黄色く連なるところから、黄連と呼ぶようになった。黄色く太い根茎から、黄色い蓮根(レンコン)と見立てたものである。 古くは、カクマクサ(加久末久佐)という。カクマは「堅い根」を意味している。浅間山の北斜面の森林地帯にも多く咲いている。志賀高原や浅間高原では、おなじみの花だ。湿地を好むから、野反湖付近にも多いはず。

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5.ツボスミレ

 スミレ科スミレ属。背が高くて葉っぱがハート型なのが特徴。

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6.マイヅルソウ (舞鶴草)

 ユリの仲間。ユリ科マイヅルソウ属に属する多年草。葉の模様が舞う鶴に見えることから、舞鶴草という名がついている。浅間高原に最も多い高山植物で、嬬恋村のシャクナゲ園あたりにワンサカある。木陰や霧をこのむらしく、薄明るい林の中に多い。
 繁殖状況はもっと低高度で見られるチゴユリに似る。似たような生態のものに、ユキザサやタケシマランの仲間があり、時には同時に見られることも多い。ブナ帯上部から現れることが多く、ミヤマワラビ、シラネワラビ、イワダレゴケ、フジノマンネングサ、コミヤマカタバミなどと共に高度指標となる。御蔵島では低高度に分布していることが知られており、山体効果によるものといわれる。また、雲霧環境を好み、海に迫った降雨量の多い山では比較的低高度で見られる傾向がある。

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7.フデリンドウ

根子岳といえばフデリンドウというくらい、根子岳のどこにでもある春リンドウ。浅間牧場・湯ノ丸スキー場・嬬恋牧場なんかでもみられます。

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8.ベニバナイチヤクソウ(紅花一薬草)

 イチヤクソウ科イチヤクソウ属。イチヤクソウとは一薬草であり、煎じて脚気の薬になるらしい。

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9.ミヤマニガイチゴ(深山苦苺)
 
 バラ科キイチゴ属。牧場・スキー場に多い。葉が深く 3 裂し、果実は赤く熟す。

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10.ズミ

 バラ科リンゴ属。リンゴに近縁な野生種。実の味もリンゴそっくりで、お酒につけると美味しい! 北軽井沢ブルーベリーYGHの裏庭にもある。

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11.アマドコロ(甘野老)

 ユリ科アマドコロ属。浅間牧場にも多い。山地や野原に咲く、山菜として食用にされるが、北軽井沢にはその風習はない。

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12.ミネヤナギ(峰柳)

 ヤナギ科の落葉低木。浅間山から白根山まで広く分布している。北軽井沢ブルーベリーYGHの庭に、こいつの綿が舞ってくることもある。

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13.シロバナショウジョウバカマ

ユリ科ショウジョウバカマ属の多年草。田んぼの畦道から高山帯の高層湿原まで生えている。吾妻渓谷やシャクナゲ園の上部から小串鉱山・鷹繋山の登山道にまである。根生葉の重なりが猩々の袴に似ていることから名付けられた。

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14.スズラン

 ユリ科スズラン属に属する多年草。有名な毒草。もちろん根っこも猛毒。ギョウジャニンニクと外見が似ているので、間違って中毒症状を起こす人が多い。スズランを活けた水を飲んで死亡した例もある。

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15.コケモモ (苔桃)

 ツツジ科スノキ属の常緑小低木。果実を食用とするが、栽培されることは稀で、野生のものを採取するのが一般的だ。自然での生育地はユーラシアの北部や北アメリカの周北林で、温帯から北極圏に近い地域まで分布する。森林に生育するため、日陰で湿度が高く、また土壌が酸性の場所を好む。多くのツツジ科の植物と同様、栄養分の少ない土地でも耐えられるが、アルカリ性の土壌では生育できない。耐寒性にすぐれ、-40℃以下でも耐えることができる一方、夏が暑い場所では生育しにくい。黒斑山から鬼押出し園近くの別荘地までどこでも見られるが、標高が低くなると花が咲かない。

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16.イワカガミ (岩鏡)

イワウメ科イワカガミ属。イワカガミ(岩鏡)は、岩場に生えることと、光沢のある葉を鏡に見立ていることに由来するが、浅間高原では岩より林道や登山道に多く見られる。近縁種にコイワカガミ、オオイワカガミ、ヤマイワカガミなどがある。コイワカガミは、イワカガミに比べ、花の数が少なく小ぶりである。黒斑山・湯の丸高原に多い。オオイワカガミは、鮮やかなピンクの花をつける。こちらは浅間高原では、あまりみかけない。ヤマイワカガミは、白い花をつける。小串鉱山に多い。

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17.クロマメノキ

 ツツジ科スノキ属。別名アサマブドウ。しかしブドウでは無く、豆でも無い、ブルーベリーです。上信越あたりの高山には至る所に群生していますが、特に国立公園内は採取禁止。

 高さ30〜60 cm、よく分枝し、葉は互生、倒卵形で、大きさは環境により変わります。他の多くのツツジ科の植物と同様、酸性土壌を好みます。果実は漿果となり、甘酸っぱく熟します。クランベリー、ブルーベリー、コケモモ、ビルベリー、ハックルベリーといった欧米で果樹として利用されてきた植物を多く含みます。日本産のシャシャンボなども、子供の野遊びのときのおやつとして古くから食用にされてきました。

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18.ハクサンチドリ

 ラン科ハクサンチドリ属の多年草の高山植物。花の付き方が千鳥の飛ぶ姿に似ていることから名付けられました。あちこちでかなり見られる高山植物。

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19.ツマトリソウ

 ツマトリソウ(褄取草)は、サクラソウ科ツマトリソウ属の多年草。APG植物分類体系では、ツマトリソウ属はヤブコウジ科に移されている。和名の由来は、花弁の先端にしばしば淡い紅色の縁があり、その色の入り方が鎧の威色目の一つである褄取りに似ているため。小浅間山の西峰の林に雑草のように生えている。

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20.ミネザクラ(嶺桜)

 別名タカネザクラ。多雪や風にも耐えられることが出来る。浅間高原や根子岳に多い。特に根子岳から四阿山にかけての縦走路に多く、6月の花見を楽しめる。花は、ピンクで美しい。樹はの高さは一般的に小さい。

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つづく。

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根子岳ハイキング報告(人物編)

根子岳ハイキング報告(人物編)

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今回のメンバー

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頂上です。

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四阿山がみえる

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つづく。

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2015年06月15日

八間山ハイキングツアー報告(高山植物編)

八間山ハイキングツアー報告(高山植物編)

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土井君が行うツアーが、もうじきなくなるので、はなむけに真面目に解説することにした。今回は、高山植物について私が分かる範囲で解説してみたい。



1.シロバナショウジョウバカマ

ユリ科ショウジョウバカマ属の多年草。田んぼの畦道から高山帯の高層湿原まで生えている。吾妻渓谷やシャクナゲ園の上部から小串鉱山・鷹繋山の登山道にまである。根生葉の重なりが猩々の袴に似ていることから名付けられた。

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2.ショウジョウバカマ

山辣韮 (やまらっきょう)に似ているが、よくみると葉っぱがちがっている。これも浅間高原のいたるところにある。

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3.イワカガミ (岩鏡)

イワウメ科イワカガミ属。イワカガミ(岩鏡)は、岩場に生えることと、光沢のある葉を鏡に見立ていることに由来するが、浅間高原では岩より林道や登山道に多く見られる。近縁種にコイワカガミ、オオイワカガミ、ヤマイワカガミなどがある。コイワカガミは、イワカガミに比べ、花の数が少なく小ぶりである。黒斑山・湯の丸高原に多い。オオイワカガミは、鮮やかなピンクの花をつける。こちらは浅間高原では、あまりみかけない。ヤマイワカガミは、白い花をつける。小串鉱山に多い。

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4.ミツバオウレン(三葉黄蓮)

高山植物にしては珍しくキンポウゲ科である。そしてオウレン属。同じキンポウゲ科には、トリカブト・オダマキ・シラネアオイなどがある。常緑の多年草で浅間高原にも多く、シャクナゲ園北部に大量に見られる。小さな花だが、特徴があるので一度見たら忘れられない。もちろん日本特産。オウレンは、多数のひげ根が黄色く連なるところから、黄連と呼ぶようになった。黄色く太い根茎から、黄色い蓮根(レンコン)と見立てたものである。 古くは、カクマクサ(加久末久佐)という。カクマは「堅い根」を意味している。浅間山の北斜面の森林地帯にも多く咲いている。志賀高原や浅間高原では、おなじみの花だ。湿地を好むから、野反湖付近にも多いはず。

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5.モミジイチゴ (紅葉苺)?
  ミヤマニガイチゴ? 調査中

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6.レンゲツツジ

 湯の丸山・菅平高原・赤城山にウジャウジャある。北軽井沢ブルーベリーYGHの周辺にもいっぱい。樹を伐採すると、次々とはえてくる。浅間山の麓に雑草のごとくはえている。もちろん八間山にもたくさんある。

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7.コマクサ

 ケシ科の多年草。厳しい環境に生育する事から「高山植物の女王」と呼ばれている。花の形が馬 (駒) の顔に似ていることから名前がついている。日本では北海道から中部地方の高山帯の砂礫帯に分布している。常に砂礫が動き、他の植物が生育できないような厳しい環境に生育する事から、明治時代の文士で放浪の作家と言われた大月桂月が北海道の大雪山で初めてこの花に逢って感動して
「高山植物の女王」
と呼んだ。コマクサの名前の由来はその花の形が馬 (駒) の顔に似ていることが由来となっている。

 ちなみにコマクサは高山植物の中でも先駆植物として、何も生育していない厳しい環境の土地に最初に根づく植物として重要な役割を担っている。その土地の養分が豊かになると、やがて他の植物に譲り、別の土地に移転しなければならない過酷な運命を背負っている。他の植物が生育できないような砂礫地に生えるため、地上部からは想像できないような50〜100cmほどの長い根を張る。昔は、花の美しさよりも薬草としての価値が高く、古くから腹痛の妙薬として知られていた。しかし、実際のところは全株が有毒。ディセントリン、プロトピンなどを含み、中毒症状としては嘔吐・体温の低下・呼吸麻痺・心臓麻痺がみられる。

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8.シラネアオイ

 キンポウゲ科シラネアオイ属の多年草。日本固有種。しかも一属一種という珍しい高山植物。コマクサと同じくらい人気のある高山植物。そのせいか末端価格で一万円もする。実際、シャクナゲ園で、その値段で売られていた。それが八万株もあるというから、驚く。

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9.マイヅルソウ (舞鶴草)

 ユリの仲間。ユリ科マイヅルソウ属に属する多年草。葉の模様が舞う鶴に見えることから、舞鶴草という名がついている。浅間高原に最も多い高山植物で、嬬恋村のシャクナゲ園あたりにワンサカある。木陰や霧をこのむらしく、薄明るい林の中に多いね。

 繁殖状況はもっと低高度で見られるチゴユリに似る。似たような生態のものに、ユキザサやタケシマランの仲間があり、時には同時に見られることも多い。ブナ帯上部から現れることが多く、ミヤマワラビ、シラネワラビ、イワダレゴケ、フジノマンネングサ、コミヤマカタバミなどと共に高度指標となる。御蔵島では低高度に分布していることが知られており、山体効果によるものといわれる。また、雲霧環境を好み、海に迫った降雨量の多い山では比較的低高度で見られる傾向がある。

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10.アカモノ (赤物)

 イワハゼ。ツツジ科シラタマノキ属の常緑小低木。山野草愛好家の間では、シラタマノキのことをシロモノと呼ぶのに対して、赤い実を付けるためアカモノと呼ばれているが、もともとはアカモモが転化してできた名前だ。木の仲間で、酸性土を好むから、浅間山にも多くみられる。コケモモと間違う人がいるが、葉っぱをみると違ってるね。八間山にはアカモノが多く、コケモモが少なかったりする。

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11.ウラジロヨウラク (裏白瓔珞)

 花の様子が仏像が身につけている装身具(ようらく)に似ていること、葉の裏が白いことから付けられた。瓔珞(ようらく)とは菩薩以下の仏像に首飾り、胸飾りとしてもちいられている。ツツジ科ヨウラクツツジ属の落葉低木。どういうわけか八間山の稜線上に多い。浅間高原だとドウダンツツジが圧倒的に多いのだが、八間山では、むしろこっちが多い。昔、早池峰に登ったとき、これがたくさんあった。やはりドウダンツツジの方が少なかった。

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12.ガクウラジロヨウラク (萼裏白瓔珞)

 ガクウラジロヨウラクはウラジロヨウラクの変種。ウラジロヨウラクとの違いは萼が長いこと。

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13.オオカメノキ

 スイカズラ科ガマズミ属の落葉低木‐小高木。卵円形の葉の形が、亀の甲羅に似ているので、この名前になった。鬼押出し園や小浅間山なんかにワンサカある。浅間高原に多い樹木だ。

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14.ムラサキヤシオ(紫八汐)

ツツジ科ツツジ属 (落葉低木) 。紫色の染料で、何回も染め上げたツツジの意味。ツツジの中でも最も美しい色をしています。花が濃いですね。やはり登山道でみかけます。浅間高原シャクナゲ園にもありますが、6月初旬のバラギ高原の野地平湿原にも多く見かけます。

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15.コケモモ (苔桃)

 ツツジ科スノキ属の常緑小低木。果実を食用とするが、栽培されることは稀で、野生のものを採取するのが一般的だ。自然での生育地はユーラシアの北部や北アメリカの周北林で、温帯から北極圏に近い地域まで分布する。森林に生育するため、日陰で湿度が高く、また土壌が酸性の場所を好む。多くのツツジ科の植物と同様、栄養分の少ない土地でも耐えられるが、アルカリ性の土壌では生育できない。耐寒性にすぐれ、-40℃以下でも耐えることができる一方、夏が暑い場所では生育しにくい。黒斑山から鬼押出し園近くの別荘地までどこでも見られるが、標高が低くなると花が咲かない。

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16.ツマトリソウ

 ツマトリソウ(褄取草)は、サクラソウ科ツマトリソウ属の多年草。APG植物分類体系では、ツマトリソウ属はヤブコウジ科に移されている。和名の由来は、花弁の先端にしばしば淡い紅色の縁があり、その色の入り方が鎧の威色目の一つである褄取りに似ているため。小浅間山の西峰の林に雑草のように生えている。

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17.コミヤマスミレ

 なにせ小さくて地味なので、みつけにくい。日本のスミレ類ではもっとも日陰に生えるものの一つらしい。湿った高原の草地に生えるが、北海道では海岸の草地で見かけることもある。

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18.キジムシロ

 バラ科キジムシロ属の多年草。顎は星形。葉はイチゴの葉にも似ている。葉っぱの姿がキジが休むムシロに例えられた。うちの近所の庭にもよく見かけるために地元民から雑草扱いされている。

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19.ツバメオモト(燕万年青)

 ユリ科ツバメオモト属の多年草の一種。田中澄江が『新・花の百名山』の著書で、奥秩父山塊の飛龍山を代表する花の一つとして紹介している。奈良県・鳥取県・兵庫県・埼玉県などで、レッドリストの指定を受けている。しかし、このとおり群馬県には多く存在している。

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20.コヨウラクツツジ(小瓔珞躑躅)

 ツツジ科ヨウラクツツジ属の落葉低木。若い枝には毛が生える。花の様子が仏像が身につけている装身具(ようらく)に似たことからつけられた。

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21.コミヤマカタバミ

 カタバミ科カタバミ属の高山植物で、八間山にたくさんある。葉っぱに特徴(ハート型)があるので、分かりやすい。八間山の北側コースに咲いている。夜間や雨の日には花や葉は縮まる。かつては、この植物を煮出してシュウ酸カルシウムを抽出した。ちなみにシュウ酸カルシウムをとりすぎるし尿路結石になりやすい。

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22.エンレイソウ

 ユリ科エンレイソウ属の多年草。タチアオイとも言う。林のやや湿った場所に生えるが、佐渡島では海岸の砂地にも生えている。北軽井沢の別荘地にも多く、小浅間山の登山道に入り口などにも多い。果実は食べられるが、根茎はサポニンなどの成分を含む有毒植物。

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つづく。

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2015年06月14日

八間山ハイキングツアー報告(人物編)

八間山ハイキングツアー報告

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いよいよ残り少なくなってきた土井君のハイキングツアー。
これは先週のツアーの様子です。

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つづく。

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ラベル:野反湖 八間山
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ツアースタッフの土井君の奥さんに新しい命が宿りました

やっと解禁になったようなので、発表します。
ツアースタッフの土井君の奥さんに新しい命が宿りました。
土井君、おめでとうございます。

というわけで、土井君による北軽井沢ブルーベリーYGHのツアーは、とうぶんの間、お休みになります。今後は、マネージャーが主体となってツアーを行う予定ですが、連休・夏休み・正月に行うのは難しいので、それ以外の日程で、1ヶ月に1回程度のイベントを行うことになりそうです。ただし、夏休みを除く平日に関しては、2名以上の参加者がいれば、随時行う事になると思います。

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つづく。

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2015年06月13日

公園で遊ぶことの意味3

公園で遊ぶことの意味3

 先日、 2歳2ヶ月になる息子の靴を買いに行った。靴が小さくなった訳では無い。履き潰してしまったのだ。子供が生まれたときに、諸先輩方方から、子供はすぐ大きくなるから、靴は大きめに買っておきなさいと言われていたが、うちの息子に関してはそんな心配は要らなかった。足が大きくなって靴が履けなくなる前に、靴を履き潰してしまうからである。 2か月から3ヶ月もすれば靴底がつるんつるんになり、足先から靴下が見えてくるほど擦り切れて来るのだ。

 無理もない、毎日、 2キロから3キロぐらい浅間牧場を歩いているのだから。しかも、うちの息子は体重が重い。だから靴にかかる負担も大きい。すぐに靴がダメになってしまう。せいぜい3ヶ月ぐらい持てば良い方だ。下手したら2か月ぐらいでダメになってしまっている。しかし、ここ数日間は、浅間牧場ではなくて、児童公園に行ってるので、これからは、靴も多少は長持ちするのでは無いかと思っているが、こればっかりは試してみないとわからない。しかも子供の靴は私の靴よりも高額である。高額なくせに、すぐにダメになってしまう。

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 まぁそんな事はどうでもいいとして、息子を公園に連れて行くと、面白いことに気がつく。日曜日に来るお父さんお母さんと、平日に来るお父さんお母さんでは、別人のような違いがあることだ。日曜日に来るお父さんお母さんは、カメラを持ってきている。明らかにお子さんを撮影するために来ている。そして、家族みんなで楽しんでいる。おじいちゃんやおばあちゃんも一緒に来ているケースも多い。

 これが平日だと、カメラを持ってくるお父さんお母さんを見つけるのが難しい。もちろん平日であるから、普通のサラリーマンで無い事は確かだ。おそらく自営業者ばかりだと思われる。知り合った人の中には、宿屋だったり、レストランオーナーだったり、会計事務所の人だったり、比較的時間が自由になる人たちが多かった。そういう人たちは、公園で子供に譲り合いなども躾けたい感じで、単に遊ばせているのが目的には見えない人も多い。この辺に自営業者達の目的意識が見えたりするから面白い。

自営業者達にとって、 1番大切なものは人との繋がりであるから、そういうものをお子さんに教えるのは、公園が1番なのだろう。間違えても私のように、息子を牧場や小浅間山に連れて行くような事は無いのかもしれない。そういえば、 0歳児、 1歳児、 2歳児のお子さんを連れて山に登っている人を、浅間牧場を一蹴している人を、私は過去に1度も見たことがない。

 話を戻す。

 公園で仲良くなったお母さんの中に、オムツをはかせる時に暴れまわると嘆いている人がいた。普通、そういう悩みを持つ人は少ないので、どうも変だなぁと思っていたら、子供にテレビを見せてないという事だった。

 当然のことながら幼児にテレビを見せなければ、キャラクターに愛着が湧かない。
 そうなると、オムツをはかせる時に暴れまわっても仕方がないのである。

 しかし、テレビを見せればたちどころに解決してしまう。例えば、うちの息子には、 NHKの教育テレビをよく見せている。当然のことながら、おかあさんといっしょなんかを見ている。そこには、ムテキチ・ミーニャ・メーコブといったキャラクターが出てくるのだが、そのキャラクターがあるオムツを買えば良いのだ。そうすれば、

「ムテキチを履こうね」
「ミーニャだよ」
「メーコブのオムツに変えようね」

と言って簡単にオムツをはかせることができるのである。

 子供にとっては、キャラクターは魔法の言葉である。
 ご飯を嫌がっていても、
 アンパンマンのスプーンを与えれば、
 食べるかもしれないのだ。

 しかしそのためには、アンパンマンを見せなければいけない。幼児にテレビを見せないと言う選択もありだが、その選択は、お父さんお母さんに重労働をもたらすかもしれないのである。それを説明したら、オムツをはかせることで悩んでいるお母さんは衝撃を受けていたようだ。あのお母さんは、あの後、子供たちにテレビを見せるようになったのだろうか?

 長い前置きになってしまったが、ここから本題に入る。

 幼児の世界には、彼らなりの論理があったりする。例えばうちの息子に関して言えば、歩行中にマンホールを見つけると、どうしてもその上に足をつけてからでないと気が済まない。ホームセンターの通路に、点線のようなものがあった場合も、必ずその上を歩かないと気が済まない。まぁそういった彼らの独特の論理やこだわりがあったりする。それを親が無視すると、いきなり泣き出すのである。

 最初、息子を児童公園に連れて行った時に、適当な時間になったので帰ろうとすると、息子が烈火の如く怒り出して泣きわめいた。なので、 2回目から好きなだけ遊ばせてみたら、ちょうど55分になるとピタリと遊びを止めて、駐車場のほうに自分から歩いて行きだした。これも息子なりの独特の論理やこだわりなのかと思い、 1週間ぐらいそれを続けたら、やはり55分でピタリと遊びを止めた。不思議なのは時計もないのに、正確に55分でピタリと遊びをやめることである。誤差は1分もない。恐ろしいほどのこだわりに驚いてしまう。

 要するに彼らには彼らの、論理とこだわりがあるのだ。それを尊重すれば、物事はスムーズに進む。幼児にぐずっられずに済むのである。そして、どういうわけか、私は息子の論理やこだわりを発見するのが得意であった。おそらく私に弟が2人いたことと無関係ではないだろう。だからなぜ息子が泣き出すのかある程度わかった。

 分かれば対処も簡単になってくる。彼らの論理とこだわりに沿って、オムツを履かせたり、食事をさせたりすれば良いからである。だから、 Eテレのキャラクターが入っているオムツを買って履かせている。息子のこだわりをうまく利用するためである。

 ただし、息子のこだわりが分かったとしても、
 それに100%付き合うという事は無い。
 ある程度は付き合うけれど、できないケースが多い。
 だから、どこかで線引きが必要になってくる。

 どんなに泣き喚いても、社会には、息子のこだわりとは、別のルールがあると言う事を教えなければいけない。そのために、最も効果的に教えることができるのが児童公園であった。息子はいつも、児童公園で遊ぶ遊具の順番を決めていた。しかし、混雑しているときは、別の人が遊具を使っているケースもある。そういうときに、社会には順番というものがあることを教えられるのが児童公園だったりするのだ。そういう意味で、児童公園は最高の教育環境でもある。息子の写真や動画を撮っている暇は無いのだ。もちろん撮っているけどね。


つづく。

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posted by マネージャー at 14:58| Comment(3) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月12日

公園で遊ぶことの意味2



 息子を公園に連れて行くようになった経緯は、前回述べた。

 要するに、坂道が嫌いになってきたのである。そして、後ろ向きに歩いて坂を登るようになってきた。タコ踊りのように両手を振り回しながら登ることもあるし、急な坂は、ジグザグに登ったりする。階段は好んで上るが、私の手を握り、持ち上げて貰おうとする。ありとあらゆる手段を用いて、楽に坂道を上がろうとするのだ。まだ2歳2ヶ月だというのに、悪知恵が働くのに呆れてしまう。そのうち私の前進を阻むように駄々をこねる。仕方が無いので肩車するはめになる。これでは、運動にならないので軽井沢の児童公園に連れていくようになってしまった。

 私としては、もっと自然の中で遊ばせたいし、どこにでもあるような公園で遊ばすのには否定的だった。しかし、背に腹は代えられない。運動させるためには、公園にいくしかないのだ。で、児童公園での息子は、どんな坂も階段も休み無く登って遊ぶ。万歩計で計測すると3キロ以上歩いている。それほど公園の遊具に熱中する。

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 こういう事は以前にもあった。息子が生まれてから、あまりおもちゃを買い与えてなかった。浅間牧場や浅間園の道端に落っこちている、木の切れ端や、石ころなんかをおもちゃがわりにして遊ばせるようにしていた。自宅では、茶碗やお玉やフライ返し何かをおもちゃにして与えていた。けれど、それではあまり器用にならないのである。お客さんの子供さんの方が器用なのだが、器用な子に限っておもちゃをたくさん持っているのである。それで試しに、うちの息子にもいろいろなおもちゃを与えていたら、息子もどんどん器用になっていった。

 昔の人は、おもちゃなど与えられなかっただろうし、その辺にあるものをおもちゃにしていたと聞いている。だから我が息子にも、それで10分だと思ったのだが、そういうわけにはいかなかった。やはり子供には、おもちゃが必要なのだと思わざるを得なかった。今にして思えば、私は頭でっかちだったんだと思う。

 洋の東西を問わず、
 どこの国にも子供の玩具が存在するということは、
 そこに何か意味があるのである。
 よく考えてみれば、当たり前のことであった。

 話がそれた。話がそれたけれど、公園で遊ぶという行為も、
 ある意味おもちゃで遊ぶという行為と似ているかもしれない。
 ある意味、公園の遊具は大きなおもちゃのようなものだからだ。

 私は、息子に対して野生児のように育てようと思い、盛んに牧場や山に連れていったのだが、それでは野生児にはならなかった気がする。逆に児童公園に連れて行くようになってから、どんどん野生児っぽくなってきた。公園の子供たちが、危険な梯子や、ジャングルジムや、ロッククライミングの遊具や、巨大な滑り台で遊んでいるのを息子が見て、真似をするからである。真似をすることによって身体能力が鍛えられてくる。

 今では、鉄棒にぶら下がるようになったり、垂直の梯子を登るようになってきた。巨大な網にも上るようになってきた。もちろん2歳2ヶ月の子供には危険な行為なので、私がつきっきりでサポートをしている。浅間牧場や小浅間山では、こういうことができるようになったかは疑わしい。第一、木登りしようにも、 8割以上の樹木に、蔦漆が絡みついて、危険でしょうがない。それ以前に、マダニが怖くて薮なんかに入れない。なまじ私に、自然に対する知識があるために、どうしてもセーブしてしまうことが多い。だから私が、自然の中で野生児のように息子を育てる事は、そもそも難しかったのだ。その点、児童公園の遊具は素晴らしい。 2歳2ヶ月の子供にも、それほど危険がなく遊べるように設計されている。これらの遊具に、小さい頃からなれ親しんでいた軽井沢の子供たちは、息子などよりはるかに上手に遊んでいた。

 私の息子は、それらの遊具に慣れてなかったので、児童公園に連れて行ったら面白いことが起きた。いきなり遊具の周りをぐるぐると走り始めたのである。そして、恐る恐る触っては離れ、触っては離れるを繰り返した。その間ずっと走りっぱなしである。うちの息子は、 0歳の頃から、牧場や山に連れて行ったためか、足腰と心肺機能だけは異常に強く、 1時間走りっぱなしでも息を切らすことがないのである。もちろん私も、後をついて歩かなければならないので、 1時間ずっと歩きっぱなしである。それでは面白くなかろうと、無理矢理に抱きかかえて、滑り台に載せようとすると、怒りだした。どうやら余計なお世話だったらしい。

 こんな調子で、児童公園に何度か訪れると、今度は、自分で遊び方を見つけるようになった。よそのお兄ちゃんやお姉ちゃんの真似をしだしたらしい。真似はいいのだが、危険な真似をするのである。ほぼ垂直の梯子を登ろうとする。そもそも、きちんと歩けてないのに、梯子を登れる訳がないと思ったら、それが登れたりするのだ。おまけにクライミング遊具まで登り始めた。 2歳2ヶ月の子供には、ちょっと無理ではないか?と思えるようなこともするようになってきた。

 ここでやっと気がついた。野生児というのは、野生の中では生まれない。ということだ。自然が豊かなところで散歩することは、健康面においても素晴らしいことなのだが、それによって特別な身体能力がつくかどうかというと、必ずしもそうでは無い。もちろん、免疫細胞が増加して、抵抗力がつくようになり、その上基礎体力はついただろうけれど、子供の好奇心や発達を促すのには、児童公園の遊具や、おもちゃがも重要であるかもしれない。また、それらの遊具やおもちゃを自由に使いこなす先輩も必要なのかもしれない。真似をするべき対象がないと、上手に使いこなせないからだ。

 それともう一つ気になったことがある。

 児童公園に来た最初の頃は、自分1人で遊んでいた。私はそれをサポートするだけだった。しかし徐々に変化が起きてきた。 2ヶ月もすると、親と遊びたがるようになってくるのである。例えば、最初の頃は滑り台を好んでいた。これは1人で遊べるからである。とこすすろがしばらく経ったらシーソーで遊ぶようになる。親と一緒に遊べるからだ。で、次第に、親のサポートが必要となる遊具に向かうのだ。具体的に言うと、梯子とか鉄棒とかクライミングにチャレンジするのである。これは、親が体を支えてあげないとできない遊びである。こうなってくると、遠くのベンチで見ているだけでは済まされない。四六時中、公園で一緒に遊ばなければならなくなる。これが非常に疲れるのだが、これによって息子が健康になっていくのであれば仕方ないと諦めている。

つづく。

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posted by マネージャー at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月11日

浅間牧場ハイキング

浅間牧場ハイキング。

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ハイキングと言っても、徒歩15分で、この景色が望めます。北海道みたいに雄大ですが、実際に北海道民に見せたところ、北海道とは違う景色だと言われました。

「道路が見えない。北海道は、道路が見えるけれど、ここでは見えない」

それもそのはず。樹のトンネルが道路を覆い隠してしまうからです。なので映画のロケ地によく使われます。もちろん一部をCGで隠してしまいますが、広大な原野のシーンによく使われます。

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つづく。

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posted by マネージャー at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 北軽−浅間牧場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月10日

小浅間山ハイキング

先日、浅間山に登った3人のハイカーさんたちのその後は、小浅間山ハイキング。
素晴らしい展望に酔いしれていたようです。

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この後、浅間牧場をハイキングしました。
すごい元気ですが、彼女たちの年齢を聞いたら
みなさんは驚かれるかもしれません。

つづく。

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posted by マネージャー at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 中軽−小浅間山・千ヶ滝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月09日

浅間山登山ツアー報告

浅間山ハイキング

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今回は、ベテランハイカー3人を浅間山に御案内しました。
といっても、参加者の一人は、つい最近まで寝たきりだった方ですが、
一生懸命にリハビリを行って今回の登山に参加です。
そして見事に浅間山登山をやりとげました。

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御高齢にもかかわらず、浅間山登山(法律で行けるギリギリの河口近くまで)をなしとげたことは、素晴らしいと思います。私も久しぶりに元気をもらいました。こういう方々のお手伝いができることに、宿屋としての生き甲斐を感じます。宿屋をやってて良かったと思いました。

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今回の登山で幸運だったことは、ハクサンイチゲの大群生に出会えたことです。

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頂上到着の瞬間。

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前掛山へ

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前掛山山頂

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すばらしい展望

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つづく。

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posted by マネージャー at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 浅間山・黒斑山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

6月28日のハイキングツアーを中止いたします

誠に勝手ながら、6月28日のハイキングツアーを中止いたします。
まだ御予約がありませんでしたが、もし御検討いただいていた御客様がおりましたら、
ご迷惑かけたことを謹んでお詫び申し上げます。


つづく。

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posted by マネージャー at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月07日

業務連絡 8月以降のハイキングツアーについて

業務連絡です。

まだ正式ではありませんが、8月から、とうぶんの間、
スタッフ土井君がツアーリーダーをお休みすることになりそうです。
(ただし御盆や大型連休や正月については未定です)

詳細は、後日、御連絡致しますが、7月末までは予定通りにツアーを行います。
8月以降については、土井君のツアーは基本的にはお休み。
そのかわりにマネージャーを中心に1ヶ月に1回程度、週末ツアーを行う予定です。
平日に関しては、いままでどうり、マネージャーツアーを行いますので御安心ください。

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つづく。

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posted by マネージャー at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月06日

公園で遊ぶことの意味1

 最近、軽井沢の公園に通っている。息子に運動をさせるためである。以前は、浅間牧場や浅間園を息子と一緒に歩いたのだが、最近は、坂道になると嫌な顔をするようになってきた。そして、後ろ向きに歩いて坂を登るようになってきた。タコ踊りのように両手を振り回しながら登ることもあるし、急な坂は、ジグザグに登ったりする。階段も好んで上るが、私の手を握り、持ち上げて貰おうとする。

 ありとあらゆる手段を用いて、楽に坂道を上がろうとするのだ。
 まだ2歳2ヶ月だというのに、悪知恵が働くのに呆れてしまう。
 そのうち、ダッコや肩車を要求してくる。
 もちろん、まだ言葉は充分に話せない。
 私の前進を阻むように駄々をこねる。
 仕方が無いので肩車するはめになる。

 これでは、運動にならないので軽井沢の児童公園に連れていくようになってしまった。私としては、もっと自然の中で遊ばせたいし、どこにでもあるような公園で遊ばすのには否定的だった。しかし、背に腹は代えられない。運動させるためには、公園にいくしかないのだ。

 不思議なことに、児童公園での息子は、どんな坂も階段も休み無く登って遊ぶ。万歩計で計測すると3キロ以上歩いている。これは浅間牧場を歩くのと同一距離である。しかも時間が半分しかかかってない。それほど公園の遊具に熱中する。

 こんなことを毎日続けていたら、同じくらいの子供さん連れの公園の常連さんと仲良くなってきた。というか、自然に仲良くなるシステムが確立しているのに気がついた。

 公園に幼児を連れてくる御両親は、子供に運動させたいだけではなかった。子供に譲り合いなども躾けたいみたいなのだ。だからパパもママも必要以上に礼儀正しく、譲り合う。あまり譲り合いすぎて、滑り台が混雑するくらいだ。もちろん私も同じである。すると、息子もそれを真似して、譲り合うようになった。

 と言っても2歳2ヶ月の幼児に「譲り合い」なと理解しているわけがない。今は、真似をしているだけなんだと思う。しかし、それでいいのである。そういう真似をさせるために、必要以上に、お父さん、お母さんは、公園で良い人を演じるのかもしれない。それに気がつくと、公園で遊ばせるのも、悪くないことだなあと思うようになってきた。

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つづく。

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posted by マネージャー at 23:49| Comment(6) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月05日

病院の選択 その4 

 嫁さんが群馬大学医学部の付属病院に行ってきた。そして帰ってくるなりに叫んだ。病院がガラガラなんだよね。群馬大学病院といえば、いつも満員で何時間も待たされるとこで有名である。巨大な駐車場は、 4つもあるのに下手したら駐車できなかったりする。それも4階建ての駐車場が満杯になるのである。その群馬大学病院が、ガラガラだったのだ。いくらなんでもこれは変だなと思って、いろいろ聞いてみたら、ある消化器外科の先生が、次々と医療ミスを起こして、分かっているだけで8人も死亡させたことが原因で、病院がガラガラになっているらしい。

 もちろん裁判になっている。そして群馬大学が全面的に自分の非を認めたらしい。しかしである。同一人物の先生が 8人も犠牲者を出して、まだ群馬大学で医療行為をしているらしい。その辺も驚きなのだが、そのために患者がガラガラになっているのも驚きである。

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 少なくとも、ちょっと前までは、群馬大学医学部の付属病院は、名医の多いところとして評判が高かったはずである。私もお世話になったことがあるが、入院しているときに同室の患者さんが、この病院には名医が多いと話していた。ペンション仲間にも、同じような発言をする人たちが多かった。しかしこの評判が、天地がひっくり返ったように、今は悪評になっているらしい。

 どういうことだろうと、インターネットで調べてみたら、すべての医療ミスが、回復手術ではなく腹腔鏡手術で起こったらしい。それぞれのケースは違うかもしれないが、昔ながらの回復手術だったら助かったかもしれないのに、わざわざ近代的な機械を使う腹腔鏡手術をしたために、医療ミスが起こったらしいのだ。まぁこの辺のところは、素人の私にはわからない。

 ただ、たった1人の医者の医療ミスで、群馬大学病院すべてを否定するのはどうなんだろうか? ついこの間までは、みんな絶賛していた大学病院を、医療事故が明るみになると、ガラガラに開いてしまうというのはいかがなものだろうか? 大学病院の中には、素晴らしい先生もたくさんいるはずである。私がお世話になった先生も、家内がお世話になった先生も、基本的に良い先生だったし、色々親身になってくれる先生でもあった。嬬恋村から通ってることを知ると、いろいろ時間的に融通をきかせてくれたし、言葉遣いも丁寧だったし、一流のサービスマンに劣らないほど、紳士的であった。そしてこちらの不安を取り除くように丁寧に説明をしてくれた。白い巨塔の中のことまでは詳しい事は知らないが、私が体験した限りでは、そんなに悪い病院には思えない。

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 ところで、こういう事件があると、あるゴルフ場オーナーの話を思い出す。

 うちの近所に、ゴルフ場オーナーが住んでいるのだが、彼は目を患った。放置したら失明の危機があったらしい。そこで、この近辺でいちばん目の病気に強い病院である●●●総合病院に入院した。この病院は、他の診療科は評判が悪いのだが、眼科だけは最高水準の先生が居ることで有名な病院だった。で、例のゴルフ場オーナーが、そこに入院して目の手術をしたのだが、鮮やかな手術で、視力は回復してめでたしめでたしと言う所であった。

「それはよかったじゃないですか」

と、私は、そのゴルフ場オーナーに言ったのだが、彼は

「それが良くないんだよ」

と、言うのである。

「確かに先生の腕は良かった。この通り視力は回復しつくしたよ。でも生きた心地がしなかったんだ」
「はあ? 」
「目が見えないとさ、耳が聞こえるのね」
「はぁ・・・・・?」
「普段は聞こえないような小さなささやき声もね、よく聞こえるんだよ」
「・・・・」
「で、看護師さんが不安をはおるようなことばかりささやいているんだよね。それが良く聞こえるんだよ。こちとら目が見えないから死んだようにベットに横たわってるでしょ。だから生きてるんだか死んでるんだか看護師さんたちにはわかんなかったんだろうね。気配がなかったんだろうね。だから油断してささやいているのが、聞こえちまうんだよね」
「どういうことですか? 」
「今度の先生は、腕が悪いってね」
「ええええええ?」
「前の眼科の先生は、凄腕だったけれど、新しく入った今度の先生は腕が悪いね。というようなささやきが毎日聞こえてくるんだよね。そしてその先生が私の執刀医なんだよ。でさー、不安になっちゃうのよ。結果としては、いい先生だったんだけれど、完璧な手術をしてくれたんだけれど、手術する前は焦っちゃうわけよ。不安になっちゃうわけだ。そんな事聞こえなければ、何でもないことなんだろうけど、心臓に悪いわけよ。焦っちゃうわけよ。手術前には病院から逃げ出したくなったわけよ」
「あははははははははは」
「佐藤さん、笑っているけれど笑い事じゃないよ。明日は我が身かもしれないんだよ。目を悪くしてごらん、聴力が10倍ぐらいに跳ね上がってくるから」

 ゴルフ場オーナーは、そのように私を脅してきた。
 しかし私なら問題ない。
 私は難聴なのである。

つづく。

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posted by マネージャー at 22:32| Comment(2) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

小さな幸せを見た瞬間、心が癒されることについて

 今年もたくさんの新しいお客様に宿泊していただいた。本当にありがたいことである。特に平日にお客様が増えた。原因は天候のおかげかもしれない。うちのような自然の中にある宿は、天候の影響がかなり大きい。晴れが続けば、お客様も5割増に増える。逆に雨が続けば半分に減ってしまうのだ。

 だから雨乞いをしている農家の皆さんには申し訳ないが、宿屋のマネージャーは、雨を降らないでくれと祈ることが多い。もちろん私も外出する機会が多くなった。天気の良い朝は、愛犬コロを連れて小浅間山や浅間山に登る。そして帰って朝食を食べた後に、息子を連れて浅間牧場を散策する。これもすべて天気が良いおかげである。天気が良いからこそ、私も息子も愛犬コロも運動する機会が持てるのだ。

 逆に雨が降ると、散歩ができなくなる。
 しかし運動しないわけにはいかない。
 そこで息子を図書館に連れて行く。
 嬬恋村に図書館はあるのだが、無人図書館である。
 無人なので誰もいない。
 そもそも、図書館を利用する人を見かけたことがない。
 いつ行っても誰もいないのだ。

 それどころか、図書館の玄関口に本棚があって、いらなくなった本を持ってくる村民が多い。いらなくなった本なので、欲しい人は自由に持ち帰ることもできる。無料のブックオフみたいなものだ。だけど持ち帰る人はほとんどいない。なので下手したらゴミ捨て場のような場所になりつつあるので、もっぱら私がひとりで持ち帰っている。なぜならば私は本が大好きだからだ。

 まぁそんな事はどうでもいい。
 息子のことだ。

 雨が降ると、散歩ができなくなる。なので息子を図書館に連れて行く。もちろん図書館には誰もいない。だから2歳になったばかりの息子の散歩場所としては、最高の場所でもある。息子は文字を覚えつつあるので、本棚にある平仮名の文字を指さしながら片っ端から読み始めた。そしてぐるぐると歩きまわるのである。歩くのに疲れてくると、また平仮名を指差して叫ぶ。この繰り返しである。これを、普通の図書館でやってしまったら、かなり迷惑なのだが、幸いなことに嬬恋村の図書館はいつも無人なのだ。昔はこの閑散とした図書館が寂しくもあったのだが、今は逆にありがたいと思っているから、皮肉なものだ。

 ところで、図書館は軽井沢にもある。軽井沢の図書館は、巨大でいつも活気に溢れている。図書館に通う町民もかなり多い。人口比はそれほど変わらないのに、どうして、利用度がこんなにも違うのだろうか?

 ちなみに、 2歳の息子は軽井沢の図書館に行くと、なぜかおとなしくなる。嬬恋の図書館でははしゃぎ回るのだが、他の人がいる軽井沢の図書館では、静かにしてくれるので親としては非常にありがたい。というより、どうして他の人がいると、こんなにおとなしいのだろうか? 誰もいなくて親と息子だけだと、かなりの甘えん坊なのに、他人がいると急におとなしくなる。これも1種の人見知りなのだろうか? 息子は、ちょっと恥ずかしがりやである。

 話は変わるが、息子ができると、お客さんの子供も可愛くなってくる。これは非常に不思議な現象だ。 1種の連帯感なんだろうか? 親子連れのお客さんに対して、すごい親近感が湧いてくるのである。そして、意味もなく涙ぐみたくなる瞬間がでてくるのだ。先日も、息子と同級生の娘さんを連れてきたお客さんがいたのだが、その娘さんが喜んでくれる姿を見ると、我が事のように嬉しくなってくる。その上、
「もう帰らない」
「ここにずっといる」
と、お父さんお母さんに訴えてるのが聞こえてくると、今すぐにでも飛び出してその娘さんを抱きしめたくなる気持ちが込み上げてくるから不思議である。こういう事は、以前にはなかった感情だ。いつの間にか、お客さんの息子さんや娘さんに癒されている自分が居ることに気がついた。いや、もっと正確に言うと、親子が喜んでる姿を見ると、こちらが癒されるから不思議である。どうやら人間という生き物は、幸せそうな光景を見ると、ついつい顔がほころんでくる生き物であるらしい。

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つづく。

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2015年06月03日

映画ができるらしいので久しぶりに小串鉱山を語ってみる

小串鉱山ハイキング

小串鉱山のある毛無峠は、このあたりで最も気候が厳しいところだ。これは、嬬恋村に住んでないと分からない。長野県の人には、分かりようがないのだ。というのも、嬬恋村に住んでいると、最初に雪で真っ白になるのが、あのあたりなのである。それから毛無峠の横に破風岳という山があるが、風を破る山という意味だが、小串鉱山のある毛無峠は、風の通り道なのだ。厳冬期には、普通に風速二十メートルになる。そんな悪条件下に、嬬恋村における最大都市ができあがった。

それが小串鉱山。

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小串鉱山は、儲かったらしい。
村の男は、みんな出稼ぎに行った。
土地の古老の話では、田畑で稼ぐ十倍の賃金をもらえたらしい。
で、男たちが村に帰ってくると、酒ばっかり飲んで働かなくなった。
このへんからも、かかあ天下の土壌が生まれたとのこと。

 この鉱山には、朝鮮からも大量の出稼ぎがあったらしい。
 戦争中は人手不足だったから彼らは大儲けした。
 札束をリュック一杯になるほど稼いだ。
 なので彼らは北軽井沢あたりまで行って牛を買いに行った。
 その牛を、彼らは生で食べた。
 その光景によほどの衝撃を受けたと土地の古老は言っている。

 農家にとって牛は家族のようなものであり、生で食べる風習はなかったからだ。しかし、働き手を兵隊にとられて貧乏な日本人たちは、それを分けてもらったりした。

 当時、牛は高価な買い物だったので、いかに稼いだかわかるというものである。そして、その牛の骨が万座川や仁田川の川原に、戦後間もない頃に、牛たちの白骨が何十も野ざらしになっていた。その光景を干又の古老が話してくれたことがある。

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 また、ここには悲しい歴史がある。
 昭和12年11月11日午後3時半頃、鉱山北側の斜面が、
 幅約500メートル、長さ1キロにわたって崩落し
 建物35棟が埋没、15棟が焼失したのである。

 死者245名。

 しかも、女子供が大半だった。犠牲になった人の多くは、鉱山で働いていた人ではなく、家族の方だったようだ。そこには31名の児童も含まれていた。

 実は、その時の生き証人が嬬恋村で存命である。2時間かけて走って、嬬恋村役場に向かい救援隊をよんだそうである。普通に歩いたら8時間かかる距離なのに2時間。そして、嬬恋村の人たちが救援に到着したとき多くの人たちが黒こげに焼かれて身元の判別がつきにくかったと言う。そのためか鉱山が復旧するのに2年もかかっている。

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 そして小串鉱山は、人口2100名、従業社員数675名の大鉱山に発展。人口にものをいわせて嬬恋村に議員を多数おくりこんだ。嬬恋村の前村長も、小串鉱山関係者だった。さらに公民館・診療所・小中学校・幼稚園が完備。当時珍しいスーパーマーケットまであった。

 私の知人は、戦時中、小串鉱山に布団を売りに行って大儲けし、その金で結婚式場(館林の羽衣会館)をオープンしたというから鉱山町は、かなり景気が良かったらしい。ちなみに嫁さんは、その結婚式場(館林の羽衣会館)でバイトまでしている。

 ところが戦後、昭和46年7月に閉山。
 小串鉱山跡地は一面の荒野となっている。

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ちなみに私が、どうしてこんなに詳しいかというと、当時をよく知っている人たち数名から何回もヒアリングをしているからである。その人たちも亡くなっている人が多いので、歴史を風化させないために、今回は詳しく書いておいた。

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ところで今回のツアーで、小串鉱山の慰霊祭の準備をしている人たちと遭遇している。

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旧小串鉱山関係者たちが大勢やってきていた。
撮影隊もきており、映画も作られるらしい。
土井君がスタッフの皆さんと名刺交換している。
完成したら是非、みてみたいものである。

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つづく。

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posted by マネージャー at 06:54| Comment(6) | TrackBack(0) | 破風岳・小串鉱山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月02日

小串鉱山・花めぐりハイキング

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イワナシ
ツツジ科イワナシ属の常緑小低木。
1cmくらいのナシのような実がなる。甘くて美味しく、お酒にすることもできる。
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アカモノ
別名イワハゼ。登山道沿いのなど林縁の日当たりの良い場所に群生する。 高さ20cm前後で赤色の果実は食用となる。 和名のアカモノは果実の赤い色から「赤桃」と呼ばれた
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トウゴクミツバツツジ
標高の高い山の稜線にあり、ミツバツツジの一種で、関東中部地方に多く見られるので、この名前になった。ただし、おしべが10本。ミツバツツジが5本なので倍。そのために、長ーい雄しべが目立ってしまっている。ちなみにトウゴクミツバツツジは、浅間高原よりも、芳ヶ平・白根山・鼻曲山・角落山なんかに多くみられる。標高の高い稜線に多い。
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ミツバオウレン
キンポウゲ科オウレン属の多年草。北アルプスでよく見かける。浅間山の北斜面の森林地帯にも多く咲いている。湿地を好むので残雪の多い小串鉱山にも多い。
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コケモモ
酸性土質の浅間高原だと雑草のように生えてくる。多くのツツジ科の植物と同様、栄養分の少ない土地でも耐えられるが、アルカリ性の土壌では生育できない。耐寒性にすぐれ、-40℃以下でも耐えることができる一方、夏が暑い場所では生育しにくい。軽井沢に少なく、北軽井沢に雑草のように多いのは、そのせい。
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イワカガミ
イワウメ科イワカガミ属。高山植物には珍しく多年草。葉っぱが、手鏡に似ているというのでこの名になった。笹藪の登山道によく咲いていて、人間たちと共生している。
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ヤマイワカガミ
山地のやや乾いたところに生える多年草。本州中部の太平洋側の山地に分布する。色は白で珍しい。
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クロマメノキ(黒豆木)
ツツジ科スノキ属。別名アサマブドウ。しかしブドウでは無く、豆でも無い、ブルーベリーです。上信越あたりの高山には至る所に群生しているが、国立公園内は採取禁止。本州の亜高山帯以上にはえるツツジ科の落葉低木。高さ30〜60 cm、よく分枝し、葉は互生、倒卵形で、大きさは環境により変わる。浅間山の火口では小さいが麓では大きい。果実は甘酸っぱく熟する。火口では沢山なって、麓では実がなりにくい。地元では子供の野遊びのときのおやつとして古くから食用にされてきた。沢山食べると眠くなる。他の多くのツツジ科の植物と同様、酸性土壌を好む。
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ツマトリソウ(褄取草)
サクラソウ科ツマトリソウ属の多年草。和名の由来は、花弁の先端にしばしば淡い紅色の縁があり、その色の入り方が鎧の威色目の一つである褄取りに似ているため。北海道、本州、四国に分布し、亜高山の草地、半陰地、林縁に自生する。
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ショウジョウバカマ(猩々袴)
ユリ科ショウジョウバカマ属の多年草。北海道から九州までの、やや湿った場所に生える。垂直分布が広く、人里近くの田んぼの畦道から高山帯の高層湿原まで生えている。
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シロショウジョウバカマ
同じく万年雪の近くの湿った草原に見られる多年草。
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ガンコウラン
岩高蘭。ガンコウラン科の常緑小低木。6月に紫黒色の小さい花が咲く。9月ころ実がなってジャムや果実酒をつくる。実は甘くて美味しいが種ばかりが大きくて果肉はほとんどない。
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つづく。

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posted by マネージャー at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然−植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月01日

病院の選択 その3

病院の選択 その3

 北軽井沢から通える範囲で1番有名なのが佐久病院である。全国的に有名な病院で、名医がいっぱいいるらしい。日本中から患者が押し寄せるらしい。お医者さんの卵も佐久病院に憧れて集まってくるらしい。
「・・・らしい」
と、ばかり書いてしまったが、私も1度だけ佐久病院に行ったことがある。そして懲りた。かなり長く待たされるからだ。何時間も何時間も待っている間に、どんどん病気が悪化していった。こういう病院には、軽い症状の人間は行ってはいけないと思った。だから二度と行くつもりはない。いくら名医がいても、診療に時間がかかってしまっては、治るものも治らないからだ。

 なので、最近はヤブ医者のいる、●●●総合病院に行くことが多い。なぜこの病院にヤブ医者がいると断言できるかというと、私が、この病院のヤブ医者の診断の犠牲になっているからである。

 あれは10年以上前のことだ。足に水虫のようなものができたので、●●●総合病院に行った。先生は、見るなりにひどい水虫ですねと言って、飲み薬を処方してくれた。しかもパルス療法といって、 1ヶ月間の間に3倍も4倍も大量の水虫薬を飲んで、 1カ月間全く薬を飲まないと言う治療方法である。これを3回繰り返すわけだが、普通の人は大体1回ぐらいで水虫が治るのであるが、私はまったく治らなかった。これ以上のパルス療法は、肝臓の負担が大きいと言うことで、この治療は行えなくなる。仕方がないので、普通の塗り薬で治療することになった。

 どうも変だなぁと思ったので、思い切って病院を変えてみた。近所の人たちのアドバイスに従って、長野県ではなくて、群馬県の原町の日赤病院に通ってみた。実は、群馬県には皮膚科の病院があまり多くない。草津温泉があるために、皮膚病を患う人が多くないのである。

 で、日赤病院に行って診察受けると、まず皮膚の細胞を採取して顕微鏡で白癬菌があるかどうかを確認した。まぁ当然と言えば当然なのだが、●●●総合病院では、この確認がなされてないのである。目で見ただけで、水虫と診断されたのだ。これは私だけのケースではなかった。別の友人も、目で見ただけで水虫と診断されたと言う。そういう病院であった。もちろん先生は1人では無い。いろんな先生が居るはずなのだが、どの先生も目で見ただけで診断されていたようだ。幸い友人の場合は、本物の水虫だったらしく、治療によって治った。

 しかし、私の場合は違っていた。
 私は水虫ではなかった。
 本当は皮膚のアレルギーだった。

 なので、今まで逆の薬を処方されていたらしく、最悪の治療を受けていたらしい。皮膚のアレルギーの治療と水虫の治療は、全く正反対の治療であるらしい。なので、このままだと大変なことになっていたとのことである。特に肝臓に悪いパルス療法を、半年間にわたって行ってきたワケなので、下手したら廃人になっていた可能性もあったらしい。それを聞いた私は、背筋が凍るほど驚いた。結局、私の皮膚アレルギーは、日赤原町病院で治療してもらったのである。

 ここで話が終われば、医者の誤診の話になるが、実はそうでは無い。確かに誤診恐ろしいのだが、私は●●●総合病院を、憎む気になれなかった。誤診でひどい目にあったのは確かなのだが、ここのお医者さんは、人柄が良いのだ。看護師さんも、いろいろ気がつく上に、院長や他の偉い人たちも、一生懸命なのが伝わってくるのである。

 いつだったか、待合室で会計を待ってる時に、立って待っていた。すると、たまたま通りがかった偉い人が、お客さんが立っている。お客さんを立たせてはダメだ。と、受付の人に注意していた。

 もちろん私が立っていたのは、席がいっぱいだったからではない。席はガラガラだったが、体力作りのために立ってストレッチをしていただけである。だから申し訳なく思ってそれを説明した。こんなことが日常的にある病院なのである。切り捨てるには、ちょっと惜しい病院だったのだ。だから私も嫁さんも、そこをかかりつけの病院にしたのである。しかし、先生を100%信用しているわけでは無い。疑問を持ったら、他の病院にも診断をしてもらっている。人間ドックは、原町の日赤病院にかかっている。だけど、かかりつけの病院は、その病院にしているのだ。待ち時間が長いと、それをこっそり教えてくれる、その病院をかかりつけの病院にしている。それが、息子の誕生につながるのだから、世の中何が幸いするのか分からない。

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 3年ぐらい前、私は、健康診断で前立腺がんの疑いをかけられた。前立腺がんは死に至る病では無い。しかし治療によって生殖機能は失われることがあり得る。それを家内が病院の先生に相談したら、大変心配して頂いて、いろいろな先生に紹介して頂き、不妊治療を行うことになった。そして息子が授かった。といっても、嫁さんはともかくとして、私自身は精子の検査以外に特別に何かしたと言う訳では無いのだが、いろいろな先生方の応援によって、無事に息子が授かった。それも、ありがたいことに健康体の息子である。だから私は、この病院には足を向けて寝られない。なのでこの病院の名前は伏字にしておく。

 医者にもいろいろなタイプがいる。それを嗅覚で判断し、使い分けることができるようになってきた私も、どうやら老人の仲間入りをしたのかもしれない。

つづく。

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posted by マネージャー at 07:47| Comment(2) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする