2015年06月12日

公園で遊ぶことの意味2



 息子を公園に連れて行くようになった経緯は、前回述べた。

 要するに、坂道が嫌いになってきたのである。そして、後ろ向きに歩いて坂を登るようになってきた。タコ踊りのように両手を振り回しながら登ることもあるし、急な坂は、ジグザグに登ったりする。階段は好んで上るが、私の手を握り、持ち上げて貰おうとする。ありとあらゆる手段を用いて、楽に坂道を上がろうとするのだ。まだ2歳2ヶ月だというのに、悪知恵が働くのに呆れてしまう。そのうち私の前進を阻むように駄々をこねる。仕方が無いので肩車するはめになる。これでは、運動にならないので軽井沢の児童公園に連れていくようになってしまった。

 私としては、もっと自然の中で遊ばせたいし、どこにでもあるような公園で遊ばすのには否定的だった。しかし、背に腹は代えられない。運動させるためには、公園にいくしかないのだ。で、児童公園での息子は、どんな坂も階段も休み無く登って遊ぶ。万歩計で計測すると3キロ以上歩いている。それほど公園の遊具に熱中する。

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 こういう事は以前にもあった。息子が生まれてから、あまりおもちゃを買い与えてなかった。浅間牧場や浅間園の道端に落っこちている、木の切れ端や、石ころなんかをおもちゃがわりにして遊ばせるようにしていた。自宅では、茶碗やお玉やフライ返し何かをおもちゃにして与えていた。けれど、それではあまり器用にならないのである。お客さんの子供さんの方が器用なのだが、器用な子に限っておもちゃをたくさん持っているのである。それで試しに、うちの息子にもいろいろなおもちゃを与えていたら、息子もどんどん器用になっていった。

 昔の人は、おもちゃなど与えられなかっただろうし、その辺にあるものをおもちゃにしていたと聞いている。だから我が息子にも、それで10分だと思ったのだが、そういうわけにはいかなかった。やはり子供には、おもちゃが必要なのだと思わざるを得なかった。今にして思えば、私は頭でっかちだったんだと思う。

 洋の東西を問わず、
 どこの国にも子供の玩具が存在するということは、
 そこに何か意味があるのである。
 よく考えてみれば、当たり前のことであった。

 話がそれた。話がそれたけれど、公園で遊ぶという行為も、
 ある意味おもちゃで遊ぶという行為と似ているかもしれない。
 ある意味、公園の遊具は大きなおもちゃのようなものだからだ。

 私は、息子に対して野生児のように育てようと思い、盛んに牧場や山に連れていったのだが、それでは野生児にはならなかった気がする。逆に児童公園に連れて行くようになってから、どんどん野生児っぽくなってきた。公園の子供たちが、危険な梯子や、ジャングルジムや、ロッククライミングの遊具や、巨大な滑り台で遊んでいるのを息子が見て、真似をするからである。真似をすることによって身体能力が鍛えられてくる。

 今では、鉄棒にぶら下がるようになったり、垂直の梯子を登るようになってきた。巨大な網にも上るようになってきた。もちろん2歳2ヶ月の子供には危険な行為なので、私がつきっきりでサポートをしている。浅間牧場や小浅間山では、こういうことができるようになったかは疑わしい。第一、木登りしようにも、 8割以上の樹木に、蔦漆が絡みついて、危険でしょうがない。それ以前に、マダニが怖くて薮なんかに入れない。なまじ私に、自然に対する知識があるために、どうしてもセーブしてしまうことが多い。だから私が、自然の中で野生児のように息子を育てる事は、そもそも難しかったのだ。その点、児童公園の遊具は素晴らしい。 2歳2ヶ月の子供にも、それほど危険がなく遊べるように設計されている。これらの遊具に、小さい頃からなれ親しんでいた軽井沢の子供たちは、息子などよりはるかに上手に遊んでいた。

 私の息子は、それらの遊具に慣れてなかったので、児童公園に連れて行ったら面白いことが起きた。いきなり遊具の周りをぐるぐると走り始めたのである。そして、恐る恐る触っては離れ、触っては離れるを繰り返した。その間ずっと走りっぱなしである。うちの息子は、 0歳の頃から、牧場や山に連れて行ったためか、足腰と心肺機能だけは異常に強く、 1時間走りっぱなしでも息を切らすことがないのである。もちろん私も、後をついて歩かなければならないので、 1時間ずっと歩きっぱなしである。それでは面白くなかろうと、無理矢理に抱きかかえて、滑り台に載せようとすると、怒りだした。どうやら余計なお世話だったらしい。

 こんな調子で、児童公園に何度か訪れると、今度は、自分で遊び方を見つけるようになった。よそのお兄ちゃんやお姉ちゃんの真似をしだしたらしい。真似はいいのだが、危険な真似をするのである。ほぼ垂直の梯子を登ろうとする。そもそも、きちんと歩けてないのに、梯子を登れる訳がないと思ったら、それが登れたりするのだ。おまけにクライミング遊具まで登り始めた。 2歳2ヶ月の子供には、ちょっと無理ではないか?と思えるようなこともするようになってきた。

 ここでやっと気がついた。野生児というのは、野生の中では生まれない。ということだ。自然が豊かなところで散歩することは、健康面においても素晴らしいことなのだが、それによって特別な身体能力がつくかどうかというと、必ずしもそうでは無い。もちろん、免疫細胞が増加して、抵抗力がつくようになり、その上基礎体力はついただろうけれど、子供の好奇心や発達を促すのには、児童公園の遊具や、おもちゃがも重要であるかもしれない。また、それらの遊具やおもちゃを自由に使いこなす先輩も必要なのかもしれない。真似をするべき対象がないと、上手に使いこなせないからだ。

 それともう一つ気になったことがある。

 児童公園に来た最初の頃は、自分1人で遊んでいた。私はそれをサポートするだけだった。しかし徐々に変化が起きてきた。 2ヶ月もすると、親と遊びたがるようになってくるのである。例えば、最初の頃は滑り台を好んでいた。これは1人で遊べるからである。とこすすろがしばらく経ったらシーソーで遊ぶようになる。親と一緒に遊べるからだ。で、次第に、親のサポートが必要となる遊具に向かうのだ。具体的に言うと、梯子とか鉄棒とかクライミングにチャレンジするのである。これは、親が体を支えてあげないとできない遊びである。こうなってくると、遠くのベンチで見ているだけでは済まされない。四六時中、公園で一緒に遊ばなければならなくなる。これが非常に疲れるのだが、これによって息子が健康になっていくのであれば仕方ないと諦めている。

つづく。

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posted by マネージャー at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする