2015年10月27日、私たちは佐渡島の妙見山に登りに行きました。途中、立派な杉林がたくさんありましたが、昔は雑木林だったところです。佐渡島の雑木林は、どんどんなくなりつつあります。代わりに杉が植えられて、紅葉は昔ほど綺麗ではなくなりました。ただし、蔦漆が杉の木に巻き付いて、非常にきれいな紅葉を見せてくれています。こういう風景は昔はありませんでした。植生の変化とともに、私たちを楽しませてくれる風景も変わっていくようです。
ここには昔、白雲荘という国民宿舎があったのですが、今は綺麗に撤去されて、その代わりに木造のレストランに変わってしまっていました。ここから見る佐渡島の風景は、すごい絶景だったのに、どうして国民宿舎の経営が成り立たなかったのでしょうか? 不思議でしょうがないですね。
さて、妙見山に登ろうとしたら、昔の登山道が閉鎖されていて自衛隊の基地になっていました。そして新しい登山道ができていたのですが、そのルートにびっくりです。
ここは、昔は、絶対に入っていけない場所だったからです。ここに入ったら最後、迷って出られなくなると言う場所が、大佐渡山脈には、何カ所かあるのですが、まさしくその場所だったわけです。普通なら、こんなところに登山道を作るわけがない。第一、急すぎて、登山するお客さんに対しても不親切だろうと、不思議でなりませんでした。
それならば、キャンプ場の方から展望台を経由して簡単に登れるルートがあったなぁと、そちらのほうに行こうかと思ったのですが、なぜこんなところに新しいルートができたのか、どうしても知りたかったので、息子を連れて登ることにしました。
ちなみに、どうして迷って出られなくなるかと言う理由を子供の頃に、学校の先生やボーイスカウトの人たちから何度か聞いたことがありますが、答えは決まって同じで「狢に化されるから」でした。しかし、それも今にして思えばおかしな話です。そんな訳は無いからです。けれど、迷って出られなくなるという話は本当で、私も子供の頃に、それを経験したことがあるのです。その理由が、この新しいルートを登ることによって、わかるかもしれないなぁと、ワクワクドキドキしながら登ってきました。
で、わかりました。
1発で解りました。
確かにこの林は、迷いやすい場所です。
ブナ林だからです。
ブナ林は迷いやすいのです。
そういえば昔佐渡島には、たくさんのブナ林がありました。そして、それらのブナ林の中に入ると、迷って出られなくなることが多かったと思われます。地元の人々は、それを狸のせいにしたんだと思いますが、タヌキもいい迷惑だったでしょう。あと、たかだか妙見山ごときの山で、登山届を出さなければいけない理由もわかりました。新しいルートのはブナ林だったからです。
で、わざわざブナ林に新しいルートを作った理由も解りました。ブナ林のルートは商売になるからです。だから、もっと見晴らしの良い、なだらかで気持ちの良いルートがあるにもかかわらず、わざわざブナ林に新しいルートを作ってしまったわけです。これは、環境保護の観点から、観光の観点からも、賛否両論かもしれません。
それにしても、この自衛隊の基地には驚きました。昔は、もっと緩やかな感じだったのですが、この新しい基地は警備が厳重です。とてもでは無いですが、素通りして大佐渡山脈を縦走することはできません。届け出を出さない限り無理なようです。米ソ冷戦時代の自衛隊の基地は、もっとおおらかでした。歩いて通行する限り自衛隊の道路を自由に行き来できたのです。しかし、米ソ冷戦時代よりも今の方が警備が厳重なのは、どういうことなのでしょうか?
ところで、中学校時代や高校時代に、この妙見山によく登ったものです。写真のように、石垣があるのは、大昔から続いている信仰登山の証でもあります。中学生の頃は、家族が旅行に出かけた後に、ひとりで妙見山に登り深夜にここで座禅を組みました。
意外に思われるかもしれませんが、佐渡島の山は暗くありません。海のあちこちに漁火があるために、非常に明るいです。ましてや月夜の晩ともなると、真っ昼間のように明るいです。おまけに島の夜景も輝いています。この島では、いちばん大きな動物が、タヌキぐらいのものですから、闇が怖いという感覚も起きてきません。これが、本土だったとしたら、大分違っていたんでしょうが。
大平高原。
妙見山から下山して、しばらく車を走らせると、大平高原があります。
懐かしかったので、散策してみました。
ここには昔、土産物屋があったりして、そこのおばちゃんの息子さんが、旅好きで、世界中を回っているという話を20年前に聞かされたことがありましたが、その土産物屋も、この通り廃墟となって薮の中に埋もれてしまっています。あのおばちゃんは、今、何をしているんだろうか?と感慨深く思ってしまいました。昔は、観光地として有名だった大平高原も、今や閑古鳥が鳴く単なる牧場跡地となってしまっています。ここは佐渡島でも有数の眺めが良いところなので、もったいないといえばもったいないです。
そして、大平高原から少しばかり車を走らせるとあるのが乙和池です。ここも高校時代によく訪れたところで、美しい紅葉をみせてくれる場所でもあり、湖に「ひよっこりひょうたん島」のように島が浮いている珍しい名所でもあります。なのに誰一人として訪れる人がいません。もったいないというか、観光資源が活用されてないというか、まあ、その方が、自然保護には良いのかもしれませんが。
(以下、乙和池の画像)
じつは、この乙和池は、乙和(おとわ)の民話の場所です。
乙和の民話を佐渡の人なら知らぬ人はいません。
島民にとっては、夕鶴よりもメジャーな民話です。
どんな民話かというと、こんな話です。
昔、とあるお寺に、女の子の赤ちゃんが捨てられました。お寺の和尚さんは、縁あってのことと思い、その赤ちゃんを育てることにしました。赤ちゃんは、乙和と名づけられました。乙和は、すくすくと大きくなり、村の人たちからも可愛がられ、誰からも愛されました。そして10歳ぐらいの頃、乙和は和尚さんに尋ねました。
「和尚さん、和尚さんは、どうしてみなしごの私を育ててくれたんですか? 」
「それが仏の道というものなのだよ」
「仏の道とは、どういう事なんでしょうか? 」
和尚さんは良い機会と思い、乙和に仏の道を教えることにしました。
「昔、旅人が荒野で行き倒れになったことがあった。そこに、熊と狐とウサギが通りかかった。それを哀れに思った熊と狐とウサギは、旅人を助けることにした」
「・・・・」
「熊は川で魚をとってきた。狐は木の実をとってきて旅人に差し出した。しかしウサギはどうしても人間が食べられるものを見つけられなかった」
「・・・・」
「ウサギは旅人に言った。『私には何もしてあげられません。なのでこの体を食べてください』そしてウサギは、燃え盛るたき火の炎中に飛び込んだのだ。旅人は必死になって火を消したのだが、間に合わなくてウサギは黒こげになってしまった。旅人は、そのウサギの行いに号泣しつつ、ウサギを食べたという」
「・・・・」
「どうした? 乙和、なぜ泣いている」
「ウサギさんがかわいそうです」
「かわいそうかも知れぬが、ウサギは輪廻転生の後に人間に生まれ変わった」
「人間に? 」
「良い行いをすれば、人間や菩薩に生まれ変わる。逆に悪い行いをすれば、畜生や餓鬼に生まれ変わる。ウサギはその行いゆえに人間に生まれ変わり、そしてお釈迦様としてこの世に誕生したのだ」
「では、乙和も良い行いをすれば、良い人間に生まれ変わることができますか? 」
「もちろんだとも」
「お父さんと、お母さんがいる、おうちに生まれかわることが出来るんでしょうか? 」
「うむ」
「では、乙和はこれから、ひたすら良い行いを心がけます」
その日から、乙和は、村人の手助けをするようになりました。あちこちに出かけては、困っている人たちの手助けを始めたのです。もともと村人に可愛がられていた乙和ではありましたが、乙和のさらなる手助けによって、村人はますます乙和を可愛がるようになりました。誰もが乙和を愛し、誰もが乙和を自分の娘のように可愛がってのです。乙和には、血の繋がった両親こそいませんでしたが、村人の誰もが乙和の父親であり、母親になっていました。
ある年、村に日照りが襲いかかりました。
何日も何日も雨が降らなくなったのです。
乙和は、村人たちの助けになろうと、
いろいろ動こうとするのですが、村人たちは、力を落としたままです。
「畑の雑草を取りましょうか? 」
「無駄だ、こんなに日照りが続けば、雑草をとっても意味がない」
「川に水をくみにいきましょうか? 」
「ありがとうよ、でもな、川に水なんかありゃしない。このままでは、村は全滅だ。雨さえ降ってくれればなぁ」
村の人たちは、無気力にため息をつくばかりでした。何もできない乙和。何の力にもなれない乙和が、すっかりしょげ返っていると、和尚さんが元気づけるように「山菜でもとりに行こうか」と言ってくれました。「少しでも山菜を集めて困っている村の人たちに差し上げよう」というのです。
乙和は喜んで、和尚さんと一緒に山の中に入っていきました。山には、食べられる山菜などがたくさんありました。乙和は、村の人たちのことを思って、一心不乱に山菜を取り続けました。あまりにも熱心なので、どんどんどんどん山奥に入っていき、和尚さんに呼び止められたのです。
「乙和、そこから先には行ってはならん」
「なぜでしょうか? 」
「そこから先は、女人禁制なのだ」
「・・・」
「女が足を踏み入れると竜神様の怒りに触れる。だから、そこから先には絶対に行ってはならん。もう帰ろう。山菜は充分にとれた。これだけあれば、村の人たちも大喜びだ」
「・・・」
何を思ったのか、 突然乙和は、女人禁制の場所にどんどん走っていきました。
「乙和! ダメだ! 戻ってこい!」
「和尚様、お許しください」
「どうしてだ乙和! そっちへ行っては竜神様の怒りに触れるではないか」
「和尚様、村の人たちによろしくお伝えください」
「乙和!」
山は、次第に雲行が怪しくなってきました。
突風が吹き荒れ、雷が鳴り出しました。
しかし、乙和は、どんどん山の中に走っていきました。
「竜神様、お怒りください。私を罰してください」
雷鳴は轟き、突然、嵐が起こりました。
「乙和! 乙和! 乙和!」
雨は7日間降り続き、村は救われました。
乙和は、二度と帰ってきませんでした。
毎年7月23日の乙和の命日には
乙和の霊を慰めるために「乙和池まつり」がおこなわれています。
つづく。
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