録画してあった大河ドラマ「真田丸」の3話をやっと見ました。で、感想なんですが、やはりやってくれたか…と思いました。この回は伏線だらけだったですね。シナリオが実にうまい。と同時に、シナリオライターは、かなり歴史に詳しい人だなぁと思いました。
しかし、やはりこの大河ドラマにもフィクションが、たくさん入っています。それは2話の甲府から岩櫃城まで移動シーンでもフィクションが入っていましたが(それは前回このブログで解説しましたね)、今回も色々と入っています。たとえば、小山田茂誠(高木渉・木村佳乃のご主人役です)のところなんか、かなりフィクションが入ってますが、これはこれでいい味を出しています。
それにしても小山田茂誠あたりにスポットを当てるなんて、憎い演出をしています。一体このドラマは、どこに行こうとしているんでしょうか? そういえば、きり(長澤まさみ)の登場にも驚きました。この役は、いったいどのような役なんでしょうかね? 長澤まさみが、演じるという事は、よほどのキーパーソンなんでしょうね。
あと笑ったのが藤岡弘の本多忠勝!
いい味だしていたなあ。
それはともかくとして、 3話のストーリーは、真田昌幸がいろいろな謀略を行いつつ、織田信長の配下につこうと旅に出かけるシーンで終わります。ドラマでは真田昌幸をかなり腹黒い男として描かれていますが、私は個人的に、真田昌幸は腹黒い男ではなかったと思っています。
もちろん彼の得意技は調略。つまり、敵方の人材を引き抜いたり、謀反を誘発させたりしますけれど、これを今の感覚で言うところの「腹黒い」というのとは、ちょっと違うんですよね。この当時の調略とは、今で言えば選挙活動みたいなものです。自分の土地を安堵してもらうために、誰を親玉にするか選挙活動するようなものです。
武田信玄が死んだ後、武田勝頼の時代に、あっという間に武田軍団が崩壊した理由は、多くの家来が裏切ったためですが、実際のところは裏切るというより同盟を廃棄したといったほうがいいですね。
武田の土地には名田と恩地があります。
名田は、先祖伝来の土地。
恩地は、信玄からもらった土地です。
裏切った家臣たちの多くは、先祖伝来の土地をもつ国人。いわば武田の同盟者。しかし真田幸隆・真田昌幸の領地は恩地ですから、真田軍団というのは、武田信玄の家来みたいなものです。もちろん調略によって真田について本領安堵された群馬県吾妻郡の領主たちの土地は名田ですから、彼らは真田に恩があるというわけでないから、もし真田が行政に失敗してしまったら、群馬県吾妻郡の領主たちは簡単に主人を見限ってしまいます。それを防ぐために、武田信玄は、甲州法度で「寄親(このばあい真田)に不服がある場合は、訴訟できる」と決めており、行政(領国経営)に細心の注意をはらっていました。
ここで武田軍団の旗印を思い出してみましょう。
風林火山です。
孫子の言葉です。
孫子の本質は、戦わずして勝つ。
この一言に尽きます。
なので武田信玄も真田幸隆・真田昌幸も、盛んに調略によって相手を降伏させています。戦わずして勝利しているのです。もし、上杉謙信と正面衝突したら武田軍団・真田軍団も危うかったかもしれませんが、彼らは調略を盛んに行いました。そして、それが成功する理由の1つに、海野氏と言う親戚同士だったこともありますが、それでも武田軍団・真田軍団の行政能力が非常に高かったということもあると思います。
逆に言うと、武田軍団の真田軍団も行政(領国経営)で失敗してしまったら、あっという間に軍団は解体してしまった可能性があります。武田勝頼は、武田信玄より戦争が上手だったみたいですが、行政(領国経営)で失敗してしまったみたいなんですよね。それで多くの国人(国衆)たちにそっぽをむかれたんだと思います。なにしろ武田軍団の領地の大半は、名田武士たちですから。
ではなぜ? 武田信玄は、領国経営を重んじるようになったのでしょうか?
実は、武田信玄は、戦国時代には珍しいスーパーインテリだったんですよね。
その上、血筋も最高でした。
その側で、英才教育を受けたのが真田昌幸だったわけです。
つづく。
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