2016年02月15日

大河ドラマ「真田丸」を地元から語ってみる 9

 ブラタモリ沼田編、面白かったですね。軽井沢編よりも余程面白かったです。冒頭にタモリが、河岸段丘のことに触れていましたが、実は私も地質オタクとして沼田の河岸段丘を何度も見に行っているんです。あと、歴史オタクとしても沼田には何度も足を運んでいます。沼田の図書館は何十回と通っているんですよ。日本ユースホステル史を調べるためです。実は、日本ユースホステル協会を作った横山祐吉氏は、沼田藩の士族だったんです。

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 沼田藩といえば、大河ドラマの真田丸にでてくる真田信幸が始祖に当たりますが、実はその沼田藩は、少々めんどくさいことになっているんですよね。1600年の関ヶ原の戦いで東軍についた真田信幸は、負けた父親(真田昌幸)の上田領も領土としてもらい、沼田と合わせ9万5千石の上田藩となります。しかし、1622年に、真田信幸は松代藩13万石へ加増移封となります。ただし、沼田領は引き続き真田領のままでした。ここまでは、問題ないんですが、この後に少々めんどくさいことになります。

 真田信幸には、 2人の子供はいまして、
 長男が真田信吉。
 次男が真田信政なんです。

 で、長男(信吉)には沼田藩3万石を継がせました。
 で、次男(信政)には松代藩10万石を継がせました。

 と、このように書くと何か差別があるように感じられますが、実は両者にはそんなに差はありません。沼田藩といっても、領地は吾妻郡と沼田地域の広大な面積を占めており、群馬県の3分の1ぐらいの広さを持っています。実質の石高は、9万石ぐらいだと言われています。

 逆に言えば、9万石なのに3万石の表記であるから、その分の役目が少なくてすみますので、その方がお得なのです。しかも、領地が吾妻郡と沼田ですから、いわゆる海野氏の勢力範囲であり真田軍団の中心的な地域でありますから、どうせもらうなら沼田藩3万石の方が、圧倒的に美味しいのです。だからこそ、長男(信吉)には沼田藩3万石を継がせたのではないかと思います。

 話わかりますが、真田信幸は、ものすごい長寿でした。 93歳まで生きていたというから、江戸時代にギネスブックがあれば、間違いなく世界1番の長寿だったと思います。その真田信幸は、松代藩の藩主でしたから、本家は自動的に松代藩ということになります。つまり次男の真田信政の方が、本家ということになりました。で、真田信幸が、 93歳で亡くなりますと、沼田藩と松代藩で本家争いをします。いわゆるお家騒動が始まるわけです。

 ちなみに長男真田信吉の子供は、真田信直(信幸の孫)といいます。彼は、信幸の長男信吉の子であることを理由としてと幕府に訴え出て松代藩の本家相続の撤回を求めましたが、幕府の回答は、沼田領は松代藩から分離独立。信直を藩主として正式に沼田藩として独立します。怒った真田信直は10万石の松代藩に対抗するため、寛文2年(1662年)に検地を行って、表高3万石に対して実高14万4000石の幕府に報告しました。その上、沼田城を修築して巨大で豪華な天守閣を立て、江戸藩邸も松代藩邸以上のものに改造したために、領民は重税を強いられ、あわよくば第二の島原の乱が起きそうな雰囲気にまでなってしまったといいます。

 それが原因で沼田藩は、お取りつぶしというか改易となり、 信直は山形藩奥平家に、長男の信音は赤穂藩浅野家に、次男の武藤源三郎信秋(母は正室松姫)は郡上藩遠藤常春に、三男の栗本外記直堅・四男の辰之助は上田藩仙石家にお預けとなりました。

 この後、沼田藩は、本田家、黒田家、土岐家と続いて幕末に至ります。ただし、吾妻郡に関しては、幕府領となって、幕末まで続きます。嬬恋村は沼田藩から逃れて幕府領のまま明治維新を迎えています。ここまでは、歴史の本などでよく書かれている歴史ですが、ここから先は、地元の老人たちから聞かされた話です。

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 嬬恋村は、なんだかんだと言って真田の親戚が多い地域なんですが、沼田藩に対しては、非常に恨みがあるようです。真田信直のやった政治は、本当に酷いもので、嬬恋村の農民たちは、その後何百年も恨めしく思っていたようでした。で、その悪代官の代表が鎌原氏でした。

 もともと鎌原氏は、真田幸隆や真田昌幸の先陣として大活躍した嬬恋村の一族ですが、真田家が松代藩と沼田藩に分かれた時に沼田藩につき、沼田藩の悪政を手助けする側になりました。そのために鎌原氏は地元民に長年にわたって恨まれることになり、つい最近まで鎌原氏の墓がなかったくらいです。人々からどのような悪さをされるか分からなかったからです。鎌原氏は、年貢を払えない農民を水牢に入れるなどの拷問で苦しめました。怨嗟の声はちまたに広がりました。どうでも良いことですが、吾妻郡には水牢が多いんですよね。現在でも残っています。

 ちなみに鎌原氏は、途中で真田家から養子を迎えています。真田幸隆の弟です。つまり、鎌原氏も真田一門なんですね。で、嬬恋村が幕府領となった後も、幕府の代官としてこの地(鎌原観音堂付近)に残ります。そして関所の役人か何かをしながら生きながらえるわけですが、今から200年前に天明の大噴火がおこり、鎌原村は壊滅するわけです。そして鎌原村を再建するときに、身分というものをほぼ廃止するわけです。これについてはまた別の機会に述べたいと思います。

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 さて沼田ですが、土岐氏が代わりに統治をするわけですが、元々いた地侍たちは、土岐氏に仕えます。その中に横山氏がいました。これが日本ユースホステル協会を作ったよ横山祐吉氏のご先祖になります。これについても別の機会に述べたいと思います。

つづく。

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posted by マネージャー at 21:08| Comment(5) | TrackBack(0) | 真田丸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする