そんな事はどうでもいいとして、今日はちょっと時間ができたので、先ほど大河ドラマの真田丸の録画を4話分ぐらい見ました。23話から26話の4話です。その感想を述べたいと思います。
前から薄々感じて湧いたのですが、このドラマのシナリオライターは、徳川家康のシンパですね。真田幸村の話を書いているのにも関わらず、徳川家康の側から見て歴史を書いています。 23話から26話を見る限り、それは間違いないと思われます。まず、秀吉が朝鮮出兵をした理由を鶴松を失った悲しみを紛らわすために行ったという林羅山がの説を採用しているからです。
もちろんそんな事はありません。
これは徳川陣営が流したフィクションです。
徳川史観なんですよね。
秀吉の大陸遠征の計画の準備は、それよりずっと前に行われています。というか、それをそそのかしたのがイエズス会と当時世界最強のスペイン軍です。当時のスペインは、ポルトガルを併呑し、世界の大半を植民地にしてしまいました。そのパワーは、あの大英帝国や現在のアメリカよりも大きかったと思われます。
そして次々と世界はヨーロッパに征服され、最後に残ったのが、日本と中国と朝鮮だったんですね。で、イエズス会の宣教師は、日本を征服するのは難しいけれど、中国なら簡単に征服できると考えて、フィリピン総督に日本と同盟して、中国を攻撃しようと報告書送っています。フィリピンのマニラ司教であったサラサールも、盛んに中国を攻撃すべきであると訴えています。実際、スペインは中国侵略の準備を着々と進めていました。本国から軍艦を次々と呼び寄せ、場合によっては日本と同盟を組み、南北から中国を攻略しようとしていたのです。
ところが、ここで重大な事件が起きます。
スペインの無敵艦隊がイギリス軍に敗北するんです。
当然のことながら、中国に遠征どころではなくなってしまいます。
また、空気の読めないイエズス会日本支部の準管区長ガスパール・コエリョによって、武力による秀吉に対する威圧行為によって秀吉を怒らせてしまったんですよね。おまけに彼らは日本人を奴隷貿易に使っていた。言ってることと、やってることが違うことがミエミエだったので秀吉が激怒する。そしてバテレン追放令となってしまうんです。日本とスペインの同盟の話は、これですっかり消えてしまいました。
その結果、日本は中国に攻め入ることが不可能になったんです。当時の日本軍が、中国に上陸するには、どうしてもスペイン海軍の力が必要です。ところが、当時の日本にはそのような海軍がなかったんですね。そうなると、中国に攻め入るためには、朝鮮半島道を通るしかないわけです。こうして朝鮮出兵が行われたんですが、これが最悪の選択だったんです。
なぜ最悪だったかと言うと、陸路では補給は続かなかったからです。
これが海だったら話は別でした。
ここで、少しばかり戦国時代の軍事編成について解説しておきます。
当時の軍役を調べてみると、兵力の2割が補給部隊(小荷駄)なんです。せいぜい100キロくらいの距離しか移動しないのに補給のために兵力が2割も割かれるんです。しかも、それでも物資が足りなくて地元の商人から買い集めたりしました。これが200キロになった、さらに大量の物資が必要になります。なので孫子にも「攻撃側が不利」と書いてあります。だから攻撃側は3倍の兵力が必要だったんです。3倍でも兵站に2割をとられるから、2倍にしかならない。距離が離れていれば、もっと兵站に人数がいります。なので戦争上手の項羽も、兵站上手の劉邦に敗れてしまう。
けれど、船なら大量の物資が届けられる。
そこに目をつけたのが秀吉です。
秀吉の小田原征伐は、船を使ったからこそ可能でした。
船という流通革命は、戦争指導を一変させたんです。
ところが朝鮮出兵では陸路で補給物資を届けなければならなかった。そうなると、兵力の半分以上を補給のために使わないといけない。おまけに当時の朝鮮には、商業が全く発達して無くて、現地で物資を買うことさえ出来なかった。朝鮮には流通が全く整備されていないんです。
これが中国なら話は別で、金さえあれば食糧が集まったんですよね。船も運河もあったし流通も整備されていた。そういう意味では、補給路の確保を充分に考えてなかった朝鮮出兵は、圧勝につぐ圧勝をかさねても、補給面で苦しくなってしまい、厭戦気分ならざるえなかったんですよね。
ただし、日本軍は圧勝につぐ圧勝でしたから、秀吉の耳には、景気の良い話ばかりはいったはずです。大河ドラマ「真田丸」の秀吉のように秀吉が落ち込んでいたわけがないんです。だからこそ仮装パーティーなんかやって遊んでいたんですよ。
つづく。
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