2017年12月28日

息子を連れて佐渡島へ 1

 うちの嫁さんは、毎月一回は息子を連れて里帰りをしています。おばあちゃんに息子を会わせるためです。私も「行ってきな。親孝行してきなよ」と、嫁さんに推奨しています。親が親孝行しないで、息子が親孝行な人間に育つ訳がないからです。

 そういうわけで、うちの息子はすっかりおばあちゃん子です。明日はおばあちゃんの家に行くんだよと言うと、非常に嬉しそうな顔します。夜寝る時も、明日はおばあちゃんの家行くんだよね、と何度も念を押します。そして、庭先でドングリやヤマボウシの実みを拾ってなんかを拾って「これをおばあちゃんに持っていこうかな」なんて言ってます。その光景が、とっても微笑ましかったんですが、ある時、息子がこんなこと言ってきました。

「タケルには、おじいちゃんは居ないの?」

 実は、嫁さんの父親は、かなり若くして脳腫瘍で亡くなっています。なので、息子の母方の祖父は、この世にはいません。しかし、私の父ならまだ生きています。ただし、85歳ぐらいなので、いつ仏様になってもおかしくない年齢です。

「タケルには、おじいちゃんは居ないの?」
「いるよ」
「どこにいるの?」
「佐渡島と言うところだよ」
「佐渡島?」
「タケちゃんは、 2年前に佐渡島に行っておじいちゃんになっているんだけれどね、それは2歳の頃だから覚えてないのかな? 」
「うーん」
「おばあちゃんだって、もう一人いるんだよ。タケちゃんには、おばあちゃんが二人いるんだ」
「ちがうよ、おばあちゃんは一人だけ」
「いやいや、二人いるんだ」
「えええええええええええええ、違う違う」
「本当だよ、二人いる。一人は館林に、もう一人は佐渡島に」
「違う違う違う違う」

 このような言い合いになったわけですが、息子は親と同じく、祖母は一人だけだと思っているらしい。なので、その誤解をとくように何度か説明するのですが、いまいちピンとこないようなのです。ああ、これは、実際に会わせなければ理解できないんだな・・・と、久しぶりに私の故郷・佐渡島に里帰りしなければならないと思うようになってきました。

「そうか、たまには佐渡島に帰ってみるか。いつまでも佐渡島のおじいちゃん・おばあちゃんが生きているとは限らないからね」

 というわけで、息子のために2年ぶりに佐渡島に帰ることにしました。今のうちに父方の祖父母にも会わせておいて、息子に思い出を作ってあげないと思ったからです。

 出発は11月6日。前日から準備して、朝の5時に車に乗って出かけました。新潟港9時20分出発のカーフェリーに乗るためです。車ごとカーフェリーに乗りますから、往復チケットをインターネットでカード決済で予約。これによって乗船料金がかなり安くなります。本当なら北軽井沢からだと、直江津まで行ってそこから佐渡島に行った方が早いのですが、 11月から直江津航路は閉鎖になっていました。なので、北軽井沢から新潟港まで高速道路を使って3時間で到着。カーフェリー「おけさ丸」に乗り込みました。

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 「おけさ丸」は、 5,860トンと大きな船で、授乳室・喫煙室・ゲームセンター・ペットコーナー・スナック・食堂・売店・イベントプラザ・コインロッカーとなんでもあります。私が子供の頃には、佐渡汽船の船はもっと小さくて海が時化ると、船酔いで大変でした。みんなゲロを吐くために、船のあちらこちらにアルミのオケがおいてありました。

 だから佐渡島の人間は船の乗り方をよくしています。窓側なんかに行かずに船の中央部に場所を取ります。そして進行方向に対して前すぎてもだめだし、後ろすぎてもダメです。前過ぎると波にぶつかって船が揺れて気持ち歩くなるし、後ろすぎるとディーゼルエンジンの振動で、これまた気分が悪くなります。

 あと島民は必ず場所取りの意味も含めて100円で毛布を借ります。毛布を広げれば、そこが自分の領土になります。で、元島民として毛布を借りに行って帰ってきたら、嫁さんと息子は窓際を占拠していました。
「窓際は酔うぞ」
と思ったんですが、まぁせっかくの船旅だし、白波も経ってなかったので、好きなようにさせることにしました。

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 毛布で場所取りをした後は、船内の探検です。なにしろ嫁さんも息子も海無しの群馬県民ですから、海の上に浮かんでいる船に乗っているだけでハイテンション。群馬県民は、海を見るだけで幸せになると言う変わった人種ですから安いものです。
 これが夏だったら、航行中にトビウオが飛んでいたり、船がイルカの大群に囲まれたりするんですが、今は11月なので、それは期待できそうもありません。

 代わりに売店で「かっぱえびせん」を買って、それをカモメたちに放り投げました。そしてアッという間にカモメたちは集まってきました。息子は、そんなカモメたちに大喜びです。

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 で、次は、息子の船内探検。
 疲れ知らずの息子は、二時間ちかく船内をウロウロ。
 全くもって休む気がありません。
 嫁さんは、三十分でダウン。

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 私も、いい加減嫌になってきたので、
 息子をレストランに誘ってアイスなどを食べてつつ休憩しました。
 ちなみに下の画像は、佐渡乳業の看板。

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 佐渡の牛乳・バターは、ここで作られますが、実は私の実家から徒歩1分のところに工場があって、小学生の頃に学校で見学にいったりしています。それが縁で学校帰りによく遊びに行ったものです。そして賞味期限切れの牛乳をもらったりしました。

 今からしたら信じられないことですが、昔は仕事している現場に近所の小学生が乱入できたんですよね。追い払われなかったんです。それで牛乳をもらったんですよ。で、学校の給食で牛乳を残していた奴が、「おっちゃん、牛乳クレー」と強請っていたんです。まあ、迷惑もいいところなんですが、そういう事が許された昭和時代という、のんびりした時代があったんです。

 ちなみに実家では、牛乳を取っていて、毎日6時頃に牛乳配達のおじさんがやってきました。その時の牛乳瓶のガチャガチャいう音に目覚めて、牛乳をとりにいったものです。私は、実家で牛乳を飲んで、学校給食で飲んで、工場で飲んだりしましたから、一日3本も飲んだことになります。

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 実は、この佐渡乳業の牛乳やバターは、知る人ぞ知る有名ブランドで、特に佐渡バターは軽井沢の高級レストランでもよく使われています。佐渡乳業の企画力・商品力は本当にすばらしいもので、北軽井沢も見習ってほしいものですが、残念ながら北軽井沢の「みるく村」は、よそに買収されてしまって、北軽井沢ブランドは無くなって、みるく村も今では見る影もありません。
 ちなみに現在の佐渡乳業は、規模が拡大して、佐渡島でも大きな会社になっており、ここに外海府ユースホステルの息子さんが就職しているそうです。話は変りますが、今回は外海府ユースホステルに泊まるのも目的の一つです。そして外海府ユースホステルを、ここを読んでる皆さんに紹介する予定です。おっと話がそれました。

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 上の写真はジェットホイルという高速船です。
 私は、一度も乗ったことがありません。
 値段が高いし、船はのんびりの方が好きなので。
 下の写真は、佐渡おけさを歌った村田文三です。
 ロビーに飾ってありました。

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 村田文三は、佐渡おけさや相川音頭を全国的な民謡にした功労者で、彼の節回しによって、佐渡おけさが日本を代表する名曲になったと言われています。もともとの佐渡おけさは、もっとテンポの速い曲で、誰にでも歌えるものでしたが、彼の歌が有名になって、現在の佐渡おけさになったと言われています。つまり、今の佐渡おけさは「村田文三さどおけさ」なんですね。

 ちなみに私が、ヨーロッパに行ったときに佐渡おけさを歌ったら、口の悪いドイツ人が「雑音にしか聞こえない」と言ってきたので、「こきりこ節」や「谷茶前節(たんちゃめぶし)」を歌ったら、大喜びで「すばらしい民謡だ」と絶賛。彼らは手拍子したり、踊り出したりしたので、おもしろいなあと思ったものです。

 こきりこ節も谷茶前節も、テンポの良い曲ですから、ヨーロッパ人に受けたのかもしれません。しかし、佐渡おけさは、ヨーロッパのどこで歌っても
「?」
という感じで、シーンとなります。彼らには、音楽に聞こえてないようです。雑音にしか聞こえてないんですよね。しかし、これが日本になると、逆で、佐渡おけさの方が、メジャーで、こきりこ節も谷茶前節もマイナー民謡ですからおもしろいですね。

(ただし西洋化された平成時代の日本では、こきりこ節や谷茶前節の方が、メジャーかもしれない。しかし昭和では、佐渡おけさの威力が凄く、私が上京した頃は、宴会の席で、佐渡おけさを踊れとか歌えとか良く言われたものでした)





 ようするに村田文三の節回しを理解できるのは、日本人だけがもつ右脳のせいかもしれません。世界で日本人だけが、特殊な右脳をもっていて、虫の音を言語や音楽として認識できることと関係あるかもしれません。このあたりは、脳科学がもっと進歩すると、分かってくるかもしれません。若い脳科学者に、佐渡おけさを使って、ヨーロッパと日本人の脳の反応実験をしてもらいたいものです。

 もっとも村田文三以前の佐渡おけさは、独特の節回しも無く、テンポの良い曲なので、これだったらヨーロッパ人に受けたかもしれません。しかし、それでは佐渡おけさが日本で大ヒットすることもなかったでしょう。やはり佐渡おけさは、村田文三あっての佐渡おけさなんでしょう。

 限に、村田文三の節回しは、民謡界の伝説であり、過去に聞いた人の話によると、体が震えるほどの芸術であったといいますから、村田文三の存在が佐渡おけさを有名にしたので間違いないと思います。

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 これは船内で食べた海鮮丼。
 息子が、休むこと無く2時間以上船を歩き回るので休憩です。
 息子の奴は疲れ知らず。
 嫁さんは船酔いでダウン。

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 そして、佐渡に到着。

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 船はやがて両津港に到着しました。実は、佐渡の両津港こそは、日本最初の鉄船建造をしたところです。ここで、日本で初めて船体構造に鉄材を使用した船が作られたのです。その船の名前は『新潟丸』で、明治四年のことです。

 安政5年(1858)、江戸幕府はアメリカなどと通商条約を結び、横浜、長崎、函館・神戸・新潟の開港を約束しました。そして、明治元年11月19日に正式に新潟が開港となります。そのときに両津が補助港となり、港湾工事が着工され、それが完成されると、新潟と両津を結ぶ、蒸気船を建造して外国人の旅客や貨物を運送することとなりました。

 そして英国造船技師マクニホールを雇い、造船場を建設し、鉄船を建造しました。明治四年のことです。それが日本最初の鉄船「新潟丸」です。意外に思えるかもしれませんが、明治以前の佐渡は、金山のために日本有数の工業地帯でもありました。製鉄に使われる木炭も豊富であり、砂鉄も多かったために、鉄の生産も豊かで、製鉄に関連する山の名前「ドンテン山」もあるくらいで、ドンテンロッジという山小屋もあります。なので、日本最初の鉄船を建造するのに適した土地であったわけです。

 そのうえ新潟港は、信濃川が土砂を運んでくるので浅瀬が多く、大型船の入港には無理があり、小型船でも他所から来た船は現地での水先案内人を付けないと座礁の危険がありました。そこで佐渡の両津港に陸揚げして、それから小型船で新潟に輸送するようになり、そのために両津の湊が繁栄しました。港としての機能は新潟よりも両津港の方がすぐれており、特に冬場は両津の方が積荷も多かったと言います。

 また、佐渡島民は、その巧みな操船技術によって、江戸時代から新潟に薪炭や魚を輸出して儲けていました。その代表格が、外海府ユースホステルの御先祖様たちです。今回の旅は、その外海府ユースホステルに泊まってマネージャーと話をすることも目的の一つです。で、すごい収穫があったわけですが、それについては、後日、ここにアップしましょう。

 佐渡島民は、江戸時代の佐渡は、奉行所の命令で鎖国体制をとっており、他藩と交流が無かったと思っているようですが、それはとんでもない勘違いなんですよね。松浦武四郎の佐渡日誌を読めば分かるとおり、鎖国どころか、その逆なんですよ。佐渡の資料しか読んでないから、そういう勘違いが起きるんです。他地域の資料を読んだら全く違ってくる。それについては、また後日。

つづく。

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posted by マネージャー at 07:19| Comment(0) | 佐渡島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月18日

軽井沢高原教会のクリスマスキャンドルナイト2017に行ってきました

軽井沢高原教会のクリスマスキャンドルナイト2017に行ってきました

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 星野グループが手掛けているだけの事はあって、その幻想的な様は訪れる私たちを圧倒します。広大な敷地に、何千というランタンが光を放ち、森の中を照らします。しかも、道行く人たちにランタンを貸してくれます。息子もランタンをお借りして、森の中を散策しました。あたりは人だかりの山です。ちなみに軽井沢高原教会は、大正10(1921)年に材木小屋で始まった「芸術自由教育講習会」が原点となり誕生した教会です。当時はキリスト教思想家である内村鑑三をはじめ、詩人の北原白秋、小説家の島崎藤村ら文化人が集い学ぶ場でした。

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 その空間をこよなく愛した内村鑑三は「星野遊学堂」と名づけ、布教の場としました。第二次世界大戦後は、星野遊学堂から軽井沢高原教会に改名。しかし「星野遊学堂」の木の看板は、今も変わらず建物の正面に掲げられています。教会前には高さ6mのもみの木ツリーが光り輝き、無数のランタンキャンドルとイルミネーションが森を照らし、とても幻想的でした。教会では、音楽礼拝や、ハンドベルの生演奏も行われています。

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【ハンドベルの調べ】 毎週金曜・土曜日 19:00〜、19:20〜、19:40〜 各回10分程
【ハープ演奏】 毎週日曜日、12/25 18:45〜19:00
【クリスマス音楽礼拝】 毎週日曜日 19:30〜20:00
【クリスマス特別礼拝】 12/25 19:30〜20:00
【クリスマスレター】 18:30〜21:00



つづく。

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posted by マネージャー at 23:59| Comment(0) | 中軽−ハルニレテラス・野鳥の森 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

恵シャレーのマルシェに行ってきました

土曜日に恵シャレーのマルシェに行ってきました。ここ数年、星野グループのキャンドルナイトに押され気味だった恵シャレーでしたが、今年は、マルシェをやってて凄かったですね。屋台で食べた沢屋のピロシキ・揚げたてカレーパンは最高でした。ネパールのカレー・恵カレーも美味しかった。息子は、たき火で焼いた焼マシュマロに大喜び。ホットプリンも美味しかったです。

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焼マシュマロも美味しかった。
トッピングにチョコリンゴ。

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フランク

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チョコケーキと抹茶ロール

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チキンと大根のネパールカレー

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姉妹都市・大槌町の皆さんが、震災の時の支援のお礼に、やってきて、合唱とバイオリンを披露。すごく上手でした。しかも帰りに手作りの御菓子まで頂いてしまった。

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とにかく恵シャレー、がんばっていました。
マルシェも盛況で観光バスが何台も並んでましたね。

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ファイアーショーにコンサートも!

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つづく。

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posted by マネージャー at 23:52| Comment(0) | 旧軽−雲場池・恵シャレー・離山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月15日

四歳児を連れて槍ヶ岳に登ってきた その2

 日没後、私は外に出ました。風は相変わらずでしたが満天の星空。このぶんなら明日の早朝は、すばらしい御来光がおがめそうでした。しかし、山小屋に戻ったら外国人の団体と一緒の部屋にされてしまって、その外国人たちがうるさいうるさい。

 マナーを守らないことで定評のある国の若い団体さんたちと一緒にされるということは、「どうせ子連れ客の幼児(四歳)もマナーを守れんだろう」という偏見が、山小屋側あったのかなと疑いました。というのも他の日本人客の部屋は、ガラガラに空いていたからです。

 そもそも私たちは最初から隔離されるように、部屋を個室のように使っていました。後から次々とチェックインしてくる人たちは、他の部屋に行く。隔離感がはんぱなかった。

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 うちの息子は、どの山小屋に行っても、誰からも絶賛されるほどマナーがよい。絶対に騒がないので驚かれる。これは息子自慢ではなく、そういうお子さんは多いのではないかと思います。自力で三千メートル級の山に登る幼児ならば、そういう躾はできてると思う。

 ところが、うるさかった外国人の団体たちは、九時前には就寝。で、私たちが寝ている部屋はどの部屋よりも静かになってしまった。

「あれ? この部屋、あたりかも!」

 外国人の若い団体たちは、いびきをかかなかった。
 彼らの年齢は若かった。

 しかし、日本人の登山客は高齢者が多くて、いびきでうるさい。
 宿屋である私たちが山小屋利用するのは必ず平日なので、若い人たちなんかいやしない。
 九割が高齢者で酒飲み。
 だから必ずいびきの大合唱になる。

 山小屋は、二十人くらいの相部屋が多いので、その中には、五人くらいの睡眠時無呼吸症候群の人がいる。ましてや空気の薄い三千メートル級の山なら確実に症状が出る。おまけに彼らは山小屋で酒を飲んで寝る習慣があるので、よけいにいびきがうるさい。

 しかし、若い人にはそれがないのです。
 若者でいびきをかく人は少ない。

 私が、十七年前にユースホステルを開業した頃は、若い人たちばかりでした。なので相部屋スタイルのユースホステルでも何の問題もなかった。しかし、団塊の世代が定年退職しだした2006年以降は、急に中高年のユースホステル利用が増え出して、いびきの苦情が若い人たちから出始めてきた。そこで2006年以降は、耳栓を格安で販売するなどの対応をしたり、予約のアンケートでいびきをかくかどうかを教えてもらい、いびきをかく人の部屋を一般人と区別隔離したりした。それでも中々いびき問題は解決しないでいた。

 そのうち若い人たちが個室予約するようになり、いびき問題はユースホステルから自然消滅したわけですが、個室のない山小屋には、いびき問題がいまだに残っていた。そして、これだけは仕方が無いと私も諦めていたのです。

 ところが外国の団体さんは、多少マナーが悪いといえど、二十歳前後の人たちばかりですから、いびきはかきません。夜九時の消灯時間を過ぎたら、爆睡して無音の状態になる。私たちの相部屋は、どの部屋より静かで寝やすくなっている。ああ、この部屋割りは山小屋側の親切だったんだなと思うことにしました。

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 翌朝、さわやかな目覚め。

 そして朝食。またもや山小屋スタッフさんから御菓子をもらう息子は、とても嬉しそうでハイテンションでした。朝食を食べ終わると見事な御来光が登りました。私たち親子は、しばし朝日を眺めながら、うっとりです。

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「頂上だけれど、どうする?」
「風が強いなあ、四歳が登れる状態かどうか偵察に行ってくる。それまでパッキング(かたづけ)の準備していてくれる?」
「わかった」

 で、10分ばかりかけて、大急ぎで偵察に山頂まで登ってみたけれど、やはり強風。風速二十メートル近くもあります。この強風さえなければ、時間さえかければ四歳児でも登れるんですが、風が強すぎて息がしにくい。おまけに、低気圧が近づいており、明日は雨。もし、ここで無理して息子と登ってしまったら今日は確実に下山中に山小屋泊まり。そして明日は雨の中を何時間も歩かなければならない。


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 駄目だ、撤退しよう。

 撤退して今日中に上高地まで行って自宅に帰ってしまおう。今日中に帰ってしまえば、明日の幼稚園行事『芋掘り』に間に合う。息子が楽しみにしていたけれど、欠席させる予定だった行事に間に合う。ただし、そのためには、十二時間のコースタイムを歩かなければならない。しかも、終バスは十七時で時間制限がある。少なくとも十二時間で上高地に到着していなければならない。

 どうするべきか?

 槍ヶ岳の山頂で一分間迷ったあげく、少々無謀だけれど上高地までの下山を決意しました。息子の体力はわかっている。奴は想像以上にパワフルだ。登山中も槍ヶ岳山頂小屋付近では走って登っていた。私や嫁さんよりも元気だった。十二時間くらいの山道なら歩けるはずだ。

 それに万が一、終バスに乗り遅れたらタクシーがある。そのタクシーも十九時に釜トンネルが封鎖されるので、それ以降は使えないけれど、その時は一時間よぶんに歩いて釜トンネル前まで行ってからタクシーを呼べば良い。それなら勝機はある。そう判断しました。

 そして下山を決意したのです。

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 案の定、息子はハイテンションで下山。
 しかも下山ルートの紅葉は、逆光気味で美しい。

 ここを十二時間で降りるのはもったいなすぎるけれど、明日の天候を考えると仕方が無い。十月中旬ということを考えると下手したら雪の可能性もあるから、のんびりもしてられない。

 こういう親の気持ちは、子供にも感染するらしく、息子の足も速くなります。そして調子にのった息子は、途中、崖から滑落しかかかりました。私は、危ない! と絶叫しましたが、その時、奇跡がおきました。息子は自ら側転して身を守り怪我一つしなかったのです。

 私は息子に、前転、バク転、側転、逆上がり、逆立ち、受け身も教えていることはいるんですが、息子は一度も成功したことがありません。だから私は、息子の運動神経の無さに時々、絶望していたんですが、イザという時に側転を成功させて自分の身を守りました。この時ばかりは、教えておいてよかったと思いました。

 芸は身を助けると言いますが、身のこなしに関することは、たとえできなくても根気強く教え続ければ、それが役に立つ時がくるんですね。だから今後も教え続けることにします。

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 四時間かけて十一時に槍沢ロッジに到着。
 コースタイムどおりです。
 上高地まであと、五時間弱の距離。

 休憩一時間を含めても終バスまで六時間あります。なので昼御飯をとりました。息子は嬉しそうに、ビスケット・ソーセージ・サラミなどをほおばります。そして、あと五時間ほど歩いて上高地に十六時三十分に到着。これほどのハードスケジュールは、二十代の若者がメインの山岳会でも『風のたより』でもやったことがありません。それにもかかわらず、楽しそうに登山していた息子は大したものです。

 これは、うちの息子が凄いと言うより、幼児にはそれだけの潜在能力があるということでしょう。きちんと訓練し、疲れないように工夫し、装備と準備を万全にし、楽しいと思わせながら科学的に登山させれば、決して無謀なことではないと思います。

 また登山を行うと、NK細胞が増加して免疫力をあげてると言われています。厚生労働省のホームページに書いてあります。また登山によって足の筋肉を発達させると病気に対する抵抗力も増やします。筋肉は免疫力を上げて『がん』まで撃退してくれます。

 最新の研究で筋肉の健康効果が次々と明らかになっています。 筋肉から生まれる「グルタミン」という物質は、人間の免疫力の源である「リンパ球」を増やす事が分っています。これによって人間の免疫力が高まり、がん細胞をやっつけたり様々な病気になりにくくなります。

 なので息子は病気をしません。インフルエンザをうつされても一晩寝るだけで治ってしまいます。親は一週間も寝込むのにです。


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 話を戻します。

 槍沢ロッジから、横尾まで二時間。そして、横尾・徳沢園・明神と、徒歩一時間おきに山小屋があります。つまり一時間おきに山小屋で休みながら飲み食いするわけですから息子も大喜び。先を急ぎたいのは山々でしたが、息子を喜ばせることも忘れてはいけないので、山小屋で、ふだんできない贅沢もさせなければなりません。

 十六時三十分。上高地バスターミナルに到着。なんとか終バスに間に合いました。けれど、疲れたので私が
「タクシーで帰らない?」
と提案するも嫁さんは却下です。お金がもったいないと言います。もったいないも糞も三人分の差額は、たったの八百円なんですが、うちの嫁さんは、節約家なので露骨に嫌な顔をします。仕方が無いのでバスに乗ることにしました。

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 上高地からバスで沢渡の駐車場に到着。あとは北軽井沢に帰るだけでしたが、せっかくなので松本の日帰り温泉に立ち寄りました。息子は疲れ知らずで、温泉で大喜び。非日常を大いに楽しんでいました。そして回転寿司で久しぶりの魚を食べて帰宅。翌日は、幼稚園の芋掘りイベントに参加して、息子は大量のサツマイモを収穫してきました。

 子供園(幼稚園)を三日間もお休みしていたので、園の先生が、「どこに行ってきたの?」と聞いたらしいのですが、息子は「温泉に行ってきた」と答えたらしく、園の先生方は
「温泉に行ってきたんですねえ」
と私に言ってきました。私自身も「はあ」と曖昧に返事をしてしまいました。今さら槍ヶ岳といっても山を知らない人には「?」ということでしょうし、いちいち説明するのもかったるいので温泉に行ってきたということにしておこうかと。

 ようするに息子にとっては、槍ヶ岳よりも、温泉の方が印象深かったし楽しかったんでしょう。そして、よくよく考え見たら私も、そうたったかもしれないと思い返しました。登山後の温泉と寿司とビール。これが一番最高だったかもしれません。


つづく。

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posted by マネージャー at 03:41| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする