2018年10月08日

幼児に対する道徳教育について その5『良い習慣』

 つづきです。

 島田洋七氏は、「褒めてやらせよう」というのは少し違うと言っている。私も同感です。褒めなくとも、子供は勝手に、自分のことは自分でするんですよね。ある条件がそろえばです。問題は、その条件です。その条件こそが幼稚園教育・幼児教育の要諦(最も大切なところ)なんですよね。

 それを日本で最初に指摘したのが、日本幼稚園教育の父である中村正直です。
 そうです。自助論を翻訳した中村正直です。
 では、中村正直は、なんと言ったかと、
「よい習慣をつけるのが、幼児教育の要諦」
と言ったんです。

 ちなみに日本における近代教育の始まりは、明治五年八月公布の「学制」により開始されていますが、そこには最初から「幼稚園構想」がありました。なぜ文部省に最初から幼稚園構想があったのか?

 明治五年に文部省が「学制」を公布する一年前。つまり明治四年に、当時の日本人をことごとく震撼させる本が中村正直より出版されているからです。『self help』です。これを中村正直が翻訳した『西国立志編(スマイルズ著・中村正直訳)』。

 この本によって当時の日本人は愕然としました。

 それまでは、西洋列強は、単に科学技術に優れているから、その武力で世界を征服できた。貿易で富を稼いだからその財力で世界を征服できた。・・・と思っていたわけです。しかし、そうではないことが、『自助論(西国立志編)』によって分かってしまった。

 ヨーロッパが強大になった理由は、彼らの方法で品性を磨くことによってヨーロッパ諸国が出来上がったということに気づかされたわけです。だから、自助論を西洋の論語と称したわけです。

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 例えば「酔っ払いを禁止する」といった法律を作ったとしても、その法律で酔っ払いが減るという事は無いと言います。「国民の質が国家の質」という原則を多くの事例を持って語られています。みんなが品性を磨き、自己啓発をしていけば、成功者が生まれてくる。
 
「人間の自由を重んじ、その習慣の形成は第二の天性である。したがって幼少の時からの良い習慣を自然と身につけさせることが必要である」

 スマイルズは、習慣が大事だと言い切ります。だから小さい頃から良い習慣を身につけさせなければいけない。そう説いていますが、これは当時の知識人にとっては耳の痛いところでもありました。そこが当時の日本の弱点でもあったからです。日本の子供たちの多くは、悪い習慣に染まっていたからです。これでは西洋列強に後れをとってしまう。

 で、明治政府は、幼稚園に目をつけたわけです。もちろん中村正直も、子供たちに良い習慣をつけさせなければいけないと思って行動に移します。

 明治7年東京女子師範学校の校長に中村正直が就任すると、 すぐに幼児教育計画を立てて明治9年に日本初の幼稚園を創設しました。主任保母にはフレーベル直伝と言われるドイツ人松野クララ夫人を迎え、日本人保母に藤田東湖の姪である豊田芙雄が就任します。豊田芙雄もまた、自助論に感動した口であり、中村正直の同志でもありました。彼女が書いた『保母の栞』を読むと、それがよく分かります。最初の二行だけ紹介します。

「幼稚園とは何か。多くの幼い子供たちを集めて健康と幸福を保ち、良い習慣を与えて子供たちに最も楽しみを得させるために導く一つの楽しい園宴である」

 文中に「良い習慣を与えて」とある通り、よい習慣を与えることによって、もう一つの天性を伸ばそうと言っているわけです。良い習慣を与えることによって、人は勤勉になり、努力家になり、結果として成功者になります。そうやったできた国民の質が国家の質となる。その結果、なんとか西洋列強に対抗できると、当時の知識階級の人たちは考えたわけです。

 つまり本来幼稚園とは、「子供たちに良い習慣をつけさせる場所」だったわけです。勉強・運動・人格の育成のための場所ではなく、ただひたすらに『良い習慣』をつけさせるのが目的だったんですね。だから成績は悪くても良い。運動ができなくてもよい。それらの優劣は全く問題ではないわけです。『良い習慣づくり』が、問題なわけです。

 もちろん良い習慣の中には、勉強もあるかもしれないし、運動もあるかもしれない。遊びもあるかもしれない。それらを含めて習慣化することが大切なんですよね。歯を磨く習慣とか、挨拶をする習慣とか、時間を守る習慣とか、ラジオ体操をする習慣とか、本を読む習慣とか、ペットに餌を与える習慣とか、字を書く習慣とか、人助けをする習慣とか、あらゆる習慣を身につけさせることが、幼児教育の要諦(最も大切なところ)であると、豊田芙雄や中村正直は、言っているんです。

 そして『良い習慣』さえ身につけさせてしまえば、親は何もしなくても、子供たちは勝手に成長して大物になっていく。それが西洋諸国が強大化していった本質だと言うのです。

 難しい話は、ここでおしまいにします。
 五歳になった息子の話です。

10-09-46.JPG

 うちの息子は、三月末の生まれと言うこともあって、非常に成長が遅かったです。ゲスな言葉で言えば、知能が低めということになります。そのために幼稚園で何をやるにしても他の人よりワンテンポ遅れています。行動もノロノロしていて、運動神経も最低レベルであるために、年少組の先生からも、年中組の先生からも、年長組の先生からも、落ちこぼれぎみであると、何度も聞かされています。で、幼稚園から紹介された二人の専門の先生(作業療法士・発達心理)に特別指導をうけたりしました。

 普通の親なら、ここで焦るべきなんでしょうが、全く私が焦らなかった理由は、幼稚園では『良い習慣』さえ身につけてくれればよいと思っているからです。そして園から帰ったら必ず、ハイキングにいくという習慣。本を読むという習慣。柔軟運動・スクワット・腹筋・腕立てをするという習慣。お客さんに挨拶をするという習慣。そういう習慣さえ少しずつ身につけていれば、なんとかなる気がする。

 それに成長が遅いというのも、全くのデメリットでもないんですよね。成長が遅いがためのメリットもある。一番のメリットは、『良い習慣』をつくりやすいこと。まだ固まってないので、『良い習慣』をつくるのが楽なんです。

 もちろん、それだけじゃない。例えば、好き嫌いがない。食べ物の好き嫌いはもとより、勉強を嫌ったりもしない。そのためにいろんなことを暗記する力があったりするし読書量も多い。五歳児なのに、三歳〜四歳児なみに何でも吸収します。警戒心も薄いので、見知らぬ公園で初めて会った人とすぐに友達になれてしまう。

 そのうえ幼稚園では女の子に可愛がられているらしい。女の子からしたら、出来の悪い弟が同級生にいるようなものらしく、いろいろ面倒をみてもらっているようです。

 実は息子は、空手教室に通っているのですが、あまりにも技のかけかたが下手なので、少しばかり私が指導したりするのですが、それをやると、息子の同級生の女の子が
「タケル君を叱らないで!」
と文句をいってきます。息子を叱ったりすると、息子の同級生の女の子が、私のほっぺたをつねることもあります。どうやら息子の奴は、同級生の女の子の母性本能をくすぐるらしい。もちろん同級生の男の子も、息子をさかんにフォローする人がいます。息子の奴は、いろんな人たちに支えられている。というか、友達に恵まれているらしい。しかも、その友達というのは、仲良く遊ぶ友達ではなくて、遠くから息子を見守っている保護者的な友達だったりする。担任の先生曰く、息子の奴は、ふだんは特定の友人とうまく遊べないでいるらしいからです。どうやら他の子供たちに比べて、幼すぎるから・・・です。



つづく。

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幼児に対する道徳教育について その4『良い習慣』

 つづきです。

 島田洋七氏は、「褒めてやらせよう」というのは少し違うと言っている。私も同感です。褒めなくとも、子供は勝手に、自分のことは自分でするんですよね。ある条件がそろえばです。問題は、その条件です。その条件こそが幼稚園教育・幼児教育の要諦(最も大切なところ)なんですよね。

 それを日本で最初に指摘したのが、日本幼稚園教育の父である中村正直です。
 そうです。自助論を翻訳した中村正直です。
 では、中村正直は、なんと言ったかと、
「よい習慣をつけるのが、幼児教育の要諦」
と言ったんです。

 ちなみに日本における近代教育の始まりは、明治五年八月公布の「学制」により開始されていますが、そこには最初から「幼稚園構想」がありました。なぜ文部省に最初から幼稚園構想があったのか?

 明治五年に文部省が「学制」を公布する一年前。つまり明治四年に、当時の日本人をことごとく震撼させる本が中村正直より出版されているからです。『self help』です。これを中村正直が翻訳した『西国立志編(スマイルズ著・中村正直訳)』。

 この本によって当時の日本人は愕然としました。

 それまでは、西洋列強は、単に科学技術に優れているから、その武力で世界を征服できた。貿易で富を稼いだからその財力で世界を征服できた。・・・と思っていたわけです。しかし、そうではないことが、『自助論(西国立志編)』によって分かってしまった。

 ヨーロッパが強大になった理由は、彼らの方法で品性を磨くことによってヨーロッパ諸国が出来上がったということに気づかされたわけです。だから、自助論を西洋の論語と称したわけです。

lif1801080028-p4.jpg

 例えば「酔っ払いを禁止する」といった法律を作ったとしても、その法律で酔っ払いが減るという事は無いと言います。「国民の質が国家の質」という原則を多くの事例を持って語られています。みんなが品性を磨き、自己啓発をしていけば、成功者が生まれてくる。
 
「人間の自由を重んじ、その習慣の形成は第二の天性である。したがって幼少の時からの良い習慣を自然と身につけさせることが必要である」

 スマイルズは、習慣が大事だと言い切ります。だから小さい頃から良い習慣を身につけさせなければいけない。そう説いていますが、これは当時の知識人にとっては耳の痛いところでもありました。そこが当時の日本の弱点でもあったからです。日本の子供たちの多くは、悪い習慣に染まっていたからです。これでは西洋列強に後れをとってしまう。

 で、明治政府は、幼稚園に目をつけたわけです。もちろん中村正直も、子供たちに良い習慣をつけさせなければいけないと思って行動に移します。

 明治7年東京女子師範学校の校長に中村正直が就任すると、 すぐに幼児教育計画を立てて明治9年に日本初の幼稚園を創設しました。主任保母にはフレーベル直伝と言われるドイツ人松野クララ夫人を迎え、日本人保母に藤田東湖の姪である豊田芙雄が就任します。豊田芙雄もまた、自助論に感動した口であり、中村正直の同志でもありました。彼女が書いた『保母の栞』を読むと、それがよく分かります。最初の二行だけ紹介します。

「幼稚園とは何か。多くの幼い子供たちを集めて健康と幸福を保ち、良い習慣を与えて子供たちに最も楽しみを得させるために導く一つの楽しい園宴である」

 文中に「良い習慣を与えて」とある通り、よい習慣を与えることによって、もう一つの天性を伸ばそうと言っているわけです。良い習慣を与えることによって、人は勤勉になり、努力家になり、結果として成功者になります。そうやったできた国民の質が国家の質となる。その結果、なんとか西洋列強に対抗できると、当時の知識階級の人たちは考えたわけです。

 つまり本来幼稚園とは、「子供たちに良い習慣をつけさせる場所」だったわけです。勉強・運動・人格の育成のための場所ではなく、ただひたすらに『良い習慣』をつけさせるのが目的だったんですね。だから成績は悪くても良い。運動ができなくてもよい。それらの優劣は全く問題ではないわけです。『良い習慣づくり』が、問題なわけです。

 もちろん良い習慣の中には、勉強もあるかもしれないし、運動もあるかもしれない。遊びもあるかもしれない。それらを含めて習慣化することが大切なんですよね。歯を磨く習慣とか、挨拶をする習慣とか、時間を守る習慣とか、ラジオ体操をする習慣とか、本を読む習慣とか、ペットに餌を与える習慣とか、字を書く習慣とか、人助けをする習慣とか、あらゆる習慣を身につけさせることが、幼児教育の要諦(最も大切なところ)であると、豊田芙雄や中村正直は、言っているんです。

 そして『良い習慣』さえ身につけさせてしまえば、親は何もしなくても、子供たちは勝手に成長して大物になっていく。それが西洋諸国が強大化していった本質だと言うのです。

 難しい話は、ここでおしまいにします。
 五歳になった息子の話です。

10-09-46.JPG

 うちの息子は、三月末の生まれと言うこともあって、非常に成長が遅かったです。ゲスな言葉で言えば、知能が低めということになります。そのために幼稚園で何をやるにしても他の人よりワンテンポ遅れています。行動もノロノロしていて、運動神経も最低レベルであるために、年少組の先生からも、年中組の先生からも、年長組の先生からも、落ちこぼれぎみであると、何度も聞かされています。で、幼稚園から紹介された二人の専門の先生(作業療法士・発達心理)に特別指導をうけたりしました。

 普通の親なら、ここで焦るべきなんでしょうが、全く私が焦らなかった理由は、幼稚園では『良い習慣』さえ身につけてくれればよいと思っているからです。そして園から帰ったら必ず、ハイキングにいくという習慣。本を読むという習慣。柔軟運動・スクワット・腹筋・腕立てをするという習慣。お客さんに挨拶をするという習慣。そういう習慣さえ少しずつ身につけていれば、なんとかなる気がする。

 それに成長が遅いというのも、全くのデメリットでもないんですよね。成長が遅いがためのメリットもある。一番のメリットは、『良い習慣』をつくりやすいこと。まだ固まってないので、『良い習慣』をつくるのが楽なんです。

 もちろん、それだけじゃない。例えば、好き嫌いがない。食べ物の好き嫌いはもとより、勉強を嫌ったりもしない。そのためにいろんなことを暗記する力があったりするし読書量も多い。五歳児なのに、三歳〜四歳児なみに何でも吸収します。警戒心も薄いので、見知らぬ公園で初めて会った人とすぐに友達になれてしまう。

 そのうえ幼稚園では女の子に可愛がられているらしい。女の子からしたら、出来の悪い弟が同級生にいるようなものらしく、いろいろ面倒をみてもらっているようです。

 実は息子は、空手教室に通っているのですが、あまりにも技のかけかたが下手なので、少しばかり私が指導したりするのですが、それをやると、息子の同級生の女の子が
「タケル君を叱らないで!」
と文句をいってきます。息子を叱ったりすると、息子の同級生の女の子が、私のほっぺたをつねることもあります。どうやら息子の奴は、同級生の女の子の母性本能をくすぐるらしい。もちろん同級生の男の子も、息子をさかんにフォローする人がいます。息子の奴は、いろんな人たちに支えられている。というか、友達に恵まれているらしい。しかも、その友達というのは、仲良く遊ぶ友達ではなくて、遠くから息子を見守っている保護者的な友達だったりする。担任の先生曰く、息子の奴は、ふだんは特定の友人とうまく遊べないでいるらしいからです。どうやら他の子供たちに比べて、幼すぎるから・・・です。



つづく。

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