2019年02月28日

かこさとし(加古里子) からすのパン屋さん

 息子のやつは、テレビは見ないのですが、幼児用の学習雑誌や絵本ばかり読んでいました。特に絵本作家・加古里子の作品にでてくるキャラクターが大好きみたいで、図書館で毎回のように加古里子の本ばかり買ってきます。中でも『からすのパン屋さん』と『どろぼうがっこう』が、 1番のお気に入りのようで、幼稚園で3回。図書館で20回ぐらい借りています。

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 実は息子を寝かせるのは、私の役目で、私は息子が寝る前に2冊から3冊の絵本を読み聞かせるんですが、絵本の大半が、加古里子であり、それも何度も同じものを読まなければいけないので、内容の大半を覚えてしまいました。で、息子にとって加古里子のどこが面白いのか、非常に不思議です。というのも加古里子の本は、非常に昭和っぽいからです。それも昭和30年代ぽい。とてもじゃないけれど、おしゃれなメルヘンチックな本では無い。平成のお母さんが、これを好んで子供に読み聞かせをするとも思えない。そんな本を息子はこよなく愛するのです。

 加古里子という絵本作家は、絵も文章も書きます。絵は非常に緻密に書かれてあるのですが、やぼったく古臭い絵です。どうしてだろうと調べてみたら、この人は元々作家志望の人ではなく、単なる子供好きのおじさんで、昭和30年ごろに子供会などで自作の紙芝居を次々と発表し続けていた、物好きなオッサンでした。

 昭和30年頃といえば、まだ家庭にはテレビもない時代で、子供たちは空き地にやってくる紙芝居おじさんに群がり、飴玉の1個も買っては、紙芝居に群がる時代でもありました。この時代はまだまだ貧しい時代だったので、飴玉の5個も買えない子供たちは、唯一の娯楽である紙芝居を見ることもできませんでした。

 それを不憫に思った加古里子は、教育的な紙芝居を作って、公園で無料で紙芝居を行うんですが、子供たちは見向きもしなかったそうです。たとえ有料でも、プロの紙芝居おじさんの方が人気だったようです。

 おまけに当時の子供たちときたら、トンボがくれば、トンボのほうに行っちゃう。なので、加古里子の紙芝居は、いつも子供がいなくてガラガラだったそうです。有料の紙芝居の場合は、お金がかかっていたら、トンボが来ても紙芝居を見終わるまで動かなかったそうです。

 そこで加古里子は、子供たちに逃げられないような紙芝居を一生懸命に研究して発表しているだそうです。そのせいか、加古里子の絵本は、常に子供目線です。そのために『どろぼうがっこう』のように、ちょっと下品なところもありますが、その辺が、長年にわたって子供たちに支持されてきているところなのかもしれません。

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 ちなみに加古里子くらい大量の絵本を出版してる人を私は知りません。その数は500冊とも600冊とも言われていますけれど、子供会で発表した紙芝居なんかを含めれば、1,000冊以上は書いているはずですから、それも凄い話ですね。惜しむらくは、去年の5月にお亡くなりになったことです。息子が大好きな『からすのパン屋さん』のシリーズをもっと出してくれるとよかったんですけれどね。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:33| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月27日

小学校に入学を楽しみに待っている息子

 どこの家の息子さんも同じだと思いますが、 5歳ぐらいになると、親に対して気遣いをするようになります。うちの息子もご多分に漏れず、バレンタインチョコのお裾分けをしてきました。こうなると、非常に感慨深くなります。4歳くらいまでは、煩悩の塊でしたから、成長したなぁと言う嬉しい気持ちが半分なのと、その成長がちょっと寂しいなと言う気分も出てきました。

 考えてみれば、幼稚園を卒業するのは1ヶ月後。
 4月になれば小学生。
 ちょっと寂しいですね。
 小学生になれば、ますます休みを取りづらくなります。

 息子が生まれ3歳になったとき、保育園に入れるつもりでした。といっても、ずっと保育園に預けるつもりは毛頭なくて、半分以上は休ませて、山に連れて行ったり、いろいろな体験をさせるつもりでした。ところが、少子化のあおりを受けて保育園と幼稚園が合併してこども園となり、午前中は幼稚園。午後から預かり保育というシステムになってしまいました。つまり保育園に預けたつもりが、こども園という名の幼稚園に入ってしまったわけです。

 この辺あたりから計画が狂ってしまいました。こども園といっても、午前中は幼稚園なので、子供を休ませることが難しい。幼稚園は学校教育なので教育指導要領に基づいた教育システムがあるために、子供を休ませると先生からクレームが出てきます。また、全員ないと出来ないお遊戯などをやるために、できるだけ出席してくださいと言われてしまう。

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 話は変わりますが、私はあまり学校というものを重視していません。本人は行きたくなければ、学校なんかいかなくてもいいと思っている人間です。もちろん勉強は重要だと思ってますから、教育にも力が入りますが、それは別に学校でなくても良いと思っている。

 その考えは、 30年ぐらい前から常日頃から言っていたことなので、うちの嫁さんもよく知っています。なので息子が生まれたときに、嫁さんが不安に思ったらしくて、
『まだ学校に行かなくていい思ってる?』
と不安げに聞いてきました。もちろんその考えに変わりはありません。ただし、学校に行かせないというわけではありません。行きたくなければ無理に必要は無いと思っているだけで、息子が行きたければ行けばいいと思ってる。と答えたら、嫁さんのやつはちょっと安心したようでした。

 で、息子を幼稚園にするか、保育園にするか。という点においては、迷うことなく保育園でした。保育園なら遠慮なくじゃんじゃん休めると思ったからです。ところが、保育園が廃止になってこども園になってしまった結果、息子は幼稚園に通うようになってしまったのです。そして、休むことが非常に難しくなってしまった。

 その上、息子のやつは、幼稚園をいたく気に入ってしまった。午後からの預かり保育も息子のお気に入りです。近所のみんなが、幼稚園に行きたくないと駄々をこねる中、息子がニコニコと幼稚園バスに乗ってきます。友達に恵まれたのか、先生に恵まれたのか、それとも好奇心が強いためか、幼稚園が大好きなんです。 3日ぐらい休ませて、北アルプス縦走に連れて行ったり、佐渡島に連れて行ったりすると、
「明日は幼稚園に行きたい」
と言い出します。こうなると私も、行くなとは言えないので、早めに切り上げて北アルプスの縦走路から下山する羽目になります。

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 話わかりますが、嫁さんのやつは、私が大量の絵本を買ったり、息子の幼児教育雑誌を買ったりする姿を見て、私が常日頃から『無理して学校なんかに行かなくてい』と言っていたこと、矛盾しているように思っていたようです。

(関係ないですけれど、最近の幼児教育雑誌は、すごくレベルが高いです。付録に実際に動く回転寿司のおもちゃなんかがついている。もちろん、全部紙で出来ているのは、昔の雑誌と同じですが、レベルが異状に高い。大人が一緒に作らないと完成しないし、不器用な大人だったら確実に苦戦するレベルのものが付録になっている。そういうものを買って息子と一緒に作るんだけれど、この付録が増えていくと、嫁さんが嫌がるのです。)

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 嫁さんは、学校というシステムが好きなようなんですね。私は、過去の自分の体験からして、あまり学校に対して過度の期待を持っていません。嫌なら無理して学校に行かなくて良いと思ってる。しかし勉強しなくていいとも思っていません。むしろ逆です。知育・徳育・体育はとても大切だと思っている。無理して学校に行かなくて良いけれど、勉強はとても大切だと思っているから、絵本や幼児教育雑誌に金を惜しむつもりは毛頭無い。

 そんなわけなので、もし息子が小学校に入ったら、夫婦の間の価値観の違いで、意見が対立することが出てくるかもしれません。ただし、その可能性も低そうです。なぜならば、うちの息子は、幼稚園も保育園も大好きだし、小学校に入学するのも楽しみに待っているみたいですから。



つづく。

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posted by マネージャー at 20:28| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月26日

今年も、猛暑がくるのだろうか?

 もうすぐ2月も終わりですが、北軽井沢も暖かい日が続いています。そのために、毎日登っていた小浅間山に登れなくなってしまいました。登山道の雪が溶けて、水浸しになって、それが夜のうちに凍ってしまい、非常に登りにくくなったのです。仕方がないので、最近は、軽井沢まで出かけて離山を登っています。

 さすがに軽井沢の離山には、雪はありません。 5歳の息子と愛犬コロっと一緒に登っています。往復2時間のコースなんですが、息子の体力が著しく増加しているために、往復1時間で登って帰ってきます。この離山は、腐葉土が多いためか地面が柔らかく、膝にいいんですよね。頂上の眺めもよく、浅間山が丸見えです。その浅間山も軽井沢方面から見ると、雪がほとんど溶けてしまっています。温暖化現象のせいでしょうかね?

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 ところで、毎年どんどん温暖化現象が進んでいるような気がします。
 去年は、とんでもなく暑かったです。

 20年前に、宿がオープンした時に、宿にエアコンを設置しようとした時、地元の電気屋さんに
『この村にはエアコンが必要ない』
『北軽井沢でエアコンのある宿はブルーベリーYGHぐらいのものだ』
と散々 disられたもんですが、これだけ温暖化が進むと、さすがの寒冷地でもエアコンなしには考えられないようになってきています。

 うちの宿には、公共スペースに3台のエアコンが稼働していますが、去年の猛暑が、今年もやってくるとすると、もっと冷房機能を強化しなければならないなぁと考えています。そのために、なじみの電気屋さんにブレーカーの工事をやって貰いました。配電盤を交換して、ブレーカーの予備電源を10個ほど増やしました。

 これで、エアコンを10台ほど増強できるようになったんですが、設置するのはいいとして、問題は室外機です。室外機が外の壁につくとみっともないですよね。なんとかおしゃれな形で設置したいんですけれど、良い方法は無いものか?

 正直言って、北軽井沢が、ものすごく暑いのは、 1年のうちに、 15日ぐらいしかないんですよね。たった15日の猛暑のために、10台のエアコンを入れて、宿の外観を悪くするのは非常に気が引ける。コストパフォーマンスも悪い。けれど、たったの15日でも、その時に泊まりに来たお客さんにとっては、避暑地が暑かったら、それこそ詐欺だしなぁ。すごく迷うところです。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:47| Comment(2) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月21日

コストコの大型遊具を作ってみた

群馬県ユースホステル協会の援助のもとに、コストコの大型遊具を作ってみました。
夫婦二人がかりで、まる二日間かかりました。
全くの素人には無理だと思います。

まず、電動工具が必要です。
無いと作れません。
多少の英語の知識が必要です。
そして、これが一番大切なのですが、
図面を見ながら正確に作る癖のない人にはつくれないしろものです。
図面との格闘に一番エネルギーを使いました。

1.商材が届く

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2.部品の確認に3時間くらいかかる。

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3.部品番号の印刷が分かりにくくて一苦労

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4.図面と格闘しながら組み立て。
  組み立てそのものは、難しくない。
  図面との格闘と数千点の部品探しがめんどくさい。

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5.そのうち慣れてくると、組み立てが面白くなる。
  しかし、慣れるまで、まる一日かかってしまった。
  けれど、息子のテンションはあがりまくり!

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6.二日目。部品が少なくなってきて、作業効率があがってくる。

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7.一番難しかったのが、この回転滑り台の設置。うまいようにハマらなくて苦戦。

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8.ブランコを取り付けるが、これも難しかった。

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9.二日目の夕方に、なんとか完成!
  息子は大喜び!
  その顔をみただけで、苦労が報われた気がしました。
  お客さんのお子さんも、大喜び!

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作るだけなら二日がかりでしたが、この他に、片付けや、ペンキ塗りがありますから、もう二日、よぶんにかかっています。
これを作ろうと思ってる人に一言。
この遊具は、日曜大工のレベルをこえてますね。
大人一人では絶対に無理です。
二人いないと難しいと思う。

でも、まあ、子供さんは喜ぶでしょうけれど。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:00| Comment(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月20日

茶臼山動物園 その2

 シマウマは、馬ではなくロバです。

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 カモシカは鹿ではありません。牛の仲間です。
 コンドルは、ワシ・タカの仲間ではなくコウノトリの仲間。
 さらに言うと蜘蛛は、昆虫ではなくて動物です。
 だから動物園にいても不思議はないんですが、どこの動物園にもいません。

 そんなことは、どうでもいいとして、シマウマは、ヌーたちと一緒に暮らし青い草を求めて移動します。見かけとちがって凶暴で、ライオンを蹴り殺すこともあります。もちろん人間にも慣れず、ペットや家畜にもなりません。子どもの頃から大切に育てても、年をとるにつれて気性が荒くなり、手がつけられなくなってしまい、まったくもって言うことを聞かない。 この動物園では、おとなしそうに草を食べていますが、全く大人しくない。絶対に人間の言うことを聞かないので有名な動物です。人間の指示など絶対にきかない。



 むしろロディオに向いている。
 そのくせ、本気を出したら足が速く時速60kmで走る。
 競馬馬なみに早い。地上最速のロバです。

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 上の写真は、シロオリックスです。野生では絶滅した動物です。まあ、朱鷺みたいなものです。オリックスバファローズという球団がありますが、あれはオリックスとバッファローという意味ではなくて、オリックスという会社が、近鉄バファローズという球団を買い取ってできたので、この動物とは何の関係もありません。あくまでもバファローズです。そもそもオリックスという会社の社名の由来も、その動物とは何の関係もありません。

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 これは、カモシカの行動展示。単なる崖にネットを貼って、カモシカを放し飼いにしているだけなんですが、これは良いアイデア。カモシカに檻は必要ありません。それより建物が建たないような崖に放し飼いする方が、カモシカにとって住みやすいからです。空き地の有効利用ですね。

 ちなみにニホンカモシカは、特別天然記念物。パンダに負けないくらい珍しい動物でしたが、戦前においては、繁殖も成功例はなく、動物園もサジをなげている状態でした。しかし、第二次大戦のために全国各地の動物園は、動物たちを失ってしまい、もう一度、動物を収集することになると、にわかにニホンカモシカが注目されました。ニホンカモシカは欧米の動物園ではとても珍重される動物で、入手を希望する国が多いことから、多くの貴重な動物を手に入れる可能性がでてきたからです。そういう意味でカモシカは、日本の動物園を救ってくれた救世主みたいなものです。


 これはタンチョウ鶴。

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 江戸時代の日本人は、野鳥を日常的に食べていたんですが、その中でも最も高価だったのがタンチョウヅルの味噌漬けです。これが1番高くて、かなりの大金持ちでないと食べられなかったそうです。逆に1番安かったのが朱鷺だったようで、肉が真っ赤なためにだれも食べるものがいなくて、どうしても食べるときは夜中でないと、食べられなかったそうです。私は子供の頃は、朱鷺の肉を食べたことがある老人が、まだ佐渡島にも生きていました。

 それはともかくとして、このタンチョウ鶴を捕まえるのにはかなり苦労したはずです。
 というのも、タンチョウ鶴は強いんです。
 オジロワシと戦えば圧倒的にタンチョウヅルの方が強い。
 オジロワシが殺されてしまう。

 釧路の鶴おばさんから聞いた話では、タンチョウヅルとどたかった人が何人か釧路にいるんですが、みんな肋骨を5〜6本折られているとのこと。鶴がパニックになって、人間に対して攻撃してきたら、死を恐れなければいけないらしいのです。

 そう考えると、鶴の恩返しの話は、妥当性があります。もし鶴を捕まえようとするならば、罠でなければ捕まりませんよね。逆に言うと、罠にはまった鶴を助けるのも命がけだったかもしれません。


 これはオランウータン。

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 腕力の強いことで有名で、チンパンジーやゴリラのように群れを作りません。
 逆に言えば、喧嘩をしない猿でもあります。

 昔、猿の惑星という映画があって、その映画ではゴリラが1番野蛮で暴力的に描かれており、オランウータンが知的な学者風に描かれており、チンパンジーが心優しく平和主義的にはイメージで描かれていましたが、実は1番凶暴なのがチンパンジー。仲間同士殺しあったりもするし、狩りもするので、ほぼ猛獣と言っていいです。人間の遺伝子と最も近いのが、このチンパンジー。 1番凶暴な類人猿が、いちばん人間に近い。

 猿の惑星の原作者は、1943年に日本軍の捕虜となる。翌1944年に捕虜収容所を脱走し、イギリス軍の水上機で脱出。その時の体験をヒントに、猿の惑星を描いたらしい。それを前提にあの映画を見ると、彼ら(差別的な白人)の感情がよくわかります。



 第二次大戦前までは、彼らは私たちを猿だと思ってたわけです。で、そんな彼らはチンパンジーにシンパシーを感じている。ゴリラを野蛮。オランウータンをずる賢いと思っている。もういちどリメイク版でない『猿の惑星』を見ると、彼らの差別意識がみえてきます。


アフリカタテガミヤマアラシ。
アニメ『けものフレンズ』で大人気となりましたね。

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アニメ『けものフレンズ』で、どこの動物園でも大人気の動物ですが、
動物園によっては擬人化を嫌う人たちがいます。
ピッキオなどの自然ガイド団体などは、擬人化を非常に嫌う。

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私は擬人化はありだと思っています。
いくら理想論を言ってみたところで、まず動物に子供たちが
「ふれあいたい」
という気持ちが起きない限り、始まらないからです。
だからアニメ『けものフレンズ』は大歓迎です。
しかし茶臼山動物園では、擬人化を否定的に捉えているようで、
ここには『けものフレンズ』がありませんでした。

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この動物園の最大の見物は、このレッサーパンダ。行動展示が素晴らしくて、目の前をちょろちょろとレッサーパンダたちが歩いています。このように至近距離で写真が撮れるのが嬉しいですね。これぞ行動展示の見本と言う感じです。

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 ここレッサーパンダはイタチの仲間で、ジャイアントパンダと同じようにタケを食べます。もちろん小鳥などの小動物も食べることがあります。このレッサーパンダは、全世界で飼育されているレッサーパンダの約1/3が日本にいます。つまりカモシカと同じように、日本の動物にとって有力な武器となり得る動物です。息子が1番喜んでいたのが、このレッサーパンダの行動展示でした。

 1時間という短い時間でしたが、息子による解説してあげたら、どうやら動物に興味を持ったらしく、図書館に行ったら動物図鑑ばかり借りてくるようになりました。それまでは、すぐに終わるような絵本の読み聞かせを寝る前にしてあげてなのですが、動物図鑑では、簡単に読み聞かせは終わらないために、しばらくのあいだ間は大変でした。毎晩動物ネタを語らなければいけなかったからです。


つづく。

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posted by マネージャー at 16:04| Comment(0) | 長野県&長野市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月19日

茶臼山動物園 その1

 少子化とは、兄弟の少ない家庭のことだと思っていました。しかし息子が産まれて、こども園に入園させてみると、そうではなかったことに気がつきます。若いお父さんお母さんの所では、 3人兄弟4人兄弟が当たり前のように存在しています。従って、以前に PTA会長をやってた人が、再び就任してしまうということがよくあります。 PTAとか、子供会とか、その他の地域の役員とか、連絡網の班長とか、スクールバスの係員とか、親になるといろんな仕事が出てくるんですが、以前やっていようが、そうでなかろうが、いろんな仕事が押し寄せてきます。その点、ありがたいことにうちの場合は、外部から移住してきた、よそ者なので、そういうめんどくさいことから逃げやすくなっています。とはいうものの、最小限の仕事はしてないと、他にどんな仕事が来るかわかったものではないので、保険の意味も兼ねてPTA役員だけしています。

 で、こども園の遠足をどこにするかPTAで決めたわけですが、昨年度と同じ場所に決まってしまいました。晴れなら茶臼山恐竜公園・雨なら群馬サファリパーク。で、青ざめたのが嫁さんです。同じ場所に行くなら行きたくないわけです。去年は雨だったので群馬サファリパークに遠足に行ったわけですが、嫁さんは、群馬サファリパークに何度も遊びに行っているので、あまり気が進まない。それならば、私が行ったことがないので、息子の遠足に父親の私がついて行こうということになりました。

 実は私は、子供の頃から動物博士でした。今風に言えば、動物オタクです。小さい頃、小学校にある動物関係の本は全部読破。動物図鑑も全て記憶し、300種類以上の動物の生態を解説することができてました。 東京にいた頃は、毎週上野動物園に通っていたこともありました。スカパーに加入し、アニマルプラネット、ナショナル ジオグラフィック、ディスカバリーチャンネルなどをかたっぱしから録画して見まくるのはもちろんのこと、動物系テレビ番組の大半は録画保存し、それを見るのを楽しみというか、生きがいにしています。なので宿オープンしたときは、この特技を生かして、自然ガイドやネーチャーウォッチングをおこない、大勢のお客さんを集客しています。息子が生まれた時は犬を飼うことにより両者を比較して、その成長記録と比較をこのブログにアップし続けたりもしました。

 なので、雨になって群馬サファリパークにならないかなあ・・・とたのしみにしていたものです。で、結果は晴天。晴れなら茶臼山恐竜公園。一挙にテンションが落ちたんですが、ネットで茶臼山恐竜公園を調べてみたら、茶臼山恐竜公園のそばには、茶臼山動物園があって、それも見学できるというではないですか。
「こいつはいい」
思い直した私は、大急ぎで弁当作って息子と一緒に出発。

 幼稚園から観光バスに乗って 2時間ほどかけて茶臼山恐竜公園に到着。動物園を見学する時間は、たったの1時間しかありません。本当ならば、 6時間ぐらいじっくり見ながら、息子に動物に関する解説をしたかったのですが、団体行動の遠足なのでそこは仕方ありません。まず到着すると、最初にライオンに向かいました。

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 雄ライオンの『キュウゾウ』が眠っていました。ここで動物園の解説を息子に行います。実は動物園で動物を見るポイントがあります。動物の檻です。写真をみてわかるように、ライオンの檻は、たいして頑丈に作られていません。これはラインの握力が弱いからです。それに対してオランウータンの檻を見てみると、ものすごい頑丈に作られています。

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 このぐらい頑丈でないと、オランウータンは、やすやすと檻を破って逃げ出してしまいます。チンパンジーの檻もそうです。非常に頑丈な鉄格子でできています。しかもよく見ると鉄格子のペンキが剥げていますが、これはチンパンジーがオランウータンが強い圧力で握ったためにできた禿げあとなんですね。

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 トラの檻も、たいして頑丈ではありません。このように動物によって、展示環境が違っていますので、その違いによって動物の生態を知ることができるのが、動物園の面白いところです。

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 逆に言うと、動物たちの展示の仕方によって、動物園の考え方があります。この茶臼山動物園は、旭山動物園の影響を受けているのか、行動展示で私たちをたのしませてくれます。行動展示とは、動物の生態や能力を自然に誘発させて見せるように工夫した展示のことで、その代表例が、ジェフロイクモザルであり、レッサーパンダの展示です。

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 ジェフロイクモザルの長いしっぽで有名ですが、このサルのシッポは、物を持ったり、木にぶらさがったりすることのでき、ほとんど手を使うのと同じように器用にシッポをつかえます。これをジェフロイクモザルの「第五の手」というのですが、行動展示にぴったりの動物なんですね。で、器用にシッポを使ってくれるんです。この動物園では。なにしろ頭がいいサルなので、声をかけると芸をみせてくれたりします。逆に言うと大人になるまで時間のかかるサルです。

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 このジェフロイクモザルの檻にきたとき、旭山動物園のカピバラ・クモザル事故を思い出しました。旭山動物園では、カピバラとクモザルを一緒に飼っていたというか、これを異種動物の混合展示と言います。

 カピバラは、水辺に生息する動物で、クモザルは木の上で生息し滅多に降りてこないサルです。同一の檻で共存できるはずだったのですが、 頭のいいクモザルが、ロープにぶら下がりカピバラにちょっかいを出したりするようになり、カピバラの餌(牧草)を横取りするようになり、それがカピバラにストレスを与えてクモザルを攻撃して死なせるという事件が、旭山動物園でおこり、当時大ニュースになりました。

 旭山動物園が偉かったのは、このような事件を全く隠さず、全て公表した上で、その後もカピバラ・クモザルの異種動物の混合展示を続けたことです。もともとカピバラは、大人しい動物で、クモザルがどんなにチョッカイだしても、じーっとしているか、静かに移動するかのどちらかで、よほど不運な出会い頭があったのでしょう。当時は、客の投げ与えた食物をカピバラとクモザルが奪い合って起きた事故ではないかとも言われていました。残念ながら茶臼山動物園では、カピバラ・クモザルの異種動物の混合展示をしてませんでした。この動物園は、少し攻めが足りないと思いましたね。

 次にキリン舎。
 ここも行動展示。
 隣にシマウマがいたりします。

 この動物園のすごいところは、キリンの運動場が大きいことです。写真を見ればありますがキリンの家も素晴らしい。屋根近くに風通しの良い窓があり、そこが開いていますね。キリンのことをよく考えて作られています。寝るときは、立ったまま寝るので、キリンの家は背丈が高いだけで横幅はありません。これだけ首が長いのに首の骨は人間と同じ七つであることは有名です。

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 また、らくだのように何ヶ月も水を飲まなくても生きていられるために、キリン舎には派手な水飲み場もありません。また、牛のように長時間反芻活動を行います。鳴き声もウシと同じように「モー」と鳴くらしいのですが、私は聞いたことがありません。ちなみにキリンはエサ代がかかる動物です。ライオンなんかの方が、かかりそうな気もしますが、ライオンだと猟友会が害獣駆除でしとめた鹿が寄贈されたりするので、そういうルートがある動物園だと案外かかってないのですね。

 そう言えば、キリンは、小鳥なんかの小動物を食べるらしい。自然界ではウサギやネズミなどの小型草食動物を捕食するそうです。『キリン ぼくはおちゃめなちびっ子キリン(徳江和代)』によると、多摩動物公園のキリンたちがトンカツや鳩を食べるので、高タンパクの飼料に切り替えると、めったに肉食しなくなったという。同書には、当時話題をまいた鳩をくわえた写真や、鳩の背後で舌を伸ばす写真が掲載されているらしい。 学研の動物図鑑の古い版には鳩を食べるキリンの写真が掲載されています。



 では、キリンは何を食べるかというと、これがよく分かってないのですね。アフリカではアカシアなどのマメ科植物の木の葉を食べているんですが、トゲだらけで指に刺さると、とても痛いのに、それをペロリとたべてしまう。しかも大量のタンニンが含まれていて、苦くて食べられたものじゃないのに美味しそうに食べてしまう。他の食べやすそうな木をそばにおいても食べに行く。驚くべきは、松ヤニだらけのアカマツで、これもキリンの大好物。これを食べられる動物は、キリンぐらいしかないかもしれません。とにかく悪舌なのがキリン。不思議なくらい悪舌なんですよ。もっと驚くのがサボテンです。あのトゲトゲだらけのサボテンをキリンは大好物にしている。私は、そんなキリンが大好きで、一日中みていても厭きないです。しかし、今日は団体行動の遠足の日。一時間で動物園を見終わらないといけない。



つづく。

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2019年02月17日

パルコールスキー場のゴンドラ駅の眺めは最高!

パルコールスキー場のゴンドラ駅の眺めは最高!です。
ここでスキーするのも最高ですけれど、
機会があったら、ここからスノーシューで四阿山に登ってみたいですね。
私は、やっぱりスキーよりスノーシューで登山の方が好きです。

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四阿山

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浅間山

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愛妻神社

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つづく。

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2019年02月16日

5歳児の子供の私有財産

 子供も5歳ぐらいになると、人にプレゼントをあげたい。子連れのお客さんがやってきたら、その子供たちに何かプレゼントしたいと息子は思うようになってきたようです。

 しかし 5歳児の子供に私有財産はありません。お小遣いも持ってないし、あったとしても家の周りにお店なんかありませんから、物を買うということができませんので、お金を所有するということ自体にあまり意味がありません。そもそもうちは宿なので、現金で買い物をすることがほとんどありません。業者を通して仕入れるか、カードで買い物するかのどちらかなので、息子にしてみたら現金の使い方を見る機会もありません。

 もちろん、おもちゃとか絵本とかdvdとかが宿には大量にありますけれど、宿に泊まりになるお客様のための備品に過ぎません。息子の私物では無いのです。この辺ははっきりと所有権の区別をしていますし、そうしないと絵本やおもちゃをめぐって争奪戦が起きてしまうからです。あくまでもお客様のものであって、息子のものでは無い。ただしお客様が使ってないときには、使ってもいいよ。と、かなり小さい頃からしつけてきていますから、自分の所有物でないことが理解できています。

 つまり5歳の息子には、私有財産がほとんどなかったわけです。
 そして、ここが大事なところなんですが、
 それを1番よく理解していたのが5歳の息子であり、
 1番よくわかってなかったのがその親だったんです。

 まず息子は、自分の私有財産が驚くほど少ないことに気がついた後、おやつを少しずつ宝箱か何かに貯蔵することを始めました。いろいろな人たちからもらったプレゼントも、レストランのお子様セットに付いていたおもちゃも、封を開けずにしまいこむようになりました。そして同じ歳位の子連れのお客様がやってくると、密かにプレゼントをあげたりするようになってきたのです。

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 しかし、そのプレゼントの渡し方に問題がありました。最初は一人一人、面と向かって渡していたのですが、こっそりお客さんの部屋に忍び込んで枕元にプレゼントを置いてくるようになったのです。お客さんにしたら不気味でしょうがなかったいます。
「なんでそんな事するんだ?」
と不思議に思って本人に聞いてみたら、サンタクロースがそうしている。と答えるではないですか。なるほどと感心し、それならばプレゼンだったとわかるように、ラッピングしなきゃダメだと、 100円ショップで綺麗なラッピングの袋を買ってきて、ラッピングの仕方を教えました。そして手紙を入れなきゃダメだよと、手紙の書き方も教えました。

 そして去年の12月のクリスマスの頃。雪遊びを目的に小さなお子さん連れのお客さんが大勢泊まりに来ます。息子は、張り切って、たくさんのクリスマスプレゼントを作り、それをラッピングして、何やら手紙を書いて、お客さんの部屋のベットに配っていました。

 ああ、何か微笑ましい光景だな・・・

と親の私はのんきに眺めていたんですが、なんとなく嫌な予感がしたので、息子のラッピングしたプレゼントの中身を覗いてみましたら、御菓子の他に、使いかけの鉛筆や消しゴム、使いかけのシャボン玉セット、JAFの雑誌についているすき家の割引券みたいなものが詰め込まれていました。

 あちゃー

 これは親の私が悪かったと思いました。プレゼント袋に入ってたものは、 5歳になる息子の私有財産しか入ってなかったのです。息子の私有財産といえば、食べずに少しずつ貯めてきたおやつとか、子供会でもらった景品とか、日常で使っている4bの鉛筆とか、使い古された消しゴムやクレヨンくらいしかなかったからです。私は息子を呼び出して、
「プレゼントをあげる時は、使いかけのものをあげてはだめだよ」
と、一緒にプレゼント用のおやつを買いにいきました。

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 そして、中身を全部交換して、親子で一緒にラッピングして、もう一回プレゼントを配り直したのです。しかし、なんとなく嫌な予感が、また込み上げてきたので、一応念のためにこっそり中身確認してみたら、「サンタクロースより」と言う手紙が入っていました。もちろん5歳児が書いた字ですから、へたくそな字です。バレバレなので、お客さんのお子さんは、
「これ、タケルくんからのプレゼント?」
と聞いてきますが息子は
「ちがうよ。サンタさんからだよ」
と答えます。

 あれ? 息子はサンタさんの真実を知ってるのかな?と思ったんですが、そんな息子も窓ガラスに『サンタさんへ、くまのぬいぐるみをください。』サンタさんへの手紙を貼り付けていました。やっぱり息子はサンタさんの真実を知らないのか?それとも知っててやってるのかな?どっちなんだろう?と、訳が分からなくなってきました。

 それはともかく、そろそろ息子にも私有財産を与えないといけない時期がきているのかもしれません。



つづく。

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posted by マネージャー at 21:30| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月15日

幼稚園の先生「好きな人5人ずつチームを作って」 → 必ずあぶれてしまう子

 私は、昔から無愛想で有名な人間です。宿をオープンした時などは、あまりにも無愛想であったために、それがお客さんの間では有名になり、口コミで広がって、その結果、どんなマネージャーなんだろうと、好奇心が強いお客さんが増えたくらいです。もちろん観光関係者の間でも無愛想で通していました。そうしないと仕事が増えてしまう。なるべく余計な仕事はしたくない。しかし、いくら無愛想にしていても、いつの間にか顔が広がって仕事も増えてきます。いろいろな仕事を仰せつかってしまう。

 話は変わりますが、子供が生まれて、その息子が幼稚園に行くようになると、村人と一挙に距離が縮まります。目立たないように息を殺して生活していても、息子の父親であることがすぐに分かってしまう。原因は幼稚園(保育園)が指定する帽子にあります。学年別に色分けされた帽子を必ず被らされるからです。そんな息子をこども園まで迎えに行って、帰り際に買い出しなんかしようものなら、
「息子の同級生の父親がいる」
「娘の同級生の父親がいる」
とばれてしまいます。つまり学年別に色分けされた幼稚園が指定する帽子というのは、個人情報そのものなんですね。ガソリンスタンドにガソリンを入れるだけで、いつも無愛想な職員が、気さくに話しかけてくる。変だなと思っていたら、息子の同級生の関係者でした。幼稚園が指定する帽子を息子がかぶっていたために、私と息子の正体がばれてしまったわけです。

 こっちが村人に関わらない様に気配を消してひっそりと生きていても、どうしても息子の父親であることがばれてしまう。ばれてしまえば、いろんな情報が入ってくる。で、入ってきた情報に驚愕する。

 嬬恋村の子供たちの双子率が、いとこ率が、親戚率が、異常に高い。そうでなかったとしても、おばあちゃん同士が親友とか、何らかの遠縁関係の同級生たちがうじゃうじゃといる。そのうえ親どうしが同級生とか、先輩後輩とか、近所同士とか、もう無茶苦茶。つまり、息子の同級生たちの多くは、生まれてすぐに大勢の顔見知りの中にいたということなんです。なので、近所同士で遊ぶという事はあまりなくて、いとこが祖父母の元に集まって遊ぶとか、何らかの親戚のところに集まるといったことが起きてくる。この辺が東京などの都会と全く違うんです。みんな顔見知りで、どこかで繋がっている。繋がりの中で生きているので、生まれて直ぐに地域のネットワークの中に溶け込んでいる。

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 しかし、よくよく考えてみたら、私もそうでした。私は佐渡島という離島出身ですが、やはり子供の頃、同じクラスに親戚が2人ほどいました。これは、田舎「あるある」なんですよね。田舎じゃよくある。で、自分の体験からしたら、非常に嫌なことなので、かわいそうだなぁと思っていたんです。同じクラスに親戚がいるのは、親としては気にならないかもしれないけれど、子供としては嫌だった。体験者としては非常に嫌悪。その点、息子は、どこにも親戚がいない。完全無欠のよそ者ですから、気が楽でよかったなあ〜めでたしめでたしと思っていました。

 逆に言えば、息子は、ものすごい濃密に仲良くなれる友達ができにくいといえば出来にくい。0歳児の頃から一緒に遊んでいる従兄弟同士とか、仲良し老人の孫同士と比べたら入園の段階でハンデがある。多くの田舎の幼児たちが、入園前から友達だったのにたいして、息子はそうではなかったからです。

 逆に言うと、息子は、誰とでも仲良くなれるスキルを身につけてしまっている。軽井沢でも、高崎でも、前橋でも、公園で遊ばせると見知らぬ子供とすぐに仲良くなる。で、どんなに仲良くなってもアッサリさよならできる。息子にとって一期一会は日常にさえなってる。ところが、嬬恋村の特に女の子の親友同士は、三歳にして帰宅時間に涙を浮かべながら別れを惜しんでいる。息子には、全く、そういうところはない。

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 話は変わりますが、先日、幼稚園でソリ滑り大会がありました。家族が参加しないとダメなので私が息子を連れてパルコールスキー場に行ってきました。そこでソリ滑り競争のチーム分けするために、幼稚園の先生がこんな一言いました。

「好きな人5人ずつチームを作ってください」

 こういう風に言われると、
 必ずあぶれてしまうのが息子である・・・
 と、私は嫁さんから聞かされていました。

 みんなそれぞれに特定な親友がいる訳ですから、好きな子を探して五人のチームを作るわけです。息子は必ずあぶれてしまう。去年もそうだったし一昨年もそうだった・・・と嫁さんは心配していました。それを見てるのが辛かったせいか、今年は私に「ソリ大会に行ってくれ」と言ってきたんですよね。そして、いよいよ
「好きな人5人ずつチームを作ってください」
という先生の指示があったのです。

 さて今年はどうなんだろうと、
 じっと見ていたら、
 多くの幼児たちが友達を探しているのに対して、
 息子のやつは、次々とできあがってくるグループの数を数えてばかり。
 そして4人しか集まらなかったところに、ちゃっかり入ってしまいました。
 おもわず

「それでいいんかい?」

というツッコみを入れたくなりましたが黙っていました。

 自宅に帰ると嫁さんが家の中から出てきて、今年はグループの中に入れた?と、こっそり聞いてきたので、真相を話したら嫁さんは大爆笑していました。


つづく。

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posted by マネージャー at 21:34| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月14日

五歳児のバレンタインデー

 子供を幼稚園に通わせている親御さんなら、理解していただけるかと思いますが、朝が大変です。忘れ物がないように、ハンカチ・ティッシュ・濡れタオル・歯ブラシといったものを持たせたりしなければならないからです。で、ある日、息子の幼稚園バックの中を整理していたら何やら見慣れないポケットティッシュが入っていました。かなりオシャレなポケットティッシュで、明らかに我が家の財布で買ったものではありません。

「タケちゃん、このポケットティッシュどうしたの? 」

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 今日はバレンタインデー ですけれど、今時の幼児は、まだたったの5歳だというのに、好きだのなんだのと言って、女の子がプレゼントを渡してするんですね。もちろん5歳児に恋愛感情なんかあるわけありませんから、 1種の遊びなんでしょうけれど。ちなみに嬬恋村は、広大な面積に子供たちがポツンポツンと点在しているために、隣近所で一緒に遊ぶということもありません。

 幼稚園から帰ったら、自宅でポツンと1人で遊ぶしかないのです。つまり同級生と出会えるのは、幼稚園の中だけです。好きな子に告白するのもプレゼントを渡すのも、幼稚園でしかチャンスありません。しかし、この幼稚園と言う場所が、渡すべきプレゼントの足かせになってしまいます。幼稚園に私物を持っていくことができないからです。

 しかし、成長の早い女の子たちには、男の子には及びもつかない知恵がありました。おしゃれなポケットティッシュです。これなら堂々と幼稚園に持っていけます。
「タケルくん大好きだからこれあげる」
もちろん息子も、ものをあげるもの大好きなので、プレゼントのお返しをします。

 しかし、これがまた、全くセンスがないんですよ。

 男の子と女の子の違いというか、そもそもうちの息子に、人にあげて良い息子の所有物があるわけでもなく、プレゼントを買いに行こうにも半径2キロ以内に店舗が全くないところに住んでいる訳ですから、ものを買う体験さえしたことがありません。なので、自宅に帰ったらJAFが発行している雑誌に付いている吉野家の割引券をハサミで切ってそれをお返しに上げているらしいのです。
「相手は喜んだの?」
と聞いてみたら、全く喜んでないらしい。

 どうやら嬬恋村の父兄のみなさんは、育ちが良いらしく、吉野家の牛丼をおいしく食べる人種では無いようで、それだけに割引チケットを貰った女の子たちもさぞかし困った顔をしただろうと思うと、笑いがこみ上げてきて、腹筋が崩壊してしょうがなかったです。

 仕方がないので、息子と一緒に100円ショップに行き、首からかけるタイプの財布を買ってあげました。そしてその中におばあちゃんからもらったお年玉を入れてあげて、買い物の練習をさせました。もちろん、女の子にプレゼントできるようなポケットティッシュを買いにです。で、準備が終わった昨日の2月13日。息子は、インフルエンザにかかってしまいました。これで1週間、幼稚園のお友達とは会うことができません。もちろん、うちの宿も1週間の閉鎖です。お客さんに理由を言って、キャンセルしてもらいました。今一生懸命、館内の消毒をしています。


つづく。

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posted by マネージャー at 19:55| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月08日

軽井沢でスケートするなら風越公園の屋外スケート場

軽井沢でスケートするなら風越公園の屋外スケート場です。
なにしろでかい。
そして人がいない。
お客さんがいないので、滑り放題。
こんなに巨大なアイススケート場を、何度、独占貸し切り状態で滑ったろうか?

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値段も安くて800円。
設備もよくて、カーリングもできます。
隣に温水プールもあって、400円で入れます。

館内には自販機や電子レンジもあります。
ただし売店はないので、お弁当を買って持って行くとよいと思います。
休憩場所の館内は暖房が効いていて暖かいです。
2月11日が最終日なので、ぜひ御利用ください。

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【営業期間】
2018年11月17日(土)〜2019年2月11日(月・祝) 無休

【営業時間】 
平日:7:00〜20:00
土日祝:9:00〜18:00

【 料 金 】
◆滑走料 
大人:1回¥800
小中学生:1回¥400
◆貸スケート靴(フィギュア) 1足¥500

〒389-0113 長野県北佐久郡軽井沢町発地1154
電話: 0267-48-5555

つづく。

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posted by マネージャー at 16:25| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月07日

真っ青になって病院に駆け込んだ話 その6

 話が大きくそれました。
 タブレットについてです。

 5歳の息子にタブレットでやらせたのは大失敗でした。
 もう少しで両眼視の能力を失うところだった。

 タブレットをやらせる前は、ポピーという幼児教材をやらせていました。ワーキングメモリを鍛えることを最も重視している教材だったからです。バックに篠原菊紀という脳科学者(諏訪東京理科大学教授)がいて、その先生が、幼児の脳波を測定しながら、ワーキングメモリが働くような問題をつくって、それを教材にしている『幼児ポピー』という教材です。

 幼児教育の書籍の多くは、平仮名・カタカナ・計算といった小学校教育の早どり学習を中心にしているのですが、ポピーという教材は、それよりもワーキングメモリを使うことを重視しています。なので、公文式のように、大量の問題をこなすスタイルではありません。平仮名などを書かせるといった苦行は、ほとんどなく、あくまでもワーキングメモリの強化を主眼とした問題ばかりです。

 鉛筆を使って書くよりも、シールを貼ったり、工作をしたりしながら推理する方がメインになっています。問題も、なぞなぞみたいなものが多くて、勉強と言うより、遊び感覚のものが多い。なので息子は大喜びでとりくむんですが、これが息子にとって難しかったようで、かなり苦戦していました。

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 逆にいうと息子のワーキングメモリは、かなり鍛えられていたようで、息子のワーキングメモリはフル回転していたわけで、効果は着実にあがってきていたように思います。論理的に考えるようになりましたし、ただをこねることがなくなりました。言ってきかせれば、分かってくれるようになったのです。そのうえ論理的に親に問いかけるようにもなりました。親のミスも冷静に指摘するようになってきました。他動的なところは減り、落ち着きが出てきたのです。

 もちろん集中力もアップしてきました。五分も持たなかった平仮名の書き取りを一時間くらい続けることができるようになりました。その代わり、自分なりのノルマが終了したと、自分で判断するとピタリとやめます。自分で計画をたてて、自分で自分をコントロールするようになってきたのです。そのおかげで学力もアップしてきました。たいして勉強をしてないのにです。

 よそのお子さんの中には、三歳くらいの幼児の頃から公文塾に通って大量の書き取り練習しているのに、それをしてない息子の奴も、決して学力で劣ることはなくなったのです。

 しかし、一番驚いたのは、毎日、お母さんに手紙を書くようになってきたことです。母親好きの息子は、交換日記をするように、母親と、せっせと手紙を交換し合うようになってきました。毎日毎日、母親に手紙を書き、分からない文字やカタカナがあると、父親である私に質問してきたり、勝手に自分で文字を調べるようになってきたのです。

 このまま成長を見守っていれば、よかったのでしょうが、そうもいきませんでした。宿屋にとって、このスタイルには、限界がありました。一緒につきっきりで相手をしなければなかったからです。具体的に言うと、夏の忙しいときに息子に手紙なんて書いてられないし、親の仕事を手伝いをしたがってる息子がいると邪魔でしょうがない。

IMG_7793.JPG 一般知能がアップする

ということは、空気を読む能力がアップするということでもあるので、息子の奴は、宿が忙しい状況を読んで、やたらと手伝いたがるようになるのです。しかし、正直言って、五歳児の手伝いなんて、邪魔でしかありません。そこでいろいろ考えたあげく、御客様のお子さんと一緒に遊ぶミッションを与えたのです。

 子供さんが大勢いると、ロビーや廊下をバタバタと走り回ります。静かにゆっくりしたい御客様に御迷惑をかけます。

 そこで、四〇〇坪もある庭の花壇の大半を潰してしまい、十年かけて育てた庭木(マユミ・シャクナゲ・ブナ・リンゴ・ブルーベリーなど)の大半を伐採し、砂利や人工芝をひき、トランポリン・滑り台・ブランコ・ハンモック・砂場・水遊び場・シーソー・ゴルフマット・ミニハウスといった遊具をずらりと並べました。庭を公園のようにしたのです。で、小さなお子さん連れの御客様があらわれると息子をそそのかして

「小さなお友達(御客様)が来たよ。小さい子が暴れて他の御客様に迷惑がかからないように、一緒に外に遊びに行って!」

とけしかけました。庭で遊んでくれれば、静かに過ごしたい御客様の御迷惑にはなりません。それに夢中で庭で遊べば、幼児たちは疲れてすぐに眠ってしまいます。夜は静かになります。一石三鳥くらいの効果があります。

 息子は大喜びでした。
 やりたかった親の手伝いが、遊びと直結するわけですから
 息子にとっては、こんな楽しい手伝いはなかったかもしれません。

 脱線しますが、庭を公園のようにして、御客様のお子さんと息子を遊ばせたのには、もうひとつ理由があります。実は、公園で集団で遊ぶと一般知能が高くなるのです。御客様のお子さんも、うちの息子も一般知能が高くなる。その結果、他の御客様に気をつかえるようになる。

 うちの御客様の大半は、年に何回も来てくれるリピーターなので、何度もリピートして息子と庭で遊ぶうちに、思いやりのある礼儀正しいお子さんになってくれています。これは、日常的に毎日会っている幼稚園の友達と遊びをするより効果があります。久しぶりに会う友人には、お互いに我が儘を言いにくいし、気をつかうので一般知能がアップします。なので、一石三鳥どころか、一石四鳥・一石五鳥の効果があったかもしれません。

 ただ問題なことは、ますます息子が、空気を読むようになり宿を手伝いたくなってしまう。うまいぐあいに子連れ御客様がいれば、いいのですが、いないことも多いし、御客様が立ち去った後に、ベットメイクなんかを手伝いたがってしまう。これが邪魔でしょうがない。何か別のものでエネルギーを発散させなければ・・・と、いろいろ考えてみたのですが、どうも思いつかない。

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 ネットや諸先輩方に、いろいろ相談してみたらスポーツ教室とか、公文の塾がいいのでは?ということでしたが、連休や夏の忙しいときに、とてもじゃないけれど、そういうところに送迎する暇がない。他に何かないのか? 他所の御家族は、いったい何をやらせているんだ?と聞いてみたら、テレビ・ゲーム・勉強をやらせている人たちばかり。

 うちの息子はテレビは見ないので、残るはゲームか勉強と言うことになりますが、ゲームは一般知能が低下するので気が進まない。残るは勉強の一択ですが、それを喜んでやってくれる子供なんか、いるわけがありません。もし、あるとしたら親がつきそっているか、ゲームぽい勉強だけです。そもそも勉強だって、つきっきりでないとしてくれません。子供は、親の真似をするわけですから、親がベットメイクの仕事をしてたら、教材をほうりなげてベットメイクをします。親を追いかけ回すのが五歳児の特徴です。一人で何かをやってくれるわけがない。

 ただし、タブレットによる教材なら話は別です。
 あれはゲームで勉強させるシステムなので、試しに与えてみました。
 ただ、幼稚園教材のタブレットが無かったので、
 ベネッセのチャレンジ一年生というタブレットの教材を渡してみたのです。

 すると息子は大喜びです。ゲームぽい勉強にハマって「すごく簡単!」と、夢中にななりました。そして、小学一年生の問題をスイスイと解き始めたのです。幼児にしてみたら、難しいナゾナゾや迷路なんかより、平仮名・カタカナ・足し算引き算の方が、具体的なので簡単だったようです。

 逆に言うと息子にとっては、小学校一年生の問題より、ワーキングメモリを訓練する幼児ポピーの方が圧倒的に難しかった。迷路や、間違い探しや、ナゾナゾなんかの方が難しかった。それだけポピーの幼児教材の方がワーキングメモリを使っていたということ。つまり効果があったということなんでしょうね。

 だからワーキングメモリ能力をアップさせる幼児教材ポピーをやらせておけばよかったのに、困り果てて、タブレットを与えた結果、とんでもない結果になってしまった。こういう失敗を皆さんにしてもらいたくないので、あえて私の失敗談を書いておきます。皆さんの参考になればと思います。子供の臨界期をよく知った上で、適切な成長の手助けをしないと、とんでもないことになるという失敗談です。



つづく。

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2019年02月06日

真っ青になって病院に駆け込んだ話 その5

 幼児のうちに、一部の脳だけを成長させすぎると、他に大切な知能である別の脳の成長がうまくいかなくなる可能性がある。大げさに言うと両眼視を失う可能性だってある。つまり、ゆとり教育というのは、脳科学的に非常に危険な教育だったという説がでてきている。

 極端な例として、サバン症の人たちがあります。発達障害などのせいで、自閉症的だったりする人たちの中に驚異的な能力を示す人がいますが、それがサバン症です。サバン症を主人公にしたドラマで『グットドクター(山ア賢人主演)』というドラマがありましたが、あれがサバン症です。

 以上は、大げさな話ですが、ゆとり教育には、そういう危険性がなくもないというのです。それを私は聞きかじって知っていたから、息子の視力検査で異常が出たと聞いて青ざめ、幼稚園を休み、眼科で最も有名な御代田総合病院に駆け込んだわけです。



 では、どういう幼児教育が良いかというと、幼児のうちは、多くの知能を均等に伸ばしてあげるのが一番だという。そもそも知能は環境に適応するために進化してきた脳機能ですから、進化的予想している環境があれば、自然と発達すると、脳科学者の澤口俊之が言っています。

 つまり、そういう環境を息子の周辺につくるのが親の役目なんでしょうね。

 例えば、いろんな友達と遊ぶ環境。
 祖母と暮らす環境などなど。

 そういう環境があれば、臨界期をうまく利用して適正な知能の発達が得られると言います。

 具体的にいうと、公園に連れて行って、見知らぬ子供たちと遊ばせる。親は介入しない。殴られてもイジメられてもグッと我慢する。また、できるだけ嫁さんに里帰りさせて祖母と接触をもたせる。それらの環境をつくってあげることによって一般知能が向上するといいます。

 ここでちょっと説明をします。
 一般知能についてです。
 一般知能というのは、イギリスの心理学者、チャールズ・スピアマンが発見した概念で、知的作業には、個別に必要とされる特殊因子と、全ての作業に共通する一般因子があることを発見しました。

 例えば計算に必要な知能と、音楽に必要な知能とでは、それらの間に関連性が全くないわけです。いくら暗記が得意になっても、音楽の才能が発達するわけではありません。これが個別知能です。
 
 一般知能というのは、計算や音楽やその他のいろいろな作業すべてに関わる共通の知能のことです。

 つまり、知能には、
 『一般知能』と
 『個別知能』の二つがある。

 1998年、アメリカでの大規模な調査で一般知能の調査が行なわれました。その結果、一般知能が低いほど社会的リスクを負う確率が高くなることが分かりました。仕事が続かないとか失業するといったリスクは、一般知能が低いほど高くなる。結婚に関しても離婚したり、望まない妊娠をする。社会保障を受けないと自活できない、といったリスク確率が高くなるというのです。

 高校に関して言うと、いくら個別知能(暗記能力や、計算能力など)が高くても、一般知能が75以下の生徒の半数以上が高校を中退。75から90では三人に一人が中退。110以上では中退者は皆無。もちろん高校に入学しているわけですから、個別知能は高い人たちばかりです。個別知能(IQ)が高く、学力があっても、一般知能が低かったら、高校を中退してしまう結果がでているという。

 これは大学生に関しても同じで、大学に入学できるほど勉強ができるわけですから、計算や国語力といった個別知能は高いにもかかわらず、一般知能が低いと、卒業できない傾向が強いという結果がでてしまった。きちんと卒業する大学生の一般知能は110以上という結果がでています。

 さらに社会的地位が高くて年収も多く家庭も円満、という社会的成功者を六百人ほど調べたところ、一人の例外もなく一般知能が110以上だったと言います。一人の例外もないのがミソです。

 しかも追跡調査によって、一般知能が高いほど年収が多いことが再確認され、交通事故死や医療機関にかかる確率も一般知能と相関することもわかり、国民の平均的一般知能が高い国ほどGNP(国民総生産)が高いこともわかっています。それほど重要な知能ということで、多くの専門家たちは、半世紀以上にわたる研究を行なって、一般知能の伸ばし方を追求したのですが、それを解明できた人はいませんでした。

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 ところが、一般知能の脳内中枢が前頭連合野にあることが2000年頃に分かりました。前頭連合野とは、前頭連合野というのは、状況の変化に合わせて柔軟に行動を変えるなどの行動の制御において重要な役割を果たす部分です。

 情動のコントロールや、論理的な判断、将来の予測、判断、行動計画に必要な情報を受け取り、複雑な行動計画を組み立てて判断するところが前頭連合野です。ここに一般知能の中枢があることがわかってきました。で、一般知能とワーキングメモリが深く関係することが分かってきました。

 ワーキングメモリというのは、作業記憶のことです。パソコンでいうところのRAMにあたります。情報を一時的に記憶して、それを材料に判断・決断・行動を行なうために、一時的に記憶しておく装置みたいなものです。パソコンでいうところのRAMです。

 それに対して個別知能が、パソコンでいうところのアプリケーションソフトにあたります。個別知能は、アプリケーションソフトのように各種の脳領域にバラバラに存在します。そして独立しているというか、並列しているわけです。その中で、あるソフトだけが突出して巨大に発達しすぎると、別のアプリケーションソフトが入る容量が少なくなってしまう。で、これらの個別知能(アプリケーションソフト)は、各々が競争し合っている。右目と左目さえも競争し合っているんです。

 それに対して、一般知能は、パソコンでいうとウィンドウズのようなOSに相当するかもしれません。で、脳科学者・心理学者たちは、アプリケーションソフトにあたる個別知能(計算能力など)のバージョンアップの方法を見つけることは簡単にできたんですが、OSにあたる一般知能の向上の方法を見つけられなかった。半世紀にわたって研究をしたけれど誰も見つけることは出来なかった。

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 ところが最近の研究で、パソコンのRAMにあたるワーキングメモリの能力を向上させると、一般知能の能力がアップすることが分かってきました。一般知能そのものを訓練することはできないけれど、ワーキングメモリは訓練で向上させることが可能であることは分かっている。

 で、ワーキングメモリ能力を向上させてみると、自己制御力が高くなり、衝動性は低くなり、キレにくい子供になるということも分かってきた。落ち着きが出てきた。集中力が増したという報告もされるようになりました。ワーキングメモリの訓練でADHD(多動児)の子供の衝動性を低くしたという報告も出てきました。

 しかしワーキングメモリ能力の訓練にも臨界期があるらしいこともわかってきた。八歳頃までです。九歳になるとその効果は急になくなってしまう。実は、甥っ子にADHD(多動児)がいるのですが、対症療法としてワーキングメモリ能力の訓練が有効である可能性があります。

 それはともかくとして、ワーキングメモリ能力の訓練によって、一般知能の能力がアップすることが分かってきたために、何が起きたかというと、幼児教育の教材に、それを取り入れる会社が増えてきました。今までは、どちらかというと小学校教育の早どり学習をする幼児教育が多かったのですが、最近は違っていて、ワーキングメモリ能力の訓練を主流とする学習が主流になりつつあります。

 その最右翼を走っているのが、脳科学者・篠原菊紀氏が監修している全家研の幼児ポピーです。それも幼児用のみです。小学生以上の教材には、脳科学者・篠原菊紀氏はかかわっていません。ワーキングメモリ能力の訓練ができるのは、幼児ポピーのみです。小学生以上は、つまらない教材になっています。





 実は、この教材は、通信教育なのですが、バックナンバーを買うことも出来たので、それらを全て発注して息子にやらせてみました。当然のことながら、息子は苦戦しました。内容に「なぞなぞ」のような部分が多分にあったからです。むしろ息子にとっては、平仮名・カタカナを書くと行った、従来の幼児用教材の方が簡単だったらしく、ワーキングメモリ能力の訓練をするために「なぞなぞ」のような部分に四苦八苦していました。

 しかし、普通なら四苦八苦に教材を投げ出すはずなのですが、そこは脳科学者・篠原菊紀氏が監修しているためか投げ出さない。四苦八苦しながら自分ですすんで教材をやりたがる。というか、遊びの一種だと思っている。「なぞなぞ」のような部分に勉強ぽさをこれっぽっちも感じてないんですね。親の私は
「しめた!」
と思いましたね。なぜならば、幼児ポピーのおかげで、親が言わなくなっても毎日勉強する癖がついてしまったからです。私が忘れていても、息子の方から「まだポピーやってない」とか「もっとやっていい?」と聞いてくる。その結果、六ヶ月ぐらいで一年分がおわってしまう。仕方がないので、早どり学習させるより、同じ問題のほうがいいと思ったので、また同じ物をとりよせて、おなじ問題を再びやらせたら、今度は、四ヶ月くらいで一年分が終わってしまった。

 ちなみに息子の同級生たち何人かは、公文に通っているらしく、みんな早どり学習をしています。なぜ私が、それを知っているかというと、息子が時々、公文のテキストかなんかで作った紙ヒコーキかなんかをもってくるからです。それを分解してみてみたら息子の同級生の名前が書いてあって、三桁の足し算引き算が書いてありました。これには、さすがに目が点になり
「○○さんの家では、幼児に小学三年生の算数をやらせているのか?」
と驚いたものです。




 こんな田舎が、これほど教育熱心だったとは夢にもおもってなかったですが、サラリーマンの息子ならともかくとして、宿屋の息子には、そういった個別知能より、一般知能の方が重要なので、ワーキングメモリ能力の訓練をするために、ひたすら「なぞなぞ」みたいなものに四苦八苦してもらっていました。宿屋の息子に一番大切なものは、学力ではなく、情動のコントロールや、論理的な判断、将来の予測を間違わない一般知能の方なんです。勉強は、たいして出来なくてもよい。それは私自身の過去の体験から言えるし、ユースホステルのオーナーとして、多くの悩める高学歴の御客様と夜通し話し合った体験からも、もっと大切なことがあることを体験でしっている。



つづく。

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2019年02月05日

真っ青になって病院に駆け込んだ話 その4

 確かに息子の成長は、普通より遅かったですが、もともと三月末の生まれであるし、そのへんは個性の範囲内ととらえていました。

 幼稚園で友達づきあいがスムーズでないのも多少気にはなりますが、うちの宿に泊まりに来るお客さんのお子さんとは、とてもスムーズに友達関係をきづいているし、公園に行けば見知らぬ子供たちと、すぐに仲良くなっています。

 これは他の子供たちに無い特技です。

 四歳児が、五歳児が、見知らぬ公園で、初めて会う子供たちと、すぐに仲良くなって一緒に遊べる。そんな幼児は、少ないはずですから、これも立派な特技です。宿に泊まりに来る御客様のお子さんとも、すぐに仲良くなって遊んだりするし、特に小さなお子さんの面倒をよくみます。自分のおやつを、へそくりのように貯めて、それをプレゼントしたりする。なので、御客様から喜ばれて、何度も泊まりに来てくれるようになったりする。そういう対人スキルがある。

 運動神経に関しては、確かに良いとはいえないことは、運動会でいつもビリであるのと、ラジオ体操が下手くそなことを見れば分かります。空手教室に通っていても、敏捷な動きが出来ていません。

 しかし、足が遅いのは、山で走らないように何度も怒っているからです。息子は、晴れてれば毎日のように小浅間山に登っていますから、そこで親から「走るな」と言われ続けていますので、仕方ないといえば仕方ないです。体力だってないわけではない。毎晩スクワットや腹筋を二十〜三十回やっているし、三千メートル級の北アルプスにスイスイ登れる体力もある。週末にはサッカーボールを蹴りながら小浅間山なんかに登っているし、ドッチボールも大好きなので決して運動が出来ないわけではないと思っています。

 スキーも、あっと言う間に覚えて、下手くそながら猛スピードで滑走し、親が見失うくらいです。親以上に滑れるようになっている。スケートも何だかんだで滑れるようになり、今ではせがまれて週に一度はスケートリンクに通っています。とても運動音痴とは思えない。

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 ようするに運動に対するスイッチの入り方が、よその子供たちと違うだけなんではないかと思っています。第一、同学年に3月生まれも、2月生まれもいません。かろうじて1月生まれがいるだけですから、圧倒的に他の子供たちと月齢差がある。3月26日に生まれた息子が、人よりテキパキ動けないのは仕方ないと思っています。

 それは各専門の先生も分かっていて、息子が指導をうけるという作業は、あまりやらなくなって、しだいに私たちと世間話をして時間を潰すことが多くなってきました。その先生の息子さんと、うちの息子が、よく似た症状だったこともあり、さらに、先生の御実家が、うちと同じく宿屋だったこともあって、非常に似た環境下であったこともあって、世間話に花が咲きました。

 で、専門の先生と世間話をするうちに、とんでもないことが分かってきました。ここ数年のうちに、幼児教育において、恐ろしい発見が相次ぎ、過去に行なわれていた幼児教育が、否定されつつてしまっているらしい。それが、とても興味深い内容だったのです。

 世間話で専門の先生は、ここ数十年の幼稚園教育の歴史的な流れを話してくれました。まずゆとり教育というものは、どういうものかを教えてくれました。そしてそれが、どういう問題を引き起こしたのかというのも教えてくれました。

 それらをいちいち話すとキリがないので、ここでは触れませんが、世間話をしていくうちに気がついたことがありました。私が息子にやっていた教育は、ゆとり教育ぽかったことなんだと気がついたのです。

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 私は、過去に何度も「ゆとり教育」を批判しており密かに小馬鹿にしてきました。前にも言いましたが、ゆとり教育とは、ただ単に「バカを量産する教育」ぐらいにしか思ってませんでした。しかし、どうやら、それは私の勘違いだったようです。

 そもそも「ゆとり教育」というのは、科学的根拠にもとづいた教育方法ではなく、「個性重視の原則」という思想にもとづいた、文部科学省が押しつけた教育だったらしいのです。いわゆる個性教育イデオロギーとでも言うのでしょうか? 科学的研究が、ほとんど検証されないまま行なわれた教育だったのです。

 ゆとり教育以前は、『自立した人間を育てる』を第一とした社会思想にもとづいた教育がさかんだったと言います。私が幼児の頃は、自立した人間を育てるという思想のもとに、幼児に個室を与えようとか、乳離れを早くさせようとか、抱き癖をつかせないために、むやみに抱かないとか科学的に根拠のない育児方法が母子手帳に書かれてあったらしいのです。

 それらは当時、世界的に大流行した『スポック博士の育児書』からきたものらしいのですが、現在では、この育児方法は、科学的に否定されており、スポック博士も誤りを認めています。

 それらに毒された育児をされた子供たちは、凶暴化して校内暴力がはびこり、金属バット事件なんかが日本ではおきてしまいましたが、海外ではもっと酷いことになっていたようです。何の根拠もなく、イデオロギーや、ある種の思想で教育する危険性は、非常にリスクがあったわけですが、それは「個性重視の原則」という思想に染まったゆとり教育にも言えたようです。

 で、ゆとり教育時代の幼稚園では、「個性重視の原則」からできた教育指導要領にもとづいて、各個人個性をのばす教育をめざしていました。積み木遊びの好きな子供には、一日中、積み木遊びをさせるような教育をおこなっていたらしいのです。



 現在、幼稚園教育は、ゆとり教育を廃止して、いろいろな知能をバランスよく伸ばす方向に切り替えていますが、それは脳の多重知能の特性がわかってきたからです。

 多重知能とは、多くの知能があるということではなく、
 それらが互いに独立している。
 並列しているということがポイントです。

 つまり、ある一つの知能を伸ばしても
 他の知能は伸びない。
 漢字書き取りが得意になっても、
 歌が上手くなるわけではない。
 むしろ逆である。

 ある知能を伸ばしすぎると、別の知能の発達を抑えてしまう可能性の方が高い。つまり脳内で、それぞれの知能は競争し合うということなのです。例えば、右目を塞いで、左目だけで見ていると、左目のニューロンだけが異常に発達して、右目のニューロンは発達しない。右目の脳神経は、左目の脳神経に競争でやぶれてしまいます。そして、いびつな脳ができあがってしまう。そういうことが、脳科学の発達によってわかってきた。その結果、ゆとり教育が幼児にとって致命的な欠陥があることが分かってきた。

 脳の多重知能は、それらが互いに独立して競争しています。
 幼児期に一つだけを伸ばしすぎることは、危険である可能性がある。

 成長過程にある幼少期の脳内は、互いに競争してあっています。その脳の一つだけを伸ばすのは、成人ならともかく、未就学児に行なうことは、かなりリスキーなことなのだそうです。

 脳の多重知能には、それぞれ別個に臨界期があります。それらは、適切にのばす時期があるわけで、それは、『進化的予想している環境』によって決めるのが無難であるようです。カモの刷り込み現象のように、進化の結果で人間が適応してしまった時期を見極めて、適切にのばす必要があるわけです。



 しかし幼児のうちに、一部の脳だけを成長させすぎると、他に大切な知能である別の脳の成長がうまくいかなくなる可能性がある。大げさに言うと両眼視を失う可能性だってある。つまり、ゆとり教育というのは、脳科学的に非常に危険な教育だったという説がでてきている。

 極端な例として、サバン症の人たちがあります。発達障害などのせいで、自閉症的だったりする人たちの中に驚異的な能力を示す人がいますが、それがサバン症です。サバン症を主人公にしたドラマで『グットドクター(山ア賢人主演)』というドラマがありましたが、あれがサバン症です。

 何らかの障害によって、ある知能だけが突出して発達することがある。その典型例がサバン症だと言われています。サバン症の人は、何らかの理由で、特定の知能だけが発達して、他の知能の発達が遅れている状態です。映画『レインマン』や、ドラマ『グットドクター』の主人公や、放浪画家・山下清画伯みたいな感じを思い浮べるとよいかもしれません。かれらは、確かに天才ですが、そのままでは日常生活に支障をきたします。

 なのでサバン症の幼児を養護学校にいれて、遅れた知能を伸ばしてやる。他の知能を人並みにしてあげるわけですが、他の知能が人並みになると、突出していた知能も平凡な物にもどってしまう。天才でなくなってしまう。代わりに、普通の人間として生きていけるようになる。ドラマ『グットドクター』の主人公や、エジソンや、アインシュタインや、山下清画伯のような天才的な人間が、普通の人になってしまう。では、山下清画伯のようなタイプの天才を量産すべきか? 普通の人間として生きられる能力をもつ人間にしてあげるべきかと問われれば、後者の立場をとるのが公立幼稚園のあるべき姿です。子をもつ親なら後者をとりたいと思う。

 以上は、大げさな話ですが、ゆとり教育には、そういう危険性がなくもないというのです。そういうことを直接的ではないけれど、専門の先生は、世間話の中で、暗に教えてくれました。ゆとり教育というのは、(特に幼少期において)非常に危険な諸刃の剣なんですね。それを私は聞きかじって知っていたから、息子の視力検査で異常が出たと聞いて青ざめ、幼稚園を休み、眼科で最も有名な御代田総合病院に駆け込んだわけです。


つづく。

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2019年02月04日

真っ青になって病院に駆け込んだ話 その3

 両眼視の能力に関する臨界期は〇歳から五歳ということは、知っていましたから青ざめました。原因は、タブレットにあるらしいということは、医者に指摘される前に想像できていました。どうりで幼児用のタブレット教材がないわけです。両眼視に関する臨界期が、五歳であることを考えたら、そういうものを作れるわけがない。

 そんなことは、冷静に考えればわかったはずなのに、ついつい夏の忙しさの誘惑に負けて買い与えてしまった。大きな代償を支払ってしまったわけですが、幸いなことに被害は最低限に抑えることができました。

 十月・十一月・十二月と、毎週のように息子を山登りに連れて行き、森の中から、素晴らしい展望のある頂上に連れて行き、遠くを見せることによって、少しずつ視力を回復させています。

 両眼視の能力も、なんとかなりそうです。そもそも近視とは、近くを見すぎて、それに目が適応してしまう結果なので、ハイキングや登山によって、遠景を眺めることを繰り返せば、子供なら多少の回復はします。

 それに気がつかせてくれた五歳児検診には、感謝感謝ですが、両眼視に関する臨界期が五歳であることを考えると、 三歳児健診・四歳児検診でも視力検査はやっておくべきなのではないでしょうか?

 世の中には、私のような馬鹿な親も少なからずいると思いますから、三歳あたりから視力検査をするべきだと思った次第です。というのも、 三歳児にタブレットをさせている親御さんを少なからず知っているからです。

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 ところで、私たちの脳は、多重知能をもっています。それは単に「多くの知能がある」ということではなく、それらが互いに独立している。並列しているということがポイントです。

 つまり、ある一つの知能を伸ばしても
 他の知能は伸びない。
 計算ばかり得意になっても、
 絵が上手くなるわけではない。
 むしろ逆なんです。

 ある知能を伸ばしすぎると、別の知能の発達を抑えてしまう可能性の方が高い。つまり脳内で、それぞれの知能は競争し合うということなのです。例えば、右目を塞いで、左目だけで見ていると、左目のニューロンだけが異常に発達して、右目のニューロンは発達しない。右目の脳神経は、左目の脳神経に競争でやぶれてしまいます。そして、いびつな脳ができあがってしまう。

 そういうことが、脳科学の発達によってわかってきた。その結果、ゆとり教育が幼児にとって致命的な欠陥があることが分かってきて、ゆとり教育廃止に結び付いたのです。

 話は変わります。

 息子は、幼稚園の年少組に入ってしばらくして、先生から「おちこぼれている」ことを告げられ、専門の先生に指導してもらうことになりました。その先生に、いろんなことを教わったのですが、ゆとり教育時代の幼稚園の教育システムは、例えば砂遊びしてる子供がいたとしたら、好きなだけ砂遊びをさせる。その砂遊びの能力を磨くと言うことを支援する。そういう教育システムだったそうです。

 ところがこの教育システムが、脳科学的に非常に危険なシステムだったことが、様々な科学的な実験によってわかった。ゆとり教育と言うのは、ただ単に「バカを量産する教育システム」ぐらいにしか思ってなかったのですが、どうもそうではなかったのです。

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 私は、天気の良い日ならば、幼稚園をどんどん休ませて、家族でハイキングをしました。その結果、 三歳で八ヶ岳に登り、 四歳で槍ヶ岳に登ったりしたし、空手の青帯もとったり、絵本も毎日二冊以上は読んでます。だから幼稚園の先生からダメ出しを出されても、全く気にしてなかった。何しろうちの息子は、他の子供ができないことをいくつもできているので、落ちこぼれていると言われても、少しもぴんとこなかったんですね 。

 実際、紹介された専門の先生に息子を見てもらっても全く問題なかった。不思議に思ったその先生は、時々幼稚園にやってきては、息子の授業の状態を見学し、いろいろチェックはしてくれていましたが、やはり問題ないということで落ち着いたのですが、それでも二年以上にわたって、めんどうをみてもらい、いまだにそれが続いています。

 専門の先生からOKサインは出てるのですが、幼稚園の担任の先生にとっては、まだ不安材料が消えてないのです。担任の先生は、さかんに
「みてもらえ」
と言ってきます。

 息子は、人より成長が遅いし、幼稚園での友達づきあいもスムーズと言えないからです。運動能力にも疑問符がついているので、発達心理学の先生の他に、作業療法士の先生にもみてもらっている。担任の先生に「みてもらえ」と言われているからです。これは歴代のどの担任の先生も同じ反応です。幼稚園教育のプロたちが三年にわたって、口をそろえて言うことなので、根拠があり、間違ってないのでしょう。

 しかし、親である私の見解は少し違っています。確かに成長は遅いですが、もともと三月末の生まれであるし、そのへんは個性の範囲内ととらえていました。

 幼稚園で友達づきあいがスムーズでないのも多少気にはなりますが、うちの宿に泊まりに来るお客さんのお子さんとは、とてもスムーズに友達関係をきづいているし、公園に行けば見知らぬ子供たちと、すぐに仲良くなっています。これは他の子供たちに無い特技です。幼稚園が終わったあとの保育園では、一級下の子供たちと仲良く遊んでいるし、女の子たちとも仲良しで、プレゼントの交換なんかをしています。

 運動神経に関しては、確かに良いとはいえないことは、運動会でいつもビリであるのと、ラジオ体操が下手くそなことを見れば分かります。空手教室に通っていても、敏捷な動きが出来ていません。

 しかし、毎晩スクワットや腹筋を二十〜三十回やっているし、三千メートル級の北アルプスにスイスイ登れる体力もある。週末にはサッカーボールを蹴りながら小浅間山なんかに登っているし、ドッチボールも大好きなので決して運動が出来ないわけではないと思っています。スキーだってスケートだって、下手くそながら猛スピードで滑走し、親が見失うくらいです。

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 それは各専門の先生も分かっていて、息子が指導をうけるという作業は、あまりやらなくなって、しだいに私たちと世間話をして時間を潰すことが多くなってきました。その先生の息子さんと、うちの息子が、よく似た症状だったこともあり、さらに、先生の御実家が、うちと同じく宿屋だったこともあって、非常に似た環境下であったこともあって、世間話に花が咲きました。

 で、専門の先生と世間話をするうちに、とんでもないことが分かってきました。ここ数年のうちに、幼児教育において、恐ろしい発見が相次ぎ、過去に行なわれていた幼児教育が、否定されつつてしまっているらしい。それが、とても興味深い内容だったのです。


つづく。

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2019年02月03日

真っ青になって病院に駆け込んだ話 その2

 息子が五歳になると五歳児健診がありました。それまでも六ヶ月検診とか、 一歳児健診とか、 二歳児健診とか、いろいろな幼児健診があったわけですが、どういうわけか視力検査だけは全く行って来ませんでした。

 で、 五歳児検診で、初めて視力検査を行ったわけですが、片眼が1.2。片眼が0.75と言う異常な数値が出て、両眼視の能力に関して精密な検査を行うように指導を受けてしまいました。

 真っ青になったのは私です。ユニセフの公式見解で
「両眼視の能力に関する臨界期は〇歳から五歳」
ということを以前脳科学の本で読んで知っていたので、早急に幼稚園を休んで御代田総合記念病院に駆け込みました。

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 この病院は、軽井沢近辺では最高の眼科医師がいるところで有名な病院です。地元では、眼科に行くなら御代田総合記念病院。御代田病院眼科に草木もなびくよ〜と歌われた病院で、観光協会の仲間たちも、みんなそこの眼科でお世話になっている眼科の聖地のようなところです。そこで、専門の先生に看て貰った結果、

(一)両眼視の能力は、問題ない
(二)タブレットは控える
(三)三十分以上、近くのものを見せない

という指導をうけました。眼科の先生は、最近の小学校の教育に批判的で、小学校の教育にタブレットを導入するなどは、もってのほかだと怒っていました。耳が痛かったです。

 実は、うちの息子は、タブレットをやっています。うちは宿屋なので、夏休みの忙しい時に、いろいろ邪魔されるのは非常にキツかったために、ベネッセのチャレンジ1年生のタブレットを買って与えていました。

 息子は、三歳位までは、一日中、ひとりでテレビを見てくれていたんですが、 四歳ぐらいになるとテレビを見ることはなくなりました。最初は、どうしてだろうと思ったんですが、すぐに原因がわかりました。親である私や嫁さんが、全くテレビを見なかったからです。

 夏の忙しい時にテレビなんか見る暇がないのはもちろんのことですが、そもそも私も嫁さんもテレビを見ません。子供は親の後ろ姿を徹底して真似ますから、親がテレビを見ないのなら、子供が見るわけがありません。

 その結果何が起きたかというと、幼稚園の子供たちと、共通の話題がなくなってしまって、ちょっと浮いているようなんです。例えば、昔の男の子なら仮面ライダーやウルトラマンや鉄腕アトムの話題で盛り上がって、ウルトラマンごっこなんかして遊ぶんでしょうが、うちの息子はそういうものを全く見ません。当然のことながら、そういうおもちゃも一切持っていませんし、そういう遊びもしません。その結果、とんでもないことが起きてしまっています。それについては別の機会に述べます。

 では、テレビを見ない息子は、何をしたがるかというと、宿の仕事をしたがります。家の掃除をしたがる。ベットメイクをしたがる。食事を作りたがる。食器の片付けをしたがる。パソコンをいじりたがる。みんな親がやってることを真似したがるわけです。

 これが忙しい時に、邪魔で邪魔でしょうがない。気が狂いそうになるぐらい邪魔なんですよ。かといってやるなとは言えない。邪魔だからと怒ると、それが息子に深刻な影響を及ぼすことは分かっている。

 叱られるというネガティブな情動体験による学習は即座に成立します。これは長い進化の過程で成立した適応で、敵の学習を即座に行なうためです。そうでなければ生存は危うい。敵に会うたびに少しずつ敵に関する学習をしていては、敵に襲われて命を落とす確率が高まるからです。
 これはノルアドレナリン系という物質がストレスによって脳内で働くためですが、このノルアドレナリン系は、幼少期で最も強く活動します。幼児であればあるほど強く活動する。つまり息子に
「邪魔だ」
と怒ると、ノルアドレナリン系の即時効果によって、二度と家の掃除も、ベットメイクも、食事も作らなくなる。

 そういう例を、あまりにも多く知っている。ユースホステルのオーナーさんや、ペンションなどのオーナーさんたちから、いくらでも聞いている。なので、あまりに強いネガティブな情動体験は、その後の悪影響を考えると、あまりやりたくない。

 息子が二歳になる前、客用ソファーに落書きしたことを怒ったら、息子は二度と筆記用具をもたなくなり、それから文字や絵を描かせるのに非常に苦労したことがありました。あまりに強いネガティブ体験は、その後に深刻なダメージを与えるので、やりたくない。

 それに子供の過度なストレスを与えることも脳の発達にマイナスであることも分かっている。ラットにストレスを与え続けると脳が五パーセント軽くなるという有名な実験もあります。できたら強く叱るという体験を利用した教育やしつけは、必要最小限にしたい。

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 なので困った私は、息子にパソコンを持たせようと思いました。息子はテレビを見ませんが、パソコンはやりたがります。親である私たちが、四六時中パソコンを使って予約を確認したり、ホームページを作ったり、ブログやFacebookを書いたり、経理を行ったりしているわけですから、それを見ていた息子は、パソコンやりたがって仕方がない。

 といっても、四歳や五歳の息子にパソコンがいじれるわけがありませんから、タブレットを与えることにする。泊まりに来る御客様のお子さんたちの多くが、ベネッセのチャレンジ○年生のタブレットで勉強していたからです。

 問題はそのタブレットに幼児用のものがなかったことです。なので小学一年生のものを注文しました。そして息子に与えると大喜びでした。しかも小学一年生の問題を
「簡単だ!」
と次々と答えていました。

 実は、それまで息子は、ポピーという幼児用の教材で勉強していたんですが、その幼児用の教材は息子にとっては非常に難しかった。むしろ小学一年生の問題の方が簡単だったのです。息子は、タブレットに夢中になってゲーム感覚で勉強しはじめました。もちろん 三十分以上経つと警告が出ます。それ以上やると目に悪いからです。あとブルーライトの制限もかけられます。ブルーライトは最小限の設定にしてあります。なので画が黄色くなってしまいますが、仕方ありません。

 しかも、このタブレットは非常に良くできていて、息子の勉強意欲を想像以上に引き上げます。ゲーム中毒に陥った子供のように息子を夢中にさせます。私や嫁さんが、パソコンに向かって何か仕事をやっていると息子は自分のタブレットで勉強しだす。わからない問題が出てくると、私に質問してきます。私が、それに答えてあげる。そのやりとりによって親子の共同作業が始まりますから、それも息子にとっては楽しかったようです。

 しかも、このタブレットは YouTubeとか余計なサイトを見ることができない設定になっている。勉強しか出来ない。親の私は安心しきっていました。その結果、息子は三十分どころか一時間でも二時間でもタブレットに向かい続けました。

 これが親にとって都合がよかった。

 息子がタブレットに夢中になったおかげで、親はフリーハンドを得られて、この夏の宿の仕事は、かなりはかどった。おまけに息子の学力はどんどん向上していく。普通の勉強と違って、タブレットはゲームのようなスタイルになっているので、遊んでいるうちに自然と勉強ができてしまうわけです。とにかく良いことずくめだと思っていました。まさにタブレットさまさまだなあと思っていた。

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 ところが五歳児検診で
「目が異常な状態」
と、引っかかったわけです。そしてお医者さんの指導を受けるようになったわけです。

 両眼視の能力に関する臨界期は〇歳から五歳ということは、知っていましたから、私は青ざめました。原因は、タブレットにあるらしいということは、医者に指摘される前に想像できていました。どうりで幼児用のタブレット教材がないわけです。両眼視に関する臨界期が、五歳であることを考えたら、そういうものを作れるわけがない。


つづく。

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2019年02月02日

真っ青になって病院に駆け込んだ話 その1

 初めての子供が生まれ、お父さんになると、子供の将来が気になります。具体的に言うと、人間の持っている臨界期が気になるのは、私だけではないと思います。

 臨界期というのは、何かを学習する際に決定的に重要な期間のことです。臨界期を過ぎると、その何かをほとんど学習できなくなってしまう。

 例えば視覚。誕生から数ヶ月間、全く光を知らないままでいますと、脳の視覚システムが構築できずに失明したままになります。脳のなかの視覚神経回路がその発達の臨界期を過ぎてしまうからです。後で、いくら光を浴びても、目が見えるようにはなりません。

 言語の臨界期もあります。十歳までに人間社会の言語に触れることができなかった子供は、脳における言語システムそのものが構築できないために、十歳以降にどんなに勉強しても文字を覚えることも言葉を話すこともできない。狼少女アマラの話や、アヴェロンの野生児ヴィクトール、アメリカ在住のジーニーの話など。彼らたちは言語の臨界期を過ぎていたために、人間の言葉を最後まで理解できていません。

 臨界期を世界で最初に発見したのは、オーストリアの動物学者ローレンツです。ローレンツは、カモのヒナが、艀化後に最初に見た物体を母親とみなし続けるという事実を見つけました。彼はこれを「刷り込み」と名付けました。

 刷り込みと単なる学習と違うところは、一度「親」としてみなした対象だけを親とみなし続け、その後の修正がきかないという点です。そして、この刷り込みの時間は、生誕後、十時間ほど過ぎてから二十五時間までです。それ以上すぎると刷り込みが起きなくなる。これが刷り込みの臨界期です。

 これは進化の結果、そのようにカモが適応してしまったためです。カモのヒナたちは、生誕後に親がそばにいて、その親が動くことを進化的に予想して生まれて来る。そして、その親を親として生誕後の短い期間で記憶化するという遺伝的プランをもっている。

 これが、もし親を親として記憶化しないでいると敵に襲われる可能性があるため、生誕後の短い期間で親を親として学習しなければならない。そのために刷り込みがある。つまり臨界期がある。要するに、カモのヒナは、環境を予想しつつ生まれてきているわけです。これを脳科学者の澤口氏は、進化的に予想している環境と名付けています。

 もちろん臨界期を過ぎても、親を親として認識するように学習させることは不可能ではありませんが、それは臨界期とは別に「学習容易期」があり、別の脳の働きがあるからです。

 したがって臨界期後でも学習が可能ですが、それは「進化的予想している環境」のための即時適応ではなく、学習による適応なんですね。遺伝子レベルで本能的に即座に適応する行動と、学習によって学ぶ行動は分けて考える必要があります。

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 話は変わりますが、ユニセフでは、各種の臨界期を公式発表しています。

 音声言語の臨界期は一歳から七歳。
 情動のコントロールカの臨界期は一歳から五歳。
 仲間との社会関係力の臨界期は三歳から七歳。
 算数能力の臨界期は一歳六ヶ月から七歳。
 両眼視の能力に関する臨界期は〇歳から五歳。

 音声言語に関して言うと、七歳までに人間の言葉を学習しないと、それ以降はどんなに勉強しても学習効果は極めて少ないと指摘しています。もちろん脳には、可塑性(柔軟性)があるので、 七歳以降は絶対に学習できないというわけでは無いのですが、本能的に即座に適応するという能力は失われてしまう。

 算数の基本的能力に関しても臨界期があります。人類を進化的を考えると、 十程度まで数えたり、大きさを比較したりする能力が七歳ぐらいまでに身に付けていないと生存が難しい。

 これはサルでも同じで、彼らも早い段階で数を認識したり、大きさを比較する能力を持っています。つまり算数の基本的能力は、進化的予想している環境である。なので算数の基本的能力に臨界期がある。七歳までに数の基本的能力を身につけないと生存競争を勝ち抜けない。だから算数の基本的能力を七歳までに学習する必要がある。

 まあ、そんなことはどうでもいいとして、問題は
「両眼視の能力に関する臨界期は〇歳から五歳」
という臨界期です。

 人は眼を二つ持っていますが、この二つの眼はあたかも一つの眼のように働いています。これは、両眼で受け入れた感覚を脳で統合して一つの新しい感覚としているからであり、この機能を「両眼視機能」といいます。

 まず、両眼の左右に映った映像を同時に見る能力が生まれます。そして、左右の眼に映ったそれぞれの映像を、まとめて一つのものとして見れるようになります。最後に、右眼と左眼は左右に離れているため、わずかに角度のずれた映像をもとに脳の中で立体的な映像が作り出されます。これが両眼視の能力で、これがないと対象の遠近関係や三次元での動きを視覚的に認識することができない。この臨界期が五歳までです。

 例えば幼児白内障などで片眼でしかモノを見ないで育った場合、仮に五歳以降に視力が回復したとしても、両眼視の能力は生涯ほとんど発達しません。脳の中で競争が起きるからです。よく活動する神経回路は、ほとんど活動しない神経回路との競争に勝って発達してしまう。勝ち負けが確定すると、負け組の神経回路は、使われなくなってしまう。その結果、両眼視の能力を失ってしまう。

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 ここで本題に入ります。

 息子が五歳になると五歳児健診がありました。それまでも六ヶ月検診とか、 一歳児健診とか、 二歳児健診とか、いろいろな幼児健診があったわけですが、どういうわけか視力検査だけは全く行って来ませんでした。

 で、 五歳児検診で、初めて視力検査を行ったわけですが、片眼が1.2。片眼が0.75と言う異常な数値が出て、両眼視の能力に関して精密な検査を行うように指導を受けてしまいました。

 真っ青になったのは私です。ユニセフの公式見解で「両眼視の能力に関する臨界期は〇歳から五歳」ということを以前脳科学の本で読んで知っていたので、早急に幼稚園を休んで御代田総合記念病院に駆け込みました。



つづく。

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