昭和時代の小学校ですから築80周年の校舎で古い。中庭には井戸があり、温室があり、ブランコがあり、動物小屋があったり。縁の下には、何十匹と言うコウモリ。その他にも町の施設(図書館など)が小学校の中にテナントで入っていて、その辺を散策するのも楽しかった。不思議なことに当時の担任の先生は、私が授業サボってぶらぶらしていても、親に通報することもなく、放置してくれました。
そして何日か出すと私の放浪癖は収まって、みんなと一緒に授業を受けるようになった。思えばいい時代だった。今だったら確実に大問題になっていたと思います。しかし、ある程度放置してもらったせいか、私の放浪癖は消えてしまった。そのうち教室でみんなと一緒に真面目に授業を受けていました。そして皆で校外を散歩したりしました。
この時の担任の先生のことをよく思い出します。授業中に何度も咳をして、そして咳が止まらなくなり、苦しそうでした。
私のほうも肺炎にかかり1ヶ月間自宅静養することになり、 1ヶ月後に学校に登校しました。その時は担任の先生は、合いませんでした。代理の先生の話によれば、肺の病気にかかって入院してるとのこと。私も肺炎でしたが、その先生も肺の病気でした。
こうして1年生の時は、 2人の先生に学んでいます。そして2年生になると、1学期ごとに臨時の先生が変わりました。代用教員だったと思います。担任の先生が復帰するまでの臨時教員だったと思いますが、なかなか復帰しなかったので、教育委員会は1学期ごとに1人ずつ代用教員を雇い1年間に3人の先生に習っています。
結局担任の先生は、復帰することもなく、その後癌で亡くなったわけですが、そのために私は、2年間で5人の先生に学んでいます。 2年生で受け持ってもらった3人の代用教員たちは、その後、別の小学校で正式な教員に採用されることになり、感謝のためと言うことで、私が居た小学校に、ジャングルジムとかブランコなんかを寄付してくれたりしています。
それにしても思う事は、昭和時代の佐渡島は本当にのんびりしていた。 平成時代でも、令和時代であっても、ありえないことだと思います。しかし、昔はのんびりしていたので、病気になった担任の先生がいつか復活すると信じて、教育委員会が温情に温情を重ねたんだと思います。2年間に5人もの先生に学ぶという非常に得がたい経験をしました。
つづく。
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