2019年09月10日

息子の運動会で目が点になった話 その2 浅間団という謎の組織

息子(6歳)の運動会で目が点になった話し その2

 私の出身地は、新潟県は佐渡島です。その後東京に上京して、東京池袋20年間住んでいました。群馬県民になったのは今から20年前にユースホステルをオープンしてからです。なので、もともと私は群馬県民ではありません。

 実は嬬恋村には、そういう移住組が多いのですが、移住組にとって、嬬恋村に定住しても、あまり違和感のないことが多かったです。つまり田舎特有の排他性が嬬恋村のそれも北軽井沢にはありません。田舎っぽくないんです。何しろまわり近所は、ほとんどよそ者ですから、東京にいた頃とあまり変わり無かった。息子が生まれるまでは・・・・。

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 ところが、息子が生まれてからは、激変化しました。地域の洗礼をたっぷりと浴びることになりました。幼稚園時代には、子供会ならぬ「園児会」というものに入ることになり、獅子舞とか、上毛かるた大会とかに参加するようになったのです。

 これがもう少し前なら、そういうものに移住組。つまりよそ者は、入る事はできませんでした。ところが、少子化によって子供たちが激減した結果、移住組の幼稚園児たちも入れてもらえるようになったのです。

 ただし、小学校に入ると違ってきます。子供会はあるんでしょうけれど、移住組に声がかかることありません。なので、私たちよそ者は、地域の行事に参加することは無くなります。以前、現浅間高原観光協会の会長は、それは寂しいということで、入れてくれるように頼んだらしいのですが、断られたということを私たちは聞いていたので、これから寂しくなるなと思っていたら、そうでもなかった。小学校の中で、謎の組織が存在していたからです。

 その謎の組織の名前は『浅間団』という名前です。

 息子はいつの間にか浅間団と言う謎の組織に入っていて、上級生のお兄さんお姉さん達と一緒に道路清掃のボランティアなどの作業をやっていました。この謎の組織は、いわゆる子供会ではありません。地域とは全く関係なく、小学校が独自に作っている組織らしい。

 息子に話を聞いてみると、この謎の組織は、他にも3つあるらしく、
『榛名団』
『白根団』
『赤城団』

と言う組織があるらしい。

 子供が小学校に入学すると、この4つの謎の組織に分かれて、上級生と一緒に日常的にボランティア活動をするらしい。

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 その結果、息子は浅間団の上級生達と、非常に仲が良くなった。野菜の直売所に行けば、そこには同じ浅間団に所属する上級生がいて、仲良く遊んでくれる。スクールバスの中で、息子の奴が忘れ物をすると、浅間団に所属する上級生たちが忘れ物を届けてくれたりする。春の遠足なんかでも、上級生がいろいろ面倒見てくれるわけですから、息子は同級生も浅間団の上級生のほうになついてしまっている。

 同級生の中には、いじめっ子や、暴力的で意地悪をする人たちがいたりするので、入学したての頃、息子の奴は、あまり同級生と遊びませんでした。しかし浅間団の上級生たちは、下級生をとても可愛がりますので、息子の奴はすっかりなついてしまった。同級生のいじめっ子の暴力に対して守ってくれたりするので、息子にとっては、先生や親に匹敵する信頼できるお兄さんお姉さんだった。

 この謎の組織『浅間団』とは何であるのか?

 担任の先生が家庭訪問に来た時に聞いてみたら、どうやら運動会のチームらしい。群馬県では、運動会の時に赤組白組で戦うのではなく、浅間団・榛名団・白根団・赤城団と言う4つの組織に分かれて戦うらしいのです。しかもただ戦うのではなく、日ごろから4つの団に分かれて、ボランティア活動や遠足の班分けなど、それぞれ団別に分かれて活動する。そして上級生が下級生の面倒見るわけです。これを一年通して行うわけですから、団ごとの団結心は非常に強い。

 面白いのは、この謎の組織は、地域別に分かれているわけではないということです。
 浅間山の近くだから浅間団と言うわけでは無い。
 運動能力(それもかけっこのタイム)によって振り分けられているらしい。
 (それも毎年、メンバーをリセットする)
 したがって、兄弟で別々の団に入っているケースが多い。
 というか、わざと別々の団に入れられている様な気がする。

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 うちの近所には、息子と同じ浅間団のお姉さんがいて、そのお姉さんの弟に息子の同級生がいました。近所でありながら幼稚園時代は一緒に遊ぶ事はなく、嫌っていたのですが、同じ浅間団のお姉さんのおかげで、その弟さんと非常に仲良くなって、今では大の仲良しです。

 もちろん、その同級生は、運動会では敵同志です。八十メートル走では、ライバルとして一緒に走り、その子は二位。息子は3位で負けています。けれどその子のお姉さんとは同じ浅間団で、一緒のメンバーで、いろいろとお世話になっています。

 この浅間団・榛名団・白根団・赤城団と言うのは非常にいいですね。聞くところによると、群馬県では、どの小学校でも浅間団・榛名団・白根団・赤城団と分かれて活動しているようです。そして、運動会で浅間団・榛名団・白根団・赤城団で戦うわけです。もちろん応援合戦もします。この応援合戦がまたいいのです。

 もちろん私が佐渡島の小学校にいた頃も、赤組と白組に分かれて、応援合戦をしましたが、
「白組勝つぞ!」
「赤組頑張れ!」
といった自分のチームを応援する応援合戦でした。まあ当たり前ですよね。ところが、嬬恋村の小学校の応援合戦はちょっと違っていて、浅間団なら、榛名団・白根団・赤城団にエールを送る。榛名団なら浅間団・白根団・赤城団にエールを送ります。その時の様子を、ここに動画をアップできないのが残念です。もし、動画が見られたら、全国の皆さんが感動すると思います。

 そのせいか、嬬恋村の東部小学校の上級生たちは、実に下級生を可愛がります。運動会では、上級生たちは学校の先生の仕事を手伝っていて、かけっこでゴールした下級生の子供たちに、敵味方関係なく、上級生たちは頭をなでなでしたりしていました。こういうところが、すごい。ある意味、素晴らしい教育成果を出していると思います。これも「団」と言う謎の組織のおかげなのか?

 ここで思いだすのが、私の子供の頃です。私が佐渡島の小学校一年生になった時の運動会の話です。赤組白組に分かれて、 一年生と二年生で、リレー競技に私は出場しました。けれど走ってる途中に倒れて血まみれになった。それでも頑張って最後まで走りきりました。すると、上級生の何人かがやってきて、「お前のせいで負けたんだぞ」と、大勢の上級生に詰められました。その罵倒を血まみれになりながら歯を食いしばって聞いたことを思いだしました。もちろん普段から知っている上級生で、保育所時代から一緒に遊んでいた人たちですが、そういう人たちに罵倒されるだけ罵倒された。

 赤組白組といっても、所詮、運動会の一日限りの組み分けです。そもそも私自身が、上級生は下級生の面倒見なさいと言う教育的指導を受けたことがない。これは全国どの小学校でも、にたようなものでは無いでしょうか? 私と同じような体験をしたことがある人も全国に大勢いるはずです。しかし、嬬恋村の小学校では、そういう雰囲気とは違っています。これも団という謎の組織のおかげなのでしょうか?

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 上級生たちは、下級生を思いやり、その上先生の手伝いをして、運動会の運営を行い、その上さらに、マーチングバンドをやってる。マーチングバンドについては、前回詳しく触れたので、これ以上は書きませんが、彼らの頑張りは、かなりのものです。けれど、これが、すごいことだと思っているのは、どうやら私と私の嫁さんだけのようで、嬬恋村村民(群馬県民?)たちには、これが全国標準だと思っているようなので、それに対してもちょっと驚いています。

 なので、嬬恋村村民(群馬県民?)たちのために、ここに書いておきます。
 この伝統を絶やしてはいけないと!

 嬬恋村村民(群馬県民?)は、そのスタイルを貫けと!



つづく。

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posted by マネージャー at 06:14| Comment(1) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月09日

息子の運動会で目が点になった話し その1

 土曜日に息子の運動会がありました。なので、金曜日には休館させてもらいました。せっかくの問い合わせにもかかわらず、お断りすることになったお客様には相変ご迷惑をかけました。息子の通う嬬恋村東部小学校の運動会は、朝の8時半から始まりますので、どうしてもお客様をお止めすることが出来なかったのです。また、おもちゃ王国のチケットをお買いになるお客様で、事前にご連絡をいただけなかったお客様にもご迷惑をかけました。おもちゃ王国のチケットを事前に買いになられるお客様は、必ずご連絡の上、来ていただければと思います。ご連絡さえいただければ、手渡す手段はいくらでもございます。

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 それはともかく、いつから運動会は、すべての家族が、テントを組み立てるようになったんですかね。場所取りは朝の6時からと聞いていたので、念のために朝の5時半に小学校に行ってみたら、ものすごい人数が並んでいて、駐車場に車が止められないくらいでした。皆さん、巨大なリヤカーみたいなものにテント道具を乗せて、朝早くから行列を作っていました。当然のことながら私は最後尾です。幼稚園のときには、夜12時から場所取りで並んでいたお父さんがいましたが、この分だと小学校も似たようなものかもしれません。

 たかが息子の運動会に、テントなんて大袈裟だと思った私たちは、当然のことながらそんなもの持っていません。レジャーシート1枚だけです。それを見た、他のお父さんがたが、
「テントがないときついですよ」
と何人も注意してくれました。そんなわけないだろう。と、私は本気にしなかった訳ですが、それは大きな間違いだったようです。幼稚園の頃だってテントなしでやってきたわけですし、何の不都合もなかったので、テントやバーベキューセットみたいな大げさなものはいらないだろうと思っていたんです。しかし、それが大きな誤算でした。

 幼稚園の運動会は9月末でした。涼しい時期なんです。それに対して小学校の運動会は9月の初旬です。残暑が厳しいですね。小学校のある場所は標高600メートルなので、北軽井沢よりも暑いんです。その上、谷間にあるために風がない。もちろんテントのない家庭はうちだけです。どの家もタープテントにキャンピング用のテーブルと椅子を用意し、巨大なクーラーボックスを抱えています。それに対して、我が家は、レジャーシートに小さなトラ箱1個。非常に貧相なんですね。

 幼稚園時代は、そういう家族に対して、教室を開放してくれていました。なので、ギラギラと照りつける太陽の下でお弁当食べる事はなかったんです。しかし、小学校では、教室の解放がないので、炎天下の下で弁当食べることになるし、雨が降ったら車の中に避難しなければいけなくなる。そういうことが全くわからなかったので、テントなんか必要ないだろうと思ってしまった。なので、ここにしっかりと書いておきます。

 嬬恋村東部小学校の運動会には、テントが絶対に必要です。

 他の小学校も、同じかもしれないので、来年小学校1年生になるお子さんをお持ちの方は、その辺を注意した方が良いかもしれません。大袈裟でなくテントが必要なんです。

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 前置きはこのくらいにして本題です。息子の通う小学校は、何か変だと思えることが、ありました。まず夏休みが、非常に短いこと。短い上に、小学校の5年生と6年生は、夏休みの大半を返上して、登校して鼓笛隊の練習をしなければならないということ。もちろんそのためにスクールバスも動き、プールに遊びに通えること。そのおかげで、夏休み期間中、息子は毎日学校のプールに入りに、遊びに行きましたから、こちらとしては大助かりだったのですが、

「どうして5年生と6年生は、夏休みを返上して学校に行かなければならないのか?」

という疑問が、どうしても消えませんでした。

 そしてもう一つ。運動会のことです。
  9月の第1週土曜日に運動会がある。
 いくらなんでも早すぎましないか?と言う疑問です。

 そして、土曜日に運動会を迎えたのですが、その理由がようやくわかりました。小学校の5年生と6年生の演目に、マーチングバンドがあったからです。鼓笛隊だとばっかり思っていたら、マーチングバンドだった。

 マーチングバンドというものがどういうものか分からない人のために、 YouTubeの動画をアップしておきます。本当は嬬恋村の小学校の動画をアップすればいいんでしょうが、肖像権の関係で小学校から禁止されているので、参考のために某高校吹奏楽部の画像をアップしておきます。





 鼓笛隊だと思っていましたが違いました。
 マーチングバンドでした。

 マーチングバンドですから、全員が、金管楽器と打楽器で演奏しながらパレードを行います

 問題は、これがクラブ活動の延長ではないと言うことです。
 5年生と6年生全員が参加してのマーチングバンドです。
 メンバーには障害児もいます。

 特別に音楽教育をうけているわけではない、ごく一般の児童が、肺活量を必要し、ミスが目立ちやすいトランペットなんかを演奏しながら、リコーダーの鼓笛隊でも難しいと思われるパレードを行っている。

 私は真正面からビデオ撮影をしていたんですが、一糸乱れぬ素晴らしいパレードに、ただただ目が点になり、口があんぐりと開きっぱなしでした。

 金管楽器をやった人なら分かると思いますが、トランペットにしても、トロンボーンにしても、ホルン・コルネットにしても素人には音は出せません。 吹けば誰にでも音が出せるリコーダーとは違います。それをクラブ活動やってるわけでもなく、小さい頃から音楽の英才教育を受けてるわけでもなく、単なるド素人の小学5年生6年生に演奏させることもすごいと思いますが、マーチングパレードをさせるわけですから、驚いたのなんの

 専門家に聞いてみたい。
 夏休み返上ぐらいで、ハイレベルなマーチングパレードができるものですか?
 金管楽器を使いこなせるものなんですか?

 もっとも1番驚いたのは、吹奏楽をやっていた、うちの嫁さんかもしれません。もちろんマーチングバンドのある小学校は全国にたくさんあり、全国大会もあるわけですが、それは、あくまでもクラブ活動の一環です。好きで音楽をやってる人たちのグループなわけで、授業でやっている訳では無い。嬬恋村では障害児も含めクラス全員でやってるわけですから、その上であのレベルのマーチングパレードを行うわけですから、これは大変なことです。

 というか、大変なことをやってる自覚が、嬬恋村の子供達にあるのだろうか? 子供達の親に、これが凄いことであることが分かっているのだろうか? どうも分かってなさそうな雰囲気に私は衝撃を受けてしまっています。

「そもそも人数分の楽器(トランペットなど)をどうやって揃えたんだろう? あれだけの楽器を揃えるためには、一体幾らしたんだ? 」

という点も、疑問だったんですが、その疑問も地元民が、明確に答えてくれました。

 この小学校は、もともと中学校だったらしい。少子化のために2つあった中学校が合併して、 1つになって、余った中学校の1つが小学校になったと。楽器はその時のものと、小学校が合併して余った楽器が集中したのではないか?と言う事を教えてくれました。つまり少子化によって、学校の機材に、様々な余剰品が生まれている。楽器もそうなのではないか?ということを聞きました。

 なるほど、そういうことだったのか。

 少子化時代というのは、子供達に、こういう恩恵をもたらすものかと感心しました。第二次ベビーブームだった嫁さんの時代は、その逆で、吹奏楽部に入っても楽器が足りなくて、自分で買ったり、 OBから寄付してもらったり大変だったということを聞いたことがあります。値段も決して安いものではありません。

 まぁ楽器の謎は解けたとしても、非常に肺活量を必要とするトランペットやトロンボーンをどうやって短期間で覚えたのかが謎です。マーチングパレードつまり動きながらの演奏ができるようになったのか?不思議でなりません。しかも3曲も演奏するわけですから驚きです。しかし、嬬恋村の地元民には、これがどれほど凄い事なのか?よくわかってないような気がします。

 とにかく、この村には、驚かされることが多い。
 長くなったので、続きは後で・・・・。



つづく。

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posted by マネージャー at 10:13| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする