今回は「植福」についてです。
植福とは、将来に対して幸福の種を蒔いておくことです。
過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分を創っている。
過去を書き替えることはできないが、今から良い種を蒔き続ければ、
望ましい未来につなげることができるというのが植福です。
実は、幸田露伴もびっくりの植福の人が軽井沢にいます。
雨宮敬次郎です。
過去に5回ほどやっている、雨宮敬次郎のツアー(離山ツアー)に参加した人なら御存知でしょうが、彼ほど植福に命をかけた人はいなかった。
彼は、行商から身を起し、事業の失敗と成功を繰り返し、明治二十一年(1888)に甲武鉄道の取締役となって以来、川越鉄道、北海道炭礦鉄道と関わり、日本鋳鉄会社を起しました。東京市街鉄道株式会社を設立し、京浜電鉄、江ノ島電鉄の社長となり、軽便鉄道を日本にもってきたり、列車を製作したり、鉄道国有論を唱えたり、広軌レールを主張したり、運賃無料論を唱えたり、物流革命を見越した人物でもあります。
この雨宮敬次郎が、軽井沢を作ったことは意外に知られていません。軽井沢といえば、宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショーが別荘地に軽井沢を発見したことばかり言われていますが、そうではない。軽井沢を作ったのは、雨宮敬次郎なんです。雨宮敬次郎が、軽井沢に大規模な植林事業を行ったのであり、多くの農民を入植させて、こまごまと面倒をみてやって、今の軽井沢の骨格を作り上げたのです。
アレキサンダー・クロフト・ショーが「軽井沢の恩父」などと言われてますが、馬鹿言ってるんじゃ無いよ。雨宮敬次郎を忘れていませんか?と言いたいですね。雨宮敬次郎こそは、私財をなげうって軽井沢に尽くしてきた人間であり、軽井沢に多くの人を入植させた人間なのです。軽井沢を避暑地として紹介しただけの宣教師ショーとは格が、スケールが違います。
アレキサンダー・クロフト・ショーが、軽井沢に訪れたとき、軽井沢は原野であり樹木が一切なかった。その原野に植林事業を始めました。当時、原野と言えば御殿場か軽井沢だった。どちらかで植林事業をやるつもりだった。結局軽井沢になったのは、東海道線よりも信越線の方が早く開通したからです。もし東海道線の方が早く開通していたら、今でも軽井沢は原野のままで、御殿場が大森林地帯になって怒ったかもしれない。
もちろん原野から始める植林事業なので、雨宮敬次郎が生きている間に利益を上げることはありません。でもそれでいいと思った。彼は、子孫のための貯金だと言って、ただひたすらにカラマツの植林に励みました。しかもカラマツというのがすごい 。カラマツは、若いうちは何の役にも立たないけれど、樹齢何百年も経つと高値がつく。松ヤニが多くて油まみれのカラマツは、腐りにくく特に線路の枕木にうってつけだった。 大量のカラマツがあれば、日本全国に線路が引ける。雨宮敬次郎は、物流こそが人々を幸せにするという信念を持っていたので、カラマツの植林事業は、 将来はきっと日本の役に立つと信じました。彼こそは、 植福の達人だと言えましょう。 雨宮敬次郎は言います。
「日本人は未だに貯蓄心が足りない。金があればすぐ使ってしまう。私は一文もない時分から貯蓄というものに重きを置いていたが、今は開墾地への貯蓄の金をかけている。貯蓄をどういう方法でするかと言うと木を植える。金の貯蓄ではなく木の貯蓄をやっている。生前のための貯蓄ではなく、死後のために貯蓄をやっているのだ」
こうして軽井沢に大量の落葉松林ができたのですが、残念ながら鉄道の時代は終わっています。しかし、雨宮敬次郎の苦労は無駄に終わっていません。この大量の落葉松林が、新型コロナウイルスが、世界中に蔓延する危機的状況下において、軽井沢の救世主になる可能性が出てきたからです。落葉松林が、住民の免疫力を上げている可能性があるからです。
平成十七年度の研究では森林浴がNK細胞内の抗がんタンパク質の増加によってヒトNK活性を上昇させることを明らかにしています。どうして、そうなるのか?そのメカニズムは、まだよくわかっていないのですが、フィトンチッドが原因の可能性があるとも言われています。このフィトンチッドは、松科の樹木に多いのですが、軽井沢には、雨宮敬次郎が植林した大量のカラマツがあります。これが、軽井沢・北軽井沢・嬬恋村の住民の健康の持っている可能性が出てきました。
考えてみれば昔から軽井沢は、病人を治癒する土地として有名でした。戦前は、軽井沢にたくさんのサナトリウムがあって、多くの結核患者を治癒してきました。軽井沢に住む文豪たちの中には「風立ちぬ」といった結核をテーマにした作品ができたりしてます。だとすると、雨宮敬次郎は、子孫のために大きな 植福をしてくれたということになります 。
その他にも軽井沢が雨宮敬次郎に感謝すべき理由があります。
雨宮敬次郎はこんなことを言ってます。
「四十戸の人間を入植させることは木を植え付けるよりも難しかった。人間の植え付けは容易にできるものではない(略)。不毛の原野に住もうとする者は何かの欠点を持った人間である。少しでも財産をこしらえると、もうそんなところには辛抱できず、すぐ 帰る気になるから、それを居着かせるためには、酒を飲むものがあれば酒を飲まし、病人があれば薬を与えるなど我が子同様にしなければ、ついて来れない。それだから家内が行くと皆がお母さんのように思ってすっかりなついている。この状態であの村ができたのだった」
長い前置きはこのくらいにして、本題に入ります。
先日、とあるスーパーで同業者(宿屋)のオーナーとバッタリ出会い、 その方の息子さん(一人っ子)の話を聞きました。その方の息子さんも、やはりお人好しでサービス精神が旺盛らしく、お客さんのお子さんがやってくると、うちの息子と同じように遊び相手になり、絵本の読み聞かせをしたり、なんでもプレゼントしてしまうらしい。なので、うちの息子も同じなんですよと言うと、
「宿屋というサービス業をやっている親の真似をするんだよね」
という話で盛り上がってしまった。
やはり、宿屋の息子はどこも同じなんだなぁと返事を返していたら、必ずしもそうではないとのこと。 同じ宿屋でも、お客さんの悪口ばかり言ってるオーナーさんの息子は、人の悪口ばかり言うようになるし、がめついオーナーの息子さんも、非常にがめつくなるらしい。だから、息子さんの性格をみれば、その宿屋のオーナーの経営方針が非常によくわかるとのこと。
「ああ、なるほど・・・」
と思ったんですが、しばらく経って青ざめてしまった。そういう視点で、うちの息子を観察する人もいるんだ・・・と青ざめてしまった。
うちの息子は大丈夫なんだろうか?
よそ様にご迷惑をかけてないか?
妙に落ち着かなくなってしまった。
その心理を察したのか、相手はこんなことを言ってくる。
「◇◇さんのところは、すごいよ。三人も子供がいて、みんな良い子ばかりで、親孝行なんだよ。しかも、全員が成績優秀。なので有名私立に入ってしまった。だから学費も半端じゃなかったらしい。こないだその件を聞いてみたら、最近になってやっと、親の任務を離れることができて生活が楽になったって言ってたよ」
「へえ・・・」
「◆◆さんのうちも、三人も子供がいて、みんな良い子ばかりで、みんな前橋に下宿している」
「え? 前橋?」
「奥さんが前橋に住んで子供の面倒をみてて、週末にペンションに戻ってくる。優秀なお子さんばかりだと親も大変だけれど、これも未来への投資。歴代の親たちが子供にやってきた道を、今の親たちもやるということさ」
「・・・」
嬬恋村といえば、群馬県のチベットと言われるぐらいのど田舎ですが、 こんなド田舎にもかかわらず、 優秀な子供たちが多いのには呆れます。近所のペンションでもお子さんが、長野県でもナンバーワンと言われている有名私立高校に入っている。しかも同じペンション仲間のお子さんも入学している。嬬恋中学校といえば、一学年の人数は下手したら五十人をきる年もある。これだけ子供の数が少ないのに、この調子。そういえば息子の入っていたスケート部の先輩も、中高一貫の超有名私立学校に入学していました。親たちの負担も大変でしょうが、子供の将来を思ってのことなので、これも一種の植福と言えるかもしれません。
とてもじゃないけれど、私にはそこまでやるほど気力はない。本人がどうしてもといえば、考えないでもないですが、かなりの高齢で生まれた子供ですから、どちらかというと、学力よりも健康体を作ってあげたい。この心理は、五十歳を過ぎて子供を持った人間にしかわからないかもしれません。
私は二十年間宿屋をやっていますが、その間に何人かのリピーターのお客さんが、命をなくしています。 そこまで行かなくても、ストレスで鬱になった人もいる。嫁さんの親戚の方で、若くして突然死した人もいる。 そもそも嫁さんの父親からして、若くしてなくなっている。
無駄に人生を長く生きていると、そういう経験が積み重なるので、どうしても健康というものを重視してしまいます。体の健康もそうだし、心の健康も。 だから早取り学習よりも、ゲームを使った脳トレーニングを重視してきたし、小さいうちから空手家キックボクシングをさせたり、毎日のように息子を連れて登山に明け暮れています。子育てを健康中心にもっていく。健康のために金を使う。これはこれでひとつの植福と言えるかもしれません。将来のために息子に健康を植福している。
植福 にも、色々あると思います。
人それぞれ、いろんな植福を行なっている。
これは、どの植福が正解かというよりも、
それぞれ親たちの歩んできた人生に大きく影響されて植福が選択される。
たまたま私は、健康というものに対して敏感にならざるえなかった。
だから息子にしてやれる植福は、健康な体つくり。
それもほどほどの健康な体。
息子が望むなら別だが決して全国を狙うスポーツマンにしたいわけではなく、ほどほどの健康体と、ほどほどの人格者であればいい。息子が望むなら別だが、決して聖人君子になんかにしたくない。少しだけ欲がある平凡な人間で良い。宮沢賢治の「雨にもマケズ」の世界が息子にとって一番良いと思っている小市民な親だったりする。
つづく。
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