私が小さかった頃は、父親と祖母が大晦日に餅をついていました。これは私の実家だけではなくて、同世代の友人の、どの家庭でも大晦日に餅をついました。餅をついてない家の方が珍しかった。当時は今と違って「サトウの切り餅」のような商品がなかったので、各家庭で餅をついていました。もちろん杵と臼で餅をつきます。
今では考えられないことですが、昔の日本では、正月とか祝い事には餅を食べる習慣があり、お正月など季節の行事やお祝い事には欠かせない特別な食べ物でした。だから年末には必ず餅をついたのです。なので、多くの家庭に杵と臼がありました。もちろん持ってない家庭をもありましたが、問題ありません。ご町内から借りて来られるのです。町内会で杵と臼を持っているところもあったと思います。それで 餅つきをしたわけです。
餅をつくと、お盆などに小麦粉をまぶして餅を伸ばしていました。つきたての餅に、きなこや、あんこにつけて食べたりもしました。完成した餅は、ストーブなどで焼いて1ヶ月ぐらいかけて食べたものです。最後の頃は、カビだらけで、乾燥してヒビが入ってました。そんな餅は、油で揚げて食べたりしました。で、この風習が佐渡島の中から消えていたのは、昭和45年頃だったと思います。
昭和45年頃に家庭用もちつき機というものが誕生し、どの家庭でも争ってそれを購入しました。そして、徐々に年末に見られた餅つきの風景が、なくなってしまいました。 私には二人の弟がいますが、二人とも餅つきの風景を見ていません。見ていたとしても、小さすぎて覚えていなかったりする。だから餅つきという行事が、体験的にわからなかったりする。
要するに、小さい頃に家庭で餅つき体験があるかどうかは、ギリギリ昭和30年代に生まれてないとわからない。それ以降に生まれると、餅つきというイベントが分からない。私の弟は餅は食べるものだと思っているけれど、最初から最後まで見学していた私にしてみたら、あれは壮大なイベントでした。もち米を蒸して、それを臼と杵でお餅をついて、完成したもの平らに伸ばす。鏡餅をつくってお供えをする。その鏡餅が、商店で売ってる餅のように、なかなか丸くならない。重力に勝てず、どうしても平べったくなって煎餅みたいな形になる。小さな子供にしてみたら、餅を作る工程が面白くて面白くてしょうがない。
そして出来上がった餅をきな粉にまぶして食べたり、あんこをつけて食べたりする。あるいは、時間をおいて固くなったあとに焼いて食べたりする。1ヶ月くらいすると、餅が乾燥してヒビが入ってカピカピになり、それを薄く切って、油で揚げて食べたりした。作っている工程を見た上で、完成品を1ヶ月にわたって食べ続けるというのは、サトウの切り餅を買ってきて食べるのとはちょっと違う。年末に製作し、1ヶ月にわたって食べ続け、最後に油で揚げて食べ終る壮大なイベントでもありました。
それから佐渡島では、祝い事があると笹団子を作る風習がありました。
私が小学校1年生の時の 運動会では、祖母が大量の笹団子を作ってくれて、
それを何日かにわたっておいしくいただいた記憶があります。
もちろん笹団子を作る過程を見学するのも行事のひとつです。笹を集めるところや、あんこの作り方から、笹に団子をつつむ方法から、それを蒸かすところまで、子供の頃の私は、その方法が面白くて、じーっと見ていました。 特にガーゼで小豆を絞るところなんかが、面白くて何度も夢にまで見たぐらいです。
今では笹団子は、東京の池袋駅の売店でも売っています。いろんなところで販売されています。買って食べる食べ物になっている。しかし、昔は 各家庭で作るしかなかった。友人の家で、笹団子をご馳走になったことがあるんですが、 サイズから味から何から何まで、祖母の作るものとは全く違っていました。 各家庭でいろんな形の笹団子があったの覚えています。で、やはり笹団子を作っているのをみれる機会があったら、それをじーっと見学したものです。
(群馬だと、手打ちうどんが、新潟の笹団子にあたるのかもしれない。そして、うどん製麺機が、家庭用餅つき器に相当するのかもしれない。)
とにかく、昔は不便だった。金を出せば簡単に買える時代ではなかったので、各家庭で作る必要があった。昔は、子供の頃にそれを見られるチャンスがあった。今では、そういう体験プログラムを提供してくれる教育団体に頼まなければいけない。で、 そういう体験プログラムを息子に与えてあげたいと思うんですが、それにしても、家庭の行事として体験することと、業者さんによる体験プログラムでは、ちょっと違うかもしれません。
つづく。
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