2021年01月09日

半世紀前に存在した、とんでも授業【4】映画鑑賞

 昔の小中学校にあったけれど今の小中学校にないものに映画鑑賞というのがあります。昔は、僻地の学校で、映画の上映会をよくやりました。私が子供の頃は、毎月学校の授業で映画を見ました。

 佐渡島には、映画館というものが、あまり無かった。なので学校で何度も映画が上映されました。と言っても、最新作ではありません。古い名作です。例えば『路傍の石』とか『風の又三郎』とか『次郎物語』とかです。みんな戦前の作品だった気がします。洋画もありました。『野バラ』とか『菩提樹』とかいうドイツ映画を見た記憶があります。『路傍の石』は、文部省推薦の第一号映画だと聞かされました。『次郎物語』も戦前の文部省推薦映画です。このチョイスからして、戦前の文部省は、かなりリベラルだったと思います。天皇の人間宣言は、戦後(マッカーサー)が初めてでは無く、戦前である昭和12年に、文部省通達で行われていますので、それをみても、当時の文部省の雰囲気が分かるというものです。




 それはともかくとして、どうして古い名作を学校で上映したかと言うと、図書館が16mmフィルムを購入するためです。

 私が生まれた佐渡島の金井町というところでは、たったの人口5000人の小さな町でしたが、かなり大きな図書館を持っていました。それこそ軽井沢の図書館よりも大きい図書館がありました。

 その図書館には、大量の16mmフィルムと16mmプロジェクター(映写機)を置いてあって、16mm映画がずらりと置いてあったのです。アニメもあったし、外国映画もあった。佐渡島のドキュメンタリー映画もたくさん置いてありました。16mmフィルムとして販売されているものなら大抵置いてありました。

 離島の上に、小さな小さな町村ですから、図書館に大した予算はありません。なので、その図書館は小学校の中にテナントとして入ってました。第一次ベビーブームが終わって、子供たちの人数が減ったことによって、教室が余ってしまったのを有効利用したわけです。

 貧乏で予算が無い町が、精一杯考えた図書館行政で、建物は借り物でしたが、蔵書は多かった。蔵書が多いだけでなく、16mmのプロジェクターが何台もあったし、16mm映画も大量にあり、その多くは貴重なものばかりでした。もちろん、そんなものを買う予算は、小さな町にはありません。

 予算がないから小学校や中学校で、一人何百円か支払って上映会を開いたわけです。その収益で新しい16mmフィルムをジャンジャン買ったわけです。これで格安で映画は見れるし、資金なしで16mmフィルムは増える。言うこと無しです。それに一度買った映画は、何度も無料で見られます。だから、無料で見られた映画と、有料だった映画の上映会がありました。なんだかんだと言って、毎月一回は学校で映画を見ていたと思います。だから親は、子供を映画に連れて行かなくてもすむ。学校が、かわりにやってくれているから言うこと無しの全員がハッピーになる展開です。

 今から考えてみたらすごいことだなと思うんですが、離島のために映画館が無かったことや、民法テレビ局も一つしかなかったこと、ビデオテープというものがなかった時代という3つの環境が、こういうシステムを作り出したんだと思います。

 また、離島ゆえに、身分不相応に巨大な図書館をかかえていたと思います。小学校の空き教室を使って、テナントみたいに存在していたので、予算がかからなかった。だから小学校に大人たちが入り放題だったし、当時の小学生たちも、学校の図書館に行かずに、町の図書館に行った。大人仕様の町の図書館なら、最高の暖房が入っていたし、そこにはマンガ日本史全集みたいなものもあった。学校の図書館にないものがあった。その結果、子供たちが集まる場所となって、みんな本好きになっていった。

 これが現代の嬬恋村の場合、図書館がなくても何の問題もない。本が読みたければ、中之条に行けば大きな図書館があるし、軽井沢にも大きな図書館がある。さすがに映画館はないですが、昔は、嬬恋村にも映画館があったと聞きます。無くても電車で簡単に映画館に行けたことでしょうが、日本海という障壁に囲まれた佐渡島では、そこで完結しなければならない。

 嬬恋村が、群馬県のチベットと言われるところであるのは事実にしても、なんだかんだ言って陸続きです。船に乗らないと本州に上陸できない佐渡島とは全く条件が違う。波が荒れて船が出航できないなんてことはないからです。だから大きな図書館を充実させたし、16mmフィルムの貸し出しも行って、子供会や、町内会で上映会が盛んだった。今ならスカイパーフェクトTVもあれば、BSテレビでいくらでも映画が見られる。わざわざ16mmプロジェクターを用意することもないし、16mmフィルムで映画の上映をすることだって必要ない。しかし、当時は、映画が娯楽の王様だった。

 なので学校でも盛んに映画の上映会を行った。もちろん授業の一環ですから、普通の映画館と違った上映になったこともあった。16mm映画というのは、大抵、前編・後編の2巻に別れているのですが、先生が間違えて後編を先に上映することが良くあった。それを見ていた小学生の私たちは、
「何か変だな?」
と思いつつ、感動のエンディングシーンを見て、中途半端に感動してしまったりする。そして、ラストシーンを見終わった後に先生が
「これから前編を上映します」
と言って、前編を上映し始めるのです。当然のことながら、子供たちからブイブイ文句が出ますが、間違えた先生は
「映画館で映画を見たと思えば、いいんだよ。映画館に入れば、これと同じことが起きるんだから」
と屁理屈を言っていました。

 要するに、映画が始まってる映画館に途中入場て、途中から映画をみたと思って、見ればいいんだよという屁理屈なんですが、そもそもみんな映画館に入ったことがないので、
「途中入場?何それ美味しいの?」
という状態で、意味がさっぱり分からなかった。金をとって上映会をひらいていたわけですから、今から考えると、とんでもないことなんですが、昭和時代の小学校では、よくある日常の一コマだった。要するに今より大らかだった。



ドイツ映画『野バラ』 後編をみてから前編を見させられたのは、良い思い出




つづく。

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posted by マネージャー at 16:30| Comment(0) | 教育問題を考えてみる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする