人形劇団というのは、全国の幼稚園や保育園を回って歩く劇団のことで、いくつもの団体があります。それらの団体の泊まる宿がユースホステルです。他の宿は値段が高くて泊まれない。最も最近は、ユースホステルより格安のゲストハウスに泊まっているようです。うちの宿にも、ここ数年間は泊まりに来ることはなくなりましたが、昔は、よく泊まりに来て
「よかったら公演を見学しませんか?」
と誘われて、一緒に見に行ったりしました。
こういうドサ回り劇団が、宿泊費を節約するためにユースホステルに泊まりに来る。彼らは、全国の保育園児・幼稚園児に娯楽を提供している。それを知るにつけ、私の子供の頃を思い出しました。私も、保育園時代・小学校時代・中学校時代に、ありとあらゆる劇団の芝居・音楽・公演をみてきたからです。
前置きはこのくらいにして本題に入ります。
私は佐渡島という離島の小学校と中学校を卒業していますが、 どういうわけか小学校中学校に、いろんな劇団がやってきた。音楽家もやってきた。 それはもう不思議なくらい、いろんな人たちが学校にやってきた。
その人たちは、決まって、母校出身だった。故郷に錦を飾るではありませんが、母校で公演を行うという形式だった。ある時はフルートの演奏だったり、ある時はオーケストラだったり、ある時は演劇だったり、ミュージカルだったり、古典芸能だったり、落語だったり、腹話術師だったり、それはもう様様です。共通しているのは、その小学校・中学校の卒業生ということです。故郷に錦を飾るというのでしょうか?
映画『ここに泉あり』より借用
面白かったのは、五十人くらいの大きな劇団の人たちが来たことがあって『ビバ・ブラジル』というミュージカルを見たときです。劇団の中に、中学の先輩いて、その人が母校出身という触れ込みだったけれど、けっこう下っ端だった。下っ端だけど、ステージでスポットライトを浴びて挨拶した。
スポットライトというか、舞台の照明は大量に装備されてて、アンペアが足りないのか、電源ドラムか、いくつもあって、それが遠くのコンセントに繋がれていたことを昨日のように思い出します。
今考えてみたら、劇団やオーケストラの事務所の人達の営業があったのかもしれない。それを学校や教育委員会が受けたのかもしれない。そう考えるようになったのは『ここに泉あり』(昭和30年公開)という日本映画を見てからです。
今井正監督の作品で、群馬県高崎の市民オーケストラが、群馬交響楽団へと成長する草創期の実話を舞台とした映画なんですが、市民オーケストラが生き残りのために、学校にさかんに営業をかけて、すごい僻地の学校に演奏に行くエピソードが、とても印象に残ったからです。すごい僻地の学校に演奏に行くわけですから、嬬恋村の吾妻鉱山にも行ってるし、小串鉱山にも行ってて、ロケ地になっている。浅間山が、デーンと写っている。
映画『ここに泉あり』より借用
で、うちの息子が通っている小学校に、映画『ここに泉あり』のような団体がやってくるかというと、やってこない。卒業生が故郷に錦をかざるように、音楽家が学校で演奏したとか、劇団が公演したとか、そういう話は、全くない。で、うちの御客さんに尋ねてみたのですが、他の小学校でも無さそうな感じです。
ということは、平成時代・令和時代に、小学校に、劇団やオーケストラがやってくることは無いということになります。
しかし、私が子供の頃は、年に2〜3件くらい、演奏会や劇団の公演があった。それこそ『ここに泉あり』のような感じで、プロの音楽家による生演奏を聞かせてもらったし、すごい舞台装置の演劇をみさせてもらった。何十という照明の煌びやかに圧倒されもした。その光景を一言で言うと、サーカスですね。
映画『ここに泉あり』より借用
新型コロナウイルスが蔓延する現在・未来、学校にサーカスがやってくることは無いでしょうね。
つづく。
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