その先生は、神奈川県の人で、いわゆる高専か何かを出ていて、当時の一流企業に務める予定だったんですが、体が弱くて肺か何かが悪かったために、病気療養のために佐渡島に一時的に滞在することになった。
その時に暇だったので、教員のアルバイトをしたそうです。アルバイトですから、ずっと同じ中学校に勤めています。それが25年間ぐらい続いて、社会が落ち着いてきて、面倒なことが起きたので、正式な先生になったらしく、私のいる中学校に転勤になったと言っていました。だからその先生は、25年以上教職をやっていながら、二つの中学校しか赴任してなかったことになります。
このような例は、他にもあって、中学3年生の時の学年主任の先生も、長年のアルバイトから教員になった口でした。それも私の住んでいた街の隣の村のことです。なので、その隣の村では、そういうことをよくやっていたのかもしれません。
ちなみに、その先生は特攻隊の生き残りで、終戦時に陸軍少尉だったようで、あと何日か戦争が続いていたら死んでいたらしい。つまりパイロットだった。この先生の授業が面白かった。爆弾を川に投げ込んで魚を取った話とか、 陸軍時代の青春物語がとてつもなく面白かった。そういう青春時代を送ったせいか、やたら青春もののドラマが好きで、特に太陽にほえろが大好きだった。太陽にほえろというのは刑事ものの青春ドラマで、若い刑事がやたらと走りまくることで有名なドラマです。
その話を他のクラスの友人にしたことがあったんですが、そのクラスではそういう話はしないとのことだった。どういうわけか、私のいるクラスでしか戦争の話をしなかった。
こういうことは、当時よくあって、近所のおもちゃ屋さんの親父さんなんかもそうで、その人は戦争中に空母瑞鶴に乗って戦ったことがある人なんですが、その話は気に入った子供がいる時だけにしか話してくれなかった。その親父さんの奥さんにも話してなかった。なぜ知ってるかと言うと、親父さんから聞いたことを奥さんに話すと、初めて聞いたと言ったからです。私は、 その店で戦闘機とか戦車のプラモデルをよく買ったので、その親父さんにとても可愛がられて、 いろんな戦争の話を来てくれたものです。
その話が、体験者にしか分からない話なんです。例えば空母瑞鶴のプラモデルがあってそれをしげしげと眺めていると、その親父さんは、本当の瑞鶴は、このプラモデルのように綺麗な形をしてなかったんだよと言います。戦艦大和でも何でもそうだったらしくて、工作の具合によってゴツゴツしていたらしかった。魚雷が当たった時の振動がすごくて、あれに比べれば新潟大地震なんて大したことはないと言っていました。こういう話は、私が大きくなるにつれて話さなくなり最終的には店に出なくなった。
そんなことは、どうでもいいとして、この特攻隊あがり先生とは個人的に仲が良かったので、どうして先生になったのか?と聞いたことがあったんですが、失業して実家でぼーっとしていたら、村から教師になってくれと頼んできたので、教員になったと言っていました。軍人上がりなので教員免許を持っていたかどうかは、非常に怪しいですが、教員をやりながら免許を取ったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれません。
男たちの旅路(NHK)より借用
他に面白かったのは、中学1年生の時に習った数学の先生です。この先生は非常勤の爺さん先生でしたが、専門は地理と言ってました。地理の先生がどうして数学を教えてるのかよく分かりませんが、かなりお年を召した先生で、教務室に机があったかどうかもう怪しいくらいの先生ですが、授業は飛びぬけて面白かった記憶があります。おそらく学校で一番面白かった。
どういう風に面白かったかと言うと、
「1メートルの長さというものは、実際には存在しないんだ」
というのです。どういうことかと言うと、世界基準を決める1メートルの物差しがフランスにあるらしいのですが、そのものさしは金属でできているので、温度によって膨張したり収縮したりするらしいので、正確な1メートルというのは存在しないというのです。子供心に
「そんなことは知ってるよ。それを言っちゃおしまいだろう」
と思っていましたが、その先生の意図は、そこではなくて、数学というのは、全て仮定で出来ている。つまり1メートルという単位が、存在すると仮定の上で、ロジックを求める行為であるという。つまり数学とは、計算では無く、ロジックを証明する学問だというわけです。論理学であり哲学なんだということです。
これは中学1年生の時に教えられるわけですから、良い意味でも悪い意味でも、とんでもない先生だったと思います。なので、授業そのものは、すごく面白かった。大学の授業を聞いているような感じだった。
ただし、私はこの先生に習ってる間に、数学の学力を落としました。授業が面白くて大好きだったのに学力を落としてしまった。ロジックを大切にするあまり計算を求める先生ではなかったからです。なのでテストの点数が、よくなる先生というわけではありません。数学に興味を持たせてくれる先生ではありましたけれど、それで成績が良くなるわけではないところが面白いところです。
そして中学2年生になって、別の先生になってから成績が格段にアップした。ではその別の先生の授業が面白かったかと言うと、全く面白くなかった。面白くないのにどうして成績がアップしたかと言うと、担任の先生であり、この先生の人間性が好きだったからです。どうしてか授業がつまんなくても、先生の人間性を好きになると、成績はアップするらしく、この先生の時に限って私は何回か百点をとっている。
ちなみにこの先生は、学生時代に宝くじを当てて、高額の賞金をもらい、そのお金で、内定が決まっていた一流企業に就職する前に1年ほど佐渡島で療養する予定が、暇だったので佐渡で教師のアルバイトをしているうちに、25年間教員生活を続けてしまったと言う先生だった。
私はこの先生のもとで、数学のテストが良くなりました。授業は面白くなかったんですが、成績が上がったことは間違いありません。この先生の数学に対する考え方は、
「数学は暗記科目である」
という考えです。この考えに現在の私も賛同してます。やはり数学は暗記科目です。私たちは、1+1=2をわざわざ計算していません。九九を暗記するように暗記しています。だから指を使って計算をしません。でも算数を習いたての子供は、指を使って計算します。暗記してないからです。
そういう意味で、数学の公式も暗記しないと話にならないし、数学の問題もある程度問題を解いて、問題のパターンを暗記しないと成績が良くならない。それを教えてくれたのが、あまり授業の面白くない担任の先生でした。そういう意味で私は非常に感謝しています。
では、授業がとても面白かった数学の先生に対しては感謝してないかと言うと、そういうわけではありません。この先生のおかげで、知的好奇心がものすごくアップしたからです。その先生の教え方では、数学の成績が良くならなかったけれど、逆に数学に興味を持つことができました。ギリシャ哲学に興味を持ったし、インド哲学にも興味を持つようになった。そもそもその先生は、数学が哲学であること教えてくれたわけですから、受験勉強に必要な問題集なんかに興味が持てるわけがない。もっと根本的なものに興味の方向が入ってしまって、中学校の勉強に身が入らなくなってしまった。
そういう意味では、こういう面白い数学の先生というのは、中学生や小学生には毒かもしれません。人によっては薬になるかもしれないけれど、人によっては劇薬になる可能性があると思います。
ただし、こういう専門外の非常勤講師というのは、人間の幅を広げてくれるかもしれません。文部科学省の教育指導要領からの呪縛がないわけですから、こういう先生の指導のもとから天才がどんどん生まれてくるのかもしれません。テレビで有名な、でんじろう先生なんかも、そういう先生だと思います。
つづく。