2021年01月16日

半世紀前に存在した、とんでも授業【10】

 昭和時代に普通にやって、現在では滅びてしまったものに体罰があります。今から考えたら信じられないことですが、昔は体罰が日常茶飯事でした。もちろん体罰をする先生と、口だけで怒る先生の二種類がいたのですが、どっちが嫌われていたかと言うと、信じられないことですが、どの先生も生徒に嫌われている人はいなかったと思います。

 これから十年後の嫁さんの世代になると、校内暴力が多発して多くの先生方が、子供たちの暴力の犠牲者になるわけですから、たった十年間で、どうしてこんなに変わってしまったのかが分かりません。

 私が小学校一年生から二年生までに担任の先生が五回も変わったことは以前述べました。五人の先生は全員女性の先生だったこともあって、このあいだに体罰を見たことは一度もありません。映画「二十四の瞳」のような日常風景画が基本であり、子供たちは担任の先生にとても可愛がられていたと思います。成績が少しでも良くなると、ひとりひとり呼び出されてとても褒められましたし、成績が悪くなれば、親切に特別に勉強を教えてくれました。それぞれキャラクターは違いますが、聖職者であるという姿勢は五人全てに共通していたと思います。

 ところが、小学校三年生になり二十二歳の男性新任教師が、遠方から赴任してくると、初めて体罰を体験して衝撃を受けます。その体罰とは、プロレス技でした。コブラツイストとか卍固めだった。と言っても、子供たちとじゃれあうように、ふざけてコブラツイストをやっていた。だから体罰と言えるかどうか、ちょっと分かりません。

 昔、「夕陽丘の総理大臣」という学園ドラマがありましたが、あの主人公にそっくりな先生でした。要するに子供たちに異常に馴れ馴れしい先生だったわけです。それまでの先生は、仰ぎ見る存在だったので、子供たちが衝撃を受けたのです。





 その時代というのは、70年安保が終わって就職できなかった人たちが大量に教員になった時代で、今までとは毛色の変わった教師が全国の小中学校に入ったのかなと思われます。こういう先生の存在によって、子供たちの中に存在していた偶像がガラガラと崩れていったことは確かです。

 映画「二十四の瞳」のような日常だった小学校が、学園ドラマの「夕陽丘の総理大臣」のような日常になってしまうわけですから、子供たちに混乱が起きないはずがありません。当時、こういう体験をした子供たちは、当時かなり存在していたのではないでしょうか?

 結局この先生は三年で島を出て行って、島の小学校は「二十四の瞳」のような昔の小学校に戻ったわけですが、その代わりに現れた五十代ぐらいの男の先生によって初めて体罰らしい体罰をする先生に出会いました。





 体罰といっても悪いことしたら頭にげんこつをくれるくらいです。それも痛いわけではなかった。でも、しょっちゅうポカポカ殴られました。その先生は、私とは別のクラスの担任の先生だったので、私はあまり殴られたことはないんですが、そのクラスにいた子供たちの話を聞いたら、宿題を忘れた人を一列に並ばせて、教科書でポンポンポンポン一斉に殴るのが日常だったという話です。

 まあ体罰といえば体罰なんでしょうけれど、それによってその先生を嫌いになったことはありませんし、その先生を嫌う子供たちがいたという話も聞いたことがありません。殴られても大して痛くないし、殴られた後は、普通に日常生活が行われていたので、さらりとしたものでした。むしろ、女性の先生によって、ねちねちと長時間にわたって怒られることの方が、よほど苦痛だったと思います。少しも痛くないげんこつの方が、楽でよかったわけで、その先生は皆に嫌われては無かった。

 むしろ自分たちの父親の体罰の方が痛かったと思います。現に私も父親の体罰によって何度も怪我をしています。コンセントを鞭代わりに叩かれて、背中の肉が削げたこともありますし、裸足で砂利道を走らされて足の裏がどす黒くなったことさえありましたから、学校の先生の体罰なんか、蚊に刺されたくらいにしか思ってなかった気がします。これは私が小学校六年の時の話で、昭和四十八年頃のことです。うちの嫁さんが、生まれた頃の話です。

 そして中学校に入ると、本格的な体罰を体験しました。私が中学校一年生の時の担任の先生は、物理の先生だったんですが、柔道を本格的にやっていたらしくて、悪さをした生徒に対して、大外刈りとか、釣り込み腰とか、払い腰とか、柔道技をかけるという体罰を行っていました。不思議なことに顔を殴るということはしませんでした。

 今まで大した体罰を受けてなかった私たちは、この先生に衝撃を受けました。給食を食べてる時に、友達とふざけあって、私が頭を打って倒れたのですが、それに対して怒って、私の友人に対して柔道技で懲らしめたわけです。

 で、その先生による体罰は、それっきりで、それ以降、卒業するまでの三年間、一度も見ることはありませんでした。みんな恐れて、その先生の前では、ふざけたことをしなくなったからです。そして、その先生の噂は瞬く間に広まって、その体罰の現場を見たことのない、他のクラスでも、その先生の前ではふざけたことがなくなりました。逆に言うと、その先生の授業中は、いつもシーンとしていて、その先生が
「この問題が分かる人?」
と問いかけても、手を上げて答える人は、ほとんどいませんでした。ほとんどいないので、私が大抵手を挙げて答えました。誰も手を挙げないと、先生がいつ怒り出すかという恐怖があったので、私が積極的に授業に参加しました。

 そのせいか、その先生は私のことを気に入ってしまったらしく、放課後に雑談するようになり、その先生の趣味が、私と同じで漫才や落語が趣味だったので、その話で盛り上がりました。

 結局その先生は、たったの一回きりの体罰で、みんなを恐怖させたわけですが、仲良くなってみると、そんなに怖い先生ではなかったことに気が付きましたが、それを私が友達に話しても、三年間の間、誰も信じなかったことが衝撃です。一回ついてしまったイメージは、何年たってもとれないものなんですね。

 結局、体罰はあっても日常的に体罰を行う先生は、私の時代でも、そんなに多くはなかったと思いますが、一人だけ、やたらと体罰を行う先生がいました。





 陸上競技の大会に出続ける体育の先生です。教師になりたての陸上選手だったと思います。大会が近づくと、放課後に何時間も何時間もガンガン走っていた先生で、大会の翌日には新聞紙面にもインタビュー記事などが掲載されていたと思います。そういう有名な先生が、典型的な体罰教師でした。

 と言っても、殴る蹴るは一度もしたことがありません。別に竹刀を持っていったわけでもありません。生徒がふざけると、ヘソを出せと言って、お腹を出させます。そしてお腹をツネります。

 それもあっさりしたもので、それが終わるとすぐに日常に戻りますので、誰もこの先生を嫌ったりしませんでした。むしろ正座して長時間説教されることの方がよほど苦痛でした。ちょっとお腹をツネられるくらいなら、そっちの方がよほどマシだったわけです。

 例えば、女子更衣室を覗いたとか、修学旅行の時に女子部屋に潜り込んだとか、そういうことが発覚した時、他の先生だったら、体罰を行わない代わりに、みんなが見ている前で、何時間も怒鳴られながら正座させられます。それからしたら体育の先生の体罰なんか屁でもなかったと思います。むしろ誰も見てないところでこっそりお腹をツネられる方が、よほど良かったというのが、当時の悪ガキの発想だったと思います。

 その昔、清水次郎長親分が、どうして、大勢の子分に慕われたかと言うと、子分を叱る時に人前で叱ったことがなかったという。たったそれだけのことで、東海道で一番慕われるヤクザの親分になったわけですから、大勢の前で正座させられることの方が、体罰なんかよりも、きついことなのです。

 それはともかくとして、その体育の先生くらい体罰を日常的に行っていた先生はいませんでしたが、不思議なくらいに人望がありました。おまけに悪いことをしたと生徒が納得した後に体罰を行っていました。体罰を行う前にも必ず生徒に
「悪いと思ってるか?」
と確認した上で行っていた。そして、ヘソをツネった後に、その後に全く引きずらなかった。子供たちにしてみたら、お腹を一秒ツネられる方が、十分も正座させられて怒られ続けるより楽だった。だから非常に人望があった。

 その人望に他の先生が快く思ってなかったくらいです。そういうのは生徒にすぐに分かってしまいますから、生徒の方でも、そのうちその先生を陰でサポートしていました。中には、先生を庇って身代わりになる奴が出てきました。例えば、体育の授業が熱心なあまり、次の授業にさしつかえるくらいに授業が延長することがあるのですが、それに他の先生が激怒すると、生徒の方が、体育の先生を庇って、
「先生は関係ありません。私が先生に勝手にしつこく質問してて、そのために次の授業に遅れました。悪いのは私です」
と身代わりになって怒られていました。

 それから、自分で罪を申告して、体育の先生の前で自分で自分のお腹をツネるやつも出てきました。後でバレるくらいなら、さっさと自白して自分で自分を罰する方が、その後の害が少ないからです。これは生徒の悪知恵でした。人の良い体育の先生は、このような悪知恵にコロッと騙されて
「潔い」
と感心していました。生徒にとっては、自分のお腹をツネるのは、たいしたことではありません。怖いのは、この先生を本格的に怒らせて、グランドを十周させられたり、腕立て伏せやスクワットを百回やらされることです。それを防ぐために、子供たちが悪知恵を働かせて、すすんで自白して自ら先生の前で自分を罰したわけです。





 まあいい時代だったと思います。この十年後に、全国の中学校に校内暴力の嵐が始まって学校の窓ガラスが片っ端から割られるなど、ひどい状況になるんですが、十年間で一体何があったのか、私にはさっぱり分かりません。校内暴力世代だった嫁さんの中学校時代の話を聞くたびに、別の星の話なのかな?と思ったくらいです。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:04| Comment(0) | 教育問題を考えてみる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする