その一つに群馬県の文化である上毛かるた大会も、開かれることはなくなりました。
上毛かるたというのは、1947年(昭和22年)に発行された群馬の郷土かるたです。
群馬県の名所旧跡や輩出した人を札としています。
昭和21年、浦野匡彦氏は、満州から群馬へ引き揚げ、恩賜財団同胞援護会県支部を取り仕切り、戦争犠牲者の支援に取り組んでいました。当時は、戦争孤児や寡婦などの境遇は悲惨なうえに、GHQの指令により、学校教育での地理・歴史の授業は停止されていました。
そこで彼は、かるたを通じて群馬の歴史・文化を伝えることにし、上毛かるたを作るわけですが、GHQ(占領軍)の検閲で難航したといわれています。
そして、昭和23年に第1回上毛かるた競技県大会が開催。
以降、毎年行われていて、2017年で第70回を数えています。
群馬県人にとっての上毛かるたは、県民のアイデンティティみたいなもので、東京銀座のホステスを口説く時も、相手が群馬県民なら上毛かるたの話題を出せば、どんな難攻不落の女性でも落とすことができると、まことしやかに噂されていたくらいです。
群馬県民の嫁さんと結婚した後に、その噂は本当なのかと聞いてみたら、
「9割方本当かもしれない」
と答えたくらいですから、やっぱり本当なのでしょう。そのくらい群馬県民は上毛かるたを誇りに思っているわけです。
現に、うちの嫁さんは、五十歳近くになっても上毛かるたを暗記しています。そして上毛かるたで勝負をすると信じがたいぐらい早いスピードで札を取って行きます。息子が四歳の時に、四歳児の息子と嫁さんが勝負をしていましたが、全く手加減しません。
相手は四歳児なのだから、私はわざと息子に負けてあげて、息子のやる気を引き出したりするんですけれど、嫁さんのやつは容赦せずに四歳児の息子を叩き潰します。仕方ないので、私がわざと負けて見せて、息子のやる気を出すんですが、そうやってせっかく息子のやる気を出させてあげたにも関わらず、嫁さんのやつは、無慈悲にも、それを徹底的に叩き潰し、ワンワン泣かせてしまうのです。
仕方ないので、息子と嫁さんが上毛かるたの試合をやる時は、私が審判になってハンデをつけさせました。嫁さんは、札を読み切るまで取ってはいけないことにしたわけです。それでも、嫁さんのやつは、鬼のように四歳児の息子を叩き潰して泣かせてしまいます。
これが群馬県のスタンダードなのか?
と、呆れたものです。
仕方ないので、四歳児の息子に、嫁さんに勝てるように特訓しました。
どういう特訓かと言うと、絵札の文字を消して、絵だけで取るように訓練したのです。
しかし、それでも息子は嫁さんに勝てません。
これほど上毛かるたに強い嫁さんなんですが、読み札の意味を全くわかりません。信じられないくらい無知なのに呆れてしまったものです。例えば
「銘仙織出す伊勢崎市」
という読み札があるんですが、銘仙の意味を知らない。新島襄がどんな人かも知らないし、田山花袋がどんな人かも知らない。けれど、田山花袋のかるたが出たら、ガンガン取ってしまう。
まあそんなことはどうでもいいんですけれどね。結局、何が言いたいかと言うと、群馬県民がこよなく愛する上毛かるた大会が、新型コロナウイルスによって出来なくなってしまったということです。新型コロナウイルスは、GHQ(占領軍)の検閲よりも、大きな力を持っているということです。
つづく。
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