飲み会になると妙な踊りを踊る奴がいました。
彼は、こんな歌を歌いながら踊っていました。
かっこいいやつが、かっこいいやつが、
汽車でやってきた。
止める女を振り切って、
縋る女を振り切って・・・。
飲み会になると、こんな変な歌を歌い踊り出すのです。彼からユースホステルとか、北海道とか、利尻島とかの単語を聞いたような気がするんですが、そもそもそんなものに興味がなかったので、そういう話は全く覚えていません。ただ、歌と踊りだけは非常に印象に残っていたので今でも覚えています。何しろ飲み会があるたびに変な歌と変な踊りを見せられるので、忘れろと言われても忘れることができるわけがない。
(復活された『かっこいいやつが』)
そして仕事を始めて何年か経った後に、とある居酒屋で飲んでいると奥の座敷からどこかで聞いたことのあるような歌と踊りが聞こえてきました。あの歌です。
かっこいいやつが、かっこいいやつが、
船でやってきた。
止める女を振り切って、
縋る女を振り切って・・・。
思わず私は、見ず知らずの団体に「その歌はどういう歌なの?」と聞いてしまいました。
するとその団体は、それには答えず、
「お兄さんも一緒に踊りましょうよ」
と見ず知らずの私を輪の中に入れて呆然とする私を尻目に踊りだしたのです。
かっこいいやつが、かっこいいやつが、
飛行機でやってきた。
止める女を振り切って、
縋る女を振り切って・・・。
気がついたら一緒に酒を飲んでいて東京池袋の街中で一緒に踊っていました。彼らは最後まで正体を明かすことをせずに、いつのまにか消えてしまっていました。それはともかくこの事件から歌と踊りを覚えてしまった私は、飲み会の席で無理やり宴会芸を披露をさせられそうになると、この歌と踊りで乗り切るようになりました。というのも、この歌で踊ると妙に盛り上がるからです。そして数年後、とある会社の飲み会で、この歌と踊りで押しつけられた宴会芸で踊っていると、見ず知らずの人間が乱入してきて一緒に歌って踊り始めました。
この時初めて、北海道の利尻島にある鴛泊ユースホステルと言う宿の歌と踊りであることが判明し、長年の謎が解明され、北海道に行ってみようという気になったわけです。で、ユースホステルの会員になって北海道に向かったのですが、利尻島鴛泊ユースホステルという宿はもうなくなっていました。
なくなっていましたが、それに代わって、隣の礼文島に桃岩ユースホステルと言う宿ができて、ギンギンギラギラ夕日が落ちる・・・という歌と踊りが有名になっていました。そのユースホステルは今でもあるんですが、北海道で一番どんちゃん騒ぎの激しいところとして有名です。私も目にして驚いたものですが、事情を知っているユースホステルのヘビーユーザーによれば、桃岩ユースなどは、鴛泊ユースホステルのパワーに比べたら、まだまだ恥を捨てきれてない坊やみたいなものだと言ってましたから、全盛期の鴛泊ユースホステルの破天荒ぶりがどんなものだったのか想像もできません。
(桃岩ユースホステルの踊り)
1970年代から1990年にかけてのユースホステルでは、このような狂った歌と踊りが蔓延していました。摩周湖ユースホステルでは、『カブトムシ踊り』や『クワガタ踊り』と言う踊りを踊っていましたし、今は無き斜里ユースホステルでは、『円盤音頭』という踊りを踊りまくっていました。現在でも存在する積丹ユースホステルでは、北島三郎の『函館の女』を歌いながら踊っていました。
実はこれらの踊りに、当時の学校の教員たちが一枚加わっていました。その昔、北海道は斜里町に存在したユースホステルで、三十周記念の行事があり、宿のスタッフ達が屋根に上って、例のごとく円盤音頭と言う踊りを踊ったわけですが、その時にその宿に泊まっていた高校生達が凍り付いていた。私は不思議に思って
「どうしたの?」
聞いてみたら、彼女たちは驚いた顔でこう答えました。
「この踊り、私たちの学校で体育でやっているんです」
「えええええええええ?」
こういう話は、この一回限りではなくて、何度も何度も各地のユースホステルで、高校生から聞かされました。当時は高校生・中学生の一人旅が、ユースホステルにゴロゴロいた時代でした。携帯料金が無かった時代だったので、親も旅行代金を出せたと思うし、そもそも宿泊費が安かった。ユースホステルを使う限り、べらぼうに安かった。安い宿だと1990年でも二食付1400円くらいで泊まれた。高いなと思っても3000円くらいだった。
話を戻します。ユースホステルでの歌と踊りのことです。これらの踊りに驚いたのは高校生だけでは無く、なりたての教師も驚いていました。私が「どうしたの?」と聞いてみたら、東京都の教員研修所で摩周湖ユースのカブトムシ踊りとか、クワガタ踊りとか、山梨県清里ユースホステルのゴキブリ踊りとか、レナウン娘とかを教員研修の場で教わったというのです。
一体どういうことなんだろう?と当時は不思議に思っていたんですが、自分がユースホステルを経営して、その歴史を調べてみたら、ユースホステルの創設に各都道府県の教育委員会がかなり関わっていたことを知ってなるほどなと思った次第です。
これは群馬県のユースホステル協会でも同じで、最初は県の教育委員会が音頭を取って設立しています。当時は、GHQ(占領軍)の民生局(ice)の影響が残っていて、それらの影響とユースホステルの創設に密接な関係があったのです。
占領軍は、旧日本軍の強さを、封建主義的な教育制度にあると思い込んでいましたから、封建主義的な思想を消滅させるために、盛んにレクリエーションを普及させました。特にGHQ(占領軍)が力を入れたのがスクエアダンスです。スクエアダンスというのは、フォークダンスの御先祖様みたいなものですが、そういうレクリエーションを普及させて日本人を骨抜きにしようとした。ところが日本人は、これを過激に進化させていき、GHQ(占領軍)の意図とは真逆に、ユースホステル業界では超絶運動部系・体育会系に進化させていくのですが、それについては最後に述べます。
とにかくGHQ(占領軍)によって、数々のレクリエーション団体が生まれ、日本レクリエーション協会ができ、その配下に社交ダンス協会とか、スクエアダンス協会とか、ハイキング協会とか、様々な協会が設立されたわけですが、群馬県も例外で無く、各種のレクリエーション団体が戦後に雨後の竹の子のように乱立し、群馬県リクレーション協会に加盟していきました。もちろん群馬県ユースホステル協会も例外ではありません。
ちなみに群馬県のリクリエーション協会とユースホステル協会は、嬬恋村と縁のある団体です。今はもう無くなってしまいましたが、嬬恋村のバラギ湖に県立バラギキャンプ場というものがありましたが、このキャンプ場を作ったのが、群馬県ユースホステル協会のバックに存在していた、群馬県観光公社の河野さんです。群馬県ユースホステル協会を立ち上げた河野さんです。
今はもう存在してない群馬県観光公社は、GHQ(占領軍)が使っていた館林のゴルフ場を活用することによって大収益をあげ、バブル崩壊までは儲かって儲かって仕方がないくらいに急成長した群馬県の公社です。なので税務署が何度も査察に入っています。この群馬県観光公社が、収益を上げた資金で群馬県各地に、キャンプ場などの教育施設を大量に作っていました。
その一つがバラギ湖にあった県立バラギキャンプ場です。
昭和四十一年に作られました。
完成したその年には、群馬県のスポーツ少年団が、650人も集めてイベントを開いています。このキャンプ場を作ったのは長年にわたり群馬県ユース協会のトップで活躍し続けた河野さんです。そして、バラギキャンプ場の歌『みどりの牧野』を製作してレコードにして販売し、フォークダンスの振り付けまでして、それを全国に宣伝しています。いわば嬬恋村の恩人でもあります。
ただ、残念なことに、私が嬬恋村でユースホステルを開業して間もない頃に、バラギキャンプ場が閉鎖されることになりました。その時に、私は群馬県ユースホステル協会の理事会で河野さんの前で他の理事さん(デパート経営者で、社交ダンス協会の理事)から
「嬬恋村は何をやってるんだ」
と責められたことを思い出します。
その場には、群馬県リクリエーション協会の副会長でもあった飯塚ツヤ子さんがいましたが、この飯塚さんこそは、レコード化されたバラギキャンプ場の歌『みどりの牧野』のフォークダンスの振り付けを担当した人です。彼女は、『みどりの牧野』のレコード化された昭和四十二年当時、群馬県体育課で活躍されていた方でした。
また『みどりの牧野』の作詞は、群馬県青少年室の小林富夫さん。作曲は、群馬県社会教育課の北爪幸作さんで、三人とも群馬県ユースホステル協会の理事として活躍された方で、私が嬬恋村の代表として叱責されていた時に、同じ理事として名前を連ねて会議に参加されていた方です。
雑談が長くなりましたが、要するにユースホステル協会の創設には多くの県の教育機関が関わっていたし、群馬県も例外でなかったということが言いたかったわけです。もしバラギ高原の近くに、ユースホステル活動に熱心なマネージャーがいたとしたら、『みどりの牧野』でお客さんに『みどりの牧野』のダンスを踊らせて全国で有名になっていたはずです。北海道の桃岩ユースホステルのギンギンギラギラにも対抗できるほどの踊りになったと思いますし、利尻島の鴛泊ユースホステルの『かっこいいやつが』の踊りのように、知る人ぞ知る踊りになった可能性もないとも言えません。残念ながら、嬬恋村にはそういうユースホステルが存在していなかったということです。
話は変わりますが、私が北海道に行く時に、絶対に宿泊するつもりがなかったのが、鴛泊ユースホステルのようなどんちゃん騒ぎ系のユースホステルでした。怖いもの見たさで遠くから眺めようとは思っていましたが、泊まりたいとは思いませんでした。泊まるなら静かなところがいいと思っていました。ですから、たくさんのユースホステルに宿泊しているくせに、北海道で一番どんちゃん騒ぎをする宿として知られている桃岩ユースホステルには未だに泊まったことがありません。
それはともかくとして、北海道に旅しようと思い、生まれて初めて急行八甲田に乗って北海道にやってきた時に、とにかく静かなユースホステルに泊まろうと思って、いろいろ情報を集めて静かな宿を中心に泊まれるように旅の計画を立てたわけですが、そんな計画は無意味だったようで、襟裳岬ユースホステルに泊まったさいに、とんでもないどんちゃん騒ぎに遭遇してしまいます。
驚いたのはそこのマネージャーが女性だったことです。女性マネージャーが先頭切ってどんちゃん騒ぎを始め盆踊り状態。気がついたら私もどんちゃん騒ぎの中に入って踊っていました。どんな騒ぎにも巻き込まれないようにしようとしても無駄。
『みさきめぐり』
『リンダ、リンダ』
『ちびまる子ちゃん』
と踊りまくって、せっかくのお風呂上がりだというのに、みんな汗まみれになって、汗で雫がしたたり落ち、床がズブ濡れになりかねないほどに危険な状態になり、下着を替えなければ寝られないような状態になってしまっていました。誰かが
「入浴が無駄になったな」
「高校時代の部活動でもこんなに運動しなかったぞ」
と言い出すしまつ。GHQ(占領軍)も、一生懸命に普及させようとした、お上品なスクエアダンスのようなチャラチャラしたものが日本に普及せずに、こんな状態。つまり武骨な応援団のノリになってしまっているとは夢にも思ってなかったでしょう。
「森進一がレコード大賞を取った襟裳岬と言う歌があったけれど、あの歌に『襟裳の春は何もない・・・』というのは嘘だな」
「襟裳岬は、毎日が運動会だもんな!」
と、皆で文句を言い合ってました。あれも良い思い出です。
つづく。
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