2021年06月30日

浅間酒造観光センターの酒ガチャ

浅間酒造観光センターの酒ガチャを見に行ってきました。
これが浅間酒造観光センターです。

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VRで、酒造見学が出来ます。

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きわめつけは、日本で唯一の酒ガチャ!

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1回400円で2600円の大吟醸が当たる!

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ハイリスクハイリターン。
1000円で1万1000円の酒が当たる!

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ローリスク・ミドルリターン!
ヨーグルト酒が当たります!


つづく。

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2021年06月29日

pizzeria KURATTORIA150(浅間酒造観光センター)

 何かと評判迷いリーズナブルなピザ屋さんです。嬬恋村民・長野原町民御用達の店で、この地域の住人に言わせれば、軽井沢のピザーラよりも、東御市のアトリエドフロマージュより安くて美味しいと評判の店です。場所は、浅間酒造観光センターの3階にあるオシャレな店で、ここのピザは絶品。そのうえマルゲリータ1000円、クアトロフォルマッジ1380円と安く、トマトスパゲティ850円、生ハムのせジェノベーゼスパゲティ850円、ハンバーグのチーズカレードリア1100円。

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 Instagramばえするメニューも多く、冬限定の「いちごのドルチェピッツァ」は迫力満点で美味しい!
 ドリンクバーが250円なのも嬉しいですね。


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 とりあえず、今回は、マルゲリータとチョコバナナを注文。
 マルゲリータは、定番の美味しさ。
 チーズが違うというか、濃厚でいてクドくない味。

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 圧巻は、チョコバナナピザ。
 ピザというより、クレープを食べてるかんじ。

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 息子もペロリと食べてしまう。
 いつか、冬限定の「いちごのドルチェピッツァ」を食べてみたい。



長野原町長野原1392-10
浅間酒造観光センター3F
電話0279-82-2045
11:00〜15:00(イートイン)

つづく。

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2021年06月28日

授業参観は、ことばの教室!

 新型コロナのせいで 今年から授業参観が、いつでも自由にできることになってしまいました。三密を避けるために、前もって連絡をすれば、いつでも何回でも授業参観に出かけることができるようになったのです。うちの嫁さんの話では、もうすでに3回以上授業参観に出かけている親御さんがいるそうです。
 この授業参観のスタイルを息子の担任の先生が歓迎していると聞いて驚きました。息子のクラスの子供たちは、授業中に勝手に動き出したりして、先生が苦労されているらしいのです。 だから授業参観に誰かのご両親が来ると、多少は行儀が良くなるので、先生にとっても大助かりということらしい。
 で、今日の朝、 うちの嫁さんが
「1時間目の国語の時間に授業参観に行こうと思うけれど一緒に来る?」
と聞いてきたので、ホームセンターにセメントを買う予定があったので、 ついでがあるので一緒に着いて行くことにしました。





 で、授業参観に行ってみると息子は、みんなと一緒に国語の授業を受けるのではなくて、ことばの教室に参加することになっているということでした。ことばの教室というのは、 子供の障害に対する支援を行う特別支援学級のことで、言語に障害のある子ども向けに設置された、特別支援学級のことです。

 実はうちの嫁さんは、 子供の頃にことばの教室に通っていたらしくて、その体験が非常に楽しかったので、1年生の時に担任の先生から「ことばの教室に通いませんか?」というオファーがあった時に嬉しそうに息子を通わせました。

 嫁さんのお父さんは、うちの嫁さんが子供の頃に「言葉の教室」と言う特別支援学級に通うことを非常に嫌がっていて、「なんで娘が障害者扱いなんだ?」と怒っていたらしいんですが、うちの嫁さんは元来の能天気な性格なので、特別支援学級が楽しかった思い出しかなかったので、息子を喜んで特別支援学級に入れました。それも小学校に入学して直ぐに入れましたから、それも異例中の異例だったようです。うちのように特別支援学級に入れたがる親があまりいないという話はよく聞いています。私の実弟の息子も障害があって特別支援学級に入るように言われたらしいんですが、親の方で嫌がっていましたから、そういう親御さんが大部分なのかもしれません。

 何しろうちの嫁さんと来たら、子供の頃に通っていた「言葉の教室」がとても楽しかったという思い出がいっぱいあった。だからあの楽しい授業を息子にも体験させてあげたいという気分があったようです。

 ちなみに私はどうかと言うと、「ことばの教室ってなに?」「ことばの教室って、それおいしいの?」というレベルで、ことばの教室がどういう教室なのかがさっぱり分かりません。 まあ嫁さんが入れたがっているわけだから、きっと面白い授業なんだろうなーと、ずっとまかせっきりでした。

 ちなみに息子は、幼稚園の頃から発達が遅れていて、村の保険課がやっている「すくすく相談と言う」発達心理学の先生に色々面倒を見てもらったり、嬬恋村の保険課の作業療法士の先生に運動神経の強化ののための指導を受けたりもしていました。ありとあらゆるところでサポートを受けていたわけですが、これも嫁さんが子供の頃に体験したことばの教室での 楽しい思い出があったからかもしれません。

 逆に私の方は、子供の頃から難聴だったんですが、親の方針なのか特別支援学級に入ったことがありませんので、ことばの教室も、すくすく相談も、作業療法士の先生による運動支援も、 何一つうけることもなく、普通の児童・生徒として、小学校・中学校と学んできたので、「ことばの教室ってなに?」という感じです。
 難聴であっても、全く問題なく普通に学校に通えたわけですから、私には特別支援学級に入る意味がよく分かりませんし、そこがどういうものなのかも分かりませんでした。まあ、嫁さんがいれたいというわけですから、どうぞどうぞという感じでした。 ことばの教室に行くことによって国語の授業が受けられなかったりしますが、それは私が面倒を見ればいいだけだと思ったので、好きにさせていました。で、思い出したように時々息子に「ことばの教室ってどう?」と聞くと「面白い」と言います。どうやら息子のやつは、言葉の教室が大変気に入っているようでした。

 話を戻します。
 授業参観の話です。

 今日は国語の授業参観に出かけたわけですが、息子は国語の授業を受けない日でした。ことばの教室を受ける日だった。というわけで、夫婦で、ことばの教室の授業参観を行けることになりました。





 で、ことばの教室を参観しての感想ですが、一言で言うと
「ことばの教室の先生は、教育の天才かもしれない」
と言う感想しかありません。何度も何度も発音の練習をするのかな?というイメージで授業参観をしたわけですが、全く違っていました。教室にはいろんなゲームが置いてあって、それらのゲームを使いながら楽しく発音の練習をしていました。 カードゲームや、すごろくゲームや、し舌ベラジャンケンなどをやりながら、全く子供を飽きさせないで、発音練習をするのです。それこそ1時間が、アッという間に過ぎ去っていく。

 おまけに褒めるのがうまい。

 親がきているから褒めているというわけでもないことは、息子が日頃から「ことばの教室は楽しい」と言っていることから、よくわかります。 ことばの教室に行くことによって、自信のようなものを貰ってきているのがよく分かるからです。本来なら、ことばの教室は、発音を勉強するところなんでしょうが、勉強しているのは発音ではなくて、自信だったり、ポジティブな心持ちだったり、勉強の楽しさだったりする。それが証拠に授業が終わると息子は溌剌とした気分で教室を飛び出して行きました。

 あと関心したのは、 あれだけ楽しい授業の中に、片付けや礼儀作法をしっかり教えていることです。ゲームにしても複数のゲームを提案したうえで、必ず息子に選択させていました。すごろくにしても、何枚もすごろくのボードがあって、それを選択させていますし、サイコロにしても先生の手作りと思われる2種類のサイコロを用意して、それを選択させています。つまり子供の自主性を育てている。それでいて、礼儀作法や片付けもしっかりとさせているのがすごいと思いました。もちろんマンツーマンだからできることなんでしょうけれど。

 そういえば、ことばの教室の先生は、息子に楽しい年賀状を送ってきます。もちろん息子も先生に年賀状を書くわけですが、それによって年賀状を書くという勉強にもなっていますし、冬休みに思い出したように言葉の練習をするわけですから、こういうところも感心します。

 うちの嫁さんが、子供の頃に体験した「言葉の教室が楽しかった」と言うこういうことは、こういうことだったんでしょうか? ことばの教室の先生(つまり言語療法士の先生)は、全員がそういう先生なんでしょうかね? だとしたら言語療法士の先生というのは、すごい先生だなと感心してしまいます。それとも嬬恋村のことばの教室の先生だけが特別なんでしょうか?




 話は変わりますが、授業参観が終わって帰ろうとしたら1年生の子供たちが、私に向かって
「今度、登山を教えてください」
と言ってきました。

 これには驚きです。
 私が、どこの誰なのか?何者なのか知っていたからです。

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 ただ、教えてあげたいけれどチャンスが無い。小学校に登山の授業がないから、そこにボランティアに行くこともないし、せめて近所の子なら、うちの庭にあるボルダリングで遊んでもらうこともできるんですが、嬬恋村は広いから近所と言うことでもなさそうだし。せっかく、やる気になっている子供さんに、教えるチャンスが無いのが残念でした。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:23| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月27日

吾妻渓谷のハイキングコースが面白い!

 台風19号でしばらくの間、通行禁止だった吾妻渓谷のハイキングコースが、今年の4月1日に解禁されたと聞いて、いつかいってみたいなあと思っていたんですが、大型遊具二つの組み立てが終わったのと、息子の漢字検定8級も終わったので、6月も終わりになりましたが行ってきました。一言で言うと、ものすごく整備されている。ダムが出来る前の吾妻渓谷のハイキングコースを何度も歩いた人間としては、驚愕のコースになっています。ただ残念なことは、小蓬莱(見晴台)から先にはいけません。

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 私たちがたどったコースは、十二沢パーキングから小蓬莱(見晴台)へのコース。
 下の写真が小蓬莱(見晴台)。息子の後ろにダムが写っています。

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 そこから戻って、鹿飛の吊り橋をわたって対岸へ!

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 そしてダムの目の前に到着。
 八ッ場ダムの迫力は凄い。

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 吾妻渓谷の迫力も凄い。

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 大蓬莱も美しかった。

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 鹿飛橋(しかとびはし)は昔の姿そのままでした。昔はライダーさんたちが、かっとび橋と言って、ここでバイクに乗ってる姿のかっこうで記念撮影したものです。

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 ちなみに昔、ダムの近くに熊の茶屋という広場がありましたが、いまでも残っていました。この熊の茶屋に、熊を飼っている茶屋があって、それの見学目当てに観光バスが何台も駐まっていた時代があったそうです。大勢の観光客が熊とあそんでいたらしい。信じられない話ですが本当です。

 ちなみに十五年前、うちの宿の近間にイノシシ牧場というイノシシステーキを食べさせてくれるところがあって、そこでも熊を飼ってました。そこに行くと子グマが放し飼いで庭先で遊んでました。放し飼いといっても首輪に鎖が繋がってて、古タイヤを引きずっての放し飼いですけれどね。これも信じられない話ですが本当の話です。



つづく。

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2021年06月26日

また一つ、大型遊具が増えました!

 昨日、注文していたボルダリング壁がとどきました。こういう時に限って御客さんが大勢泊まる日だったので、てんてこ舞い。大急ぎで荷物を開封し、木材の防腐処理をして、つまりクレオトップを塗りまくって、乾かしているうちに、食材を買いに行きます。そして組み立て。いやはや疲れたのなんの。


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雨の中、荷物が到着!

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荷をほどいて防腐処理!
4度塗りして1斗缶をまるごと消費

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防腐処理を怠ると、とんでもないことになる。

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そして組み立て。

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完成。組み立ては2個つくるのに5時間もかかってしまった。

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もちろん息子は大はしゃぎ。
なんとか今日の御客様に間に合ってよかった。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:46| Comment(0) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月25日

夏休み前に、次の一手を打っていきたい!

 例のウイルス騒ぎ、宿屋としては、夏休みに入る前に次の一手を打っていきたいと考えています。

 食堂の全てのテーブルと、館内のあちこちにアルコール噴霧器も置こうかなと。御客さんにも手伝ってもらって、気になる御客さんにガンガン使ってもらって、あちこちを消毒してもらおうかと。もちろん宿側もきちんと消毒していますが、それは御客さん全員がチェックアウトしてからの話で、チェックイン中は、完璧な消毒は無理ですから。

 これを思い立ったのは、息子の漢字検定試験の時に、会場のJAビルの食堂で待っていたのですが、その食堂のあちこちにアルコール噴霧器とティッシュが置いてありました。で、父兄の皆さんは、これを最大限に活用していたのをみて
「これだ!」
と思いました。消毒液とティッシュが、あちこちにあれば、勝手に消毒してくれる。御客さんだって不安をかかえているから、そういう御客さんにも協力してもらってもいいかもしれないと思いました。なので全館のあちこちに、うざいくらいに、くまなく消毒液とティッシュを配備してしまおうかと。





 ちなみに、うちの宿には、全室にシャープの空気清浄機を入れています。理由は、プラズマクラスター技術で、空気中に浮遊する「新型コロナウイルス」の減少効果があって、それが実証されているからです。


https://corporate.jp.sharp/news/200907-a.html
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1275521.html


 プラズマクラスター技術を簡単に説明すると、プラスイオンとマイナスイオンを空中へ放出し、浮遊する細菌・カビ・ウイルス・アレルゲンなどの表面で瞬間的に結合して、細菌などの表面のたんぱく質を分解して、その働きを抑制する独自の空気浄化技術です。ただし、これで安心ということではなくて、過大な期待はできないらしい。

 ちなみに、うちの宿にある空気清浄機は、プラズマクラスター7000というやつで、空気中のウイルスの不活性化はできても、布団とか壁に付着しているウイルスの働きまで抑制できない。





 なので、だからオゾン殺菌をやっていたのですが、このオゾン殺菌というやつは、人体によくないうえに家電製品の寿命を縮めるので、プラズマクラスター25000を導入しようかと考えています。本当は、最強のプラズマクラスター50000を導入したいのですが、高額すぎるうえに巨大になりすぎて、客室の中で邪魔になります。プラズマクラスター25000なら、かろうじて邪魔にならないレベル。早ければ7月上旬。遅くても7月の連休前には、全室に完備したいと考えています。

 パナソニックが開発した独自技術のナノイー・ダイキンが開発したストリーマ技術も新型コロナウイルスを不活化することを確認していますが、こちらの検証結果は、自然減衰する付着菌を対象とした実証結果なので、浮遊菌を対象としたシャープの検証結果とは違っている。やはりシャープの空気清浄機を選択肢したいですね。





 あと、壁紙を抗ウイルスタイプに変えようかと考えていたのですが、予算の関係で今年の夏はあきらめました。今年の12月頃に一部を抗ウイルス壁にする実験をしたいと考えています。壁紙を全て変更するのは難しいので、抗ウイルスのペンキを採用しようかと思っています。これがうまくいけば、格安でリニューアルできるので、もし可能ならそれも考えていきたい。

つづく。

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2021年06月24日

今日の群馬は感染者ゼロ。しかし、南関東の新規感染率は・・・・

 新型コロナのせいか、 今年から授業参観が、フリーになってしまいました。三密を避けるために、日にちを指定して授業参観するのではなく、前もって連絡をすれば、いつでも何回でも授業参観に出かけることができるようになったのです。うちの嫁さんの話では、もうすでに3回以上授業参観に出かけている親御さんがいるそうです。

 この授業参観のスタイルを息子の担任の先生が歓迎していると聞いて驚きました。息子のクラスの子供たちは、授業中に勝手に動き出したりして、先生が苦労されているらしいのです。 だから授業参観に誰かのご両親が来ると、多少は行儀が良くなるので、先生にとっても大助かりということらしい。

 考えてみれば、幼稚園の頃から息子のクラスは、暴力的だったことで有名でした。そのせいか息子は、3月生まれということもあって、かなり怯えていた。小学校に入学した時も担任の先生が、こんな暴力的なクラスは初めてだと言っていました。だから空手教室に通わせて、自分の身を守れるようにしてあげたわけですが、それでも凶器攻撃を受けて病院通いしたくらいですから、親が何度も授業参観に行けるという制度は、子供達の暴走を抑止する意味で良いことなのかもしれません。





 それはともかくとして、 群馬県の新型コロナウイルスの感染者は、今日はゼロでした。クラスターの発生も、6月3日(または6月上旬)を最後に発生していません。これは凄いことです。 というのも6月上旬頃からワクチンの接種が始まっているからです。 群馬県の新規感染者が激減したのが6月に入ってからですから、ワクチン接種がスタートした5月下旬という時期との相関関係は、絶対にあるはずです。

 問題は、埼玉県や東京都と言った関東地域では、新規感染者が減ってないことです。群馬県や長野県・新潟県といった地域では激減しているのに、 埼玉県や東京都では新規感染者が減ってない。これはどういうことなんでしょうかね?  埼玉や東京ではワクチンの接種が進んでないんでしょうか? それとも、本来ならもっと爆増するはずだったけれど、ワクチンの接種でこれでも新規感染者が押さえ込まれているのでしょうか?

 誤差はあるもののデータを見る限り、 人口の多い地域、つまり首都圏に近いところほど感染者は減ってなくて、自然の豊かなところの県ほど、新規感染者が激減しています。これは何を意味するんでしょうか?  特に千葉県は、感染率が全く下がりませんけれど、 成田空港と関係はないんですかね? 外国からの入国との 関連性はどうなっているんでしょうか?

 それから大阪兵庫奈良と言った関西地域では、 6月以降に新規感染者が激減していますが、これはワクチンの接種と関係ありそうですね。同じ大都市圏なのに、関西では感染者が激減していて関東では全く減る様子がないのは、 どういうことなんでしょうかね? そういえば、福岡県も沖縄県も6月以降は新規感染者が激減しています。それを考えると、南関東地域の感染率の曲線だけが異常にみえてしまいます。ワクチン接種が、うまくいってないんでしょうかね?





 現在、7月11日まで、まん延防止等重点措置をとっている県は、埼玉県、千葉県、神奈川県、東京都、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、福岡県ですが、大半の県は、終息しつつありますが、埼玉県、千葉県、神奈川県、東京都の南関東4ヶ所だけが、うまくいってない。

 つまり、嬬恋村・北軽井沢の最大の顧客層にあたる埼玉県・千葉県・神奈川県・東京都の人たちが、窮屈な思いをしていて、そこからの集客をあてにできないでいる。今年の夏は、去年以上に宿業にとって厳しい時代になりそうです。





つづく。

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2週間後にワクチンの接種がきまりました

 村の保健課から、新型コロナウイルスのワクチン接種の通達がきました。私は、2週間後にワクチンの接種がきまりました。実は、もっと遅いのかと思ってました。というのも、観光業者は、希望すれば優先的にワクチン接種できたのですが、あえて希望しなかったからです。さいわいうちの宿は、御客さんが少ないので、感染のリスクも少ないですから、もっとヤバそうな混み合う宿屋さんがワクチン接種すべきだと思ってパスしたんですよね。けれど、ふたをあけてみれば、2週間後にワクチン接種が決まっていたので驚いています。



 ちなみに隣町の長野原町では、もうすでに町民のほとんどが接種を終わっていると聞いてます。嬬恋村が、これからなのに長野原町の手腕には驚かされます。

 そういえば、自治体によって、ずいぶん接種スピードが違うみたいですね。どうして違っているのでしょうか? どうして早期にワクチン接種が終わっている自治体と、そうでない自治体があるのでしょうか? 不思議ですね。役場の腕の差なんですかね? それとも町長・村長の政治力の差なんですかね?

 あと、群馬県の新規感染者は、2週間ぐらい前から激減し、ほぼゼロに近い数値で終息しつつありますが、これはワクチンのおかげなんですかね? 全国レベルでみたら、まだまだ終息とはいえないし、昨日一日で1775人の新規感染者がでています。ちなみに、すでに注射が終わっている65歳以上のペンション仲間の話では、半日くらい痛かったという人と、全く痛くなかったという人が、半々だったみたいです。






 ちなみにインドの一部とインドネシアでは、ワクチンでは無く、イベルメクチンを予防薬として週に一回飲むことで感染を防ぐ方針らしいですが、これは面白いことになってきましたね。今年の冬に第6派がくるでしょうが、その時に、ワクチンとイベルメクチンの、どちらが予防の効果が上なのかがはっきりしますから。まさに地球規模の壮大な実験です。私もできたらワクチンでは無く、イベルメクチンで予防する治験に参加したいくらいです。




 気になるのは、子供に対するワクチンの可否です。whoは否定的です。一年以上が経ち日本においては20才以下の死亡者は0人。それを考えると必要性は低いという意見もあります。罹患リスクがほとんどない20歳以下の若年者に、ワクチンを接種する意味はないですから。






つづく。

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2021年06月22日

個人商店が、廃業していく理由

 北軽井沢に引っ越してきたから今年で21年目になります。その21年間の間に北軽井沢も嬬恋村も随分変わってしまいました。一言で言うと店がなくなった。レストランもなくなったし、小売商店もなくなってしまった。潰れてしまったスーパーまである。もちろん生き残っているスーパーもありますが、20年以上前の盛況はありません。みんな軽井沢まで買いに行くからです。

 20年ぐらい前は、地元のスーパーに行くと、ペンションや旅館のオーナー達が大勢いました。そしてお客さんの入り具合とか、景気の話とか、天候の話で盛り上がったものですが、今ではそういう光景は見当たりません。 スーパーだけではありません。小さな店とか、 レストランがどんどん潰れて行きました。最初は、車社会になったために地元で買わなくなったのが原因なのかなと思ったんですが、廃業してしまう人たちに聞いてみたらどうやら違うらしい。

「遠くに大きなスーパーができても、それほど影響はなかったよ」
「じゃあ何が一番痛かったんですか?」
「コンビニだね」

 遠くに大店舗ができてもそれほど影響はなかったといいます。商売が出来なくなったのは、 24時間営業している便利なコンビニが、あちこちにできてからだそうです。それから売り上げがバタッとなくなったらしい。 コンビニができると、小さな商店は、とどめを刺されるらしい。

 かといって、 コンビニが儲かっているとはとても思えません。先週の日曜日に息子の漢字検定試験のために前橋まで連れて行ったわけですが、その途中に潰れたコンビニが何件もあるのを目撃しています。その時のルートは、二度上峠から高崎を経由して前橋行くルートだったんですが、 元コンビニの姿をした建物が何件もありました。

 帰りには、別のルートを通って、つまり渋川から中之条を通って嬬恋村まで帰ってきたわけですが、そのルートにも 元セブンイレブンだと思われる店の姿をした廃墟をたくさん見てきました。昔、私が利用したことのあるコンビニも、今ではシャッターが下りて廃墟になっています。コンビニができると、その近所の小さなお店が廃業に追い込まれるわけですが、廃業に追い込んだはずのコンビニも、何年かすると廃業してしまっている。この現実を見ると、どうなっているんだろうと思ってしまいます。

 話は変わります。スーパーの話です。私は10年ぐらい前から軽井沢のスーパーツルヤで仕入れをしているんですが、以前は地元のスーパーで仕入れをしていました。どうして、高い交通費を出して軽井沢に行くようになったかと言うと、品揃えに問題が出てしまったからです。

 宿屋というのは、一旦メニューが定着すると、大きく変えません。例えば、ある種のステーキソースを使うことにした場合、 そのステーキソースに合わせたメニューで、構成されてこれが何年にもわたって使われ続けます。つまり買うもの(仕入れる品)が固定されて決まってしまうわけです。だからその日の気分で仕入れ先を変えるということは無い。一旦仕入れる店が決まると、その店をずっと使い続けることになります。変更することは、定番のメニューが変わらない限りありえない。


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 うちの宿のレシピノート
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 材料を変えたり、オーブンを新品にするだけでレシピが変わってくる。
 メニュー開発は、面倒くさいのである。



 ところがある日突然、使い続けていたステーキソースが入荷しないということになると、宿屋にとっては大問題となる。また一からメニューを開発しなければならない。めんどくさいなあと思ってしまう。 それが何回も続いてしまうと、もうこの店では買いたくないなと思ってしまう。価格ではない。品揃えなんです。欲しい物が買えないことが致命傷なんですよ。 昨日まで使っていたものが、今日から取り扱わなくなるということに、定番メニューで乗り切っているペンションとかレストランは大きなダメージを受けてしまう。仕方ないので、買えないものはネット通販で買うわけですが、不便だな店を変えようかなと思ってしまう。

 で、店を変えるわけですが、店を変えるにあたって、一番問題にするのは、商品がコロコロ変わらないかどうかということが重要になってきます。で、結局は、安定した軽井沢の巨大チェーングループのスーパーを選ぶようになるわけですが、そういう人間は私だけでなくて、何人もいるらしくて 軽井沢のスーパーで嬬恋のペンションなかまとよく出会います。


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 仕入れ先が変わる度にレシピは変わってしまう。
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 もちろんオーブンが壊れて、買い換えたときもレシピは変わる。
 ガスレンジの性能が変わってもレシピは変わる。
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 なので、そういう面倒くさいことはできるだけ避けたいと考えている。



 20年前は北軽井沢や嬬恋のスーパーで世間話していたのに、今では軽井沢のスーパーで世間話をするようになっている。ちなみにうちのような小さな宿でも年間に200万円ぶんの食材費を仕入れるわけですから、もし嬬恋村のペンション二十軒が、一斉に軽井沢に行ってしまうとなると、4000万の売り上げが吹き飛ぶことになります。これは由々しき問題だと思うのですがどうでしょうか?

 床屋さんについても、似たような話があります。私は床屋だけは、情報収集のためもあって、どんなに高くても地元の床屋さんに髪を切りに行っていたんですが、人手不足のせいか、今日のためか、人手が減っていて、昔ならすぐに髪を切ってくれたのに1時間も2時間も待たされるようになってしまいました。

 暇な時ならいいんですが、夏の忙しい時は待ってられないので、軽井沢に仕入れに行ったついでにバッサリとバリカンで切ってもらうようにしているうちに、地元の床屋さんに行きづらくなってしまいました。床屋さんも、理容室のようにネットなんかで予約制度を入れるとかしないと、今後は生きづらくなるかもしれません 。



つづく。

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2021年06月21日

生まれて初めてのローラースケートを体験した息子

 息子が、試合が終わったボクサーのように目を腫らして帰ってきたのに驚いた。喧嘩したらしく病院で治療して帰ってきた。昔は喧嘩どころかいじめっ子に怯えて女の子に庇ってもらっていたから変われば変わるものです。それはともかく日頃から教えていた頭に対するガードをとっさにとれてなかったので、いずれキチンとガードの練習をする必要がある。特に目を守ることは重要なので、きちんとガードできるような反射神経をもつ必要があると痛感しました。

 つまごいスポカルの空手教室の大島先生が、口を酸っぱくしてガードを教えていたのは、こういう事だったのかと考えさせられました。大島先生は、キックボクシングの出身なので攻撃よりガードを徹底的に教えるのかな?と思っていたのですが、どうもそれだけではなかったようです。攻撃できなくてもガードさえ完璧なら、ある程度の事故は防げますから。

 それはともかくとして、群馬県と長野県の新型コロナウイルスの新規感染が、ほぼゼロに推移してきたので、軽井沢の風越公園スポーツセンターに息子を連れて行って、生まれて初めてのローラースケートを体験させてみました。慣れるまで1時間くらいかかるかなと思ったんですが、スピードスケート部で滑っていたせいか、5分くらいでスイスイ滑れるようになったのには驚きました。しかし、調子にのった息子は、10分後に転倒し、激痛に悲鳴をあげる。アイススケートの転倒とは、比べものにならないくらいに痛いらしい。
「やはりアイススケートの方がいいや」
ということになり、息子はローラースケートに興味を失ってしまった。


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 で、しまった!と思ったのは、転び方を教えてなかった・・・というか受け身の仕方を教えてなかった。ローラースケートに限らず、どんなスポーツにしても受け身は必要なので、いつかはキチンと教える必要があるのですが、どうやって教えればよいのだろうか? やはり柔道教室を探すべきか? それとも芝生のあるところで私が教えるしかないのか?

 考えてみたら今の子供たちは、相撲をやりませんよね。私が子供の頃は、遊びと言えば相撲だったから、相撲をとるうちに自然と受け身を会得したけれど、今はそういう機会が無いから転び方がわからないよなあ。だからマット運動も下手だし、上手に転がれないし、自己流の受け身のとりかたも知らない。これって、密かに大問題ではないかと思っています。早急に倒れ方や受け身を教えなければ・・・・・。それにしても昔なら自然に体得できていた転がり方を今では、あらかじめ練習しなければならないなんて、面倒くさい世の中になったものです。



つづく。

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2021年06月20日

息子の漢字検定試験につきあってみての感想

 今日、漢字検定試験がありました。
 小学3年生の息子が受けるのは8級です。
 実際に受けてみての感想を書きます。

 まず驚いたことは、受験票が届いたのが7日前であること。
 で、はじめて会場を知らされます。
 そこへの行き先などを調べてて準備していたら、
 2日前に、会場変更の手紙が届きました。
 いったい何があったのでしょうか?

 群馬県における新型コロナウイルスの感染は、ゼロに近い数字が続いてます。ほぼ終息しつつありますから、新型コロナウイルスが原因ではないようです。2日まえに会場変更の手紙が速達で送られてくるというのは、普通ではありませんよね。いったい何があったんでしょうかね?

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、驚いたのは会場での新型コロナウイルス対策です。係の人は、神経をすり減らしていました。というのもビルの10階が会場であるために、試験終了直後にエレベーター前に御両親たちが大勢待っていて、かなり密になっていたからです。

 しかし、係の人が、御両親たちに「どけ!」とは言えない。なにしろ小学校の低学年が試験をうけているから。もし、御両親たちが、そこで待てなかったら、子供たちが迷子になる可能性になる。なので、係の人たちは大変そうで、試験が終わっても子供たちを一斉に試験会場から出せない。少しずつ子供たちを解放するので、子供を回収するのに時間がかかりました。

 あと、試験について。これは体験して初めてわかったことですが、受験票に受験番号やマークシートを書く作業が無かった。すでに自分の受験番号とマークシートを記入してあって、何も書かなくてよかった。



 それから問題について。私も息子も拍子抜けしたのですが、かなり問題が簡単だった。私は、漢字能力検定協会が発行している問題集を買って息子にやらせていたのですが、本番の試験は、それよりはるかに簡単なものしか出なかった。まあ、これは直前に腕試しに買った過去問題集をやらせてみて、事前にわかっていたことですが、実際の試験問題は、漢字能力検定協会の問題集より、かなり簡単なものになっている。つまり、簡単な過去問題集を徹底して勉強すればなんとかなるレベルで、むしろ小学校の国語のテストの方が難しいかもしれない。

 これが分かっていたら難しい熟語を勉強させなかった。この1ヶ月のあいだ、息子にずいぶんと無駄な勉強をさせてしまった。無駄じゃ無いけれど、試験対策として無駄な勉強をさせてしまったと後悔してしまった。漢字検定試験には、丁重、様子、和音、礼服、放火、面持ち、有用、表明、福音といった難しい熟語は出てこない。漢字能力検定協会とか、他の出版社が出している問題集の難しい問題は出てこない。ごくごく簡単な教科書レベルの問題しか出てこない。それを知っていたら教科書の漢字しか勉強させなかったのになあ・・・と悔やみましたね。息子は、次の試験で、7級をうける気満々なので、7級に挑戦するときは、難しい熟語は一切手をつけず、教科書レベルの漢字だけを教えるつもりです。

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 あと、息子に漢字を教えてて、苦労したことは、息子のプライドの高さです。息子の奴のプライドの高さに、本当に手を焼きました。これは私の子育てが悪かったので、原因は全て私にあるのですが、私は幼児の頃に息子を褒めまくって、ヨイショしまくってしまった。ゲームをすればわざと負けたし、相撲やサッカーや駈けっこでも、ギリギリのところでわざと負けて息子に花をもたせつづけていた。

 嫁さんは、逆で息子に対して容赦なかった。上毛カルタでも何でも本気で戦って、いつも息子を泣かしていた。それをみて私は
「息子のやる気を削ぐなよ」
と夫婦げんかしたものだが、今では私が間違っていたと思っている。

 あまりに私が息子をヨイショしまくったので、息子のプライドは増大してしまった。そのプライドと実力が一致してないためにトラブルがおきてしまっている。例えば、上毛カルタをやる場合、札の配置の関係で最初の1〜2枚が相手側にあって、それをとられると号泣し涙で札が見えなくなってボロ負けしてしまう。

 これは漢字検定の勉強のときもそうで、直前に過去問題集をやらせ、1問でも間違うと号泣してしまう。それだけならまだ良いのだが、分からない漢字がでてくると、それを思い出すまで号泣しながら、思い出そうとし、そこで筆が止まって、先に進めずに時間切れとなる。私が
「わからないのは飛ばせ」
と言っても頑固なために言うことをきかない。この性格をなんとかしないと合格しないので、この一週間に性格の改善に手間取ってしまった。漢字の勉強よりも、こっちのほうが大変だった。息子はテストに向いてない性格なのだ。

 よく褒めて育てることが、絶対に正しいことを言う人がいますが、あれは間違ってますね。教育に正解はなしですよ。その人の個性にあわせた育てかたがあるわけで、100人いたら100通りの正解があるはず。一般論とかブームの教育論を盲信したら痛い目にあう。ちなみに制限時間を設けずに過去問題をやらせると、満点近い成績をとるのだが、テストには制限時間がある。
「分からない問題を飛ばして後でやる」
という、ただそれだけのことを行わせるのに、どれだけ労力がかかったことか。たった1〜2問間違うだけで、自分の頭を殴る息子に、どれだけ苦労したことか。いくら

「間違えた問題の束は、宝物なんだよ」

と言っても全く理解しない。その意味を理解したのは、昨日のことで、テストの前日になって、やっと息子は理解した。これはテスト前日の会話です。

「お父さん、今日は、なんのテストをやるの?」
「テストはやらない」
「じゃ、勉強は?」
「今まで貯めた宝物をやるのさ」
「宝物?」
「今まで間違えたところを復習するんだよ」
「?」
「今までのテストの結果、お前が、よく間違える文字は、3つしかない。これだけ覚えれば、100点だ」

 ここでやっと息子は「間違えた問題集の束は、宝物なんだよ」という私の言葉を理解して大喜びしました。

「それだけで終わり?」
「いいや、それだけじゃない」
「じゃあ、他は何をやるの?」
「ひらがなの練習」
「なんでだよー」
「おまえの書く平仮名は、採点者に読めない。漢字検定試験では、読めない平仮名・下手くそな漢字は×になってしまう。だから今日は、美しい平仮名を書く練習をする」

 というわけで、テスト前日に、ひたすら平仮名を書く練習をしました。
 これには息子も文句たらたら。
 しかし、息子の書く「や」は「か」にしか見えない。
 そういう文字がいっぱいあった。
 これを矯正しないと、得点源である「読みの問題」で大量失点になる。
 まさか漢字検定試験の前日に平仮名の練習になるとは思ってなかった。
 もっと早く過去問題集をやるべきだった。
 本当に疲れた。



つづく。

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2021年06月18日

息子に空手とスケートをやらせてみた結果

  今日、息子が所属している嬬恋村東部小学校スケート部の保護者会がありました。実は、この保護者会が行われることを数時間前まで知らなかった。日頃からお世話になっている保護者会長さんからのメールで知ったので慌ててしまった。こういう日にかぎって御客様が何人もはいっていたからです。


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 学校から帰ってきた息子に
「先生からスケート部のプリントをもらってなかったの?」
と聞いたら
「もらった」
と言う。
「いつもらったの?」
「うーん」
「とにかくプリントを持ってきて」
「うーん」

 結局、息子のやつは、スケート部のプリントを無くしてしまっていたらしい。

「無くしたのは仕方ない。でも、無くしたら無くしたで、お父さんに言わなきゃだめでしょう!」
「はい」
「もし大切なことが書いてあったら、スケートができなくなっちゃうんだよ」
「はい・・・・」

 こういうことはよくある。
 幼稚園の頃から何度もありました。
 そのたびに親たちは冷や汗をかきます。
 忘れ物も多いですし、紛失するものも多い。
 教室の床に鉛筆やら消しゴムも落としたら落としっぱなしです。

 2年生の時には、担任の先生が息子の落とし物を入れるための専用箱まで用意してくれていました。とんでもないことで、脳に欠陥があるのではないかと疑ったこともあります。そういうところが幼稚園の頃からあったので発達心理学の先生に相談して知能検査までしましたが、結果は、ギフテットクラスの高い知能指数が出てしまいました。しかし、この検査を私は信用してません。もし、本当に知能が高かったら、こんなに忘れ物するわけがありませんし、こんなにだらしないわけがない。

「このままでは、社会人として不適格な人間になってしまう」

と危惧した私は、忘れ物をするたびに車で20分もする学校に取りに行かせて、罰として、腕立てやスクワットをやらせたけれど直りません。御客様に挨拶もできませんので、それに対しても罰として、腕立てやスクワットをやらせたけれど直りません。挨拶が出来ない。

 状況が改善し始めたのは、2つの空手教室に通ってからでした。
 ひとつは軽井沢の風越体育館が主催している「空手と礼儀教室」。
 もう一つは、嬬恋スポカルの「空手教室」です。


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 親が、どんなに躾けようとしてもダメだった挨拶・礼儀が、2つの空手教室に通わせたら劇的に良くなった。集団教育の効果を目のあたりにした私は、親が行う教育の限界を知ってしまった。人間は、大勢の先輩がいるところに放り込まれると、自分の我が儘が押さえ込まれてしまうらしい。でも親だと甘えてしまって、どうしても我が儘になる。それを身をもって体験した私は、息子が小学校に入学したときに
「スケート部への入部案内」
のパンフレットを頂いたときに即座に息子を入部させようと決断しましたが、嫁さんは大反対。嫁さんは、息子にピアノを習わせたがっていました。その嫁さんも今ではスケート部に入れて良かったと思っています。社会性が身についたからです。

 普通の子供なら難なく手に入れられる社会性が、うちの息子には欠けていた。
 その欠けた部分を親が教育しようとしても、難しかった。
 私がどんなに厳しく育てても、なかなか社会性は身につかなかった。
 なのに集団の中で上下関係を体験すると劇的に変化した。
 特にうちの息子には効果があった。
 それが、たまたまスケートだったのかもしれないし、
 空手だったのかもしれないけれど、確かに効果があった。

 これは、サッカーでも、野球でも、剣道でも、何でも同じなのかもしれない。個人教育には限界がある。集団教育でないと身につかないものが確実に存在する。ろちろん、世の中には天才がゴロゴロいますから、集団教育が必要ない人だって、大勢いるかもしれませんが、うちの息子に限っては、集団教育が無かったら身につかないものが、確実にありました。

 ここで不思議なことに気が付きました。空手もスケートも個人競技です。野球やサッカーのような集団競技ではないし、チームプレーというものもない。空手もスケートも、自分自身と向き合うスポーツであって孤独な競技なんですよね。孤独な競技なのに、息子の社会性がアップする。ここが不思議なところです。野球やサッカーなら分かるんですが、空手・スケートといった個人競技が、どうして息子の社会性を伸ばすのかが不思議といえば不思議です。

 考えてみたら、陸上部だって、他の武道だって、何年か修行すれば社会性がアップすることを、誰もが個人的な体験で知ってますよね。例えば履歴書に、柔道初段とか、剣道二段とか書いてあれば、
「この人は、社会性があるんだろうな」
「少々のことならへこたれないんだろうな」
と予測して採用します。どんな武道でも有段者なら、ある程度の社会性があると見なしますし、あるていどは努力する人だと予測しますよね。だから黒帯を目指して頑張っている武道家たちが全国に何十万人もいます。


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 そういう意味で段位制度というのは便利な制度だと思います。スキーやスケートならバッチテストが、それにあたるでしょう。お茶や、お花や習字・算盤だって、その道を究めたら評価される。空手やスケートと一緒だと思いますが、いかがでしょうか?

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、うちの息子には何かが足りない。今でも足りない。ただ、空手教室とスケート部を行うことによって、足りないものが、少しずつ改善されつつある。残念ながら空手もスケートも、少しも上手くなっていませんが、足りない部分は、少しずつ改善しつつある。本当に少しずつなんですが、ミリ単位の進歩なんですが、いや、ミクロン単位の進歩なんですが、社会性が身についてきていることは確かです。我慢強くもなっている。

 マイナス10度の寒さの中で、2ヶ月もスケートの練習をして、たったの3秒しかタイムが縮まらないわけですから、そうとう我慢強くないとやっていけない。1秒縮めるために、どれだけ練習するか、どれだけ寒い思いをするか、どれだけマメを作るか、どれだけ擦り傷を作るかを考えたら、我慢大会もいいところです。

 しかし、スケート練習場に行くと、そんな環境下で頑張っている諸先輩がいっぱいいるわけで、まわりが黙々と練習をこなしている。それに影響されて自分も練習しなきゃという空気になるみたいで、その毎日の繰り返しが、我慢強さと、粘り強さを育てるようです。しかし、スケートのタイムはいっこうに縮まらない。

 やがて2月中旬となり、短いスケートシーズンが終わりをつげます。驚くのは、その後におこる「確変」です。シーズンが終わると、陸上の短距離と長距離が早くなる。スケートでは、ちっとも早くならなかったのに、陸上のスピードが速くなっている。恐ろしいほど早くなっている。特に長距離のスピードが速くなっているのですね。これがスケートの恐ろしい副作用です。

 これは息子が1年生の時に発見しました。スケートを始める前の6歳の息子は、200メートル走るのに70秒もかかっていた。それが、たったの2ヶ月スケートをやったら55秒で走れるようになっていた。たった2ヶ月で15秒も短くなっていた。2年生の時も同じで、足が速くなっていた。スケートのタイムは縮まらないけれど、200メートル走のタイムは縮まる。もちろんマラソンならもっとタイムが縮まっている。だけど不思議なことに50メートル走のタイムは縮まらない。ここが面白いところです。

 あと、苦手だった縄跳びもできるようになる。縄跳びとスケートに、どういう因果関係があるのかわかりませんが、10回も跳べなかった縄跳びを100回・200回・300回と跳べるようになってくる。不思議と言えば不思議です。もっと不思議なのが自転車。何も練習しなくても乗れるようになったのは、どういう理屈があるのだろうか? 一番驚いたのは片足立ち。10秒も立ってられなかったのが、5分くらい平気で立てるようになるのは何故か? 全く恐ろしい副作用です。

 もう一つの副作用は、風邪をひかなくなることですね。
 全くもって風邪をひかない。
 まあ、あれだけの我慢大会を毎日つづけるわけですから、風邪を引きようがないですね。

 話が大きくそれました。
 嬬恋村東部小学校スケート部の保護者会の話です。

 去年は、10人も新入部員が入部したわけですが、今年は何人の1年生が入部したのだろうかと、スケート部の保護者会の会議に出席したのですが、今年は、たったの2名だけでした。新型コロナウイルスで、今までスケート部の活動ができなかったのが、影響したのか、入部者が少なかったのは残念ですが、もともと嬬恋村東部小学校の子供たちは、スケートをやらない子供たちばかりなので、人数的には、そういうものなのかもしれません。願わくば、今年の冬こそ、新型コロナウイルスが終息してくれるとありがたい。



つづく。

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2021年06月17日

軽井沢・大日向開拓地の幼稚園に通っていた天皇陛下(令和天皇)

 息子が生まれてから小学校に入るまで、毎日のように親子で小浅間山に登っていたのは、浩宮様(令和天皇)が、5歳で小浅間山に登って登山にはまってしまい、6歳で浅間山に登ったことを知っていたからです。浩宮様(令和天皇)が5歳なら、我が家は0歳じゃ・・・と、息子をおぶって小浅間山にのぼり続けました。時には、マイナス10の冬の小浅間山に登ったこともあります。

 それはともかくとして、当時5歳の浩宮様(令和天皇)と、平成天皇が、小浅間山を登ったルートは、小浅間山の東峰ですが、直登せずにぐるりと右の方に回っています。そして途中の岩場で休憩し、記念撮影をしています。私も、よく使うコースです。

 翌年、浩宮様(令和天皇)が小学校1年生になった時、小浅間山登山口から浅間山に登っています。その時の写真が、毎小ニュース
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https://mainichi.jp/maisho/articles/20190501/kei/00s/00s/010000c より借用)
にありますが、お父さん(平成天皇)の前を元気に歩いています。私は、このルートをよく知ってるだけに、すごい体力だなあと思います。さらに凄いと思ったのは、昭和天皇。浅間山でも富士山でもガンガン登っている。皇室の人たちは、運動神経がよいのでしょうか?

 まあ、そんなことは、どうでも良いとして、どうして、皇室が御用邸のない軽井沢と関係あるかと言いますと、理由があります。戦争中に昭和天皇の奥さんが、極秘に軽井沢に疎開していたからです。で、どうして軽井沢だったかというと、当時の軽井沢は、外国人の疎開地だったので、爆弾が落ちてくる可能性が低かったことと、軽井沢には皇室関係の物件が無かったので、米軍から狙われにくかったというのもあります。とにかく昭和天皇の奥さんが軽井沢に疎開してて、その奥さんから軽井沢のすばらしさを聞いて、昭和21年の秋から冬にかけて滞在し、雪の浅間山の登ったのが昭和天皇です。

 そのルート場に大日向開墾地があった。千ヶ滝の奥地にある開墾場で、満州からの引き上げ者たちが開墾していたらしい。粗末な掘っ立て小屋にボロボロの服をまとって農作業していた。小さな子供たちは、うろうろしないように犬のようなロープで繋がれていて、そのロープが樹にくくりつけられていたという。子供たちの全身には蟻たちが張り付いていて目に余るじょうたいだったらしい。それはともかくとして、昭和天皇は、この開拓民たちと何か会話されたらしい。で、毎年、軽井沢の大日向の近くに滞在するようになったらしい。



 開拓民の家族は、子供が亡くなったり、片親だったりで、まるで鎌原観音堂の生き残りのような状態巣でした。彼らは冬はマイナス20℃にもなるこの地で一生懸命働いた。その現状に心を痛めたカトリックの神父さんたちは、旧軽井沢にある聖パウロ教会のコンラッド神父を派遣し、開拓団と一緒に入植して親たちが働いている間子供たちを引き取り、食事を食べさせ、勉強を教え面倒を見ました。

 終戦当時の物のない中でカトリックの組織をあげて食料や文房具などなど、を集め一緒に苦労をともにし生活しました。バチカンは、世界でもっとも早く満州国を承認した数少ない国でもありましたから、満州移民に理解があったのもと思います。それもあってカトリックの神父たちは、当時の日本人たちに同情的だったのかもしれません。

 それはともかく年老いた大日向の人々はみんなコンラッド神父が親代わりだったらしい。その神父が建てた教会が「聖ヨゼフ教会」で、始めた託児所が聖ヨゼフ保育園。その聖ヨゼフ保育園に、令和天皇・秋篠宮殿下と妹さんが、夏の間に入園して開拓民の子供たちと一緒に過ごされました。だから令和天皇・秋篠宮殿下たちは、大日向村のことはよく知っているはずです。ファミリー対象の小さな宿屋をやってる身分としては、聖ヨゼフ保育園のコンラッド神父の爪の垢を煎じて飲みたい気分です。


つづく。

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2021年06月16日

昔、峰の茶屋は山小屋で、そのそばの浅間山は山スキーのメッカだった

 先週の日曜日に、御利用ガイドにつかう画像撮影のために久しぶりに軽井沢へ出かけ、レストランなどの調査にでかけ、軽井沢のレストランを調べていたら、多くの名店が無くなっていたのに驚きました。例えば芦屋亭・清水・山水・福幸といった店が無くなっていました。おまけに旧軽井沢がシャッター街になりつつあった。稼ぎ時の日曜日だというのにシャッターが閉まっている店が、かなりの数があったのです。もちろん有料駐車場もガラガラ。おまけに貸店舗・借家の看板が目立っていました。嬬恋村や北軽井沢だも厳しいものですが、それでも軽井沢に比べたらマシなのかもしれません。

 それなのに巨大資本が入ってきている。旧軽井沢のショーハウスあたりに、どう考えても景観にマッチしてない建物が、じゃんじゃん入ってきている。そして、旧軽井沢の風景が、少しずつ変化して行っている。それに対して北軽井沢も嬬恋村も、変化がゆっくりしてますね。太陽光パネルは別として、へんな巨大資本ははいってこない。

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、今日も峰の茶屋から小浅間山に登ってきました。峰の茶屋は、今でこそレストランですが、昔は山小屋でした。昔は峰の茶屋に一泊して浅間山に登ったと言います。それどころか嶺の茶屋から浅間山方面は、山スキーのメッカでした。小浅間山ではなく、浅間山でスキーを滑っていたのです。

 ちなみに令和天皇が5歳の頃に小浅間山に平成天皇と一緒に登っています。その体験が、よほど楽しかったのか嬉しかったのか、6歳では浅間山に登っています。そして登山好きになって全国の山を登山するようになりました。で、そのつど登山道が整備されていった。私のような登山好きな者にとっては、たいへん助かっています。令和天皇のおかげで全国の登山道が立派になっていったわけですから。もちろん小浅間山の登山道も、他の登山道よりも立派になっています。

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 息子が生まれたとき、
「浩宮様が5歳なら、うちの息子は1歳だ!」
と思って、私は1歳の息子を背負って、毎日のように小浅間山にのぼりました。でも息子が自力で登れるようになったのは、2歳6ヶ月くらいにならないとダメでしたね。

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 あと関係ないですが、昭和天皇は凄い人です。昭和21年の秋というか冬に、お忍びで雪の浅間山に登っています。終戦直後の混乱期ですから、浩宮様のときのように登山道を整備してません。ほぼ藪道を、猛スピードで上っています。ゴアテックスも、ダウンジャケットも、ろくな登山靴も無かった時代にです。その時に開拓民に出会って、親しげに会話したらしく、それがきっかけになって、それ以降に行われた巡幸の行事で、庶民と積極的に接するようになったようです。

 そして昭和24年に皇太子(平成天皇)が、軽井沢にやってきます。家庭教師のエリザベス・ヴァイニング女史の別荘があったからです。そこで生まれて初めて、侍従から自由になった皇太子(平成天皇)は、大喜びだったらしく、軽井沢は皇太子(平成天皇)にとっての青春の一ページになり、それ以降、皇室は、軽井沢好きになってしまったようです。




つづく。

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2021年06月15日

嬬恋村・北軽井沢・長野原町・軽井沢の外食事情を調べてみたら

 うちの宿の客室に置いてある御利用ガイドの情報が古くなったので、5年ぶりに新しい御利用ガイドを作ったのですが、それが200ページに膨れあがってしまい、2冊に分けたことは、以前に、このブログで述べました。この1週間、御利用ガイド製作で、ろくに眠ってなかったのですが、御利用ガイド完成も近づいて、最近、ようやく睡眠がとれるようになりました。

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、新しい御利用ガイドを作ってて気が付いたのですが、うちの宿近辺のレストランやカフェの情報を調べていくうちに、それぞれの地域で、大きく特徴が別れることに気が付きました。

 まず、嬬恋村と北軽井沢のレストランやカフェは、一部の例外をのぞいて、オシャレな店が多いですね。観光客が喜びそうな店が多く、洗練されています。もちろん例外もありますけど、値段も高くなくて、量は少ないけれど洗練された料理をだしてくれるところが多い。そうでない場合でも、なにかに拘りのある店が多い。

 それだけに群馬ぽくない。
 軽井沢ぽいのです。
 もちろん例外もあります。

 その逆に、長野原町のレストランは、安くて、早くて、美味くて、ボリューミーな昭和な大衆食堂が多いですね。つまり群馬ぽいです。群馬県民は、量が少ないと不満ですから。そして少々古くてもダサくても文句を言いません。そういう店は、吾妻線ぞいに集中してました。かない亭・ぽぷら・きっちん赤煙突・野いちごなんかそうですね。みんな安くてボリューミー。で、昭和ぽい。同じ長野原町でも、北軽井沢と吾妻線ぞいでは、まるっきり違っているのに気が付きました。


(かない亭)




 こういう店は、北軽井沢や嬬恋村には無いです。
 みんなオシャレで、量の少ない女子会向けの店ばかり。
 唯一、ちかいのが鎌原釣り堀? 太甲かなあ?

 いや、いや、ちがうなあ。
 鎌原釣り堀と太甲もオシャレだよなあ。
 ブログにアップしたくなる店だし。
 現に、このブログで紹介しているし・・・。
 これらを、かない亭・ぽぷら・野いちごと一緒にしたら可愛そうだ。

 でも、今のトレンドは、Instagram映えや、YouTube映えが流行りだから、むしろ令和は「かない亭」「ぽぷら」「野いちご」あたりなのかもしれない。このブログでは、オシャレなカフェ風の店を紹介し続けてきたけれど、これからは「かない亭」「ぽぷら」「野いちご」の話題性たっぷりな、超特大大盛りネタの方が、喜ばれるのかもしれない・・・と考えてしまった。

 ちなみに軽井沢のレストランですが、ここは店が多すぎる。そして料金が高すぎる。子連れが入りにくすぎる。そして量が少なすぎる。駐車場がなさ過ぎる。と言うわけで、どうしても中軽井沢とか、アウトレットとか、南軽井沢の18号パイパスの店しか選択肢がなくなってくる。そう考えると、嬬恋村・北軽井沢も捨てたものではないし、吾妻線沿いの長野原町のレストランを御客様に紹介するのも悪くない気がしてきました。


つづく。

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2021年06月14日

新型コロナウイルス対策に換気機能付きエアコンを入れたみたら・・・

 新型コロナウイルス対策に換気機能付きエアコン(ダイキンのうるさらX)を入れたみたら・・・室外機が巨大すぎて参りました。あまりにも大きすぎて設置が難しい。実は、何年かかけて全室のエアコンを全てダイキンのうるさらXに変える野望があったのですが、諦めました。他のメーカーで我慢します。どっちみち全室に換気栓はついているので、換気については、うちの宿は問題ないし。

 それにしても、どうしてダイキンのうるさらXだけが巨大なのか?インターネットてせ調べたら、下記の動画をみつけました。



 どうりで、ダイキンのうるさらXの室外機が大きいわけです。だから工事費も、高額だったんですね。ちなみに工事業者に聞いてみたら、もうエアコン取り付けのピークらしくて、ものすごく忙しいらしいのですが、今年は、新型コロナウイルスのせいか、6割ちかくが、ダイキンのうるさらXだとのこと。のこり4割が、他のメーカーさんで分け合っているらしいのです。これじゃ、ダイキンの株価が上がるかもしれませんね。

 あと、動画をみて分かったのですが、激安品のエアコンを買ってはダメだったんですね。もっと早く、この動画に気づけばよかった。何事にも適正価格というものがあって、鉛筆にしろ、エアコンにしろ、安すぎる物には罠があるということです。それからエアコンは、6畳・10畳・14畳しか買ってはいけないという動画も面白かったです。詳しくは、下記の動画をみてください。



 あとエアコンの大手4社のレビュー比較分析の動画もありましたね。
 これだと日立のエアコンが一番評判が良いです。
 次は日立にしようかと思っています。



 次は空気清浄機だな。


つづく。

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2021年06月13日

あと一週間で漢字検定試験!

 先日、息子の奴が100点のテストを持って帰ってきたので、御褒美にアイスを買ってあげたら、何を勘違いしたのか大量のテストを持ってきました。100点もあれば、80点もある。「今度の先生はテストをしない先生だなあ」と思っていたら、そうではなかった。息子が見せなかっただけだった。で、たまたま100点のテストを私が見つけて、御褒美をあげたものだから、
「親にテストを見せると、御褒美がもらえる」
と勘違いしたらしく、いままでカバンの奥か何かに、グシャグシャに突っ込んでいた大量のテストの束を取り出して、私に見せたわけです。御褒美がもらえると、ワクテカしながらです。

 もちろん、そんなわけはない。親としては、間違えた問題をもう一回やらせて、復習させるだけです。それが不満だったらしく「100点の御褒美は?」と言ってくる。図々しい奴だな・・・とは思ったけれど、まあいいかと、今後モチベーションをあげるために御褒美を渡しました。で、気が付いたのですが、今時の小学校では、全国共通テストをやってるんですね。教研式NRTという共通てすとで、国語が全国平均より12点ほど良い程度だったのに対して、算数は全国平均より30点もよかった。息子は国語より算数の方を得意としているようです。

 で、国語のどこがダメだったかというと、漢字がダメだったようです。無理も無い。息子は予習復習をやってないから。そのかわりに6月20日の漢字検定試験にむけて、ラストスパートをかけている。教科書とは別のスタイルの漢字勉強をしている。しかも、あと一週間しか勉強時間が無い。あと一週間で息子は小学三年生の漢字を全てマスターしたうえで、それ以上に難しい熟語を理解しなければならない。


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 正直言って私は、漢字検定試験をなめていました。小学三年生の漢字を覚えさせるのは、そんなに難しくないと思っていた。だから日本漢字能力検定協会が出版している問題集を一冊買って、それをマスターさせればいいんだろうと思っていたけれど、甘かった。小学三年生の漢字と、漢字検定試験8級では、方向性が違っていた。

 例えば、小学三年生の漢字では「有(ある)」という字を習うし、「様(さま)」という漢字も習う。2つとも難しい字ではないのですが、日本漢字能力検定協会が出版している問題集には「有り様」という問題で出てくる。これは小学校3年生には荷が重すぎる。ここまでくると漢字の試験では無く『語彙』の試験になってくる。学校の教科書では漢字の試験でも、漢字検定試験では語彙の試験になっている。漢字の組み合わせによる難しい熟語が問題にでてくるからだ。

 日本漢字能力検定協会が出版している問題集には、丁重、様子、和音、礼服、放火、面持ち、有用、表明、福音、平時・・・と言った小学3年生には難しすぎる熟語がたくさんあって、その総数が1000もあった。つまり漢字検定試験というのは、200の漢字を単純に暗記するのではなく、1000以上の熟語を理解する必要があった。

 これに意外と時間がかかってしまった。

 例えば「有り様」とか「丁重」とか「神楽」といった言葉は、小学三年生にしてみれば今まで聞いたことがなかったろうし、覚えたとしても今後も使う予定も無い。こういう熟語を教えて覚えさすのは至難の業で、かといって丸暗記させる意味も薄いので、こういう問題は捨てるしかない。


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 漢字検定試験の9級の時は、ここまで難しい言葉は無くて、せいぜい「夜光虫」ぐらいだったけれど、8級になると難易度の高い熟語が、突然多くなってくる。寒暑とか、楽曲とか、陽光とか、子供たちの日常生活で使われない言葉がドンドンでてくる。ようするに漢字の勉強であるというより語彙の勉強なのだ。そして、漢字には同音異義語が多すぎる。前後の文脈が無いと、解答できない漢字が多すぎる。そのために息子の頭が混乱して、勉強すればするほど、知っていたはずの漢字をかけなくなってしまった。

 仕方が無いので、今回に限って、例外として合格するためのテクニックを教えてしまおうかと思っている。難しい熟語は全て捨てて、教科書で習う範囲の易しい熟語だけを覚えさせて、そのかわりに知ってる文字だけは、確実に書けるようにしようかと。でも、それって意味ないよなあ。

 


つづく。

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2021年06月12日

赤チン

 イベルメクチンとは、北里大学特別栄誉教授の大村智博士が、微生物が生み出す「アベルメクチン」をもとにした化合物です。アメリカの製薬会社のメルク社との共同研究で、家畜やペットの寄生虫の治療薬として1981年に開発され、イヌのフィラリア症などの特効薬となりました。大型動物に効くのだから人間にも効くだろう、とアフリカで蔓延まんえんしていたオンコセルカ症(河川盲目症)の治療・予防に使ってみたらビンゴ。大村博士は、この業績を評価され、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

 このイベルメクチンが、新型コロナウイルスに効くという話が、ずいぶん前からありましたが、その話が、いつのまにか立ち消えになったのですが、また、最近になって注目を浴びつつあります。

 理由は2つで、その一つは、ワクチンがきかなかったインドで、イベルメクチンが効いたと言う事実があったそうです。インドでは、イベルメクチンを採用した州と採用しなかった州があったのですが、この差が劇的に違っていたらしいのです。しかも治療薬としてではなく、予防薬としてイベルメクチンが効果的であったという報告もでている。

 もう一つの事例はアフリカ。もともとアフリカでは、オンコセルカ症(河川盲目症)の予防薬としてイベルメクチンを予報接種していた。このアフリカでは、あまり新型コロナウイルスのパンデミックがおきてない。そのためかイベルメクチンを新型コロナウイルス治療に投与する事例が広がり、イベルメクチンは新型コロナウイルスに対する世界的な解決策となる可能性を秘めているという論文が続々と発表されているようです。

 もちろん反論もあるようです。whoは、「証拠が非常に不確実」だと指摘し、治験以外では使用すべきではないと声明を発表してます。アメリカの製薬会社でもイベルメクチンを総スルー。トランプ元大統領だけがイベルメクチンを押したけれど、医師たちの軍団に押されて使用禁止となって、高価なワクチン増産にはしってしまったと言います。

 日本の厚生労働省は、「適切な手続きを行ったうえで、イベルメクチンの新型コロナウイルスへの適応外使用を認める」としています。けれどイベルメクチンを新型コロナウイルスに適応する薬剤として、薬価を定めて公式に認められてないので、医師としては、まだ使いにくい状態。

 ちなみにイベルメクチンは特許が切れ、ジェネリック薬剤が大量に製造されています。最初にイベルメクチンを開発したメルク社は、イベルメクチンを新型コロナウイルスの治療薬として臨床試験をやる気はなく、別の新型コロナウイルスの新薬開発に取り組んでいます。わざわざ新薬を開発するのは、特許権のなくなったイベルメクチンをいまさら新型コロナウイルスの治療薬として適応を取り付けても、経済的なうまみは何もないということでしょうか?





 以上は、ネットニュースから聞きかじった情報です。

 ここからは、私の思い出話です。私が子供の頃、第二次世界大戦の戦争中に中国大陸で、衛生兵として活躍した人から直接聞いた話です。その人は、友人のおじいさんだったのですが、そのおじいさんに勲章を見せてもらったことがあります。戦争中大活躍して、何度も表彰されたということでした。といっても衛生兵ですから、武勇で表彰されたわけではなく、宣撫工作で何度も大勢の敵を寝返らせたために表彰されたらしいのです。将棋で言えば、敵の飛車・角が、勝手に味方になったようなものだったらしく、それで形勢大逆転になったということでした。

 で、どうやって敵を寝がえらせたかというと、
「赤チンとメンソレータムと正露丸だよ」
という。言ってる意味がさっぱり分からないので、わかるように教えてもらうと、満州とかモンゴルといった田舎に行くと、そこの人たちは、薬も医者もかかったことがないので、驚くほど治癒力があるらしい。そういう人たちの病気を薬で治してやると、ものすごく喜ばれたらしい。

 で、うわさが一挙に拡散して、2〜3日たつと百人くらい集まってくる。仕方が無いので、薬をつけてやる。アッという間に治ってしまい、その数日後には三百人くらい集まってくる。しかし、もう薬が無い。仕方が無いので、赤チンとか、メンソレータムとかを適当に塗ってやると熱が下がってしまう。ただの捻挫には、普通の水で冷やしてやるだけで、アッというまに治ってしまう。そのうち赤チンしか無くなってしまうと、腹が痛いと言う人には、薄めた赤チンを塗るだけで腹痛が治ってしまったらしい。

 その話を聞いたとき「そんなバカな」と思ったんですが、そのおじいさんは、真顔で「俺も、そんなバカなと思ったさ。でも治ったんだよ。不思議だよな。で、これを軍医に話したら真っ赤になって怒られたけどな。そんなデタラメな医療行為をしてはいかんとな」と、その人は軍医に怒られて飛ばされることになったわけですが、地元民たちにとっては、そんなこと関係ない。治してくれた、その人がヒーローなわけで、
「とばさないでください」
と哀願されたうえに、とばさないでくれれば、大勢の敵を寝返らすから・・・ということで、結果として赤チン治療が、大戦果になったらしい。

 whoという専門家の言うことを聞かずに、イベルメクチンでパンデミックを終息させつつあるインドのニュースを読んで思い出しました。ずっと記憶の中に封印してあった五十年前の話を、五十年ぶりに思い出してしまった。昔は、こういう面白い話が、たくさん転がっていたんですよね。思えば嫁さんのお爺ちゃんも、勲章をもらった人で、お婆ちゃんと大げんかして離婚して中国大陸に渡ろうとした過去があったとか。国交も無かったのに・・・。その話も、もうすこし詳しく聞いとくんだった。


つづく。

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2021年06月11日

5年ぶりに御利用ガイドを改訂したら・・・・

 うちの宿に泊まった人なら知ってるかと思いますが、どの部屋にも【御利用ガイド】という40ページくらいの冊子があります。うちの宿の情報や、観光情報・宿泊約款・お得な情報を書いた冊子なんですが、だいぶ情報が古くなっていたので、5年ぶりに【御利用ガイド】を改訂する作業をやってました。

 そのせいで、この数日間、ブログを書く暇も無くて、平均睡眠時間は4時間。で、原稿ができあがって印刷をしてみたら全部で200ページになってしまった。その結果、ルーズリーフのポケットファイルが分厚くなりすぎて、1冊に収まりきれなくなってしまった。おまけに重い。

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 仕方が無いので2冊に分割し、【御利用ガイド】と【温泉+外食+カフェガイド】に分けて完成させました。北軽井沢・軽井沢という狭い範囲のガイドを製作するのにA4で200ページも必要になるとは思ってもみませんでした。しかも、200ページでは、完璧には伝えきれてない。本当なら800ページは欲しいけれど、
「そんな情報、誰が読むんだ?」
ということになりますよね。もちろん子連れファミリーに特化した情報で、他の客層への配慮は、あまり書いてないんですが、それでも、このくらいの情報になる。恐ろしいものです。

 で、今回作った【御利用ガイド】は、春と夏に北軽井沢に来た人を対象とした情報になっている。秋と冬の情報は入ってない。つまり紅葉シーズンとウインタースポーツの情報が入ってない。これが完成したらあと100ページプラスになるから、もう一冊、新しい冊子を作って、【御利用ガイド春夏偏】と【御利用ガイド秋冬編】と【温泉+外食+カフェガイド】の3冊を作る必要がある。こりゃレザープリンタ(カラー)のトナーカートリッジの予備が必要だな。いっそうのことクリアファイルをやめて、製本屋さんに製本のお願いをしようかなあ。



つづく。

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ラベル:御利用ガイド
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2021年06月04日

安物の文具を使ってはダメだったんだなあ

 最近、息子が宿題をやらなくなってきたので、計算能力が落ちてきました。1年生の時は、指を使わずに一桁の足し算・引き算ができたのに、3年生になってから、指を使って足し算をするようになってきたのです。これは拙いなと思ったので、試しに100マス計算をさせてみたら10分もかかっていたので驚きました。1年生のときの倍以上かかっています。

 どうしてだろう?

 と不思議に思って算数の教科書をひらいてみたら、単位・図形・表とグラフといったことを習っていて、計算問題が少なくなっていたために、息子の計算能力が退化してしまったらしい。あと、息子は好奇心が強すぎてEテレの『高校ベーシック数学』は面白がって見るくせに、地道に基礎計算能力を高める作業を嫌がります。ようするに頭でっかちなんですね。これでは、将来、絶対に算数で挫折することは、あきらかなので、しばらくの間、Eテレの『高校ベーシック数学』を見るのを禁止して、小学1年生まで戻って、毎日1回は、100マス計算をさせることにしました。

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 で、最初の1週間は、ひどいものだった。100マス計算を終えるのに8分くらいかかっていた。次の1週間で6分に縮まり、3週間目になって、ようやく5分まで縮まりました。やっと指を使わなくなり、1年生のレベルに追いつきました。そこでEテレを見ることを許可したわけですが、考えさせられました。

 私たち大人は、子どもの学年があがると昔より頭が良くなったと思い込んでしまいますが、必ずしもそうではないですね。計算能力は、脳を使わなければ退化してしまう。これは大人にも言えることで、大人たちも読書とか、文書を書かなくなったら脳が退化してしまう。実は、私も嫁さんも、最近は物忘れがひどくなってきている。なんでも無い固有名詞とか、なんでも無い単語が出てこなくなってくることがある。漢字もど忘れしてしまっている。
「あああ、これはヤバい」
と思ってしまう。

「そうだ、ボケないために日記でも書こう!」

と思ったのが数ヶ月前のことです。どうせ日記を書くなら、ブログを書いてやろう!と思って、できるだけ長文のブログを毎日書いています。そうすれば、脳みそと、指先の鍛錬になるかもしれないと考え、今日にいたります。


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 ちなみに100マス計算をやらせて分かったことですが、鉛筆を百円均一ショップで買ってはダメですね。百円均一ショップの鉛筆は、木の密度が低いせいか、木が柔らかすぎるためか、すぐに芯が折れてしまう。そのために力を入れてかけないために字が下手になっていく。それに比べて公文の鉛筆は、よかった。木が堅くて芯が折れない。三角なので鉛筆も持ちやすく、字も綺麗に書ける。100マス計算も早く終わる。安物の文具を使ってはダメだったんだなあ。失敗した! ふだん使う鉛筆だからこそケチってはいけなかったのだなあ。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:24| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月03日

室生犀星記念館

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ

 この詩を知らぬ人はいないでしょう。作者は室生犀星。彼は、金沢出身の三文豪(泉鏡花、徳田秋声、室生犀星)として有名です。特に室生犀星は、詩人としても小説家としても大成した希有な存在で、大正九年に中央公論で発表された小説の処女作「幼年時代」には、全国の読者が涙しました。二作目の「性に眼覚める頃」も大反響。三作目「或る少女の死まで」も多くの読者の心をゆさぶりました。


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 三作に共通しているのは、自伝的私小説であるということです。実名で書かれてある。フィクションも入っていますが、当時の読者は、そうは思いませんでした。あまりにもリアルすぎてフィクションとして読めませんでした。それほど生々しかった。特に処女作「幼年時代」には、室生犀星みずからの不幸な生い立ちもあって、多くの読者の心をゆさぶりました。嫁に行く血の繋がらない姉との淡い恋心にもにた心の交流に読者は涙しました。もちろんフィクションも入っている。姉は嫁に行ったのではなく義母によって娼婦に叩き売られていたと言われています。しかし、当時の読者は「幼年時代」を読みながら、それに感づいていた可能性が高い。そういう話が、そのへんにゴロゴロ転がっていたから。

 それはともかくとして室生犀星は、女性に対する「恋心」がテーマになっています。それも「生みの母」だったり「姉」だったり「少女」だったり。もちろん性的な意味での異性への恋心の描写も作品にかかれてはありますが、母恋しの思いが室生犀星の生涯のテーマとなって、どの作品の中にも一本の筋となってながれていました。それが
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
という詩になって、多くの読者の心をわしづかみにしていました。

 室生犀星は、小畠弥左衛門吉種の子として生まれ、生まれてまもなく赤井ハツという文盲の女性にもらわれているということになっています。明治時代は、私生児をもらうかわりに持参金をうけとって、その金で暮らしている人も少なくありませんでした。酷いのになりますと、持参金をうけとって、そのまま私生児を栄養失調か何かで殺してしまう親もいました。医者も見て見ぬりをしてました。

 しかし室生犀星の育ての親である赤井ハツは、四人の私生児を育て、育てた娘を高額な持参金と引き替えに嫁にやって(娼婦として叩き売って?)儲けたりした。その結果、血の繋がらない優しい姉と別れなければならなくなり、幼年時代の室生犀星は、この養母に怒りをもっていました。そして、どこの誰かも知らない生みの母親に恋い焦がれていました。このような複雑な家庭環境を不幸な家庭環境を実名で小説に書いて発表し、それを読んだ全国の読者が涙した。当時の日本は、まだまだ貧しかったので、室生犀星の人生が人ごとには思えない時代だったのかもしれません。


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 犀星が初めて軽井沢を訪れたのは大正9年。軽井沢の自然に魅了され、つるや旅館を常宿として、芥川龍之介・萩原朔太郎・松村みね子らと交友を深めました。昭和6年7月には、軽井沢に別荘を建て毎年のように軽井沢で夏を過ごしました。昭和19年から昭和24年9月までは、疎開生活を送っています。

 室生犀星は、軽井沢を舞台にした作品も数多く残しています。『杏(あんず)っ子』『聖処女』『木洩日』などが、代表作ですが、映画化・テレビドラマ化された『杏っ子』は、ほぼ自伝です。もちろん読者も、それは承知の上で読んでいる。 おまけに新聞連載小説なので、たいへん読みやすい。『杏っ子』のストーリーは、私生児として生まれた平山平四郎という作家が、一人娘の杏子を育てるというストーリー。杏子のモデルは、室生犀星の娘さんである室生朝子さんです。室生朝子さんも、小説家・随筆家として活躍された方で、軽井沢に縁のある方で、軽井沢高原文庫の理事をされていました。なので『杏っ子』は軽井沢が舞台です。室生犀星と室生朝子の人生が書かれています。

 主人公(室生犀星)は、不幸な生い立ちもあって、あたたかな家庭への憧憬が強く、家族思いで、特に杏子に対しては甘い。ドイツ製のピアノを買い与え外国の犬も飼った。作品の中には、親友の芥川龍之介が登場したりする。菊池寛も登場する。そして、彼らの日常が見えてきて、芥川龍之介と菊池寛のキャラクターが分かったりする。そして室生犀星の家族の日常が、しみじみと伝わってきます。それが激変するのが、後半部分。杏子が結婚してからのシーン。杏子は、小説家志望の夫のもとで苦労するわけですが、それを室生犀星は・・・・。


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 軽井沢を舞台にしている『聖処女』は、昭和十年九月から十一月までの三月間、朝日新聞紙上に連載したもので、室生犀星が全盛期だったころの作品です。そのせいか室生犀星にしては珍しく躍動的な作品で、乗りに乗って書かれてある感じがします。犀星作品のなかでも、異質さが際立っていて、室生犀星にとって唯一の冒険小説。それだけに面白い作風となっている。

 ストーリーは、キリスト教孤児院という逆境に育った少女が脱出し、美貌と才気を武器に悪役たる男たちにを翻弄させ、女友達を救い、自分を虐待したすべてに復讐するという痛快な小説です。同じ時期に吉川英治の『宮本武蔵』が朝日新聞に連載されていて、大ブームでしたが、室生犀星の『聖処女』も、それに負けてなかった。

 他に随筆として軽井沢を舞台にした者の中に「碓氷山上之月」「信濃追分の記」などが有名です。これら名作を執筆したであろう別荘は、現在も「室生犀星記念館」として残され無料で公開されています。自らつくりあげたといわれる庭は苔が生し、旧居の落ち着きある佇まいと見事に調和しています。


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◆室生犀星記念館
 室生犀星はこの別荘を昭和6年に建て、昭和19年から昭和24年9月までは、疎開生活に使った他は、亡くなる昭和36年までの夏は軽井沢の別荘で過ごした。この家では、堀辰雄、津村信夫、立原道造、川端康成、志賀直哉ら多くの作家と交流がありました。この家は、当時の軽井沢中で出た建築廃材を集め杉皮などの自然素材を使って建てられています。机や椅子は、当時のまま。ここで室生犀星は原稿を書いていた。苔むす二話が美しい。


 営業時間 9:00〜17:00
 7月25日〜11月4日
 軽井沢町大字軽井沢979-3


つづく。

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2021年06月02日

旧近衛文麿別荘(市村記念館)

 市村記念館は、近衛文麿公、市村今朝蔵が別荘として利用したものですが、平成9年、長倉の雨宮御殿の中に移築され、市村家より町に寄付されました。

 近衛文麿は、泥沼の日中戦争をはじめた張本人です。陸軍が不拡大を叫び、戦場の現場でも必死に現地停戦協定を結ぼうとしており、派兵もできるかぎり我慢し、陸軍の中枢部にいた石原莞爾が、蒋介石あてに陸軍が戦争中止の電報までを送っているのに、近衛文麿は議会に臨時軍事特別会計法案を出して、ガンガン戦争を煽っていた。日中戦争をしたがっていたのは陸軍ではなかった。戦争を欲していたのは、近衛文麿であり、広田弘毅であり、海軍でした。それに対して陸軍の石原莞爾は、戦線の拡大をせぬように努力したが、近衛文麿と戦線拡大派によって失脚することになります。

 その後、兵力を増強した陸軍は、南京を攻略して勝利した。本当なら、戦争は、ここで終わるはずだった。陸軍参謀次長の多田駿は、ドイツ仲介による和平工作を展開していた。その和平案に、蒋介石側は驚いた。講和条件の寛大さに驚いて受託の方向で話し合っていた。和平は目の前だった。国民政府外交部亜州司長の高宗武の証言によれば、

「もし日本側の条件が本当にこれだけのものであるとすれば、中日両民族はいったい何のために戦争をしているのか」

と言ったほど、蒋介石側の会議の空気は受諾的であった。彼らは、もっと過酷な要求を覚悟していたから、拍子抜けしていた。蒋介石軍は、本気で「日本が中国を侵略しようとしている」と思い込んでいた。だから驚いた。逆に言うと日本政府は、もっと早く「侵略の意図は無い」というメッセージを送るべきだった。それほど両国は、お互いに誤解し合っていた。いつの時代でも戦争は、誤解が誤解を生んで始まってしまう。ようやくその誤解が解けようとしていたのである。


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 つまり、トラウトマン和平工作によって、和平の一歩手前までいっていたのである。
 それを潰したのが、海軍と政府。
 つまり米内光政・近衛文麿・広田弘毅。
 近衛文麿は「国民政府を対手とせず」と声明を出すのである。

 交渉というものは粘り強く話し合うべきなのだ。実際に日露戦争の時に小村寿太郎が、それを行って和平を勝ち取っている。だから外務大臣の広田弘毅は、それをやるべきであって「国民政府を対手とせず」では話にならない。職務放棄もいいところである。それを一番分かっていたのは、陸軍だった。日露戦争を研究し尽くしていた陸軍は、交渉無しでは勝利できないことを一番よく知っていた。だからこそ杉山陸軍大臣は最後まで「どうして裏口(交渉のドア)を閉じてしまうんだ?」と不平不満だったが、誰も聞き入れてくれなかった。こうして米内光政・近衛文麿・広田弘毅が、陸軍を恫喝して押し切ってしまったのである。

 蒋介石の顧問を務めていたオーストラリア人のW・H・ドナルドは、一九四五年一月、『ニューヨク・タイムズ』のインタビューで、日本は一九三八年から一九四一年にかけて十二の和平提案を行っており、日本が提示した条件は中国側にとって有利なものだったと語った。そして、その多くの和平工作は日本陸軍が主導して行われていたという。和平を真剣に摸索していたのは、ほかならぬ日本陸軍であったのに、その陸軍の理性たる人たちを失脚させて、陸軍をガチガチの強硬派に育てたのは、近衛文麿だったりします。

 で、日独伊三国同盟を結んだのも近衛文麿(二次内閣)だし、
 仏印進駐を強行してアメリカを怒らせたのも近衛文麿(三次内閣)。
 仏印進駐は対米英戦争を引き起こすと予告して、
 進駐に強く反対した松岡外相をクビにするために総辞職して三次内閣まで作ったのが近衛文麿。
 近衛文麿が組閣するごとに最悪の舵取りをしている。

 その結果、アメリカから石油を止められて近衛文麿は、内閣を投げ出します。これが近衛文麿の無責任なところ。それの尻ぬぐいをさせられたのが東条英機。彼は、はそれまでの強硬姿勢を改め「和平だっ、和平だっ、聖慮は和平にあらせられるぞっ」と叫び、中国からの徹兵を段階的に行う譲歩案をひねり出すが、アメリカの解答はハルノート(最後通牒)だった。ルーズベルト大統領は、日本との戦争を決意していた。つまり東条英機に打てる手は無かった。全てが遅かった。戦争犯罪人がいるとしたら近衛文麿である。東条英機ではない。近衛文麿こそが日本の癌だったのだ。


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 まあ、そんなことはどうでもいいとして、ちょっと前までは、この市村記念館は、「市村記念館」だった。「近衛文麿別荘」とは、言ってなかったのですが、最近は「近衛文麿別荘」と軽井沢町は表記するようになりました。これに私は、少しばかり残念に思っています。「市村記念館」で良いではないですか。

 では、どうして昔は「市村記念館」だったかと言いますと、市村今朝蔵という人が、近衛文麿総理大臣から買って、ながいこと使っていた建物を町に寄付したから『市村記念館』なんです。市村さんの寄付だから、市村記念館なんですよ。で、市村今朝蔵って誰?ということになりますが、雨宮敬次郎の甥っ子(正確には妻の甥)なのです。

 雨宮敬次郎は、明治時代に一代で財閥を築いた人物で、多くの鉄道会社を経営しました。甲武鉄道(中央本線)、川越鉄道(西武国分寺線)、北海道炭礦鉄道、大師電気鉄道(京急大師線)、豆相人車鉄道、江ノ島電鉄など。軽便鉄道の規格を政府に認めさせて、全国に軽便鉄道ブームをおこしたのも雨宮敬次郎です。製鉄所や鉄道製作会社まで作っています。そんな彼が、
「貯金のすすめ」
を言いだし、自ら実行しました。彼の「貯金」とは、植林のことです。日本中の荒れ地に植林し、将来の子孫のために樹を育てる。その樹は、雨宮敬次郎が生きている間は現金化させることはないけれど、子孫たちへのプレゼントになる。つまり「貯金」であると。で、その候補地として、御殿場と軽井沢を選んでいた。両方とも日本一の荒れ地である。


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 最終的に軽井沢を選んだのは、東海道線より信越線の方が完成が速かったからで、もし東海道線が先に完成していたら、御殿場の自衛隊演習場は無くて、そのあたりは、軽井沢のように繁栄していたのかもしれない。でも、そういう歴史にはならず、雨宮敬次郎は軽井沢の広大な土地を買い取って、そこにカラマツの植林を行いました。カラマツは、鉄道の枕木として需要の多い樹でした。

 アレキサンダー・クロフト・ショーが「軽井沢の恩父」などと言われてますが、馬鹿言ってるんじゃ無いよ。雨宮敬次郎を忘れていませんか?と言いたいですね。雨宮敬次郎こそは、私財をなげうって軽井沢に尽くしてきた人間であり、軽井沢に多くの人を入植させた人間なのです。軽井沢を避暑地として紹介しただけの宣教師ショーとは格が、スケールが違います。

 アレキサンダー・クロフト・ショーが、軽井沢に訪れたとき、軽井沢は原野であり樹木が一切なかった。その原野に植林事業を始めました。当時、原野と言えば御殿場か軽井沢だった。どちらかで植林事業をやるつもりだった。結局軽井沢になったのは、東海道線よりも信越線の方が早く開通したからです。もし東海道線の方が早く開通していたら、今でも軽井沢は原野のままで、御殿場が大森林地帯になっていたかもしれない。

 もちろん原野から始める植林事業なので、雨宮敬次郎が生きている間に利益を上げることはありません。でもそれでいいと思った。彼は、子孫のための貯金だと言って、ただひたすらにカラマツの植林に励みました。しかもカラマツというのがすごい 。カラマツは、若いうちは何の役にも立たないけれど、樹齢何百年も経つと高値がつく。松ヤニが多くて油まみれのカラマツは、腐りにくく特に線路の枕木にうってつけだった。 大量のカラマツがあれば、日本全国に線路が引ける。雨宮敬次郎は、物流こそが人々を幸せにするという信念を持っていたので、カラマツの植林事業は、 将来はきっと日本の役に立つと信じました。彼こそは、 植福の達人だと言えましょう。 雨宮敬次郎は言います。

「日本人は未だに貯蓄心が足りない。金があればすぐ使ってしまう。私は一文もない時分から貯蓄というものに重きを置いていたが、今は開墾地への貯蓄の金をかけている。貯蓄をどういう方法でするかと言うと木を植える。金の貯蓄ではなく木の貯蓄をやっている。生前のための貯蓄ではなく、死後のために貯蓄をやっているのだ」

 こうして軽井沢に大量の落葉松林ができたのですが、残念ながら鉄道の時代は終わっています。しかし、雨宮敬次郎の苦労は無駄に終わっていません。この大量の落葉松林が、新型コロナウイルスが、世界中に蔓延する危機的状況下において、軽井沢の救世主になる可能性が出てきたからです。落葉松林が、住民の免疫力を上げている可能性があるからです。

 雨宮敬次郎は、農民の軽井沢入植も行っています。
 雨宮新田という地名が軽井沢にあるくらいです。

「私はその時分肺結核で血を吐いていたから、とても長くは生きられないと考えていた。“せめてこの地に自分の墓場を残しておきたい”という精神で開墾を始めた。決して金を儲けて栄華をしたいという考えからではなかった」。

 軽井沢の広大な土地にアメリカ式の大農園を計画。ワイン醸造を夢見ますが、気候風土・土壌が合わずにことごとく失敗。そこで開拓民の入植による耕作地造成事業を開始。自宅・馬1頭・農具を用意し、それを無償で貸す代わりに開墾することを委ねます。苦労に苦労を重ねて40戸ほどが定着。雨宮新田(現在の国道18号線「南軽井沢信号」付近)が形成されました。軽井沢の大恩人ですね。雨宮敬次郎はこんなことを言ってます。

「四十戸の人間を入植させることは木を植え付けるよりも難しかった。人間の植え付けは容易にできるものではない(略)。不毛の原野に住もうとする者は何かの欠点を持った人間である。少しでも財産をこしらえると、もうそんなところには辛抱できず、すぐ 帰る気になるから、それを居着かせるためには、酒を飲むものがあれば酒を飲まし、病人があれば薬を与えるなど我が子同様にしなければ、ついて来れない。それだから家内が行くと皆がお母さんのように思ってすっかりなついている。この状態であの村ができたのだった」

 雨宮敬次郎の奥さんが献身的に農民たちを支え、水害の時は婿らを引き連れて水の中を歩み、被害者を慰問しました。奥さんは明治36年に亡くなりますが、雨宮敬次郎は自宅(雨宮御殿)の裏庭に妻の銅像を建てます。上野公園の瓜生岩の銅像に続く、日本では2番目の女性の銅像でした。その数年後に雨宮敬次郎も死去。妻の銅像の隣に雨宮敬次郎の銅像がたてられました。


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 市村記念館が建っているあたりの持ち主が、雨宮敬二郎の自宅でした。つまり、市村記念館のある、この広大な土地は元々雨宮敬次郎のもので、軽井沢でプランテーションを行なう中で開発し、最終的に町に寄贈されたものだったのですね。そこに市村さんが寄贈した市村記念館を移築してできたのが、『市村記念館』なのです。

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(雨宮敬次郎の自宅)

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(雨宮敬次郎の自宅)

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(雨宮敬次郎宅の庭)


 市村記念館。記念館の建物は、大正時代に洋風住宅建築会社「あめりか屋」によって建てられたもので、大正15年に近衛文麿が軽井沢第1号別荘として野沢源次郎から購入し、昭和7年に政治学者として近衛と親交があった市村今朝蔵が購入したのち、昭和8年に南原に移築されました。

 平成9年に現在の場所、雨宮池の東端に移築復元され、旧姓市村信江、令子姉妹が中心となり、母・きよじの逝去後、この地に移築して寄贈、歴史資料をちりばめた市村記念館としてオープンされたものです。南原の別荘地としての開発に尽力した市村今朝蔵とその夫人で名誉町民となった市村きよじの資料をはじめ、雨宮敬次郎、近衛文麿の資料が展示されています。ところで、移築に際し、建材の新調は無かったのだそうで、補修すべき個所を除いて、そのままなのだそうです。つまり築80年の貴重な建物。ですから、1階の居間に、近衛首相の残したゴルフ靴の跡がわずかながらも残っています。

 ところで近衛文麿とは、どんな人だったのか? 面白い逸話があります。「彼を理解できる奴はいない。近衛文麿は、自分が天皇より偉いと思っているんだから」と戦前に言った人がいます。天皇陛下(もちろん昭和天皇)の前で足を組んで気さくに話しかけることのできた人間は、戦前・戦後を通じて近衛文麿くらいだったと言う話です。それだけ高貴な血筋の人だったのでしょうね。


◆旧近衛文麿別荘(市村記念館)

 軽井沢町大字長倉2112−21
 0267−46−6103旧近衛文麿別荘(市村記念館)
 9時〜17時(入館は16時30分まで)

休館日
・月曜日(祝日の場合は開館)
・7月15日〜10月31日は無休
・11月16日から翌年3月31日まで冬期休館


雨宮敬次郎については、以前に、このブログに書いてます。
https://kaze3.seesaa.net/article/475353820.html
(例のウイルスで・・・ その3 小市民の親が行う植福)




つづく。

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