2021年06月03日

室生犀星記念館

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ

 この詩を知らぬ人はいないでしょう。作者は室生犀星。彼は、金沢出身の三文豪(泉鏡花、徳田秋声、室生犀星)として有名です。特に室生犀星は、詩人としても小説家としても大成した希有な存在で、大正九年に中央公論で発表された小説の処女作「幼年時代」には、全国の読者が涙しました。二作目の「性に眼覚める頃」も大反響。三作目「或る少女の死まで」も多くの読者の心をゆさぶりました。


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 三作に共通しているのは、自伝的私小説であるということです。実名で書かれてある。フィクションも入っていますが、当時の読者は、そうは思いませんでした。あまりにもリアルすぎてフィクションとして読めませんでした。それほど生々しかった。特に処女作「幼年時代」には、室生犀星みずからの不幸な生い立ちもあって、多くの読者の心をゆさぶりました。嫁に行く血の繋がらない姉との淡い恋心にもにた心の交流に読者は涙しました。もちろんフィクションも入っている。姉は嫁に行ったのではなく義母によって娼婦に叩き売られていたと言われています。しかし、当時の読者は「幼年時代」を読みながら、それに感づいていた可能性が高い。そういう話が、そのへんにゴロゴロ転がっていたから。

 それはともかくとして室生犀星は、女性に対する「恋心」がテーマになっています。それも「生みの母」だったり「姉」だったり「少女」だったり。もちろん性的な意味での異性への恋心の描写も作品にかかれてはありますが、母恋しの思いが室生犀星の生涯のテーマとなって、どの作品の中にも一本の筋となってながれていました。それが
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
という詩になって、多くの読者の心をわしづかみにしていました。

 室生犀星は、小畠弥左衛門吉種の子として生まれ、生まれてまもなく赤井ハツという文盲の女性にもらわれているということになっています。明治時代は、私生児をもらうかわりに持参金をうけとって、その金で暮らしている人も少なくありませんでした。酷いのになりますと、持参金をうけとって、そのまま私生児を栄養失調か何かで殺してしまう親もいました。医者も見て見ぬりをしてました。

 しかし室生犀星の育ての親である赤井ハツは、四人の私生児を育て、育てた娘を高額な持参金と引き替えに嫁にやって(娼婦として叩き売って?)儲けたりした。その結果、血の繋がらない優しい姉と別れなければならなくなり、幼年時代の室生犀星は、この養母に怒りをもっていました。そして、どこの誰かも知らない生みの母親に恋い焦がれていました。このような複雑な家庭環境を不幸な家庭環境を実名で小説に書いて発表し、それを読んだ全国の読者が涙した。当時の日本は、まだまだ貧しかったので、室生犀星の人生が人ごとには思えない時代だったのかもしれません。


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 犀星が初めて軽井沢を訪れたのは大正9年。軽井沢の自然に魅了され、つるや旅館を常宿として、芥川龍之介・萩原朔太郎・松村みね子らと交友を深めました。昭和6年7月には、軽井沢に別荘を建て毎年のように軽井沢で夏を過ごしました。昭和19年から昭和24年9月までは、疎開生活を送っています。

 室生犀星は、軽井沢を舞台にした作品も数多く残しています。『杏(あんず)っ子』『聖処女』『木洩日』などが、代表作ですが、映画化・テレビドラマ化された『杏っ子』は、ほぼ自伝です。もちろん読者も、それは承知の上で読んでいる。 おまけに新聞連載小説なので、たいへん読みやすい。『杏っ子』のストーリーは、私生児として生まれた平山平四郎という作家が、一人娘の杏子を育てるというストーリー。杏子のモデルは、室生犀星の娘さんである室生朝子さんです。室生朝子さんも、小説家・随筆家として活躍された方で、軽井沢に縁のある方で、軽井沢高原文庫の理事をされていました。なので『杏っ子』は軽井沢が舞台です。室生犀星と室生朝子の人生が書かれています。

 主人公(室生犀星)は、不幸な生い立ちもあって、あたたかな家庭への憧憬が強く、家族思いで、特に杏子に対しては甘い。ドイツ製のピアノを買い与え外国の犬も飼った。作品の中には、親友の芥川龍之介が登場したりする。菊池寛も登場する。そして、彼らの日常が見えてきて、芥川龍之介と菊池寛のキャラクターが分かったりする。そして室生犀星の家族の日常が、しみじみと伝わってきます。それが激変するのが、後半部分。杏子が結婚してからのシーン。杏子は、小説家志望の夫のもとで苦労するわけですが、それを室生犀星は・・・・。


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 軽井沢を舞台にしている『聖処女』は、昭和十年九月から十一月までの三月間、朝日新聞紙上に連載したもので、室生犀星が全盛期だったころの作品です。そのせいか室生犀星にしては珍しく躍動的な作品で、乗りに乗って書かれてある感じがします。犀星作品のなかでも、異質さが際立っていて、室生犀星にとって唯一の冒険小説。それだけに面白い作風となっている。

 ストーリーは、キリスト教孤児院という逆境に育った少女が脱出し、美貌と才気を武器に悪役たる男たちにを翻弄させ、女友達を救い、自分を虐待したすべてに復讐するという痛快な小説です。同じ時期に吉川英治の『宮本武蔵』が朝日新聞に連載されていて、大ブームでしたが、室生犀星の『聖処女』も、それに負けてなかった。

 他に随筆として軽井沢を舞台にした者の中に「碓氷山上之月」「信濃追分の記」などが有名です。これら名作を執筆したであろう別荘は、現在も「室生犀星記念館」として残され無料で公開されています。自らつくりあげたといわれる庭は苔が生し、旧居の落ち着きある佇まいと見事に調和しています。


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◆室生犀星記念館
 室生犀星はこの別荘を昭和6年に建て、昭和19年から昭和24年9月までは、疎開生活に使った他は、亡くなる昭和36年までの夏は軽井沢の別荘で過ごした。この家では、堀辰雄、津村信夫、立原道造、川端康成、志賀直哉ら多くの作家と交流がありました。この家は、当時の軽井沢中で出た建築廃材を集め杉皮などの自然素材を使って建てられています。机や椅子は、当時のまま。ここで室生犀星は原稿を書いていた。苔むす二話が美しい。


 営業時間 9:00〜17:00
 7月25日〜11月4日
 軽井沢町大字軽井沢979-3


つづく。

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posted by マネージャー at 15:08| Comment(0) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする