2021年06月18日

息子に空手とスケートをやらせてみた結果

  今日、息子が所属している嬬恋村東部小学校スケート部の保護者会がありました。実は、この保護者会が行われることを数時間前まで知らなかった。日頃からお世話になっている保護者会長さんからのメールで知ったので慌ててしまった。こういう日にかぎって御客様が何人もはいっていたからです。


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 学校から帰ってきた息子に
「先生からスケート部のプリントをもらってなかったの?」
と聞いたら
「もらった」
と言う。
「いつもらったの?」
「うーん」
「とにかくプリントを持ってきて」
「うーん」

 結局、息子のやつは、スケート部のプリントを無くしてしまっていたらしい。

「無くしたのは仕方ない。でも、無くしたら無くしたで、お父さんに言わなきゃだめでしょう!」
「はい」
「もし大切なことが書いてあったら、スケートができなくなっちゃうんだよ」
「はい・・・・」

 こういうことはよくある。
 幼稚園の頃から何度もありました。
 そのたびに親たちは冷や汗をかきます。
 忘れ物も多いですし、紛失するものも多い。
 教室の床に鉛筆やら消しゴムも落としたら落としっぱなしです。

 2年生の時には、担任の先生が息子の落とし物を入れるための専用箱まで用意してくれていました。とんでもないことで、脳に欠陥があるのではないかと疑ったこともあります。そういうところが幼稚園の頃からあったので発達心理学の先生に相談して知能検査までしましたが、結果は、ギフテットクラスの高い知能指数が出てしまいました。しかし、この検査を私は信用してません。もし、本当に知能が高かったら、こんなに忘れ物するわけがありませんし、こんなにだらしないわけがない。

「このままでは、社会人として不適格な人間になってしまう」

と危惧した私は、忘れ物をするたびに車で20分もする学校に取りに行かせて、罰として、腕立てやスクワットをやらせたけれど直りません。御客様に挨拶もできませんので、それに対しても罰として、腕立てやスクワットをやらせたけれど直りません。挨拶が出来ない。

 状況が改善し始めたのは、2つの空手教室に通ってからでした。
 ひとつは軽井沢の風越体育館が主催している「空手と礼儀教室」。
 もう一つは、嬬恋スポカルの「空手教室」です。


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 親が、どんなに躾けようとしてもダメだった挨拶・礼儀が、2つの空手教室に通わせたら劇的に良くなった。集団教育の効果を目のあたりにした私は、親が行う教育の限界を知ってしまった。人間は、大勢の先輩がいるところに放り込まれると、自分の我が儘が押さえ込まれてしまうらしい。でも親だと甘えてしまって、どうしても我が儘になる。それを身をもって体験した私は、息子が小学校に入学したときに
「スケート部への入部案内」
のパンフレットを頂いたときに即座に息子を入部させようと決断しましたが、嫁さんは大反対。嫁さんは、息子にピアノを習わせたがっていました。その嫁さんも今ではスケート部に入れて良かったと思っています。社会性が身についたからです。

 普通の子供なら難なく手に入れられる社会性が、うちの息子には欠けていた。
 その欠けた部分を親が教育しようとしても、難しかった。
 私がどんなに厳しく育てても、なかなか社会性は身につかなかった。
 なのに集団の中で上下関係を体験すると劇的に変化した。
 特にうちの息子には効果があった。
 それが、たまたまスケートだったのかもしれないし、
 空手だったのかもしれないけれど、確かに効果があった。

 これは、サッカーでも、野球でも、剣道でも、何でも同じなのかもしれない。個人教育には限界がある。集団教育でないと身につかないものが確実に存在する。ろちろん、世の中には天才がゴロゴロいますから、集団教育が必要ない人だって、大勢いるかもしれませんが、うちの息子に限っては、集団教育が無かったら身につかないものが、確実にありました。

 ここで不思議なことに気が付きました。空手もスケートも個人競技です。野球やサッカーのような集団競技ではないし、チームプレーというものもない。空手もスケートも、自分自身と向き合うスポーツであって孤独な競技なんですよね。孤独な競技なのに、息子の社会性がアップする。ここが不思議なところです。野球やサッカーなら分かるんですが、空手・スケートといった個人競技が、どうして息子の社会性を伸ばすのかが不思議といえば不思議です。

 考えてみたら、陸上部だって、他の武道だって、何年か修行すれば社会性がアップすることを、誰もが個人的な体験で知ってますよね。例えば履歴書に、柔道初段とか、剣道二段とか書いてあれば、
「この人は、社会性があるんだろうな」
「少々のことならへこたれないんだろうな」
と予測して採用します。どんな武道でも有段者なら、ある程度の社会性があると見なしますし、あるていどは努力する人だと予測しますよね。だから黒帯を目指して頑張っている武道家たちが全国に何十万人もいます。


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 そういう意味で段位制度というのは便利な制度だと思います。スキーやスケートならバッチテストが、それにあたるでしょう。お茶や、お花や習字・算盤だって、その道を究めたら評価される。空手やスケートと一緒だと思いますが、いかがでしょうか?

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、うちの息子には何かが足りない。今でも足りない。ただ、空手教室とスケート部を行うことによって、足りないものが、少しずつ改善されつつある。残念ながら空手もスケートも、少しも上手くなっていませんが、足りない部分は、少しずつ改善しつつある。本当に少しずつなんですが、ミリ単位の進歩なんですが、いや、ミクロン単位の進歩なんですが、社会性が身についてきていることは確かです。我慢強くもなっている。

 マイナス10度の寒さの中で、2ヶ月もスケートの練習をして、たったの3秒しかタイムが縮まらないわけですから、そうとう我慢強くないとやっていけない。1秒縮めるために、どれだけ練習するか、どれだけ寒い思いをするか、どれだけマメを作るか、どれだけ擦り傷を作るかを考えたら、我慢大会もいいところです。

 しかし、スケート練習場に行くと、そんな環境下で頑張っている諸先輩がいっぱいいるわけで、まわりが黙々と練習をこなしている。それに影響されて自分も練習しなきゃという空気になるみたいで、その毎日の繰り返しが、我慢強さと、粘り強さを育てるようです。しかし、スケートのタイムはいっこうに縮まらない。

 やがて2月中旬となり、短いスケートシーズンが終わりをつげます。驚くのは、その後におこる「確変」です。シーズンが終わると、陸上の短距離と長距離が早くなる。スケートでは、ちっとも早くならなかったのに、陸上のスピードが速くなっている。恐ろしいほど早くなっている。特に長距離のスピードが速くなっているのですね。これがスケートの恐ろしい副作用です。

 これは息子が1年生の時に発見しました。スケートを始める前の6歳の息子は、200メートル走るのに70秒もかかっていた。それが、たったの2ヶ月スケートをやったら55秒で走れるようになっていた。たった2ヶ月で15秒も短くなっていた。2年生の時も同じで、足が速くなっていた。スケートのタイムは縮まらないけれど、200メートル走のタイムは縮まる。もちろんマラソンならもっとタイムが縮まっている。だけど不思議なことに50メートル走のタイムは縮まらない。ここが面白いところです。

 あと、苦手だった縄跳びもできるようになる。縄跳びとスケートに、どういう因果関係があるのかわかりませんが、10回も跳べなかった縄跳びを100回・200回・300回と跳べるようになってくる。不思議と言えば不思議です。もっと不思議なのが自転車。何も練習しなくても乗れるようになったのは、どういう理屈があるのだろうか? 一番驚いたのは片足立ち。10秒も立ってられなかったのが、5分くらい平気で立てるようになるのは何故か? 全く恐ろしい副作用です。

 もう一つの副作用は、風邪をひかなくなることですね。
 全くもって風邪をひかない。
 まあ、あれだけの我慢大会を毎日つづけるわけですから、風邪を引きようがないですね。

 話が大きくそれました。
 嬬恋村東部小学校スケート部の保護者会の話です。

 去年は、10人も新入部員が入部したわけですが、今年は何人の1年生が入部したのだろうかと、スケート部の保護者会の会議に出席したのですが、今年は、たったの2名だけでした。新型コロナウイルスで、今までスケート部の活動ができなかったのが、影響したのか、入部者が少なかったのは残念ですが、もともと嬬恋村東部小学校の子供たちは、スケートをやらない子供たちばかりなので、人数的には、そういうものなのかもしれません。願わくば、今年の冬こそ、新型コロナウイルスが終息してくれるとありがたい。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:55| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする