感想を一言でいうと、長野原町らしい博物館を作ったなという感想です。
以前は、浅間園に火山博物館を作っていたのですが、長野原町は、これを閉鎖してしまいました。あの施設は、バブル時代の遺産で、何十台という観光バスをあてにした、パックツアー目当ての施設でしたが、やんば天明泥流ミュージアムの方は、身の丈にあったこじんまりとした施設です。ただし、お金はかかっています。ダムと引き替えに、国交省の潤沢な予算による超豪華な博物館を作ってしまった。
浅間園の火山博物館は、火山博物館とは名ばかりで、きちんとした学芸員の配備も火山に関する研究活動もありませんでしたが、やんば天明泥流ミュージアムには、数十年にわたる埋蔵文化センターが、コツコツと調査して積み上げてきたものを土台に作り上げているために、かなり出来の良い博物館になっています。みる価値のある博物館です。嬬恋村にも嬬恋郷土資料館がありますが、レベルからしたら、こっちの方が上です。
とはいうももの嬬恋郷土資料館が、悪いというわけでは無く、嬬恋郷土資料館が完成した時期において、全国屈指の素晴らしい博物館だったのですが、上映されているビデオが短縮されたり、ラビットさんのキャベツ料理コーナーがいつのまにか無くなってしまったり、名物館長がいなくなったり、途中から館内の写真撮影が禁止されるなど、改悪が続いて先細りしてきています。
それに対して、やんば天明泥流ミュージアムの凄さといったらないです。
まず、全館写真撮影が出来ます。
ビデオ上映も、すごく予算をかけて作っている。
展示物は、嬬恋郷土資料館とそれほど大差はないですが、それをきちんと解説できる学芸員がいることが強みになっている。なにしろ何十年にわたる埋蔵文化センターの調査の積み重ねが凄い。
私は、その埋蔵文化センターに二十年も前から何度もお邪魔した者ですが、発掘で忙しい中、時間をさいて解説してくれた研究者の皆さんには、いくら感謝してもしきれません。特に関先生には、何度も解説でお世話になりました。他の諸先生方にも、忙しいなか、親切に解説していただきました。それらの先生方は、中学校の先生に戻ってしまったりして、いろいろ移動でバラバラになってしまい、今は、どこにおられるのかさっぱり分かりませんが、きっと色々な場所で、活躍されていることと思います。
それはともかく、八ッ場ダムによって、吾妻側流域に大量の予算がおりて、何十年にわたる埋蔵文化センターの発掘が行われてきました。そして、今まで分からなかった天明噴火の謎と、当時の農民たちの裕福な暮らしがわかってきています。これは嬬恋村の鎌原発掘のときの埋蔵文化資料とあわせても整合性がとれてきています。つまり嬬恋郷土資料館とやんば天明泥流ミュージアムの両方の埋蔵文化資料が繋がったわけです。で、江戸時代の平民たちが、ことのほか裕福な暮らしをしていたことがわかってきました。
それについては、何回かにわけて詳しく解説してみたいと思います。
つづく。
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