下駄屋さんもありました。靴屋でなく下駄屋です。下駄屋でないと下駄の歯を取り替えられないからです。下駄は長いこと使っていると、短くなってきますから、歯を交換する必要があります。下駄屋にもっていくと交換してくれます。つまり靴より長持ちしました。昔の靴は、いまの靴より耐久性がないためにすぐにダメになってしまいますが、下駄なら長持ちした。おまけにフリーサイズなので、小学1年から6年までつかえる。雨の日の水たまりでも平気で歩ける。そして時として武器にもなった。
けれど、さすがに学校に下駄を履いていくと、先生に注意されましたけれど。で、「下駄なんか履いてきてはだめじゃないか!」と言われると、「じゃあ、先生、どうして下駄箱っていうのさ!」と口答えしたものです。
でも、昭和50年頃から下駄は、どんどん廃れていきました。気が付いたら誰も履かなくなっていた。私も履かなくなっていた。必ず靴下を履くようになったからです。いつのまにか裸足でいることが、マナー違反のような空気ができてきていた。下駄で友人の家に遊びに行けなくなった。靴下を履いてないと、よその家にあがりにくくなった。こうして下駄と下駄屋が無くなっていった。下駄屋の息子の友人がいたけれど、そこの親父さんが急に出稼ぎするようになったりした。そして下駄屋は無くなってしまった。
代わりに昭和50年頃から流行りだしたのが「ソックタッチ」というスティック糊みたいなもの。みんなが靴下を履くようになると、靴下がずれ落ちるのが気になってきた。当時の靴下は、良くずれ落ちたので、「ソックタッチ」というスティック糊みたいなもので、靴下のズレオチを防ぐ女の子が増えてきた。
下駄箱のある玄関から入ると、大きな広間があります。天井板が無く柱がむき出しになっている。で、よくみるとトラス構造でできている。トラス構造というのは三角形を単位とした構造骨組の一種で、変形しにくい構造で大空間や橋の架構に用いられています。だから昔の小学校は、たいていトラス構造でできていました。これだと雪にも風にも強い。そのうえ柱も少なくてすむ。
で、昔の在校生が作った学校史の年表が貼ってありました。
興味深いのは、この部分です。
昭和28年電話が入る。
昭和29年放送設備が出来る。
かなり遅いですね。室戸台風以来、多くの小学校が戦前から電話や放送設備をもっていたことを考えるとかなり遅い。それだけ災害と縁が無かったのか? 学校の規模が小さすぎて必要なかったのか? それとも別の理由があったのか?
昔の教務室の写真ですね。
壁に緊急時連絡網が張ってある。
今と違って、昔は緊急時連絡がたいへんで、
災害のときなんか、すごく苦労されたと思います。
ちなみに佐渡島で電話が普及したのが昭和40年頃で、一斉に自衛隊に勤める人の家から電話が設置されました。伊勢湾台風(死者5,098人・負傷者3万8,921人)による自衛隊の緊急出動と関係があると思われます。
友人宅でも農家の家に電話は設置されてなかった。最初は、父親が自衛隊の家だけに普及した。私が育った町には自衛隊の基地があった。だから、いざというときに出動命令が出せるから、自衛隊員の家に電話が一斉に普及したのだと思います。で、それをみた近所の人たちが、電話が便利だということに気が付くと、いろんな家庭で電話が設置されていった。
すると、子供の遊び場だった電話局の広場に、巨大なボビンのようなものが、ズラリと並んだ。おそらく電話ケーブルが巻いてあったんだと思う。一斉に電話が普及することによって、電話局の広場に、巨大ボビンが大量に出現したのだと思います。その巨大ボビンを玉乗りするように遊ぶのが子供たちの間で流行しました。こうして電話普及の結果、緊急時連絡が電話でできるようになり、災害時における死者が激減していったのだと推測できます。だから伊勢湾台風が、電話普及の起爆剤になったのだと思います。
廊下に欄間とは珍しい。そもそも欄間のある家屋敷は、武家かそれに準じる家屋敷くらいのもので、昔の農家には欄間はなかった。なのに欄間があるということは、よほど採光に熱心な地域だったのだろうか? ちなみに武家屋敷には、多数の欄間があって部屋をいくらでも区切れるようにしてあった。三十畳の大広間でも六畳六室に区切れた。そして欄間で採光していた。その理由には、刀を上段に振れなくするというものがありました。
あと木造校舎の廊下には、いろんなところに穴があいていた。節のある木材を使っていたために、節の処から穴が空いたからです。掃除の時に子供たちは、その穴にゴミをよく捨てていたので、廊下の下はゴミだらけだったと思う。あと廊下を雑巾がけをしたわけだけれど、あれは足腰の訓練になったと思う。ワックスがけはやってない。だから昔の木造校舎の廊下は、木の年輪がよくみえた。
石油ストーブですね。石油ストーブは、かならず廊下近くにあって、そこから長く煙突が窓に向かって伸びていた。断熱効果をたかめるためだったのでしょう。で、思い出すのが、ストーブのそばの席の子供たちは、すごく暑がって服を脱いで、下敷きを内輪代わりにあおいでいたけれど、窓側で、しかも後ろの席の子たちは、寒さでガタガタ震えていた。
懐かしい机。むかしは、こんな机で、板をめくって机から教科書を出したものです。これだとカンニングが絶対に出来ないし、机の板を交換するだけで、机が新しくなった。昔の子供たちは、机に落書きしたり、彫刻刀で机を彫ったりしたので、こういう机にすると、机の板を交換するだけで新品になる。すぐれものの机でした。いつのまにか無くなってしまいましたけれど。
給食の器具ですね。こういうものは全国共通なんですかね? 佐渡島でも似たようなものを使っていました。ちなみに50年以上も昔は、給食センターなるものがなくて、各学校で給食を作っていました。だから、けっこう熱々のものが食べられました。4時間目になると授業なんかきいてなくて、ガリ版で書かれた給食メニュー表をながめていました。
なつかしい。こういうもので勉強しました。昔あって、今の学校で滅びたのが石綿。アスベスト(石綿)に発がん性があることが問題となって、使用が禁止されました。写真に写っている器具で勉強をしたものです。
石炭ストーブがあった。群馬では石油ストーブになる前は、石炭ストーブだったんですね。佐渡島では薪ストーブでした。薪ストーブだから薪当番というものがあって、毎朝、用務員室に行って薪を受け取ってこなければならなかった。で、薪ストーブだから、都会からやってきた新米の先生には、火をつけることができなくて、小学校の1年生が、かわりに着火してたりしてた。今思うと凄いことなんだけれど、昭和40年頃の小学生の3割くらいは、火をおこせた。薪で風呂を沸かす家が多かったから。あと不思議なことに薪ストーブなのに火吹き棒が、学校に無かった。火吹き棒が無いのに、どうやって火をおこしたのか不思議でならない。
で、学校には用務員さんが住んでいた。用務員さんの仕事の半分は、冬に使う薪のための薪割りだった。そのうち石油ストーブになるわけですが、石油ストーブになると、いつのまにか用務員さんがいなくなっていた。私は、その後、佐渡島を出て、新潟の高校にいくわけですが、新潟の学校では、ガスストーブだったのに驚愕した。新潟では、石油もでるし、天然ガスもでると聞いて、さらに驚いたものです。
で、そこに北海道から来た生徒がいて、別の意味でガスストーブに驚いていた。当時、北海道は石炭ストーブだったらしくて、石炭ストーブは火力が強くて暖かいらしく、ガスストーブの火力の弱さに衝撃をうけていた。私にしてみたら「ガスストーブは火力弱くないぞ」と思っていたけれど、石炭ストーブ体験者にとっては違うらしい。
柱時計。若い人には想像もつかないでしょうけれど、昔の小学校には、黒板係・保険係・生き物係・給食係などの他に『時計係』というものがあった。これは柱時計のゼンマイのネジを巻く係で、毎日ゼンマイのネジを巻かないと時計が止まってしまうのです。でもゼンマイ式の柱時計は、いつのまにか無くなっていた。
これは1964年の東京オリンピックの聖火トーチらしいです。
初めて見ました。
このあたりを聖火が走ったんですね。
佐渡島は、今も昔も走ってなかったと思う。
他にも、いろいろ懐かしいものがたくさんありましたが、きりがないので、このくらいでやめときます。
話は、変わりますが、息子がスタディサプリの算数で、式の計算をやってて驚きました。いまの小学校では、4年生ぐらいで式の計算をやるんですね。私の頃は、中学1年生で習っていますから、すごく難しくなっている。ローマ字は、小学3年の1学期の最初の頃に習っているけど、これも早くないですか? ゆとり教育の反動でしょうけれど、みんな、ついていけるのかなあ? 嬬恋村の子供たちは、みんな頭がよいので大丈夫だと思うけれど、他の地域では大丈夫なんだろうか?
少子化で、いくつもの学校が統合されて、スクールバスに乗っている時間が多くなって、子供を拘束時間が長くなっている。空手などの習いごとをしたら、それこそ宿題する時間もなくなる。朝6時に起きて準備しないと学校に間に合わないので、夜9時には寝かせないといけない。少子化で学校が統合され、スクールバスで長距離移動すると言うことは、そういうことになる。つまり、団塊時代の昭和の学校とは、全く違う子供たちの生活様式になっいる。
ただし、昭和の子供たちと違うところは週休2日制度がある。土日が休みであることが、本当にありがたい。土日が休みであるために、なんとか息子に遊びと勉強を提供できる。つまり少子化には、土日が休みが絶対に必要だったわけで、ゆとり教育を止めても、土日が休みの制度を続けたのは英断だったと思います。
つづく。
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