2021年07月12日

やんば天明泥流ミュージアムに行ってきた【4】

 やんば天明泥流ミュージアムを見学してみて第一に思った感想は、大昔の嬬恋郷土資料館みたいだという感想で、なんだか懐かしい気分になりました。やんば天明泥流ミュージアムは、20年前の嬬恋郷土資料館の雰囲気に似ていたからです。

 やんば天明泥流ミュージアムの売りは、最初に見させられるビデオ上映会です。この上映が、その後に見学する展示物に対する伏線になります。これは、昔の嬬恋郷土資料館でも同じで、まずビデオ上映をみてから展示物をみることで感動が数倍になる仕組みがありましたので、この感じが懐かしいなあ・・・と思った次第です。


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 私が嬬恋村に引っ越してきたのは、 今から20年前ですが、その頃乗っ嬬恋郷土資料館には、鎌原観音堂をはじめとする鎌原地区を嬬恋高校の生徒さんと一緒に発掘した、元嬬恋高校の教師である松島先生が館長でした。 鎌原を発掘した本人が館長だった 。

 その上嬬恋郷土資料館は、農林省の補助金によって作られていました。 だから嬬恋郷土資料館には、キャベツに関する展示と、キャベツ料理のレシピを説明する『ラビットさんのキャベツ料理劇場』と言うロボット人形が展示されていました。とはいうものの、別に関する展示は、ほんの少しで、資料館の展示の9割は鎌原村の発掘による出土品でした。 農林省の補助金で、埋蔵文化遺産の資料館を作ってしまったわけです。

 だから当時の嬬恋村の担当者は、ビクビクしながら農林省の役人の人たちの反応を見ていたと言います。幸いなことに農林省のお役人さん達は
「立派なものを作ってくれてありがとうございます」
と、嬬恋郷土資料館を絶賛したといいます。

 ちなみに、嬬恋郷土資料館は、やんば天明泥流ミュージアムのように「博物館」をうたっていません。あくまでも郷土資料館です。一応名目上は、農産物であるキャベツに関する展示をするための資料館であったわけです。本来なら博物館といってもいいはずなのに、内容的には博物館のレベルだったのに、誕生の仕方が特殊だったために郷土資料館でないといけなかった。とはいうものの、レベルは高かったと思います。何しろ発掘した張本人が郷土資料館の館長だったわけですから、これほど強い話はありません。

 それはともかくとして、昔の嬬恋郷土資料館には、素晴らしいビデオフィルムがありました。現在でも上映していると思いますが、10年ぐらい前から上映ビデオは、半分に短縮されています。では半分に短縮される前の作品は、どういう作品だったかと言うと、フーテンの寅さんで有名な 柴又帝釈天の画像から始まります。天明時代に隅田川に大量の死体が流れ着いた。 それを柴又帝釈天の住職が丁重に葬ったことかからビデオは始まります。

 ここで嬬恋村と柴又帝釈天に一体何の関係があるんだろうか?と視聴者は驚いてしまうわけです。その謎解きを天明3年の浅間山の爆発を解説することによって教えてくれるわけですが、そのさいに信じがたい大自然の驚異を説明してくれます

 溶岩が増水された我妻川の水流と一緒にプカプカ浮いて遠くは渋川の方まで流されてしまうことを解説してくれるわけですが、それらの溶岩の塊の痕跡を吾妻川沿岸に大量に残されていることをビデオで説明してくれました。これでもか、これでもか、という数を紹介してくれたのです。当時の私は

「重い巨大な溶岩が、川にプカプカ浮かんで流される?」
「そんなバカな?」

と驚き衝撃をうけました。これは凄いと思った私は、興奮しながら御客さんに嬬恋郷土資料館の見学をすすめ、私の予想通り、御客さんの反応は良かった。当時は写真撮影が自由だったので、それも含めて観光客による評判がよかった。
 で、館長の松島先生と面識をえて、いろいろ教えて頂くようになると、さらに凄いことがいろいろわかってくる。当時の発掘の様子や、発掘の結果わかったことや、噴火の謎なんかも教えてもらいました。その中でも印象的だったのは、
「天明の噴火の古文書を見る限り、火口からマグマが出てくる記録がひとつもない。けれど溶岩は確実に存在する。この謎が現在までわかっていない」
という松山先生のお話です。 この謎は、 現在では解明されていて、浅間山の溶岩は火成溶岩。つまり空から降ってきた溶岩。だから鬼押出し園の溶岩は、天に向いているという説が主流になっています。つまり火口からマグマは流れてない。

 まあ、そんな話はどうでもいいんですが、この松島先生は、非常に博学な方で、嬬恋村の隅から隅まで調査されていて、色々おしえて頂くことが多かった。鬼押出し園から大笹村へのパイプラインとか、キャベツ畑から縄文土器をひろうとか、古文書の読書会もやった。この先生は、鎌原村を散歩しながら、驚くような村の遺産を見つけている。そして鎌原村風土博物館構想を企画し、村全体を風土博物館として保存すべきと言っていた。とにかく凄い先生だった。

 私は、浅間山ミュージアムの企画として、松島先生を招いて鹿沢休暇村で縄文土器を作ったりしましたが、その体験が本当に面白かったので、いつか嬬恋村の小学生を集めて縄文土器製作プロジェクトを始めようかという話があったんですが、村の方針で郷土資料館を辞任することになってしまい、縄文土器製作プロジェクトも立ち消えになってしまいました。





 嬬恋村から松島先生がいなくなったのは、私にとっては非常に残念なことでした。仕方がないので、土屋文明記念館で北軽井沢をテーマとする展示があったときに、その関係者の一人として、 松島先生に講演をお願いしたりしました。その時残念ながら私は、土屋文明記念館のイベントとして草軽鉄道の廃線跡を案内するために 参加できませんでしたが、松島先生の講演は非常に好評だったと聞いています。あれから十年以上経っていますが、先生はお元気にされているのでしょうか?

 現在の嬬恋郷土資料館は、発掘に携わった人もいないし、 ビデオも短縮されてしまったし、館内は撮影禁止になっているし、キャベツレシピ劇場も機械が動かないみたいなので、以前とはだだいぶちがっています。つくづく残念に思っていたのですが、やんば天明泥流ミュージアムを見学してみて、昔の嬬恋郷土資料館のような熱気を感じて、少しばかり嬉しくなってきました。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:40| Comment(0) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする