その子とは、小さい頃から仲良しで、空手教室、スケート部、マラソンと、いろいろ面倒をみてもらっていた。特に6歳くらいまでは、息子の成長が遅くて、会話能力が乏しかったこともあって、保護者のように、なにかと面倒をみてもらっていた女の子が、いきなり転校することに決まって、明日には引っ越しするという。息子にしてみたら、さぞかしショックだったことでしょう。
引っ込み思案の息子を、休み時間にマラソンにさそってくれたり、ドッチボールにさそってくれたり、楽しく遊んでもらったりで、そういうサポートを毎日してくれたおかげで、息子は運動も出来るようになったし、みんなと一緒に遊べるようになった。息子には、そういう面倒見の良い女の子が、同級生にいたことで、対人スキルをしっかり学べた。そういう幸運が息子にあった。本当に友人に恵まれていたと思います。
そういえば、群馬県のチベットたる嬬恋村には、転校生がおおいですね。入学以来3人が転校してきて、1人が転校でいなくなるというのは、多くないですかね? それにしても観光関係(ホテル関係)の転校生とか、新型コロナウイルスからの避難する意味で転校してきた子とか、いろんなタイプの転校・転勤がありました。こんな僻地に転校なんかあるのか?と思いましたが、けっこうあるんですね。
関係ないですけれど、嬬恋村には双子が、やたら多いですね。各学年に1組はいる。私が子供の頃は、まず双子にお目にかかれなかった。
宿屋をやっていると双子の兄弟姉妹が泊まりに来ることがよくあります。現代では圧倒的に多い双子さんも、昔は少なかった。それでも何年も宿屋をやっていると、昭和1桁生まれの双子の兄弟姉妹が、泊まりにくることがあります。実は、戦前において双子は非常に珍しい存在でした。ましてや昭和1桁生まれの双子は特別天然記念物といっても間違いないぐらい珍しい存在です。
どうして珍しいかというと、昔は畜生腹と言って、双子が生まれると1人を殺してしまうことがあったそうです。それが可能なのは、子供を取り上げるのが、昔は産婆さんだったからです。産婆さんにいくらか包むと事故死に来てもらえたそうです。双子が生まれるときは、 1人だけ大きく生まれ、 1人だけ小さく生まれます。小さく生まれた方が事故死になったらしい。誤解のないように付け加えておきますが、これは江戸時代の話ではありません。昭和の話です。もちろん珍しい出来事だったでしょうが、ありえない話ではなかったようです。そうでなくても、 1人を養子に出す事はよくあったそうです。
どうしてこんなことを知っているかというと、双子の兄弟姉妹のお客さんと、何度も何度もお話をしているからです。そのお客さんが、非常に嬉しかったと言っていたのは、双子の歌手であるザ・ピーナツが登場した時だったそうです。ザ・ピーナツが出てくるまでは、双子にとっては非常に肩身が狭かったらしい。特に昭和1桁の双子の兄弟にとっては、言葉で言い表せないぐらいに、いろいろなことがあっただけに、ザ・ピーナツのレコードが売れて人気が爆発することが嬉しかったようです。今じゃ双子は少しも珍しくありません。うちのお客さんには三つ子の兄弟もいました。三つ子の兄弟にアニメ『タッチ』から名前を取っていたケースもありました。
つづく。
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