「あのな、テストと違って通知表には、間違えた所が書いてないだろ? テストには間違えたところが書いてある。だから100点をとってないテストは宝物なんだよ」
と、何度も言うのですが、どうも息子は理解できないでいる。100点をとると100円のこづかいをあげるためかもしれないけれど、80点のテストの方が、宝物であることが、どうしても分からないでいる。もちろん80点をとってきたら、間違えたところを徹底的に学習させるので、それを嫌がる息子は、できるだけ間違わないように勉強するわけだが、そのために80点より、100点の方が良いと信じ込んでいる。しかし、その100点は、たまたま知ってる問題が出ただけで、本当の実力は60点かもしれないのだ。
これは、6月に漢字検定8級の試験を受けさせてみて気が付いた。漢字検定8級というのは、小学3年生の漢字全部が試験対象なのですが、試験1ヶ月前(5月)の模擬試験で、ほぼ満点をとれるようになり安心していたら、2週間後にやった模擬試験で正解率8割の不合格レベルまで落ちてしまっていた。やはり試験は水物。ヤマが当たったり、外れたりするし、継続した勉強をしてなければ、すぐに漢字を忘れてしまう。
これは算数にしても同じ事で、息子は小学1年生の時に100マス計算を3分くらいでやってのけ、指を使わずに足し算・引き算ができたのだが、小学3年になって、100マス計算をやらせてみたら10分もかかっていた。指を使わないと計算できなくなっていた。
「あれ? 変だな?」
と思って息子の教科書をじっくりと見てみたら、私が子供の頃の算数の教科書と違っていた。練習問題が、ほとんど無い。言っておくが、教科書のレベルは、私が子供の頃(昭和40年代)より難しくなっている。今の方が難しい。4年生で式の計算をさせるぐらいだから、今の方が圧倒的に難しい。難しいけれど、練習問題が教科書から激減している。そのせいか、うっかりしていると、計算力がガックリと落ちてしまう。いくら難しいことを覚えても、肝心な計算能力がダメになっては意味が無い。
だから3年生にもなって、もう一回、100マス計算をさせました。で、毎日1回づつ100マス計算をさせて、30日くらいすると、やっと3分を切るようになり、小学校1年当時の計算能力に戻ったわけですが、昭和時代の算数のつもりで息子の勉強をみていたら、とんでもない失敗をやらかしてしまいました。令和時代の算数は、昭和のスタイルとちょっと違うようです。
「昔より難しいことは教えるけれど、計算は各自でやってね」
というわけです。
話がそれました。
通知表のことです。
群馬県の通知表は、3段階評定で、そのうえ絶対評価になっている。偏差値(相対評価)で通知表をつけなくなっている。それなら、わざわざ通知表を見なくても、親の私が一番息子の学力は分かっている。偏差値(相対評価)で評価されてないなら、見る意味もすくないと思っていた。少なくとも3段階評価よりは、息子の学力を把握しているつもりだったので、通知表のことは、すっかり忘れていたのだが、息子が怒り気味で「通知表は見ないの?」と言ってきたので、あらためて見てみたら、ちょっと面白かった。
息子は、社会が好きなようで、授業中に興味をもって勉強しているのは、社会だけだった。他の科目は全て、勉強はできるが、「興味をもって取り組んでいる」というところが、〇になっている。他は、ぜんぶ◎なのだが、これって授業態度が悪いということなのだろうか? きっと真面目に授業をうけてないのだと思う。まあ、△がないだけマシなのだが、今の通知表は昔と違って相対評価(偏差値)では無く、絶対評価(得点)なので油断できない。嬬恋村の子供たちは学力が高いからだ。
8年前に息子が生まれたとき、今まで私とろくに会話しなかった観光協会メンバーが、とつぜん近寄ってきた。みんなお子さんのいる観光関係者で、子供が生まれたということで、急に近づいてきて仲良くなり、子供の教育に関する会話をするようになった。そういう話はありがたいので、いろいろ教えてもらったりするうちに、とんでもないことに気が付いた。みんなお子さんが、とんでもない超有校に入学しているのである。
寮に入っている子もいれば、前橋にアパートを借りて、兄弟姉妹で越境入学している人もいた。で、奥さんは前橋に住んでいて子供たちの世話をやき、ペンションが忙しい週末だけ嬬恋村に帰ってくるという人もいた。車で1時間かかる佐久まで毎日送迎している親御さんもいた。長野県で一番偏差値の高い中高一貫の私立学校に毎日送迎しているのだ。たかだか40人しかいないのに、そのうち二人が長野県でもっとも偏差値の高い高校に入学したこともあったし、そのうちの一人はトップ合格だった。
残念ながら、うちには、そんなことしてやれるゆとりは無い。親としては、自転車で通える距離の、一番近くにある嬬恋高校に入ってもらいたいので、それまで嬬恋高校が廃校にならずに存続していることを祈るばかりです。
その嬬恋高校だが、情報発信がすごい。YouTube・Facebookなどで、どんどん情報発信いている。みんな顔出しで、生徒自らガンガン画像を拡散している。素晴らしい試みだと思うし、学校側のやる気も伝わってくる。だから積極的に『いいねボタン』を押している。
話は変わりますが、今日は親子3人で軽井沢に行って離山に登山してきました。私は、夏の離山が大好きで軽井沢に買い物にいくときは、たいてい離山に登っています。今日は、頂上で子供たちの遠足の下見をしにきた先生たちとバッタリ会って、熊やカモシカについて情報交換しました。きっと近いうちに軽井沢の子供たちが離山で遊ぶ姿が見えることでしょう。
話を戻します。
嬬恋村から離山に行く途中に軽井沢中学があります。子供たちの多い軽井沢らしい豪華な建物の中学校です。グランドも豪華で、その充実した施設が羨ましいかぎりなのですが、その前を通るたびに見かけるのは、いくつもある「撮影禁止」の巨大看板です。建物さえも撮影禁止している、あの看板をみるたびに思い出すのが、生徒数が少ない嬬恋高校の赤裸々な情報発信。浅間山の北側と南側で、こんなにも違うところが何とも面白い。軽井沢には少子化の問題はないんだろうな。
そして、嬬恋村と長野原町。やんば天明泥流ミュージアムとか、丸岩とか、八ッ場ふるさと公園なんかを見学して思ったことは、『金かかってるなあ』という感想。長野原町は裕福だなあと思ってしまう。ダムの固定資産税のおかげか、いろいろ余裕を感じます。町の一部を水没させたわけですから、その代償として得たものも少なくなかったと思いました。町に余裕を感じてしまう。
逆に嬬恋村は、ちょっと必死な感じがする。観光資源に恵まれているし、農地にも恵まれていることは確かなんだけれど、それを100パーセント生かし切ろうと、観光資源を骨の髄までしゃぶり尽くそうとしている必死さを感じてしまう。新型コロナウイルスで、みんな余裕が無くなっていている気がする。みんな生き残りに必死なんでしょうね。軽井沢・嬬恋村・長野原町。みんなそれぞれ違う道をすすんでますね。
つづく。
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