まあ、分からないでもない。私も子供の頃は、ラジオで勉強したいと言って、ラジオを買ってもらって、NHKラジオの基礎英語をきいていましたから。しかし、真面目に聞いていたのは、3ヶ月くらいで、すぐにもっと面白い番組を聴くようになったし、海外の短波放送を聞いて、ベリカードを集めたりしました。
ベリカードと言っても、40歳以下の人たちらには、分からないだろうなあ。ベリカードというのは、電波がどこまで届いているかを調べるために発行しているカードで、受信報告書を郵送すると、御礼にカードが届くのですが、エクアドル日本語放送とか、サハリン放送とか、聞いたことのない地名の放送局からカードが届いて、これが当時の子供たちの宝物だったりしました。
ちなみに昭和時代の子供たちは、ラジオを自分で組み立てていました。僻地の子供ほどラジオを組み立てていた。なにしろテレビの電波が届かないし、当時は、テレビは一家に1台しかテレビが無かったので、子供が小遣いで買える電子機器は、組み立てラジオしかなかった。安いものは、昭和47年当時の物価で700円くらい。ちょっといいものになると1000円。デパートで買う人が多かった。
私は、佐渡島出身ですが、佐渡島だと小学生の修学旅行は新潟市になります。佐渡島から船に乗って新潟港につくと、修学旅行の子供たちは、新潟市にあるデパートで買い物をするのが定番です。そこには、当時の佐渡島には存在しない、エスカレーター・エレベーターがあります。みんな
「これが噂のエスカレーターか!」
と崖から飛び降りるくらいの勇気を振り絞ってエスカレーター体験をします。
デパートには、いろんな小学校から、修学旅行の子供たちがきています。私の住んでるところは、佐渡島でも都会な方なので、お小遣いは1000円までという規則になっています。しかし、佐渡島でも超僻地の小学校になると、お小遣いは2000円だったり、3000円だったりする。学校教師が1000円にしたくても、僻地小学校のPTAが黙ってない。
「一生に一度の島から出る旅行ぐらい、小遣いを持たせていやりたい」
というPTAの圧力に学校側が負けてしまうのだ。だから僻地の小学校になるほど、小遣いが多くて、お大尽様なのである(もちろん道路事情のよくなった現在は、そんなことはない)。
で、佐渡島でも都会のほうに住んでる私の小学校は、小遣い1000円なので、デパートで組み立てラジオを買ったら0円になってしまう。だから買えない。ショーケースを恨めしそうに見るだけなのだ。そこに颯爽と現れる僻地小学校の子供たちは、次々と組み立てラジオのキットを買っていくのである。みんな垂涎の的で見ているしかなかった。
で、修学旅行が終わった数日後、小学校休み時間のベランダで、先生に見つからないように、みんな、こっそりと組み立てラジオを聞いていた子供たちが大勢いた。みんな、小遣い1000円なはずなのに、どういうわけか、組み立てラジオを持っていたのだ。ショーケースを恨めしそうに見ていたはずの子供たちが、どういうわけかラジオを持っていた。それは、あってはならない光景だったのだが、みんな、こっそりとへそくりを持っていて、誰も見てない時を狙って、ダッシュでラジオを買い求めたのである。
ちなみに私も、ラジオを買っていた。というかショーケースを恨めしそうに見ていたら、偶然にもデパートで私の母親に出会って、買ってもらったのだ。母親は、僻地小学校の教師で、その小学校の修学旅行の引率をしていたのである。私が買ってもらったのは、1500円もした。500円も違うと、性能差が大きい。1000円のラジオだと、2石(トランジスタが2個はいっている)ラジオなので、感度はよくない。1500円だと、9石ラジオ(トランジスタが9個はいっている)なので、感度が良い上に短波放送まで聴けた。
パソコンやタブレットで授業する今の小学生にしたら信じがたいくらいにチャチなものだが、昭和47年頃の子供たちにとっては、すごい宝物であった。そしてラジオから、大量の情報を受け取ることになる。インターネットに比較したら微々たるものであるが、ラジオを持っている人と、持ってない人だと、情報量が全く違ってくるのだ。
というのもラジオは、ローカルだからだ。
テレビには、全く出てこない佐渡島のエピソードがラジオには出てくる。
(今だとFacebookをやっているのに似ているかもしれない)
あとラジオは、聞いてる人が、番組をコントロールできる。
テレビより双方向性がある。
大手ラジオ局だと、はがきを出しても採用されないけれど、
ローカル局だと、ものすごい確率で採用される。
電話で出演できる可能生も高かった。
と、ここまで書いて思い出したのが、九州の女性の友人である。彼女は、九州から北海道最北端の稚内に引っ越して、稚内ラジオに投稿したことで、ラジオパーソナリティーになってしまった。最北端の稚内にやってくる九州の女性が珍しがられたのかもしれない。彼女の番組は稚内で人気だったらしい。私も出演したことがあるが、稚内に行って出演したのではなく、富良野から電話で出演した。そうなのだ。ラジオにでるのは、現地でなくてもよかった。どこからでも出演できるのがラジオの面白いところだった。そういう意味で、昭和時代のローカルラジオは、今で言うFacebookみたいなものだったかもしれない。
つづく。
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