2021年09月30日

クマについて【1】

 浅間山の外輪山を縦走すると、眼下に嬬恋平野がよく見えます。とても良い景色なので足を止めてキャベツ畑と林を見るわけですが、あちこちに巨大な太陽光発電が並んでいるのが見えます。太陽光発電による環境破壊によって森はどんどん狭くなっていくようです。下山後、佐久方面に降りていったわけですが、途中いろんな場所が伐採されて、カラ松が植林されていました。これは二度上峠でも一緒で、広葉樹林が伐採されてカラ松が植林されています。そして気になることはツキノワグマなどの野生動物の食料がますます減っていくことです。


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 北軽井沢では、ちょっと散歩をすると栗・どんぐりの実が、あちこちに落っこちていて、森の中にある別荘の屋根に、ぽつんぽつんと木の実の落ちる音がします。散歩すれば、その音がよく聞こえます。森の中に響いてくるわけです。そんな森が、太陽光発電などによって、里山から消えつつあるのは非常に残念なことです。

 話は変わりますが、クマというのは、執着性が非常に激しい。例えば落ちているどんぐりを見つけて食べたとすると、そのどんぐりは自分のものだと思ってしまう。毎日のように、その場所に行ってきてドングリを食べに行きます。それを誰かが取ろうとすると、泥棒だと思って攻撃することもある。春先に山菜を取りに行ったご老人達がクマに襲われるのはそのせいです。クマにしてみたら、自分の所有物を盗まれたということになってしまう。そういう性質がクマにはあるわけで、これが問題となってくるわけです。

 里山がどんどん開発されていて、餌がなくなって畑に降りてきたとする。そして一度そば畑の作物を食べると、その畑の所有権は、そのクマにあると言うことになってしまう。一度そうなってしまったら、非常に危険な状態になります。最初は野菜を食べるくらいで済むのですが、野菜だけで済まなくなってしまう。畑の側を歩く人間までも攻撃される可能性が出てくるわけです。だから絶対にくまたちを畑に近づけてはならない。

 戦前の北海道で人間がヒグマに襲われる事件が何件も起きていますが、当時はヒグマの生態がよく知られてなかったために起きてしまった事件だとも言えます。ヒグマについてよくわかってなかった時代では、畑が荒らされても、腹を立てるぐらいであんまり対策を立ててなかった。畑の次には、民家の軒先に行ってきて、軒先に吊るしてあるトウモロコシを食べたりする。そして、その対策を立ててないと、最後には人間が襲われることになる。だから最初に畑に入った時点で、駆除するべきだったわけで、お互いに不可侵の状況をつくるべきで、それを怠ると大災害が起きてしまう。





 では、一般的によく言われている
「クマは警戒心が強くて臆病だ」
というのは間違いなのかと言うと、間違いではない。

 確かに臆病な動物で警戒心も強い。
 だからこそ人間をよく見ています。
 信じられないくらいに人間のそばで息を殺して私たちを見ている。
 そして人間をよく観察している。
 観察した上で、ゴミを漁ったり、山菜を食べていたりする。
 人間はそれに気がつかないだけだったりする。

 信じられないくらいに人間の近くに生存していて、人間の生態をよく観察していることが分かっています。つまり後天的に学習する動物であるわけです。(だからクマ鈴は危険であることが定説になりつつある。それについては、後述します)

 それだけに個体差が大きくて性格もバラバラで、ツキノワグマはこうだとか、ヒグマはこうだとか、一般的に言えなかったりする。だから余計にクマに対して決めつけた発言はできない。学習能力が高いので、一頭一頭のキャラクターが本当に違っている。つまりクマと人間は、意外にお互い近いところに住んでいる。クマは、それを知っていて、多くの人間たちは、それを知らないだけなのだ。問題は、人間をよくしらない若いオスクマが独り立ちするときである。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:31| Comment(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月29日

go to travel が、再開するかもです。

 今日は観光協会の打ち合わせで宿屋の仲間と色々お話をしてきたんですが、緊急事態宣言解除とともに go to travel が再開するかもしれません。すでに関係者が go to travel に参加する宿に対して、事前調査を行なっているらしく、うちの宿も一週間以内に 関係者が調査に来るらしいです。群馬県の愛郷キャンペーンも 同時に始まる可能性があります。

 ただしいつから go to travel が再開されるのかは、まだ分かっていません。
 もし再開されたら、皆さんは堂々と利用して良いと思います。
 いままで我慢してきた御褒美です。

 ただし、群馬県知事は、草津温泉出身なくせに、非常に慎重な人で、極端にリバウンドを恐れる人なので、 群馬県の go to travel 再開に少しだけマッタをかけるかもしれません。そして、再開後に、少しでも悪化したら、すぐに休止する癖があります。なので、再開したら、思い切りよく、 go to travel で予約することをおすすめします。いずれ冬には、普通に感染爆発すると思いますので、再会した go to travel は、アッという間に中止になる可能性が高いです。





 話を変えます。
 最近の群馬県の感染事情です。

  群馬県に限って言えば、宿泊施設で感染者が出たのは、 たったの一軒だけ。保育・学校等が20軒。福祉施設が36軒。工場・事業所が24軒。病院が12軒のクラスター感染を起こしているのと比較して分かる通り圧倒的に少ないです。油断は禁物ではありますが、 食事の時以外は個室でこもっていられるので、感染症対策を完璧にやっていれば、 感染がしにくいという ことが言えると思います。それでも心配な方は、お弁当スタイルで部屋で食べられるように手配しているところも多いし、うちの宿も希望があればそれを行っています。

 客室には、 全ての部屋に消毒液・ ウイルスに特化した空気清浄機が置いてありますし、チェックアウト後には、紫外線殺菌ライト付きのオゾン発生器で室内を殺菌しています。もちろん換気扇も全室についていますし、バストイレも全室についています。 逆に言うと共同浴場がないので、その辺りでご不満なお客様も多いかもしれませんが、新型コロナウイルスという状況下では、共同浴の リスクも多いと思います。 とはいうものの、今のところ群馬県では、日帰り温泉や共同浴場でクラスター感染が発生していません。あまり神経質になることもないのかもしれません。

 ちなみに本日の群馬県における感染者の数は、たったの9名です。 そのうち6名が家族などからの濃厚接触者に当たりますから、経路不明の感染者はたったの3名になります。まだまだ油断はできませんが、ここのところ一週間はこんな感じです。観光大国の群馬県は関東で一番感染者の少ない県でもあります。

 ただし、これも先のことはわかりません。毎年冬になれば、風邪やインフルエンザが流行してきたわけですし、それを考えたら12月から2月に、もう一度感染爆発することは、想定しておいたほうがいいでしょう。というか、想定するなというのが無理筋です。つまり、go to travel が、再開したとしても、それは一瞬で凍結される可能性が高いと言うことです。

 ただし、ワクチン接種がすすんでいくと、感染しても重症化はしないわけで、最近の群馬県の感染状況をみても、無症状か軽症の人ばかりで、中症の人が一人いるだけです。そういう意味では安心なのかもしれません。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:08| Comment(0) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月27日

インナーシーツ(スリーピングバッグ)持参しないと山小屋に泊まれない?

 北アルプスのとある山小屋にインターネット経由で予約を入れたんですが、山小屋からはインナーシーツ(スリーピングバッグ)を持ってくるように言われました。インナーシーツというのは、薄っぺらな寝袋のようなシーツのことです。大昔のユースホステルで使われていたスリーピングバッグのことです。

 その山小屋には何度も泊まったことはあるのですが、こんなことを言われたのは今回が初めてです。 おそらく新型コロナウイルス対策だと思われます。 重いし面倒くさいし 、そもそもそんなものを持ってないので購入しなければいけないので、山小屋を変えようかと夫婦で相談したのですが、よくよく考えてみたら、これからの傾向として、インナーシーツ持参しないと泊めてくれない流れになってしまうかもしれないと考えを改め、軽めのインナーシーツを購入して泊まることとし、山小屋の変更はしないことにしました。めんどくさい世の中になったものです。





 ちなみにその山小屋は、山小屋の中では最も設備の良いと知られる山小屋で有名なところで、本社は有名な温泉旅館です。温泉旅館から山小屋までリフトがあって、 それで山小屋で使う食料などの荷物を運ぶために、昔から設備が良いことで有名な山小屋でした。そんな山小屋でも、新型コロナで大きな変化が起きたわけですから今後、山小屋が、どのように変化していくのか怖くもあります。

  実は山小屋に限らず、いろいろな宿泊施設で変化せざるを得ない状況に陥っています。うちの宿にしても、元々はアットホームで売ってきた宿で、お客さんと積極的に 触れ合ってきたのですが、新型コロナ以降はそういうことも控えるようになっています。

 近所にある大きなホテルは、稼働率をかなり下げて運営をしていました。経営悪化によってアルバイトなどの人員を減らしたために、混雑期にお客様を満室になるまで入れることができなかったからです。そのホテルは夏になると温泉の前で縁日のような賑わいを見せていたんですが、そういう光景も新型コロナ以降、見ることができなくなってしまいました。





 話は変わりますが、 来月になったら緊急事態宣言が解除されて、 go to travel が復活するんではないかという質問がお客様から聞かれたりしますが、正直言ってこればかりは分かりません。そういう情報は全く入ってこない。悲観的な見方をすると go to travel は、実行されないのではないかと推測しています。というのも、 go to travel が中止になったために使い切れなくなった予算を、新型コロナ対策として使った費用の半額を補助する政策になっているからです。

 その政策が立案され 決定されると、色々な所から補助金対象ですよという売り込パンフレットが届くようになりました。 富士フイルムさんなんかは、一番早くからパンフレットを届けてくれました。他の会社も、 感染対策商品のパンフレットをガンガン送ってきていますが、価格が高すぎて買えるものがない。

 そのうえうちの宿では、かなり早くから感染対策商品を買いあさっていたので、補助金を使って購入できるものはほとんどない上に、そういうものは楽天ポイントで購入したために、補助金対象外となってしまっていたので、あまり旨味はありませんでした。

 それから補助金というやつも、宿屋としては、あまり美味しいものではない。補助金は雑収入として経費計上されます。つまり、お客さんが入ってないのに収入があることになる。当然のことながらそのぶんの税金もかかるわけで、 あまり嬉しいものでもない。そのくせ補助は半額だけ。で、新型コロナウイルスが無ければ買う必要のなかったものばかり。なので補助金はありがたくない。むしろ go to travel で御客さんが入ったうえで収入があった方がいい。

  お客さんを喜ばせて頂いたお金なら、口コミとして次に繋がるわけですが、補助金で収入があっても、次には繋がらない。その上、仕入れ金額が減っているために、見かけ上の売り上げはあるという状態 。はっきり言って嬉しくない。できれば、実際にお客さんに泊まって もらった上で利益を上げた方がいいに決まっている。

 話がそれました。
 
 それにしても、スリーピングバッグ(インナーシーツ)が復活する世の中になるとはねえ。本当に驚いてしまった。昔は、日本ユースホステル協会で売ってたけれど、さすがに今のユースホステル協会では、スリーピングバッグ(インナーシーツ)なんか売ってないだろうなあ。自作するべきか、それともネットでで買うべきか・・・。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:44| Comment(0) | 登山関係の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月26日

北軽井沢の10月

 9月も終わりですね。北軽井沢も10月となれば、本格的に秋を迎えます。標高によっても違いますが、例年ですと、北軽井沢の紅葉のピークは10月10日ぐらいです。もうちょっと標高の高いところは、すでにもう色づいています。ということで、秋の北軽井沢に来られるお客様に、いろいろな注意点を申し上げておきたいと思います。

 まず、 10月の北軽井沢は寒いです。東京でいえば、 11月の気候に匹敵します。とはいうものの、今のところ今年は暖かくて、今日も温暖な気候のままです。ただ、急激に寒くなったり暖かくなったりしますので、油断してはなりません。要注意です。


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(中軽井沢/例年だと10月の中旬が見頃になります)

 ところで、北軽井沢には、どんぐりと栗とクルミの木が腐るほどあります。だから地元民は、栗やクルミを拾いません。なので道端に栗のイガがたくさん落っこちていたりします。なので、どんなに暖かくてもサンダルで歩くのは得策ではありません。ワンチャン連れの人も気をつけた方がいいです。すでに肉球に栗のイガが刺さってしまいます。もしワンチャンが片足を引きずるように歩いていたら、肉球を見てあげてください。栗のイガの棘が刺さっていることが多いです。

 あと、どんぐりの木の説明もしておきます。栗もクルミもどんぐりも、最初は、 実が落っこちてきます。全てが落っこちた後に、紅葉した葉っぱが地面を埋め尽くすように一斉に落ちてきます。風が吹く日などは、落ち葉が回転しながら舞い降りてきて、それはもう素晴らしい景色です。そんな日に、偶然でも北軽井沢に泊まることができたなら、あなたは大変幸せ者です。落ち葉が落ちてくるまでは、カメムシが大発生しないからです。


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(北軽井沢/例年だと10月の中旬が見頃になります)


 そうです、高原の宿に泊まる時に1番気をつけなければいけない事は、カメムシです。紅葉が終わるとカメムシが、建物の中にどんどん進入してくるのです。でも安心してください。そのカメムシの侵入を防いでいる宿もあるからです。また、カメムシが嫌う宿・カメムシが好む宿というのも存在しています。要はカメムシが好む宿を避ければいいのです。

 その見分け方は、とても簡単です。建物の色です。カメムシに限らず、すべての昆虫は白い色を好みます。だから白い建物を避ければいいわけです。手前味噌になりますが、うちの宿が濃いブルーの塗装をしてあるのも、黒い屋根であるのもカメムシなどの虫が寄り付かないようにしたためです。もちろんそれだけでは、カメムシは駆除できません。なので、いくつもの防御策をとっています。ここから先は、北軽井沢のペンションオーナーのみなさんも、別荘のみなさんも、よく読んで参考にしておいてください。

 まず1番効果的なのは、木酢です。昆虫は木酢の匂いを嫌いますので、うちの宿では、基礎のコンクリートのところに大量にまいています。カメムシは地面から壁を伝って上に上がっていく習性がありますので、コンクリートのところに木酢をまくことによって、ある程度減らせます。しかし、飛んでくるカメムシもいますので、これを駆除するために、窓のサッシのところに殺虫剤等を塗っておくと根こそぎブロックできます。

 もちろん殺虫剤は、人体に優しくありませんので、二重窓でないところには、あまりお勧めはできません。 2重窓でない家では、殺虫剤の代わりに木酢を使うことをおすすめします。窓のサッシが多少汚れてしまいますが、カメムシに入られるよりは良いでしょう。後は屋根裏と縁の下に、ポイントポイントに木酢を散布すれば、驚くほどカメムシの侵入は防げるでしょう。次は紅葉の絶景ポイントについて解説してみましょう。




つづく。

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posted by マネージャー at 21:36| Comment(0) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月25日

歴史マニアになりつつある息子

 息子は立地が大好きです。週に1回は軽井沢の図書館に行って歴史の本を十冊ばかり借りてきて読破しています。とはいうものの、それらの歴史の本は全て漫画です。実は嫁さんも最近になって歴史に興味を持つようになり、 息子と一緒に歴史の漫画を読んでいます。

 で、 それらの歴史漫画は、私が子供の頃に読んだものとは全く違っています。では綺麗だし、全ページがカラーページだし、時代考証も正確そのものです。子供の読む本だからといって、 子供向けに作ってあるわけではありません。難しい漢字も大量に使われています。 しかも、そういう歴史漫画が、何百冊も軽井沢の図書館にあるのです。 いくら読んでも読みきれない位の歴史漫画が軽井沢の図書館にある。その他には、科学漫画もあります。社会科漫画もあります。 これほど漫画が置いてある図書館も珍しいかもしれません。





 北軽井沢に引っ越してくる前には、埼玉県の春日部市に住んでいたんですが、春日部市立図書館には、 ほとんどマンガ本は置いてありませんでした。それ以前は、東京豊島区池袋に住んでいたんですが、 その図書館にも、 漫画はありませんでした。今はどうか分かりませんが、私が住んでいた30年前には一冊もなかった気がします。

 ある日うちの嫁さんが、「どうして軽井沢の図書館には大量のマンガが置いてあるんだろう?」 と聞いてきましたので、「軽井沢町は、画家の田部井健次に救われた経緯があるので、(漫画を含めた)画の書籍に対して偏見が少ないのかもしれないね」と答えました。実は終戦直後にアメリカ軍が浅間山に米軍基地を作ろうとしたことがあり、それをやり込めたのが、千ヶ滝西区の別荘地に住む田部井健次(画家)さんで、彼の弁説によって、高圧的な米軍が、尻尾をまいて逃げたわけで、その当時の記録を読むと、胸がスカッとします。

 当時日本には六百以上の米軍基地があり、各地で反対運動が展開されていましたが、成功した所はほとんどなく、その原因が日米安全保障条約の行政協定にあると田部井氏は見抜いてた。つまり当時は、米軍が日本の何処にでも「基地を作りたい」と言えば、「日本政府はそれに協力しなければならない」(行政協定第二条・第三条)と決められていた。これを解消して条約を結び治したのが岸総理(60年安保)で、それ以降は米軍も高慢な態度をとれなくなったのだが、それについては、おいといて、圧倒的な米軍&米国に対して、戦って勝てたのは、田部井健次の鋭い弁舌と、戦略眼にあった気がします。これについては、機会があったら、このブログで述べたいと思います。

 話を戻します。
 歴史の漫画についてです。

 私が子供の頃に愛読した学研の「マンガ日本史全20巻」あたりと違って、今の歴史漫画は、相当レベルが高い内容になっていて、画力も凄いし、カラーだし、ガンダムの挿絵を描いてる人が、戦国武将の漫画を書いてたりするので、絵のレベルがケタ違いに素晴らしい。考証にいたっては大河ドラマなんかよりも数段レベルが高くなっているうえに、小学生におもねらずに、難しい漢字を次々と使っている。


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 イケメンの武将達が続々と現れては戦ったりするので、うちの嫁さんはそれが気に入っているらしい。 こういう本が複数の作家によって発表されているわけなので、いろんな作家の日本史漫画を読むことによって、知らない間に知識がどんどん頭の中に入っていきますから、歴女と言われている人たちが、つまり歴史マニアたちがどんどん生まれていく背景が分かるというものです。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:29| Comment(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月24日

最近、登山道にマスクのゴミが目立ちます

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 浅間山の外輪山を縦走してみて気がついたことがあります。 コケモモが狂い咲きしていたり、アサギマダラが飛んでいたりしたのはご愛嬌としても、クロマメノキの実が少し減ってるような気がします。昔は鋸岳の辺り、またはその下の方でそれこそ大量の浅間ベリーがなっていたと思うんですが、今年は不作なようです。と同時に、クロマメノキが大きくなっているような気がする。昔はもっと小さくてその代わりに実が大量になっていた。最近火山活動があまりないからですかね?

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 あとレベル1だというのにあさま山に登る人が少なかったのも不思議といえば不思議です。みんな外輪山を縦走していたのは、最近は外輪山の方が人気なのですかね? 驚いたのはダックスフンドを連れていたご家族がいたことです。あの短足のダックスフンドが、よくもまあ岩場だらけの外輪山を縦走したもんだと感心します。自力では登れない岩場がいっぱいありますので、そういう場所では抱っこして登ったのでしょうか?

 そういえば、このルートには子供達が少なかった。連休の最終日に湯の丸山に登った時には、五十人以上の子供達を見かけたし、そのうちの半分は幼児でしたが、外輪山では6歳ぐらいの男の子一人しか見かけませんでした。まあそれでも、20年前だったら6歳の子供が登山すること自体が珍しかったですから。一人でも自力で登山する6歳なら大したものですけれどね。昔だったら考えられないですから。


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 最後にすごく気になる点が一つ。マスクゴミです。あちこちの山にマスクのゴミがある。その都度拾ってはいたんですが、私が拾っただけでも20枚のマスクのゴミを拾ったと思うんですが、もう拾うのはやめました。これは1回社会問題として、マスコミかなんかから叩かれた方がいいかもしれません。


つづく。

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2021年09月23日

槍ヶ鞘・トーミの頭・黒斑山・蛇骨岳・仙人岳・Jバンド・鋸岳を往復してみたら?

 今日は非常に天気が良かったので、宿の方は休刊にしてしまって浅間山外輪山、つまり浅間七峰を回ってきました。八ヶ岳ならぬ、浅間七ヶ岳です。槍ヶ鞘・トーミの頭・黒斑山・蛇骨岳・仙人岳・Jバンド・鋸岳の7つです。


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 槍ヶ鞘


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 トーミの頭


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 黒斑山


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 蛇骨岳

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 仙人岳

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 Jバンド


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 鋸岳



 まあそれはいいとして、下の写真を見てください。
 息子と嫁さんの姿が写っていますが、問題はそこではありません。
 二人の斜め右上に、何やら変なものが写っています 。
 さて問題です。
 この変なものはいったい何でしょうか? 答えは写真の下にあります。


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 答えはアサギマダラでした。





 アサギマダラというのは、渡り鳥ならぬ渡り蝶々です。このアサギマダラは、直線距離で1,500 km以上移動した個体や、1日あたり200 km以上の速さで移動した個体もあります。2011年10月10日に和歌山県から放たれて、83日後に約2,500 km離れた香港で捕獲されたアサギマダラがいます。これは世界第二位の長距離の移動になります。

 夏になるとどこからともなくアサギマダラはやってきて、嬬恋村のあちこちに見られます。そして夏の終わりになるとどこかに旅立ってしまいます。沖縄・台湾などにわたってしまうわけです。だから本当ならもういないはずなのに、あさま山の外輪山で、大量に見かけたのには驚きました。こんなところにアサギマダラが、飛び交っていたというのは本当にびっくりです。このアサギマダラの大群たちは、いつ沖縄や台湾に旅発つのでしょうか?

 あと今日の外輪山の風景写真をはっておきます。

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 このコースは、どんどん風景が変わっていくので楽しいですね。花もいっぱいあるし、人見知りしないホシガラスたちも近くに見られますし、なんといってもアサギマダラに癒やされます。おまけに眺めが最高に素晴らしい。ちなみに本日歩いた時間は6時間。万歩計によると2万四千歩。消費カロリーは二千キロカロリー。下山後は、佐久の『かつや』でダブルロースカツを注文してしまった。
 

つづく。

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posted by マネージャー at 23:06| Comment(0) | 浅間山・黒斑山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月22日

息子の実験

 息子のやつは理科と社会にはまっています。


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 特に E テレのベーシックサイエンスと歴デリ(歴史デリバリー)が大好きで、この録画を何度も何度も見て喜んでいます。寝る前はこの二つを見るかドラえもんを見るまで寝てくれません。特に理科の実験にはまっていてアイスクリームを作ったりして遊んでいます。夏休みにはいろんな実験をしていたので、それを文章化して自由研究紙として発表したらと提案したんですが、息子のやつは文章化が大嫌いなようで、私の提案に乗ることはありませんでした。

 ところで今日も面白そうな実験をやっていました。汚い10円玉をきれいにする実験です。醤油とソース、どちらが10円玉をきれいにしてくれるかの実験ですが、これには私も興味があったので、実験の様子を撮影しました。ここでみなさんに質問です。醤油とソースは、どっちが10円玉をきれいにしてくれるのでしょうか? 答えは下の画像にあります。


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 これで実験は終了なのですが、私的には他の調味料も試してみたくなりました。味醂とか、酒とか、塩水とか、お酢とか、マヨネーズとか、だしの素とか、白だしとかです。でも結局、実験はしてません。私たち大人は、子供に比べて好奇心が低いようです。いざ実験をするとなると、ついつい面倒くさくなって
「まあいいや」
となってしまう。


つづく。

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2021年09月21日

湯の丸山で2枚のカードを集める子供たち

 今日も小浅間山付近に登ってきたんですが、幼児連れのお父さん達が大勢いました。おまけに長野大学の学生さんたちの団体さんも浅間山に登っていました。まあそんなことはどうでもいいとして、今回は、昨日登った湯の丸山の写真をアップします。もう秋だというのに花がいっぱい咲いていました。それについては後で紹介するとして、 私たちが到着したのは13時頃ですが、駐車場は車がずらりといっぱいでした。


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 この時期にこんなに車が並ぶのは非常に珍しいことです。少なくとも去年はこんなには並んでいません。で気がついたことは、ファミリーだらけだったということです。大勢の幼児たち子供達がいっぱいいましたが、それらの画像をアップするわけにはいかないので、 今回は湯の丸山の高山植物の写真を紹介していきます。

 それはともかくとして、下の画像は息子がスマートフォンを持っている姿ですが、どうしてスマートフォンを持っているかと言うと、「ポケモン GO」 の嬬恋村バージョンのソフトで嬬恋村で作成したご当地アプリをやっているからです。そのアプリの名前は 『嬬恋村公式アプリ・つまっぷ』というものです。


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 『嬬恋村公式アプリ・つまっぷ』は、嬬恋村の人気スポットをスタンプラリーのようにめぐるためのアプリです。コースごとにスポットをめぐり、検定に合格すると 記念品がもらえます。スポットに訪れたら、スマートフォンをかざして浮かび上がるスポットの札をゲットします。特色ある 4つのコースで嬬恋村をめぐができます。

・嬬恋かるたコース/嬬恋かるたにちなんだスポットをめぐります。
・嬬恋村文化財コース/嬬恋村の文化財をめぐります。
・観光地コース/嬬恋村の観光スポットをめぐります。
・トレッキングコース/嬬恋村のトレッキングスポットをめぐります。

今回息子は、嬬恋かるたコースの「高山蝶」のカードと、トレッキングコースの「湯の丸山」をゲットしたわけです。下の写真に嬬恋かるたコースの「高山蝶」の看板が見えますが、ここでカードをゲットできます。

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(「高山蝶」のカードをゲット)

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(頂上でもトレッキングコースのカードをゲット)

 いわゆるスタンプラリーみたいなもので、全てをゲットすると観光協会から商品がもらえます。既に何人かの人たちが商品を頂いているようです。 息子の同級生達も商品を目指して頑張っています。 湯の丸山のカードをゲットしようとしている子供たちもかなりいました。息子は同級生の◆◆君と、カードの枚数を競っているようです。ちなみに◆◆君とは、漢字検定の合格を巡ってのライバルでもあります。もっとも、夢中になってカードを集めているのは、大人たちでも同じです。かくして、山の中でスマホをかざしている人たちが、突如として出現しつつありますが、時代も変わったものです。


 まあそんなことはどうでもいいとして、今回ちょっと気になることがありました。
 下の写真を見てください。
 湯の丸山のカラマツやシラカバが大木になりつつあります。


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 古い リピーターさんならご存知かと思いますが、15年ぐらい前の湯の丸山には、このような大木はほとんどありませんでした。いわゆる草原の山で、冬場は頂上からソリ遊びをして降ったくらいです。このブログにもその時の写真が大量に残されています。でも今回登ってみると、 もうそんなことができるような山ではなくなっています。


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(昔は登山道の脇は、低木しかなかったが、今では大木に育って木陰を作っている)


 と思っていたら、山を管理しているらしき人たちが、チェーンソーで大木を次々と伐採していました。
 下の写真がその時の模様です。


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 が、いくら伐採したとしても追いつくような量ではありません。いずれ湯の丸山は大木に覆われてしまうことでしょう。 20年ぐらい前の湯の丸山は、レンゲツツジの季節になると、山が真っ赤になるくらい花で覆われていましたが、最近はそういうこともなくなりました。明らかに植生が変わってきています。

 植生が変わってきているとはいうものの、やはり花の多い山であることは間違いありません。 たくさんの秋の花を撮影してきましたので、ご覧になってください。


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(アキノキリンソウ)

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(マイヅルソウ)

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(リンドウ)

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(リンドウ)


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(ウメバチソウ)

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(マツムシソウ)

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(ヤマハハコ)

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(イワインチン)

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(イワインチンは、今がピークであちこちに咲いていた)


 ちなみに下山時に笹竹の花を見つけました 。もちろん一面の笹竹は、みんな枯れていました。


つづく。

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2021年09月20日

湯の丸山に幼児連れファミリーが増えた?

 今日は、予約がなかったので久しぶりに家族で湯の丸山に登ってきました。お客様がチェックアウトした後に、大急ぎで客室を掃除し、タオルなどを洗濯機に放り込み、そして全室に殺菌用の紫外線ライトとタイマー付きのオゾン発生器を設置して出発したのが12時30分。湯の丸山の駐車場に到着したのが13時頃でした。

 駐車場に到着して驚きました。スキーシーズンでもうこんな混雑はないぞというぐらいに車がずらりと並んでいます。これじゃあ、駐車できないなーと諦めていると、到着した時間が良かったのか、一番いい位置ところの車がちょうど出ていたので、そこになんとか車を停めました。13時に到着したのが、かえって良かったのかもしれません。辺りを見回すと、ちょうど下山して車で帰ろうとしてるファミリー客がたくさんいました。どこを見回してもファミリー客ばかりです。

 さらに驚いたのが幼児の数々。こんなにたくさんの幼児が、登山口の駐車場にぐったりとしているのを見たのは、初めてです。うちの息子が生まれたのは8年前で、6年前の今頃に登山デビューしたわけですが、その頃は、登山する幼児なんてゼロでした。全くのゼロです。稀に見かけたとしても、ベビーキャリア(幼児用登山背負子)に背負われてる幼児。足で歩く幼児なんか見たことがない。それこそ皆無でした。


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(5年前の湯の丸山・幼児なんてどこにもいない)

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(そもそも、御客さんがいないし・・・)

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(ファミリー客がいなかった。いたとしても、20人すれ違って、やっと会えるくらいの確立だった。それが新型コロナ後になると・・・)


 ちなみに、その頃は、ほぼ毎日のように2歳になったばかりの息子を連れて山に登っていましたから、登山道にも登山口にも毎日のように表れていたんですが、幼児を連れて山登りする人たちなんか絶対に見かけなかった。見かけたとしてもベビーキャリア(幼児をおんぶするための登山背負子)で、おんぶして山に登る子供達だけでした。だから非常に珍しいがられて、あちこちから登山客が集まってきて、面倒くさかった記憶しか残っていません。
 そのくらい自力で登る幼児というのは珍しかったのです。
 いや、珍しいというレベルではなくて、うちの息子ぐらいしかいなかったんではないかと思います。
 実際、息子が3歳の頃に八ヶ岳に登った時は、登山客たちは驚愕していましたし、どうやって登らしたんだ?と山小屋で何度も聞かれました。それほど珍しがられたし、驚かれたし、大勢の登山家たちが見学にきたくらいだった。北アルプスでは、すれ違う人たちが、腰をぬかさんばかりに驚いていた。そのくらいに幼児の登山は一般的ではなかったし、それをアップしているブロガーも当時はいなかった。

 ところが、久しぶりに湯の丸山に来てみたら、標高2100メートルの湯の丸山の登山道に幼児ばかりがいるではありませんか。登山道の途中で、3歳児から4歳児の子供たちがわんさかいる。小浅間山や浅間牧場に、幼児連れの家族が、わんさかいて、小浅間山が幼稚園のようになっているのは知っていましたが、湯の丸山です。小浅間山とは訳が違う。

 さすがに2歳児というのは、いませんでしたが、4歳児、5歳児ならゴロゴロいました。3歳児らしき子供も少なからずいて、自力で登っていた。ベビーキャリアを背負ったお父さんなんか一人も見なかった。唯一の例外は、一才児を抱っこしていたお母さんがいたくらいです。しかもそのお母さんは、4歳児ぐらいの男の子を連れていた。もちろん自力で湯の丸山の頂上に登っています。目が点になりました。

 たった6年で、こんなに変わるもんだろうかと驚きました。新型コロナのせいなんでしょうかね? それとも若いお父さんお母さんの子育てに何か変化ができたんでしょうか?私が2歳や3歳の息子を山に連れて行った時には、それを非難する輩が居るくらいに珍しがられたんですが、今では、そういうことが珍しいことでも何でもなくなってしまった。すごい時代になったなあと思ってしまいます。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:52| Comment(0) | 鹿沢−湯の丸山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月19日

夏鳥が南国に帰る前に野鳥観察

 連休2日目も終わろうとしています。オーバーブッキングも無く、食事の失敗も無く、なんとかやり過ごせたので、ホッとしています。今日は日本晴れの良い天気だったので、寒くも暑くも無い、この時期の快晴に御客さんも大満足だったのではないでしょうか? 明日は、予約も無いみたいなので、思い切って休館にして、久しぶりに家族で山に登りに行こうかと思っています。


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 それから軽井沢に行こうとしている御客様へ。明日の軽井沢は混雑が予想されます。無謀運転をする人も少なからず居ます。自分が気をつけていても相手の無謀運転にやられるケースもあります。皆さんゆとりを持って運転して下さい。渋滞をさけるポイントは、はやめに出発することです。特に10時頃と、15時から18時にかけては、渋滞します。これは、宿にチェックインする御客様や、宿からチェックアウトする御客様が、一斉に車を走らせるからです。逆に言うと、朝8時頃はガラガラですし12時から15時までは、比較的にすいています。

 渋滞がおきやすい道路は、以下の通りです。

・軽井沢インターから碓井バイパスの交差点あたり。
・スーパーツルヤのある通り。
・国道18号。
・アウトレット付近。
・中軽井沢にあるハルニレテラス付近。


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 それから気をつけたいのがクマです。夕方以降の湯川の沢沿い(それもサワグルミの樹があるところ)とか、ゴミステーション近くでは、注意してください。クマは、みなさんが思っている以上に、知能が高く、人間がそばにいても、辛抱強くジッとしていて動きません。そして、人間が、どこかに行ってしまった後に、のっそりと動き出します。なので訓練されてない犬連れだと、自分を危険にさらす可能性もあります。ワンワン吠えながら、飼い主の後ろに逃げるからです。そうなると、クマは逃げるものを追いかけたくなる習性があるので、ビンチに陥ります。ま、あまり神経質になる必要は、ないんですけれどね。


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 そうそう。野鳥(夏鳥)が、そろそろ南の国に帰る時期が近づいています。つまり、今こそ夏鳥が南国に帰る前に観察できる唯一の時期です。東南アジアやフィリピン、インドネシアなどに帰ってしまう前に、今のうちに夏鳥を楽しんでください。北軽井沢で見られる野鳥の4割が夏鳥ですから、それらがいなくなってしまうと淋しいですからね。冬になると、アカハラ、キビタキ、オオルリ、コルリ、ジュウイチ、コマドリ、ホトトギスといった美しい鳥たちが旅だって、シジュウカラなどのカラ類とか、アカゲラなどのゲラ類ばかり目立つようになりますからね。まあ、それはそれで楽しいのですが。


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 北軽井沢のトウモロコシは、今週が限界みたいですね。御客様に出せるレベルのものが、明日あたりから手に入らなくなりそうです。昨日は、10本仕入れて、使えるものは6本くらいでした。使えないものはコーンスープに改造します。



つづく。

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2021年09月18日

9月の北軽井沢で気をつけること!

 せっかくの連休、天気を心配していたのですが、明日は晴れそうなので、ひとまずホッとしました。これで多少は、お泊まりの御客さんたちが、北軽井沢の美しい自然を堪能できそうです。この時期は、まだ紅葉が始まっていませんが、そろそろヤマブドウなどの実がなってくる時期です。そして、暑くもなく、寒くもない、一年で一番、ちょうどいい気候です。連休に北軽井沢に来られるお客様は、渋滞に注意してください。とにかく軽井沢が渋滞します。できれば軽井沢を通らずに済むような、国道406号線や、国道144号線を使って、北軽井沢に直行するのが1番無難です。

 別荘地を散歩をすると、トタン屋根に石が落っこちてくるような音が、あちこちでしますが、これは、ドングリが落ちてくる音です。3分おきに落ちる音がします。あと数日すると、10秒ごとに落ちる音がするはずです。ドングリは、紅葉する前に落ちます。そして、全て落ちてしまうと、一斉に紅葉し、葉っぱが落ちてきて、ドングリを隠します。ツウで粋な御客様は、その時期を狙って泊まりに来て、ひたすら散歩しまくります。





 それはともかく、9月は栗やクルミが実ります。そのために、あちこちの道路でクリを拾っているお客様を大勢みかけます。地元民はそういう事はしません。わざわざ国道でクリ拾いなんかしません。自分の家の庭先に栗の木が必ずあるからです。だから国道脇でクリ拾いをしている観光のお客様を見るととてもハラハラします。危ないからです。もちろん、車が通行するので危ないということもありますが、私が言いたいのは、そこではありません。

 素人さんたちは、道路に栗がたくさん落ちていると、ついついそこに車を止めたがいます。そして栗拾いをするわけですが、これが非常に危ないですね。10人に1人ぐらい、被害にあっているのではないかと私は推測しているのですが、栗が落ちている道路に車を止めると、上の方から栗が降ってくる。

 栗というのは、ひとつのイガに何個も入っていて結構重いんですよ。それが車のボンネットに落っこちてきて悲惨な状態になってしまうのです。だから栗拾いをするときは、必ず栗の落ちてない所に車を止めて拾うべきです。それでも拾っている最中に自分の頭に落下してくることもあるかもしれません。でもまぁそれはある意味、運が良かったと思ってあきらめるしかない。ちなみに、あたしの知り合いに、頭に栗が落っこちてきて、血まみれになった人がいましたが、髪の毛があるので絆創膏つけるわけにもいかずに、放置しておいたら、翌日には治っていたそうです。

 そういう私も、北軽井沢に引っ越してきたばかりの時は、大失敗をしています。栗の木の下に車を駐車していたら、翌日にボンネットの上に大量の栗が落っこちていたことがありました。 1台は某メーカーの軽自動車でしたが、ちょっと残念なことになっていました。しかしトヨタのエスティマのボンネットは、さすがに頑丈でした。まったく傷が見えなかった。それ以来、私は、ずっとエスティマに乗っています。今のエスティマは3代目です。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、栗よりも気をつけなきゃいけないのは、クルミです。クルミは、栗と違ってポコポコ落っこちてくることありませんが、万が一命中したら、それこそ石ころに当たるようなものなので注意してください。では、くれぐれも事故のないように、注意して運転してください。

 最後に、栗を拾ったら、すぐにレンジでチンしてください。1分でいいです。こうして虫を殺さないと、2日くらいたつと栗から虫がでてきますから、気をつけてください。ちなみに北軽井沢に栗の木が多いのは、戦後の開拓民が、飢饉にそなえて大量の栗の木を植林したからです。そして、植林したはいいけれど、今は誰も栗を見向きもしなくなっています。だから栗を拾っているのは、他所からやってきた人たちばかりです。


つづく。

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2021年09月17日

敬老の日

 今日、息子が学校から帰ってきたら、手紙を書きたいと言ってきた。 一体誰に手紙を出すのかと聞いてみたら、おじいちゃんやおばあちゃんに手紙を出したいという。 何で出したいんだと聞いてみたら、敬老の日だからだと答えました。あれ? 敬老の日って、 9月15日じゃなかったのかな? でも9月15日には、学校があったような。学校から帰って、コンビニにお団子を買いに行って、庭先でお月見をしながらお団子を食べたはずだった。

 あれ? 敬老の日って9月15日じゃなかったんだろうか?

 と思ってカレンダーを見てみたら、 9月20日になっている。変だなぁと思いつつ、インターネットで調べてみたら、9月の第3月曜日が敬老の日ということになっているらしい。そもそも敬老の日が、どうして9月15日だったかと言う事を調べてみたら、兵庫県多可郡野間谷村で、昭和22年9月15日に村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりであるらしい。正式に国民の休日になったのは、昭和41年。これが平成13年法改正で9月第3月曜日となったらしい。





 まあそんなことはどうでもいいとして、息子が祖父母に手紙を書きたいと言い出した理由は、学校の先生が言ってくれたからだと思う。私も嫁さんも、敬老の日なんぞすっかり忘れていましたから、小学校の先生が子供たちにしっかりと教えてくれることによって、おじいちゃんおばあちゃんのことを思い出すのは大変良いことだと思う。

 そういえば、息子から父の日や母の日のプレゼントをもらったこともあるが、これも学校教育のおかげかもしれません。こういう教育は、勉強の出来不出来よりも、もっと大切だと思います。これは、建前で言っているわけではなくて、60年生きてきた私の本心であり、20年以上宿屋をやってきて、大勢のお客さんと一緒に山に登ったり酒を飲んだりしてきた人間のひとつの人生観です。

 人間長く生きると、因果応報的なものをたくさん体験しますから、 競争に対する勝敗だけにしか目が入ってないと失敗することを痛いほど体験している。もちろん競争は大切なんですが、それよりも、もっと大切なものがある。でも、一番たいせつなのは、健康だったりします。体も心も健康であることが人生にとって最も大切なものであることは、本当ならば誰もが知っている事実なんですけれど、意外にそれをないがしろにする人たちも多いんですよね。20年ぐらい宿屋をやっているとそういう事例を嫌というほど見てきましたから。

 そういう意味では、長寿を祝う風習というか、敬老の日があるのは、とてもいいことですね。


つづく。

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2021年09月16日

フルーツを食べなくなった子供たち

 古い友人が、子供に勉強させるために、人参として使うためにマカロンを作ったという記事を Facebook に載せていました。残念ながら友人のお子さんは、マカロンというニンジンにあまり興味を示さなかったらしくて、マカロンぐらいでは勉強しなかったらしいです。

 これがうちの息子だったりしたら、たった一個のマカロンで算数の問題集を10ページぐらいやってしまうので、貧乏性な息子でありがたいなぁと思っています。うちの息子は、3歳ぐらいの時、プリッツ一本で、八ヶ岳の登山道を100 m ぐらい自力で登ってくれるほど単純な性格でした。4歳の時は、チョコレート一粒で槍ヶ岳の登山道を200 M ぐらい歩いてくれました。勉強も運動も、安い人参で頑張ってくれますし、漢字検定試験も、くら寿司の寿司食べ放題というだけで、何ヶ月も勉強してくれます。全くもって安くすんでくれるので、我が家の家計は大助かりです。





 まあそんなことはどうでもいいとして、うちのお客さんに関しての話ですが、ここ十数年の傾向を見てみると、子供たちが甘いものを欲しがらない。特にフルーツが嫌いな子供さんが増えてます。ちなみに、うちの息子は8歳ですけれどフルーツが大好きです。私も子供の頃は、フルーツがおやつ代わりでした。秋になると祖母が渋柿を箱詰めにして渋抜きをしたり、干し柿を作ったりしていましたが、あれが楽しみでならなかった。 リンゴや梨やくるみや栗も食べられるので、一年を通して秋が一番大好きだった。だから子供というのは、そういうもんだと思っていたんですが、そのイメージは、 今から10年ぐらい前から大きく代わってきました。

 うちの宿は、朝食や夕食に必ずフルーツを出していたんですが、10年ぐらい前からそのフルーツが残るようになってきた。残すのは決まって子供達だった。逆に残さないのは、年配の方達だった。

 そういえば、お客さんを連れて登山ツアーに行くと団塊の世代のお客さんは、おやつにフルーツを持って行きますね。私の世代ではそういうことはないんですが、団塊の世代の特に女性になると、 山の中に普通にフルーツを持ってくる。 重たいから大変なのになあと思うんですが、そんなことは気にせずにフルーツを持ってくる。そしてよく食べます。特に女性がよくフルーツを食べる。団塊の世代とは言わなくても、昭和30年代から昭和50年代くらいまでに生まれた世代なら、山にフルーツを持ってくる。 特に女性が持ってくる。酷いのになるとスイカまで持ってくる。よほど好きなんでしょうね。





 あと冬になると、みかんをよく食べるのも昭和20年代から昭和50年代くらいまでに生まれた世代の女性達で、1月とか2月のお客さんがチェックアウトした後に部屋掃除に入ると、ゴミ箱から大量のみかんの皮が出てきます。特にリピーターさんたちの部屋から出てくる。北軽井沢ではみかんなんか取れませんから、うちの宿でみかんを出すことはほとんどありません。 それを知ってるリピーターさん達は、わざわざみかんを持ってくる。

 それならばと、夕食や朝食にみかんを出してみると、食べる人は食べるんですが、大量に残ることもある。食べてないのは子供達です。うちの息子はみかんが大好きなので、残ったみかんを全て平らげるんですが、こういう子供は例外みたいで、今の子供達はフルーツを食べなくなっていますね。じゃあ、お菓子を食べるのかと言うとそういうわけでもない。 20年前なら部屋のゴミ箱にお菓子の箱がたくさんあったりしたんですが、今は、そういうゴミを見かけることがありません。特に駄菓子とか、ポテトチップスとか、そういうジャンクフードを見かけることはめったに無くなってしまいました。皆さん健康を気にするようになったんですかね? 

 そういえば、食い意地が汚いというか、何でも食べてしまう、うちの息子でさえ最近は健康志向になっています。まだ8歳なのに健康のことを口走るようになってきている。もっと身長を伸ばしたいという理由で、牛乳をがぶがぶ飲むようになったし、スーパーやコンビニで弁当を買うときも、カロリー表示を見てから買っています。私が八歳の時は、そんなこと気にしなかった。カロリーとか塩分とか栄養表示を気にしだしたのは、四十歳過ぎてからであって、子供のうちから、そんなものを気にするなんて考えられない。世の中全体が、健康志向になっているために、 それが子供の脳を洗脳しているとしか思えません。

 健康志向といえば、この20年間に関西方面の人たちが納豆を食べるようになったということです。朝食に納豆なんか出してしまうと、 20年前なら確実に関西人は食べなかった。関西人の人数ぶんだけ納豆が余ったものですが、今では食べない人の方が珍しい。


つづく。

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posted by マネージャー at 18:15| Comment(0) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月15日

十五夜と星空観察会

 息子がぐんま天文台の無料チケットを3人分貰ってきました。夏休みの宿題に書いて提出した絵が、何かの賞に引っかかったらしくて、それがぐんま天文台で掲示されるらしくて、それを見るために無料の入園チケットが支給されたらしい。 思わず息子に対して
「でかした」
と言ってしまいました。ぐんま天文台にはいつか家族で行きたいなーとは思っていたんですが、無料チケットをもらったわけですから、これで行かないと言う選択肢はありません。







 何を隠そう私は天文学オタクです。
 だから、うちの宿では、希望があれば毎日星空観察会を開いています。


 お客さんがいない時は、 暇さえあれば星を覗いているぐらいです。実は今日も、夜の8時ぐらいに家族で庭のテラスに出て夜空を見ながら団子を食べていました。

 今日は9月15日。新暦ではありますが、いわゆる十五夜の夜ですからね。だから団子を買おうと思って近くのセレブセブンイレブンに行ったんですが、団子がなかった。そこで今日は十五夜ですけれど団子は売ってないんですかと聞いたら、「あら?」と驚かれただけで返事をしてくれなかった。 仕方がないので隣のローソンに行ったら三色団子が売っていたのでそれを買ってきて家族で月見をしたわけです。

 話はかわりますが、私が若い頃には、天文という月刊誌があって、月のクレーターをスケッチして郵送すると双眼鏡がもらえたりしました。かなりの確率でもらえたりしたんですが、あの雑誌は今でもあるんでしょうかね?





 話は変わりますが 、今年は天気があまり良くなかったために、夏休み中に星空観察会が、ほとんど開かれることがありませんでした。と言うか、昔に比べて星空の解説を聞きたいとか、星空観察会に参加したいと言うご家族は激減しています。

 20年前に宿がオープンした時は、どんなに曇っていてもろ「星空を見たい」というお客さんが多くて、1時間も牧場で星空が出るまで粘ったことがあります。浅間牧場をナイトハイクしたこともあります。星空の好きなお客さんがたくさんいました。けれど、そういうお客さんは、ここ数年のうちに、どんどん減ってきました。 インターネットの普及と関係あるような気がします。 現代では、綺麗な星空がネットで見ることができますからね。

 あと星空の解説も、だんだんやりにくくなってきています。20年前なら
「あれがウルトラの星だよ」とか
「あれが銀河鉄道999の終点の星だよ」
「あの星が、風の谷のナウシカのラストシーンに出てくる星だよ」
「宇宙戦艦ヤマトの大マゼラン星雲ってどこにあるか知ってる?」
というと、大人も子供も大喜びしていたもんですが、10年ぐらい前になると、ウルトラの星とか銀河鉄道999と言っても、知らない子供たちの方が多くなってきて、 反応するのは大人達だけでした。

 そして最近は、大人も知らなかったりする。ウルトラの星も、銀河鉄道999も、 宇宙戦艦ヤマトの大マゼラン星雲にも、下手したら「風の谷のナウシカ」もご存知なかったりする 。解説する方にとって、本当にやりにくなってきました。





 昔は、子供達の大好きなアニメや、特撮ヒーローものに、星にまつわる話がいっぱいあったんですが、 今の子供達の見るアニメには、星に関連するストーリーがあまりないので、子供達が興味を引きそうな解説も、だんだんと難しくなってきています。

 月についての解説も、昔なら「ウルトラマンA」や「セーラームーン」の話から発展させることができたんですけれど、 今そんな話をしても、知らない子供(大人も)の方が多いので、これもちょっと、難しくなってきました。なので、ここ数年は、下町ロケットの話を絡めて 解説していたんですけれど、下町ロケットも知らない人達が増えてきたので、テレビドラマやアニメで、宇宙に関連性のあるものをやらないかなあと、密かに願っている次第です。

 それから面倒くさいことに、お客さんを連れて近所の道路で解説をしてると、警察がやってきて「キャベツ泥棒してないだろうな?」と 、こっちを疑ってきます。これにはうちのお客さんも驚いていました。本当にやりにくい世の中になってきました。星空の解説も、警察に疑われる時代になったわけですから。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:44| Comment(0) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月14日

二人の天才、渡辺岳夫と前川陽子

 私が子供の頃、好きだった歌手がバーブ佐竹です。
 とにかく不細工な顔した歌手で、
「顔じゃないよ、心だよ」
の名セリフを言い、牧伸二、菅原洋一らと「モスラ会」を結成していました。

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(不細工顔のモスラ会/牧伸二・バーブ佐竹・菅原洋一/中央がバーブ佐竹)

 私が小学6年生の時の担任の先生(女性)が、「モスラ会」の菅原洋一のファンなのがバレて
「私は顔が好きなんじゃないの、声が好きなの!」
と真っ赤な顔して言い訳していたのですが、「モスラ会」の歌手のファンたちは、おおっぴらに名乗ることができないくらい不細工な歌手たちだった。

 逆に言うと、当時は顔が不細工でも声が良ければ歌手として成功した。ジャニーズ全盛期の現在からすると考えられませんが、顔と声は別物だった。テレビが贅沢品で一家に1台しか無かったために、ラジオを聞く人が多かった。だから不細工の頂点をいくバーブ佐竹のファンを名乗る大人たちや、小学生が、少なからず存在し、私もその一人だった。

 では、なぜ小学生時代の私が、バーブ佐竹のファンになったかというと、当時、大ブームだった時代劇『子連れ狼』に熱狂したからです。昭和の子供たちは、時代劇をよく見ました。理由は、当時の子供たちの遊びが、チャンバラと相撲だったからです。新聞紙を丸めてスポーツチャンバラのような遊んでいた関係で、よく時代劇をみていた。「おはよう子供ショー」という子供番組でも、ロバの着ぐるみをきたロバ君が、「快傑ロバ頭巾」という時代劇をやっていた。当時はやっていた「快傑黒頭巾」という時代劇のパロディー番組だった。

 みんな丹下左膳や座頭市の真似をして遊んでいたし、当時の子供たちのヒーローは、剣士だった。もうひとついうと丹下左膳には、片手が無かったし、座頭市は目が見えなかった。すごく強い障害者というのが、昭和の子供たちのあこがれだったので、60歳以上の人間にとって、パラリンピックのメダリストは、一種のヒーローに見えてしまう。まあ、そんなことは、どうでもいいとして、昭和の子供たちは、よくチャンバラで遊んだものだった。

 これが変わったのは、テレビで仮面ライダーが放映されるようになってからで、仮面ライダーが放映されるとチャンバラ遊びは廃れていった。ブルースリーの映画がでると、さらにチャンバラ遊びは廃れ、ゴレンジャーでチャンバラは絶滅してしまった。と同時に子供たちが時代劇を見なくなった。代わりに仮面ライターやゴレンジャーや特撮ヒーローものを見るようになった。

 そういうものが無かった時代の子供たちは、時代劇を見た。特に『子連れ狼』に熱中した。3歳の大五郎が主役である『子連れ狼』に熱中した。その主題歌である「ててご橋」を歌っていたのが、不細工集団「モスラ会」のバーブ佐竹だったのだ。





 長い前置きはそのくらいにして、本題にはいります。

 アニメソングの歌手に、もう一人天才がいました。
 前川陽子さんです。
 私が子供の頃に子供たちに大人気だった
 NHK の人形劇「 ひょっこりひょうたん島」の主題歌を歌った人です。



  当時12歳だった前川陽子さんは、この歌を歌って大ブレイクしました。
「 ひょっこりひょうたん島」の原作は、井上ひさし、山元護久さん。
 この二人のコンビは、日本アニメの最高傑作「長靴をはいた猫」をつくります。

 日本アニメの最高傑作は、カリオストロでもラピュタでもない。
 井上ひさし、山元護久コンビの「長靴をはいた猫」ですよ。
 ちなみに山元護久は、「おかあさんといっしょ」「できるかな」「ピンポンパン」あたりの作家もやっている。

 まあ、そんなことはどうでもいいとして、「 ひょっこりひょうたん島」の声が良すぎるので、前川陽子さんは、手塚治虫ののアニメ「リボンの騎士」のテーマソングを歌ったりしたわけですが、これも凄かった。特にエンディングの「たらり、らった、らった、らった、らった、らったったー〜♪」の声が良かった。



 魔法使いサリーのエンディング「魔法のマンボ」も歌っていた。
 この頃の前川さんは、高校生だったと思う。



 オンブオバケの主題歌も歌ったりしますが、これがまた凄かった。
 下の動画をみればわかりますが、
「オンブが怒るとカラスが騒ぐ、カーカーカー♪」
という歌声が凄かった。この声を業界がほっとくわけがなく、CMソングでひっぱりだこになり、昭和40〜50年代のCMソングはたいてい前川さんが歌っていたと思う。特徴のある声なので、前川さんの歌は、どんなCMソングでも、一度聞いたらすぐわかった。



 リボンの騎士も、魔法使いサリーも、オンブオバケも、子供の頃によく見たアニメだったので、 前川陽子さんの歌声は当時の子供たちにの中に完璧にインプットされていたと思う。特にリボンの騎士の「たらり、らった、らった、らった、らった、らったったー〜♪」のサビが頭の中で、ぐるぐる回ってとれなかった。前川陽子さんの歌う曲には、こういう曲が多かった。そのうえ CM ソングもかなり歌っていたので、昭和40年代というのは、テレビをつければ必ず前川陽子さんの歌声が聞こえてくるという時代でした。

 そして極めつけがキューティーハニー。

 キューティーハニーといえば、若い人たちにとっては、エヴァンゲリオンを作った庵野監督のキューティーハニーであり、 倖田來未の歌うキューティーハニーでしょうけれど、 六十歳前後の人間にとっては前川陽子さんの歌こそキューティーハニーです。子供達にとっては、非常に刺激的な歌だったわけですが、そのキューティーハニーの歌さえも、幕下になってしまうほど強烈な歌を前川陽子さんは歌います。

 「魔女っ子メグちゃん」です。
 YouTube に動画が出ているので一度聞いてみれば分かりますが、
 これこそ最高傑作の歌声。
 オマケにコンテもすごい。



 上の動画を見てください。
 今聴いても古くない。
 というか新しい。
 令和の作品に負けてない。

 と、同時に、この曲を作った渡辺岳夫とは、いったい何物なのか?
 と思ってしまう。

 彼は、渡辺岳夫は、巨人の星・天才バカボン・キャンディ・キャンディを作っている作者。
 これにくわえ、アルプスの少女ハイジ・フランダースの犬・あらいぐまラスカル・ペリーヌ物語・機動戦士ガンダムまで作っている。
 ガンダムですよ! ガンダム!
 天才バカボンと、巨人の星と、ガンダムの作者が同一人物!
 信じられますか?
 おまけに、子連れ狼と作者が同一人物!

 そのうえ実写ドラマでも名作を量産している。「あばれはっちゃくシリーズ」や「ザ・カードマン」が、有名な代表作だけれど、私のお気に入りは「白い巨塔」と「新幹線公安官」です。この二つも全く古さを感じない。


https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%E5%85%AC%E5%AE%89%E5%AE%98
(新幹線公安官・1977年)


(白い巨塔・1978年)

 白い巨塔にいたっては、1978年版の方が新しい。
 まさに天才ですよ。超天才!
 渡辺岳夫という男は。

 映画にいたっては、もっと凄い。

 眠狂四郎シリーズ、
 緋牡丹博徒シリーズ、
 あしたのジョー、
 極真会のドキュメント映画シリーズ。

 と、いくらでも出てくるし、時代劇にいたっては、ほぼ全ての時代劇の音楽を作っていると言っても過言では無い。で、個人的に私が一番気に入ってる渡辺岳夫の曲が
『子連れ狼』
で、バーブ佐竹の歌う『ててご橋』です。







 バーブ佐竹の『ててご橋』と『魔女っ子メグちゃん』と『天才バカボン』と、東映任侠映画の名作で藤純子の『緋牡丹博徒』の音楽を作った人が、同一人物だということが信じられません。いったい渡辺岳夫とは、何者だったのでしょうか?



つづく。

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posted by マネージャー at 14:31| Comment(0) | アニメ・漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月13日

アニソンの天才、堀江美都子

 アニメソングの天才といえば、堀江美都子こそ本物の大天才かもしれません。堀江美都子といえば、花の子ルンルンとか、 サザエさんのエンディングとか、キャンディキャンディの主題歌を思い出すでしょうけれど、私にとっての 堀江美都子は、「てんとう虫の歌 」です。あの歌は、1回きいたら忘れられない。このアニメは、両親を亡くした7人の兄弟姉妹が、協力して自活していくという話で、当時の小学生たちが夢中になったアニメです。




 あと、NHK教育テレビの 歌のおねえさん 。
 若い人には、分からないかもしれませんが、
 私が子供の頃は、堀江美都子が NHK教育テレビの歌のお姉さんをやっていました。

 ちなみに私は60歳です。
 60歳の私が子供の頃に NHK の歌のお姉さんだった。
 そして彼女と私の年齢は4歳しか違いません。
 つまり堀江美都子は、12歳でアニメソングでデビューして、15歳で歌のお姉さんをやっていた。



(なかよしリズム)




 15歳で歌のお姉さん。
  NHK 史上最年少の歌のお姉さんでしょう。
 ちなみに歌のお兄さんが、初代ジャニーズの飯野おさみ。
 この二人が一緒に歌ったり踊ったりしていました。

 そして、なんだかんだで10年近く NHK教育テレビのいろんな番組で歌のお姉さんをやっていたわけだから、すごいですよね 。その影響は1980年代のユースホステルにも届いていて「切手のないおくりもの」が、ユースホステルで 歌われていたりしました。





 ちなみに堀江美都子は、子供が主人公のドラマである「あばれはっちゃく」の主題歌も歌っていました。当時の子供たちは、この昭和なドラマに夢中だったと思います。児童作家の大家である山中恒が原作なので、セリフが昭和40年代だったのが笑えました。「あばれはっちゃく」の放送当時は、昭和50年代だったので、

「てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」
「あんたの馬鹿さ加減には、母ちゃん情けなくて涙も出てこないわ」

という昭和40年代のセリフが、当時うけていました。





 父親役の東野英心の演技もよかったですね。初代水戸黄門の東野英治郎(群馬県民)の息子ですが、全くもって似てない。似てないからか、映画『水戸黄門』で父親と一緒に共演していました。

 東野英心といえば、「中学生日記」か「名も無く貧しく美しく」か「ウルトラマンタロウ」が有名ですが、役どころとしては、昭和の頑固親父である「あばれはっちゃく」の父親役が一番輝いてました。昭和40年代ぽくて、当時の子供たちは、みんな親しみを感じていました。

 その逆が、ケンちゃんシリーズのドラマで、お上品すぎてリアルさに欠けていました。こんなおとぎ話のような家庭があるんだろうか?と、当時の子供たちは不思議そうに見ていたと思います。

 話を戻します。

 堀江美都子は、スポーツ根性ドラマの主題歌も歌っていました。 金メダルへのターンとか、燃えろアタックとか、決めろスマッシュとかです。特に小林亜星が作った『決めろスマッシュ』の主題歌は、一度聞いたら忘れられなくて、頭の中にこびりついてしまって耳から離れなかった。そのくらい声が透き通っていた。というか、当時はテレビをつけたら必ず何処かで堀江美都子の歌が聞こえてきたので、その声が脳にこびり付いて、離れなかったんだと思います。





 ちなみに堀江美都子のデビューは、12歳の頃で、タツノコプロの紅三四郎の主題歌を歌っていましたが、それが大阪万博の前である昭和44年(1969年)ですから驚きます。私が子供の頃は、タツノコプロのアニメが全盛期で、宇宙エース、マッハGoGo、ハクション大魔王、 みなしごハッチ、いなかっぺ大将、科学忍者隊ガッチャマン、けろっこデメタンといった人気アニメを次々と作っていて、みんな夢中で見ていました。

 その中でも、きわものだったのが『新造人間キャシャーン』で、当時、社会問題となっていた公害を防ぐためにロボットを開発したら、そのロボットが、公害を無くすために、公害の原因となる人間を抹殺するという、とんでもないストーリーでした。

 しかも、そのロボットたちは、人間抹殺ロボットを工場で大量生産して、雲霞のごとく攻めてくる。数十万という数で攻めてくる。とても一人のヒーローで太刀打ちできない。それを人間側のヒーロー(キャシャーン)が、核兵器ぽい超破壊光線で爆破して地球を汚染するといった物語で、よく、こんなアニメを作ったものだと感心します。

 私がジブリの『風の谷のナウシカ』を見たときに、真っ先に思い出したのが『新造人間キャシャーン』で、ナウシカに出てくる王蟲がロボットで、巨神兵がキャシャーンにダブって見えました。

『風の谷のナウシカ』は、『新造人間キャシャーン』を逆さにしたアニメにしか見えなかった。

宮崎駿は、こういうところを頂く癖があるので、どうしても、そんな風に疑ってしまう。


 ちなみに『新造人間キャシャーン』の主題歌を歌っている人は、佐々木 いさおさんで、実は彼のお母さんとは知り合いです。30年前に毎週のようにお茶をしたことがあります。彼のお母さんは、若い頃から起業していて会社の女社長で、肝っ玉かあさんという感じでした。面白い話をたくさんしてくれました。京塚昌子さんみたいな感じに太っていて足を悪くしていました。が、若い頃はミス日本みたいな美人で、週刊誌か何かに写っているご自分の写真をみせてくれて、それが絶世の美女だったので驚いた記憶があります。

 今思えば、佐々木 いさおさんの子供の頃のことを、いろいろ聞いておけば良かったんですが、エチケットとして話題にするのを避けていたので、今更ながら、ちょっと勿体なかったなと思っています。



つづく。

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posted by マネージャー at 14:35| Comment(0) | アニメ・漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月12日

ドラえもんの主題歌が大杉久美子さんでなくなっていた

 久しぶりに息子と一緒にドラえもんを見たんですが、主題歌を男の人が歌っていて驚きました 。誰が歌ってるのかと調べてみたら星野源らしい。これには二度驚きました。アニメソングを星野源が歌うなんて信じられない。やはりドラえもんは、大杉久美子さんの歌が一番しっくりきます。 それが証拠に、あの歌を聞いたら一発で覚えてしまいます。1回聞いただけで歌詞をスラスラと歌えます。
「こんなこといいな♪ できたらいいな〜」
という歌詞はうちの息子も一発で覚えて今でもスラスラと歌えますが、星野源の歌を歌えると聞いても、歌えません。歌詞が入ってこないのです。





 そう考えると大杉久美子は、やはり天才だった。この人は、今年六十歳となった私が子供の頃から、アニメソングを歌っていました。 最初の頃は、スポーツ根性もののアニメを主に歌っていたかと思います。アタックナンバーワンとか、エースをねらえとかです。 その後に世界名作劇場の主題歌を歌うようになりました。アルプスの少女ハイジとか、フランダースの犬とか、母をたずねて三千里とか、 あらいぐまラスカルとかです。

 世界名作劇場といえば、大杉久美子が定番。その流れでドラえもんの主題歌を歌ったらこれが大ヒットです。実はドラえもんは、日テレでもアニメ化されているんですが、 大ヒットしてなかったのは、大杉久美子の主題歌がなかったからではないかと、私は密かに思っています。

 それはともかくとして大杉久美子の声はよかった。ドラえもんの主題歌では、すばらしさは分かりづらいんですが、 母をたずねて三千里の主題歌あたりになると、その声のすばらしさに感動します。





 ちなみに世界名作劇場の主題歌の作詞は、初期の頃ならばほとんどが、北軽井沢が誇る有名人である岸田衿子さんが 作詞しています。

 アルプスの少女ハイジ
 フランダースの犬
 あらいぐまラスカル
 赤毛のアン

 あたりがそうですね。そして、必ず大杉久美子が歌っていました。ちなみに作曲は、渡辺岳夫さんで、この人も天才ですね。岸田衿子さんと大杉久美子さんと渡辺岳夫さんのコンビは最高だったと思います。この3人が、世界名作劇場の流れを作ったと言っても過言ではないと思います。

 けれど時代が下ってくると、秋元康・谷村新司・小坂明子・さだまさし・斉藤由貴 あたりが作詞するようになり、森田公一といった有名どころが作曲するようになり、いわゆる流行歌手が歌うようになってしまいました。大杉久美子さんの出番がなくなってしまったわけですが、大杉久美子さんの声を聞けない世界名作劇場って、なにか物足りないし、岸田衿子さんのほんわかした歌詞がないのも、渡辺岳夫さんの曲が聴けなくなったのも淋しかった。


 話は、ちょっとずれてしまいますが、世界名作劇場の最高傑作は、個人的にはペリーヌ物語だと思っています。ハイジでもなければ、フランダースの犬でもない。ラスカルでもないし、赤毛のアンでもない。左翼主義者でもあるジブリの作家たちが「資本家のアニメだ」とボイコットして手を貸さなかったペリーヌ物語だったと思います。





 これは子供にはわかりにくい。私は、リアルで見ていましたが、当時の私は高校生だったために、途中で「これは凄いアニメだ」と気が付いた。いわゆる「家なき子」の女の子バージョンの話なのですが、内容は「小公子(リトルプリンス)」に近い。けれど小公子なんかよりも、すごく奥が深かった。そのうえ実際のモデルが存在していて、理想的な会社が存在することを知って、ものすごく驚いた記憶があります。

 そもそも主人公が、フランス人とインド人のハーフで、旅の途中で父と母を失うにもかかわらず、全く悲しい話になってない。大杉久美子の明るい歌声と、キューティーハニーの曲を作った渡辺岳夫の曲があるために、全く悲壮感を感じさせず、そのうえ物語が、やたらと明るい。最低の状況なのに、やたらと明るい。ジブリの連中が途中で消えているのに、レベルが落ちてないどころか、今までに無い最高傑作になっていたのも凄かった。

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、ドラえもんといい、世界名作劇場といい、ひとつの時代を作った大杉久美子が、いつのまにか消えてしまったことには、少しばかり淋しい気持ちがあります。



つづく。

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posted by マネージャー at 17:22| Comment(0) | アニメ・漫画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月11日

JAの食材宅配の車をよく見かけるようになってきた

 今週末は、嫁さんが息子を連れて実家に里帰りしています。なので、週末なのに食事が提供できず、予約サイトにも素泊まり限定にしていました。なので、お客さんは全員が素泊まりです。緊急事態にもかかわらず、素泊まりにもかかわらず、予約が入ってくるのは、人には北軽井沢にくる用事があって、いくら新型コロナウイルスでも、それを止めることが出来ないからでしょう。御客さんには、車で1時間の近県の人も泊まっていますから、大切な用事で北軽井沢にきているに違いありません。

 で、今日も愛犬を連れて小浅間山に散歩に行ったのですが、あすかわらず登山口には大量の車が泊まっていて、大勢の人たちが小浅間山に登っていました。国道146号も、車でいっぱいで、多数の県外ナンバーが走っていました。おそらく別荘族なんでしょうが、感染を恐れて北軽井沢に疎開にきていると思われます。

 なので、疎開を考えている別荘族の方たちに、ビジネスで北軽井沢に泊まろうとしている人たちに向けて、最近の北軽井沢の状況をお知らせしておきます。

 緊急事態宣言で、北軽井沢の何が変わっているかと言うと、レストランです。多くのレストランが休業しています。営業補償をもらえるからです。ペンションなどの宿屋には、そういう保証がありませんので、宿は空いていますが、レストランは、必ずしもそうではありません。そのうえ閉店してしまったレストランも何軒かありますので、外食がとりずらくなってきています。ですからコンビニを利用することになりがちになります。でなければ、スーパーで総菜を買うということになります。このあたりを計算して北軽井沢にくるとよいと思います。そういうことを想定して、うちの宿には、電気ポット・電子レンジ・共同の冷蔵庫がありますので、御客さんに使ってもらっています。

 あと、これは地元民が主に利用しているのですが、JAの食材宅配を利用する人たちが大勢います。とにかくJAの食材宅配を利用する人たちが増えましたね。うちの御近所さんも、奥さんの妊娠を機会に毎日配達してもらっていました。少し前までは、コンビニに車を駐めると、JAの食材宅配の営業さんからよく声をかけられました。特に嫁さんのお腹が大きいときには、毎回声をかけられたようです。コンビニ前で待ち構えるのは、賢いなあと感心したものです。





 けれど新型コロナウイルスになってから、そういう営業さんを見かけなくなったので、いまは営業どころでは無いくらいに忙しいんでしょう。うちの前にある村道にもJAの食材宅配の車がガンガン走っています。宅急便の車もガンガン走っていますね。外出すると、JAの車と、ヤマト運輸の車ばかり見かけますね。



つづく。

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2021年09月10日

小浅間山で2頭の大型犬が迷子です

 今日の朝10時頃に小浅間山に登ったんですが、登山道の途中で2頭の大型犬が、登山客に吠えまくっているのを発見しました。おそらく迷子犬だと思われます。なんとか確保して帰ろうかと思ったんですが、非常に攻撃的な犬だったので確保をあきらめて写真を撮ってたった今(12時)帰ってきたところです。

F1000047.JPG

 小浅間山の登山道は、カモシカが非常に多いところです。晴れている限り私は毎日登っていますが、2回に一回はカモシカに出会います。実は皆さんも小浅間山で出会っているはずなのですが、草木の陰で動かずにじっとこちらを見ているために気が付かないだけです。カモシカというのは縄張り性動物なので、毎日同じ所を歩いてマーキングします。そして小浅間山の登山道から浅間山の登山道にかけて、よくマーキングの後をつけています。つまり登山道のあちこちが、カモシカの住処であるわけです。

 こういうところに慣れてない猟犬や攻撃的な犬をノーリードで連れて行けば、カモシカを追いかけるなというのが無理な話です。カモシカは、急な崖をぴょんぴょんと飛んで行きますので犬がそれを追いかけてしまったら、飼い主はもう確保することはできません。こうして何匹もの犬が、小浅間山で迷子犬になるわけですが、犬を飼ってる人は、小浅間山が、こういう山であることを知っておいた方がいいですね。

 ちなみにうちの犬も、子犬の頃は何度もカモシカを追いかけようとして、慌てて止めました。今はカモシカやヤマドリがいても絶対に追いかけず、ピクリとも動きません。そうなるように訓練するのに3日ぐらいかかりました。ちなみに犬種は、頭が良いことで有名なシェットランドシープドッグです。まあそんなことはどうでもいいとして、飼い主の方は、心配されていると思いますが、今でも二頭は小浅間山の登山道の中でうろうろしていると思います。そして時々、登山客に攻撃的に吠えていると思います。世の中には犬嫌いの人もいますので、事故が起きる前に急いで確保してください。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

追伸(15時31分)

小浅間山で出会った迷子の大型犬2匹のことですが、飼い主と連絡が取れました。脱走した犬でした。もの凄く遠いところから脱走したようです。脱走経路は、大日向方面から、山の中を林道経由で小浅間山に到着したと思われます。犬種はセッター(猟犬)なので動物を追いかけて遠くに北可能性があります。ちなみに親子。吠える方が母親です。子供を守ろうとしているかもしれません。見つけた方は、佐久保健所に御連絡を。飼い主に連絡が行きます


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追伸(8時30分)


ご報告。
 1匹は怪我をしてたのを料金所近くで捕まえた人がいて、警察に保護されて救われました。子供の方です。もう1匹は、太平洋ゴルフのところで夜に飼い主が保護されています。1匹は北軽井沢動物病院で入院しているそうです。
 脱走した原因は、犬舎の柵の隙間から子供の方が逃げ出して、それを親が追いかけたようです。飼い主さんの話では。親は絶対に逃げなかったらしいのですが、子供は初めての軽井沢だったので、小さな隙をみつけて脱走し、慌てた親が追いかけたのではないか?と飼い主は推測しています。

 私が、小浅間山で攻撃的なセッターに出会って、どうしても確保できなかった理由は、親が子供を守ろうとして攻撃的であった可能性があります。結果として、2匹バラバラになり、確保しやすくなったのではないでしょうか? あと、セッターのような、いくらでも走る犬種にはGPSも検討した方がいいかもしれませんと言っておきました。

 今回は運良く、大日向方面から、人通りのある小浅間山方面に向かってくれたから助かりましたが、逆方向に向かっていたらアウトだったので、運がよかったと思います。あと飼い主が、すぐに保健所に通報したために発見者の私と、すぐに連絡がとれたので、探す範囲が限定されたのもグッジョブでした。それとsnsの効果というか、威力も凄いなあという感想です。迷子犬対策には、保健所への通報とsnsへの連絡が一番ですね。



つづく。

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2021年09月09日

浅間牧場と「月がとっても青いから」

 今日も浅間牧場を歩いてきました。私は、この浅間牧場が大好きで、天気がよい日は必ず愛犬コロと散歩します。浅間牧場では、数々の映画のロケ地になっています。古くは、木下恵介の「わが恋せし乙女(昭和21年)」。井川邦子、東山千栄子、原保美、安部徹などの大御所が出演しています。東山千栄子は、日本ユースホステル協会を作った横山祐吉氏のご友人でもあります。正月になると、横山祐吉氏の自宅でカルタ大会をやって遊びましたが、その中に、結婚する前の横山祐吉氏の奥さんもおられましたけれど・・・。


 あと、日本最初のカラー映画で、木下恵介監督「カルメン故郷に帰る(昭和26年)」も、浅間牧場をメインに撮影しています。浅間牧場には、カルメンの樹という樹木が今でも残っていて、私は、その木を毎日のように眺めています。主演は、高峰秀子、小林トシ子、笠智衆です。この映画には、今は無き草軽鉄道の北軽井沢駅が写っています。

 ただし、もう一つの舞台である小学校が、千ヶ滝小学校が舞台なので、浅間山がスクリーンに逆に写ってしまっています。ちなみに千ヶ滝小学校は、千ヶ滝温泉のそばにあったテニスコートのところにありました。旧西武デパートの隣になります。この小学校には、西武グループのニ代目にあたる堤義明も通っていたし、山本五十六のお子さんも通っていたと言われています。山本五十六のお子さんと平成天皇は、非常に仲がよくて、千ヶ滝でよく遊んだと言う話を聞いたことがあります。そういうこともあって、平成天皇は、千ヶ滝に思い入れがあったようですね。

 話がそれました。

「あの丘越えて(昭和26年)」も浅間牧場で撮影されています。オープニングから美空ひばりが、馬に乗って浅間牧場で歌っている姿は、かなり壮観です。鶴田浩二も、すごい美男子で、いい演技をしています。ただし、浅間牧場からカットが変わって、上高地になったりする。上高地と浅間牧場が繋がっているのは、山屋としては、どうもね。浅間牧場の隣が大正池というのに興ざめします。





 そして「月がとっても青いから(昭和30年)」も、浅間牧場で撮影されています。これは、映画より菅原都々子の歌う同名の歌謡曲の方が有名ですね。菅原都々子は、『佐渡ヶ島悲歌(エレジー)』などを歌い悲壮感のある声質も相まって「エレジー(悲歌)の女王」と異名をとる歌手でしたが、『月がとっても青いから』の妙に明るくてテンポのよい曲を歌うことによって大ヒット。映画のヒットとの相乗効果で、100万枚の大ヒット作になりました。現在の3000万枚に匹敵する売上げだそうです。いわゆるメディアミックスですね。この大ヒットで、菅原ツヅ子は、『北上夜曲』とかをヒットさせますが、これもメディアミックスでした。

(余談になりますが、日活の『北上夜曲』の中島監督は私の恩師にあたります。もう一つ余談をいうと松原智恵子のデビュー作で当時は超絶美人でした)





 ちなみに「月がとっても青いから」の監督にあたる森永健次郎は、私の恩師にあたり学校や私生活でたいへんお世話になりました。一癖も二癖もある映画監督が多い中で、森永健次郎氏は、穏やかで人徳者だったために、仕事が大量にやってくるという状態だったので、ものすごい数の映画を撮っています。アイドル映画の監督をやることもおおく、映画をヒットさせました。

 すごいなあ・・・と思ったのは、吉永小百合・芦川いづみ・浅丘ルリ子・和泉雅子が主演する『若草物語』で、たった1分銀座を歩くだけのシーンに、銀座のセットを作って撮影したというエピソード。映画が娯楽の王様だった時代は、すごいことをやったんだなあと感心したものですが、そんなことが許される監督は、そうそういるものではなく、誰からも慕われる森永健次郎監督だったから出来たのだと思います。





 ただ、森永健次郎監督は、歴史に名を残した人ではありません。よくも悪くも無難な映画をとる人で、それだけに、いろんな人から重宝された監督だったようです。映画監督が、全て黒澤明だったら、映画館は、もう少し肩肘張った場所になっていただろうし、もっと早くにテレビに負けていた可能性がありますから。

 そういうわけで、「月がとっても青いから」も、典型的なメロドラマでした。当時の女性たちが好んで見ただろうという映画でしたね。悲歌(エレジー)の女王と言われた菅原都々子の一番の大ヒット作が、悲歌(エレジー)でなかったということが、それを物語っています。やはり大衆が求めるものは、明るくて楽しい映画であり、テンポのよいポップな歌なのでしょう。

 それから映画「月がとっても青いから」には、草軽鉄道の勇姿が見られる数少ない映画でもあります。




つづく。

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posted by マネージャー at 23:46| Comment(0) | 北軽−浅間牧場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月08日

空飛ぶ座布団

 最近、雨ばかりで、山に登れなくて、引き籠もっているので体の調子が悪くてイライラしています。こういうとき、近くにジムが有ったらと思いましたが、よくよく考えたら新型コロナウイルスがあるので、仮にジムが有っても通えませんね。でも、まあ、やまない雨は無いわけですし、新型コロナウイルスがおさまってから、晴天つづきの日本晴れになってくれたほうが、ありがたいと思い直しました。

 心配なのは、ドングリ・栗などの出来具合ですね。これが不作になると、山からイノシシやクマたちが下界に下りてきて畑を荒らしますから、そっちの方が怖いです。11月15日になると、狩猟が解禁になりますが、そのときにハンターさんたちが、うちに泊まりに来ますが、彼らの情報によると、最近のクマたちの動向に驚かされます。去年は、37頭も下界に現れたクマが捕獲(殺された?)されたと伺いました。去年も長雨でドングリが不作だったし、その前年には、台風19号がありましたから、それと関連があったのかもしれませんが、原因は分からずじまいです。

 嬬恋村にクマが多いことは、20年前から知っていましたし、登山ツアーで何度も出会ってますし、個人的にクマの定点観察を、桟敷山・鼻曲山付近でしたこともあります。シャクナゲ園でも毎年のようにマーキングされていますし、旧草軽鉄道跡地・浅間牧場とゴルフ場の境界線にもよく出没します。

 秋になると夕方17時頃に、大きな雄クマが、大きな体をユサユサと揺らしながら、道路をよこぎって浅間牧場に入っていくのを何十回とみていました。それが、ある年度から、ぱったりと見えなくなってしまうと「捕獲されてしまったのかなあ」と心配してしまう。小浅間山でも、ここ5年くらい、クマを見なくなりました。新しいマーキング(爪痕)もありません。そうなると「捕獲されてしまったのかなあ」と思ってしまう。

 去年、小浅間山に登に行ったら、登山口で軽井沢町役場の人と警察が、登山者にチラシを配っていました。私ももらって登山しながらチラシを読んだんですが、内容がお粗末だったので、余計なことだとは思いつつ、これは間違いだという点だけを指摘しましたが、当人は、チラシを配るのが目的だったようで、指摘しても無駄でした。特にクマ鈴が効果あるような書き方は、まずいと、理由もつけて言ったのですが、柳に風というか、
「この道路は営林署の管轄だから」
という見当違いの発言が飛び出すしまつで、こりゃダメだと立ち去りました。ただ。若い警察官だけは、しきりに感心してクマの話を聞きたがっていたので、現場の最前線にいる人たちは、好奇心が強いんだなあと感心しました。

 それはともかくとして、気になることは、最近、鹿が増えてきたことです。20年前には全くみなかった鹿たちを、軽井沢からの買い物帰りに、よく見かけるようになってきました。ちょっとヤバいなあと思っています。逆に見かけなくなったのが、フクロウです。台風19号以降、フクロウを見かけなくなっている。それ以前は、うちの近所の森でも、よく見かけたのに。これは台風19号による水害が原因だったのか? それとも、最近、大量に建設されている太陽光発電が原因なのか? よくわかりません。おそらく両方が原因なのでしょうが、いぜんは、何度も見かけたフクロウを全く見かけなくなったのには、ちょっと焦りを感じています。





 唯一の救いは、夜に軽井沢から国道146号を走ると、森の中から座布団(むささび)たちが飛び回っているのを、時々、見かけるのが救いです。そして空飛ぶ座布団を見かけた日は、かならず良いことがあるから不思議です。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:39| Comment(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月07日

ロックダウンによって幼児の自然免疫を弱体化させてしまっている?

 そういえば、ちょっと前に、2021年の東京都のなんでもない「ふつうの日」はたった28日で、あとは “緊急事態” と “まん防” に塗りつぶされたと言うニュースがありましたね。
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01066/

 1年の9割が “緊急事態” と “まん防” とは、異常ですね。バイデン大統領とのコネを使って、管総理が、すぐにワクチンを1億本確保してくれたのは、管内閣の大きな功績で、この内閣は歴代内閣の中でも、かなり仕事をしたと思っていますが、一つだけ納得いかないことがあります。前任の安倍内閣が、新型コロナウイルスを二類から五類に引き下げることに同意していたのに、それを撤回してしまったことです。





 まあ私は、医療のことに関して素人なので、いろいろ難しいことがあるんだろうなと、推測するしかないわけですが、イベルメクチンの問題とか、アビガンの問題とか、カクテル療法の問題とか、開業医が経営に苦しんでる問題とか、もう、何が何だか・・・わけ分からない。いったい、どうなってるんでしょうかね?

 それはともかく、群馬県の感染状況ですが、ようやくピークアウトしたようです。感染者が三日続けて二ケタ台におさまっています。感染者の大半は、伊勢崎・太田・館林地区ばかりで、大半が二十代以下の若い人たちです。特に園児・小学生などの子供たちが目立ちます。ワクチン未接種者で、無症状の人たちも多い。つまり濃厚接触者ということになります。吾妻郡でも、今日は、一人感染者が出ました。二十代の会社員だそうです。で、高齢者に感染者がいないのは、ワクチン接種と関係があるかもしれませんね。ただ、ワクチンを接種しても感染はするらしいですから、無症状なだけで、高齢者における潜在的な感染者は、もっと多いのかもしれません。

https://www.pref.gunma.jp/02/z87g_00647.html

 それにしても、今回、つくづく良かったと思うことは、嬬恋村という、とんでもない田舎に住んでいたことです。田舎すぎて、嬬恋村には、あまり感染が広まらなかった。あと、役場のがんばりで、ワクチン接種が早期に完了した。隣の長野原町にいたっては、嬬恋村より何ヶ月も前に、つまり夏前に町民のワクチン接種が終わっていた。他の吾妻郡の市町村も、早期に接種を完了していた。

 あと、嬬恋村でペンションや貸別荘をやっている人の中には、渋川市・高崎市・軽井沢町の住人もいたけれど、その地域のワクチン接種が遅れていたので、嬬恋村に御願いしたところ、嬬恋村が受け付けてくれたということもありました。町村の範囲を超えて接種したこともよかったと思います。また、職域接種ということで、単なる自営業者も、観光業者ということでひとくくりにして、早期にモデルナワクチン接種できたことも大きかったと思います。観光業者が、夏休み前に接種できたことで、どれだけの安心感があったことか・・・。

 問題は、子供たちですね。嬬恋村でもそうですが、12歳以下の子供たちには、ワクチン接種をしていません。だから若い人たちの感染がとまらないわけで、群馬県感染者の大半が若い人たちになっている。この問題をどうするかです。

 それから心配なのは、RSウイルスです。RSウイルス感染症は、乳幼児に多く認められる急性呼吸器感染症で、生後1歳までに50%以上が、2歳までにほぼ100%の人がRSウイルスの初感染を受けるといわれていますが、ロックダウンによって感染の機会を失っているために、3歳以降に感染することによって、重症化するケースが多くなり、酸素投与、輸液や呼吸器管理などの対症療法が必要となる可能性があるらしい。





 つまりロックダウンによって、子供たちは一種の無菌状態にされてしまい、自然に感染するはずの感染機会(例えばRSウイルス感染)を奪うことになっている。これが幼児の自然免疫を弱体化させてしまうことになっている。幼児に免疫の借金をさせている。そのために未来の別の感染爆発を引き起こすことになっている。幼児生命を危険にさらしている。という医師たちからの警告がでている。この警告を心しておいた方がいいかもしれません。

 新型コロナウイルスによって、私たちの自然免疫は、少しずつ削られている可能性があることを・・・・。




つづく。

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posted by マネージャー at 22:32| Comment(0) | パンデミック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月06日

テレビ番組「孤独のグルメ」の録画を見た後

 孤独のグルメの録画をみたら腹が減ってしょうが無い。仕方が無いのでスーパーに出かけたら、まだ昼の13時だというのに、御弁当コーナーで、鉄火巻きの半額セールをやっていました。これはいいと、2パックも買ってしまった。あとマス寿司も半額だったので、1パック買ってしまった。3パックで、たったの600円。ついでに見切り品のアボガドも買った。これが我が家の夕食となる予定。





 ちなみに、その日の御客さんは、9人。9人分の夕食は、ステーキ&ガーリックスープの予定だったが、鉄火巻きを買ってしまったので、山賊焼きと、コーンスープに変更することにした。鉄火巻きを美味しく食べるためである。もちろんタルタルソースは、卵多めに甘く作るし、量も多めに作る。コーンスープもいつもよりクリーミーにする。

 で、御客さんに食事を出し終えて、息子と嫁さんに鉄火巻きを食べさせ、御客さんの食べ終わった皿を洗い終えたあとに、一人、にやつきながら、私一人だけの孤独な夕食が始まる。まず、ちょっと多めに作ってしまったタルタルソースに、スーパーで買ってきた鉄火巻きをつけて頬張る。これが美味いのだ。醤油にワサビもいいけれど、半額セールの鉄火巻きは、あえてタルタルソースにつけて食べる。

 あと鍋に、こびり付いているコーンスープにも鉄火巻きはあう。もちろん鯖寿司にもあう。安いマグロとマヨネーズは、もともと相性がいいので、スーパーで売られている半額セールの鉄火巻き・鯖寿司とも相性が良い。もちろん、見切り品のアボガドもタルタルソースに合う。むしろ見切り品のほうが美味しい。

 10人近い御客さんに夕食を出し終わったあと、
 残り物で孤独に飯を食べる楽しみは、何物にも代えがたい。
 仕事帰りに食べる牛丼の美味さにも匹敵する。だから

「孤独のグルメで吉野屋の牛丼をやってくれないかなあ」
「かつやのロースカツ定食をやってほしい」

と思ったりする。松重豊さんが演じる井之頭五郎が、どんなチョイスをし、どんなセリフを言いながら食べるのか見てみたい。かつや、吉野屋、大戸屋、サイゼリアあたりで食べる姿をテレビでみてみたいけれど、まあ、無理だろうなあ。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:21| Comment(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月05日

嬬恋村のワクチン接種が全て終わったようです。

 今週も雨でしたね。泊まりに来てくれた御客さんには、申し訳なかったです。今年の天気はどうなってるんでしょをうかね? 逆に言うと、この湿気のおかげで、多少は新型コロナウイルスの感染が防げたかもしれません。

 それから驚いたんですが、いつのまにか管総理が辞職宣言していたんですね。おつかれさまでした。管総理は、いろいろ言われていますが、2つほど素晴らしい実績を残してくれました。まず、携帯料金の値下げを打ち出したこと。このおかげで、楽天をふくめ、各社の携帯がずいぶん安くなりましたね。もう一つは、渡米して、すぐに1億本のワクチンを確保し、早急に高齢者に接種したことですね。





 ちなみに嬬恋村は、希望者全員が、ワクチン接種を完了しています。関係者の皆さんの努力のたまものですが、なんだかんだと言って、役場の保健課の作業能力が高かったのではないかと思いますね。

 すごいなと思ったのは、ワクチン接種会場に、いろいろな健康器具が置いてあって、野菜接種不足を調べてくれたり、女性の骨密度を測ってくれたりしてて、単なるワクチン接種で終わらせなかったことです。そのあたり、嬬恋村の保健課の人たちは、よくやっていたと思いますね。また、観光協会も、観光関係者に職域接種として、早期にワクチン接種をすすめるなど、いろいろ手をつくしてくれました。いろんな人たちが、頑張ったと思います。

(ちなみに12歳以下の子供にはワクチン接種をしていません)


つづく。

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posted by マネージャー at 22:43| Comment(0) | パンデミック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月04日

嬬恋村の小学校でもオンライン授業を検討しているらしい

 嬬恋村の小学校でも、オンライン授業を検討しているらしく、学校からネット環境のアンケートがきました。それに対して息子は、ワクワクが止まらない感じです。



開始位置


 とにかく、うちの息子は新しいもの好きで、何か変わったことが始まるのが大好きです。ただ、困ったことに、最近のうちの息子は、やたらとネットに強くなってしまい、変なサイトを見たがって困るので、フィルターをかけるようにしたのですが、世の中の大半の子供たちが、そうであるように、易々とフィルターを突破してしまいます。そして、ひまさえ有れば何か検索している。全く困ったものです。


 こうなると、制限がかかっている子供用のパソコンが売ってないか調べたんですが、そんなものはない。せいぜいチャレンジタッチか、スマイルゼミくらいしか無い。そのチャレンジタッチも、問題が簡単すぎるために1週間で終わってしまう。うちの息子は、年長の頃からやっていたために、1年先取りでやっているのですが、それでも1週間で終わってしまう。で、大人用パソコンでYouTubeや、ゲームをやりたがる。まったく困ったものです。





 で、もっと困った事には、こっそり見よう見まねで、独学でパソコンを覚えたために、かな変換になってしまっている。私も嫁さんも、かな変換なために、それを盗み見ながらパソコンを覚えたために、人差し指のかな変換で、パソコンをいじっている。このまま放置して学年が進むと、後遺症が残るので、もう諦めて、本格的にパソコンを教えてしまおうか、どうしようか真剣に悩んでいる。

 つまり、ローマ字変換のブラインドタッチを教えるべきか、それとも、このまま放置すべきか・・・・悩んでしまう。

 私は、パソコンも、スマホも、15歳くらいまで、やらせる気は無かった。しかし、学校がタブレットを教えることによって、味をしめた息子は、勝手にパソコンもスマホも覚えてしまった。独学で覚えたために、今は、いびつな使い方になっている。このまま放置するのは危険だし、かといって、パソコンを厳禁させるのも現実的で無い。学校教育で導入するようになっているわけなので、どこかで妥協点をみつけるか、本格的に教えるかのどっちかだが、悩ましい。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:51| Comment(0) | パンデミック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月03日

楽天モバイルと楽天経済圏

 先ほど楽天モバイルから電話があって、楽天モバイルのルーターをつけさせてほしいということだった。もちろん、こちらに異存は無い。むしろ大歓迎である。これで、うちの宿に楽天モバイルの電波が入ることになるからだ。御客さんにとっても良いことであるし、我が家にとっても朗報である。というのも、我が家では、夫婦で楽天モバイルに加入しているからだ。

 楽天モバイルの料金は、本当に安い。電話しか使わなければ、ゼロ円というのがいい。ネットをやったとしても、動画を見なければゼロ円。新型コロナウイルスで経営が厳しくなっているおりなので、こういう格安スマホの出現は、本当にありがたい。

 そう言えば、楽天トラベルからの予約も多くなってきた。楽天経済圏で生活している人が急増している気がする。楽天市場で、ふるさと納税し、楽天ひかり、楽天証券、楽天銀行、楽天ブックス、楽天モバイルを使って、多額のポイントをあつめ、そのポイントで無料旅行にくる人たちが増えてきている気がします。楽天経済圏、おそるべしです。





 うちは宿屋なので、消耗品の大半は、毎月やっている楽天のスーパーセールか、お買いものマラソンで仕入れています。つまり毎月1万円以上のポイントがたまり、それを仕入れに使っているので、仕入れ額がガクンと減っている。電氣・灯油などの光熱費もカードで決済しているので仕入れ額が減っている。それを考えると、情報弱者にとっては生きにくい世の中になっている。情報を知らなければ、損する社会システムができあがってきているからだ。

 そして、それを逆手にとった詐欺行為も横行している。詐欺でないにしても、情報弱者を騙すように契約を迫ってくる悪質な電話が多くなってきた。もうしわけないが、楽天モバイルから電話があったとき、その手の詐欺かと疑ってしまった。全く面倒くさい世の中になってしまった。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:38| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月02日

情報の質

 むかし『大草原の小さな家』という西部劇のテレビドラマがあって、子供の頃によく見ていました。いまでも、全話おぼえています。そのドラマで、こんな話がありました。





 ある子供の父親が文字を読めなかった。そのせいで、その子はみんなに馬鹿にされ、虐められます。それが悔しくて父親に訴えるのですが、その子の父親は、大笑いして
「そんなこと気にするな」
と、全く気にしません。でも、悪ガキたちが
「おまえの父ちゃん、文字読めねえの」
「バカだなあ」
と、その子の父親を馬鹿にします。その子の心は傷いて、牧師さんに訴えますが、牧師さんも大笑いして「気にするな」と言いますが、その子は気して引きこもりになってしまう。そこで牧師さんは、日曜の教会でみんなを集め、悪ガキたちに聖書を読んでくれとたのみます。悪ガキたちは、得意満面になって、文字を読めない人の前で聖書を読もうとするのですが、読めません。
「牧師さん、読めません」
「どうしてだね?」
「デタラメが書いてあります」
すると牧師さんは、その聖書を文字の読めない人に渡して、その人に読むように言います。すると、その人は、スラスラと聖書をドイツ語で読みました。父親が文字を読めなかったのではなく、英語が読めなかっただけだった。アメリカは移民の国だけれど、子供たちには、それが良く分かってなかったというオチだった。


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 話を変えます。
 ユースホステル運動の話です。

 ユースホステル運動をはじめたリヒァルト・シルマンは、教室から野外へ子供たちをつれだし自然、歴史、地理を教えました。これをシルマンは、『移動学校(ワンデルンデ・シュール)』と呼び、この移動学校から、ユースホステル運動が誕生するのです。

 1901年。シルマン、27歳。彼は、ルール地方の中心地ゲルゼンキルヒュンで教職につきます。シルマンは、公害の巣窟である都市にすむ子供たちに、ワンデルンデ・シュールを実行したいと思い、町からほんの2〜3キロ離れたウェストファリアンの丘まで子供たちを遠足につれていきました。幼ない子供たちの瞳は輝き、

「わあ、魚だ」
「ほんと、生きた魚だよ!」

と単なる魚に感動しました。ルールの子供たちは、これまで生きた魚を見る機会さえ、めったになかった。これに驚いたリヒァルト・シルマンは、子供たちに実物教育の必要性を感じ、ユースホステル運動が生まれていきます。これが明治36年のドイツの話です。

 私は、このエピソードを知ったとき、
「産業革命は、こういう子供たちを作り出したのか」
と感心したものです。そして、リヒァルト・シルマンの伝記を出版したわけですが、その数年後に息子が生まれ、幼児教育について調べていたら、全く同じエピソードが、同時代の日本にもあったのに愕然としました。

 ドイツの都会の子供はハイキングで「生きた魚だ!」と生まれて初めて見る生きた魚に感動するわけですが、これと同じ事が明治の日本にもあったわけです。けれど日本の子供は、都会の子供では無かった。そもそも、明治の日本には、ドイツのような工業化は進んでおらず、都市化も進んでなかった。普通の日本の子供たちが、どういうわけか、生きた魚を知らなかったのだ。

 なぜか?

 子供たちが食べていた魚は切り身だった。または干物だった。だから魚の原型を知らなかった。図鑑もテレビもネットもないので、本物の魚を知りようが無かった。おまけに魚釣りのような娯楽は、当時の子供たちにとっては贅沢な行為だった。

 当時は5歳くらいから子守をさせられていた。裕福であれば別ですが、普通なら小さいうちから子育ての手伝いをさせられ、勉強にしても、漢文と算盤が主流で、現在のような理科を習うことはなかった。女の子は、学校にも行かせてもらえなかった人も多かった。私の祖母も、子守の仕事で学校に行ってないので、文盲だった。

 こういう記録を大量に発見していくと、リヒァルト・シルマンのエピソードも、私たちは勘違いして受け取っていた可能性があるかもしれないと思ってしまう。今と違って昔は、インターネットどころか、図鑑も絵本も、ろくになかっただろうから、当時の子供たちが、魚の原型を知らなかったのは、産業革命や工業化のせいでなかったかもしれない。ただ、単にインプットできる情報が、今とは違っていただけなのかもしれない。





 そう考えると、合点がいくことが一つある。
 明治時代の小学校の教科書の難しさである。
 もう信じられないくらいに難しい。

 アンチゆとり世代の息子たちの教科書も、かなり難しくなっているが、明治の小学校の教科書にくらべれば、なんてことはない。昔の教科書は、とんでもなく難しい。おまけに旧字体で歴史的かなづかいときている。漢字も難解なものが大量に使われている。これを当時の小学生がマスターしたのなら凄い勉強量になる。つまり昔と今では、インプットされる情報の質が違うのだ。





 江戸時代の寺子屋が使っていた教科書(庭訓往来など)になると、もっと難しいし、武家の師弟は、小学・近思録・四書五経をマスターしていたらしいので、とんでもない学力をもっていたことになる。近思録を一回でも読んでみたら分かると思うが、あんなもの大人だって簡単には読めやしない。こういう本を素読する子供たちが、魚の原型を知らなかったからと言って笑えない。

 逆に言うと、明治人・江戸人と現代人の思考回路は、現代アメリカ人と現代日本人の差よりも大きいかもしれない。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:56| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月01日

かって、マイキットという高額な玩具があった

 私が子供の頃は、学研の「科学」と「学習」という雑誌があって、これが凄いものでした。特に付録が凄くて、機械式計算機が付録でついてきたり、ダイオードラジオの組み立てキットや、照度計のキット、プラネタリウム、電気配線ロボット、顕微鏡、化学実験セットなんかが付録についてきたりしました。昭和の子供たちは、それらの付録に熱中しました。電卓もパソコンもインターネットも無い時代でしたので、みんな科学キットに夢中になったものです。

 私が小学校1年になったとき、アポロが月面に着陸し、小学校2年生の時にドラえもんが連載スタートとなり、小学校3年生になった頃には、1970年の大阪万博があり、世の中は科学ブームにわきたち、当時の子供たちは少しでも科学の薫りのするものにあこがれ、熱心に科学雑誌を読みあさっていました。特に離島のド田舎に住んでいた私にとって、科学のかおりのするものと言ったら学研雑誌の『科学』しかなく、それを何回も読みあさっていました。

 で、その学研雑誌『科学』に掲載されていた広告が『マイキット』シリーズです。



 『マイキット』シリーズには、いろいろあって、安いものはマイキット20というのがあって、当時の価格で1500円もした。これは、電子部品の端子と端子をリード線で結ぶことにより、電子回路を作ることができる。マイキット20だと、20の電子実験ができました。トランジスタラジオを作る実験とか、ワイヤレスマイクとか、報知器といった製品を作って実験することができました。

 高いものにはマイキット200というのもあって、そのレベルになりますと、抵抗・コンデンサ・トランジスタが十個以上あって、それらを接続して、超高性能ラジオも作れたし、ステレオアンプ・電子オルガン・嘘発見器まで作れました。200種類の製品を作って実験できたのです。当時の少年たちは、みんな、これに憧れたけれど、高額だったので買ってくれる親などいませんでした。組み立てラジオは買ってもらえても、マイキットを買ってくれる親など皆無でした。

 そもそも当時の親世代(昭和一ケタ生まれ)にとっては、マイキットが何であるかも分かってなかったと思います。「電子部品の寄せ集めなんか買ってどうするんだ?」という感じだったと思います。買ったとしても小学生に、トランジスタとか、抵抗とか、コンデンサーが分かるのか?と思ったに違いありません。それらをつなぎ合わせると、変声器になったり、電子メトロノームになったりする魔法のボックスに対するワクワク感が、理解出来なかったと思います。大人にしたら完成品に価値があるのであって、部品の集合体には、何の価値もなかったことでしょう。





 ようするにマイキットは、当時の子供の贅沢な玩具だったにすぎなかった。それは間違いありません。友人にマイキット20をもっていた奴がいて、それを使わせてもらってラジオを作ってみましたが、苦労して作っても、感度は悪かった。というか、雑音ばかりで良く聞こえなかった。修学旅行で買った組み立てラジオのほうが、よほど放送が聞こえました。でも子供にとって、そんなことは、どうでもよくて、音が聞こえただけで満足し、せっかく作ったラジオを分解し、モールス信号機なんかを作り出したりしました。で、20個の実験が全て終わったら、もう見向きもしませんでしたから、考えようによっては、高価な玩具だったかもしれません。

 そして中学校に入り、技術・家庭科という授業が始まると、マイキット経験者と、未経験者の間に大きな差があることを知って愕然とする。マイキット経験者は、電子用語をすんなり受け入れることができたけれど、未経験者は、
「抵抗ってなに?」
「コンデンサーって美味しいの?」
という感じで、ちんぷんかんぷんだったようです。図面も読めないようだったので、実際の工作の時間にかなり苦労していたように思います。しかし、そのうちに慣れて、なんとかラジオを完成させていたようです。





 その後、高校に入ったとき、高校の物理部に入部しようと見学にいったら世の中が変わっていました。先輩は、時計を製作していましたが、もう電気配線は存在してませんでした。図面も存在してなかった。ICのボックスに全て集約されていて、単に組み立てるだけのしろものだった。ハンダも使われない時代になっていました。それをみた瞬間、急に興味を失ってしまいました。その頃には、マイキットも販売されなくなっていました。

 ところで令和時代の小学校では、プログラミングの授業があるらしい。プログラミングの授業って必要なんだろうか?と思っている私は、かって、マイキットを小馬鹿にしていた昔の親たちと同じ心境なのかもしれません。正直言って、プログラミングの授業やるくらいなら、山でも登って自然の中で実物教育をしたほうが、よほど子供のためになると思っているのだが、そういう考えは古い考えなんでしょうね。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:47| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする