2021年09月02日

情報の質

 むかし『大草原の小さな家』という西部劇のテレビドラマがあって、子供の頃によく見ていました。いまでも、全話おぼえています。そのドラマで、こんな話がありました。





 ある子供の父親が文字を読めなかった。そのせいで、その子はみんなに馬鹿にされ、虐められます。それが悔しくて父親に訴えるのですが、その子の父親は、大笑いして
「そんなこと気にするな」
と、全く気にしません。でも、悪ガキたちが
「おまえの父ちゃん、文字読めねえの」
「バカだなあ」
と、その子の父親を馬鹿にします。その子の心は傷いて、牧師さんに訴えますが、牧師さんも大笑いして「気にするな」と言いますが、その子は気して引きこもりになってしまう。そこで牧師さんは、日曜の教会でみんなを集め、悪ガキたちに聖書を読んでくれとたのみます。悪ガキたちは、得意満面になって、文字を読めない人の前で聖書を読もうとするのですが、読めません。
「牧師さん、読めません」
「どうしてだね?」
「デタラメが書いてあります」
すると牧師さんは、その聖書を文字の読めない人に渡して、その人に読むように言います。すると、その人は、スラスラと聖書をドイツ語で読みました。父親が文字を読めなかったのではなく、英語が読めなかっただけだった。アメリカは移民の国だけれど、子供たちには、それが良く分かってなかったというオチだった。


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 話を変えます。
 ユースホステル運動の話です。

 ユースホステル運動をはじめたリヒァルト・シルマンは、教室から野外へ子供たちをつれだし自然、歴史、地理を教えました。これをシルマンは、『移動学校(ワンデルンデ・シュール)』と呼び、この移動学校から、ユースホステル運動が誕生するのです。

 1901年。シルマン、27歳。彼は、ルール地方の中心地ゲルゼンキルヒュンで教職につきます。シルマンは、公害の巣窟である都市にすむ子供たちに、ワンデルンデ・シュールを実行したいと思い、町からほんの2〜3キロ離れたウェストファリアンの丘まで子供たちを遠足につれていきました。幼ない子供たちの瞳は輝き、

「わあ、魚だ」
「ほんと、生きた魚だよ!」

と単なる魚に感動しました。ルールの子供たちは、これまで生きた魚を見る機会さえ、めったになかった。これに驚いたリヒァルト・シルマンは、子供たちに実物教育の必要性を感じ、ユースホステル運動が生まれていきます。これが明治36年のドイツの話です。

 私は、このエピソードを知ったとき、
「産業革命は、こういう子供たちを作り出したのか」
と感心したものです。そして、リヒァルト・シルマンの伝記を出版したわけですが、その数年後に息子が生まれ、幼児教育について調べていたら、全く同じエピソードが、同時代の日本にもあったのに愕然としました。

 ドイツの都会の子供はハイキングで「生きた魚だ!」と生まれて初めて見る生きた魚に感動するわけですが、これと同じ事が明治の日本にもあったわけです。けれど日本の子供は、都会の子供では無かった。そもそも、明治の日本には、ドイツのような工業化は進んでおらず、都市化も進んでなかった。普通の日本の子供たちが、どういうわけか、生きた魚を知らなかったのだ。

 なぜか?

 子供たちが食べていた魚は切り身だった。または干物だった。だから魚の原型を知らなかった。図鑑もテレビもネットもないので、本物の魚を知りようが無かった。おまけに魚釣りのような娯楽は、当時の子供たちにとっては贅沢な行為だった。

 当時は5歳くらいから子守をさせられていた。裕福であれば別ですが、普通なら小さいうちから子育ての手伝いをさせられ、勉強にしても、漢文と算盤が主流で、現在のような理科を習うことはなかった。女の子は、学校にも行かせてもらえなかった人も多かった。私の祖母も、子守の仕事で学校に行ってないので、文盲だった。

 こういう記録を大量に発見していくと、リヒァルト・シルマンのエピソードも、私たちは勘違いして受け取っていた可能性があるかもしれないと思ってしまう。今と違って昔は、インターネットどころか、図鑑も絵本も、ろくになかっただろうから、当時の子供たちが、魚の原型を知らなかったのは、産業革命や工業化のせいでなかったかもしれない。ただ、単にインプットできる情報が、今とは違っていただけなのかもしれない。





 そう考えると、合点がいくことが一つある。
 明治時代の小学校の教科書の難しさである。
 もう信じられないくらいに難しい。

 アンチゆとり世代の息子たちの教科書も、かなり難しくなっているが、明治の小学校の教科書にくらべれば、なんてことはない。昔の教科書は、とんでもなく難しい。おまけに旧字体で歴史的かなづかいときている。漢字も難解なものが大量に使われている。これを当時の小学生がマスターしたのなら凄い勉強量になる。つまり昔と今では、インプットされる情報の質が違うのだ。





 江戸時代の寺子屋が使っていた教科書(庭訓往来など)になると、もっと難しいし、武家の師弟は、小学・近思録・四書五経をマスターしていたらしいので、とんでもない学力をもっていたことになる。近思録を一回でも読んでみたら分かると思うが、あんなもの大人だって簡単には読めやしない。こういう本を素読する子供たちが、魚の原型を知らなかったからと言って笑えない。

 逆に言うと、明治人・江戸人と現代人の思考回路は、現代アメリカ人と現代日本人の差よりも大きいかもしれない。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:56| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする