2021年10月31日

群馬県民割・愛郷ぐんまプロジェクトを利用する注意点!

 今週末は、愛郷群馬プロジェクトでお客様がいっぱい泊まりに来て下さいました。群馬県民でいっぱいになったわけですが、 いいですね群馬県民は。 たくさん食べてくれるし、フレンドリーで、宿屋としても安心してもてなすことができます。

 ところで、 愛郷群馬プロジェクトなのですが、注意していただきたいことがあります。ベッドを使わない添い寝のお子様は、対象外となってしまうことです。なので宿泊の平均金額が、高額であったとしてもベッドを使わないお子様の分は、5000円の割引の対象外となってしまうということです。うちの宿は素泊まりの料金が5000円なので、愛郷群馬プロジェクトを利用する限り、添い寝で節約することはあまり意味がありません。なので幼児であってもベッドを使うように設定して、なおかつ全員の平均金額が6600円以上である場合は、愛郷群馬プロジェクトの対象になりえます。

 これに、当日に気がついたとして
「添い寝をやめて、ベット付きにしてください」
と言われても、じゃらん楽天で予約された場合は、すでにベッドなしの予約で成立してしまっているために、変更ができません。

 もし割引対象にしたい場合は、一旦キャンセルして予約を再度、取り直すしかありません。または、楽天じゃらんをキャンセルして、宿に直接予約するしかありません。もし、このことに気がついたお客様が降りましたら、宿に直接電話して相談してください。出来るだけ柔軟な対応をしたいと思います。

 また、楽天じゃらんを利用せずに、電話で直接予約してきた場合は、その限りではありません。 こちらの方で融通を利かせることができます。微妙にお金が足りなかった場合は、チェックインの時にビールとかワインを買っていただくことによって、調整することができます。

 ちなみに、明日からは愛郷群馬プロジェクトで7001円以上で宿泊されると、2000円の商品券がもらえるようになります。条件は、愛郷プロジェクトの対象者であることと、一泊7001円以上であること。つまり7001円以上の予約であれば、愛嬌キャンペーンで5000円割引の上に、嬬恋村で使える2000円の商品券がもらえるわけで、7001円の予約の場合は、実質無料で泊まれることになります。群馬県民の皆様は、これを利用しない手はありません。


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【群馬県民割・愛郷ぐんまプロジェクトの詳細】

1人1泊につき5,000円割引の対象となるのは、群馬県に在住する方で、下記@〜Bのいずれかに該当する場合です。

@ワクチン2回接種済みの方(2回目から15日以上経過)
APCR検査陰性の方(宿泊開始日の3日前以内)
B11歳以下の子ども(@とAと同居)
@〜B以外の方は3,000円割引

添い寝は、対象外になります。


割引に必用な書類は、

1.割引対象となる利用者全員の住所が記載されている「本人確認書類」(運転免許証・保険証・マイナンバーカード等)の提示が必用です。

2.ぐんまワクチン手帳(スマートフォン画面/10月13日より群馬県にて運用予定)もしくは「新型コロナウイルスワクチン予防接種済証」(原則として原本紙面、原本の提示が困難な場合は複写もしくは写真でも可)の提示が必用です。新型コロナウイルスワクチン2回目の接種日から15日以上経過しているかを確認します。もしくは、PCR検査による「陰性通知」(通知書面もしくはスマートフォン画面等)の提示でもかまいません(宿泊開始日の3日前以内のもの)。

3.以上の提示により、5000円のキャッシュバックとなります。

4.宿泊予約方法(施設への直接予約、旅行会社経由、宿泊予約サイト経由等)は問いません。すでに予約をしていただいている宿泊も対象となります。


詳細サイト
https://gunma-dc.net/
https://gunma-dc.net/news/aikyougunma/


 6600円の予約なら、1600円で泊まれます。
 7000円の予約なら、実質0円で泊まれます。

 当宿なら楽天トラベル・じゃらんネットの朝食プラン6600円・夕食プラン7000円・二食プラン7800円が5000円割引の対象になります。素泊まりは5000円になるので対象外です。朝食プラン6600円が高め設定にしてあるのは、割引対象にするためです。二食プラン7800円が7000円割引の対象になります。


 群馬県外の方が、朝食プランで予約したい場合は、直接予約すれば、5800円で泊まれますので、直接予約してください。
 ちなみに直接予約は、
・朝食プラン5800円
・夕食プラン6500円
・二食プラン7300円
 になります。

 直接予約で割引を受けられるのは、二食プラン7300円のみになります。

 ただし、平均して一人当たり6600円以上なら5000円のキャッシュバックが受けられるので、夕食プラン6500円であっても、受付の時に食事のビール200円分を同時に買っていただければ、6700円になりますので、5000円のキャッシュバックが受けられます。素泊まり5000円のプランでも、受付の時に同時に1600円分のビール・ジャム・ピクルス・手作りマスクなんかを1600円分を購入していただければ、5000円のキャッシュバックが受けられます。ようするに受付の時に一人当たり6600円以上になるように調整すれば良いと言うことです。

 ただ、この方法は、直接予約の時にしか使えません。楽天トラベル・じゃらんネットの予約では、予約した時点で6600円以上で無いと5000円のキャッシュバックが受けられませんので、注意してください。予約のさいに一人当たり6600円以上になるように計算して予約してください。

 それと最後に群馬県民を証明する資料(運転免許証・保険証・マイナンバーカード等)と新型コロナウイルスワクチン予防接種済証を忘れないでください。では、群馬県民の皆様をお待ちしております。


つづく。

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posted by マネージャー at 20:47| Comment(0) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月28日

天気が良かったので四阿山に行ってきました。

 今日は天気が良かったので四阿山に行ってきました。

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(朝8時に登山開始・これは雪が凍っていると予想しての遅い出発)

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(途中までは雪がなかったけれど、8合目あたりから雪)

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(関東で一番標高の高いわき水)

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(11時に頂上に到着・さすがに寒かった)


  山頂から尾根伝いに浦倉山まで行ったんですけれど、稜線上は雪が凍っていて危険でした。今年は早い時期に秋山が終わってしまいそうな雰囲気です。軽アイゼンを持ってくるべきだったなと反省しています。ちなみに四阿山の階段は、年々劣化が激しいですね。 いつか補修が必要になることと思います。野地平湿原も、乾燥化が進んでいますね。池の平湿原も大平湿原もそうですが、年々乾燥化が進んでいて、笹藪たちが、根を張ってきています。


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(浦倉山山頂・ここで初めて知ったのだが、米子大瀑布へのルートは、台風19号のせいで崩壊し、無くなっているのですね。あまりの事に衝撃をうけました。もう浦倉山から米子大瀑布へ行けないのか・・・と、大ショック!)

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(野地平湿原)

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(14時半頃に下山・さすがに疲れた・でも野地平湿原経由の下山はなだらかでいい! 鳥居峠ルートより楽だと思う)


 ちなみに今回は、スマホでヤマレコをダウンロードして、それを使って登ってみたわけですが、これが非常に便利なことは分かりました。特にショートカットに使えそうなルートや、間違った方向に行った時に注意してくれる機能なんかは、とてもよかったです。ただし、バッテリーをたくさん使うので、そこが危険ですね。モバイルバッテリー充電器を用意した方がよさそうです。でも、あまりこれを過信するとしっぺ返しがくるような気がしました。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:48| Comment(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月27日

11月1日から嬬恋村では、7000円以上の群馬県民のお客様に対して、2000円の商品券が配られるようです。

 11月1日から嬬恋村では、愛郷キャンペーンのお客様に対して、2000円の商品券が配られるようです。まだ正式には決まってないようなんですが、もしこれが本当ならば群馬県民にとっては朗報です。

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 条件は、愛郷プロジェクトの対象者であることと、一泊7000円以上であることだそうです。つまり7000円以上の予約であれば、愛嬌キャンペーンで5000円割引の上に、嬬恋村で使える2000円の商品券がもらえるわけで、7000円の予約の場合は、実質無料で泊まれることになります。群馬県民の皆様は、これを利用しない手はありませんね。私も利用しようと思っています。詳しいことが分かり次第、このブログで発表したいと思います。

 もう一つ言うと、明日は群馬県民の日ですから、群馬県民は、 大抵の美術館や博物館が無料になるようです。軽井沢おもちゃ王国も無料になりますのでどうぞご利用ください。


つづく。

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posted by マネージャー at 21:13| Comment(0) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月26日

野鳥・リス・野生動物の観察

 台風20号は、どうやら日本列島には上陸しなさそうですね。よかったです。逆に言うと11月末に日本列島が暑くなるということはなくなりました。寒いまま、このまま移行しそうです。もちろん日中は気温が高くなることもありますが、夜はヒンヤリするのが北軽井沢というところです。もちろん寒いと言っても例年並みの気温です。今までが暖かかったんです。とにかく北軽井沢に来られる方は、防寒の用意をしっかりしておいてください。

 気を付けなければいけないのは、万座方面に行かれる方です。日によっても違ってきていますが、万座方面の道路、それも志賀高原に向かう道路は凍結しているおそれがあります。特に北軽井沢の夜中に雨が降っている場合は、万座方面では雪の場合が多いですので注意してください。場合によっては通行止めになっています。

 雪が降ると言っても、日中晴れてれば全て溶けてしまいます。だから問題ないといえば問題ないのですが、 北斜面で太陽が当たらない道路があった場合は、そこだけ凍結したままになっていることもありますので要注意です。野反湖方面に向かうお客様にしても同じです。

 紅葉に関しては、カラマツに関しては順調に紅葉しています。他の広葉樹林に関しては、例年より遅めの紅葉が予想されます。標高や冷え込みによっては紅葉する前に枯れてしまうこともあると思います。ちなみに北軽井沢の紅葉は、例年だと10月10日ぐらいから始まるのですが、今年は遅くて今頃から始まっていたり、紅葉する前に枯れる樹木も見られます。そろそろ落ち葉の季節になってきています。もちろん道端には、どんぐりがたくさん落ちています。

 そういうわけなので、野生動物がよく見える季節になっています。運が良ければ、カモシカやタヌキ・キツネに出会えるでしょうし、夜にドライブをすれば空飛ぶ座布団(ムササビ)が夜空を舞ってるかもしれません。野鳥たちもエサを求めて忙しく飛び回っています。うちの宿の庭先にも餌を求めて前を入れるようになってきました。

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 野鳥を見るポイントは、早朝か夕方です。鳥にとっての夜は、人間の2〜3日に相当しますから、夜夜中はお腹が空きます。だから夕方になると一生懸命に餌を取ろうとし、飛び回ります。早朝になれば、お腹をすかした野鳥たちは、必死になって餌を探します。だから人間なんかにかまっている暇もなくて、夢中になってさを探すわけですから、比較的警戒度が薄くなっています。だから朝早くや夕方は野鳥を簡単に発見できるわけです。特に秋口は、冬に向けて太っていないといけないので一生懸命になって餌を探していますから、野鳥観察にはもってこいとも言えます。

 この場合、簡単に野鳥を発見するコツを伝授しておきましょう。ー朝方早くに牧場か畑の方に向かってください。牧場には牛のうんちがあったりしますから、それを目当てにハエが発生します。そのハエを目当てに野鳥たちがやってきます。どうしても見つけられない場合は、畑の周りにある樹木に注目してください。木のてっぺんに野鳥が止まっているのを簡単に発見できると思います。目が慣れてくると畑を低空飛行で飛んでいる野鳥たちがいっぱいいることに気が付くでしょう。

 森の中で野鳥を発見しようとすると、ちょっと難易度が高いかもしれません。その場合は、家の庭で持っていると野鳥が行ってきます。ひまわりのたねや、麻の種を置いてあるからです。時々、 私が麻の種を置くことを忘れてしまっていると、シジュウカラがギャーギャーと「飯をよこせ」と喚いています。仕方がないので麻の種を出すわけですが、その時に真っ先にやってくるのが、うるさいシジュウカラではなくてヒガラのやつです。ヒガラは小さいので、シジュウカラのやつに追い払われてしまうので、私がエサ箱にエサを入れている瞬間を狙って餌を食べに行きます。人間がいても平気な顔をして餌を食べています。私がいる間はシジュウカラの奴らは、餌箱に近づけないので、 それをチャンスにしてヒガラのやつは食べに来るわけです。それがまた可愛らしくて、手乗りになってしまうんではないかと思えてしまうぐらいです。


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 ちなみに日本リスも多くて昔はひまわりの種を食べに玄関先までやってきたものですが、今はお客さんの中に小さいお子さんが多いので、ひまわりの種を置くのをやめてしまいました。というのも野生のニホンリス中には、狂犬病にかかっている可能性がないとも言えないし、ダニをつけているものも無いとも言えません。なので安全なためにリスが寄ってきそうなひまわりの種を置いておくのはやめました。


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 というわけで北軽井沢には野生の動物が多いのですが、見るだけにしたほうが無難です。野生動物には、ダニがついてることも多いですし、どんな病気を持っているかも分かりませんので、 小さなお子さんを連れてるご家族の方は、遠くから見るだけにして消して接触するようなことはしないでください。

つづく。

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posted by マネージャー at 19:10| Comment(0) | 自然−野鳥 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月25日

北軽井沢は寒くなっています!

 全国の新規感染153人となり、1年3カ月半ぶりの200人以下を記録した上に、関東1都6県では、たったの33人という数字になっています。信じられないくらい低い新規感染率となっています。 そのためか、Go to travel の登録をするようにメールが届きました。どうやら群馬県でも go to トラベルが始まりそうな雰囲気です。

 もし go to travel が始まった場合は、群馬県以外の皆様には朗報になります。逆に群馬県民にとっては、悲報となるかもしれません。群馬県民にとって割引率の良い愛郷群馬プロジェクトが、自動的に終了してしまうからです。その場合は、愛郷群馬プロジェクトの御客様に go to travel による予約の撮り直しをしてもらうことになるかもしれません。まだ状況が分かりませんが、もしそういうことになったら申し訳ございません。

 ちなみに最近の北軽井沢は、非常に寒くなっていますので注意してください。東京よりも7°ぐらいは寒いと思って計算してくるとちょうど良いと思います。フリースやダウンジャケットを持ってくるようお願いします。

 特に登山を目的にされるお客様は、要注意です。今年は早くから山に雪が降っています。雪が降ってると言っても、太陽が出ればすぐに溶けてしまいます。つまり樹木の枝に積もった雪が、パラパラと雨が降るように落ちてくることもありえます。 ですから晴天でも雨具を忘れないようにしてください。

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 あと登山靴に装着するスパッツは必携です。笹藪に雪が積もったりしますので、それが溶けて登山靴の上に水滴がパラパラと落ちてきます。場合によっては、雪の塊が落ちたりもしますので、登山靴の中に水滴や雪の粒が入り込んで大変な目にあう可能性があります。特に藪漕ぎの場合に大変なことになります。浅間隠山・鍋蓋山・角間山・桟敷山・御飯山といった藪の多いところは、特に注意してください。


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 体操ズボンなどは論外です。すぐにずぶ濡れになって危険な状態になります。面倒でもゴアテックスのスパッツとは雨具を用意しておいた方がいいでしょう。 その他、山に関する詳しい情報・ツキノワグマに関する情報・天気に関する情報は、当日に何でも質問してください。早朝に出発する場合の朝食についてや、諸々の相談も遠慮なく聞いてください。

 小さなお子さんがいらっしゃるご家族で、ハイキングを希望される方は、浅間牧場の天丸山・小浅間山・駕篭ノ登山などが良いかと思います。鬼押出し園・浅間園・万座温泉熊四郎岩などもお勧めです。北軽井沢ブルーベリーYGH周辺の別荘地散策・信濃路自然歩道・千ヶ滝遊歩道などもおすすめです。

 まずありえないと思いますが、万が一、ツキノワグマに出会った場合は、絶対に逃げないでください。相手を睨みながらゆっくりバックして、その場を立ち去ってください。犬連れの人は、抱き上げて逃がさないようにしてください。クマは逃げたものを追いかけますが、訓練されてない犬は、飼い主の後ろに逃げますから、犬によって自爆する可能性があります。とはいうものの、あまり神経質になることはありません。北軽井沢の住人でもクマにあった事のある人は、ほとんどいませんから。




つづく。

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posted by マネージャー at 23:39| Comment(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月24日

角間山と鍋蓋山に登ってきました

 御客さんがチェックアウトしたのが10時。すごくいい天気だったので、大急ぎで、息子・愛犬コロ・私で鹿沢方面に向かい、どの山に登ろうかと思いましたが、浅間山は真っ白なので論外。駕篭ノ登山も水ノ塔山も雪に埋もれているのでダメ。桟敷山も真っ白なのでダメ。もちろん四阿山もダメ。かろうじて登れそうだったのが、南斜面から登る角間山だったので、角間山に登ることにしました。

 登山口に到着したのが、10時30分。
 登り始めたら雨。
 晴天なのに雨。
 これは樹木に積もった雪が解けて雨になっていた。
 うーん、失敗。
 でも、青空だし、景色もいい!

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 しかし、頂上付近は、このとおり雪だった。

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 11時半頃に頂上に到達。
 素晴らしい展望に感動!

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 こんなに天気がいいなら、もう一つくらい登ろうか!
 と思ったのは、私だけではなかったはず。
 とりあえず下山して、鍋蓋山に登ることにする。

 角間山から鍋蓋山に行っても良かったのですが、犬連れだったので、肉球を痛めても拙いと判断し、下山して鹿沢ハイランド側から登ることにしました。鍋蓋山は、藪なので犬には、ちと厳しいルートなのですよ。そもそも鍋蓋山は、昔から整備されない山なのです。大昔は、頂上まで車で行けたこともあり、パラグライダーのメッカだった時代もあったのですが、今はその面影もなく、スキーリフトも頂上までのは動いていませんから、スキー場からの直登もできなくなっている。まあ、そんなことはどうでもいいとして、鹿沢ハイランドに向かいました。

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 そして、登り始めたのが13時頃。
 すごい急坂だった。

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 ここからは、登山道を上りますが、すごい藪だった。
 年々、藪が酷くなっている。
 もう素人が通れるレベルではなくなっている。
 あと5年もしたら、ますます藪がひどくなって、道を知らない人が、通ったら確実に遭難するレベルになるだろうなあ。
 すでに和熊山も、的岩山も、そんな感じになっているし・・・。

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 北アルプスでは、親より早く登る息子も、藪に悲鳴をあげていました。
 藪漕ぎなら、かろうじて息子に勝てる!

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 この標識も、数年で藪に消えてしまうかもしれない。

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 100分かけて、ようやく頂上に到着。
 下半身は、雪でズブ濡れ。
 もう登山する気が失せたので、とっとと帰ることにしました。

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 頂上なのに息子の顔がゆがんでいる。
 下半身が雪でズブ濡れ。
 靴も水を吸って酷い状態。
 戦意喪失しています。
 これなら寧ろ四阿山に登るべきだった?・・・いや、そんなことはないな。

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 下山してみたら、はるかに見える鍋蓋山が美しかった。
 でも、もう雪が降った後は、登りたくない。

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 そもそも角間山に犬を連れてきたのが失敗だった。

つづく。

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posted by マネージャー at 22:05| Comment(0) | 鹿沢−角間山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月22日

クマについて【12】看板とツキノワグマ

 今回は嬬恋村の群馬坂のツキノワグマの話をします。群馬坂というのは、嬬恋村のシャクナゲ園があるところです 。ここに展望台があるわけですが、その展望台には階段があってその階段に木製の手すりがありました。現在は金属製の手すりになっています。観光協会の仕事でシャクナゲ園を整備している時に、事務局長から
「いつもこの手すりが、熊に壊されるんだよね。佐藤さん、どうしたらいいと思う?」
と相談されました。

「忌諱剤を塗ればいいんじゃないかな? 楽天で簡単に買えるし、予算がないんだったら竹酢なんかでもいいと思いますよ」
「はあ、なるほど・・・」

 しかし忌諱剤を塗られることはなく、翌年は金属の手すりになっていました。


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 前置きはこの位として、 山の中の登山用の案内看板が、かじられていることがあります。特に倉渕村の方の山の看板がツキノワグマにかじられていますが、これには理由があります。ヒグマもツキノワグマもペンキの匂いが大好きなんです。だから新しい看板は必ずかじられます。

 特に防腐剤入りのステインが塗ってあるとかじられます。 クレオトップ・クレオソートなんかは絶対にダメです。道路工事 でコールタールを新しくすると、そこにもヒグマやツキノワグマがやってきます。 この辺を分かってないと、嬬恋村シャクナゲ園の展望台の手すりのように毎年ツキノワグマにかじられるはめになるわけです。良かれと思って塗ってしまった防腐剤入りの塗料(ステイン)のためにツキノワグマを呼び寄せてしまい、手すりをかじられてしまうわけです。もちろんヒグマやツキノワグマが嫌いなにおいがあります。それについては、ここでは説明しません。話が長くなるし難しくなるので・・・。


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  ところで、ヒグマやツキノワグマについて専門家から聞くなどして調べようとするばあい、気をつけなければならないことがあります。クマの専門家というのは、出身母体によって大きく意見が分かれるからです。 例えば農業被害を防ぐための研究者としてのクマの専門家というものがいます。この人たちはどちらかと言うと、人間側の立場でクマを研究します。どうやって熊の害を減らすかとか、どうやって農家への被害を減らすかという研究です。

 それとは反対の立場の研究者もいます。動物学としてヒグマやツキノワグマを研究する人たちです。いわゆる動物学者ですね。この人たちは、できるだけヒグマやツキノワグマを原生的な自然に置いておきたいと思ってる人達です。そしてヒグマ・キノワグマの絶滅を何とかして防ぎたいと思ってる人達です。

 前者の研究者の多くは、北海道の人たちが多くて、後者の研究者は、西日本に多かったと思います。

 1990年から2000年にわたって、私は日本中の山の中に入り、ヒグマやツキノワグマたちといろいろあったりした人間ですが、私の立場は後者(クマの絶滅を防ぎたい)です。後者の研究者にとても大きなシンパシーを感じていました。

 ところが実際にヒグマに対して役に立った智恵は、前者の研究者(クマの害を減らすための研究者) のご意見でした。自分としては敵だと思ってた人たちの報告書が一番役に立った。逆にシンパシーを感じていた人たちの意見はあまり役に立たなかった。というかダメダメだったし、酷いモノだったので、ガッカリした記憶があります。思わず「正気か?」と叫びたくなるような酷いモノでした。皮肉なものです。





 と言っても、これは30年前の話です。今では、そういうことはないと思います。30年前は、後者の人たちの研究は、未熟であって、それに対して前者の研究者たちの研究は歴史があるだけに進んでいた可能性があります。だから今はどうなっているか分かりません。おそらく前者の研究者と、校舎の研究者の垣根というものはなくなっているように思います。 というのも、ここ20年で、熊に関する書籍が大量に増えてきていて、昔に比べて情報が圧倒的多くなってきている。 だからかなり研究が進んでいるような気がしますが、本当のところはよくわかりません。

 私の方も息子が生まれてから、ヒグマやツキノワグマに対する興味が薄れてしまいました。今はクマよりも、人間の子供の成長に興味を持っています。ただ、長年にわたって溜め込んだ野生動物に関する知識が、育児にものすごく役に立っています。子供の成長を面白がってみることができるし、なにより近くで観察し放題なのがいい!


(2歳児の息子・6年前・破風岳)



つづく。

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2021年10月21日

クマについて【11】嬬恋村のツキノワグマ

 前回は北軽井沢のツキノワグマについてお話ししましたが、今回は嬬恋村のツキノワグマについてお話したいと思います。実は、嬬恋村の北側には、とても多くのツキノワグマが住んでいます。具体的に言うと、万座方面・小串鉱山方面・四阿山方面です。こちらのツキノワグマは、北軽井沢のツキノワグマよりも精悍な感じがします。動きも俊敏で、道路を時速60kmで走って逃げたりします。これに比べて、浅間牧場に出没する北軽井沢のツキノワグマはのんびりした感じで、体も大きくユッサユッサと動きますし、全体にもっさりしています。栄養も良さげです。

 軽井沢にはカラマツがたくさんありますけれど、そのカラマツの大半は、街中にあるものが多くて、山にはミズナラの木がたくさんありますし、湯川ぞいにはクルミの木も大量にあります。白糸の滝周辺の森では山菜がたくさん取れますし、浅間牧場と言う日向ぼっこに最適な場所でありながら人間が全く来ないと言うクマにとっては、夢のような場所もあります。

 それに対して万座方面・小串鉱山方面・四阿山方面のツキノワグマは、広大な四阿山・白根山の山麓を持っていますし、ツキノワグマが活動するための広いフィールドがあります。軽井沢に比べると、ツキノワグマが活動できる広大な面積があるわけで、それだけにそこに生活しているツキノワグマの数は多いと思われます。

 実際、春先の早朝の万座温泉を散策すると、ツキノワグマの足跡や食痕を見つけることが簡単にできます。残雪が消えかかった万座温泉では根曲がり竹のタケノコが大量に出てきますから、それを目当てにツキノワグマが食べに来るからです。根曲がり竹のタケノコは、私たちが生で食べても美味しいくらいですからツキノワグマにとってすごいご馳走になっています。

 彼らは冬眠から目覚めると、最初の頃は標高の低い干又・バラギ湖あたりの山菜を食べますが、それがなくなった頃には、標高を上げて、残雪が消えかかった嬬恋牧場辺りの山菜を食べます。それも食べきると万座の方に移動するわけです。最終的には、白根山とか志賀高原の方まで移動して山菜を食べつくすと、今度は別の植物を食べたりするようです。

 昭和52年に(ノンたんシリーズで有名な)偕成社から、少年少女ドキュメンタリーの一冊として発表された『ツキノワグマ日記―はみだし熊10頭の里親となって』の宮崎正義さんも、この万座温泉に通ってツキノワグマを観察した口です。彼はその後、鉄道会社で働きながらコツコツとお金を貯めて10頭のツキノワグマを飼うことになるわけですが、その彼が定点観察に明け暮れたのが万座温泉です。万座温泉豊国館のご主人が色々協力したようです。

 私は高校生の時に『ツキノワグマ日記』を佐渡島で読んだわけですが、宮崎正義さんが、私の父親と同じぐらいの年齢で、その息子さんも私と同学年であることに親近感を覚えたわけですが、一番驚いたことは、その本に掲載されている写真です。私と同じ学年の息子さん(当時12歳)が、クマに藁で作った縄をつけて近所を散歩してる写真です。驚いたのなんの。今なら考えられないことです。もし、北軽井沢で藁で作った縄で大きな熊を連れて散歩していたらみんな腰を抜かすに違いありません。ましてや長野市郊外の話ですから、なおさらです。

 話を戻します。

 今はもうやっていませんが、うちの宿では毎週のように宿泊者を中心に登山ツアーをやっていました。毎週行っていれば、ツキノワグマに出会うこともあります。そういう場合、ほとんどが『クマ出没注意』の看板のあるところです。バラギ湖の近くとか、本白根山のロープウェイのそばとかです。今回は、熊に出会った時の写真をアップしてみます。


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 これは、息子が生まれた年のツアーです。
 今は入山禁止になっている本白根山のツアーです。
 本白根山には、クマ・蛇・カモシカが多いので有名です。

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 高山植物も多い。
 特にコマクサが凄くて、日本一咲いている。

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 こういう看板があったら注意です。
 必ず出てきますから。

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 はい、出てきました。

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 写真だと分かりにくいですが、かなり高いところに登っています。
 この時に参加したファミリーの御客様は、カモシカ・高山植物・ツキノワグマに出会えたので、かなりラッキーでしたね。




つづく。

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2021年10月20日

村上山に行ってきた(10月16日)

 土曜日に村上山に行ってきました。村上やまというのは、鹿沢温泉がある休暇村から1時間ぐらいで頂上に登れる山のことです。非常に歩きやすくて頂上からは見晴らしが良いことで有名です。まず休暇村の駐車場に車を止めて、休暇村の裏の方に行きます。しばらく行くと下の写真のようなボランティア棟があります。この側に登山口の入口がありますので、後は簡単に登れます。


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(ボランティア棟)


 ちなみにボランティア棟をよく見ると穴が空いてます。休暇村は、この穴を何度も防ぐ工事をしていますが、毎年のように新しい穴が開いてしまいます。ムササビの仕業です。ムササビというのは、非常に可愛らしい動物なんですが、爪が鋭くどんな所にも吸盤のようにひっつきます。そして鋭い歯で穴をどんどん大きくして、人の住んでいない家屋敷に巣を作ります。


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(ムササビが作った巣穴・登山口にある木製の公衆便所なんかにもよく作られている)


 と言うか人が住んでいても巣を作ります。ネズミかな?と思ったらムササビだったり、アカゲラだったりすることがよくあります。北軽井沢には何十年も人が住んでない別荘がたくさんありますが、そういうところにムササビは巣を作ります。その場合不思議なことに必ず壁が茶色なんです。うちの家どのようにブルーの壁とか、緑の壁とか、白い壁には巣を作りません。茶色の壁に巣を作ります。もちろんサイディングの壁には巣を作れません。つるつる滑ってひっつくことができませんから。

 ちなみにムササビは夜行性の動物で、50 M ぐらいは空を飛びます。軽井沢から北軽井沢に車で走っていると時々空を飛んでるムササビを見かけることがあります。昔のグリーンホテルのあるところで見かけることが多いですが、万山望や、その先でも見かけることがあります。その姿は空飛ぶ座布団です。

 もしムササビのことをもっとよく知りたい方は、小諸の懐古園による動物園に行くといいと思います。あまり知られてはいませんが、小諸の懐古園の動物園は、旭川動物園に匹敵するような面白さがあります。貧乏な動物園なので、 旭川動物園のようにお金はかかっていませんが、職員さんのやる気は非常に高く、私は息子を連れて何度も訪れていますが、何回言っても飽きません。非常に面白いところです。 動画を貼り付けておくので、よかったら動画を見てください。






小諸市動物園は何気に凄いところなんですが、どういうわけか、 嬬恋村のこども園でも、小学校の遠足にしても、 候補になったことがありません。というか、小諸の動物園で小学校や幼稚園の団体さんに出会ったことがありません。とてもすごい動物園なのにもったいないと言うか、知られてないと言うか、宣伝が下手というか、とにかくもったいないですね。小学校や幼稚園で小諸動物園に行く場合は、職員さん お願いして動物の解説をしてもらった方がいいです。 特にライオンのもぐもぐタイムや、ペンギンのもぐもぐタイムが面白いです。 もちろんムササビの解説も面白いんですけれど。

 話がそれました。
 村上山のことです。

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 この山はカラマツを大量に植林している山ですから、この時期になるとカラマツシャワーが 見られます。と書くと、 不思議に思う方がいらっしゃるかもしれません。車坂峠のカラマツが、まだ完全に紅葉してないのに、どうして標高の低い村上山のカラマツでカラマツシャワーが始まるのか?

 これは植林のためです。植林でできたカラマツは、密集していて非常に細長い状態になっているので、カラマツの上の方は 、まだ紅葉してないのですが、カラマツの下の方の葉っぱは、さっさと紅葉してしまいます。日光が当たらないからです。日光が当たらないと紅葉が早く始まってしまうわけです。けれど日光の当たる樹幹の部分は、まだ紅葉してなくて葉っぱが青い。

 ちなみに嬬恋村で1番早く紅葉するカラマツは、車坂峠のカラ松でもなく、万座温泉のカラマツでもなく、 しゃくなげ園のある群馬坂のカラマツです。 つまりあさま山の北斜面のカラマツ林が一番最初に紅葉します。日中でも寒いからです。

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 さて頂上に着きました。
 残念ながら霧の中で真っ白でした。
 タイミングが悪かったようです。
 ツマップのカードをゲットして下山しました。


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 この山で私は、よくスノーシューツアーを行いますが、登りに90分かけて、下りが20分ということがよくありました。どうして、そんなに早く下りられるかというと、ソリを使うからです。慣れると10分で下りる人さえいます。でも、これは真似しないでください。普通の人がガイド無しにやると骨折などの怪我をしますから。

 ちなみに、どういうわけか村上山にはツキノワグマはいません。ここから南に500 m ほど移動するとツキノワグマがいるにも関わらず、村上山には熊の痕跡が全くありません。非常に不思議ですが、カラマツの植林と、熊笹に 何か理由があるのかもしれないし、敷山方面に餌が豊富なことも理由の一つかもしれません。



つづく。

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2021年10月19日

岳沢の紅葉と岳沢ヒュッテ(10月11日)

 先週の話になりますが、北アルプスに家族で行ってきました。予定では、岳沢から登って、前穂高・奥穂高に登って、 涸沢に降りて帰って来る予定だったんですが、突然台風が現れて、途中から天候が悪化するという天気予報だったので、前穂高の手前で帰ってきました。その前の週では、すごいいい天気だっただけにちょっと残念です。

 緊急事態宣言が解除になって、急にお客さんが入るようになり、土曜日は満室でした。というわけで日曜日の10時のチェックアウトの時間まで接客にいそがしく、11時に出発。大急ぎで車を飛ばして上高地に到着したのが、14時でした。


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(上高地のカッパ橋です。ここから岳沢に向かいます)


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 17時頃に岳沢ヒュッテに到着。
 新しい小屋できれいでした。
 新型コロナウイルスの感染防止で個室をもらっています。


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(山小屋としてはグレードは高いです)

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(料理も豪華で美味しかった)

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(夕食後は星空の写真を撮る息子)

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(岳沢ヒュッテの夜)

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(上高地の灯が見える)

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(天の川が美しい)

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(もう冬の星座が・・・)

 翌朝、前穂高の手前まで散策しました。

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 焼岳と乗鞍が美しい。

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 もうちょっとで前穂高なのだが、ここで撤退する。
 ちょっと悔しいけれど、安全第一。
 明日は、一日中雨になるらしいが、そのな天気で息子に岩場を下山させられない。

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 上高地に到着。

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 今回の北アルプスは、超のんびりハイキングでした。
 たまには、こういう登山もいいかもしれない。 



つづく。

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2021年10月18日

嬬恋村の文化財を回ってみた!

 今日も北軽井沢は、寒い一日でした。そんな寒い1日でも小浅間山に登ると、幼児連れのファミリーのお客さんがハイキングを楽しんでいました。この1年、山登りをする幼児連れのファミリーが本当に増えました。ちなみに今日は、学校終わったばかりの息子を拾って、嬬恋村の文化財を見学するために車を走らせました。あらためて袋倉とか、芦生田とか、今井のあたりをドライブしたわけですが、 白いですねー嬬恋村は。本当に広い。そして、やはり村だなあと思いました。

 人口で言えば長野原町よりも多いんですが、密集してない。小さな小さな集落が、広大な面積に点々と広がっているのが嬬恋村だということが、文化財を探しにドライブをすると、嫌と言うほどわかります。これは嬬恋村に住んでいる人にはわからないことかもしれませんが、よその土地から来た人間にしてみたら、この村の 特殊性がよくわかります。

 私は新潟県の佐渡島に生まれましたが、 嬬恋村の面積は佐渡島のちょうど半分ぐらいです。それを考えると、嬬恋村の文化財というか、 宗教観が非常に気になる。例えば佐渡島には、 ありとあらゆる宗派のお寺が、何百とあるわけですが、嬬恋村には、たったの二つしかなくて、しかも曹洞宗(無量院・常林寺)しかありません。

 この差はなんでしょう? この寺の少なさはどういうわけか? 寺だけではない。神社も少なすぎる。だから能舞台も皆無。昔の佐渡なら十戸ばかりの集落に寺社があって能舞台があり、そこで叙瑠璃なんかやっていた。そういうものが嬬恋村に少なすぎる。文化財も少なすぎる。佐渡島も嬬恋村も、同じ天領であるにも関わらず、この違いは何だろうと思います。

 ひとつ考えられるのは、 嬬恋村は修験者たちが開拓した村であることが原因かもしれない。


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 平安時代末期、1108年の天仁の噴火で壊滅して間もない嬬恋村に修験者となって、流れてきた海野一族がいました。下屋将監です。彼は、映画「阿弥陀堂だより」の阿弥陀堂あたりに、修験道の神社を造りました。そして、甲冑鎧などの武器を埋めて、『捨城庵』を建てました。城を捨てて粗末な家を建てたという意味です。

 下屋氏一族は、さかんに嬬恋村を開拓します。
 そして、真田から嫁をもらって人口を増やします。
 この風習は、現在でも残っていて、嬬恋村と旧真田町は、親戚どうしみたいになっています。

 下屋氏一族は、武器を捨て、宗教(修験道)の力をもって開墾を続けました。武器の力ではなく、信心の力で開墾を行い、天仁の噴火で壊滅した嬬恋村を見事に再生させます。そして、広大な領土をもつに至りますが、下屋氏一族には、領土的野心はこれっぽっちもなく、分村し、暖簾分けし、村々を次々と分家たちに譲り渡してしまいます。

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 暖簾分けされた中に、鎌原氏という存在があります。
 下屋氏一族の開祖、下屋将監の孫にあたります。
 この鎌原氏が、勢力を伸ばし、嬬恋村の地頭職に出世します。

 しかし、下屋将監直系の本家は、武力を持たず、ひたすら修験道に励んで荘園領主として平和国家を作っていました。しかし、平和国家なるものは、自分の都合だけでは成立しません。武器無き民を攻め掠めようとする侵略者たちは、かならず現れます。それに対抗したのが鎌原氏でした。こうして、荘園領主の下屋氏一族と、地頭職にある鎌原氏の2大勢力が成立します。

 では、下屋氏一族と鎌原氏は、その後、どのような運命になっていったのでしょうか? 下屋氏一族は、武力ではなく、修験道という宗教の力をもって民を治めました。この方法は、武力をもって侵略するより、はるかに効率が良かったらしく、アッという間に北部群馬県を制圧していきました。これは昔、ソ連がマルクス主義を抱えて、アッという間に世界中を制圧していったのと似ています。

 しかし、下屋氏一族は、武力をもってなかったために、同族の地頭職である鎌原氏に、領地を掠め取られます。すると、各地の地頭たちも、下屋氏一族の領地を次々と掠め取ります。その結果、嬬恋村全体が、群雄割拠の時代に入ってしまうのです。親戚同士が互いに武力で争い、下屋氏本家は、アッという間に廃れていきました。代わりに勢力を台頭したのが鎌原氏です。

 話は、変わりますが、日本ユースホステル協会を立ち上げた横山祐吉氏は、真田軍団の末裔です。そして、日本恐妻家協会を設立し、しかも群馬の婦人団体の抗議によって、あっけなく解散してしまったのも横山祐吉氏たちでした。そして、その真田のゆかりの地、嬬恋村で、私はユースホステルを経営しつつ、息子と嬬恋村の文化財をめぐっています。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:51| Comment(0) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月17日

カラマツシャワーが始まっています

 今日の北軽井沢は、非常に寒い一日でした。夕方5時頃に浅間牧場付近を車で通っていたのですが、外気温が、たったの3度でした。 天気予報によれば明日の朝は0度になるそうですから、北軽井沢はマイナスになる可能性が大きいでしょう。というわけで、北軽井沢に来るお客様は、フリースやダウンジャケットなどの防寒着を用意した方が良いと思います。北軽井沢ブルーベリーYGHでも本格的にストーブの火力をアップさせています。

 北軽井沢の秋は、東京の冬とあまり変わりませんので、十分注意をして遊びに来てください。と言っても、太陽が出ていると日中は非常に暖かくなることもあります。けれど、朝晩は冷えるのが普通ですから、寒さ対策だけはぬかりなく行なってください。

 ちなみに小浅間山・桟敷山・ 湯の丸山・黒斑山・池の平湿原・駕篭ノ登山などでは、 カラマツシャワーが始まっています。カラマツシャワーとは、 紅葉したカラ松の葉が、風で飛び散って、空中を舞ってダイヤモンドダストのようにキラキラと輝く状態のことです。





 ここから先は群馬県にお住まいの御客様へのお話になります。群馬県のお客様から愛郷群馬プロジェクトに関する質問を頂いています。 なので、 それらに関して代表的なものを紹介したいと思います。まず、うちの宿が愛郷ぐんまプロジェクトの指定の宿かどうかというご質問がありましたが、もちろん指定の宿です。

 それから宿泊する家族の中に一人でもワクチン注射をしてなかった場合は、どうなるかという質問ですが、ワクチン注射をしている人は5000円引きで、そうでない方は3000円引きになります。問題は11歳以下のお子さんの料金になりますが、これは3000円引きです。お泊りになるご家族の中の一人でもワクチン注射をされてなかった場合は、11歳以下のお子様は3000円引きになります。もちろん宿泊されるお客様全員がワクチン注射をされている場合は、5000円引きになります。

 ただし、これはあくまでもお泊りになるお客様に関することで、ご家族の中でワクチン注射をされてなくても、 一緒に宿泊されない場合は、その限りではありません。一緒に宿泊されるお客様が、ワクチン注射をされていれば、5000円の割引になるということです。

 あと、 ある日突然、愛郷ぐんまプロジェクトが、廃止になることがあり得るのかという質問ですが、率直に言うとあり得ます。例えば感染爆発した場合は、すぐに中止になってしまいます。また、 go to トラベルが始まった場合も、廃止になってしまいます。と言うか、 Go to travelに変更になってしまいます。その場合は割引率などが大幅に変化する場合があります。要するに、愛郷ぐんまプロジェクトとGo to travel は、同時に行う事はありません。

  それから、これは私の予測になりますが、冬になると再び感染爆発する可能性がないとも言えません。新型コロナウイルスだけでなく、インフルエンザの流行も考えられます。 去年全くインフルエンザが流行しなかったことを考えても、日本国民の免疫力は落ちているわけですから、 常識的に考えてインフルエンザが流行すると思って良いと思います。その場合、 愛郷ぐんまプロジェクトが、廃止にならないとも見えませんので、将来のことはわからないと考えた方が良いでしょう。


つづく。

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posted by マネージャー at 21:53| Comment(0) | 登山関係の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月16日

病院の説明によると今年もインフルエンザワクチンの供給が少ないらしい

今日は、「愛郷ぐんまプロジェクト」を御利用した御客様がいらっしゃいました。

「愛郷ぐんまプロジェクト」というのは、群馬県民であれば、一人一泊につき5000円のキャッシュバックされるという超お得な割引制度です。ただし、一泊6600円以上が対象です。つまり6600円の予約なら、1600円で泊まれます。ただし、

@ワクチン2回接種済みの方(2回目から15日以上経過)
APCR検査陰性の方(宿泊開始日の3日前以内)
B11歳以下の子ども(@とAと同居)
@〜B以外の方は3,000円割引

が条件で、運転免許証・保険証・マイナンバーカード等の提示と、新型コロナウイルスワクチン予防接種済証の提示が必用です。これだけで5000円割引になるわけですから使わない手はありません。それも、早い時期に使った方がいいです。

というのも、Gotoトラベルが始まってしまったら、
愛郷ぐんまプロジェクトは、自動的に消滅してしまうからです!


「そのかわりにGotoトラベルがあるんでしょ?」

と思っている方も多いかもしれませんが、いまのところ割引率は愛郷ぐんまプロジェクトの方が良いので、群馬県民は、Gotoトラベルではなく、愛郷ぐんまプロジェクトを利用した方が良いと思います。群馬県の感染率は、ここ2週間は、10人以下であり、それも桐生市に集中している状態です。このままいけば、レベル2まで下がる可能性が高く、そうなると自動的に愛郷ぐんまプロジェクトが無くなって、Gotoトラベルに移行する可能性が出てきますから注意してください。





 それから重要なお話です。

 群馬県の各病院でインフルエンザワクチンの接種が始まっていますが、病院の説明によると、今年もインフルエンザワクチンの供給が少ないようです。かかりつけの病院で言われました。そして、60歳以上の人に、早めに接種するよう呼びかけていました。で、私も60歳であることに気が付いてしまった。60歳だから、こっそり耳打ちされてしまった。去年まで、そんなことなかったのに・・・orz。ちなみに11歳年下の嫁さんは、そういうことを言われていませんw





 インドでは、新型コロナウイルスが終息して、インフルエンザが流行しているそうですが、日本ではどうなるんでしょう? とりあえず息子には絶対にインフルエンザワクチンの接種をさせようと思っています。インフルエンザは去年流行しなかったため、免疫ができている人が少ないといいますからね。インフルエンザだって、すごく怖い病気ですから。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:52| Comment(0) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月15日

クマについて【10】北軽井沢のツキノワグマ

 ペンションを開業すべく北軽井沢に引っ越してはたのは、21年前です。最初の年は、御客さんがいなかったので、嬬恋村のあちこちの山に登りました。で、気に入ったのが桟敷山林道。21年前の桟敷山林道は、できたばかりで、カラマツの背も低く、開けていました。高山植物も多くて、道路際にラズベリーがわんさかなっていました。今とは、ずいぶん違っていたのです。

 で、藪の中に入ってみたら使われてない廃道になった道路がいくつもあった。その道路は、休暇村の方まで繋がっていて、途中に水道局の施設があったりしたし、廃墟っぽいコテージなんかもあった。昭和40年代のものとも思える缶ジュースの空き缶が捨ててあったりもした。それらの空き缶は、今の空き缶と飲み方が違っているので、ある世代以上の人には、とても懐かしいものだった。それを
「懐かしいなあ」
と拾い上げてみたら、空き缶にクマの歯形があった。
「このあたりは、クマの生息地なのか!」
と気が付いた私は、クマのフィールドサインを探し歩いたら、簡単に見つかった。ウンチはもちろんのこと、爪痕から昼寝あとまで簡単に見つかった。

 ヒグマもツキノワグマも日向ぼっこが大好きです。ひまさえあれば太陽を浴びる。だからクマの昼寝あとは、三頭分から四頭分の面積になっている。10畳くらいの広い面積が昼寝あとになっている。場所によっては、昼寝場所が大きく移動したりする。太陽の移動とともに木陰が移動するので、日光を浴びるためにクマが移動するからです。
「そうだ! せんべい平に行ってみよう」
せんべい平は、クマにとって理想的な昼寝場所だからだ。

 で、行ってみたら、やはりクマの巣があった。昼寝場所があった。私は宿が閑古鳥なのをいいことに定点観察することにした。とりあえず1週間分の食料を確保して、かなり遠くから双眼鏡で覗いていたのだが、苦労してツキノワグマを発見して写真を撮ったがろくに写ってなかった。当時は、デジカメの性能も良くなく、私は、EOSでフィルム撮影したわけだが、現像してみたら黒い点しか写ってなかった。

 ただ、桟敷山のあたりにクマが活動してるのだけは分かったので、注意するようになった。すると今まで見えてなかったモノが見えるようになる。いたるところにクマの痕跡があるのがわかってくるから不思議である。そうなると何度もクマを見かけるようになる。ただし、現在のせんべい平には、クマはいない。大規模な笹の伐採を行っているためか、ここ数年は痕跡を見かけることは無い。





 次にクマを見かけたのは、鼻曲山である。鼻曲山周辺には、数頭のツキノワグマがいる。私は何度も出会っているが、ここには複数のクマがいる。鼻曲山の登山ツアーに御客さんを連れて行くと、20メートルも離れたところの藪が、ガサゴソと動くことがある。ふつう人間が歩いていたらツキノワグマは、じっと息を殺して動かないが、このように藪が動く場合は、若い子熊の可能性が高い。こういう場合は、私が低音の奇声を発ながら御客さんを誘導するが、低音の奇声を発すると、子熊の奴もじっとして藪がガサゴソ動かなくなる。

 犬でも何でもそうなのだが、低音の奇声は威嚇音を意味する。犬なら「ウーッ」という唸り声がが、これにあたります。逆に高音は負けましたという意味になる。犬なら「キャンキャンキャン」という高音が、これにあたります。だから私は、山に入る時は低音の奇声をあげます。そうすれば、ツキノワグマの奴は、勝手に避けてくれる。逆に高音はどうだろう? ツキノワグマを呼び寄せないだろうか?というのが最新研究で言われていることです。つまりクマ鈴は、高音なんですよね。やたらとクマ鈴を鳴らすのは拙くないか?とも言われるようになっています。

 話がそれました。
 鼻曲山のことです。

 鼻曲山から浅間牧場に至る一帯は、ツキノワグマの密集地帯です。このあたりには、ものすごくツキノワグマが多い。12年ぐらい前のことになりますが、草軽鉄道の路線跡地を調査したことがあったんですが、その時にクマの巣をいくつも発見してしまった。一つは工事用プレハブの廃墟で、そこからクマの臭いがやたらとしていた。かなりの遠くから臭いがプンプンしていた。もちろん糞のあったし、足跡も見つけた。さらに線路際を前進すると放棄別荘地があって、そのうちの一軒の縁の下にクマの巣があった。やはり、すごい臭いだった。こいつはヤバいなあと思った私は、日没前に車に戻って、車で宿まで帰るのだが、帰る途中の17時ちょうどに巨大なツキノワグマに出会う。しかも5回も同じ時間に出会っている。

 17時ぴったりに、白糸の滝方面から伸びてきている登山道から、ノッシノッシと出てきて、道路をよこぎり、浅間牧場に入っていく。その巨体は、ヒグマと同じくらいのサイズで、とてもツキノワグマの体とは思えなかった。そのうえ不思議なことに臭いはまったくしてないので、さっきの工事用プレハブの廃墟のクマとは違うようだ。軽井沢から来たクマのようで、エサがいいのか、すごく太っていた。

 面白いことに、このツキノワグマは、気が向くと浅間牧場の中にどんどん入り込んで、牧場を縦断し、観光客のいるところまでやってきた。当然のことながら警察がやってきて、浅間牧場を封鎖してしまった。で、そのうちいなくなってしまった。浅間牧場側は、これに対して、素晴らしい対策をとっていたので感心した。空の一斗缶と、それを叩く棒をあちこちに配置したのである。クマが現れたら空の一斗缶を棒で叩けばいいのだ。その時に出る音は低音なので、クマにとっては嫌な音になるはずだ。少なくとも高音のクマ鈴よりましである。

 ちなみに鼻曲山で私はツキノワグマに突進されたことがある。一般論を言うと、クマが人間を襲う時は、突進してこない。襲うつもりならゆっくり低姿勢でやってくる。立ち上がったり、突進する場合は、襲うつもりがない場合が多いので、こっちが逃げない限り、相手から逃げていく。だから怖がる必要はなく、じっとしているのが一番なのだが、知識で、それを知っていても、行動にうつすのはたいへんで、やはりドキドキします。

 こういう体験をしたのは、私だけでなく、うちの御客さんに3人くらいいて、やはり突進してきたツキノワグマは、斜め横にそれて逃げていったと言っていました。こういうケースは、鼻曲山でしか聞きません。なので鼻曲山周辺にはツキノワグマが多いのかもしれません。
 
 あとツキノワグマは、浅間牧場が大好きですね。たいしてエサもないのに、よく浅間牧場に入ってくる。一般的に言って、クマは日向ぼっこが大好きなので、浅間牧場が好きなのかもしれません。だから浅間牧場に良く入ってきます。そういえばキツネも浅間牧場が好きですね。逆にタヌキは草原を好まない。藪の中を好みます。クマは、藪より草原が大好き。これは、ヒグマも同じで、危険さえ無ければ草原でフキばかり食べている。

 だから小串鉱山や志賀高原あたりにもツキノワグマが多い。あのへんを17時頃に車を走らせていると、バッタリとツキノワグマに出会います。その時のツキノワグマときたら、猛スピード逃げますね。クマの走る速度が、60qだというのは本当だと思います。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:50| Comment(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クマについて【9】動物学者とマタギ

 1990年頃から1996年頃の話です。地理的に近いせいか北大のワンゲル部と知床半島でよく出会いました。彼らはどういうわけか、 知床山脈を縦走するようなことはなく、羅臼から知床岬に向かって海岸沿いばかりを歩いていました。 東大をはじめとする他の大学は、知床山脈を縦走するくらいの気概を持っているのに、彼らはどうして海岸コースばかり歩くんだろうと不思議に思っていたんですが、よくよく聞いてみたら、彼らも知床山脈を縦走していた。ただし縦走したのは夏ではなくて、冬から春先です。つまり雪のある時に縦走している。

 普通、雪山と言ったら、夏山よりも厳しいのですが、知床山脈に限って言えば、そうではない。
 はっきり言って、知床の雪山は楽に縦走できる。
 ハイマツの上に雪があれば、あっという間にハイマツ帯を通過できる。
 そういうことを知っていたので、北大のワンゲル部の連中は、夏は海岸伝いで知床岬にいく。
 地獄のハイマツ漕ぎは絶対にしなかったわけです。

 私は、彼らに
「雪山を縦走する時に、困ったことはなかったの?」
と聞いたら
「テントを張って、調理していたら雪の中から、冬眠から目覚めたヒグマが出てきたことがありました」
「ええええええええええええ? それでどうしたわけ?」
「テントを撤収して、遠くに逃げましたよ」
 実は、こういう話をよく聞きます。雪の上にテントを張ってガサゴソしていると、雪の中から熊が出てくる話は、腐るほど聞いてきました。1990年代の北海道の雪山にテントを張るワンゲルの間では珍しくないエピソードだったわけです。





 長い前置きはこれくらいにして本題に入ります。

 1990年頃、ヒグマについて調べているうちに、動物学者の言うことと、マタギの言うことに違いがあることに気づき、だんだん気になりだしてきました。また、中国地方の動物学者の言うことと、北海道地方の動物学者の言うことも違っていることが気になってきました。例えば北海道の動物学者は、マタギの伝聞を重視していました。 それに対して西日本の動物学者たちは、そういうものを無視していました。マタギの伝聞にしても、北海道のマタギと東北のマタギでは、微妙に違っているし、北海道のマタギにしても、アイヌの猟師とシャモの猟師では、ヒグマに対する考えが微妙に違っています。

 まあそんなことはどうでもいいとして、面白かったのは、冬眠から目覚めたヒグマの話です。 冬眠から目覚めた熊は、長いこと餌を食べてなかったために体が弱っていると動物学者なんかが言うわけですが、北海道のマタギの人の話だと、 まるで逆です。冬眠から目覚めた熊ほど元気なクマはないと言います。

 どのぐらい元気かと言うと、親子で雪の上に滑り台を作って滑って遊ぶと言う。餌も食べずに遊んでばかりいるという。こぐまも遊ぶけれど、母親も遊ぶ。と言うか母親が率先して遊んで見せて、子熊を遊ばせるようにする。

 我々の常識からすると、冬眠中餌を食べてないわけだから、そんな元気があるわけがないと思ってしまうんですが、そうではないという。むしろ元気に遊んで、 遊んで遊んで遊びまくらないと胃腸が動かないんだという。一週間ぐらい遊んでないと、食事が食べられるようにはならないんだと。

 にわかには信じられない話なんですが、年から年中ヒグマを追いかけているマタギは、そう証言しています。母グマが、こぐまのために滑り台を作るというのも凄い話ですが、自分も滑り台で遊ぶと言うから驚きます。そのくらい、クマというのは、子供に対して愛情深いし、知能も高いというのです。だからこそ命がけで仕留めなければいけないと彼らは思っている。





 クマは、止め足(足跡による追跡を攪乱する為にバックして足跡の着かない場所にジャンプする行動。追跡者からはある地点から突然足跡が無くなってしまったように錯覚する)を使うし、三匹いても一匹しかいないように足跡を重ねたりすると言う。すごいのになるとバックする。止め足でなくてバック。

 手負い熊が使う技で、バックして人間を待ち伏せする。知床半島で唯一、クマに人間が殺された例が、このバックによる攻撃で、手負い熊と猟師の知恵比べでヒグマの方が勝っている。ヒグマというのは、そのくらい知能が高い。つまり警戒心が高い。もちろん後天的に学習して、マタギを撹乱する術を身につけているとは思いますけれど、マタギならではの証言です。だからクマに対すする対処方法を一般化はできないと言われている。個性の差が大きすぎて、対処法則が成立しにくいと言われている。

 もともとヒグマは、アイヌの人たちは「キムンカムイ(里の神様)」と言っていた。つまり里で暮らす動物で山奥にいたわけではない。里山で人間たちのそばで生きていたという。そして人間をじーっと観察している。それが証拠に発信器をつけると、かなり人間の近くにいることがわかるけれど、ジーッと動かない。こっちからは見えないけれど、数メートルのところにいて、じーっと動かない。人間が去って行くのを辛抱強く待っていることが分かっている。

 つまり、もともと臆病な動物だという。それが証拠に水場に出てくる方向が、いつも同じで踏んだ足跡も同じ。人間が、その上を歩いてみると音がしない。つまりクマは、それだけ警戒して同じ処だけを踏んでいる。それだけ用心深い。

 それを私は事前に知っていたのでヒグマに出会っていても慌てることはなかった。彼らが逃げると天地が揺れたが、茂みに入ると、天地の揺れがピタリと収まる。つまり、近距離でじーっとしてて、人間が立ち去るのを待っているわけだ。

 にもかかわらず、人間が茂みにはいってしまうと大変なことになる。
 山菜採りの人たちが、クマにやられてしまうのは、
 こういうことでおきる事故なのです。


 クマは、かなり近距離にいて、人間が去るのを待っているのに、どんどん近づいてくるから襲われるのだ。こういうことをマタギの人たちは、長年の経験から実によく知っている。動物学者よりよく知っている。

 で、知床半島からマタギがいなくなってしまったら、急に海岸沿いにヒグマが現れ始めた。1990年ころからヒグマが、どんどん出てくるようになってきたわけです。で、現在の知床ですが、どうなってるか分からない。マタギがいなくなって何十年もたっているので、ヒグマの性格もずいぶん変わっているだろうし、私が、このブログに書いていることも、今では通用しなくなっていると思う。なにしろクマは、後天的に学習する知能の高い動物ですから。

 次からは、北軽井沢のツキノワグマの話をします。


つづく。

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2021年10月14日

群馬県民割「愛郷ぐんまプロジェクト 第3弾」がスタート。

群馬県民割「愛郷ぐんまプロジェクト 第3弾」がスタート。
1人1泊につき5,000円割引の対象となるのは、群馬県に在住する方で、下記@〜Bのいずれかに該当する場合です。

@ワクチン2回接種済みの方(2回目から15日以上経過)
APCR検査陰性の方(宿泊開始日の3日前以内)
B11歳以下の子ども(@とAと同居)
@〜B以外の方は3,000円割引


割引に必用な書類は、

1.割引対象となる利用者全員の住所が記載されている「本人確認書類」(運転免許証・保険証・マイナンバーカード等)の提示が必用です。

2.ぐんまワクチン手帳(スマートフォン画面/10月13日より群馬県にて運用予定)もしくは「新型コロナウイルスワクチン予防接種済証」(原則として原本紙面、原本の提示が困難な場合は複写もしくは写真でも可)の提示が必用です。新型コロナウイルスワクチン2回目の接種日から15日以上経過しているかを確認します。もしくは、PCR検査による「陰性通知」(通知書面もしくはスマートフォン画面等)の提示でもかまいません(宿泊開始日の3日前以内のもの)。

3.以上の提示により、5000円のキャッシュバックとなります。

4.宿泊予約方法(施設への直接予約、旅行会社経由、宿泊予約サイト経由等)は問いません。すでに予約をしていただいている宿泊も対象となります。





詳細サイト
https://gunma-dc.net/
https://gunma-dc.net/news/aikyougunma/


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 6600円の予約なら、1600円で泊まれます。

 当宿なら楽天トラベル・じゃらんネットの朝食プラン6600円・夕食プラン7000円・二食プラン7800円が対象になります。
 素泊まりは5000円になるので対象外です。
 朝食プラン6600円が高め設定にしてあるのは、割引対象にするためです。

 群馬県外の方が、朝食プランで予約したい場合は、直接予約すれば、5800円で泊まれますので、直接予約してください。
 ちなみに直接予約は、
・朝食プラン5800円
・夕食プラン6500円
・二食プラン7300円
 になります。直接予約で割引を受けられるのは、二食プラン7300円のみになります。

 ただし、平均して一人当たり6600円以上なら5000円のキャッシュバックが受けられるので、夕食プラン6500円であっても、受付の時に食事のビール200円分を同時に買っていただければ、6700円になりますので、5000円のキャッシュバックが受けられます。素泊まり5000円のプランでも、受付の時に同時に1600円分のビール・ジャム・ピクルス・手作りマスクなんかを1600円分を購入していただければ、5000円のキャッシュバックが受けられます。ようするに受付の時に一人当たり6600円以上になるように調整すれば良いと言うことです。

 ただ、この方法は、直接予約の時にしか使えません。楽天トラベル・じゃらんネットの予約では、予約した時点で6600円以上で無いと5000円のキャッシュバックが受けられませんので、注意してください。予約のさいに一人当たり6600円以上になるように計算して予約してください。

 それと最後に群馬県民を証明する資料(運転免許証・保険証・マイナンバーカード等)と新型コロナウイルスワクチン予防接種済証を忘れないでください。
では、群馬県民の皆様をお待ちしております。



つづく。

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2021年10月13日

クマについて【8】クマを飼う方法

 皆さんは動物園に行ったことはありますか? ありますよね。動物園に行くとクマのコーナーがあります。ヒグマ、ツキノワグマ、ホッキョクグマといろんなクマたちがいますけれど、それらを収容しているところは必ずコンクリートでできています。そして巨大な壁で囲われていて、上から下に俯瞰するようになっています。世界中の動物園、どの動物園に行っても同じような構造になっています。どうしてそのような構造になっているか考えたことがあるでしょうか? これについてはNHKの「チコちゃんは知っている」で、一度やってもらいたいものです。





 答えはとてもシンプルです。クマだったは、穴掘りの名人だからです。もう一つ言うとロッククライミングの名人でもあります。だから垂直の壁で覆われています。昭和33年にできた登別のクマ牧場では、最初の頃は、牧場の中に木がたくさんありました。サファリパークのように、自然の中で生きている姿をお客さん達に見せたいと思ったからです。

 ところがクマ達の食欲は旺盛で、笹でもなんでも春先に芽が出る前に土をほじくり返して食べてしまう。きちんと餌をあげているにも関わらず土を掘って食べてしまうから3年ぐらいで全ての植物が全滅してしまった。もちろん樹木も全て枯れてしまう。理由は冬眠前に樹木の皮を食べてしまうからです。餌があるにも関わらず食べてしまう。これには理由があって、冬眠前のクマは肛門に蓋をする必要がある。そのためには発酵しない食べ物がどうしても必要になってしまう。

 発酵しない植物で肛門に蓋をしなければ冬眠ができないために樹木の皮を剥いで食べたりする。昭和30年頃にはそういうことがわかっていなかったために、あっという間に樹木は枯れてしまった。そういったわけで世界中のどこの動物園に行ってもクマを飼育しているところには植物がありません。みんなコンクリートで囲われている。そうしないと、どんどん穴を掘って逃げ出してしまうからです。

 登別のクマ牧場ではこんな実験をやりました。クマ牧場の中に電気柵を作ってその中にクマの大好物のりんごを入れてみた。ヒグマたちはりんごを食べようとして電気柵に引っかかって感電してバタッと倒れてしまう。そうなるとクマ達は穴を掘ります。穴を掘ってりんごを食べてしまう。そこでコンクリートで穴を掘れないようにした。そしてりんごおいて実験をしてみたら、ヒグマたちはポールを押し倒してりんごを食べてしまう。りんごを守るには絶壁のような壁を作らないと駄目だということがわかった。

 ちなみに今から10年ぐらい前に、家の宿の近所(北軽井沢)にイノシシ牧場というのがあって、そこでツキノワグマを飼っていたんですが、そこでもコンクリートの地面におりをつけて飼っていた。コンクリートの地面でないと穴を掘って逃げ出すわけです。面白いことにそこでは子クマを放し飼いで飼っていました。放し飼いと言っても首輪が付いていて、首輪から大きなタイヤに鎖でつないであったわけですが、こぐまといえども力は強いわけで、タイヤをズルズル引きずり回して庭先で遊んでいました。それはもう可愛い可愛いものでした。こいつは凄いなあと感動した私は、お客さんに宣伝しまくったわけですが、いつのまにかイノシシ牧場は消えて無くなっていました。残念なことです。消えてなくなるとわかっていたら、毎日のようにそこに通って、ツキノワグマの生態を観察したのですか、油断してました。非常に惜しいことをしてしまったと今でも後悔しています。

 話を戻します。

 登別のクマ牧場のことを見ても、クマたちは片っ端から植物を食べてしまうわけですが、唯一食べないものがありました。トマトです。なんかの拍子に牧場の中にトマトの種が落ちてしまって、40センチくらいまでトマトの茎が伸びていることがあった。ところがどのクマもそれは食べないでいた。それどころかそれを避けて通る。それから長ネギピーマン玉ねぎなど匂いの強いものも食べるのを避ける。というわけでクマはトマトを食べないのではないかと仮説を立ててみたわけです。

 で、トマトの実をクマに与えてみたら、むしゃむしゃと食べてしまった。トマトの茎は避けるくせに、トマトの実は食べてしまうんです。ということは、何かの警戒心で食べなかっただけで、こいつは食べられると分かったら、トマトの茎でも食べるようになってしまうかもしれない。

 ところで、登別のクマ牧場に行ったことが、ある人は分かると思いますが、あそこに行くとクマ達が密集して生活しています。狭いところにぎゅうぎゅうづめにヒグマたちが住んでいる。これを不思議に思った人はいないでしょうか? クマというのは縄張りを持つ動物だと言われていました。野生のクマを観察するとクマというのは孤立性が高い。集団生活をしないわけです。そんな動物を集団飼育すると喧嘩するのではないかと思われていた。だからクマ牧場を設計するときに、一匹あたり何ヘクタールの土地が必要なのかと色々計算をされていたわけですが、いざクマ牧場をスタートしてみたら、どんなに密集になっても餌さえあれば全く喧嘩をしないことが分かった。逆に言うと餌が足りなければ餌を取り合って喧嘩をする可能性が高い。そうなるとクマも知能が高いので脱走を試みるかもしれない。

 このことは、非常に重大な示唆を与えてくれます。もし山のどんぐりが不作だった場合や、クマが増えすぎた場合は、山から下りてくる可能性がある。危険を冒してでも畑の中に入ってくる可能性がある。その場合電気柵があっても無駄だということだ。本当に飢えているクマならば穴を掘って畑の中に入ってしまうからだ。幸か不幸か北軽井沢には、どんぐりがたくさんある。家の近所を散歩するだけでも道端はどんぐりだらけだし、別荘地の森の中もどんぐりだらけで、朝散歩すると、どんぐりが別荘の屋根に落ちる音がポンポンと聞こえます。これをツキノワグマが食べない理由がない。逆に言うと、夜夜中にこっそり行ってきてクマ達が別荘の森でどんぐりを食べていても不思議はありません。


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 ただし、そういう事例がほとんどないのは、別荘の住人達が、犬が好きだからだと思う。例えばたぬきがやってきただけで、犬がワンワン吠える。そうするとあちこちの別荘をから連鎖的に犬の吠え声が聞こえてくる。野生動物にしてみたら、全く嫌な感じなのかもしれない。しかし、そういう犬たちをものともしない連中もいる。クマではなくイノシシ等です。彼らは犬なんか屁とも思ってない。




つづく。

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posted by マネージャー at 06:25| Comment(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月11日

クマについて【7】ナタとノコギリ

 1992年頃の話です。知床山脈を縦走しようと思って、いろいろ資料を調べてみたんですが全くない。知床半島で何度も北大のワンゲル部と出会って、彼らともいろいろ話をし、一緒のユースホステルに宿泊してますが、地理的に近い北大のワンゲル部は、あまりよく知床を知らない。地理的に近いためか知床探検のためのデータを持ってない。当時の北大のワンゲル部はレベルが高くはなかった。

 困っていると、アウトドアライターの人の紹介によって、アウトドアという雑誌の編集長を紹介してもらい、そこで資料を頂いた。その資料というのは、 東京大学のワンゲルの資料だった。非常に貴重なものでした。他にもいろんな大学のワンゲルから資料を頂いたのですが、 東京大学のワンゲルの資料が一番正確で良く出来ていた。

 そして1996年に実際に縦走してみると、その資料が東大ワンゲル部の性格をみせていた。どういうことかと言うと、稜線を正確に突進しようとしている。もちろん稜線上には、 ダケカンバやハイマツ帯が邪魔しています。ハイマツ帯と言っても、北アルプスのハイマツ帯とは全く違うもので、 お化けのような巨大なハイマツ帯。それが入り組んでいて進路を阻みます。ゴムのように私達の全身をブロックする。腕や足をゴム(ハイマツ)で引っ張られいる感じです。

 普通ならば絶対に前進できないのですが、そこは伝統のあるワンゲル部ということで、少しずつノコギリでハイマツを伐採している。伐採しなければ前進できないから彼らのパーティーは、ノコギリを持っている。で、邪魔なハイマツは、その都度ノコギリで切断している。その切断の後が、登山道のテープの代わりになっている。道しるべになっているわけです。それが地図に【マル切】と書かれてあって、標識がわりになっている。非常に科学的な手段と物量と伝統の積み重ねで縦走を行っている。

 となると、知床山脈縦走するには、ノコギリが必要になってくる。
 ここで問題にぶち当たります。

 ノコギリというのは、ハイマツの枝を切断する以外に使い道がありません。 もし途中で熊に出会った場合、ノコギリでは戦えない。ナタでなくてはいけない。でもナタでは、ハイマツは切断できない。そうなると我々に取れる手段としては、ハイマツ帯を直進するのではなく、遠回りになったとしても迂回するしかない。





  前置きはこのぐらいにして本題に入ります。

 当時知床山脈に入ると、いくつもの大学のパーティーがいました 。
 それらのパーティーは知床沼にテントを張っています。
 理由は、そこが最後の水場だからです。
 そして夜の8時頃に各テントで一斉に気象通報を聞きます。

 今と違って当時はスマホもなければ携帯もありませんので、夜の8時に放送される気象通報の情報によって自分で天気図を書きます。その天気予測によって、知床を縦走するかどうか決めるわけですが、面白いことに各大学ごとに天気図が違っている。つまり予報が違ってきている。

 まあそんなことはどうでもいいとして、各大学のパーティーは、お互い作った天気図と天気予報を交換するわけです。そして色々検討した結果、天候悪化のために知床縦走はできないとみんな断念してしまった。今ならスマホであっという間に分かってしまう天気予報も、当時はこのような原始的な方法でやっていた。ちなみに携帯がない時代ですから、みんなアマチュア無線の免許を取っています。万が一の時は、アマチュア無線で救援を呼ぶしかない。

 そんなことどうでもいいとして、彼らは全員ノコギリを持っていた。ハイマツ帯を縦走するわけだから、当然といえば当然なのだろうが、当時の私は首をかしげていた。熊が出てきたらどうするんだろうと。 ノコギリでは戦えないではないかと。もちろんみんな熊スプレーは持っていたけれど、犬飼さんや、門崎さんや、姉崎さんのヒグマに関する報告書を読む限り、ナタを持っていかないと言う選択肢はなかった。

 当時の統計(たくぎん総研)によれば、ヒグマに襲われた場合、ナタでの反撃が有効だとされていたからだ。その報告に批判的な動物学者も多かったのだが、私は、その統計を信じた。というのも、ある専門家が、とんでもない資料(死んだふりをしたら助かるというカナダの資料)をわたしてきたからだ。それは、たくぎん総研の統計とは真逆だった。私は迷うこと無く、犬飼さんや、門崎さんや、姉崎さんの方を信じた。

 結局、ノコギリは必要なかった。
 むしろノコギリなってない方が良かった。
 なまじノコギリを持っていると、ハイマツ帯を直進したくなる。
 しかし実際は遠回りになる。
 ハイマツ帯を迂回した方が圧倒的に早い。
 一見遠回りに見えてもそっちの方が早いのだ。
 そうなると稜線上を縦走したとは言えなくなるかもしれないが・・・・。

 結局、他の大学のパーティー等は、気象通報から自ら導き出した結論によって縦走を断念したので、ノコギリだろうがナタだろうが関係なかった。縦走のために出発したのは私達だけだったからだ。

 で、やはりナタで良かった。
 安心感がまるで違っていた。

 それ以前に、ハイマツ帯を上手に迂回することで、自然に対するダメージを最小限にできたし、体力も奪われずにすんだ。それが成功の原因だったし、自然を征服しようとしなかったことが結果としてよかった。藪漕ぎというのは、体力戦ではない。頭脳戦なのだ。

 それと「臭い」との戦いである。不思議なことに3週間も原生林をウロウロしていると、嗅覚がするどくなってくる。クマ・鹿の臭いに敏感になる。ハイマツの臭い、山風・海風の臭いまで敏感になり、嗅覚がすぐれてくる。そうなると、気象通報とか、NHKラジオの天気予報などに惑わされない直感(霊感)のようなものが働いて、やることなすこと全て正解を導き出してしまう。神がかってくる。そうなると今度は逆に怖くなってしまって慎重になってしまう。それがいいあんばいに働きますから不思議といえば不思議です。



つづく。

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2021年10月10日

クマについて【6】情報量

 江戸時代の寺子屋の教科書が、やたらと難しいことに驚いたことがあります。これは明治期の小学校の教科書でも同じでした。これが、大正・昭和・戦後と時代が下るうちに徐々に簡単になっていきます。では、令和時代の子供たちが、江戸時代の子供たちより学力が劣っているのかというと、とても大きな疑問が出てくる。『庭訓往来』などの江戸時代の寺子屋の教科書は、確かに難しいのだけれど、当時の子供たちが覚えるべき情報の総量は、現代に比べて圧倒的に少ない。なにしろ江戸時代には、パソコンもテレビもマンガも無い。活字が圧倒的に少ない。『庭訓往来』くらいしかないから、それを何度も読み返すしか無い。あとは、浄瑠璃・歌舞伎・落語・俳諧といったものくらいなので、現代に比べて圧倒的に情報量が少ない。少ないからこそ、それらに対して鋭敏に反応し、恐ろしいほどの才能を発揮したりする。

 これは、飼い犬にも言えるかもしれない。

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 うちの宿では、シエルティー(コロ)の犬を飼っているのだが、一度でも可愛がってくれた御客様を忘れない。リピーターさんの車が駐車場に入ってくるだけで嬉しそうに吠える。逆に、初めての御客様には見向きもしない。過去に散歩に連れてってもらった御客さんは、ずっと憶えていて、嬉しそうにワンワン吠える。
「散歩に連れてって!」
と尻尾を振っている。散歩に連れて行ってくれた御客様の臭いを何年も覚えていて、数年ぶりに再会する御客様に対して、大喜びでワンワン吠えて『遊んでよ』とお強請りする。御客様は
「利口な犬(コロ)だなあ」
と感心するのだが、これは誤解である。

 コロのやつは、年から年中、散歩のことばかり考えている。ペットだからエサには困ってないが、散歩と一緒に遊んでくれることに関しては飢えている。四六時中、散歩のことばかり考えているから、「この人は散歩に連れて行ってくれる人だ!」という情報は、絶対に忘れはしない。なにしろ1年中、そればかり考えて生きているからだ。

 うちのコロにとって、宿に泊まりに来る御客様は、散歩してくれるかもしれない御客様なので、その人たちの臭いは、データーベースとして、しっかり記憶されてしまう。コロが、頭が良いかどうかは別にして、年中、散歩しか考えてなかったら、コロの脳は、その一点に集中して、恐ろしいほどの能力をみせるかもしれない。


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 これは、野生のクマにも言えるかもしれない。野生のクマにとっての最大の関心事は食糧問題だ。あれだけの巨体を植物によって維持するには、四六時中食べていなければならない。そのために手っ取り早いのは、人間が栽培している畑が一番効率よく食事が出来る。しかし、そこに入ろうとしないのは、人間の怖さを知っているからだ。

 ただ、独り立ちしたばかりのオス熊は、それをよく知らないために、別荘地や畑に迷い込んで捕獲&射殺されてしまう。それを見ていた熊たちは、人間と距離を置くかもしれない。愛犬コロが、散歩のために恐ろしいほど集中し、大勢の御客様の顧客データーを記憶するのと一緒で、野生の熊たちも、食料の確保と、人間への警戒心のために恐ろしいほど集中し、人間界のデーターを集めているかもしれない。





 知床山脈を縦走しているとき、倒木に腰掛けてやすんでいたら、ヒグマが、のっしのっしと近づいてきた。こういうことは滅多に無いので驚いた。もちろん、こっちは、じーっと立ち止まって相手を睨めつけ、ナタとクマスプレーで戦闘準備する。すると、飛び上がって、ドスンドスンと逃げていった。もちろん天地が地震の様に揺れる。熊は茂みにはいる。入ると天地の揺れはピタリと止まる。つまり茂みの中から、こちらを伺っている。もちろん、こっちから熊の姿は見えない。つまり、熊は、隠れてこっちを伺っているのだ。
「変だな?」
と思った。ヒグマは、必要以上に人間と関わろうとしないから、茂みの中から動こうとしないヒグマに違和感を感じた。
「どうしてだろう?」
と思っていると、仲間の一人が、こしかけていた倒木にクワガタムシを発見した。よくみると倒木には虫たちがたくさんいた。アリの巣があり、熊の大好物が大量に存在していた。

「ああ、すまんすまん。そういうことだったのか!」
「・・・」
「ごめんねクマさん、俺たちは旅たつから・・・」

 私は、巨大なヒグマに謝りつつ、その場をそっと立ち去った。ヒグマにしてみたらランチタイムにいつもの倒木に向かっていたら、殺気だった人間が4人もいてナタに手をかけていたので困惑していたのだと思う。四六時中、食料の事ばかり考えているヒグマにしてみたら、変な姿の人間が進入しているのに、さぞかし面食らっていたに違いない。

 このようにヒグマは、エサに関するデーターと、人間に関するデーターを必死になって集めている。われわれの知らないところで、われわれはヒグマに見張られているかもしれない。

 これは、ツキノワグマにしても同じで、彼らは、信じられないくらいに我々を観察している。人間や自動車などをよく観察している。観察しつつ、夜中に町中に入り、街中を流れる川の、川沿いに密集してサワグルミの林に進入して、また柔らかいクルミをムシャムシャと食べたりする。食べられる時期は、たったの1週間で、時期が過ぎると食べられなくなるので、クマにしてみたら必死である。こうして深夜に沢筋を下りてきて、大急ぎで街中のクルミを食べて、逃げるように去って行く。ずくそばには、観光にきた自動車が走っていたり、夜の夜中にランニングする人間がいたりするのだ。そんなときクマは、茂みの中で用心深くピクリとも動かずに、災難がさっていくのを待っている。


つづく。

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2021年10月09日

クマについて【5】『子熊物語』

 今まで、ヒグマの恐ろしい話ばかりしてきたが、今回は、ヒグマの可愛らしい話をしたい。


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 その昔、フランス映画に『子熊物語』というのがあった。母を失ったヒグマの子供を別の熊が育てるという映画だったが、
「嘘くせー」
と思ってしまった。当時、熊に関して色々調べていて、かなり詳しいつもりだった私は
「自分が生んだ子供でも無いのに育てるかよ!」
と、その映画を見ながら、映画を作っていたフランスの映画監督を小馬鹿にしていた。しかし、よくよく調べていくと、熊は、血縁の無い孤児を育てるという研究結果があった。北海道の登別のクマ牧場で、そういう事例が報告されていた。


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 登別のクマ牧場の存在は大きい。登別のクマ牧場のおかげで、野生のヒグマが保護されていると言っても過言では無い。もともと登別のクマ牧場は、熊の食肉を目的として作られている。自然を愛する熊愛好家にしてみたら、とんでもない存在であると思われそうだが、登別のクマ牧場のおかげで、ヒグマの密猟が大した儲けにならなくなってしまい、結果として、ヒグマを密猟する人がいなくなってしまっている。間接的に登別のクマ牧場は、野生の熊をたすけているのかもしれない。

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、登別のクマ牧場によって、いままで分からなかったヒグマの生態が解明されている。その中でも衝撃的だったのは、エサを充分に食べられなかったヒグマが、子熊の養育を放棄するという恐るべき事実と、養育を放棄された子熊を血縁の無い別の熊が養育する事実である。

 さて、長い前置きは、このくらいにして、本題に入る。





 これから話すことは、にわかには信じられないかもしれないが実話である。昭和21年。北海道の日高地方に、とある母子家庭が住んでいた。4歳の息子と、その母親だった。終戦直後ということもあって、母親は栄養失調のために失明してしまった。4歳の子供を育てるどころではなくなった。母親は、息子を養子にだした。300ヘクタールも農地をもつ大地主のところへである。そこには、女の子ばかりで、男の子が無かった。そこへ養子にだされた。

 しかし4歳の少年は、新しいお父さん・お母さんになつかなかった。それに腹を立てた養父は、4歳の子供を死ぬほど殴ったりした。しかも、その直ぐ後に男の子が誕生した。養子の少年は、用無しとなって、年齢を1歳誤魔化して、5歳で小学校に入れられてしまい、家業を手伝わされた。馬や牛のエサを運ばされ、羊の放牧をさせられた。動物は、相手が子供だと、小馬鹿にして言うことをきかない。牛や馬に蹴られて
毎日傷だらけになったが、誰も解放してくれなかった。血まみれになって働いても、誰もいたわってくれなかった。

 学校から帰ると、おつかいが待っていた。町の商店からリヤカーで重い荷物を何キロもの距離をはこんだ。買い物は付けで買い。月末に払うシステムだったので、少年は、荷物を運ぶだけの買い物だった。

 学校に行く前には、羊の放牧をした。羊たちは少年の言うことなど聞かないので、引きずり回され倒れ、泥だらけになった。そのまま学校に行くと「汚らしい」とか「親無し子」とからかわれて虐められた。友達は一人も出来なかった。家に帰ると豚小屋や牛舎の掃除。誰も仕事を教えてくれないので、牛の乳を絞れば蹴られ、馬のエサをやれば噛みつかれた。誰も守ってはくれなかった。だから牧場の脇道をのぼり、近くの山に登って海をみた。こっそり抜け出して、遠くに見える海をみることだけが、ささやかな楽しみだった。

 そして小学2年生の春。少年は海をみるために、雪解けの山道を登っていると、子熊をみつけた。可愛い子熊だった。少年は、子熊を抱き上げようとしたら、子熊は逃げていった。少年は追いかけると、突然、母熊が現れて、少年の頭を張り倒した。少年は、ふっとんでしまった。そして気を失ってしまった。

 そして何時間たったろう?

 少年が目覚めると、夕方だった。少年は、ヒグマの巣穴に寝かされていた。母熊は、傷ついた少年の頭をなめていた。やさしそうな目だった。少年の足下には、子熊が寝ていました。母熊は、その子熊と少年をかわるがわるになめました。少年は、この熊の親子に家族の愛情みたいなものを感じてしまった。養父・養母にはない愛情を感じてしまった。そして涙がこぼれてしかたなかった。そして、いつしか寝てしまった。

 翌朝、少年が目覚めて、大急ぎで養父のもとに帰りますと、酷くしかられましたが、熊にやられた傷については、何も聞かれませんでした。そして小学校に登校し、先生に熊の好物を聞くと「リンゴでしょう」とのこと。少年は熊にリンゴをもっていこうと考えます。重いリヤカーで4キロ先にある商店で買い物するのは、少年の役目ですし、買い物はツケで行います。その時にリンゴも買って、熊に持って行ったのです。熊の親子は、リンゴを美味しそうに食べ、少年は、やっと本当の家族をみつけたのです。しかし、ツケでリンゴを買ったことがバレて、少年は死にそうになるくらいに殴られ、そして・・・・。

 以上の話は、『クマに森を返そうよ(沢田俊子)』という本の一節(実話)です。息子が夏休み中に図書館で借りてきた本で、息子は、この本の感想文を書いて宿題として提出しています。

 少年が、ヒグマの巣穴に寝かされて、傷ついた少年の頭をなめていた。
 少年の足下には、子熊が寝ていた。
 母熊は、その子熊と少年をかわるがわるになめていた。

 にわかには信じられない話しですが、登別のクマ牧場の報告を大量に読んでいる私は、実話であると思っている。本当に、ありえると思っている。


 というのも、後天的に学習するヒグマは、個体差が大きく、いろんな性格の個体があるからです。そして、登別のクマ牧場の研究報告からもあるとおり、映画『子熊物語』のような母を失ったヒグマの子供を別の熊が育てるというケースもありえることを考えると、クマに一律に『お仕置き放獣』することが正しいかどうか疑問になってくる。個体差が大きいから、一律の対応に疑問点が出てくる。お仕置きによって、人間を執拗に恨んで攻撃してくるような個体が誕生しないともいえないからだ。

 クマの個性の多様さをなめない方がいい・・・・というのが、動物写真家である宮崎学さんの考えであり、私も同じような感想をもっている。

つづく。

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2021年10月07日

燕岳の朝

 翌日、御来光と富士山をなが、私たちは燕岳に向かいました。

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 燕岳は、北アルプスで最も美しい山で、花崗岩でできています。

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 なので、気象条件が厳しく寒暖差がはげしい北アルプスでは、風化も激しくて、それだけに多くの奇岩が目をたのしませてくれます。関西の人なら分かると思いますが、六甲山の蓬莱峡のような風景が楽しめます。たしか六甲山も花崗岩で有名ですよね。御影石があるくらいですから。その中でも面白いのは、イルカ岩。イルカにそっくりです。

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 逆に言うと、地面は崩壊した花崗岩の屑ばかりですから土壌に栄養が無く、それゆえにコマクサくらいしか生えてきません。なので花の季節になるとコマクサが目を楽しませてくれるようです。

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 コースもなだらかで散歩気分で歩けます。燕山荘には、そういう人たちのためのザック置き場まで用意しているので、みんな手ぶらで燕岳に向かっているようです。で、気になったことは、ドローン公害。こういう国立公園に、やたらとドローンを飛ばすのは、どうなんでしょうかね?

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 あと、このルートは展望がいい。このルートにかぎらず、表銀座コースもそうなんですが、本当に展望がいい。私は、穂高・槍・上高地が好きなので、毎年通ってますが、展望に関しては、遠くから槍が望めるこのあたりの方がいい。

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(燕岳頂上)

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 けっきょく1時間以上かけてのんびり燕岳まで往復しました。
 とっても幸せな一日でした。
 名残惜しいけれど、その後は下山。
 留守番している愛犬コロにエサをあげなければいけないから、早めに帰らなければならない。

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 10時頃に登山口まで下山する。
 下山後は、ソフトクリームを食べたけれど美味しかったなあ。

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 とても有意義な一日でした。
 こんなに天気が良いと知っていれば、もう1泊予約しておけばよかった。
 残念!

 新型コロナウイルスのせいで、予約無しに山小屋に泊まれなくなっているので、涙をのんで下山するしかないのが悔しい。でも、逆に言うと、山小屋に詰め込まれることが無くなったので、そこは良かったと思います。昔は、トイレ前に寝かされた上に、布団1枚に3人という酷い詰め込みをされたくらいですから。


つづく。

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ラベル:燕岳
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2021年10月06日

やはり燕山荘は、日本一の山小屋だった!

 息子も8歳です。8歳くらいになると、大人より体力があります。24リットルザックに、2リットルの水と、非常食・インナーシェラフ・着替え・翌日分の昼食まで入れていても、頂上近くになるとダッシュで走って行き、燕山荘に一番乗りしました。結局、到着したのが16時50分。コースタイムより30分早く到着したわけですが、これは北アルプス3大急登のせいです。急登というのは、時間短縮しやすいのです。体力さえ有れば時間を短縮できるのが急な登りでもあります。


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(バックに槍ヶ岳)

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(バックに燕岳)


 これが燕山荘(花崗岩の階段が美しい。燕岳は花崗岩の山なのだ!)
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 燕山荘は、かって帝国ホテルグループ傘下にあったために、ホスピタリティあふれる接客をすることで有名な山小屋です。と言っても若い人には分からないかもしれませんが、昭和時代の山小屋の御主人には、高圧的で横柄な人が少なからずいて、それでも山小屋に人々が殺到した時代がありました。これは山小屋に限らずユースホステルや国民宿舎にも、そういう横柄なオーナーがいた時期があったのです。そういう時代に令和時代なみの接客をする、まともな山小屋があった。燕山荘です。


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 しかも、この燕山荘。最高のロケーションであることで有名です。北アルプスが最も美しく見える位置にあり、しかも10月初旬の夜景と来たら、銀河が槍ヶ岳に落ちることで、その写真撮影に人が殺到することで知られています。そんな小屋は、燕山荘しかありません。おまけに夜明け前の早朝となると、燕山荘の東の空に、黄道光と銀河の二つの光の帯による『巨大なX(エックス)の光の帯』の美しいショーが見られます。


(黄道光と天の川のクロス・巨大なX(エックス)の光の帯)


 それはともかくとして、燕山荘に到着して驚いたことの一つは、8歳の息子のために、表彰してくれたうえに記念品までいただいたことです。うちの息子は、3歳の時に自力で八ヶ岳に登頂して赤岳小屋に泊まりました。4歳の時には槍ヶ岳にも登って肩の小屋に泊まっています。5歳の時には北穂高山荘。6歳で穂高山荘。7歳で再び槍ヶ岳と登っていますが、表彰されたことなど一度もありません。それだけに燕山荘の粋な心意気に感動します。お子さん連れなら絶対に最初に泊まるべき山小屋です。


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 おまけに部屋までスタッフが丁寧に案内してくれたうえに、個室まで用意してくれました。その他にも数々のサプライズ。いちいち書きませんけれど「さすがは帝国ホテル系列だ」と感心しました。でも一番驚いたのは、山小屋の設備と清潔さです。ありえないくらいに充実しているし、きれいですし、掃除もいきとどいている。特にトイレがきれい。下界のホテルと何ら変わりない。

 と、言っても山に登らない人には分かりにくいでしょうから解説すると、普通の山小屋のトイレは、臭いのです。ぽっとん便所みたいなもので、おまけにトイレットペーパーを流せない。トイレットペーパーは、ゴミ箱に入れるので、それも臭いし、それの山を眺めてウンチするので気分の良いものではないし、清潔感もない。ましてや新型コロナウイルスの時代になると、なおさら山小屋のトイレを使いたくなくなるのですが、燕山荘のトイレは、下界のホテルと変わらないトイレになっている。どうして、そんなことが可能なのかわからないけれど、そうなっている。おまけにトイレが美しい。トイレ掃除がいきとどいている。宿屋の私の目から見ても手を抜いてないことがわかる。


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 おまけに御飯が美味しい。チーズインハンバーグと金目鯛の煮付けが美味しい。新型コロナウイルスのせいで、食事中の会話は、禁止されているけれど、それを補うためにマネージャーの面白い話が聞けるし、アルペンホルンの演奏もしてくれる。標高2700メートルの北アルプスで、マネージャーみずからのアルペンホルンを聞けるなんて夢のようです。もう言うこと無しです。他の山小屋では、食事中の会話禁止だけで、何の芸もなく、黙々と食事するばかりだったので、燕山荘の素晴らしいホスピタリティには、感動しっぱなしです。


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(アルペンホルンを演奏するマネージャー)


 おまけに夕日が美しかった。

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(槍ヶ岳の夕焼け)

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(北アルプスの夕焼け)

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(燕山荘の夜)
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 夜景がきれいだった。
 星が美しかった。
 特に槍ヶ岳に落ちる天の川が最高だった!


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(安曇野の夜景)

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(美しい銀河)

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(槍ヶ岳に落ちる銀河)

 そして、夜明け前に見た黄道光と天の川のクロスが最高だった。
 夢なら冷めないで欲しいと思った。


つづく。

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posted by マネージャー at 21:56| Comment(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月05日

クマについて【4】合戦小屋と燕山荘

 10月2日の土曜日は、息子の運動会でした。もちろん宿屋は大忙しです。緊急事態宣言の解除もあって、前日の10月1日から御客様の予約が入ってしまった。運動会当日にしても、御客さんはゼロだっさたので、安心して運動会に出られると思っていたら、まさかの「緊急事態宣言の解除」で、予約がドド〜っと入ってしまった。

 おまけに運動会の方は、新型コロナウイルスに対する配慮から、午前中に終了するプログラムになっていて、そのために私たは息子の競技を見れなくなってしまった。御客さんのチェックアウトは、10時なのに対して、運動会の競技は11時すぎに終わってしまうからです。つまり、夫婦で息子の競技はみられず、私だけがビデオ撮影するしかなかった。で、運動会が終わると、大急ぎで帰って御客さんを迎える準備。そして、その翌日には北アルプスに登るために出発しなければならない。大忙しである。

 土曜日の運動会のおかげで月曜日は、振替休日となっている。つまり、日曜日・月曜日と連休なので、北アルプスに一泊できる。で、どこにしようかと悩んだあげく、雷鳥で有名な燕岳に登ることにし、もともと帝国ホテルグループであったスーパー山小屋である『燕山荘』に泊まることにしました。


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(卵をあたためている雷鳥。燕山荘付近には、雷鳥がたくさんいる。しかし噴飯ものはダックスフンドを連れてきた登山客がいたことだ。雷鳥で有名な燕岳に猟犬連れてくるのは止めて欲しい。それをキャーキャー喜ぶ女性諸君も、よく考えて欲しい。ものすごく罪深いことだと。燕山荘も登山道入り口に『犬は禁止』と書いた方がよいと思います)


 北アルプスの山小屋には、二大グループがあって、槍ヶ岳肩の小屋のグループと燕山荘グループ(燕山荘、大天荘、ヒュッテ大槍、有明荘、合戦小屋)の二つが覇を競い合っていますが、去年は槍ヶ岳肩の小屋で、酷い接客に嫌な思いをしたので、今年は最高峰レベルの山小屋と名高い『燕山荘』に泊まってみようと思ったわけです。

 10月3日(日)。なんだかんだで御客様のチェックアウトが、10時をすぎてしまっていたために、北軽井沢を出発したのが10時30分。登山口に車が到着したのが13時。なんだかんだで登り始めたのが13時20分でした。


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(登山口・中房温泉)


 ここから燕山荘までの標準的なコースタイムは、4時間10分。コースタイムどうりに登れば、17時30分に燕山荘に到着できます。ただし、このコースは、北アルプス3大急登の一つで、すごい登坂の連続が続きます。なので、途中に多くの休憩所が作ってあり、第一ベンチから、第十ベンチまで十ヶ所の休憩のためのベンチがあり、ザックを下ろさずに休憩できます。さすが、燕山荘グループが整備しているだけのことはあり、登山道には、いろんな工夫がされていました。私自身、子供が生まれるまでは、北軽井沢の登山道をいくつか整備していたので、その苦労は痛いほどわかります。


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(北アルプスで、もっとも急な登りで有名なコース。けれど、この日は、5組の小学生連れの家族と、4組の幼児連れと出会っている。息子が3歳の頃は、幼児連れの家族は皆無だっただけに、時代も変わったなあと感心する。ちなみに、ここでもベビーキャリアは見かけなかった。幼児は、しっかり自分の足で歩いている。)

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(ベンチがたくさんあるので、休憩がてらに地図を確認したりできます。読図訓練の一コマです。子供に読図を教えるのには、とても良いコースだと思います)


 15時55分。合戦小屋に到着。合戦小屋は、燕山荘グループが経営する小屋で、いわゆる山小屋レストランで、夏はスイカを食べさせてくれることで有名です。普通、山小屋でスイカなんか食べることはできないのですが、登山口から合戦小屋まで荷物運搬用リフトが繋がっているので、スイカが食べられるわけです。また、このリフトのおかげで、燕山荘は通年営業ができます。そして、ヘリコプターを使わずに大量のゴミ類を下界に下ろせるわけです。

 そのおかげで、燕岳付近は、自然がよく保護されていて、雷鳥の天国になっています。もし、少しでもゴミで汚されていたら、それをエサにキツネ・カラスなどが、あがってきて、アッというまに雷鳥は全滅してしまいます。それを燕山荘スタッフたちは、防いできたわけです。なので、警戒心の無い雷鳥の雛たちは、燕山荘の庭先にヨチヨチと歩きながら遊びにきたりします。これは、世界的でも日本アルプスだけにしかみられないことで、非常に珍しいことで、世界中の鳥類学者たちが驚愕しています。かって雷鳥のような存在の鳥は、世界中にいっぱいあったのですが、全てヨーロッパ人が虐殺してしまったからです。つまり雷鳥の存在は、日本人の良心そのものである・・・ということらしい。


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(雷鳥の雛が無警戒にやってくるところは燕山荘くらいのものでしょう。こういう別天地に猟犬をつれてくることは、本当に謹んでもらいたい。)


 ところが、今から数十年前に雷鳥に危機が訪れます。原因は、この合戦小屋で出していたスイカにあります。御客さんが食べ残したスイカの皮の臭いにクマたちが合戦小屋に集まってきて、その周辺から動かなくなってしまった。すくに対策するのですが、一度スイカの味を学習してしまったクマはテコでも動かない。どんなに威嚇しても動かない。もう射殺しかないということになって、それも嫌だと思って、無い知恵を振り絞って考えだしたのが『お仕置き放獣』です。クマを捕獲してお仕置きして、二度と近寄らせないようにした。これが『お仕置き放獣』のはしりです。

 で、この『お仕置き放獣』には賛否両論がある。宮崎学氏は、反対論者である。ヒグマの会なども、そういう考え方に近いかもしれない。40年前の知床岬のルシャの漁師たちは、ひたすら『追い払い』に徹していた。道路にクマがいたら車で追い払ったが、草原にいる限り無視していた。お互いテリトリーをはっきり分けていた。これができたのは、ある程度、交通インフラと機械力があったからだろう。合戦小屋と燕山荘には通用しないスタイルかもしれない。




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posted by マネージャー at 23:49| Comment(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月04日

クマについて【3】燕山荘と「お仕置き放獣」

 熊にあったら死んだふりをするといいという迷信があります。これは迷信です。ではどうして、死んだふりをしたら助かるという迷信が生まれたかと言うと、ヒグマとライオンは根本的に違うからです。

 ライオンは一度獲物を仕留めると、他の動物には見向きもしません。逃げる相手など無視して、仕留めた獲物を貪ります。けれど本来草食動物であるヒグマはそうではありません。一度仕留めたとしても、逃げる者がいたとしたら、そっちの方を追いかけてしまいます。

 ヒグマが人家を襲った時に、絶体絶命に陥って食われるだけだという時に、他の人間が逃げてしまうと、そっちの方を追いかけます。だから絶対に逃げてはダメなんです。これがライオンのような根っからのハンターだったら、一度仕留めた肉を手放すような事はありません。ここがヒグマとライオンの違いです。誰かが逃げると、今にも食い殺されそうになっても助かってしまう。ヒグマは動く者を追いかけてしまう。





 前置きはこのぐらいとして、北海道のとある海岸で食事を作っていた時に、オスのヒグマがこちらに向かってきて立ち上がったことがあります。こいつは「やばい」と思った私は、奇声をあげてヒグマに突進して行きました。ヒグマのやつは、慌ててしげみに逃げていたわけですが、その時は、いつものように大地がドスンドスンと揺れることはありませんでした。岩場の上だったからです。

 私はヒグマに突進したわけですが、決して無茶なことをしたわけではありません。ヒグマは崖の上にいて、私とヒグマの間に谷のようなものがあったので、私の突進はこけおどしでした。手にはナタとクマスプレーをもっています。ヒグマに対してナタが有効なことは、いまはなき拓銀総研の報告で、当時あきらかになっていました。

 で、私がヒグマに奇声をあげて突進しているところに、友人が援軍にきて、二人で奇声をあげたわけですが、ヒグマは藪の中にどんどん消えていきます。普通ならやぶにクマが消えると、藪はピクリとも動かないのですが、今回はどういうわけかやぶがどんどん遠くに波打って消えていく。つまりヒグマはどんどん逃げていたわけです。

 一緒にいた友人は
「ここから逃げよう」
と言いました。

 しかし逃げるも何も、もう日没で、逃げるところがない。ここには道路も無ければ登山道も無い海岸なのだ。逃げたところでヒグマの方で追いかけようと思ったら、確実に捕まってしまう。だから、その日はそこでビバークしました。警戒のためにラジオの音声をガンガンならしたわけですが、その時ちょうどアトランタオリンピックが開催されていて、日本サッカーチームがブラジルに勝って、大歓声をあげていた。

 ちなみに、ほぼ同じ頃に、ヒグマの写真家の星野道夫さんが、TBSの動物奇想天外の撮影時に、ヒグマに襲われて食べられてしまっていた。彼は「この時期は、サケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」と思っていたらしいが、ヒグマの知能と、後天的な学習能力をあまくみていたのかもしれない。個体によってキャラが違うヒグマに一般論は通用しにくい。

 通用しにくいといいいえば、最近流行りのツキノワグマに対する「お仕置き放獣」に関することも、賛否が分かれるところです。お仕置き放獣というのは、人間のそばにやってくるツキノワグマを罠で捕らえて、唐辛子スプレーなどを使ってお仕置きをして、人間の強さ怖さを十分に教えて、山奥に放獣することを「お仕置き放獣」と言います。

 これを日本で最初に行ったのが、日本最高ランクの山小屋と言われる「燕山荘」です。これについては、後日述べるとして、この「お仕置き放獣」は、軽井沢町を中心として、長野県の多くの市町村で採用されています。これに否定的な見解を持っているのが、動物写真家の宮崎学さんで、個体によって大きくキャラが違っているツキノワグマに、一律に採用することの危険性を訴えています。







 それはともかく、実は昨日から今日のお昼頃まで、家族で山小屋の燕山荘に宿泊し、合戦小屋で休憩したり、燕岳を散策したりしていました。もちろん燕山荘のご主人から、ツキノワグマを「お仕置き放獣」するにいたった経緯を伺っています。これについては、明日にでも報告したいと思います。




つづく。

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posted by マネージャー at 18:22| Comment(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月02日

クマについて【2】

 一般的によく言われている
「クマは警戒心が強くて臆病だ」
という。それは本当だと思う。もちろん根拠がある。

 私は何度もヒグマやツキノワグマと出会い頭にあっていますが、ほとんどの場合向こうの方から逃げていきました。で、逃げる時には天地が揺れます。地震のように大地が揺れる。しかしその逃げて行くクマが藪の中に入った途端に、大地が揺れなくなる。つまり動かずにずっとこちらを伺っている。すぐそばにいるのだ。姿を消したらピクリとも動かない。

 距離からすれば20Mから30Mぐらいだと思う。すごい至近距離にいるわけだがピクリとも動かない。動かずにこちらをじーっと伺っているわけだが、藪の中に隠れているために、こちらからはその姿が見えない。仕方がないので、ゆっくりとその場から離れるわけだが、やはりやぶは動かない。クマは息を殺してじっとしている。非常に用心深いのだ。

 こういうケースは、知床山脈の稜線上とか、普段人間が現れないところで起きるケースが大半である。漁師の番屋がある海岸沿いでは、ヒグマたちも、それほど用心深くはない。漁師たちが作業していても、車が走っていても、われ関せずで、四六時中、草ばかり食べている。しかし、そういう光景は1990年以降の話であって、それ以前では、知床半島の海岸にヒグマが出ることはなかった。海岸にヒグマが出るようになったのは1990年頃からである。

 理由は単純明快で、ウトロにいた二人のハンター(密猟者)が、いなくなったからだ。一人は不慮の事故で死んでしまったし、もう一人は、引退して東京の方に去ってしまった。そのためにヒグマが海岸に出るようになったのである。ハンター達は、船で海岸に上陸しクマを仕留める。だからヒグマたちは絶対に海岸に出てこなかった。知能の高いヒグマは、人間をよく観察します。観察しまくって、何が安全であるか、何が安全でないかを見極める能力を持っている。人間が考えるより、彼らは非常に知能が高い。

 私は仲間四人と、クマがエサを食べている草原にテントを張ろうとした。すると漁師たちは「その場所は危ないから、この車庫にテントを張りなさい」と親切にしてくれた。そして私たちの山行計画を聞いてきた。私は
「テッパンベツ川から知床岳に登り、そこから知床岬に縦走する予定です」
と答えました。すると漁師たちは
「テッパンベツ川にクマはいないから大丈夫だ」
と答えました。これは本当でした。彼らは無知を装いますが、実はいろんなことを知っています。彼らにヒグマの事を聞いても
「さあねえ」
「俺には分からねえなあ」
と惚けますが、そんなことありません。実にいろんなことを知っている。その逆が町の人達で、出発前にいろんなアドバイスをしてくれましたが、それらの情報には嘘も多かったし、いい加減なものがいっぱいあった。ところが漁師たちの
「テッパンベツ川にクマはいないから大丈夫だ」
は本当だった。





 本当にヒグマはいなかった。
 なぜそれが分かるかと言うと糞がないからである。
 知床にはあちこちにヒグマたちの糞がある。
 鹿のフンもあれば、鳥の糞もある。
 どこもかしこも糞だらけである。
 足の踏み場もないくらいの糞の山なのだ。
 動物の糞を踏まなければ、大地を歩けないくらいの糞の山。

 野生動物が糞をしても、寒さゆえに分解されないで残っているだめだと思われる。だから私たちが糞の上を歩くとそこに新しい道ができた。雪のトレースのように道が出来た。そのくらい糞が多かった。その中でもヒグマの糞は独特の匂いを保つ。私たちは、ヒグマの糞を見つけるたびに匂いを嗅いだ。特に新しい糞は、湯気がでていた。そういう場合は、ヒグマの臭いがした。人間の鼻は、大自然の中に1週間もいると、非常に嗅覚が敏感になる。これは私だけの話では無くて、20人の参加者全員が、1週間で野生動物の臭いをかぎ分けられるようになった。

 それはともかく、湯気がでていたヒグマの糞の話にもどる。周りはハイマツだらけなので、ヒグマの奴も私たちの通る道を通っているらしい。というか、私たちがクマ道を通っていた。その証拠が、ホカホカの糞である。おまけにハイマツの新しい実がクマに囓られていた跡まであった。そんな藪漕ぎをやっていた私たちは、テッパンベツ川に行くと、クマの形跡が無かった。クマどころか鹿さえみかけなかった。
「テッパンベツ川にクマはいないから大丈夫だ」
という漁師たちの話は、嘘では無かった。彼らは非常に正確な知識をもっていた。ただ、外部の人間に簡単には教えてくれないだけだった。これは、1990年から1994年頃の話である。今は、どうなっているのかわからない。





 当時は、スマホも携帯も無かった。あっても電波が届いてない。天気予報は、ラジオの気象通報を聞いて、自分で天気図を書いて、天気を予測した。昔は気象の知識が無いと山に登れなかった。だから山ではラジオが生命線だった。おまけに40sの荷物を背負っていた。水の浄化装置・ロープ・ハーネスから軽ボートまで背負っていた。で、いったん山に入ると、無駄になるのが金(マネー)だった。一番無意味なものになってしまった。で、ヒグマのいない沢筋を登っていくと、巨大な雪渓があり、ゆくてに巨大な滝が見えてきた。そして、シマフクロウの鳴き声が聞こえてきた。

 今なら雪渓のおかげで楽に登っていける。3日たったら、楽には登れないだろう。行くなら今しか無いが、シマフクロウの声が気になる。知床岳をとるか、シマフクロウ観察をとるか悩んだが、知床岳をとってしまった。今だったらシマフクロウだろうけれど、当時の私は、知床山脈縦走の方に魅力があった。

 で、ロープで体を縛ってビバークして、知床岳にのぼり、夢のような湿原を下っていくと、久しぶりにクマのウンチに出会った。鹿にも出会った。当時の自然関連の書籍には、標高600メートル以上のハイマツ帯には、鹿もクマもいないと書いてあったが、普通にワンサカいた。いたどころか、私たちは彼らに見張られていた。そんな気がした。彼らの姿は見えないのだが、彼らが近づくと、強烈な臭いがするからだ。鹿にいたっては、キャンキャンと鳴いて警戒音を出していた。大きな角があるのに、どうやってハイマツの中を鹿たちは歩いて行くのだろうか? 不思議でならなかったし、そもそも鹿が鳴くことさえ、今まで聞いたことがなかったので新鮮だった。動物たちは、そんな私たちを遠巻きに警戒していたようだった。姿こそは見せないが、臭いだけはしたからだ。


つづく。

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ラベル:ヒグマ 知床
posted by マネージャー at 22:04| Comment(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする