それはともかくも、 今回は私の職業を紹介したいと思います。 私は、ユースホステルという特殊な宿屋をやっています。ユースホステルというのは、 ドイツの小学校の教師が始めた運動で、教室から野外に出て勉強を教えることから始まっています。 これを ワンデルン・シューレ( 移動教室)と言うんですが、 その補助のために全国の小学校を格安の宿にして、子供たちを宿泊させるたのがユースホステルの始まりです。
もっと簡単に言うと、ハイキングしながら勉強しようという運動です。 リヒャルト シルマン先生は、教室で勉強するよりも ハイキングしながら勉強した方が子供たちの勉強がはかどることを発見しました。 これを ドイツの教師たちに訴えると、あっという間に 全国から賛同者が集まり、わずか数年でドイツ 全土にユースホステルが出来上がり、 そのネットワークが全世界に広がったわけです。
実はヨーロッパでは、ギリシャ時代からハイキングすると、学問がはかどることが分かっていました。 机と椅子に腰掛けて勉強するよりも、散歩しながら 学問をした方がはかどるということを彼らは ギリシャ時代から知っていたわけです。特にアリストテレスは、散歩することによって学問がはかどることを実感していて、彼らの授業は散歩とともにありました。 人々はそんな彼らを「 逍遥(散歩)学派」 と言ったぐらいです。
西洋演劇で有名な、坪内逍遥は、アリストテレスを元祖とする逍遥(散歩)学派から、名前を頂いています。
ここで思い出してほしいのが、映画「男はつらいよ」シリーズの最高傑作とも言える第2作「続・男はつらいよ」です。年から年中 散歩 ばかりしているくせに、おバカな寅さんが、 恩師のところに遊びに行くわけですが、その恩師の名前が「 坪内散歩先生」ですから、山田洋次監督も皮肉が効いています。

(寅さんと坪内散歩先生)
皆さんも試して欲しいんですけれど、散歩しながら勉強すると非常に具合がよい。クリエイターならなおさらです。想像力が倍増する。それに人間は1時間机に座っていることが辛いものですが、1時間の散歩は全く辛くない。だから散歩しながら考え事をすると何でもわいてくる。それを ドイツの小学校の先生であるシルマン先生は、体験的によくわかっていたので、 ユースホステル 運動を提唱したわけです。
しかも、それがたったの数年で、全ドイツに伝わって、全ての教師が賛同し、全国にユースホステルが誕生したわけですから、 当時の ドイツ人は、散歩の効用をそれぞれ実感していたわけです。でなければ あっという間に全ドイツに何百軒もユースホステルが誕生するわけがない。全ヨーロッパに広がるわけがない。イギリスでも、フランスでも、先進諸国ならどの国でも、短期間に広がっていった。唯一の例外は日本だけです。日本では、なかなか広がらなかった。なので、ワンデルン・シューレ( 移動教室)も最後まで日本には定着しなかった。
ワンデルン・シューレ( 移動教室)とは、なにかというと映画「サウンドオブミュージック」を イメージしてもらえば良いかもしれません。 あのイメージを日本に定着させようとして、私はユースホステル運動に身を捧げてきました。なので25年前に 北軽井沢にユースホステルをオープンしてから、15年間、毎日のようにネイチャー体験ツアーをやっていました。参加費は保険と実費のみなので、かなり格安だったと思います。
これをやめたのは息子が生まれてからです。
子育てで、それどころではなくなった。息子のために、毎日のように浅間牧場あたりに出かけて、ワンデルン・シューレ( 移動教室)を実行してきました。道中に看板があると、その文字を 2歳か3歳の息子に教えました。だから息子は3歳くらいから、看板にある、ひらがなと漢字が読めるようにはなっていた。なので幼稚園に入れる 気など全くなかった。で、保育園に入れてみたら、そこは「こども園」という名前の幼稚園だった。
なんだか 詐欺にあったような気分でしたが、ガンガン休ませて、今まで通りワンデルン・シューレ( 移動教室)を行うと思ったらそうはいかなかった。幼稚園の先生に休みすぎていると怒られてしまったからです。仕方がないので午前中だけ幼稚園に行かせて、 給食が終わった頃に迎えに行って、午後からハイキングに出かけるという スタイルを取っていたのですが、 それも先生にはご不満だったようで、
「 成長が遅れているので 発達心理学の先生に見てもらいなさい」
と言われてしまう。
確かに息子の成長は遅れていた。でも、それは個性の一部だと思って放置していたのですが、 担任の先生にしてみたら 心配の種だった。で、専門の先生に見てもらうわけですが、専門家は問題ないという。しかし幼稚園の先生は納得してない。毎年、しつこく「成長が遅れているので休まないで」と言われた上に、怪我をしたり、 たんこぶをつくって帰ったり、かまれたあとがあったりして、いじめられているらしいこともわかってきた。おまけに運動能力も低くて、 みんなとかけっこをしたがらない。
こうなると さすがの私も考えざるを得なくなった。
それまでの私は、勉強ができなくても良い。
運動ができなくても良い。
のびのびと育って幸せな人生を 送ってほしい。
そう考えていたのですが、のびのびと育って幸せな人生を送るためには、運動も勉強も多少はできなければ、だめなんですよね。でないといじめられてしまいます。最初は成長が遅れていても、個性 なんだからほっといてくれと思っていたんですけれど、そういうわけにはいかなかった。
仕方がないので、勉強と運動をさせることにしたのですけれど、 まず勉強の方は、 脳科学の先生が監修している「ポピー」を2部づつ買ってきて、あえて同じ問題を繰り返してやらせたわけですが、この繰り返しが効果をあげています。また脳科学者の「脳力道場」というアプリケーションソフトを毎日やらせました。このソフトは ワーキングメモリを増やすのに効果のあるソフトで、ワーキングメモリを増やすことによって、 あらゆる知能が発達することがわかっています。その結果、5歳のときに受けた知能検査(ウイスク)では、100から140の数値がでています。特に知的推理が140と最高レベルで高かった。次に高かったのが言語理解の120。逆に低かったのが処理速度で97。
で、いわゆるギフテット(天才)と言われましたが、これは信じてなかった。どうしてかと言うと、本物のギフテットを見たことがあるからです。甥がギフテットなのですが、本物はレベルが違っている。甥っ子は小学生のうちに高校レベルだった。 自由にプログラミングをくんで遊んでいたし、小学生のうちからメルカリを使って商売をしていたり、株を買っていたりした。こういうのが本物のギフテッドだと思う。
また、嫁さんの姪にも本物のギフテットがいた。中学校の百人一首の大会では、国語の先生数人を相手に戦って簡単になぎ倒したと聞いています。その子は塾もいかずに学校の授業だけで京都大学に現役で入って卒業している。こういうのが本物のギフテットです。
それからしてみたら、うちの息子はハリボテのようなもので、全く才能を感じない。むしろ遅れているように見える。ようするに息子の知能は、努力を重ねた結果の数値でしかない。逆に言うと知能指数というものは後天的な努力でなんとかなるということになる。ただしハリボテなので、努力をやめた途端に消えてしまう。バブルの泡のようなものなのだと思う。
実際うちの息子は、近所の子供たちと比較しても、会話能力が非常に劣って見えてるし、1歳年下の子供達と遊んでいても息子の方が弟分になっているくらいに、ぼーっとしている。だから 小学校に入ったら真っ先に「言葉の教室」にはいっていた。会話能力が低くて、幼いというかバカぽく見えていたと思う。
なので 小学校の3年生ぐらいまでは、知的推理よりも言語理解を中心に勉強させるようにしました。テストの点数などは無視した。授業の点数よりも、その先を目指して、教養番組や、E テレの高校生講座の中で面白そうなやつを選んで見せていた。夏休みの宿題に読書があると知って、1日5冊くらい読ませたし、読み聞かせもした。漫画も読ませました。歴史漫画・科学漫画・伝記漫画なんでも読ませた。
その結果 10歳の時に行った IQ テストでは、言語理解が140と上がって、大人と変わらないというお墨付きをもらいました。逆に知的推理が120に下がっていた。つまり後天的な努力によって言語理解の IQ が高くなっていたということになる。で、ワーキングメモリをアップさせる作業はやらせてなかったので知的推理が下がっていた。ようするに息子はギフテットではない。ないけれど努力でギフテット並みの知能を獲得できたことが、これで証明されてしまったわけです。そして、努力をやめると、 IQ が低下してしまうことも証明されてしまった。
と言うわけで、勉強の方は比較的簡単に解決がついたわけですが問題は運動の方です。こればかりは苦戦した。嬬恋村には、子供達が自由に運動ができる体育館というものはなかったし、スポーツ教室も無かった。インターネットで探しても出てこなかった。 仕方がないので軽井沢の風越公園に出かけて、お金を払って 総合体育館を利用し、サッカーや ドッジボールやバスケットボールをしました。短距離走もやった。
もちろん理論もやった。E テレの「体育ノ介」とか、「すイエんサー」とか、「奇跡のレッスン」なんかを片っ端から見せました。 これらの DVDソフトは、息子の妊娠がわかった時から、 NHK や E テレや 衛星放送されたものを片っ端から録画しておいたので、ネタが切れるということはありませんでした。
しかしなかなか 成果が出なかった。成果が出ないので小遣いをあげることにした。 縄跳び なら10回飛んだら100円。20回 飛んだら200円という感じです。これがいけなかった。
息子は 極度の悔しがりなんです。なにかに失敗してしまうと悔しくて泣いてしまう。上毛かるたでも、負けそうになると わんわん泣いてしまう。テストの点が悪くても泣いてしまう。 友達とゲームをやってても負けそうになると泣いてしまう。
ある時です。風越公園の総合体育館で縄跳びの練習をしていた時、何度も 縄跳びに失敗して、どうしても10回以上とぶことができなかった。 そして わんわん泣きながら縄跳びをしていたら、事情をしらないアメリカ人がやってきて「 児童虐待だ」と言ってきた。そして通報されてしまった。
通報されると何が起きるかというと、嬬恋村の福祉保健課の人が、学校に子供が通学してるかどうかを確認します。その上で事情収集に来ますが、その時は、村の福祉保健課がある体育館に私は息子と一緒に空手教室に出ていました。 村の福祉保健課のすぐそばで息子の運動をみていた。で事情聴取を受けて誤解が解けるわけですが、その時に、保健福祉課の理学療法士・ 作業療法士のかたに、縄跳びが飛べるように手伝ってもらうことになった。
で、1年ぐらい保健福祉課に通って、 縄跳びの練習をすることによって、どんどん上達していきました。で、思ったことは、プロの教え方は、さすがプロだなと。私が教えてもなかなか飛べなかった 縄跳びが、保健福祉課の理学療法士・ 作業療法士の人が教えると 劇的に上達していく。1年後には小学校の縄跳び大会で、学年で2番目に長く連続縄跳びができるようになってしまった。劇的変化もいいところです。
特徴的だったのは、教え方が定型通りでないことです。
相手に合わせて教え方が少しずつ変化していく。
最初に教えたことと、上手になってから教えることが全く違っている。
ある教え方が通用しないとわかると、別の教え方になる。
例えば、うまく飛べないとわかると縄を持たずにジャンプすることから始めたりする。その後に縄を手でぐるぐる回しながらジャンプ練習をしたりする。多少縄跳びができるようになると別の飛び方を教えたりする。相手をよく観察した上で、色々な手法を息子に提案している。
昭和時代なら何事も根性で頑張れというところなんだろうけれど、 令和時代のプロは、そういう指導はしない。もっと科学的な手法を取るし、何々をしろという強制がない。強制の代わりに提案をし、場合によっては選択肢を与える。「どっちがやりやすい?」と聞いてくる。人間を一つの型にはめない。正解をつくらない指導をしている。理学療法士・ 作業療法士だから、そのような指導法を行うのか? それとも今のスポーツ教室界隈は、全てこんな感じなのか?
とにかくプロの教え方というのは、素人の教え方とは全く違っている。なので本格的なスポーツ教室に息子を入れようと決心しました。プロの教え方なら私よりもうまいだろうし、スポーツ教室なら外国人に通報されることもないでしょうから。
つづく
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