2009年08月05日

トムラウシ山遭難事故と百名山2

トムラウシ山遭難事故と百名山2
つづきです。

トムラウシ山遭難事故は、悲しい出来事でしたが、中高年の百名山へのチャレンジと関係あるかもしれませんね。なんといっても、トムラウシ山は、百名山ですから。

 日本人は、なぜ百名山をめざすのか?
 これは、大昔からの伝統である巡礼の風習からきているように思います。

 西国三十三カ所巡り、東国三十三カ所巡り、秩父三十四カ所巡り、四国八十八カ所巡りなど、日本人は、巡礼が大好きでしたよね。その文化風習が、遺伝子が、山屋にも継承されたような気がしてなりません。だから百名山がブームになったと。

 私は、江戸時代の旅と、現代の百名山の危険度は、ほぼ同じくらいだと考えています。ひょっとしたら百名山よりも、江戸時代の旅の方が危険かもしれない。

 根拠はあります。

 若い頃に本州一週徒歩旅行をした経験からです。テントとシェラフは無し。ブルーシートとザックのみ。もちろん昔は、コンビニなんてものは都会にしかなく、田舎は18時で店じまい。雨の時は、安宿に泊まりましたが、基本的には野宿。で、国道1号線にそって箱根越えをして驚きました。こりゃ登山とかわらんぞと。いや、登山よりキツイ。絶対にキツイ。登山で10時間歩いても体にダメージは無いけれど、一般道を10時間歩くと死にます。中山道はもっと酷い。和田峠なんて難所は、いったいどうやって歩いたんだと、当時の人に問い詰めてみたい。なのに当時の装備ときたら木綿の服に草鞋が主流。

 しかし、そこは、偉大なる江戸時代。紀行文や旅のガイドブックが次々と発行され、それがすべてベストセラーになっています。「東海道中膝栗毛」「金比羅参詣」「木曾街道」「善光寺」「中山道道中」「上州草津温泉道中」「東海道分間絵図」「江戸名所図会」「都名所図会」などなど。

 そして、全国の有名社寺がパックツアーを企画しましたが、なぜ寺社かと言いますと、寺社が通行手形を発行する役所だったからです。それで有名社寺が、このような旅行業務を熱心に行なっていたわけです。しかし、中には、サービスが悪いボッタクリ宿や暴力団が経営するような宿も多かったようです。

 しかし、それに目をつけた大坂や江戸の行商人たちは、自らの経験を生かして、全国の優良旅館を選定してネットワークを作り、指定旅館制度を創始して、浪花講という優良旅館組合をつくりました。そして利用者には加盟施設一覧を記したガイドブックや、会員証や、道中案内が渡されました。そして旅館には、目印に浪花講の看板がかかげられました。本当にいたれりつくせりのツーリストシステムです。

 で、現代の日本のお話にもどりますが....?
 私からツアー会社に提案したいことがあります。

 優良ツアー会社を選定してネットワークを作り、利用者には、ガイドブックや、全国の百名山におけるコースの危険を細かく書いたものと、準備に必要なモノを綿密に書かれた道中案内を渡してはどうかと。

 さらに優良ガイドを選定してネットワーク登録する。
 登録ガイドには、登山経験の一覧がデーターにしてあり、
 利用者は、いつでも閲覧できて、
 値段と財布の折り合いで決められる。

(まあ、パイロットの飛行時間表みたいなものです)

 ガイドだけでなく、ポーターも登録しておき、
 何キログラム幾らの値段設定をしておく。

 もちろんモグリがいてもよい。
 それを選択するのは御客様ということにしておく。
 安心を買いたい人は、高くても経験豊富な地元ガイドを雇い、
 体力に不安な人は、ポーターを雇う。

 ツアー会社の企画も、■■ガイドなので10万
 ○○ガイドなので20万と値段をかえてみる。
 hisみたいに何種類も組み合わせを提示し手数料だけをとる。

 これは、私のアイデアではなく、江戸時代の旅行システムをそのまま、現代の山岳業界に、当てはめてみた、いわば知的な妄想です。現在の山岳ガイド業界は、過渡期であるような気がします。まだ江戸時代に追いついてなかったりして。

つづく。

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posted by マネージャー at 01:40| Comment(6) | TrackBack(0) | 登山関係の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。昔話によくある、「すっかり日が暮れてしまった・・おお、ここに家がある。今夜はここに泊めてもらおう。こんばんは・・・」というのが、江戸時代は当たり前だったのではないかと。今では考えられない事ですが。

御提案のネットワーク。なんだか「ユースホステル」みたいですねえ。今のように情報が誰でも簡単に手に入る時代でなかった頃は、一覧で比較選択できる宿舎の情報は大変重宝されたと思います。
Posted by 俊にゃん at 2009年08月05日 07:02
最近あった大学生さん、しばらく旅行するのでと言うので海外かと思ったら、
四国お遍路だそうです。今日会った女子大生は週末に富士山に行くそう。
何かこだわりを持ったり、挑戦するのはいいことですね。
いきなり知識も何もなく行動するのでなく、情報を得つつ、
まわりの人のアドバイスも聞いて準備をして、
若いうちから自発的にどんどん行って人間成長して欲しいですね。
おバカな中高年に育たないように。
Posted by e-ba- at 2009年08月05日 17:44
俊にゃんさん
>昔話によくある、「すっかり日が暮れてしまった・・
>おお、ここに家がある。今夜はここに泊めてもらおう。
>こんばんは・・・」というのが、江戸時代は当たり前だったのではないかと。

そうですね、そのとうりだと思います。というのは、全国放浪の旅をしてたとき、野宿していると、家に泊めてくれる親切な方が、何人もいたんです。本当にありがたかった。しかし、その方も昔、お伊勢参りで親切にしてもらったことがあり、そのお返しに分け泊めてくれたわけです。


>御提案のネットワーク。なんだか「ユースホステル」みたいですねえ。

手前味噌になるので、あまり言わなかったのですが、ドイツのユースホステル運動も、にたような経緯でできていますし、江戸時代の浪速講も、日本独自のユースホステルみたいなものだと思います。
Posted by マネージャー at 2009年08月05日 23:30
e-ba-さん

>近あった大学生さん、しばらく旅行するのでと言うので海外かと思ったら、
>四国お遍路だそうです。今日会った女子大生は週末に富士山に行くそう。

いいですねえ。そんな学生さんが増えて欲しい。インターネットが確立した今、もはや海外旅行は、冒険でも何でもなくなってしまっています。けれど、四国お遍路は、すごい冒険だと思いますよ。私は、やったことないですが、北海道を徒歩旅行した時、ほんとうにスリリングでした。夕方になると熊の鳴き声がする。野宿も命がけです。箱根ではイノシシに襲われ、自転車のペダルが折れてしまったこともあります。旅先でいろんなことがありましたねえ。私は旅や山でいろんなことを教わりました。若い方には、どんどん旅して欲しい。

ちなみに私は、富士山に二十回くらい登っています。別に私が登りたかったのではなく、連れてって欲しいという友人の願いを聞いたためです。
Posted by マネージャー at 2009年08月05日 23:38
富士山20回!
3回登った私でさえ、すごいと思っていたのに、絶句!
Posted by e-ba- at 2009年08月06日 12:49
全く嫌になっちゃいました。だって富士山は、どの山よりもきつくて、どの山よりも、つまんなくて、どの山より人間が多い。そのうえ山小屋は狭くて汚くて高い。だから
「富士山だけは止めようよ」
と言うのですが、相手は「一生のお願いだから」と頭をさげてくるので、本当に嫌々つきあって20回。
 ただ、それだけ行くと面白いことも分かってくる。山小屋の人たちです。彼らは、山梨では江戸時代から続く特殊な階級の人たちなんですねえ。
Posted by マネージャー at 2009年08月06日 21:24
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