望月宿(もちづきしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十五番目の宿場。蓼科山の裾野にあって古くから馬の名産地として知られ、毎年旧暦8月15日の満月の日に馬を朝廷や幕府に献上していたことから「望月」の名が付いたとも言われています。
望月宿は、江戸時代には、中仙道の主要な宿場として、本陣、脇本陣、問屋が置かれ、文化元年には二九軒の旅箭が軒を連ねて、行き交う旅人たちで賑ったという望月。二階が一階より前にせり出している「出桁造りの家」やうだつ(防火用の壁)を残す家、京風の格子戸など、今もなお、町のあちらこちらに往時の面影をひっそりと残しています。
古い町並み。
本陣は、江戸時代、街道の宿場で大名、宮家、公家、公用の幕府役人など、身分の高い人および特権者のためにもうけられた宿舎のことです。参勤交代の制によって発達しました。門、玄関、上段の間などをそなえた立派な建物で、多くは書院造でした。本陣の主人は苗字帯刀をゆるされ、宿場名主をかねる有力者でした。
本陣には宿泊者から謝礼が支払われましたが、それは謝礼であり、必ずしも十分なものではありませんでした。そのため、本陣の指定に伴い苗字帯刀、門や玄関、上段の間を設けることができるなどの特権が認められました。そのために出費がかさんだことで没落する家もあったそうです。
つづく。
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