ここに来ると難攻不落のすごさがわかります。
真田軍団こそは、戦国最強の軍団でした。それが証拠に
武田信玄の部隊の中でも、最も強く、
上杉の領土を次々と侵したのが真田軍団だったからです。
この真田軍団をもったから武田信玄は
強かったと言われているくらいです。
しかし、真田軍団が有名になったのは、第一次上田合戦で、二千の兵力で徳川軍七千を破ったことでした。家康は、この真田軍の強さに驚いて的にしたくないので政略結婚をしかけます。
次に驚かせたのは関ヶ原の戦いです。上田城で徳川秀忠率いる3万の軍勢をわずか二千で迎え撃ち、秀忠軍が関ヶ原の戦いに間にあわなかった原因を作りました。
そして大阪城の攻防戦で大活躍。淀殿がいなければ、豊臣軍が勝ったかもしれないとも言われ、島津軍が「真田こそ最強」と絶賛したとも言われています。その真田氏発祥の地が、ここだと言われています。
このような山城にもかかわらず、水源があり、
守りやすい城を造ったところが真田氏のすごいところです。
そして真田氏のすごいところは、親から孫兄弟まで、一族全員が優秀であったことですね。そして、その真田の末裔は、嬬恋村にしっかり根付いており、嬬恋村を支配する人々も、先祖をたどれば真田氏だったりします。選挙になれば、村長は必ず、嬬恋村西部(旧真田)出身者でないと当選しないと言われているくらいです。嬬恋村東部(北軽井沢方面)は、絶対に勝てないとも言われているくらいです。
これは、買い物にしても同じで、嬬恋村西部(旧真田)は、上田に買い出しに行き、嬬恋村東部(北軽井沢方面)の住人は、軽井沢に買い出しに行きます。婚姻に関しても、嬬恋村西部(旧真田)の人が、県を越えて真田に嫁に行ったりする例が、みられるそうです。まあ、このあたりの事情は、よそ者である私(新潟県出身)には、ちょっと分かりにくい部分があるので、今後も調査を続けていきたいと思っています。
つづく。
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