廃坑ですから、つまり廃墟です。しかし、ここは、かつて2000人の人間が働いていたという日本で2番目に大きな硫黄鉱山でした。嬬恋村の中で一番栄えた場所であり、戦前では珍しいスーパーマーケットや、プール、温泉までありました。
しかし、今は、みるかげもなく、年々、崩壊が激しくなっています。
いずれ入山禁止になる時代も近いでしょう。
昭和12年には、山津波が起こり、245名もの方々が亡くなっています。犠牲になった人の多くは、鉱山で働いていた人ではなく、家族の方だったようです。そこには31名の児童も含まれていました。
実は、その時の生き証人が嬬恋村で存命です。
2時間かけて走って、嬬恋村役場に向かい
救援隊をよんだそうです。
普通に歩いたら8時間かかる距離なのに2時間。
そして、嬬恋村の人たちが救援に到着したとき
多くの人たちが黒こげに焼かれて
身元の判別がつきにくかったと言います。
つづく。
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去年はなかった手作りの「危険!立入禁止」看板がありました。
小串鉱山は1回だけ行ったことあります。
でもそこまで崩壊がすごいと、来年は行ける
かどうか分からないのかもしれませんね。