2009年09月11日

小串鉱山ツアー

小串鉱山ツアー

小串鉱山のある毛無峠は、このあたりで最も気候が厳しいところです。これは、嬬恋村に住んでないと分かりません。長野県の人には、分かりようがないのです。というのも、嬬恋村に住んでいると、最初に雪で真っ白になるのが、あのあたりなんですよ。

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それから毛無峠の横に破風岳という山がありますが、風を破る山という意味ですが、どうして、こんな名前かと言いますと、小串鉱山のある毛無峠は、風の通り道なんです。厳冬期には、普通に風速二十メートルになる。

そんな悪条件下に、
嬬恋村における
最大都市ができあがった。


それが小串鉱山なんですよ。

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小串鉱山は、儲かったらしい。
村の男は、みんな出稼ぎに行った。
土地の古老の話では、田畑で稼ぐ十倍の賃金をもらえたらしい。
で、男たちが村に帰ってくると、酒ばっかり飲んで働かなくなった。
このへんからも、かかあ天下の土壌が生まれたとのこと。

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この鉱山には、朝鮮からも大量の出稼ぎがあったらしい。
戦争中は人手不足だったから。
ものすごい金になったので、彼らは金が出来ると
北軽井沢あたりまで行って牛を買いに行った。
その牛を生で食べたとのこと。
貧乏な日本人たちは、それを分けてもらったこともあったとか。

そして、その牛の骨が万座川や仁田川の川原に、
戦後間もない頃までに牛たちの白骨が
何十も野ざらしになっていたらしい。

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また、ここには悲しい歴史があります。
昭和12年11月11日午後3時半頃、鉱山北側の斜面が、
幅約500メートル、長さ1キロにわたって崩落し
建物35棟が埋没、15棟が焼失したのです。

死者245名。

しかも、女子供が大半でした。
そのためか鉱山は、2年後に復旧。

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そして小串鉱山は、人口2100名、従業社員数675名の大鉱山に発展。
人口にものをいわせて嬬恋村に議員を多数おくりこみました。
嬬恋村の前村長も、小串鉱山関係者でした。
さらに公民館・診療所・小中学校・幼稚園が完備。
当時珍しいスーパーマーケットまでありました。

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私の知人は、戦時中、小串鉱山に布団を売りに行って大儲けし、
その金で結婚式場をオープンしたといいますから
鉱山町は、かなり景気が良かったらしい。

ところが戦後、昭和46年7月に閉山。
小串鉱山跡地は一面の荒野となっています。

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つづく。

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posted by マネージャー at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 破風岳・小串鉱山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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