安中で有名なのが、新島襄。
同志社大学の創設者です。
これが新島襄の生家。
中は博物館になっています。
裏には漆公園があり、
古墳があります。
これは、龍昌寺。
参道の両側には、108の梵鐘が並んでいます。
そして、ここには、山田三川の墓があります。
山田三川は、超有名人です。
北海道好きの人間には、忘れることの出来ない大人物。
北海道の名付け親である松浦武四郎の親友です。
そして、幕末の志士でもあります。
山田三川(1804‐1862)は、江戸時代後期の儒者です。文化元年2月20日生まれました。そして彼は、伊勢国津藩の儒者、津阪東陽の甥にあたります。秀才として知られ、北海道は松前藩につかえましたが、松前藩のアイヌに対する非道をただそうとして失脚し、下総国水海道に隠棲しました。
しかし、親友、松浦武四郎の口利きもあって、水戸藩の徳川斉昭が召しかかえようとしましたが、山田三川は辞退しました。そこで斉昭は親交のあった安中藩主板倉勝明を紹介しました。この安中藩主板倉勝明は、開明君主で有名で、日本初のマラソン『安中遠足』をはじめ、数々の善政を行ったことで有名ですが、それを支えたのが、山田三川でした。ちなみに安中藩の武士たちは、自らは茅葺きの城で生活し、農民たちの生活を、手厚く保護しつつ、マラソンで体を鍛えたのです。
山田三川は、最初は藩儒として安中藩校の造士館の教授を勤めていましたが、やがて藩の役人としても活躍しました。実は、その自宅が安中に残っています。もちろん行ってきました。あとで、紹介しますが、貧しいものです。
実は、龍昌寺のそばに、有名な醤油屋があります。
『有田屋』
です。創業者が湯浅さん。
はい、ピンときた人がいますね?
そうです。
醤油帝国の有田・湯浅一族です。
有田オレンジユースホステルに泊まった
ことのある人ならわかりますね。
http://www.aritaya.com/frame/frame_whatsnew.html
実は、北軽井沢ブルーベリーYGHの醤油は、
この店のものを使っています。
さっそく、大量に仕入れました。
有田屋は、天保三年(1832年)に創業。その前には銚子、もっと前には有田にルーツがあります。また三代目治郎(1850〜1932)は第2代県会議長に推され、廃娼条例(売春禁止法)成立させ、日本で初めて廃娼県を成立させたことで有名です。治郎は新島襄に師事し、キリスト教の洗礼をうけて安中教会の建設や新島なき後の同志社英学校の運営に尽くしました。
また、安中で日本最初の図書館、便覧社(図書3,000冊)を設立したことでも知られています。治郎の弟、吉郎は詩人として知られ、同志社卒業時に発表した「12の石塚」は我が国最初の新体詩集として知られている。半月は後に同志社教授、京都府立図書館長を勤めました。また、治郎の後妻初子は徳富蘇峰、蘆花の姉でもあります。
また、治郎の長男一郎(1868〜1931)は洋画を志し、黒田清輝に師事した後、二科会の創立に参加、洋画家として成功しています。治郎の次男三郎(1877〜1945)は同志社に学んだ後、四代目として家業を継ぎ、25年間安中の町長や県会議員をつとめました。その弟八郎は昭和9年同志社の総長となり、建学の自由、自治を守る為、軍部と衝突、総長を辞任。しかし、戦後再び総長に復帰し、昭和28年には国際基督教大学初代学長に就任しています。
また、五代目正次(1911〜)も昭和46年より5期20年安中市長を努め、一方新島襄を記念して昭和22年、同士とともに新島学園(中学、後に高校、女子短大)を創立しました。
醤油キャンディーなんかも売っています。
そして今、醤油も味噌も大量生産一速醸の時代にあって、天然醸造のもろみを2年じっくり寝かせた最高級醤油「丸大豆仕込み天然醸造」、さらにそれに糀を加え1年以上発酵熟成させた「さいしこみ」を守り続けています。
つづく。
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