これが意外に広いのです。
八畳二間に土間。押し入れ。
いわゆる2LDKですね。
この長屋に住んでいた武士たちの石高が、
十石以下というから驚きます。
十石といえば、最低の生活水準です。
家族4人の米代にしかならない。
現在の物価に換算すると、年俸18万円。
米1石=金1両(小判1枚)=現在の約10万円とすれば、
十石取りの武士の取り分は、4石なので年俸40万円。
実際は、エンゲル係数の違いから、その値段を当時に当てはめることはできませんが、当時の水呑百姓の生活水準より下だったでしょう。その最低レベル武士たちの住む屋敷にしては、ちょっと大きいんですね。
もともと武士の家の庭が大きいのは、
ここで武芸に励むためなのですが、
農作物を造って飢えをしのいでいたにちがいありません。
もちろん家が広いと言っても、壁は土壁。
屋根は、茅葺きですから、質素は質素なんですがね。
それでも室内は、武家屋敷らしいです。
この武家長屋は、郡奉行役宅・山田三川の役宅の隣にあります。
質素を重んじた山田三川の影響が、
この長屋に、あったのかもしれません。
ただ、武士たちには、知行(年俸)の他に、
役料が入ることも多々ありました。
役料とは、役職手当のことです。
役料は家禄に関係なく支給されます。
だから下級武士たちは、一生懸命勉強して
役職につくように頑張りました。
つづく。
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