つづきです。
上高地から明神池まで1時間。
明神池で休息をとります。
ここまでくると明神岳の迫力に圧倒されます。この奥に明神池があります。梓川の古い流路が明神岳からの崩落砂礫によってせきとめられてできた池で、明神岳からの伏流水が常に湧き出ているため透明度が高く、ここに明神岳が、鏡のように写っています。池畔には穂高神社奥宮が鎮座し、池は穂高神社の神域となっています。
明神池の入口には、伝説の猟師上條嘉門次が建てた嘉門次小屋があります。明治13年に建てられた古い小屋です。上條嘉門次は、夏にイワナ、冬にカモシカ、クマなどを獲って生活していました。生涯でクマ80頭、カモシカ500頭は仕止めたと伝えられています。その行動範囲は、上高地から黒部渓谷まで足をのばしていたと言います。この嘉門次が、ウエストンを案内して、槍ヶ岳に登頂しています。地図の無かった時代です。経験と勘で山を案内しました。
W・ウエストンは、嘉門次の知識、登山技術と人柄に敬服し、著書「日本アルプスの登山と探検」で「老練なる山岳人」と嘉門次をたたえています。また夫人をともなって再来日したW・ウエストン夫妻を、槍ヶ岳、穂高岳、焼岳、霞沢岳に案内しています。上高地を愛した嘉門次とウエストンの2人の親交は20余年におよび、友情の記念として贈られたピッケルが現在も残っています。嘉門次の碑もあります。本格的な山屋は、嘉門次の碑の前で、しばし頭を垂れます。明神池に行ったら、ぜひ、みてきてください。それから嘉門次小屋のイワナ。これも一度は食べておきたい一品です。嘉門次小屋に入ると、囲炉裏でイワナを焼いています。
さらに明神池から徳沢園まで1時間。
ここでも休息をとります。
アルピニスト憧れの山岳小説「氷壁」の舞台となった宿が、ここにあります。徳沢園です。「氷壁」は、井上靖の山岳小説です。といっても昭和30年に実際に起きたナイロンザイル切断事件実話をモデルにしてあります。のちに倉本聰の脚本でテレビドラマにもなっています。その舞台が徳沢園なのですが、実は、この徳沢園、昔はユースホステルだったのですね。ちなみに、徳沢園のビーフカレーは、美味しいので、一度はたべておきたいものです。
さらに徳沢園から横尾まで1時間。
ここでも休息をとります。
実は、この横尾は、山屋のあつまる場所です。というより、山小屋関係者がワンサカいるところなんですね。秋の連休の終わった頃、地味な格好の若い女性が一人でいたら、山屋関係者の可能性があります。髪を後に束ねているか、さっぱりしたショートヘアで、独特のオーラを発散していますが、荷物は40リットルくらいの小ぶりです。たいていは、コインランドリーのある上高地温泉に向かいます。
さて、この横尾で休憩していると、面白い光景がみられます。30人から40人くらいの団体様が、ツアーガイドに連れられてやってくる姿です。で、ガイドさんは、出席簿のようなものをもっていて、30人から40人くらいの名前を呼ぶのです。「こりゃダメだ」と思いましたね。
どうして隊を10人以下に分けないのかと。
そして、横尾に来るまでの3時間の間に
名前と顔を覚えないのかと!
まだ、アップダウンは無いのですから、3時間の間に全員を把握しなければダメでしょう。逆に言うと、上高地からの登山は、登り始めるまで3時間もかかりますから初対面でも参加者のキャラ・体調を把握するのに充分な時間があります。10人なら3時間あれば、あるていど把握できます。それをしないのは、ガイドの数が少ないからでしょう。
つづく。
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