国分寺、国分尼寺とは、741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各国に建立を命じた寺のことです。その国分寺、国分尼寺の総本山が、奈良の東大寺です。今で言う福祉施設ですね。
というのも、当時、天然痘などの流行や飢饉などの災害が多かったので、それをはらうのが目的で全国各地に、国立寺院を建てたわけです。国立ですから税金を使って建設させています。寺は、国の大きさなどによりさまざまで、最大が武蔵の約360m平方。最小は甲斐の東西53間 × 南北1町11間だといいます。
これらは、諸国の経済状態・文化程度の差や地勢などの条件の違いで、伽藍配置も建物の規模も千差万別でした。瓦などの優劣も大きかったです。そのために同じ規格のものはみられません。面白いのは、武蔵(東京)の国分寺が最大であったと言うことですね。そして、国分寺は、役所のそばに立てられたと言うこと。つまり、奈良時代の東京の中心地は、国分寺市あたりであったということです。
では、長野県の中心地は?
なんと上田市でした。
奈良時代には、上田市が長野の中心地だったのですね。
つづく。
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そこでは何が動いてそうなっちゃうのかなぁって。
奈良時代の長野って、考えもしませんでした。
奈良時代はひたすら、奈良のことしか注目しませんから。
視野が広がります。
もっと前とか。
長野・群馬、とんで九州って。。。???
その間ももちろんあるんですよね。