実々奇談とは、軽井沢の近隣である佐久市にあった岩村田藩の祐筆を務めた阿部重之進重保が自ら体験したり、人から伝え間いた奇談63話を、嘉永七(1854)年に15巻3冊にまとめたものです。
今回は、大江戸実々奇談 38話の紹介。
江戸の庶民が、世界一裕福であったことは、今や定説になっていますが、それがどのくらい裕福であったか? 江戸時代のホームレスの生活水準を垣間見ることによって、推測することが可能になります。そこで、生きてくるのが、この資料。大江戸実々奇談38話です。これを読むと、乞食に対するイメージが、ガラリと変わるでしょうし、それに施しをする江戸庶民の裕福さにも驚かされることでしょう。
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第三十八話 百姓江戸に来りて金子を溜めし者の事
信濃の国長久保宿(長野県小県郡長和町長久保)に、貧しい百姓がいました。運も悪く徐々に落ちぶれていくばかりでした。また、そこには、同じくらいに貧しい百姓がいました。二人は、お互いに、こんな相談をしました。
「俺たちは、お互いに歳も若い。なのに、こんな山奥で、やることもなく、飢えながら一生を終わるのも、やりきれないなあ」
「そうだなあ」
「そこでだ、江戸(東京)に行こうと思う。どうだろう?」
「江戸?」
「江戸で働き口をさがし、どんなことも辛抱して頑張れば、多少の金はできるかもしれない」
「そうだなあ、こんな山奥で朽ち果てるより、その方がいいかもしれないなあ」
二人は、相談の上、江戸に行くことにしました。もちろん嫁さんとも相談しました。嫁さんは、親類に預かってもらい、旅費を調達し、旅支度整え、江戸へ向かいました。江戸では、馬喰町の宿屋に泊りました。
馬喰町は、今では日本屈指の問屋街ですが、江戸時代では、旅籠屋がずらりと並んでいた、いわば旅宿街でした。古くは馬喰たちが出入りする宿場町的様相があったといいますが、やがて郡代屋敷がおかれて、江戸と地方の商店などと公事訴訟事件などが起ると、次第にその地方から出てくる人のために宿屋が増加し、ずらりと並ぶ旅宿街だったといいます。つまり、地方から上京してくる、おのぼりさんたちの宿泊地だったのですね。
その馬喰町の宿屋で、二人は、こんな約束をして分かれたのです。
「この後は、お互いに、良いと思う働き口を求めて分かれよう」
「ああ」
「でも、十年後の本日と同じ日をもって、この宿で再会し、一緒に故郷へ帰ろうじゃないか」
「そうだな、十年後に逢おう」
「約束だぞ」
「約束だ!」
二人は、堅く約束致し、翌日思い思いに働き口を求めて別れました。
かくて一人は、本町四丁日薬種屋(薬局)へ奉公し、
もう一人は、どういうわけか浅草雷門前で
宿無しの乞食となりました。
そして、互に顔を合わすこともなく光陰矢のごとく十年は、
アッという間に過ぎてしまいました。
薬種屋へ奉公の者は、努力をかさね、六十両余りも貯えていました。
そして主人に暇を貰い、十年前に分かれた、
あの馬喰町の宿に泊り、友の来るのを待ったのです。
ところが、約束の日になっても、一緒に上京した友人は現れません。
「久しさ年月なれば、もしや友の身に異変でもあったのだろうか?」
など思い巡らし、さりとて尋ねるあてもないし。あと三日ほど待って一人でも帰国しようと心を定め、
「となると故郷への土産を買っておこう」
と宿を出たのですが、そういえば浅草観音に御願いしたことを思い出し、この度成就の御礼参りをしなければと雷門前に行ったのでした。
ところが、その雷門で、
思いもかけず彼の朋輩に会ったのです。
それも菰被りの乞食姿。
驚いたのは、それを発見した友人でした。
乞食姿の彼を、物陰に引き連れ
「これは観音のお導きか! 久し振りだなあ」
「ああ、久しぶりだ」
「だが、どうした? どうして乞食姿なんだ?」
「・・・・」
「おまえと、別れた後、おれには世話人になってくれる人がいて、本町の薬種屋へ手代奉公に有りつき、辛抱のかいあって、今は金子六十両余り出来た。そして退職し、馬喰町の宿にて、おまえさんを待っていたんだが、おまえさんは来ない。さりとて住んでる場所も分らないし、一人で国元へ帰らんと、今日は浅草観音へ心願成就の御礼詣りに来たんだ」
「・・・・」
「出会えたのは、嬉しいが、その姿では故郷へは帰れまじ。どうするかね」
「アッハハハハハハ!」
「金ならあるぞ」
「はあ?」
「故郷に錦を飾る金なら、三、四年のうちに貯めたよ」
「ええええええええええっ?」
「最初乞食仲間に入りし当座は、その日の食にも困り、日銭は十二、三文にて凌いだもんだった」
「・・・・・・・・」
「しかしな、毎日、同じ場所で乞食をやってると追々、顔見知りもでき、貰いの飯も三度食して余るようにもなった」
「・・・・・・・・」
「日々のお恵みも、六百文から、七百はもらうようにもなったさ」
「え?」
注/江戸時代の物価/文化文政年間(1806〜1830)
焼き豆腐・・・・ 5文
こんにゃく・・・ 8文
桜餅・・・・・・ 4文
汁粉・・・・・・16文
かけ蕎麦・・・・16文
風呂・・・・・・10文
串おでん・てんぷら・イカ焼きなど、なんでも4文。
1両=4000文。桜餅1000個買えます。
1日600文もらい続けると、1週間で1両の稼ぎとなる。
「おれは、博奕はやらない。だから他に使うことも無かったので十年間もっぱら貯め置いて、三百両くらいの貯金がある。だから明日にも、おまえさんのところに訪ねようと思っていたんだよ」
「・・・・」
苦労して六十両を貯めた友人は、呆然としていました。
空いた口がふさがりませんでした。
「だったら明日にも旅立とう」
乞食の友人は、乞食仲間の足を洗い、入浴・髪月代・衣類を整え、元の百姓となり、馬喰町を尋ね二人で国元へ帰ったのでした。
身を落せば、もうかることも出来るという事なのだろうが、誰も、このくらい思い切って身を落とす勇気はないでしょう。目的のためには手段を選ばない名誉も伝統もかなぐり捨てるのも、また一つの勇気かもしれません。
(大江戸実々奇談 38話 文章は現代語に、私流に意訳してあります)
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つづく。
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そういう人生を選んで全うしたのなら、誰も口を挟むことはできない。
次の話がたのしみだ。
>10年間、どちらの人のほうが充実し
>ていたのだろうか。
これは、わかりませんが、郷土に帰国してからの、その後の10年間なら、予測がつきそうですね。60両貯めた人には、薬のノウハウがあり、300両貯めた人には、乞食のノウハウがあります。郷土で生きるには、どちらが役に立つことか。
ちなみに江戸時代の大工の日当は、『雑学 大江戸庶民事情』(講談社文庫)によると、五百八十三文が相場。乞食のもらいは、これより多いですね。で、かけ蕎麦10杯食べて、160文に、風呂に入って10文で、合計170文。米1升ならば、120文。家賃を納め、小銭を使っても、独身なら1日に300文は貯金できます。一生懸命に働けば、それなりの生活ができたでしょうし、起業も夢でなかったでしょう。
という話は、こういうところからきているのでしょうね。
>という話は、こういうところからきているのでしょうね。
そうかもしれませんね。現代なら、そういう事はないのでしょうが、江戸時代は、もらえる宛がいっぱいあったようです。そのアテの謎も、実実奇談を読んでいくうちに判明していきます。アクセスが伸びているようなので、まだ需要がありそうなので今日も、何話かをアップしておきます。