これで最終回としておきます。他にも面白い話がいっぱいあるのですが、きりがないので、このあたりで切り上げようかと思います。今回は、裁判の話、弁護士の話、詐欺の話、障害者の話、武士の話、どれにしようか迷ったのですが、非人の話にしました。江戸時代のリアルな非人の話も、知っておいて損はないと思いますので。読むと、非人についての意外な側面に驚かされると思います。これが事実なら、今までのイメージを一変させなければなりません。大江戸実々奇談には、そういう話がいっぱい詰まっています。
第三十五話 非人に落ちし者物藷りの事
文化七年の事です。
芝浜姶町一丁目に、大工の親分と、弟子三人がいました。弟子の中でも喜八は、とにかく怠け者で、博奕の毎日で、終いには夜逃げしてしまいました。親方と弟子たちは、親許を始め、仲間うちなど心当りを探しましたが行方知れず。あきらめて、四、五年がすぎました。
ある日、大工たちは、川崎大師へ参詣するために鈴ヶ森を通りかかると、喜八そっくりな男が、菰を纏って乞食の姿をしているのを見つけました。
「もし、そなたは喜八にてはあらざるや」
「・・・」
「不思議な巡り合わせなれど、その姿は、どうしたことか?」
「面目なき次第なれど、お懐かしゅうございます。親方の意見も用いず遊び暮し、かかる姿となりましたが、いまさら、後悔しても・・・」
「それにても、これまで、どうやって暮らしてきたのだ?」
「・・・」
「今まで何してたんだ?」
「面目ない、それだけは御勘弁を」
「言いたくないのか?」
「御勘弁を」
「じゃ、どこに住んでるかだけでも教えてくれ」
「・・・」
「それくらいは、いいだろう」
「へい」
「住まいは、どこだ」
「品川の松右衛門の長屋に住んでいます。これだけで、勘弁してください」
「わかった」
「・・・」
「では、さらば、いずれお会い致さん」
こうして親方と弟子たちは別れたのですが、喜八の変わり果てた、哀れな姿にみんなに同情の心がでてきました。
「あわれだなあ、あんな乞食姿になってしまって」
「身からでた錆びとはいえ不欄ですね」
「このまま見捨てて置くわけにはいかないなあ」
「奴には、他にも友が大勢いることだし、みんなで金を出し合って、せめて綿入れの服一つもこしらえて渡すか」
「そうですね、そうしましょう」
彼らは、川崎大師へ参詣致し、日暮頃に浜松町へ戻り、さっそく、この事を、親方や、知り合いへ話し、少々ずつ銭を集め、三分余り集めました。一両は四分ですから、0.75両ほど集まったことになります。文に換算すると3000文。けっこう大金が集まりました。江戸時代の庶民たちは、けっこう人情があったようです。この三分で新しく木綿の布をあつらえ、綿入れの服を完成させ、みんなで品川の松方衛門の家を尋ねていきました。哀れな喜八の喜ぶ顔をみるために。
しかし、行ってみて仰天しました。
喜八の住む地域は、スラムではなく新築の立派な造りの家ばかりだったのです。
その長屋の入口の小屋蕃に
「喜八と申す者の住まいはどちらでしょうか?」
と訊ねると、小屋のもの訝り顔に両人を見つつ
「四、五軒先に高張提灯の出している宅がある。そこだ」
と指さすので、行ってみると、また仰天することになりました。
入口には、玄関がありました。戸や障子なども新しく、部屋の中は新しい備後表の畳を敷き、奥に六畳敷外一間もあり、これは間違いかと惑いつつも、
「御免ください」
と、ご挨拶をすれば、女房らしき女性が、切立ての結城木綿の綿入れを着て現れました。帯は、綾織の高価な美しい帯を締めていました。
「どちらさまでしょうか?」
「芝辺より尋ねてきました。。昔の友だちです。喜八どのに会いたいのですが」
「わぎわざ有難とうございます。唯今、少々用事がありまして、近所へ参りしが、ほどなく帰るはずです。まずは、お上り下されかし」
部屋にあがると、また仰天しました。
座敷の様子は、ちょっとした富豪の家にもひけ劣らなかったからです。
喜八の女房は、火打箱を持って来て
「タバコでも一服召し上り下さい」
と言ってきました。
「よろしければ、煙草盆を御願いできますか?」
「友様ならば御免下さるべし」
江戸時代では、非人の煙草から煙草の火をもらうのを嫌がっていました。
だから、喜八の女房は、火打箱を持って来てきたのですが、
喜八の仲間たちは、あえて
「よろしければ、煙草盆を御願いできますか?」
と言ったわけです。
俺たちは、非人かどうかは、関係ない。
喜八の友達であり、
その喜八の奥さんなのだから、
奥さんの煙草から、
煙草の火を移してもらいたいと主張したわけです。
この事実は、江戸時代であっても、
非人差別を断固拒否する人たちがいたということを意味します。
暫くして、喜八が帰りました。
ここで、また仰天させられます。
喜八の姿は、新しい木綿入れを着ており、
羽織を着て、髪型もビシッとなっていたのです。
ボーゼンとなっている旧友の前に喜八は座り、
丁寧に挨拶致しました。
「よくぞお尋ね下され、手前、誠に嬉しき限りです。先日お目にかかりしところは、往来のこととてろくろくお話も出来かね、たいへん失礼致しました。むかしの馴染とて心におかけ下され、返す返すも有難とうございます」
旧友たちは、持参してきた綿入れの服を出しそこねてしまいました。
そして、世間話をしつつ、この謎について質問しました。
「前にあったときは、乞食の身なり。しかし、こんなに結構な身分いるのは、どういうことか?」
「実は、非人に落ちてより半年も過ぎぬ間に、少々小口もききける故、この小屋の小頭に取り立てられました。そして、このように贅沢をさせてもらっていますが、然りながら、仲間の規定にて、時々は先項の姿で物乞いに出ることになっています。これも、この世界のルールというものです」
「・・・」
「もし、あのまま大工をやっていても、せいぜい裏店にて食うや食わずに等しき暮だったでしょう。こんな贅沢な暮らしは、一生かかってもできなかったでしょう。けっこうな身分に見えるかもしれません」
「・・・」
「しかし、非人に落ちると、氏神様へのお供えができません。これは、悲しいです。今はあきらめていますが」
「・・・」
これには旧友たちも、慰さめる言菜もなく、
しばらく雑談などを交わし暇を告げ、
心尽くしの綿入れを秘かに持ち帰りました。
(大江戸実々奇談 35話 文章は現代語に、私流に意訳してあります)
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この物語で一番悲しいことは、
心尽くしの綿入れを、
渡せなかった
貰えなかった
ことかもしれませんね。
そういう意味で、物質よりも
心の温かさの大切を著者は訴えたかったのかもしれません。
つづく。
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ネタが偏るので、とりあえず最終回にしておきましたが、ご希望でしたら時期をみて復活させますね。