平安時代末期、1108年の天仁の噴火で壊滅して間もない嬬恋村に修験者となって、流れてきた海野一族がいました。下屋将監です。彼は、映画「阿弥陀堂だより」の阿弥陀堂あたりに、修験道の神社を造りました。そして、甲冑鎧などの武器を埋めて、『捨城庵』を建てました。城を捨てて粗末な家を建てたという意味です。
下屋氏一族は、さかんに嬬恋村を開拓します。そして、真田から嫁をもらって人口を増やします。この風習は、現在でも残っていて、嬬恋村と旧真田町は、親戚どうしみたいになっています。そのために、嬬恋村は真田と隣接している西部の政治力が強く、東部の北軽井沢側は、風に飛ばされてしまいそうに弱体です。村長も、議員も、真田側からワンサカでてきますが、北軽井沢側は政治的に沈黙したままです。
(そのへんの事情は、詳しくは、以下のページを御覧ください)
http://kaze3.seesaa.net/article/123305890.html
脱線しました。
下屋氏一族のことです。
下屋氏一族は、武器を捨て、宗教(修験道)の力をもって開墾を続けました。武器の力ではなく、信心の力で開墾を行い、天仁の噴火で壊滅した嬬恋村を見事に再生させます。そして、広大な領土をもつに至りますが、下屋氏一族には、領土的野心はこれっぽっちもなく、分村し、暖簾分けし、村々を次々と分家たちに譲り渡してしまいます。
暖簾分けされた中に、鎌原氏という存在があります。下屋氏一族の開祖、下屋将監の孫にあたります。この鎌原氏が、勢力を伸ばし、嬬恋村の地頭職に出世します。しかし、下屋将監直系の本家は、武力を持たず、ひたすら修験道に励んで荘園領主として平和国家を作っていました。
しかし、平和国家なるものは、自分の都合だけでは成立しません。武器無き民を攻め掠めようとする侵略者たちは、かならず現れます。それに対抗したのが鎌原氏でした。
北軽井沢ブルーベリーYGHの住所は、嬬恋村鎌原1506-12ですが、これは鎌原氏の領土範囲だったことを示します。鎌原観音堂も、鎌原氏ゆかりの寺であったはずです。そして鎌原氏が、武力で他国の侵略を防ぐわけですが、そういう役割を人間を鎌倉時代では、「地頭」と言ったわけです。
こうして、荘園領主の下屋氏一族と、地頭職にある鎌原氏の2大勢力が成立します。では、下屋氏一族と鎌原氏は、その後、どのような運命になっていったのでしょうか?
つづく。
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