そのために佐賀に行ってきました。
なぜ、佐賀くんだりまでいったのかと言いますと、リヒャルト・シルマン伝を書いたときの苦い失敗があったからです。リヒャルト・シルマン伝のどこに失敗があったかと言いますと、
現地を見ずに書いたことです。
文献だけで書いてしまった。
これが失敗だった。たとえば、リヒャルト・シルマンが教師として働いていたアルテナ。どの文献を読んでも、インターネットで検索しても美しい渓谷の自然豊かな場所としか書いてありません。だから、その文言を信じて、それを前提にリヒャルト・シルマン伝を書いたのです。
だから私自身の歴史検証作業に重大な過失があったわけではなかった。
現に、リヒャルト・シルマンも、同じように発言しているし、ウィルヘルム・ミュンカーも同様のことを言っています。アルテナ城を見学したという日本のユースホステル関係者も、同じ事を言っています。美しい渓谷の自然豊かな場所だと。たしかに、それは間違いではなかった。
しかし、アルテナに行って、アルテナ城周辺を散策して
驚愕しました。
アルテナは、大工業地帯だったからです。
アルテナどころか、ウィルヘルム・ミュンカーの生地であるヒルヘンバッハさえも工業地帯だった。だいたいヒルヘンバッハなんて、日本で言えば嬬恋村か六合村クラスの田舎町なのに工業地帯だった。これが、どの文献にも抜けていた。かわりに自然豊かな場所だと書いてあった。これを最初から知っていたら、私のリヒャルト・シルマン伝は、もっと別の文章になっていた可能性がある。こういう失敗に反省した私は、きちんと現地取材をしようと決意しました。
で、日本ユースホステル史の本を書くために、2008年は、関東地方と静岡県を調査したのですが、2009年は、佐賀に的を絞って調査することにしたのですが、困ったことに佐賀の本がないのです。るるぶにも、マップルにも、ブルーガイドにも、JTBガイドにも佐賀県だけ資料がないのです。
福岡や長崎はあっても、佐賀はない。
唐津・吉野ヶ里は、福岡のガイドブック。
伊万里・有田は、長崎のガイドブック。
佐賀県の主な名所旧跡が、他県のガイドブックに載っている。orz
その結果、佐賀県のガイドブックが無いのですね。
さらに佐賀県の郷土資料が無い。
インターネットでも、国会図書館にも不思議なくらいにない。
「そんな馬鹿な?」
と思うのですが無いのです。
歴史書を調べてみても、佐賀鍋島藩のことは書いてあっても、鹿島藩については書いてありません。重要な部分がスポッと抜けているのです。伊万里焼についても同じです。肝心なことが抜けている。下のサイトをみてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%B8%87%E9%87%8C%E7%84%BC
ウィキペディアにして、こんなものです。伊万里焼が世界史を変えたことを考えると、このあつかいは、無いんじゃないかという気がします。では、どうして伊万里焼が世界史を変えたかと言いますと、2つの意味で世界史を変えているのです。
一つは、その技術が、ある事に使われて世界史を変えたこと。もう一つは、伊万里焼が明治維新において、決定的な役割をはたしたことです。そして、その結果、ユースホステル運動の源流が生まれるタネとなった。
今回は、それをさぐりに佐賀に調査に行ったわけです。
つづく。
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