おあきさん
≫1986年に「戊辰の役戦没佐賀藩士慰霊秋田実行委員会」を作り
≫供養したのですが
≫その際、管理人様もお書きになられた通り
≫どうしても佐賀県の資料が見つからず
≫ご遺族の方が分からずご遺族探しに非常に
≫苦労されたことが新聞に載っていたことを思いだしました。
ああ、これは非常に面白い現象ですね。
というのも私も、今回の佐賀調査で、そういう経験を何度もしているからです。
具体的に、一つ例をあげてみましょう。実は、私の今回の佐賀行きの目的の一つに、日本赤十字を設立した佐野常民の息子、佐野常羽のことを調べに行ったのですが、これまた資料が無いのですね。佐野常民記念館に行っても資料が無い。世界遺産申請しているほどの重要地に資料が無い。いや、資料が無いどころか、かすってもない。佐野常民の息子、佐野常羽は、ボーイスカウト設立の功労者であり超有名人であるのに、一言もふれていないのです。もう、それは徹底している。仕方がないので、土地のボランティアガイドをたのんで
「どうしてなの?」
と聞いてみたら、驚くべき回答が帰ってきました。
「ここでは佐野常羽さんの話はしないとです」
「どうして?」
「佐野常羽さんは、駒子(妻)さんの実子ではなかです」
「はあ?」
「おめかけさんに生ませた子供です。だから、こういう所では、あまり話題にしません」
「・・・」
これには驚きました。私には、現在の倫理をもって過去を判断する思考回路が無かったので、死ぬほど驚きました。あまりにも驚いたので、どうしてだろう?と、いろいろ質問をしてみたら、みなさん、佐野常民のことを、とても尊敬してらっしゃる。言い方を悪くすると崇拝している。
これは、佐野常民に限ったことではありませんでした。鍋島閑叟にしても、江藤新平にしても、大隈重信にしても、他の偉人たちの記念館においても、多くの郷土史家たちにおいても、尊敬・傾倒・崇拝といった、人物への惚れ込みがあり、それらは共通しておったような気がしました。
まあ、それは、それは素晴らしいことなのですが、あまりそれが強いと、正確な歴史が残されなくなります。肝心なものが見えなくなるのですよね。日本ユースホステル協会の源流も、見えにくくなってしまう。
日本ユースホステル協会の源流。
それは、第11代鹿島藩藩主、鍋島直彬にはじまります。
そして、この鍋島直彬こそが、
薩長土肥の連合軍を造った幕末の英雄でした。
しかし、これが歴史に出てこないのです。
つづく
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ラベル:日本ユースホステル史の源流3+α
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しかし、妾腹の息子さんゆえ、地元では語られないとは…。
随分前に、鹿児島の南洲記念館に行った時も、西郷隆盛への信仰に近い何かを感じました。
いわゆる偉人の記念館の中には、そういう傾向が強いとこありますよね…。
「現在の倫理をもって過去を判断する」 これも危険ですね。奴隷を使っていたからローマが野蛮だったとは言えないですよね。
維新からつながるYH源流、楽しみです。
偉人が凄ければ凄いほど、その偶像を守ろうとする人も出てきますね。まあ、それはそれで立派なんですけれど、歴史学者は、そういうことをしてはダメですよ。
Akiさん
そうですねえ。「現在の倫理をもって過去を判断する」本当に危険な香りがします。これも過去が分からなくなった、分かろうとしなくなったからでしょうね。